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フレイム・ウォーカー  作者: エスパー
紺碧の泉編
29/122

第二章 喪失 -deletion-

『魔術』とは、人を生かせず、また活かす事のできない、殺戮に特化した技術。無慈悲かつ徹底的に相手を追い詰める、強大な力。

 ある意味出鱈目な曲芸とでも呼べそうな『それ』を、平然と行使するこの世界の『魔術師』達は、基本的に呪文の詠唱を行わない。

 全ての『魔術』の基本となるのは、『自分が起こしたい現象を頭の中で想像し、目の前の現象として投影する事』であり、これ自体が詠唱という行為と同義だ。

 ただし例外もある。

 制御の難しい、或いは複雑な『術式』を必要とする『魔術』などには、詠唱を行わないと正しく発動できないものもあり、例えば『術式魔法陣』なんかがそれに該当する。

 そんな多種多様な力を扱う『魔術師』になるためには、まず最初に行なうべき重要な事柄がある。

 それは、自分の『属性』を知る事だ。

 これは『導力石』を用いた専用の『儀式』によって判別されるもので、これによって『魔術師』は自分の『属性』を知り、それに沿った『魔術』を極めていく事になる。俺の場合は、それが偶然にもミレーナと同じ炎だったという事だ。

 自分の『属性』を知った後、『魔術師』は最初の段階では、『導力石』を介して術を行使する。そうして術者が慣れてくると、次第に石を用いなくても、『魔術』が使用できるようになっていく。

 故にというべきなのか、『魔術師』が主に行使できる『魔術』は、自身の『属性』と同じものに限られてしまう。

 だがこれに関しても、二つの例外が存在する。

 一つは、『導力石』を用いる『印術』を行使する事。

 そしてもう一つは、この大陸に存在する『魔術師』の中で唯一、二つの『属性』を操る者がいる事。

 その人物はミレーナと同じ、『反旗軍』の中核メンバーにして、『英雄』の一人である男。

 そいつの名前は――




「ディーン、大丈夫?」

 ボーっとしていた俺は、心配そうなリネの声で我に返った。隣を見ると、声色通りの表情をしたリネがこっちを見ていた。

「……ああ、何ともない」

 俺はやや苦笑しながら、当たり障りのない言葉を返した。

 ……だがもちろん、そんなのは嘘に決まっている。痩せ我慢もいい所だった。

 今俺とリネは、眼鏡の男に招き入れられた家のリビングにいる。木製のテーブルに椅子が四つ。その片側を二人で占領するように座って、俺達はジッと眼鏡の男の事を待っている。

 あの男は俺達をここに招き入れると、「少し待っててくれ」と言って、ミレーナを連れて家の奥へと消えた。

 それからもう、どれくらいの時間が経ったのだろう?

 別段やる事もなかった俺は、男を待っている間、無意識の内に自らの記憶を辿っていた。

 その記憶とは、ミレーナと暮らしていた頃に起きた、思い出と言える数々の出来事だ。

 自分の『属性』がミレーナと同じ炎だとわかった時、彼女が驚いていた事。それが俺自身も、とても嬉しかった事。

 初めて『魔術』を行使した時、失敗して自分の着ている服を燃やしそうになった事。それをミレーナに、凄い剣幕で怒られた事。

『導力石』を用いなくても『魔術』を行使できるようになった頃、俺一人で『ゴーレム』を倒して、ミレーナに褒めてもらえた事。彼女と笑い合っていた事。

 本当に、色んな事を思い出した。

 だけどそんな思い出が、彼女の放った一言で、音を立てて崩れたような気がした。


『あなた、どちら様ですか?』


 我ながら、なんて脆い作りの心なんだ。そのたった一言でここまで気持ちが沈んでしまうなんて……。どうやら俺は自分で思っている以上に、彼女の事を心の拠り所にしているらしい。

 そんな事を考えていると、家の奥からさっきの眼鏡の男が、ようやく姿を現した。

「待たせてすまないね。ミレーナには少し席を外してもらおうと思って、無理矢理用事を押し付けてきたんだ」

 そう言って優しく笑ってから、眼鏡の男はテーブルを挟んだ俺の正面の椅子に腰を下ろした。そして優しい表情のまま、再び口を開く。

「自己紹介が遅れたね。ボクはこの街で歴史の研究をしてる、ログハイム・ベスカという者だ。友人からは、よく『ログ』と呼ばれてる。キミの名前はディーン・イアルフスくん、でいいんだよね?」

