第6話
おまじないもいよいよ後半戦。
衣装、顔と続けて、今度は彼女の体を中性洗剤で湿らせた布巾で拭いていく。陶器の体はデリケートなので、なるべく強い衝撃を与えないよう配慮していく。
『……なんで、ここまでするのよ』
不意に人形が口開く。いや、実際に口を開いたわけではないと思うけど。
「何でって……何で?」
『アタシは、こんなことされてもアンタ達を呪うわよ。恐怖のどん底に叩き落としてやるんだから』
「人助け……うぅん、精霊を助けるのに理由なんて必要ないの。私が助けたいから助ける。それだけよ」
『…………』
実際、精霊を助けるのは半分善意、もう半分は私の趣味のようなものだ。趣味をするのに理由は必要かしら? 少なくとも私は必要ないと思うけど、強いて何か理由を挙げるのならそれが“好き”だからだろうか。
「いい加減、キミもつんつんしてないで事情を教えて頂戴よ」
『……ふん。同情なんて要らないから』
「キミ、もしかして待ってる人とか居るんじゃないかしら?」
『…………』
私の適当な一言で、彼女がまた黙りこくってしまう。私は少し慌てて言葉を継ぎ足す。
「あぁ、ゴメンなさい。これは私の勝手な憶測。さっき妹に撫で回されてた時、何だか慣れているような気がしてね。だけど、改めて考えてみれば人形なのだから撫でられるくらいは慣れていて当然よね」
『……』
ちなみに、当の妹はいつの間にかカウンターに突っ伏してすっかり眠っている。上から毛布を持ってきて掛けてあるけど、あのままで風邪を引かないか少し心配だ。
『……「待ってて」て、言ったのよ』
「え……?」
今までの攻撃的な態度からは想像も出来ないような、か細い小さな声。私が聞き返すと、そのままのトーンで彼女は語りだした。
『アイツ、私を捨てた去り際に『すぐに迎えに来るからって』言ったのよ』
「……」
私は黙って、彼女の話に耳を傾ける。
『それから私はアイツの言うとおりずっと待ったわよ。ずっと、ずっとよ。雨の日だって強い風の日だって、雷が鳴って怖くたってずっと待った。途中ゴミの業者に処分されかけたり、アンタの妹みたいに拾う子もいたけど、そのたびに脅かして元の場所に戻った』
だけど、と彼女が続ける。
『結局、半年ぐらい待ったけどアイツは帰って来なかったわ。これだけ長い間ほったらかしにされれば服はボロボロ、体だって嫌でも汚くなる。アタシは……アタシを捨てたアイツが許せないのよ』
「……ふぅん」
拭き終えた布巾をテーブルの端にたたんで置いて、私は人形と向かい合うようにして座り直す。ヒビを除けば、西洋人形らしい端正で愛らしい顔立ちに仕上がっていた。
「許せない……っていう割には、ずっとあの場所で待っていて、その場所に帰ろうとするのね」
『……』
「キミ、その子の大事な友達なのね」
『は、はぁ? どうしてそうなるのよ。アタシがアイツを待つのは復讐のためよ、復讐!』
「素直じゃないわねぇ……そういうの、確かツンドラって言うんでしょ?」
『……?』
あれ、どうしたのかしら。彼女の声がピタリと止んでしまったのだけど。
「でも、せっかく綺麗にしてあげたのにゴミ捨て場に戻すってのは残念ね」
『だから、こんなことしなくてもよかったのに』
「じゃあ、餞別にいいものをあげるわ」
そう言って、私は人形を抱えるとお店の勝手口へと向かった。サンダルに履き替えて裏に設えた庭園へと足を運んでいく。
この場所は、私のお店で使うハーブや売り物の花を栽培している場所で、私が毎日手入れをしたり季節に合わせて植え替えなんかをしている。離れのキオスク――よく映画なんかで見る、庭に設えてある屋根付きの小さな空間――は、ご要望されあれば誰でも使えるようにといつも綺麗に整えてある。
「あ、そうだ。そろそろローズマリーを用意しないと。あれは五月病によく効くお茶が作れるのよ」
『アタシに五月病は関係ないわよ』
「時々、お客さんが欲しいって言ってくるのよ」
でも、今はお店で使うハーブを採りに来たわけではない。
私はハーブ園から少し離れて花壇も何もない、ほとんど手入れされていない(誤解の無いように付け足すと、今度手入れする予定の)雑草だらけの場所へと足を向けた。
「さて、確かこの辺で見たのだけど……」
『何を探してるのよ……』
寝間着姿のまま遠慮無しに膝をつく私を見て、キオスクのテーブルの上に座らせた人形が怪訝な視線を送っている。
「四つ葉のクローバーって、知ってる?」
『持ち主に幸運を与えるっていう……小さな葉っぱのこと?』
「そう。よく、四つ葉のクローバーを押し花にしたりしてる人がいるじゃない?」
『今時押し花なんて見たことないわよ。携帯電話のストラップにしてる人とかなら、見たことあるけど?』
未だ白く輝く仄かな月明かりを頼りに、私は四つ葉のクローバーを探していく。手を動かしながら、私は話を続けた。
「それぞれの葉は『希望』『誠実』『愛情』『幸運』を象徴しているの。ヨーロッパでは、玄関なんかに飾っておくと、文字通り幸運をもたらしてくれるんですって」
『……』
