第一章 邂逅
窓の外を流れていく緑の木々や草原を見つめながら、俺は窓辺に頬杖をついていた。
俺は……いや、俺達は今、三人で旅をしている。
首筋の辺りまで伸びた艶のある黒髪が特徴的な少女、リネ・レディア。
腰の辺りまである長い金髪に、知的さを備えた金色の瞳を持つ女性、ミレーナ・イアルフス。
この二人が、俺の旅の同行者だ。
ちなみに、唯一の男である俺の外見的特徴は、炎のような紅い髪。これは完全な余談だが、俺は自分の髪の色が気に入ってなかったりする。
男一人に女二人。傍から見れば、両手に花状態な旅だと思われるかも知れないが、残念ながらそんな色気のあるモンじゃない。……いや、だからって別に残念がってる訳じゃねぇけど。
数日前、『紺碧の泉』と呼ばれる湖上都市を後にした俺達は、現在『ラノット』という街から、列車に乗って移動している最中だ。
行き先は、『ジラータル大陸』最東端の港街、『サランドロ』。
なぜ俺達がそこに向かっているかと言うと、それは旅の同行者であるミレーナに関わる、結構切迫した理由があるからだ。
彼女は本来なら、『魔術師』である俺の師匠であり、同時に戦争孤児だった俺を育ててくれた義理の親でもあり、この『ジラータル大陸』の歴史を変えた、『英雄』と呼ばれる偉大な人物でもある。
だが彼女は今、それらの事実を一切忘れてしまっている。
なぜならミレーナ・イアルフスは、記憶喪失になっているからだ。
一年ほど前のある日、彼女は一緒に暮らしていた俺の前から、突然何も言わずに姿を消した。そしてつい先日、俺とリネが訪れた湖上都市で再会した時には、すでに記憶を失った状態だった。
原因は今でもわからない。いや、むしろそれを知るために、俺達はこうして旅をしている。
『デス・ベリアル』――
記憶を失う直前、ミレーナ自身がある人に尋ねた謎の言葉。これだけが、彼女の記憶喪失に何らかの関わりを持っていると思われる手掛かりだ。
しかもこの言葉は、歴史に関係している可能性がある。だからその真偽を確かめるため、俺達は『サランドロ』にある大図書館、通称『魔術の館』とも呼ばれる、『王立・歴代魔術文献管理書庫』に向かっている。
その書庫には、この大陸の歴史や『魔術』に関する出来事が、膨大な量の書物となって保管されている。もしかしたらその中に、『デス・ベリアル』という記述が載っているかも知れない。
俺がその答えにまで辿り着けたのは、そこへ向かうヒントをくれた人がいたからだ。その人は、記憶を失ったミレーナを一ヵ月もの間保護してくれた、俺にとっても恩人と呼べる人だ。
ログハイム・ベスカ。
彼は今、ある理由から昏睡状態に陥っていて、『紺碧の泉』で療養を余儀なくされている。
その理由、原因を作ったのは、ジェイガ・ディグラッドという『魔術師』だ。
とある『英雄』の弟子だと名乗るその男の手によって、ログハイムさんは悲劇的な結末を迎える状態になってしまった。
あのジェイガという『魔術師』に関しても、色々と謎が残っているのは確かだ。
だけどそんな事、今はどうでもいい。
結果的に、俺はジェイガの魔の手からログハイムさんを守る事ができなかった。彼はその身を呈して、記憶を失ったミレーナを守ってくれたというのに。
だからせめて、彼との約束を果たすためにも、俺は必ずミレーナの記憶を取り戻さなきゃいけない。そのためにはまず『サランドロ』へ向かう事が、何よりも優先されなきゃいけない事なんだ。
それなのに――
「この大事な時に金欠になるとか、間が悪過ぎんだろ……」
独り言を呟いてしまうと、続いて溜め息も零れてしまう。
そう。我ながら情けない限りだが、旅をする上で必要不可欠な『資金』が、底を突き掛けている。
結構節約していたし、一人で旅をしていた間はある程度何とかなってたから、あまり気にしていなかったが、最近になって急に旅の同行者が増えたからな。多分それが一番の原因だと思う。
最近は『ゴーレム』狩りもやってなかったせいで、『ギルド』で換金するために使う、予備の『導力石』もない。
