第三章 元老院
テルノアリス城の中央区域、その最上階に位置する『王座の間』。王と六人の元老院は、普段からその広間で会議やら会合やらを行っているらしい。
最上階へと続く赤絨毯が敷かれた階段を上り切り、窓から朝日が射し込む長い廊下を黒ひげ大佐に先導されながら歩き続け、ようやく『王座の間』の入口に辿り着いた俺を待っていたのは、見覚えのある人物だった。
長い若竹色の髪を後ろで一つに纏め、どこか『魔術師』にも似た知的な雰囲気を醸し出している眼鏡の青年。少しつり上がった目付きをしているものの、物腰穏やかな表情を浮かべる彼に、以前俺は会った事がある。
「やぁディーンくん。キミとこうして会うのも久しぶりだね」
「ハルク・ウェスタイン! ……様」
うっかり呼び捨ててしまいそうだった俺は、隣にいる大佐の目が鋭く光るのを感じて慌てて『様』を付け加えた。
恐らく大佐も最初から、俺が何か粗相をするんじゃないかと注意を払っていたんだろう。嫌味の籠った忠告が飛んで来るかと思い、内心で軽く身構えるが、大佐は特に何も言ってこない。どうやらギリギリで命拾いしたらしい。
「お待たせして申し訳ありません、ハルク様。仰せの通り、ディーン・イアルフスを『連行』して参りました」
「ああ、ご苦労様。下がってくださって構いませんよ」
大佐は姿勢を正して敬礼すると、やや険しい顔で俺を一瞥してから、踵を返して去っていった。
……って言うか、今『連行』の部分だけ妙に強調して言ってた気がする。
「わざわざ呼び出したりしてすまなかったね。元気にしていたかい?」
遠ざかっていく大佐の背を恨めしい気持ちで見つめていた俺は、友達に話し掛けるかのような陽気な声に振り返った。
やたらと縦に長く、厳かな存在感を放つ扉の前に佇んでいるハルクだが、緊張している様子は全くない。
「まぁ、一応な。ってかそんな事より、何であんたがここで待ってるんだ? てっきり他の連中と一緒に、部屋の中にいると思ってたのに」
大佐がいなくなった途端、敬語を使う素振りすら見せない俺を、ハルクは特に咎めようとしない。が、説教の代わりと言わんばかりに、小脇に抱えていた書類の束の中から、数枚の紙を選んで差し出してきた。
「キミにこれを見せておこうと思ったからだよ」
「……何だこれ?」
「貴族を毛嫌いしてるキミの事だから、多分元老院の名前なんて知らないだろうと思ってね。一応全員の顔写真と、名前や経歴を書いた書類を持って来たんだ。審問開始までもうあまり時間はないけれど、今の内に目を通しておくといい。できる限り情報は絞ったつもりだけれど、全員分覚えられそうかい?」
「……努力してみる。けど、こんな事する必要あんのか?」
ハルクから書類を受け取り、言われた通り目を通しながらも、俺は諦め悪く抵抗を試みる。
が、案の定ハルクの答えは厳しかった。ついさっきまで陽気なものだった表情や口調が、一瞬の内に鳴りを潜める。
「当然だろう。向こうは貴族で、キミは平民なんだ。ボクの場合は言葉使いや態度なんてあまり気にしないけれど、この中にいる人間全員がそうだという訳じゃない。名前を知らないなんて言おうものなら、それだけで処罰を与えようとする輩だっているんだ。変に畏まってくれとは言わないけれど、キミはもう少し、貴族と平民の違いというものを理解した方がいい」
「あ、ああ……」
珍しく厳格な表情のハルクに矢継ぎ早に捲し立てられ、俺は反論する事さえできなかった。
