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第7話

 頬が、暖かい。いや、むしろちょっと暑いような……

 暑さに耐えきれなくなって目を覚ますと、窓からいっぱいに降り注ぐ春の日差しが私を包みこんでいた。寝起きのぼやけた瞳で時計を振り返ると、現在十二時三十二分。午後に予約しているお客さんが来るのは、確か二時半ぐらい。下のメモを見ないと詳細は分からないけど……


「お姉ちゃん、おっはよぉ!」

「ふあ……おはよ、妹」

「……? お姉ちゃん、何か土の匂いがするよ?」

「あ……私、着替えもせずに寝ちゃったのかぁ」


 ベッドの上にこぼれた土や草がその証拠。これは女としてちょっと失格かも。


「もうお昼食べた?」

「まだ!」

「ん、じゃあシャワー浴びたらすぐ行くから」

「は~い」


 熱いシャワーを全身に浴びると、昨晩の疲れと残っていた眠気とがいっぺんに吹き飛んでくれた。春物のカーディガンを羽織って一階に降りると、カウンターの上の人形と目が合った。


「おはよう」


『もうとっくにお昼過ぎだけど?』


「寝起きの挨拶ならおはようでいいのよ」


 それから厨房へ行ってオムレツとトースト、それからフルーツヨーグルトを手早く用意して妹と食べる。


「今日のお客さん、何食べるの?」

「チーズケーキよ。三ピースと、お土産分に一台まるごと欲しいんですって」

「いちだい?」

「切り分け前のケーキは一台って数えるのよ」

「へぇ……」


 食後の紅茶を飲み干して、ちょうど時刻が一時を過ぎる。さて、そろそろチーズケーキの準備をしておかなくては。


「お姉ちゃん! 私も何か手伝えることあるかな?」

「じゃあ、お店の掃除を頼んでもいい? チーズケーキなら直ぐに出来上がると思うけど、私は他にも準備することもあるから、掃除してくれると助かるわ」

「は~い、お手伝いします!」

「えぇ、お手伝いされますわ」


 箒とちり取り、それにはたきを、まるでテレビゲームの表紙を飾る勇者みたいに構えた妹は、鼻歌交じりに掃除を始めてくれた。お店の床はもちろん、テーブル一つ一つを磨いてくれたり、玄関の窓や棚の埃まで、頼んでいない場所までピカピカにしてくれた。

 ……うぅん、ちょっと頑張り過ぎじゃない?


「お掃除終わったら、私もチーズケーキ食べたい!」


 なるほど、目的はそれか。


「わかったわ。お店が終わった後でなら、いいわよ」

「やったぁ!」


 途端に妹の動きが電光石火で疾風迅雷。

 何とも現金な妹の姿に私は微笑を浮かべる。


「さて、私もケーキ作らなきゃ」


 チーズケーキはケーキの中でもかなりシンプルな部類。

 故に、作るのはお手軽だけど美味しい味を出すのは結構難しい。

 私の作るチーズケーキはスフレチーズケーキで、普通に焼いた(ベイクドタイプ)チーズケーキとは違い、本来の使われる材料の生クリームを牛乳に変えて生地を湯煎(ゆせん)焼きするのが特徴。こうすることで、ふわっとしっとりなチーズケーキが出来上がる。ちなみに、スフレチーズケーキの『スフレ』とはフランス語で『ふくらんだ』を意味する。

 先にオーブンで湯煎用のお湯を温めながら、用意した材料を要領よく混ぜ合わせていく。隠し味は……本当はナイショなんだけど、私はオーソドックスにマーマレードを使っている。マーマレードの濃厚な酸味と柑橘系の香りのおかげで、ケーキ生地にさっぱりとした風味を醸し出してくれるの。

 混ぜ合わせた生地を型に流し込んで天板(てんばん)に乗せ、天板の半分が浸る程度にお湯を注ぎ入れる。百六十度に熱したオーブンで、待つこと五十分程度。

 ふわっと広がる甘い匂いに油断してはダメ。

 慌てず、竹串で生地を突っついて生地の具合を確かめる。……うん、程良い弾力で合格点。時計を見上げると、ただいま二時十分。ちょうどいい時間だった。

 お客さんが来るまでの間ケーキを冷蔵庫に入れて冷やし、その間にテーブルをセットしていく。掃除は妹が終わらせてくれたので床も窓もピカピカ。花瓶にツツジを添え、食器とテーブルナプキンとを並べて準備は万端。後はお客さんを待つのみだ。


