第六章 導く力 -Glimpse of the flame-
「ギルドメンバーがやられた? 本当なのか、それは……!?」
ミレーナが事のあらましを説明すると、受付の男だけではなく、『ギルド』内にいた人間全員の顔色が変わった。
同業者として当然の反応だろうと思いつつ、ミレーナは続ける。
「今リネさ――私の友人が応急手当てを行ってますが、大火傷された方がいて重傷です。ですから、急いでお医者様の手配を!」
「わかった。すぐに使いの者を出そう」
真剣な声音で受け答えをした男は、近くにいたギルドメンバーらしき青年に目配せをした。
無言で頷き、外へと駆けていく青年を一瞥してから、受付の男は改めてミレーナを見つめる。
「ところであんた、ギルドメンバーを襲った奴らを見たんだろう? 人相や名前を覚えてるか?」
「ええ。確か……、桔梗色の長髪の女性と鈍色の髪の少女の二人組で、お互いの事をラズ、パーニャと呼び合ってました」
「何だって……?」
記憶を辿りつつ質問に答えた途端、受付の男の顔が驚きに満ちた。
それを怪訝に思うミレーナを尻目に、男は慌てた様子で、書類だらけの机の上や引き出しの中をあれこれ探り始める。
やがて目的の物を見つけたのか、手にした何かをミレーナへと差し出してきた。
「おい、あんた。その襲撃犯、まさかこの二人か?」
受付越しに男が提示したのは、やや皺の入った一枚の写真だった。それに写っているのはどこかの街角で、写真の中央には二人の人物が佇んでいる。が、被写体の構図から考えて、どうやら隠し撮りされた物のようだ。
その被写体である二人の容姿を目にして、ミレーナは驚く。明らかに、先ほど遭遇した襲撃犯の二人だったからだ。
「間違いありません、この人達です! けど、なぜこんな写真がここに?」
純粋な疑問として尋ねると、受付の男は溜め息を吐きつつ軽く頭を抱えた。
「話を聞いてる内にもしやと思ったんだが、恐らくその襲われた連中、数日前にここを訪れたギルドメンバーだろう。その写真は、そいつらが持ってきた物だ。鉱山に現れる不審者の一味を見つけた、と言ってな」
何やら先ほどから、受付の男の様子がおかしい。妙にしおらしいと言うか、覇気が薄れてしまっている。
その原因に、ミレーナはふと思い至った。
「……もしかして、彼らの話を取り合わなかったんですか?」
写真を返しながら問い掛けると、受付の男は観念したように頷いた。
「……ああ、残念ながらね。だが考えてもみろ。連中がどういう風に調べたのか知らないが、長髪の女はともかく、片方はどう見たって十代そこそこの子供だ。そんな年端もいかない少女が関わってるだなんて、ガセネタを掴まされてると思うのが自然じゃないか?」
ミレーナが返した写真を渋い顔で見つめ、男は再度溜め息をつく。
「動かぬ証拠を掴んで来てやる、と息巻いて出て行ったのが気に掛かってはいたんだが……。功を焦ったのか、無闇に刺激するような真似でもしたんだろう、全く……」
そう言って、写真を無造作に机の上へと放る受付の男。
確かにあの時、男達がケンカ腰に詰め寄る声をミレーナは聞いている。あの乱暴な言葉遣いは、写真の二人組を不審者として問い詰めていたからだったのだろう。
そしてそれが相手の逆鱗に触れ、返り討ちにされてしまった、という事らしい。
(でも……だとしたらあの二人、本当に……!)