にしても、こうして諭すような事を言ってくる目の前の人間も、貴族様の一員である事に違いないはずなんだけどな……。態度の悪さを咎められないせいか、その辺りの事実を忘れてしまいそうになる。
「――っと、そろそろ時間だね。その書類は当然持っていかない方がいいから、ボクが預かっておくよ」
しばらく紙と睨めっこをしていた俺に、取り出した懐中時計を見ながらハルクがそう言った。
俺は何とか、記載されている内容と元老院全員の顔を頭に叩き込み、書類を返す。
「それじゃあ、準備はいいかい、ディーンくん」
「ああ。さっさとこんな事終わらせようぜ。その方が絶対、お互いのためになる」
俺の軽口に、書類を受け取ったハルクは柔らかな笑みを零したが、すぐに表情を真剣なものへと変える。そして目の前の扉に向かって、宣誓の如く大きな声を張り上げた。
「元老院ハルク・ウェスタイン、並びに召集命令対象者、ディーン・イアルフス。これより入室致します」
部屋の中から返答はない。その代わりに、両開きの扉が内部から手前に向かって開かれ、俺達を室内へと招き入れる。
元老院との望まぬ謁見が、ついに始まろうとしていた。
◆ ◆ ◆
宿の一階に備え付けられた食堂内には、やや寝惚け眼なままの宿泊客の姿が、ちらほらと見受けられる。コーヒー片手に新聞に目を通している者もいれば、同伴者と他愛のない会話を繰り広げている者もいる。どこの街でも見掛ける、ありふれた朝の食堂の風景だ。
その中に、四人掛けのテーブル席を一人で独占している、黒髪の少女の姿がある。
卓上に並んでいるのは、ベーコンエッグと葉物野菜のサラダが乗った皿と、ロールパンが入った小さな籠。白い陶器のティーセットは紅茶を淹れるための物で、すでにカップからは湯気が立っている。
籠からロールパンを一つ取り出し、やや乱暴な手付きでマーガリンを塗る少女は、何やらずっと不機嫌な様子だ。
「……もう~。ディーンってば、すぐあたしの事置いて行っちゃうんだから」
ロールパンを咀嚼する合間にぼやきを挟んだリネは、不満の証として白い頬を膨らませてみる。けれど、いつもならここで溜め息という名の相槌を打つはずの少年がいない。
現在の時刻は、午前七時半を少し過ぎた頃。宿泊している部屋を訪ねても留守だった事から、今頃ディーンは一人でテルノアリス城に向かい、元老院との謁見に臨んでいるのだろう。
食堂の隅に置かれている振り子式の柱時計から目を離し、リネは湯気の立つ紅茶を静かに啜った。
(そりゃあ起きるのが遅いあたしが悪いんだけどさ……。一言くらい声を掛けてくれたっていいのに……)
要は置いて行かれたから拗ねているだけなのだが、とはいえリネにも、少し引っ掛かっている事はある。
というのも、夢現でよく覚えていないのだが、今朝早くにディーンが部屋を訪ねてきたような気がするのだ。
もしあれが夢ではないとすれば、彼が自分を気に掛けてくれた証でもあるので、それは素直に嬉しい。寝起き姿を見られたかも知れない、という恥かしさもあるにはあるが……。
でも相手は無愛想でお馴染みのディーンだからな、わざと無視するなんて当たり前にしそうだもんな、基本薄情だもんな、雑な扱いしそうだもんな、とか何とか思いながら、リネはもう一度時計に目を向ける。
(これから一人でどうしよう……。こんな時間だと開いてるお店も少ないはずだし、だからってお城に行っても、召集命令の対象者じゃないあたしは、多分入れてもらえないよね……)
朝食を済ませた後の予定をあれこれ考えながら、ふと思う。そういえば、こんな風に一人で朝を迎えるのも久しぶりだな、と。