「何だか、緊張するね!」

「そう? 私は慣れっこだからなぁ」


『ちょっと、呪いの人形をこのままにしてていいの?』


「えぇ、構わないわよ。今日はお客さんが楽しむところでも眺めているといいわ」


 どうせ今日もカウンター席を使うことはないから実質彼女の貸し切り状態。

 妹はお客さんがいつ来るかいつ来るかって、店主の私よりもそわそわしている。私はポットでお湯を沸かしながら、お客さんに出す予定のタイムを使ったハーブティーを用意しておく。


 カラン、コロン――


「いらっしゃいませ」


 玄関のベルが本来の役目を果たし、軽やかな音色でお客さんを出迎える。

 事前に電話で聞いていた通り三人、朗らかな笑みを浮かべる男性と、その後ろから彼と同い年くらいの女性、それから、やや俯き加減の少女が現れた。


「やぁ、ごきげんよう」

「こんにちは。どうぞ、こちらに」


 五月の日差しは暖かいけれど、長い間照らされていると少し暑い。

 二人とも脱いだ上着を抱えながら私のセットした席へと着く。遅れて歩く少女に、父親と思しき男性が手招きをした。


「さ、お前もこっちへ」


 俯き加減の少女が、とぼとぼとした歩みでカウンターの前を通り過ぎようとして――止まる。そのままスローモーションカメラで撮った映像みたいにゆっくりと左に首を動かすと、ハッと目を見張った。


「こ、この……子!」


『……ッ!』


 少女の目の前には、自称呪いの人形であるビスク・ドールが鎮座している。少女は信じられないといった様子で口をパクパクと動かしながら、震える指先で僅かに人形に触れた。ヒビの入った目元を、愛おしそうに、懐かしそうに静かに指を伝わせていく。


「あ、あのッ!」


 我に帰った少女がくるりと私に振り返り、潤ませた瞳でこちらを見上げる。私は小さく笑みを浮かべながら、彼女より先に訊ねた。


「もしかして、この子のお友達?」

「は……はいッ! この子、何処で……?」

「学校近くのマンションのゴミ捨て場……そうよね、妹?」

「うん!」

「学校近くの……マンション」


 私たちの言葉を静かに反芻(はんすう)する少女。

 その反応が気になったのか、テーブルのご両親が立ち上がって娘の方へと寄り添った。


「あぁ、この子は」

「私たちが引っ越しする時に、置いて行ったお人形さん」

「引っ越し……ですか」


『…………』


 ちらと人形に視線を泳がせてみたけど、彼女は何も言わない。私は視線をご両親に戻して話を伺った。


「いや、実は半年ぐらい前に、私の仕事の都合で一度この地を離れることになりましてね」

「その時に、この子と私たちとで小さな喧嘩をしてしまったんです」

「だって……」


 反論しかけた娘の頭にポンと手を当て言葉を遮ると、そのまま父親が話を続けた。


「六年生にもなるんだし、ちょうどいい機会だからそろそろ人形は卒業したらどうか、とね。当時の娘は泣いて(わめ)いて暴れまわったけど、突然娘の方から捨ててきたって言って……それっきり」

「まさか、このお店でまた巡り会うだなんて」


「私、迎えに行くって約束して、一回マンションまで行ったんだよ」


『……なッ!』


 すすり泣きながら、少女が語る。

 彼女、どうやら引っ越ししてある程度落ち着いてから一人でマンションに戻ったそうだ。だけど、その時には誰かに拾われてしまったのか、或いは業者の人に回収されてしまっていたのか、そこに人形の姿は無かったそうだ。

 ぼろぼろと、今まで堪えてきた涙が一気に溢れだす。


「迎えに来るって、約束したのに、だけど私、守れなくて……それで……」

「そう……そんな事情があったの」


 ここで私は黙って、ビスク・ドールを少女に差し出す。え……? と困惑する少女に、私は優しく語りかけた。


「約束なら、今果たせばいいでしょう? お友達は何があっても何処へ行っても、何年経っても、お友達じゃないかしら?」

「あ……!」


「それにこの子だって、本当はずっと貴女の約束を守っていたのよ?」


 言葉とウインクとを付け加えると、少女の腕の中に包まれるビスク・ドール。西洋人形特有の群青色の瞳が、今は涙を湛えているようにも見えた。


「よかったわね、二人とも(、、、、)