「でも、実際四つ葉クローバーは一万分の一の確率で発生するそうよ。一万分の一って妙にリアルな数字で、本当に幸運をもたらしてくれるのかちょっと不安よね」
『じゃあ、探す意味ないじゃない』
「そう? 私はこういう幻 想 的なこと、好きだけどな」
四つ葉の……あ、違った。これは三つ葉のクローバーが互い違いに重なってるだけでハズレ。それからも、私は四つ葉のクローバーをひたすら探し続ける。
……本当は、偶然見つけるからこそ幸運の象徴なのだけど、いざ探そうとするとなかなか見つからない。
「やっぱり、幸運は自ずから掴むものじゃないってことかしらねぇ」
自嘲気味に微笑う私。服が汚れるのも構わず探し続けて、探して……
『もう、アンタも休んだら?』
ふと、彼女が私を気遣う言葉が聞こえてきて思わず顔を上げた。彼女の言葉に従うわけじゃないけど、私は一度キオスクまで戻って、ひと休みしようと腰を下ろした。
「あら、最近の呪いの人形は他人を気遣うの?」
『そんなことされたって嬉しくないわ。……もう、アイツだってとっくの昔に私を忘れているに決まってるもの』
「うぅん、それはどうかしら。捨てられたキミがずっとその子を想うように、その子もキミを想っているかもしれないわよ?」
『どうして、そんなことが分かるのよ』
「キミを大切に想っているからこそ、迎えに来るって約束したんじゃないかしら」
『…………』
「男の子が飽きたおもちゃを放り捨てるのは分かるけど、女の子ならそんなことしないわ。大切なお人形となれば尚更ね。キミのお友達も、寝る時とかご飯食べる時とか、ずっと一緒に居たでしょう?」
『それは……その、そうだけど』
「だから、きっと迎えに来る……うぅん、また出逢えるわよ」
『……』
さて、四つ葉のクローバー探し再開。今度は反対の方を探してみよう。私がキオスクから出ようと一歩踏み出そうとして――サンダルのつま先が何かに引っ掛かって、べしゃっ、と無様に躓いてしまった。
「あいったたた……」
『アンタ、意外とトロいのね』
「失礼な。ちょっと転んだだけ……あ!」
躓いて私が顔を上げたその目の前、小さな四つ葉のクローバーが一つ、私の鼻先でちょこんと背伸びをしていた。これこそ正しく、幸運の四つ葉のクローバーだ。
「あった……! ふふッ、見つけたわよほら、幸運の四つ葉のクローバー!」
『イイ大人が、はしゃいじゃって……』
「キミも、もう少し年相応の反応をしなさいな」
言ってから、彼女の歳っていくつ何だろうと素朴な疑問が浮かんだけど今は後回し。
「じゃあ、最後の仕上げをしましょうか」
土まみれの体でお店に戻ると、私は再び手芸セットの中に手を伸ばす。今度は簡単なピンと短めの天蚕糸(釣り糸って言えばわかるかしら)と鶯 色のビーズ、あと瞬間接着剤とピンセット。
『……ホント、何でも出てくるのね』
「未来から来た猫型ロボットには負けるけどね」
そもそも、文字通り次元が違うのだから勝負にならないのだけど。
そんな冗句を交えつつ作業開始。
取ったばかりのクローバーはひとまず置いて、最初は素体作り。天蚕糸にビーズを通していって、ある程度の長さまで出来たらピンに絡めていく。ちょうど、ト音記号のような形を整えて瞬間接着剤で止める。これでブローチの素体が出来上がり。これに、今しがた採ったばかりの四つ葉のクローバーを、千切れないようそっと絡める。小さな鏡に彼女の姿を映すと私は訊ねた。
「うぅん……ちょっとイメージしていたものと違うけど、どうかしら?」
『……見ての通り似合わないわよ』
「そうかしら? 私は良いと思うんだけどなぁ」
ほとんど黒一色のゴスロリ服に、鶯色のブローチは鮮やかに映える……と、私は思うのだけど、鏡の中の彼女はやや不満そうな(?)顔をしていた。
「まぁ、何はともあれ、これで私の“おまじない”はお終い。明日……と言っても、もう今日だけど、妹と一緒に元の場所まで送るわ」
『えぇ、お願い。私が一人でに動いてもよかったのだけれど、生憎動けるのは満月の夜だけだから』
「あら、そうなの?」
満月には不思議な魔力が宿るって言ってたけど、本当なのね。
『もう満月どころじゃないわ。それに、アンタ今日予約してるお客さんがいるんでしょ? サッサと寝て、準備した方がいいんじゃない?』
「お気遣いどうも。今日のお店は午後から開けるから……少しだけ寝て、お菓子の仕込みをしなきゃ」
『……フン。アタシのことは、お客さんとやらの後でいいわよ。それまでは、大人しくしてあげる』
「やっぱりツンドラじゃない。そういうの流行ってるのね、ふふッ」
『…………』
人形の何か言いたげな視線を感じたような気がしたけど、そろそろ私も眠気が差してきた。彼女をカウンターの上に乗せて、それから妹は――今から動かすのも可哀想だから、このままで。
「今日のお客さんって、確か親子連れさん……だったかな。ふわぁ……ぅ」
ご注文はチーズケーキ……だったような気がする。欠伸をした拍子に一気に襲いかかる睡魔。
気がつくと、私はベッドの上に倒れ込むようにして眠ってしまっていた。
明日でいよいよ最終回。
短編だからまぁ、こんなもんかなぁ。
次話はまた明日のこの時間に。
それでは。