今まで朝食は必ずと言っていいほどディーンと一緒に食べていたし、途中からはミレーナが加わった事もあり、より一人で過ごす時間は少なくなっていた。そう考えると、図らずも訪れているこの瞬間は、かなり貴重なものなのかも知れない。
(せっかくだから街を散策してみようかな。お店には入れなくても、歩き回ればこの街の地理に詳しくなれそうだし)
脳内の予定表を思いつくままに埋めながら、リネは再度、温かい紅茶が入ったカップを煽る。一口啜るとほのかな甘みと共に、華やかな香りが口内に広がっていく。
ゆっくりと流れる、久しぶりの一人の時間。けれど不思議と、かつて抱えていたような不安な気持ちにはならない。むしろ楽観的に、軽やかに感じている自分がいる。
誰かを気にする事なく、探検気分で『首都』の街並みを歩き回る。それこそきっと、一人でなければできない事だ。
(ディーンがいたら、早くしろよって急かされちゃうもんね)
少年の仏頂面を思い出し、くすくすと笑って何気なく窓の向こうを仰ぎ見る。
視線の先には、雲一つない青空が広がっていた。
◆ ◆ ◆
意を決して足を踏み入れた『王座の間』と呼ばれる室内は、厳格な雰囲気に包まれていた。まるで一挙手一投足に至るまで、全てを見定められているかのような、そんな圧迫感の強い空気。
視界の左右には、緩く弧を描く形で設置された木製の長机。そこに銀の彫刻や装飾が取り付けられた値段の張りそうな椅子が、六つ置かれている。
そして、その内の五つに、各々優雅に腰を掛けている五人の人間。
男二人に女三人。どいつもこいつも、さっき書類で見たものと一致する顔ばかりだ。
さらに、奥の壁に張られたステンドグラスから、太陽の光が差し込む光景は、荘厳な礼拝堂のようにも思える。それを背にする形で、金の装飾が施された背凭れの高い椅子が一つ、仰々しく設置されている。
俺が立っている床よりも一段高い位置にあるそれに堂々と座しているのは、四十代前半と思しき男だ。
丁寧に整えられた小麦色の髪の上には、紅い水晶が嵌め込まれた金の冠があり、それが不思議な神々しさを醸し出している。服装は紅と白を基調にした袖口の大きいローブで、何となく司祭のようにも見える。
さっきハルクに見せてもらったばかりの書類が、早くも役に立ってくれた。
ファルディオ・クロスレイン。
目の前にいるこの男こそが、現在の『首都』、そして『ジラータル大陸』を治めるテルノアリス王か!
「召集命令対象者、ディーン・イアルフス。中央の審問台に進み給え」
ある意味王の姿に見蕩れていた俺は、隣から聞こえた厳しい口調に思わず身を縮ませた。
振り向くと、入室前とは別人のように厳格な表情になったハルクが、静かに俺を見据えていた。
ハルクが審問台と称したのは、部屋の中央に置かれている高さ一メートル半程の、コの字型の台らしい。指示通り、凹みの部分へと進み出ると、それを見届けたハルクが空いていた席へと移動する。
これでようやく、この大陸を統治する元老院が勢揃いした訳だ。
妙な緊張感を覚え、静かに息を呑んだ瞬間、自席に着いたハルクが、まるで天に向かって吠えるかのように高々とこう告げた。
「ではこれより、召集命令文規定第五条に基づき、『魔術師』ディーン・イアルフスに対する審問を取り行う!」
ハルクの声が室内に木霊す中、入口の扉が室内にいた兵士によって閉じられた事で、ただでさえ重苦しく感じる空気が、さらにその酷さを増したように思う。
……正直、場違いな事この上ないなと、呆れと共に自覚する。何で俺、こんな所にいるんだっけ?