「……はい」

「よろしくね。――っと、そうだ。そっちのキミは何と言う名前なんだい?」

 ログハイムは俺の隣に座っているリネを見つめて、思い出したように言った。

 すると、突然話を振られたせいか、少々慌てた様子でリネが答える。

「あっ、はい。リネ・レディアって言います。よろしく」

「リネさんか。こちらこそよろしくね」

 わたわたしているリネにも優しく微笑んだ後、まるで話題の転換を図ろうとするみたいに、ログハイムは表情を少し厳しいものに変えた。

「キミ達が聞きたい事はわかっているつもりだ。だから単刀直入に言っておこう」

 ログハイムは俺とリネを真っ正面から見据え、厳しい口調でこう続けた。


「彼女……ミレーナ・イアルフスは、記憶喪失になっている」


「――ッ!」

 ある程度は予想していた言葉だった。

 さっき家の前で、ミレーナが俺に見せた表情。あれは冗談や演技なんかじゃなく、本気で俺の事がわからなかったんだ。自分が覚えていない見ず知らずの人間に声を掛けられた事で、彼女は驚き、怯えていたに過ぎない。

 見ず知らずの人間、か……。そういえばいつか、俺はそんな事を想像してたな。ミレーナが俺の事を忘れてしまっているんじゃないか、って。

「一体、どうしてそんな事に?」

 俯き掛けていた俺の耳に、真剣なリネの声が響いてきた。俺が顔を上げると、リネの言葉にログハイムは軽く頷く。

「順を追って説明するよ。……事の始まりは、今から二ヵ月ほど前の事だ」

 ログハイムはテーブルの上で両手を組むと、真剣な表情で語り始めた。

「その日ボクは、この街で強盗に襲われてね。持っていた荷物を奪い取られて、逃げられそうになったんだ。それを助けてくれたのが、他でもないミレーナだった」

 本当に一瞬の出来事だったらしい。強盗に荷物を奪われたのも、その強盗を横合いから現れたミレーナが取り押さえたのも。

 まるで電光石火の如く事後処理がなされた後、ログハイムはミレーナにお礼をすると言って、街の酒場に案内したそうだ。

 その時の事を鮮明に思い出しているかのように、ログハイムは続ける。

「彼女の名前を聞いた時は、本当に驚いたものだよ。あの『英雄』と話ができるなんて想像した事もなかったから、ボクは年甲斐もなく興奮してね。本当に色々な事を聞いた。『魔術』の事。『倒王戦争』の事。戦争時の情勢の事。他の『英雄』達の事。そしてもちろん、キミの事もね」

 ログハイムに視線を向けられ、俺は緊張せずにはいられなかった。

 一体ミレーナは、彼にどんな風に話して聞かせたんだろう? 俺の事を話してくれているのは素直に嬉しいが、それと同じくらいに怖くも感じる。

 心の内でそんな葛藤を続けている間に、ログハイムはこう切り出した。

「『炎のような紅い髪の、出来の悪い馬鹿弟子でもあり、馬鹿息子でもある大切な存在がいる』と、言葉とは裏腹に、嬉しそうに語っていたよ。今でも忘れられないなぁ、あの優しい表情は」

「……へへっ。いかにもミレーナが言いそうな台詞だ」

 ミレーナがいつもの調子で語っている場面を想像し、思わず俺が苦笑すると、ログハイムも一瞬だけ表情を緩めた。

 だが彼はすぐにまた、表情を厳しいものに変える。

「それからしばらく語り合った後、彼女はまたどこかへ旅立っていった。……それから一月ほど経った頃、仕事の都合で、ボクが出掛け先からこの街に帰ってきた時だった。湖の(ほとり)で、倒れている彼女を発見したのは」