ディーンが引き受けた仕事に関わる、重要人物だという可能性が高い。
……そういえば、ラズという長髪の女性は、去り際に気になる事を口にしていた。
『さぁ、行くわよパーニャ。あまり長居していると、ガラム様達に怒られてしまうわ』
いかにもこれから、誰かと合流しようとしているような台詞。
ガラム、というのが誰なのかはわからないが、少なくともあの二人には、まだ複数の仲間がいるという事に――
「たっ……大変だッ!!」
思考の途中、やけに切迫したような声が『ギルド』内に響き渡った。
声のした方を見ると、入口の辺りの壁に手をつき、肩で息をしている大柄の男性がいる。
「今度は何だ、騒々しい……」
と、受付の男が迷惑そうに愚痴を溢す間に、大柄の男は足早にこちらへと近付いてくる。
余りにも血相を変えているのが気になり、ミレーナは受付の男に声を掛けた。
「あの方もギルドメンバー、ですか?」
「ああ。依頼を受けたあんたの連れとは別に、ここと鉱山の詰所を定期的に回ってる連絡係だよ」
そんな会話をしていると、息も絶え絶えな大柄の男はミレーナの傍らに膝をついた。
よほど急いで走ってきたのだろう。必死に息を整えている男の額には、大粒の汗が滲んでいる。
そんな連絡係に対して、受付の男は不思議そうに尋ねる。
「どうしたんだ、そんなに慌てて。何か急ぎの用事でも頼まれたのか?」
「ちっ……違う! こっ……、鉱山の、軍の詰所が……壊滅してるんだよ……ッ!!」
「! 何だって……ッ!?」
「細かく調べた訳じゃないから……確かな事は言えないが、恐らく第一、第二、ともに生存者はいない。それに、なぜか鉱山の出入口が、土砂で塞がれてるみたいなんだ……!」
詰所が壊滅、そして生存者はいない、という言葉が強く耳に引っ掛かり、ミレーナは思わず数歩詰め寄った。
「ディーンく――私の友人を見ませんでしたか!? ここで鉱山の護衛の依頼を受けて、向かったはずなんです!」
神妙な面持ちで尋ねると、大柄の男は数回深呼吸を繰り返してから立ち上がり、表情を強張らせて首を横に振る。
「すまないが、ここに来るまで俺は誰にも会っていない。向こうで被害を受けていたのは軍人だけだったと思うが、正直なところ自信はないんだ。何せ、酷い有り様だったからな……。姿が見当たらなかった以上、最悪の可能性も考えられる……」
「そんな……!」
最悪の可能性……。つまりそれは、ディーンの命が失われているかも知れないという事。
うちひしがれてしまうミレーナを余所に、『ギルド』内は俄かに慌ただしくなっていく。
「とにかく、今は事態の収拾が最優先だ。近郊の軍への連絡はこちらで行うから、あんたは可能な限りギルドメンバーを集めて、もう一度鉱山に向かってくれ! 現場保存のためにも、監視する人間が必要だからな」
「わかった!」
指令を受けた大柄の男は、再度息を整えると、踵を返して何処かへ駆けていく。
その背を追う形で、ミレーナも『ギルド』から飛び出した。
ここでのんびり待ってなどいられない。早くリネにもこの事を知らせて、ディーンを捜しに行かなくては。
◆ ◆ ◆
「おい、『魔術師』」
「何だ、ピアス野郎」
「てめぇ……、こりゃ一体何だ?」
「何って……」
随分気に喰わなそうな声でアルフレッドに尋ねられたので、俺はわざと数秒考え込み、
「……荷車?」
と素知らぬ顔で告げてやった。
「見りゃわかんだよそんな事は! 俺が聞いてんのはそういう事じゃねぇ! 何でてめぇは人の身体を土砂を運ぶための台車に無理矢理押し込んでんだ! 舐めてんのか!?」
怒気満載な言葉通り、彼の身体は土砂運搬用の台車に押し込まれている状態であり、それを俺が押しながら、鉱山の奥へ向かっている最中である。
ちなみにこの台車は、詰所の横に放置されていたのを勝手に拝借した物だ。台車の縁取りが四角く、底があまり深くない造りのため、仰向けに押し込んだアルフレッドの手足は台車からはみ出していて、酷く格好が悪い。
本人はかなり気に入らないようだが、俺にとっては必要な措置なので抗議は一切受け付けない。
「別に舐めてる訳じゃねぇさ。俺の体格じゃあ、あんたを担いで長い距離を運ぶのは無理があるからな。歩かなくて済むんだから文句言うなよ」
「だから言ってんだろ!? 俺の事は置いて行けってよ! こんな妙な格好させられるぐらいなら死んだ方がマシだ!」
「まぁまぁ、そうイライラしなさんなって。あんたがどう思ってようと、指図するだけ無駄なんだからさ」
「ふざけやがってクソ野郎が……ッ! この怪我が治ったらブッ殺してやるから覚悟しとけよ、てめぇ……ッ!」
「そうかい。口は達者なようで何よりだ」
不満爆発のアルフレッドを適当にあしらいながら、俺は力強く台車を押し続ける。
さっきの詰所で手に入れた見取り図の中で唯一、他の部分とは違って何も記号が描かれていない場所。
なぜ何も描かれていないのか、という疑問は残るが、出口が存在している可能性があるなら、とにかくそれに賭けるしかない。とりあえず、今は難しい事を考えるのは止めておこう。
と、そんな風に考えていたのだが――
詰所から坑道を進み続けて十分ほど。辿り着いた大広間のような空間は、完全に行き止まりになっていたのだ。
「おい、嘘だろ……。ここまで来たのに行き止まりって、そんなのアリかよ!?」
天井までの高さが三十メートルほどの空間は、二十メートルほどの奥行きがあるものの、出口どころか先へと続く道らしきものすら見当たらない。
嘆く俺を尻目に、待ってましたと言わんばかりにアルフレッドが口を開く。
「だから足掻くだけ無駄だったんだよ。いい加減てめぇも現実を受け入れたらどうだ? てめぇが思ってるほど甘くも優しくもねぇんだよ、この世界って奴はな」
「……」
くそっ、あんな不格好な奴に指摘されるだなんて情けねぇ……。今の状況だと言い返せないのがより腹立たしい。
それにしても、何なんだよこの見取り図は……。何も描かれてない場所ってのは、単に行き止まりだったって事なのか?
