第四章 二人の弟子 -Crimson vs. Black-
ミレーナ・イアルフス。
それは、俺の『魔術』の師匠でもあり、育ての親でもある女性の名前。
だが、俺にとってとても大切な存在である彼女は今、自分自身の記憶を失っている。
それが何かの事件に巻き込まれたせいで起こった事なのかは、俺にはわからない。彼女の身に何が起きているのかなんて、俺には全くわからないんだ。
それなのに――
「この街で、ミレーナ・イアルフスって奴を見掛けた事あるか?」
目の前に現れた青紫の髪の少年は、平然とそんな言葉を口にした。それはまるで、俺と同じように彼女の行方を追って来たかのような口振りだった。
感情を隠し切れなかった俺の表情から、少年は簡単に悟ったらしい。
俺がミレーナを知っている、という事を。
「おいおい、何だァ? 試しに聞いてみただけだってのに、いきなり大当たりって訳かよ。だったら話は早ェ。教えろ、奴は今どこにいる?」
獰猛な目付きで俺を見下ろす少年の表情は、警戒心を強めるには充分過ぎるものだった。
深く考えるまでもない。こいつにミレーナの事を教えちゃダメだ!
「何の事を言ってるのかわからねぇな。人捜しなら他を当たれよ」
今更ながら、俺はなるべく平静を装って、軽い感じに聞こえるように努めた。
だが、さすがに考え方が甘過ぎたらしい。俺の返答を皮切りに、こっちを見つめる少年の目が、一気に鋭い眼光を放ち始める。
「……舐めてんのかテメェ? そんなくだらねェ嘘で俺を誤魔化せるとでも思ったか。こっちはミレーナ・イアルフスがこの街に来たって情報を手に入れた上でここにいるんだ。余計な事考えずにさっさと本当の事を話せ。捻り潰すぞ?」
「……!」
語気を荒くする少年の様子に、俺は寒々しい威圧感を覚えた。
こいつは只者じゃない。少なくとも、その辺にいそうな強盗やら何やらの類じゃない。
確実に俺と同じ側、戦う力を持っている側の人間。感覚としては、以前戦ったアーベントと対峙した時に感じたものと近い気がする。
恐らくこれ以上誤魔化すのは無理だ。下手にこいつを刺激してしまえば、それだけで余計な被害が出るのは確実だろう。
とはいえ、バカ正直にミレーナの事を話してしまえば、彼女の身に危険が及ぶ可能性がある。
ならば、俺が選ぶ道はただ一つ。
「だから知らねぇって言ってんだろ。仮に知ってたとしても、何で俺がお前みたいな気に喰わねぇ野郎に教えなきゃなんねぇんだ。言ったろ? 人捜しなら他を当たれ」
「ハッ。こっちは話を聞くだけで見逃してやろうとしてんのに、随分な物言いだな。……ならしょうがねェ。お望み通り、捻り潰してやるよ」
敢えて少年を挑発する事で、相手の意識を全て自分に向けさせる。
どうやらその狙いは上手く行ったらしい。少年は瞳に獰猛な光を漲らせつつ、しっかりと俺を見据えている。戦闘開始は、こちらが意図した以上に早く訪れそうだ。
少年が動き始めようとした所で、俺は右手に灼熱の炎を発生させ、それを武器の形へと造り変えていく。もうすでに使い慣れた技、『紅蓮の爆炎剣』だ。
紅く染まった炎剣を構え、俺が臨戦態勢を整えた時だった。
唐突に、少年の顔が驚きに満ちる。
「ほう……。やけに強気な野郎だとは思ったが、まさか『魔術師』とはなァ。胸クソ悪ィ髪の色と同じ……炎使い……」
喋っている途中で何か引っ掛かる事でもあったのか、少年の顔が徐々に訝しげなものに変わっていく。どうやら彼の視線は、俺の髪と炎剣を順に捉えているようだ。
やがて少年は、明確な答えに至った様子でこう続けた。
「なるほどな。『紅蓮の爆炎剣』にその紅い髪。テメェが『深紅魔法』の第二の使い手、ディーン・イアルフスか」
「!?」
少年の口から出た言葉に、今度は俺の方が驚かされた。
どういう事だ? 何で会ったばかりのこいつが、『魔法名』どころか俺の名前まで知ってる?