 彼によると、ミレーナは何者かに襲われた後のように、全身に無数の傷を負い、身に着けていた服もボロボロの状態だったらしい。

 余程酷い有様だったんだろう。脳裏に当時の情景が浮かんでいるのか、ログハイムは自分の事のように辛そうに顔をしかめている。

 しかし一体、何が起こればそんな状態になるんだ? 『魔術師』として相当な腕前を持ったミレーナを、そう簡単に追い詰められる奴がいるとは思えねぇけど……。

「もちろん、そんなミレーナを放っておける訳がなかった。だからボクは、街の医者に彼女を診てもらい、自宅で介抱する事にしたんだ」

 幸いな事に、怪我そのものは命に関わるようなものではなかったらしい。だが治療を受けた後も、ミレーナは二日ほど意識を取り戻さなかったそうだ。

 そして目覚めた時には――


「彼女は、自分の名前さえも覚えていない状態だった」


 ログハイムは、やや俯き加減で苦々しげに告げた。

 何があったのかはわからない。ミレーナを診断した医者も、記憶喪失の原因は掴めぬまま、また治るかどうかも断言できなかったらしい。

「だからボクは、彼女の身を保護しようと思ったんだ。長い間連絡が付かなければ、いずれディーンくん、キミが彼女を捜しに来るだろうと踏んで、ずっと一緒に暮らしていたという訳だよ」

「……」

 あまりの事態に、俺は上手く言葉を紡げなかった。

 本来なら、ログハイムに掛けるべき言葉がいくつもあっただろう。ありがとうございますと感謝する事も、迷惑掛けてすみませんと頭を下げる事も、それ以外の何かを口にする事もできたはずだ。

 だが結果的に、俺達の間に訪れたのは長い沈黙だけだった。

 何も言葉が見つからないまま、時間だけが過ぎていく……。

「――あの写真の女性は?」

 どれくらい時間が経った頃だろう。重苦しい沈黙を打ち破ったのは、リネのそんな一言だった。

 一体いつの間に写真なんか見つけたんだと思い、俺はリネの視線を追ってみる。

 彼女の視線の先には、皿やカップを仕舞う硝子(ガラス)戸の付いた戸棚があり、その中に写真立てが一つ、食器類に混じって飾られていた。

 写真に写っているのは、今より少し若い頃のログハイムと、車椅子に座っている長い茶髪の女性だ。

 女性の方は心成しか痩せ細っているように見えるが、写真の中で寄り添っている二人は、本当に幸せそうに笑っている。

「ボクの妻だよ。三年ほど前に、流行(はやり)(やまい)で亡くなったんだ」

「えっ……」

 意外過ぎる言葉が返ってきた事で、俺とリネはほとんど同時にログハイムの方を振り向いた。

 彼は少し寂しそうに笑いながら、自分達が写った写真を愛おしげに見つめている。

「元々身体が弱かった人でね。ボクと結婚してからも長く闘病生活を続けていたんだけど、残念ながら病魔に打ち勝つ事ができなかったんだ」

「その……、ごめんなさい。余計な事聞いちゃって……」

 申し訳なさそうにリネが俯くと、ログハイムは慌てた様子で首を横に振った。

「ああ、気にしなくていいよ。彼女が亡くなった事は確かに悲しいけど、今はもう大丈夫だから。……それに、妻の事があったから余計にだろうね。記憶を失ったミレーナの事を、放っておけないと思ったのは」

 そう言ってログハイムは、また優しい笑顔を見せる。

 そんな彼の、辛い過去の記憶に触れたからだろう。このままじゃいけないと、強く思う事ができたのは。

 そうだ、いつまでも感傷に浸っている場合じゃない。今までミレーナの身を守ってくれていたログハイムのためにも、彼女が記憶を失った原因を探らなくちゃいけない。

 俺は気持ちを何とか切り変え、また俯き掛けていた顔を上げる。

「ログハイムさん。記憶を失う前、ミレーナは何か言ってませんでしたか? これからどこに向かうつもりだとか、誰かに会うつもりだとか」

「……そうだな」

 しばらく考え込んだ後、不意にログハイムは、何かを思い出したように顔を上げた。

「そういえば酒場で話していた時、ボクが歴史学者だと名乗ったら、彼女に妙な事を尋ねられたな」

「妙な事?」


「『デス・ベリアル』という言葉を聞いた事があるか、とね」


「『デス・ベリアル』?」

「ディーン、何の事だかわかるの?」

「いや……」

 リネに尋ねられたが、残念ながら俺の知識の中に、それに該当するようなものは見つからない。今のを言葉通りに受け取るんだとすれば、意味は『死を(もたら)す悪魔』って事だけど。

『デス・ベリアル』……。一体何の事なんだ?