「随分戸惑っているようだね」
「!」
上の空状態になり掛けていた俺は、少し高い位置から聞こえてきた渋みのある声に意識を刺激され、どうにか意識を前方に戻した。
声の主は当然、椅子に座したまま悠然とこちらを見下ろしているファルディオだ。
……って、さすがに王様相手に呼び捨ては不味いか。黒ひげ大佐が知ったら、「この狼藉者がぁっ!」とか言ってブチ切れそうだ。
とはいえ、『首都』暮らしでもない俺は、王様どころか元老院すら目にする機会なんてなかったから、この人が大陸を統べる王様だって言われても、いまいち実感湧かねぇんだよなぁ……。
「心配する必要はないよ。我々は何もキミの事を罰しようとしている訳じゃないんだ。ただこちらの要求に、素直に応じてくれればそれでいい」
あれこれ余計な事を考えている間にファルディオ……じゃなかった、テルノアリス王はそう言って軽く微笑み、俺の返事を聞きもしないで続ける。
「では早速だが、キミが今までの旅の中で経験した全ての出来事について、キミ自身の口から弁明を貰おうか」
開始早々の勝手な注文に、俺は不満な顔をせざるを得ない。こっちはまだ何で呼び出されたのかも聞かされてないのに、何をどう弁明しろって言うんだ。
内心で嘆息しつつ、俺は口を開いた。もちろんいつも通り、敬語を全く使わずに。
「弁明も何も、俺はあんたらに追及されなきゃいけないような事をした覚えはない。なのに無理矢理『首都』に連行されて、こっちはいい迷惑だぜ」
吐き捨ててやった台詞を皮切りに、元老院達の目付きが鋭くなるのを感じた。そんな中ハルクだけは、忠告を無視した俺に呆れているのか、若干頭を抱えるような仕草を見せる。
まぁ、どちらも当然の反応だと思うし、こっちもそれを狙ってやってたりする訳だが。
「口を慎め。何様のつもりだ、一平民の小僧が」
すると、そんな俺の言葉に対し、明らかに見下したような口調で反論してきた、少々大柄な三十代後半と思しき男がいた。
丁寧に整えられた黒い短髪に、両手の指に複数嵌められた宝石付きの指輪。彫りが深く、やや目付きの悪さが強調されているその容姿が、男の特徴として俺の意識に引っ掛かる。
この部屋に入る前、ハルクから提供された元老院の個人情報と顔写真。それに照らし合わせると、どうやらこいつがバドアーズ・ロッドって奴らしい。
傲岸不遜。いかにも平民を馬鹿にしている、典型的な貴族の人間って感じだ。
「そっちこそ何様なんだよ。椅子に座って偉そうな御託しか並べられないような奴が、元老院の一角を担ってると思うと情けなくて仕方ねぇっつーの」
「貴様……ッ!」
「まぁ待ち給え」
憤慨して立ち上がろうとしたバドアーズを、俺の正面に座るファルディオが制止する。さすがは王様と言うべきなのか、彼の口調は穏やかでどこか余裕に満ちている。
……ま、個人的にはそれがまた気に喰わなかったりするんだけど。
「どうやらキミは、随分と我々の事を嫌っているようだね。だが、できればそう斜に構えないでもらいたい。一応我々としては、キミとは友好な関係を築きたいと思っているんだよ?」
牽制するかのような落ち着いた声で告げると、ファルディオは数秒ほど何かを考えるような仕草を見せ、やがて思い付いたように再び口を開く。
「そうだ、ならばこうしよう。我々の質問に答えてくれたら、我々もキミの質問に答える。どうやらキミは、我々に尋ねたい事があるようだしね。キミが知りたいと思う事にでき得る限りの答えを与えるよ。どうだい?」
彼は薄く笑みを湛えた顔で、「キミの考えている事を正直に話してもらえると、こちらとしても助かるんだがね」、と続けた。何だか早くも腹の探り合いという感じがして、気分が悪い事この上ない。
とはいえ、確かに王様の言う通り、突っ撥ねていても埒が明かない。話を先に進めるためには、俺が折れるしかないみたいだ。
「……わかった。じゃあ遠慮なく聞かせてもらうぜ」
意を決して、俺は口を開く。自分の周囲に満たされている言いようのない緊張感に、呑まれる訳にはいかなかった。
「あんたらはどうして、『精霊石』なんていう妙な物を隠そうとしてんだ」
本当に一瞬の出来事だった。俺が放ったその言葉で、元老院全員が僅かに顔をしかめたのは。
今の反応でようやく確信が得られた。『ワーズナル』でガラムが言っていた、元老院が『精霊石』の存在を知っているというのは、紛れもない事実だったんだ。
「ディーン・イアルフス」
不意に右側の席から名前を呼ばれ、俺は僅かに振り向いた。
声の主は、冷静な雰囲気を放つ細身の男だった。闇夜のような黒い瞳と髪で、前髪の部分を斜めに切り揃えた髪型をしている。バドアーズとは対照的に、こちらは派手な宝石類は一切身に付けておらず、貴族にしては地味な格好だ。
入室前に見た書類の内容と照らし合わせると、こいつの名前は確か、レオナルド・ブレイク。そういえばあの書類には、ハルクと同い年だって書いてあったはずだ。
「お前の口からその言葉が出るという事は、どうやら『ワーズナル』での一件は事実のようだな」
「あん?」
レオナルドが発した言葉に、俺は若干眉根を寄せる。こいつらの口からなぜ、『ワーズナル』という単語が出て来たんだろう?