思わず顔をしかめていると、少年は心底面白そうに口角を引き上げた。
「ハッ! ハハハッ! その気に喰わなそうな反応からして、図星を突いたみてェだなァ! こりゃあ傑作だ!」
愉快げに高笑いしつつ、少年は軽々と商店の屋根から跳び降りた。
それなりの高所からの着地だというのに、体勢が崩れる様子が一切ない。
「それにしても妙な偶然だな。まさかミレーナ・イアルフスを追って来て、その弟子に遭遇する事になるなんてよォ」
「お前、一体何者だ! どうして俺の事を知ってる?」
声を荒げて問い掛けると、少年は笑みを消し、鬱陶しそうに顔を逸らした。まるで説明するのが面倒臭いと言わんばかりに、少年の口調が気だるげになる。
「そう怒鳴るなよ。テメェが俺を知らなくても無理はねェ。俺が一方的に、『あの野郎』からテメェの存在を聞いてたってだけだ。とはいえまさか、こんな所で会う事になるとは思わなかったけどよ」
「『あの野郎』……?」
「俺の師匠、ノイエ・ガルバドアさ」
「なっ……!?」
「テメェがミレーナ・イアルフスの弟子だってんなら、この名前を知らねェなんて事ァねェよなァ?」
そうだ、奴の言う通り知らないはずがない。例え俺が『魔術』とは無縁の一般人だったとしても、その名前を知らないなんて事は恐らく有り得ない。
なぜならその名は、ミレーナと同じくこの『ジラータル大陸』の歴史に刻まれているからだ。
今や希少な存在となった『魔術師』の中で唯一、二つの『属性』の『魔術』を操る事ができた者。
『倒王戦争』の折、『反旗軍』の中核メンバーとして、リーダー的な役割を担っていたという、『英雄』の一人である男。
それが、ノイエ・ガルバドアだ。
俺も随分昔に、一度だけ顔を合わせた事がある。
額の右側に傷がある、寡黙にして聡明な『魔術師』。二つの『属性』を操る、唯一無二の存在。
そんな男の弟子と名乗る、目の前の少年。師匠が『魔術師』である以上、その弟子である少年は必然的に――
「せっかくの機会だ。ここらで俺も自己紹介しとくとするか」
そう言って少年は、胸の前で両手を勢い良く合わせた。短く乾いた音が響いた後、少年は両手をゆっくりと左右に離していく。
するとその動作に合わせて、両手の間に黒い稲妻が生まれ、それが徐々に物体になり始めた。
『魔術』によって造り出されたのは、まるで闇夜のように漆黒に染め上げられた、少年の身の丈ほどもある巨大な鎌。怪しく煌めく鋭い刃の根元には、少年の髪と同じ青紫色の宝玉が埋め込まれている。
死神を連想させる凶器を右手に握り、悠々と振り回して肩に担ぐと、少年は氷のように冷徹な口調で言い放つ。
「俺の名は、ジェイガ・ディグラッド」
自身の名を告げ、『魔術師』ジェイガは不敵に笑ってみせる。
あの大鎌には見覚えがある。目にしたのはたった一度だが、間違いない。
あれは、あの『魔法』は――!