 人の名前だとは思えないし、地名だとも思えない。なら考えられるのは、何らかの『魔術』の名称か、あるいはそれを操る『魔術師』の『通り名』だろう。

 いずれにしろ、これだけじゃ手掛かりが少な過ぎる。もしかしたらミレーナと暮らしていた時の事で、何か俺が見落としているものがあるのかも知れない。

 と、そんな結論に至った時だった。

「ログー。書斎の整理終わったわよ。――あっ」

 リビングに隣する廊下から顔を覗かせたミレーナは、俺と目が合うなり、また少し不安そうな表情を見せた。たったそれだけの事で、何だか胸の辺りが重苦しくなる。

 すると俺の内心を察したかのように、ログハイムは笑顔でミレーナに言う。

「警戒しなくても大丈夫だよ、ミレーナ。少し話があるんだ。ここに座ってくれないか?」

 ログハイムに手招きされ、ミレーナは渋々といった様子でリビングに足を踏み入れ、空いていた椅子に腰を下ろした。

 こうして見ていると、その大人しい感じが以前のミレーナからは想像もできない。

 俺と暮らしていた時の彼女は、『魔術』に関して負い目があるものの、もっと明るくて活発で、たまに冗談や毒を吐く事もあって――

「……話って?」

 ミレーナが不安そうな声を絞り出すと、ログハイムは彼女を宥めるかのように静かに切り出した。

「キミが記憶喪失だって話は、以前にもしただろ? 実はね、今目の前にいる彼らは……いや、紅い髪の彼は、記憶を失う前のキミが、ずっと一緒に暮らしていた少年なんだよ」

「! えっ……?」

 本当に信じられないと言いたげな表情で、ミレーナは俺の方を振り向いた。そんな彼女と再び目が合った瞬間、一気に気不味い空気が流れ始める。

 それにしても、なんて話の振り方をするんだ、このログハイムって奴。いくらなんでも突然過ぎて、こっちだって心の準備ができていない。急だったから仕方ないとはいえ、目配せして俺に知らせるとか、もう少しやりようがあんだろ……!

 悪気はなさそうなログハイムを一瞥してから、俺はもう一度ミレーナの様子を窺ってみた。彼女は相変わらず、驚いた表情のまま固まっていて、俺が何か喋るのを待っているらしい。

 こういう時、何をどう切り出すのが正解なのか全くわからなかったが、とりあえず本当の事だけ話してみようと心に決め、妙な緊張感を抱えたまま口を開いた。

「えーっと……、俺の名前はディーン。あの……、多分覚えてないだろうけど、あんたは昔、戦争孤児だった俺を拾って、名前を付けてくれた恩人なんだ。それにその人が言った通り、十何年かぐらい一緒に暮らしてたんだぜ」

「……私が、あなたと?」

「信じられねぇだろうけどな」

 俺が自嘲気味に苦笑してみせると、ミレーナの表情から、幾分か警戒心が抜けたように感じられた。

 それから俺は、自分が覚えている限りの思い出を、長くならない程度に話し続けた。

 その間、リネもログハイムも口を挟まず、静かに俺の話に耳を傾けていた。




 ◆  ◆  ◆




「まだ宿を決めてないのなら、この家に泊まっていけばいい。あまり広くはないが、丁度客間は二つあるからね」

 自分でも少し語り過ぎだろうと思い始めた頃、泊まる宿を決めていないという話をすると、ログハイムは笑って、そう提案してくれた。

 別に、そう言われる事を見越して話題にした訳じゃない。

 今のミレーナは記憶を失っていて、俺とは初対面と言っていい状態だ。そんな連中がいきなり家に泊まる事になれば、誰だってあまりいい気はしないだろう。と言うか、俺の方が色んな意味で気不味過ぎる。