……いや、そういう事か。元老院がわざわざ俺を『首都』に呼んだ理由は――
「なるほど。あんたらが本当に知りたいのは、俺の旅路の全てって訳じゃない。召集命令状なんて大袈裟なものまで使ったのは、『ワーズナル』での出来事を直接聞き出したかったからだったんだな?」
「そう思うか?」
「茶飲み友達でもあるまいし、あんたら貴族が俺みたいな平民をわざわざ連れ戻す理由なんて、あの一件以外に考えられねぇんだよ」
安易に誤魔化そうとするかのようなレオナルドの言葉に、俺は思わず語気を荒くしてしまう。
だが、レオナルドの方は意に介した様子もなく、それどころか僅かに嘲笑うような表情を見せる。随分余裕があるじゃねぇか、オイ。
「お止めなさいな、レオナルド。いくら子供相手とはいえ、ここは揶揄うための場ではありませんのよ」
と、今度は左側の席から、妙に上品な言葉遣いで忠告が入った。
俺は振り向いた先にいた発言者の顔を、さっきの書類と瞬時に照らし合わせる。
彼女の名前はマーシア・オブリム、だったはずだ。言葉遣いや雰囲気にも気品さが漂う三十代後半くらいの女性。レースの付いた彩度の低い桜色のドレスを着た彼女の金髪は、これでもかというほど巻き髪になっている。
「私から質問してもよろしいかしら?」
マーシアは丁寧な口調で一言断ってから、俺に異論がない事を確認し、続ける。
「随分冷静に私達の思惑を推測しているようだけれど、なぜそのように思うのです?」
「『ワーズナル』で会ったガラムって奴が言ってたんだ。『首都』の元老院は、『精霊石』の存在を意図的に隠してるってな。それにそのガラムって奴は、自分の事を『精霊指揮者』っていう組織の一員だとも言ってた」
「!」
「この組織名にも聞き覚えがあるんだよな、あんたらは」
俺は周囲を見回しながら、逆に元老院の連中を追求するつもりでそう言った。
実際俺の言葉を聞いて、連中の顔には僅かだが動揺が見て取れる。それがもう、答えだという何よりの証だった。
「あんたらは一体何を隠してる? 『精霊石』ってのは何なんだ? 『精霊指揮者』ってのは何者だ? あんな強引な手を使って俺を呼び戻しやがったんだ。答えないなんて選択肢を与えてやるつもりはねぇからな!」
いつの間にか俺は、問われる側から問い質す側へと変わっていた。
訳のわからない奴らに、これ以上振り回されるのは御免だ。俺の目的を果たすためにも、こいつらには知ってる事を全部話してもらわなきゃならない。
例えそれが、どんな事実だったとしても。
「話さないと納得しないんじゃなーい? 軍とか『ギルド』からの報告にあった通り、この子かなり野蛮で面倒臭い性格みたいだしー……」
と、色合い鮮やかな付け爪の具合を確かめるような仕草を見せつつ、どこか気だるそうに発言したのは、マーシアの隣にいる三十代中頃の女性だった。
長い茶髪を頭の後ろで団子状に纏め、紅紫色のドレスに身を包んでいるこいつの名前は、確かアンリエッタ・プロイツェン、だったはずだ。
……って言うか、誰が野蛮で面倒臭いって? そういうあんたこそ、かなり面倒臭そうな顔して座ってんじゃねぇか。
「アンリエッタさん、いくら何でもそれは言い過ぎです。確かに彼は、言葉遣いも態度も悪いですけど……」
やる気なさげな団子頭に文句を言ってやろうとしていた俺は、反対側から聞こえてきた大人しそうな声に、思わず振り向いてしまう。
視線の先にいたのは、ハルクの隣に座る二十代後半くらいの女性。
肩の辺りまで伸びた石竹色の髪。純白のドレスを着たその女の肌は、他の女性陣よりも色白い。妙に胸の辺りの膨らみが目立つのは、恐らくその部分がかなり発育しているからなんだろう。