「ノイエの野郎から『黒煉魔法』を受け継いだ、ただ一人の弟子だ。よろしくなァ、紅髪」
◆ ◆ ◆
言い知れない不安を抱えながら、ミレーナと共に街の中へ戻って来たリネは、避難する人の波に逆らいつつ、真っ直ぐログハイムの家を目指していた。
するとその途中、黒煙が舞い上がっていた辺りから、また新たな爆発が起こった。
「ッ!」
さっきより爆心地に近付いているせいか、爆発による強い振動が直に伝わってくる。それに足を取られ、よろめいた事で立ち止まってしまったリネの目に、荒々しく舞い上がり続ける黒煙の姿が再び映り込んだ。
胸の辺りを強く締め付けられるような不快な感覚が、さっきから頻りに襲ってくる。
あの黒煙の下に、何かがある。
リネの心を容赦無く踏みにじるような、何かが。
「ミレーナ! リネさん!」
その時、通りの端で佇んだまま硬直していたリネの耳に、自分達の名前を呼ぶ声が響いた。振り向くと、酷く焦った様子のログハイムが、こっちへ駆けてくる所だった。
「よかった、二人とも一緒だったんだね」
「ログハイムさん! 一体何があったんですか?」
「詳しい事はボクにもわからない。けどここにいたら危険なのは確かだ。とにかく、ボク達も早く避難しよう」
ログハイムに促され、元来た道を戻りそうになったリネは、ピタリと足を止めた。
その理由は単純明快。『彼』の姿が見当たらないからだ。
「待ってください。ディーンはどこに行ったんですか?」
駄々を捏ねる幼い子供のように、一歩も動かず尋ねるリネ。
すると振り返ったログハイムが、難しい顔を浮かべて躊躇いがちに口を開く。
「……ディーンくんは、さっきの爆発の原因を一人で確かめに行ったよ。ボクやミレーナ……それにリネさん、キミを先に避難させようと考えてくれたらしい」
「どういう、事ですか……?」
食い下がるリネに、ログハイムは神妙な面持ちになって続ける。
「別れ際に交わした言葉から察するに、多分彼は、あの爆発が人為的に引き起こされたものだと推測したんじゃないかな。だから先にボク達を避難させて、これから起こるかも知れない騒動に巻き込ませないようにしたんだと思う」
「そんな……!」
彼らしい行動だと思う反面、そんなのあまりにも身勝手だとも思ってしまう。それこそ、無関係なログハイムに詰め寄ってしまいそうになるほどだ。
胸を締め付けるような不安は、やはり的中していた。ディーンは今、あの黒煙の下で何者かと争っているに違いない。
リネ達を守るために。
被害をこれ以上、拡大させないために。
お前が心配する必要なんてない。ディーンは確かに、あの時そう言った。
しかし、よくよく考えてみればそんな事、リネには到底受け入れられない話だった。
例え彼に必要とされていなくても。頼りにされていなくても。それでも自分は、彼の力になってあげたい。一人で戦おうとする彼を、助けてあげたい。
(そうだよ。躊躇う理由なんて、最初からどこにもなかったんだ!)
ずっと孤独だった自分に、大切な居場所を与えてくれた人。そんな人のために力を貸したいと、支えになりたいと思う気持ちが、間違っているはずなどないのだから。
「ログハイムさんはミレーナさんを連れて、安全な所へ避難してください」
気付けばリネは、強い決意を胸にしてそう言い放っていた。
すると横合いから、ミレーナが随分心配そうな顔で尋ねてくる。
「避難してくださいって、リネさんは……?」
「あたしは、ディーンを助けに行きます」
「突然何を言い出すんだ!」
駆け出そうとしたリネを、強い口調で制止したのはログハイムだった。彼は必死な様子で、リネの行く手を阻もうとする。