『あ、アンタ。最初からこうなるって知ってたの?』


 人形の言葉に、私は肩をすくめて返した。もうこれ以上、私が関わる必要はないもの。


「さ、積もるお話はティーブレイクしながら続けましょう? せっかく淹れたハーブティー、冷めてしまうわ」


 それから、今までの思い出を語らいながら私たちも交えてのティータイムが始まる。

 ほんの少し湿っぽくなってしまった三人に、タイムのちょっぴり辛い風味のアクセントが効いたのか、彼女たちすぐに笑ってくれて、それから最後までずっと笑顔に包まれていた。

 けれど、楽しい時間はあっという間に過ぎ、気がつけば夕日が差し込む黄昏時。

 私たちは姉妹そろって、店の軒先まで彼女たちを見送りに出ていた。

 車に乗り込む間際、ご両親が恭しく私に頭を下げた。


「今日は素敵なサプライズを、ありがとうございました」

「いいえ、本当に偶  然(サプライズ)ですから、お気になさらず」

「ま、またのご来店を!」

「うん。その時は、この子も一緒にね」


 気が付くと、妹と彼女はすっかり仲良しになっていた。知らぬうちに、人形の話で盛り上がっていたのかもしれない。これは女の子だけの特権かしらね。


『あ、ありがとうなんて言わないからね。本当に、偶然なんだから……』


「ふふ、お人形さんもお友達のところに帰れて幸せそうな顔をしているわ」


『だ、誰がッ!』


「あの、このブローチまで、いいんですか? すっごく綺麗に出来てますけど」

「えぇ、遠慮なさらずどうぞ。それは、私からの餞別だから」

「お姉さんも、お人形さんも、またね!」


『ふん! 絶対に、感謝なんかしないから! で、でも気が向いたら、また来てやるわよ!』


 少女と人形は車の後部座席に乗り込むと、私たちの姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けてくれた。私たちも手を振り返して、車がお店前のなだらかな坂道を下り終えて見えなくなった辺りで、手を振るのを止めた。


「すっごいね! お人形さんのお友達が、お店に来るなんて!」

「私も吃驚(ビックリ)してるわ。本当、こんな偶然は初めてだわ」

「ホントは、お姉ちゃんの“おまじない”のおかげだったりして」

「特別何もしてないのだけれど……」


 もしかして四つ葉のクローバー? だけど、そんな即効性あったかしら……?

 肌寒い風と共に夕闇が訪れ、私たちは足早にお店に戻っていく。カウンター席でふぅと一息、頬杖つきながら、ふと私は人形のことを思い出して微笑を漏らした。


「でも、終始素直じゃなかったわねぇあの子。ツンドラのお人形なんて、初めてで面白かったけど」

「……つ、つんどら? え、何それ? あの子の名前なの?」

「ほら、素直じゃない態度する子のことをツンドラって言うじゃない。……でも、何でユーラシア大陸の凍土地帯と同じ名前なのかしら? ちょっと可笑しいわね」


 くすくす微笑する私を見て、妹がぽかんと呆けている。そして私に釣られたのか、遅れてケラケラと笑いだした。


「あっははははは! お姉ちゃん、それ、間違ってるよ?」

「……え?」


 間違ってる? あれ、ツンドラってユーラシア大陸じゃなかったかしら。


「お姉ちゃん、それってツンデレだよ。いつもツンツンしてて、だけど時々デレデレするから、ツンデレって言うの!」

「え……えぇ!? そ、そうなの?」


 私が目を白黒させているのを見て、妹はお腹を抱えながらさらに勢いよく笑いだした。


「はははは! お姉ちゃんって物知りだけど、変なとこ抜けてる~!」

「……も、もう! 私にだって知らないことぐらいあるんだから!」

「きゃー! お姉ちゃんが怒ったぁ!」

「こら、待ちなさ~い!」


 今になって、あの時の人形の何か言いたげな視線の意味がわかった。あれは単純に、私の言葉が間違っていたのだ。それなのに得意気に二回も使っちゃって……恥ずかしいなぁ、もう。


「お姉ちゃん! そんなことよりさ、早くチーズケーキ食べようよ!」

「そんなことって……しょうがないわね」


 妹は未だにケラケラ笑い続けてる。ちょっと恥ずかしいけど、まぁ、誰にだって間違いはあるものだ。同じ轍を二度踏むような私じゃない。だけど……


 『ツンデレ』なんて言葉、ここから先の私の人生の中で、果たして再び使われることはあるのかしら?




 ~お終い~

あとがきまでが、お話です!

ということで、あとがきは30分後に。


ではまた後ほど。

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