という訳で、『サランドロ』までの切符代を用意できなかった俺達は、その五つほど手前の駅、『ワーズナル』という街に向かっている。
幸か不幸か、その『ワーズナル』には『ギルド』があるらしいので、そこで手頃な仕事を見つけて、金を稼ぐしかないって訳だ。
状況が状況だけに、今回ばかりは『ギルド』に近付きたくないなんて言ってられねぇしなぁ……。
「――ねぇ、ディーン。写真見せて」
「……は?」
外の景色をぼんやりと眺めながら、あれこれ思案していた俺は、そんな呑気な声で我に返った。
客車の一角。二人用の座席が向かい合わせに配置されている車両内。その片側に一人で陣取っていた俺が正面を見ると、妙にニコニコした顔のリネが右手を差し出している。
「……何の話だ?」
純粋な疑問を口にする俺に対し、リネは僅かに首を傾げて言う。
「あれ、今の話聞いてなかったの? ほら、ディーンがいっつも持ってる、ミレーナさんと一緒に写った昔の写真の事だよ。今それの話をしてたら、ミレーナさんが見てみたいって言ったの。だから貸してくれないかなぁーと思って」
「まぁ、別にいいけど……」
何でお前がそんなに嬉しそうなんだよ? 相変わらず行動の意図が読めない奴だな。
リネに催促され、俺は自分の服の内ポケットを探る。
ミレーナ捜索のために普段から持ち歩いている、十年ほど前に彼女と一緒に撮った写真。
もう宝物と言ってもいいくらいの物だからだろうか? 今みたいに見せろと言われると、少し抵抗したい気持ちになる。
そんな俺の心情を察した訳ではないだろうが、リネの隣に座っているミレーナが、申し訳なそうに苦笑した。
「ごめんなさいね。あなたと暮らしてた頃の私はどんな風だったのかなって、何だか急に気になっちゃって」
「いや、気にしなくていい。ミレーナを捜してた時にも、散々色んな奴に見せたからな」
俺は内ポケットから写真を抜き取り、それをリネに渡す。
リネは写真を受け取ると、ミレーナと身体を寄せ合って写真を覗き込んだ。
途端、元から嬉しそうだった少女の顔が、さらに綻ぶ。
「相変わらず可愛いよね、この時のディーンって」
「うるせぇよ。悪かったな」
冷たく言い返してやると、リネは写真から視線を外して不満そうな顔付きになった。
次に飛んでくる言葉が大体予想できてしまうが、俺は黙って少女の反撃を待ってみる。
「もうっ、またそういう言い方するー。別に悪いなんて言ってないでしょ?」
ズバリ、予想的中。すかさず俺も、用意しておいた言葉を口にする。
「お前に言われると嫌味にしか聞こえねぇんだよ」
「……何て言うか、ディーンっていっつもそうだよねぇ。あたしに対しては冷たくて無愛想でケンカ腰で取り付く島が無くて」
「すみませんねぇ。どうにも子供の相手をするのが苦手な性分なんで」
「もうっ! ディーンのバカ!」
そう言ってリネは、色白の頬を風船のように膨らませる。だからそういう所が子供だっつってんだよ。
軽く溜め息をついてからミレーナの方を見ると、彼女は優しげな微笑みを湛えた顔で、静かに写真を見つめている。
「どうかしたのか、ミレーナ?」
様子が気になって尋ねると、ミレーナはハッとしたように顔を上げた。俺と視線を合わせると、ゆっくりと頭を振る。
「大した事じゃないの。あなたも私も、何だか幸せそうな顔をして写ってるなぁ、と思って……」
再び写真に視線を落としたミレーナを見て、俺は感慨深くならずにはいられなかった。
確かに彼女の言う通り、写真の中の俺達は、憂いなんてものとは無縁の、幸せそうで楽しそうな笑顔を浮かべている。
多分あの頃のミレーナは、本当に幸せだったんだろう。
辛い戦いを経て手に入れた、穏やかな日常。それはミレーナにとって、何物にも代え難い宝だったはずだ。
事実、俺もそう感じていたからこそ、ミレーナを慕い続ける事ができたんだし。
「……ミレーナ?」
自然と笑みを浮かべていた俺は、そこでふと気が付いた。写真を見つめているミレーナの表情が、先程よりも少し曇っている。