「キミはディーンくんと違って『魔術師』じゃないだろう? 戦う力のないキミが、彼の許へ行っても――」
「そんな事わかってます!」
リネが声を張り上げると、ログハイムは少々驚いたように目を瞠った。
一瞬でも昂ってしまった感情を抑えつつ、リネはゆっくりと宣言する。
こんな所で立ち止まっている訳にはいかないのだ、と。
「……自分に戦う力が無い事くらい、わかってます。でも……それでもあたしは、ディーンの許へ行きたいんです。このまま黙って見てるなんてできません。したくないんです、そんな事」
「……」
「ミレーナさんの事、よろしくお願いします!」
言葉を失っているログハイムに、リネは礼儀正しくお辞儀をして、すぐさま走り出した。
するとその直後、街の中心で再び激しい爆発が巻き起こった。
まるで、現実に立ち向かうリネの事を、手荒く歓迎しているかのように。
◆ ◆ ◆
目前に迫り来る少年の姿は、まさしく死神然としていた。
大鎌の刃の部分から放出された黒い光が、荒れ狂う衝撃波となって通りの商店を容易く吹き飛ばす。その度に破壊の余波が地面に拡がり、街全体を強く震動させた。
衝撃波を何とか回避した俺に追い縋るかのように、『魔術師』ジェイガは猛進し続けてくる。
「オラァッ!」
鋭い風切り音と共に、漆黒の刃が横薙ぎに振るわれた。
俺はその場に屈んで大鎌の一撃を躱し、立ち上がる勢いを利用して地を蹴った。
一度後方に距離を取ると、再び地面を強く蹴って、今度は前進するための力に変える。
右手の炎剣を下段に構え、斜め上に一気に振り上げた直後、ジェイガは炎剣の一撃を、大鎌の長い柄の部分を使って受け止めた。
『紅蓮の爆炎剣』はその特性上、触れた物に対して爆発と炎をもたらす。だがその触れた物が、同じく『魔術』の力を帯びている物である場合、結果は大きく変わってくる。
ジェイガが握る黒い大鎌は、『黒煉魔法』によって生み出された物だ。どういう特性があるのか俺にはわからないが、あの大鎌には間違いなく『魔術』の力が凝縮されている。そういう場合、互いの『魔術』の力がせめぎ合い、『紅蓮の爆炎剣』の特性は働かなくなってしまう。
鍔迫り合いのような状態で拮抗する俺達は、至近距離で睨み合った。
「何でお前みたいな奴がミレーナを追ってる? 一体ミレーナに何の用だ!」
「思い込みが激しい野郎だなァ。用があるのは間違いねェが、別に俺はミレーナ・イアルフス個人を追ってる訳じゃねェんだよ」
「何?」
会話の途中で、ジェイガは炎剣を下に弾き、がら空きになった俺の顔面に頭突きを叩き込んできた。
「がっ!」
痛みで視界が明滅し、自然と数歩後退してしまう。
その一瞬の隙を突かれた。
「防御が甘ェんだよ紅髪ィ!」
嘲笑うかのように叫びつつ、ジェイガは大鎌を瞬時に握り直す。
フラついた俺の腹の中心に、大鎌の石突きの部分が一直線に叩き込まれた。
「ぐほォ……ッ!」
多分横から見れば、俺の身体はくの字に折れ曲がっていた事だろう。地面から足が浮く感覚がして、俺は後ろ向きに数メートル突き飛ばされた。
再び地面に接触して停止した頃に、鈍い痛みが腹から全身へと駆け巡り始める。
「ぐっ、おごォ……」
胃の中の物を吐き出さなかったのは、幸運と言うべきか。しばらく地面の上で悶えていた俺は、腹の部分を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
対してジェイガは、身の丈ほどもある大鎌を器用に片手で回転させ、どこか楽しげな表情を浮かべる。
随分と余裕じゃねぇか、この野郎……!