他の元老院よりも柔和な顔立ちのこの人が、リーシャ・クロードレス。ハルクに見せてもらった書類上でも一番最後に見た人だ。
しっかしまぁ、これでようやく全員の顔と名前を一致させるに至ったって訳か。初対面の人間相手にこれだけ苦労させられたのは、多分これが初めてだな……。
「調子に乗るのもいい加減にしろ!」
内心で辟易していた俺にそう言ってきたのは、マーシアやアンリエッタと同じ側の席に座っている、バドアーズだった。
どうやら向こうも向こうで、俺の傍若無人っぷりが相当頭に来ているらしい。バドアーズは怒り心頭といった様子で、俺を射殺さんばかりの鋭い眼差しを向けてくる。
「先ほどから黙って聞いていれば、好き勝手な事をベラベラと……! 貴様はこの城に『招かれた』のではない! 『連行』されたのだぞ!? にも拘らず、テルノアリス王は直々に、貴様のような平民の小僧の言葉に聞く耳を持ってくださっているのだ! 王に感謝する事はあれど、そのような不遜な態度を取るとは何事か! 恥を知れ!!」
「……うるせぇな。偉そうに指図してんじゃねぇこの――」
「止め給え!」
激昂して立ち上がるバドアーズに、俺が歯向かおうとした瞬間だった。今まで沈黙を守ってきたテルノアリス王が突然声を荒げ、俺達を制止する。
王が放った威圧感のある一言で、混迷を極めそうだった室内が静まり返った。これこそ、王族が持つ独特の覇気というものなんだろうか。
「ここは争いの場ではなく、議論を行なうための場だ。――バドアーズ。私に対するその篤い忠誠心には感服するが、感情的になればいいというものでもない。そこは反省し給え」
「……ハッ。申し訳ありません」
王に窘められ、バドアーズは落ち着きを取り戻したように着席する。
それとほぼ同時に、テルノアリス王の瞳が真っ直ぐに俺を捉えた。
「やはりキミは、我々に対して色々と疑念を抱いているようだね。……確かにキミの推測通り、我々は『精霊指揮者』という組織の事を知っている。彼らの狙いが、『精霊』を召喚する事だというのもね」
「!」
まるで自分の罪を自白するかのように、テルノアリス王は続ける。
俺が知りたいと願っていた、真実について。
「我々が『精霊指揮者』の存在を……彼らの狙いを知ったのには理由がある。全ての始まりは、ある遺跡で発見された『碑文』……。そこに書かれていた内容こそが、我らが『精霊』の存在を信じるようになったきっかけだった」
◆ ◆ ◆
いつもより少し早い朝食を食べ終え、宿を後にしたリネは、新鮮な気分で『首都』の大通りを歩いていた。
現在地は、街の南側にある『ワグルア』という名の通りだ。
前方に巨大なテルノアリス城の姿を捉えながら、宿から続く石畳の道を真っ直ぐ北上する。たったそれだけの事なのに、リネは随分と浮かれていた。
あまり知らない土地を一人で歩くと、少しの不安と同時に、何とも言えない高揚感が込み上げてくる。誰かと一緒に過ごすのも楽しいが、一人で過ごす時間というのも、また別の醍醐味が味わえるものだ。
道幅の広い大通りの両脇では、開店準備に取り掛かる店の従業員の姿がちらほらと見える。街の復興もだいぶ進んでいるようなので、あと何週間かすれば、この街は完全に元の姿を取り戻す事だろう。
やはり『首都』の街並みはどこよりも広い。まだ大通りの方でも足を伸ばせていない場所が多いというのに、裏通りなどの細かい部分まで入れたら、踏破し切れる気がまるでしない。
前回はあまりゆっくりと見られなかった分、街のあちこちに視線を巡らせながら、リネは軽快な足取りでどんどん先へと進んでいく。
(……ディーン、今頃どうしてるのかな?)