写真の中の彼女とは対照的なその様子が気になり、再度声を掛けると、ミレーナは躊躇いがちに口を開く。
「やっぱり、覚えてないって事は辛い事ね。こうして目の前にいるのに思い出を共有できないなんて、これ以上悲しい事があるのかしら……」
両手で持った写真を悲しそうに見つめた後、ミレーナは軽く目を伏せる。
彼女のそんな姿を目の当たりにして、俺は何も言えなくなった。やっぱり彼女自身、記憶がない事に心苦しさを感じているんだろう。
ふとミレーナの隣を見ると、リネもさっきまでとは打って変わって、辛そうな表情を浮かべている。こういう時、リネは一番敏感にその場の空気を察知するんだよな。
そんな彼女達を見て、考える。今、俺がすべき事は何なのかを。
「大ー丈夫だって。ミレーナの記憶は、何が何でも俺が取り戻す。これはそのための旅なんだからな」
暗い雰囲気を打ち消そうと、敢えて俺は笑って彼女達に言う。例え安請け合いの言葉だとしても、暗い気分のまま旅を続けるなんて、俺にはできそうもない。
「……ええ、そうね。ありがとう」
思いが上手く伝わったのか、ミレーナはそう言って微笑むと、写真を大事そうに撫でた。
そんなミレーナの様子を静かに見つめ、リネは穏やかな表情を浮かべている。どうやらもう、さっきまでの憂いは消えてなくなったらしい。
と突然、何かを思い出したようにリネが俺の方を振り向く。
「でも今、あたし達って『サランドロ』に向かってる訳じゃないんでしょ? これからどうするつもりなの?」
急に現実的な話に引き戻されて、俺は一瞬言葉に詰まった。
無邪気な顔で、結構痛い所突いてくるリネ。思わず文句を返してしまいそうだったが、それをどうにか呑み下す。
「とりあえず、今は旅の資金を調達するのが先決だ。だから次の『ワーズナル』って街で降りて、『ギルド』を探そうと思う。そこで仕事を見つけて稼いでくるから、二人は宿を探してゆっくりしててくれ。金が少ないって言っても、まだ宿代くらいは払えるからな」
「そんな……。ディーンだけに押し付けるなんてできないよ。あたしも手伝う!」
「リネさんの言う通りだわ。私にも協力させて」
「あー、いや、気持ちは有り難いんだけど……」
結構なやる気を見せてくれる二人を前に、俺は少々言い淀む。
報酬の高い安いに拘わらず、『ギルド』で引き受ける仕事は危険なものが多い。俺一人が仕事を請け負うなら全く問題はないんだが、三人一緒となると話は別だ。
正直な所、俺は彼女達に危ない真似をさせたくない。特に、今のミレーナには。
しかし、目の前の二人には退くつもりがないようだ。今もやる気満々って感じの顔で俺を見てるし……。
どうしようかと逡巡していると、車窓越しに次の駅、『ワーズナル』の街並みが見えてきた。と同時に、列車が少しずつ減速し始める。それらを確認してから正面の座席に視線を戻すと、二人は真剣な表情で俺の返答を待っていた。
……ったく、こっちの気も知らねぇで。頑固者が二人になって、やり辛いったらねぇな。
「……仕方ない。とにかく三人で『ギルド』に行くか」
渋々承諾すると、リネとミレーナはほとんど同時に笑って頷いた。
列車は間もなく、『ワーズナル』に停車する。
◆ ◆ ◆
列車から降りた俺達は、整備された石畳のホームを歩き、改札口まで辿り着いた。
すると、改札を出てすぐの所に、鉄製の二本の柱が、アーチ状の看板を支えるように設置されていた。
看板の部分には、
『Welcome to Wirznull mining town!』
という文章が、金色の文字で刻まれている。
何だか、観光都市の入口にでも飾られてそうな言葉だ。歓迎の度合いが強いのは、文字の色からも伝わっては来るんだけど……。
「鉱山都市『ワーズナル』へようこそ、だって。ディーン、この街の事何か知ってる?」
俺と同じように、五メートルほど頭上にある看板を見上げていたリネが、頭に疑問符が浮かんでいるような顔で尋ねてくる。
なぜ真っ先に俺に聞くのか知らないが、生憎この辺りの街の情報は一切持ってない――いや待て。鉱山都市?