 彼の気遣いは有り難かったが、素直に断ろうとした矢先。当のミレーナが、意外な事を口にしたのだ。

「ログが構わないなら、私も反対しないわ。ディーンくん、リネさん。どうぞゆっくりして行ってね」

 屈託のない優しい微笑みと共に告げられた台詞に、俺は思わず我が耳を疑った。

 今の状況からすれば、あっさり拒絶してもいい場面だろうに、ミレーナは不満も言わず、すんなり受け入れてくれたのだ。その表情には、家の前で見せた不安そうな様子は微塵も感じられなかった。

 もしかしたら、俺が語った思い出話が、警戒心を解くという意味で意外と功を奏したのかも知れない。

「……それにしても、まさかミレーナに『くん付け』される日が来るとはな」

 ログハイムに宛がわれた二階の部屋の一室。ベッドの角に腰を掛けて、俺は一人苦笑を漏らした。

 予想だにしない出来事が次々と起こり、正直まだどこか現実味を感じられていない自分がいる。ミレーナが記憶を失っている事に衝撃を受けてはいるものの、どうやらまだ、笑う力が残ってはいるようだ。

 まぁ前向きに考えるなら、記憶喪失ではあっても、彼女自身は無事だった訳だし……。

 そんな風に思いながら、俺は立ち上がって、部屋の窓辺に向かった。

 もうすぐ昼になる時間帯だが、空模様は相変わらず重たい色をしている。雨が降っていないのが不思議なくらいだ。

「『デス・ベリアル』、か」

 窓の外を見つめながら、謎に満ちた例の言葉を口にしてみる。

 仮にこの言葉が、本当に悪魔の名前を指しているものだとして、ならばミレーナが俺の前から姿を消した理由は、その悪魔を探し出すためだったんだろうか?

 けど、ちょっと待てよ。悪魔だぞ、悪魔。俺だって一応『魔術師』ではあるけど、存在を信じられるものには限度がある。

『ゴルムダル大森林』で関わってた『人狼(ウェアウルフ)』のような、ある意味人種的なものならまだしも、宗教要素の強い悪魔とかになってくるとさすがにキツイ。

 とはいえ、そういう存在を信じる思想が、世間的に全くないと言えば嘘になる。


 例えば、精霊。


 炎、水、風、地。この四つを、よく『魔術師』の間では『四大属性』という括りで表す事がある。この四要素が、この世の万物を生み出しているものだと考えられていて、それぞれの『属性』には、それぞれの力の象徴――つまりは精霊が宿るとされている。

 俺も『魔術師』の端くれである以上、精霊に関しては実在するかどうかは別としても、力の象徴として考えられるのはわかる。

 だが、六つある『属性』の残る二つ。光と闇に関しては、その力の象徴として捉えられている存在が、どう考えても納得できないのだ。


 その存在とは、天使と悪魔だ。


 なぜ精霊を認められて、天使や悪魔を認められないのか、と思われるかも知れないが、いくら『魔術師』の俺でも、その二つに関しては首を傾げざるを得ない。

 さっき言った『四大属性』が、この世の万物を生み出していると言うのは、まだ理解できる。実際、人間は火や水を使って生活するし、何かを作り出すために活用する事もある。

 だが光と闇はどうだ。別にそれ自体が何かを作り出す訳じゃないだろ?

 精霊の存在を信じてる訳じゃない。でもだからと言って、それが天使と悪魔の存在を信じる事に繋がる訳でもない。『魔術師』なのにこんな事を言う俺は、充分可笑しな存在なんだろうけど。

 とにかく話を戻すと、なぜミレーナがそんな存在の不確かなものを探して旅をしていたのか、という事だ。しかも一緒に暮らしていた俺に、何一つ告げる事なく。

 馬鹿にされるから、なんて理由じゃないのは確かだろう。現にミレーナは発見された時、目も当てられないほどボロボロの状態だったんだ。もしかしたら、それだけヤバい事に関わっていたのかも知れない。

 そう考えると、尚更『デス・ベリアル』という言葉が怪しく思えてくる。ミレーナが口にしていたという以上、無関係ではないはずだ。

 ならばこの言葉を手掛かりに、ミレーナが記憶を失う羽目になった原因を探ろう。そうすれば、彼女の記憶を元に戻す方法も、いずれは見つけられるんじゃないのか?