「奴には聞きたい事があるだけだ。何も獲って食おうって訳じゃねェんだぜ?」
「聞きたい、事だと……っ?」
「さっき言ったじゃねェか、人捜ししてる最中だってよ。ミレーナ・イアルフスなら、俺が捜してる奴の居場所を知ってる可能性がある。なんせ同じ『英雄』だからなァ」
「! 何……?」
苛立たしげに、大鎌の石突き部分を地面に叩き付け、ジェイガは呪うかのように吐き出す。
自らが標的と定める、人物の名を。
「ブチ殺してやりてェんだよ、俺は……! あの野郎を……ノイエ・ガルバドアをなァ!」
「はぁっ!?」
突拍子もない発言に、思わず頭が混乱し掛かる。
何がどうしてそんな思考に辿り着いたのか知らないが、自分の師匠の命を狙うなんて正気じゃない。
師弟関係を築く以上、そこにはお互いへの信頼が必要不可欠なはずだ。害意や敵意、況してや殺意なんかで成り立つような師弟関係なんて、存在していいはずがない。
「お前、自分が何言ってるかわかってんのか……!? 師匠なんだぞ、他でもないお前自身の! 戦う力を授けてくれた恩人なんじゃねぇのかよ!?」
「……恩人? 恩人だと……!? ふざけた事抜かしてんじゃねェ!」
突然、俺の発言に憤激したジェイガは、猛然と斬り掛かってきた。
放たれた斬擊を炎剣で受け止めると、怒りに満ちた表情がすぐそこにあった。
「感謝の念を抱けってのか、この俺が! あんな野郎に!? ハッ、反吐が出るような戯れ言ほざいてんじゃねェ! 生憎あの野郎と俺は、テメェが想像してるような生温ィ関係じゃねェんだよ!」
「だったらお前は、何でノイエの弟子になったんだ! 殺したい相手に教えを請うなんて、簡単に許容できる事じゃねぇはずだろ!」
「ああ、その通りだ。だが、だからこそ必要だったんだよ。ヤツを殺せるだけの『力』を手に入れるためにな!」
一旦間合いを取るためか、ジェイガは俺の炎剣を力ずくで弾き返してきた。
感情が露わになっている分、痛烈なまでの衝撃が、炎剣を介して身体に伝わってくる。
「『魔術師』を殺すためには、そいつと渡り合えるだけの『力』が必要だ。テメェだって『魔術師』ならわかってるはずだろ? 『魔術』を使える者とそうじゃねェ者の間には、決定的な力の差があるって事を」
自分自身も『魔術師』であるはずのジェイガは、なぜか忌々しそうにそう吐き捨てる。
確かに、こいつの言う通りだ。『魔術師』と常人との間には、一線を画すと言っても過言でないほどの、圧倒的な力量の差がある。例え常人の側が高度な戦闘能力を持っていたとしても、『魔術師』にとっては脅威と成り得るほどの存在じゃない。それは厳然たる事実だ。
だが、だからといってこいつの行動に納得などできない。いくら殺したい相手と対等の力を得たいからって、そんな手段を選ぶだなんて、俺には――
「別に理解してもらうつもりはねェよ」
「!」
まるで心を読んだみたいに、ジェイガは冷徹な口調でそう言い放った。奴は獰猛な眼付きで俺を睨み付け、憎しみの籠った声で続ける。
「俺にとって、『魔術師』は憎しみの対象でしかねェ。テメェらを殺すためなら、俺は何だってする。確かに一番の標的はノイエだが、奴を殺した所で俺の気が晴れる事はねェ。『魔術師』と名の付く野郎は、一人の例外もなく捻り潰す! テメェもその一人だ紅髪ィ!」
ジェイガは猛る獣の如く叫び、暗雲の空に向かって黒い大鎌を高く掲げた。
禍々しく鋭利な刃の部分から、怪しげな光が放たれ始める。
「『漆黒の大鎌』」
大鎌の名である『魔法名』を告げ、ジェイガは勢い良く大鎌を振り下ろす。するとその動作に合わせて、刃の部分から黒い衝撃波が生まれ、途轍もない速さで襲い掛かってきた。
「くっ!」
咄嗟に俺は、右に身体を転がす事で何とかそれを回避した。次の瞬間、背後にあった商店が、激しい爆発を起こして粉々に吹き飛んだ。
あの大鎌から放たれる黒い衝撃波は、ジンが所持している『黒裂剣』から放たれる、『黒閃』という技に似ている。
だがそれと比較すると、射程距離がとんでもなく長い上に、速度が桁違いだ。回避方法を誤れば、それだけで大怪我を負う羽目になるだろう。
「避けるので精一杯かァ?」
言いつつジェイガは、再び大鎌を乱雑に振るい、黒い衝撃波を生み出した。
今度は同時に二発。漆黒の三日月を思わせる破壊の波は、左右から俺を挟み込むように向かってくる。
「舐めんな!」
俺は地を蹴って前進すると同時に、二発の衝撃波の間を縫うようにしてそれを躱した。
ジェイガは今、技を放った事で無防備になっている。炎剣を叩き込むなら絶好の機会だ!