脳内で否定し掛けて、しかしふと思い当たる事があった俺は、無意識の内に声に出してしまう。
「そういえば、どっかで聞いた事があったな。確か、街の近郊に正規軍が管理してる、『導力石』の採掘場があるって」
「へぇ~。――あっ! あれの事かな?」
俺の言葉を聞いて辺りを見回していたリネが、何かを見つけて遠くの方を指差した。
彼女が指し示す方向を見てみると、街並みから少し外れた位置に、それほど高くない山が一つだけ、どこか寂しげに屹立している。あれが採掘場になっているという鉱山なんだろうか?
「じゃあここは、『導力石』の採掘を商業にしてる街なのかしら。だとしたら、管理してる正規軍の詰所も、どこかにあるはずよね?」
俺とリネの横で、ミレーナが考え込むようにして呟く。そんな彼女に視線を向けられ、俺は首を縦に振った。
「ああ。鉱山都市って銘打ってるぐらいなんだから、多分そうなんだろ。それにもしかしたら、街全体の運営を軍が行なってる所なのかも知れねぇな」
そんな風に会話をしながら、俺達はアーチ状の看板の下を通り抜け、街の中へと足を踏み入れた。
街の様子を見る限り、『紺碧の泉』のような観光中心の街じゃないらしい。通りに面している建物は、ほとんどが宿屋や酒場、食堂なんかで埋め尽くされていて、とても観光客を呼び寄せようとしている風には見えない。どちらかと言うと、鉱山で働いていた人間が休憩や仕事終わりに立ち寄る街、と表現した方が正しい気がする。
先導する俺の背後。追従してくるリネとミレーナは、やっぱり手伝う気満々らしい。周囲に宿屋はいくつも見受けられるのに俺から離れる気配がないのは、要するにそういう事のようだ。
結局、二人を連れ立ったまま五分ほど歩いた頃。俺は通りの右手に、灰色の石で造られた建物を見つけた。
周りの宿屋や酒場より、少し小さめの一階建て。まるで洞窟の穴のようにぽっかりと開いた、扉の無い長方形型の入口。随分質素な造りの建物の上部には、銀色の文字で『GUILD』と書かれた鉄製の看板が設置されている。
高さ三メートルほどの入口を潜り、俺達は静かに中に入った。
奥行き十五メートルほどの正方形型に区切られた部屋の端に、仕事の請け負いや『導力石』の換金所となる受付があるだけで、特に目新しい物は見当たらない。
両側の壁には、周辺地域の詳細な地図や仕事関係の張り紙などが貼られているが、椅子や机といった家具類はないので、のんびりできるような場所ではない。
元々立ち寄る人間があまりいないのか、ギルドメンバーと思しき人間の数も随分と疎らだ。俺達三人を除くと、たった数人しかいない。
今までに何度か見る機会のあった『ギルド』の内装と違い、何と言うか、少々寂れている印象を受ける。
「随分静かな所だな。ここホントに機能してんのかよ?」
「前に寄った『ディケット』の街の『ギルド』は、凄く賑やかだったよね。あんまり良い仕事がないから、みんな敬遠してる……とかなのかなぁ?」
ボソッと呟いたつもりだったのに、俺の隣にいたリネがそんな風に付け足す。
まぁ、少ないとはいえ受付にも人はいるんだから、運営してるのは間違いないだろう。活気云々はともかく、今は金を稼ぐのが先だ。
適当に考えつつ、俺は建物の奥へと進み、受付の向こうで何かの資料らしき物に目を通している男に、声を掛けようとした。
するとその時。
「これはこれは。見覚えのある紅い髪だと思ったら、いつぞやの『魔術師』様じゃねぇか。久しぶりだなぁ」
「……?」
紅い髪、そして『魔術師』。
この二つの言葉から、今の台詞が俺に向けられているのは明白だっただろう。
だが俺は、背後から聞こえたその声に、まず疑問を感じてしまった。よく知りもしない街の、しかも滅多に立ち寄らない『ギルド』で、俺の事を知っているかのように声を掛けてくる人物に心当たりがなかったからだ。
一体どこのどいつだ、と思いながら振り返った瞬間、俺は身体が一気に硬直するのを感じた。見覚えのある……いや、忘れるはずのない人物が、入口の辺りに佇んでいたからだ。