 と、そんな思考を続けていた時だった。

 コンコンと、部屋の扉を外から叩く音が響いてきた。

「――ディーン、いる? 今、ちょっといいかな?」

 ノックに続いて聞こえてきたのは、どこか躊躇いがちなリネの声。その声色のせいか、なぜか不思議と浮かない顔をしている彼女の姿が思い浮かんだ。

 が、特にその理由までは考えなかった俺は、返事をするよりも先に扉に向かい、ドアノブを回して扉を開ける。

「どうしたんだ?」

「あ、えっと……。大した用はないんだけど……、ディーンと話したいなぁと思って」

 俺が返事もなく扉を開けた事に、リネは少々驚いたようだ。かなり慌てた様子でそんな事を言い、あちらこちらに視線を投げている。

「そうか。まぁ入れよ」

 人の家の一室だというのに、まるで自分の部屋に招き入れるみたいな物言いだ。我ながら、図々しい言動である事この上ない。

 そんな事を思いながらリネを部屋に入れ、俺は再び窓辺に戻る。

 対してリネは、おずおずといった様子でベッドの端に腰を下ろした。

「で? 何だよ、話したい事って」

「えっと、その……」

 ……? 何か妙に歯切れの悪い感じだな。言いたい事があるならハッキリ言え、ハッキリ。

「そんなに言い出しにくい事なのか?」

「ううん、そうじゃないよ。ただね……。ディーン、大丈夫なのかな、っと思って」

「……は?」

 言葉の意味というより、彼女の意図が打破できず、思わず俺は首を傾げてしまう。こいつ一体、何を言いに俺の所へ来たんだろう?

 俺が困惑している事に気付いているのかいないのか。いずれにしろ、リネはなぜか目を合わせようとしない。少々俯いたまま、床に向けて言葉を放つ。

「だって一年だよ? 一年間も、ずっと捜し続けてようやく会えたのに、肝心のミレーナさんが記憶を失ってるなんて……。そんな悲しい事ってないじゃない。……悲し過ぎるよ」

「ああ、何だ。話したい事ってそれかよ? 変に勿体付けるから何事かと思ったぜ」

 俺は深く考えもせず、どころか軽く笑みを加えた表情でそう言った。

 その瞬間だった。俯いていたはずのリネが、急に顔を上げて俺を見つめてきたのは。

「……何が可笑しいの?」

「えっ?」

「どうして笑ってられるの? ミレーナさん、記憶喪失になっちゃってるんだよ? 大変な事が起きてるんだよ? なのにどうして笑ってられるの?」

「な……、何そんな必死になってんだよ。確かに大変な事だけど、別にお前がそこまで気にする事じゃ――」

「気にするよ!」

「!」

 突然の事だった。まるで、堰き止めていた感情の波が一気に押し出されたかのように、リネは立ち上がり、語気を荒くして強く叫んだ。

 そこで俺は、今更のように気付かされる。俺を見つめる彼女の黒真珠のような瞳には、薄らと涙が溜まっている。洒落(しゃれ)や冗談で流せるような様子では、決してない。

「気にするに決まってるよ! だって、自分が大切に思ってた人が、自分の事を忘れちゃってるんだよ? それを辛く思わない人なんて絶対いないよ! なのにどうして? 何でディーンは、ミレーナさんの前で思い出話とか始められるの……!? 可笑しいよ……。何でそんなに冷静でいられるの!? 悲しいって思わないの!?」