ったく、それならそうとちゃんと書いとけってんだ。人を糠喜びさせやがって――
「って、あれ?」
ギスギスした気持ちで図面を見返していた俺は、不意にある事に気が付いた。
もう一度周囲を注意深く見回し、また見取り図に視線を落とす。
この空間、図の縮尺と比べると、何だかちょっと狭くないか?
「あん? 何してんだ、てめぇ」
見取り図を片手に、壁際のあちこちをうろうろし始める俺に、アルフレッドが怪訝そうな声を掛けて来る。
「いや、ちょっと気になって……」
生返事だけを返しながら壁際を歩き、入念に上から下まで視線を巡らせてみる。
荒く削られた凹凸の目立つ岩盤。もしも俺の考えが正しければ、多分どこかに……
「あった!」
目的の物を発見し、思わず発声しつつ立ち止まる。
行き止まりになっている壁のほぼ中央。俺の目線より少し下の位置に、周りの岩に似せてはあるものの、明らかに質感の違う丸く膨らんだ突起のような物がある。縁に若干隙間があるって事は、奥へ押し込む事ができるみたいだ。
俺はその突起を、迷わず奥へと押し込む。すると思った通り、ガコッという音と共に、突起が壁の奥へと引っ込んだ。
その途端だった。
重たい石像を引き摺るような轟音が辺りに響き渡ると同時に、行き止まりになっていた壁の中心がゆっくりと左右に分かれ、さらに奥へと続く新たな道が姿を現したのだ。
「なっ……、どうなってんだこりゃあ……。鉱山の奥に、何でこんな仕掛けがされてやがる?」
アルフレッドは酷く驚いた様子で、目の前の光景を呆然と見つめている。
仕掛けを見つけた俺自身、正直かなり驚いている。
見取り図に何も描かれていなかったのは、この仕掛けがある事を隠しておきたかったからなんだろうけど……。一体なぜ、周りの岩に擬装してまで、これほど大掛かりな仕掛けを作る必要があったんだろう?
この先にある何かを守るため、なのか……?
「とにかく、先へ進んでみよう。話はそれからだ」
不安な気持ちを押し殺しながら、俺はアルフレッドと共に、壁の向こう側へと足を踏み入れた。
幅十メートルほどの綺麗に均された道を、五メートルほど進むと、突然目の前が明るく照らし出された。
『橙灯』の灯りとは違う。目の前の光は、ほのかに青白い光を放っている。
俺は意を決して、アルフレッドを乗せた台車を押しながら、光の中へと進み出た。
するとそこは、四角い箱の中のように、綺麗な平面に均された部屋になっていた。その壁や床、天井といった至る所から、青白い光を放つ水晶のような結晶が無数に飛び出している。
神々しい、という表現が当て嵌まるような、不思議な雰囲気のある空間だった。
「何なんだ、この部屋……。もしかしてこれ、全部『導力石』なのか?」
周りの光景に息を呑みながら進むと、部屋の中央には一際大きな結晶があり、それが天井の岩盤を突かんばかりの勢いで伸びている。
天井までの高さは、大体二十メートルほど。水晶の幅は十五メートルはあるんじゃないか?