眼光鋭くこちらを見つめ、ニヤニヤと底意地の悪そうな笑みを浮かべている、二十代中頃の茶髪の男。左耳に、逆さになった三角錐型のピアスを付けているという、若干の変更点さえあるものの、茶髪の男と俺は旧知の仲だ。
……なんて言い方をすると、昔馴染みの友人か何かだと誤解されそうだが、残念ながらそんな生易しい関係ではない。
こいつはできれば出会いたくない人物で、俺が『ギルド』に極力近寄らないようにしている原因でもある男。
この男の名前は――
「アルフレッド・ダグラス……」
「おーっと、こりゃ意外だな。俺の事なんてすっかり忘れてるもんだと思ってたが……、フルネームで覚えててくれたなんて光栄な事だぜ」
相手の顔面に張り付いた、とても友好的とは言えない表情が物語っている。そんな事これっぽっちも思っていないと。
やっぱりまだ、『あの時の事』を根に持ってるって訳か……。まぁ当然と言えば当然だ。
「……ねぇ、ディーン。あの人、知り合いなの?」
俺の内心や奴との因縁など知るはずもないリネが、明らかに警戒した様子で尋ねてくる。どうやらアルフレッドの言動から、漠然と不安を感じているようだ。
「ああ、一応な」
リネに短く返事をした途端、アルフレッドは低い笑い声を上げながら、こっちに歩み寄ってきた。
「知り合い~? ハン、そんな生温いもんじゃねぇだろ。俺達は互いに相手の事を気に喰わねぇと思い合ってる仲だ。今こうして普通に会話できてる事が不思議なくらいだぜ。なぁ? 超絶優秀な『魔術師』さんよぉ」
「……別に。俺は気に喰わないなんて思ってねぇ」
「おいおい、見え透いた嘘つくなよ。人前だからって良い子振ってんのか? てめぇは俺が気に喰わねぇから、背後からいきなり炎をぶつけてきたんだろうが」
「! えっ……?」
不快な笑みを交えながら話すアルフレッドの言葉に、リネとミレーナがほとんど同時に反応し、俺の方に視線を投げてきた。
信じられないと言いたげな二人の表情を視界の端に捉えつつ、俺はほんの少し歯を食い縛った。
全く……こいつは相変わらず、人の神経を逆撫でするのが上手い奴だ。自分にとって都合のいい部分だけを切り抜いて話しやがって……。
そう。決して嘘を言ってる訳じゃないからこそ、余計に始末が悪い。
以前俺は、とある『ギルド』において引き受けた仕事で、こいつとチームを組んだ事がある。
その仕事内容は、『ゴーレム討伐作戦』。
詳しく話すと長くなるので割愛するが、俺がジン・ハートラーと知り合うきっかけにもなった、それなりに大掛かりな作戦だった。
その作戦の際、確かに俺はアルフレッドの無防備な背中に向けて炎を放った。
だが当然、そんな真似をするに至ったのには明確な理由がある。
ミレーナとの約束を重んじている以上、俺は何の理由もなく『魔術』で他人を傷付けたりしない。それは誰に何を言われようと揺るぎのない事実だ。
「そういやあったなぁ、そんなくだらねぇ事も。今ここであんたの顔を見るまで、すっかり忘れてたぜ」
「……!」
嫌味のつもりで返した言葉で、明らかにアルフレッドの顔色が変わった。
獲物を射殺す狩人のような、鋭く獰猛な目付き。眉間に刻まれた皺の数が、そのまま怒気の強さを表している。
どうやら俺の挑発は、思っていた以上に効力を発揮したらしい。周囲の空気が、急速に張り詰めていくのを感じる。
「それにしてもいい御身分だな。女を二人も引き連れて、仲良く『ギルド』にお散歩か? ハッ、女々しい野郎だ。連れがいないと仕事の一つも探せねぇのかよ。しばらく見ねぇ間に随分か弱くなったもんだなぁ」
「大した腕も持ってねぇ奴に言われたくねぇよ。『ギルド』にはあんた程度の力量の奴がこなせるような仕事はねぇから、他の場所当たった方がいいと思うぜ?」
「……何だと? 人の邪魔する事しか知らねぇ野郎が、大層な口の利き方しやがるじゃねぇか。つくづく『魔術師』ってのは低俗な輩だな」