「……」

 そうか。傍から見ると、今の俺はどうやらそんな風に見えるらしい。

 他人事のように冷静で、悲しんでいるように見えない。

 そう見えているなら、どうやら俺は人を(あざむ)く事が上手くなったようだ。思えば街で聞き込みをしていた時から、そういう節が見受けられたのかも知れない。

 もちろん、そんなのは全部まやかしだ。取り繕っているだけだ。

 冷静でいられるはずがない。

 悲しいと思っていない訳がない。

 何が前向きに考えれば、だ。ミレーナが記憶を失っている。そんな事実を、一体どうすれば前向きに考えられるって言うんだ。

 全部わかってる。誰かに指摘されるまでもない。本当は、自分でわかってるんだ。


 今の俺は、本当に無力だ、って事が。


「……悪い。心配してくれてありがとな、リネ」

 でも。だけど。

 俺には泣いてる暇なんてないんだ。立ち止まる事なんてできないんだ。

 そんなのは全部、後回しにすればいい。

「俺の事なら心配いらねぇよ。だから、お前が気にする必要なんてない」

 俺は今、一体どんな表情で話しているんだろう? 全部わかった気になったつもりでいたが、それだけはわからなかった。

「――ッ!」

 そんな俺を見つめていたリネは、一瞬怒ったように顔をしかめた。そして呼び止める暇もないほど早く、部屋を飛び出して行ってしまった。

 ……今の言い方は、やっぱり不味かっただろうか? 本当に、気を遣わせたくなかっただけだったのだが、彼女を傷付けてしまったかも知れない。

 リネの後を追おうか逡巡していると、再びコンコンという音が耳に響いてきた。

 驚いて視線を向けると、開けっ放しになっている扉の所に、いつの間にかログハイムが立っていた。

「少し話があるんだけど、いいかな?」

 彼はそう言って、優しく笑ってみせた。




 ◆  ◆  ◆




 行き先など、特に決めている訳もなかった。

 ただ闇雲に、一心不乱に、少しでもあの場所から離れたくて、リネは全速力で走り出していた。

 あまりの勢いに、擦れ違う人々が「何事か」と怪訝な視線を送ってくる。だが、今は気になどならない。気にする余裕などありはしない。

 走る振動によって、首から下げているペンダントが乱雑に揺れている。それを視界に捉えてしまった瞬間、明らかに進む速度が遅くなった。

 思い出したくないのに、思い出してしまう。それを渡してもらった時、どれほど嬉しかったかを。どれだけ幸せな想いを噛み締めていたかを。

 無理矢理買わせてしまったようなものなのに、それでも彼は「失くすなよ」と言ってくれた。

 嬉しくて嬉しくて、本当に幸せだった。

 それなのに――


 お前が気にする必要なんてない。


 嬉しさと幸福をくれたのは彼の言葉で、悲しさと不幸をくれたのもまた、彼の言葉だった。

 まるで警鐘のように、いつまでも心の中に響き渡る言葉。

 お前の事なんか必要としていないし、頼りになんかしていない。そう言われたような気がして、リネには耐えられなかった。

 悲しさや辛さで、胸の内側はグチャグチャだった。

 ようやく見つける事ができたミレーナ・イアルフスが、記憶を失っている事が悲しい――のではない。

 当事者であるはずのディーンが、冷静なままでいる事が辛い――のでもない。


 力になってあげたいと思っていた少年に頼ってもらえなかった事が、何よりも一番悲しく、辛かったのだ。


 目頭が熱い。視界が滲んで、上手く走れない。

「うっ……」

 全速力で走っていたはずだったのに、いつの間にか小走りになり、徐々に歩く速度になって、最後には立ち止まっていた。

 胸元のペンダントに、自然と右手が伸びる。

 思い切り乱暴に引っ張れば、例え少女の細腕であろうとも、鎖か留め金は壊してしまえるはずだ。大切だった彼との想い出の品を、容易に外して捨て去る事はできるはずだ。

 そうすれば、これ以上心を乱される事はない。余計な想い出に苦しめられる事もなくなる。


 だがそんな残酷な真似、一体誰ができると言うのか。 


 黒真珠のような瞳から、止め処無く涙が溢れてくる。ペンダントを握る右手は、小刻みに震えていた。

 一番辛いのは自分じゃない。辛い思いを吐き出したいのは、悲しいと泣き叫びたいのは、ディーンのはずなんだ。

 何度も強くそう言い聞かせたというのに、それでも涙は止まらない。むしろ思えば思うほど、歯止めが効かなくなっていく。

 昼間の通りで人目も(はばか)らず、少女はずっと泣き続けた。

 ずっと、一人で。

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