「これだけ異様にデカイな。ここまでデカイと『導力石』かどうかも怪しいモンだぜ」
俺と同じように水晶を見上げていたアルフレッドが、感嘆しているような言葉を漏らした。
その直後だった。
「『精霊石』」
「!」
背後から聞こえた、絶望を齎す声。俺が緩慢な動きで振り返る間にも、声の主は続ける。
「『導力石』の中で、稀に群を抜いて強力な波動を生み出す石が発見される事がある。それが『精霊石』と呼ばれる代物だ」
「ガラム……!」
いつの間にか俺達が入ってきた入口の辺りに、不敵な笑みを湛えたガラムが立っていた。傍らには当然、シグードの姿もある。
「しっかし驚いたぜ。まさかお前さん達の後を追って来て目的の物が見つかるなんて、思ってもみなかったからな」
「目的の物?」
俺が怪訝な声を上げると、ガラムは右手でガリガリと頭を掻いた。
「仕方ねぇ。ここまで来ちまったんだ。お前さん達にも俺達の目的ってヤツを教えてやるよ」
少々どころか、かなり面倒臭そうに溜め息をついて、ガラムはゆっくりと口を開く。
「俺達の目的は……、『デス・ベリアル』の復活だ」
「!?」
その言葉は、俺の耳を疑わせるのに充分な言葉だった。
なぜこいつの口から『デス・ベリアル』が出て来る? 俺はそれの正体を探るために、旅をしている最中だというのに。
「……いや、復活って言うと少し語弊があるか。より正しく言うなら、召喚や降臨と表現するべきだな」
「一体何の話をしてんだよ。何なんだ、『デス・ベリアル』って……!?」
説明を続けるガラムの傍らで、シグードが僅かに『蒼牙』を構える。俺はそれに警戒しながら少しだけ後退った。
「お前さんも『魔術師』を名乗ってるぐらいなんだから知ってるはずだぜ。この世界には大昔から、『精霊』の存在を重んじる思想がある事を」
「!」
確かに知ってはいるが、俺は『魔術師』でありながら、そういう思想には否定的だ。存在が不確かなものを信じるという行為が、俺にはどうしても理解できない。
「その『精霊』がどうしたって言うんだよ?」
相変わらず疑問の言葉しか投げ掛けられない俺に、ガラムは呆れたように溜め息をついた。
「わからねぇか? 『デス・ベリアル』ってのは、『闇属性』の力の根源として考えられている『精霊』の名前なんだよ。分類的には『悪魔』と呼ばれたりもするんだってなぁ」
「はぁ!?」
おいおい、いきなり話が飛躍し始めたぞ。『精霊』だの『悪魔』だのが関わってくるのは、俺が最も苦手とする分野の話だ。
「ちょ、ちょっと待てよ! 『精霊』だって? あんた、そんなものが存在してるって本気で信じてるのか?」
「何か可笑しい所でもあるか? 『精霊』ってのは『魔術』の力を生み出す根源とも言われてる存在だ。ならこうは考えられないか? お前さんのような『魔術師』という存在が、『精霊』の存在を証明している事に他ならないってよぉ」
躊躇う事なくスラスラと持論を展開するガラム。その表情は、ある意味愉悦に浸っているようにも見える。
「……仮に『精霊』が存在するとして、あんた達はそいつを呼び出してどうするつもりなんだ?」
「さっきお前さんにも名乗っただろ、俺達の組織名をよ」
「!」
こいつらの組織名は『精霊指揮者』。
『精霊』、そして『指揮者』。
つまり、この二つの言葉が意味するものは……。
「『精霊』を使役し操る者、とでも言うつもりかよ……。馬鹿馬鹿し過ぎる! そんな事――」
「有り得ないってか?」
俺の言葉を先読みしたガラムの表情は真剣だった。自身が行なおうとしている事に一片の迷いも無いと、そう告げているみたいだ。
「信じるつもりが無いならそれでいいさ。こっちだってお前さんと、是非の意見を論じるつもりなんてねぇからな」
「……!」
「まぁそれはそれとして、だ。俺達はその『精霊石』を破壊するためにここへ来たのさ。全く苦労したぜ。正規軍の連中がひた隠しにするその石を見つけ出すのはよ」
「!?」
正規軍が隠してた? この『精霊石』ってヤツを?
確かにこの空間は、まるで隠し部屋みたいに大掛かりな仕掛けを施されていた。坑内見取り図に何の表記もされていなかったのも、この空間の存在を軍兵士以外の人間に悟らせないための措置だったのかも知れない。
だとしたら、正規軍はなぜこの石の存在を隠そうとしていたんだ? こいつらみたいな連中に狙われる事を恐れたから、か?