「その低俗な輩に頼らなきゃ、『ゴーレム』もまともに倒せねぇのはどこの誰だっけか? あー雑魚過ぎて名前忘れちまったなぁー」
瞬間、アルフレッドの右手が伸びてきて、俺の胸ぐらを乱暴に掴んで引っ張ってきた。
至近距離に、怒気と敵意に満ちた双眸が浮かんでいる。
「やんのかてめぇ。ああ?」
「あんたがやる気なら受けて立ってやるよ」
相手の迫力に圧倒などされない。いい加減、頭に来てるのはこっちも同じだ。
右手が自然と握り拳になり掛けた、その時だった。
「おいおい、キミら。騒ぎを起こすつもりなら、外でやってくれないか」
どこか気の抜けたような男の声が、部屋の奥から聞こえてきた。
思わぬ方向からアルフレッドとの衝突を制止され、反射的に視線を向けると、発言者である受付の男と目が合った。
相手の顔には、明らかに迷惑そうな表情が貼り付いている。
「何を揉めてるのか知らないが、仮にもここは『ギルド』だ。仕事の取引を行う場所であって、喧嘩をするための場所じゃない。仕事の話をする気がないなら出てってくれ。ウチは他より閑散としているが、営業妨害には変わりないんでね」
怒っているというよりも、俺達の蛮行に呆れているらしい。最後まで気の抜けた声音で言うだけ言うと、男は資料の整理に戻ってしまった。
一方、完全に勢いを殺された俺達は、数秒呆然としてしまう。相手の言い分は尤もで、反論の余地などありはしないのだから当然だ。
俺が視線を戻すと、アルフレッドは舌打ちを挟んでから、またもや乱暴に手を離した。素直に退いてはいるが、表情には明らかに不満が残っている。
……まぁ、気持ちはわからなくもない。あまり認めたくはないが、お互い感情が爆発する寸前で引き留められたからな。鬱憤が溜まるのも仕方のない話だ。
とはいえ、このまま有耶無耶にするのは腹の虫が治まらない。何か上手い具合に発散する方法はないものか、と思案していた俺は、ふとある事を思い付いた。
「なぁ。複数人で今すぐに受けられる依頼って、入ってるか?」
受付に視線を向けつつ尋ねると、作業中の男は僅かに顔を上げた。
「ああ、あるぞ。血の気の多そうなキミらには、少々退屈な仕事かも知れんがね」
余計な一言を付け足しながら、受付の男は手許の資料をガサガサと漁り始める。
それと同時に、俺はアルフレッドの方を振り向いた。
「だってさ。どうする? そこのピアス野郎」
「あん?」
鬱陶しそうな顔で返事をするアルフレッドに、俺は不敵に笑い掛けながら続ける。
「ギルドメンバーの流儀に則ってやるっつってんだよ。そこまで俺が気に喰わねぇんなら、どっちの能力が優れてるか、依頼をこなして白黒ハッキリつけようじゃねぇか」
俺は受付の傍へと歩み寄り、差し出された依頼書を掴み上げ、アルフレッドに見えるように突き出した。
「公平さを期すために、同じ依頼を一緒に受けるのさ。そうすれば、お互いの力量を間近で測れるだろ」
依頼書と俺の顔を交互に見比べ、アルフレッドは値踏みするような眼差しを向けてくる。
二つ返事で誘いに乗ってくるだろうと思っていたのだが、意外にもアルフレッドは冷静だった。相変わらず敵意は薄れていないものの、どうするか思案している様子だ。
正直、自分でも面倒な真似をしているなと思うばかりだが、このまま舐められっぱなしで終わりにするなんて俺にはできない。
資金稼ぎも大事だが、まずはこいつを黙らせるのが先決だ。
「どうだい? この勝負、乗るかどうかはあんたの度胸次第だ」
「……! 上等だ。てめぇのヘタレっぷり、この目で拝ませてもらおうじゃねぇか」
止めとばかりに付け足した挑発の言葉が、功を奏したらしい。アルフレッドは敵意たっぷりな表情を浮かべ、威圧するかのような口調で切り返してきた。
睨み合う俺の視界の端では、やや狼狽している様子のリネとミレーナが、不安げな視線を送ってくる。
張り詰めたような空気の中、妙な展開で資金稼ぎが始まろうとしていた。