大通りを北上していると、どうしてもテルノアリス城の姿が視界に入ってしまうため、リネはすぐにディーンの事が気になってしまう。
元老院の人間と直接会話するなどと、普通に生活していればまず有り得ない出来事だ。その辺り、ディーンはあまり気にしていない様子……と言うより、むしろ不名誉な経験だと捉えて嫌がってすらいる。
また面倒臭そうな顔をして貴族の人達に怒られてるのかなぁなどと考え、思わず笑ってしまった時だった。
前方のテルノアリス城の畏敬な佇まいに気を取られていたリネは、突然脇道から現れた黒いローブ姿の人物にぶつかってしまった。
「きゃっ!」
思わず尻餅をついてしまったリネは、そのまま相手の事を見上げる格好になった。
特に何の装飾や模様も入っていない、黒いローブを身に纏ったその人物は、フードを目深に被っていて表情が読み取れないばかりか、性別すら判断できない。ローブから覗く相手の胸元には、菱形の枠に嵌め込まれた黄金色の水晶らしき物が、奇しくもリネのそれと同じように、首飾りとして下げられている。
一見すると不気味さを漂わせる出で立ちのはずだが、不思議とその身から発せられる気配は、陽だまりのような穏やかさが感じられた。
その不可解な魅力に当てられ、しばらく呆然と座り込んでいたリネに、相手がゆっくりと右手を差し出してきた。
「すまないね、余所見をしていたようだ。立てるかい?」
「! あっ、ハイ! ごめんなさい、ぶつかったのはあたしの方なのに……」
フードの内から響いてきたのは、どこか柔和な男性の声だった。
差し出された手に引っ張り起こされながら、今更のように謝るリネ。しかし、男性は叱責するような素振りすら見せず、優しい声音でこう続けた。
「気にしなくて構わないよ。余所見をしていたのは私も同じだからね。……それにしても」
何やらフードの奥から、こちらをじっくりと観察するかのような視線を感じ、やや首を捻った直後――
「キミ、随分と珍しい力を持っているようだね」
そんな確信めいた台詞が、リネの鼓膜を刺激した。
「……えっ?」
男の言葉が、一体何を指しているのかわからなかったリネは、明確な反応を示せず呆然としてしまう。
フードの奥から、忍び笑いが微かに漏れる。
「その力をどう使おうとキミの勝手だが、あまり使い過ぎない方がいい」
硬直するリネに構わず、男は悠然とした歩調で横を通り過ぎながら、まるで忠告するかのように囁いた。
「さもないと……、『消えて』しまうよ?」
「!?」
まるで周囲の空気が、一瞬で冷却されたかのようだった。
突然、その言霊に総毛立つような寒気を感じて、リネは跳び退くように背後を振り返った。
ところがどういう訳か、擦れ違ったばかりのはずの男の姿はどこにもなかった。曲がり角の先を覗いても、通りのそこかしこを見回しても、黒いローブを纏った人物は見当たらない。
凍えたように微かな震えを起こしている身体を、リネは静かに両手で抱いた。
――『消えて』しまう。
警鐘のように耳に残り続ける不穏な言葉が、少女の脚をその場に縫い止め、いつまでも動く事を許さなかった。