……いや、ちょっと待て。今ガラムは、この石を破壊しに来たって言ったよな?
「お前さんが今考えてる通りだよ」
「!」
ガラムはまるで俺の表情から心の内を読んだように、ニヤリと笑って告げる。
「その石を破壊する事が、『デス・ベリアル』を呼び出すために必要な第一段階なのさ。だからこうして俺達が、わざわざ鉱山の奥まで潜って探し回ってたんだ」
「……その口振りだと、まるで正規軍が『精霊石』を狙われる事を恐れてるって言ってるように聞こえるぞ」
「だろうなぁ。否定的な考え方のお前さんと違って、連中は『精霊』の存在を信じてるんだからよ」
嘘だろ……。正規軍がそんな懸念を抱いて石を隠したって事は、『首都』の元老院が命令を下しているって事だ。
それに『デス・ベリアル』は、記憶を失う前のミレーナが口した言葉でもある。
ガラムの言葉を信用する気にはなれない。だがもしも本当に、『デス・ベリアル』が『精霊』の名前だとするならば……。
まさか元老院、ミレーナの記憶喪失に関わってるんじゃねぇだろうな……!?
「さぁ~て、お喋りはここまでだ。そろそろ俺達の仕事を完遂させてもらうとしよう」
「余所見してんじゃねぇよ『魔術師』!」
「!」
思考に囚われていた俺は、シグードが瞬時に距離を詰め、突きを放とうとしている事に気付くのが遅れた。
だが防御する暇の無かった俺の前に、まともに動く事も儘ならないはずのアルフレッドが割って入り、二本の短剣でシグードの凶刃を受け止めたのだ。
「アルフレッド、あんた……!」
「てめぇのお節介に付き合わされてたら、こっちも諦めるのが馬鹿らしくなって来たからな。どこまでやれるかわからねぇが、抗ってやろうじゃねぇか」
「……そうかい。なら、そいつの相手は任せるぜ!」
助けられた事への礼も忘れ、俺はガラムの許へと駆け出した。
奴は既に、その手に黒い鉄球を構えている。あの凶器の投擲を何とか躱して、奴の懐に潜り込めれば!
「ッハハァ! 俺の相手はお前さんか、『炎を操る者』!」
面白そうに叫びながら、ガラムは黒い鉄球を勢い良く投げ付けてくる。
躱し損なった場合を想像してしまう恐怖心から、一瞬身を退いてしまいそうになるが、俺は歯を食い縛って尚も前進を続けた。
ただ避けるだけじゃ、いつまで経っても奴に近付けない! 戦うためには、抗うためには、もう一歩踏み込む勇気が必要だ!
鉄球が迫り来る瞬間、俺は鉄球の軌道擦れ擦れの所を斜め前方に飛び込むように回避し、すぐさま体勢を立て直して駆け出した。
通り過ぎた鉄球が、背後で岩盤か何かを砕くような音を立てるが、俺は気に留めず突き進む。
右手に炎を集束させ、炎剣を造り出そうと試みる。例えすぐに消えてしまうとしても、ガラムに一撃を与えるぐらいの間は稼げるはずだ。
「『紅蓮の――」
気合いで炎剣を造り上げ、それを振り抜こうとした時だった。
背後から左肩の辺りに、硬い何かが衝突したのだ。
「がっ、あ……ッ!」
骨が軋むような激しい痛みと衝撃で、俺は前のめりに倒れ込んだ。同時に『紅蓮の爆炎剣』が、霧散するように消え去ってしまう。
地面に伏したまま肩越しに背後を振り向くと、そこには否定したくなるような光景があった。
奮戦していたはずのアルフレッドが、シグードに首を掴まれた状態で持ち上げられている。
奴の右腕の『蒼牙』からは水滴が零れ落ちていて、水流を生み出したような痕跡がある。どうやら今の衝撃は、シグードが放った一撃だったようだ。
「どうやらお前さんの相方は、満身創痍の役立たずみたいだな」
ガラムの動く気配に反応した俺は、振り向こうとした瞬間に顔を思い切り蹴り飛ばされた。
「うぐっ!」
地面を数度転がされた俺は、仰向けになった所で立ち上がろうとした。
だがその瞬間。視界に大量の水球が現れ、それが途轍もない速度で俺の許に降り注いできた。
「ぐあああああああああっ!!」
身体のあちこちに、鉄の塊でも打ち付けられたかのような激痛が走り抜け、一瞬意識が飛び掛けた。