素早く距離を詰めるため、俺は前進する速度を上げようとした。
だが――
「!? ぐあぁぁぁあぁぁああぁッ!」
背後に何かの気配を感じた時には、手遅れだった。
身体が引き裂かれるかのような激しい衝撃を背中に受け、俺は踏み留まる事すら叶わず、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
身体中に走る激痛と共に、布が焼け焦げたような臭いが鼻先を掠める。
「随分驚いてるようだなァ」
一体何が起こったのか、俺には全くわからない。地面に伏したまま顔を上げると、数メートル前方に立つジェイガが、余裕たっぷりの笑みを浮かべていた。
嘲笑された腹立たしさから睨み付けてやると、ジェイガは見せつけるかのように、大鎌の刃先をこちらへ差し向けてきた。
「回避できたと思って油断しただろ? 生憎だったなァ。これが俺の『漆黒の大鎌』の特性だ。刃の部分から生み出した衝撃波は、目標を定めるとそいつを追尾する能力がある。例えテメェがどんなに上手く躱そうと、この衝撃波はどこまでもテメェを追い続けるって訳だ」
追尾性能のある衝撃波を生み出す、黒い大鎌。それが『黒煉魔法』によって生み出された、『漆黒の大鎌』の特性。
以前俺は、ミレーナに連れられてノイエ・ガルバドアに会いに行った事がある。その時彼は、『黒煉魔法』を俺に見せてくれた事があったが、詳しい能力についてまでは教えてくれなかった。
会ったのはその一回きりだし、彼は根無し草で色々な場所を渡り歩いている人だった。だからそれ以降、この『魔術』を見る機会はなかった訳だけど……。
改めて思う。やはりかつての『英雄』達が有していた『魔術』は、どれもこれも強力なものばかりだ。
『魔術』とは、人を殺す事のみに特化した技術。故に人を生かせず、活かせない。
ジェイガが行使する力は、ノイエ・ガルバドア本人から受け継いだもの。彼ほどに操れているのかどうかは未知数だが、それでも強力な力を持っている事に変わりはない。
「どうしたァ? もう終わりかよ、『深紅魔法』の使い手」
大鎌を肩に掛け、心底退屈そうな声を出すジェイガ。追撃を掛けて来ないのは、自身が優勢だと確信しているからだろう。
俺は炎剣を握る手に力を込め、ゆっくりと立ち上がる。その動作の途中で、背中に何度も鋭い痛みが走った。
「……どうしてなんだよ、ジェイガ・ディグラッド」
「あん?」
「どうしてお前は、こんな事のために力を使ってんだ」
自分の身体が、徐々に熱を発している。それは背中に受けた傷のせいだけじゃない。多分、いや間違いなく、俺はジェイガに憤りを感じているんだ。
同じ『魔術師』として。
戦う力を持った者として。
「これだけの力を使ってまで、お前がノイエ・ガルバドアを、『魔術師』を殺そうとする理由は何なんだ? お前は一体、何のためにその力を使ってる!?」
「ハッ。そんなモン、決まってんだろうが」
ジェイガは激しく顔をしかめると、獰猛な目付きで俺を見つめて、冷酷な声で告げる。
「復讐のためだ」
瞬間、ジェイガは力強く地を蹴って、一気に俺の懐まで入り込んできた。
何とか反応し、炎剣を振るおうとした俺の右手首の辺りを左手で掴み、腹部に容赦なく左膝蹴りを叩き込んでくる。
「がっ、ほ……ッ!」
鋭い痛みで集中力が途切れ、右手から炎剣が霧散し、消え去る。
無意識に腹を抱えそうになった俺の耳に、ジェイガの非情な声が響いてきた。
「消え失せろ」
我が身に慈悲など存在しない、とでも告げるかのように、ジェイガが大鎌を横薙ぎに振るう。
直後。
胸の辺りに、焼け付くような凄まじい痛みが走った。