口の中が血の味で満たされて、不快な吐き気が込み上げてくる。
「くっ……、そ……っ!」
上半身すらまともに起こせない俺の耳に、呆れたようなガラムの声が近付いてくる。
「いい加減、悪足掻きは止せよディーン。諦めないって心構えは評価してやるが、ここまで来るとさすがにみっともないぜ? なぁっ!」
力強く叫ぶと同時に、ガラムは俺の腹の中心を勢い良く踏み付けてきた。
「がほぉっ!」
鈍い痛みと共に、吐き気がさらに強くなる。
ガラムは不敵な笑みを湛え、俺を踏み付けにしたまま嘲笑うように告げる。
「『魔術』を阻害する波動の影響で、上手く力が使えねぇんじゃあ、さすがの『炎を操る者』様も形無しって訳だ」
「……ッ!」
「ッハハァ、見上げたもんだな。これだけ不利な状況に追い込まれても、まだ諦める気にはならないってか? なら仕方ねぇ……。おい、シグード!」
俺から視線を外し、突然シグードに呼び掛けるガラム。
怪訝に思って視線を向けると、シグードは左手で持ち上げていたアルフレッドの身体を、自分の正面に持って行き、右腕をゆっくりと後ろに引き始めた。
「……おい、待てよ! まさかてめぇ!」
嫌な予感がした、その直後――
素早く突き出された薄く透き通った青い刃が、アルフレッドの腹部を刺し貫いたのだ。
「アルフレッド!!」
一瞬の間の後、シグードはアルフレッドの腹から『蒼牙』を引き抜いた。
その瞬間、傷口から鮮血が溢れ出し、彼の身体を紅く染め上げていく。腹を貫かれた事で激痛を感じているはずなのに、アルフレッドは叫び声すら上げなかった。
やがてシグードは、アルフレッドを放り捨てるように彼の首から手を放した。
まるで糸の切れた操り人形のように、アルフレッドは地面に伏して動かなくなる。
「テッメェェェエエェェエエェッ!!」
例えようのない怒りが全身から込み上げて来て、俺はその場で激しく抵抗しようとした。
だが、ガラムは即座に俺の首を掴み、地面に磔にするように押さえ付けてきた。
「だから言ってんだろ。いい加減諦めろってな」
「ふざけんな!! 許さねぇ……! てめぇらだけは絶対に!」
「そうかい。だが生憎だったな。こっちはお前さんに許してもらう気なんて、これっぽっちもねぇんだよ」
無表情でそう告げると、ガラムは左手で黒い鉄球を持ち上げ始める。あれを容赦なく振り下ろして、俺の頭蓋を叩き潰すつもりだ。
何とかしなきゃいけない。なのに身体は動かない。
戦わなきゃいけない。なのに『魔術』が上手く発動しない。
何をやってるんだ俺は。こんな所で死ぬ訳にはいかないのに……。守らなきゃいけないものがあるのに……! 一体何をやってるんだ!
何が『深紅魔法』の使い手だ! 『魔術』が発動できなきゃ何の意味もないんだ!
発動しろ、俺の『魔術』! いつも通りに行かないのなら、いつも以上に強い力を! 『導力石』の波動を打ち破るだけの力を!
「じゃあな、『炎を操る者』」
ガラムが鉄球を振り下ろす動作が、なぜかゆっくりとした動きに見える。
俺はただ、強く望んだ。
戦うための、力が欲しいと――
「貴様が『炎髪』の民か」
どこからともなく、何者かの声が聞こえた瞬間だった。
突如として俺の周囲に、激しい炎の奔流が発生したのは。
「……ッ!?」
燃え盛る炎の熱量に怯んだのか、ガラムは瞬時に俺を解放し、距離を取った。その表情には、畏怖とも取れる驚きが満ちている。
「おいおい……、こりゃ一体どうなってんだ……」
僅かに後退りしているガラム達を余所に、俺は悠然と立ち上がった。
周囲で踊るように舞い続ける炎の奔流を、まるで深紅の衣のように纏いながら。
「お前さん、なぜこの場所で、それほどの熱量を持った炎を発現できてやがる……!?」
表情を強張らせ、警戒心を露わにするガラムとシグード。
だからこそ、なのだろうか。明らかに余裕を失った二人を前にして、俺は自然と笑ってしまっていた。
見る者を際限なく圧倒するであろう、強烈で不敵な笑みを。




