第九章 そして森には朝が来て
「――あった。これだ!」
ようやく探していた物が見つかり、俺は思わず安堵の息を吐いた。
俺は昨日の夜から集落に帰らず、この遺跡の中でずっと、『ある物』を探し回っていた。
それは、シャルミナの『呪い』を持続させている原因であろう、『魔術』の『核』となっている物だ。
ずっと疑問に思っていた。彼女の身体に『呪い』を施した人間は、すでにこの世にはいないというのに、なぜあの『呪い』は効力を発揮し続けているのか、と。
疑問の解消を頭の中で続ける内に、ふとある仮説が思い浮かんだ。
シャルミナの身体に施された『呪い』は、もしかしたらリシドの『魔術』と同じく、『核』となる物がどこかに存在しているんじゃないだろうか。
そう例えば、遺跡の内部。
以前シャルミナが口にしていた、『遺跡から一定の距離を取ろうとすると身体を傷付けられる』、という証言。俺にはそれそのものが、『核』の存在を証明しているように思えてならない。
そんな確信を胸に夜通し遺跡の中を探し回った結果、朝になってようやく、それを見つけられたという訳だ。
「まさかこんなに時間が掛かるとは思わなかったけどな……」
独り言を呟きつつ、ぐぐっと身体を伸ばしてみる。
現在地は、正方形型の吹き抜けが造られた遺跡の中心部。眼の前には、高さ三メートルほどの三角柱型のモニュメントが屹立していて、それを囲むように、高さ五メートルほどの四本の石柱が設置されている。
そのモニュメントの袂に当たる部分に、精巧に造られ、絶妙に隠蔽されていた四角い扉。その内側に、探していた『核』はあった。
灰色の岩石でできたゴブレットの上に固定されている、翡翠色の球体。淡い光を放つそれの表面には、シャルミナの胸にあった記号と同じものが、無数に刻み込まれている。
「『導力石』と『印術』を用いた、半永久的な『魔術装置』って所か。製作者がいなくなってるのに発動し続けるなんて、どんだけ強力な代物なんだよ」
目的の物は見つけたが、本番はここからだ。この『核』を破壊する事ができれば、シャルミナは晴れて自由の身となる訳だ。何が何でも成功させる必要がある。
俺は短く息を吐くと、右手に『紅蓮の爆炎剣』を出現させた。
「悪いな、『風守り』の一族さん。長であるあんた達がどう思ってたかは知らねぇけど、シャルミナは解放されたがってるんだ。だから――破壊させてもらうぜっ!」
構えを取り、勢い良く振り下ろした炎剣は、爆炎を伴う事で『核』を破壊するはずだった。
だが――
「!?」
炎剣の刀身部分が『核』に触れた瞬間、『魔術』の力同士が鬩ぎ合い、激しい抵抗の力が発生した。と同時に、稲妻のような光が生まれ、辺りを眩しく照らしていく。
どれだけ力を込めて炎剣を振り切ろうとしても、それに逆らおうとする激しい力が、俺の身体を押し返してくる。その強さはまるで、俺の気概を挫こうとするかのようだ。
「ぐ、ぎ……ッ! ぐっ、があああああぁぁぁッ!!」
炎剣を握り締める手に、より一層の力を込めようとした時だった。
バァンという、何かが弾けるような音が響き、俺は身体ごと後ろに弾き返された。『核』から発生していた抵抗の力が、『紅蓮の爆炎剣』の威力を上回ったんだ。
「痛ってぇ……。どんだけ頑丈に造ってあるんだ。傷一つ付いてねぇなんてアリかよ?」
俺は尻餅をついた状態で、改めて『核』を見つめてみた。
こうしてただ見ている分には、綺麗な翡翠色の球体なんだけどな……。これがシャルミナの身体を傷付ける原因なんだと思うと、自分の眼を疑いたくなる。
しかし、だからと言って諦めるつもりは毛頭ない。
俺はもう一度立ち上がって、炎剣を構える。そして再度狙いを定め、深紅の一撃を撃ち放った。
直後、またも稲妻のような光が生まれ、右手の炎剣を介して、激しい抵抗の力が全身を駆け巡り始めた。
それはまるで、『風守り』の長達がシャルミナを自由の身にする事を拒んでいるようにも感じられる。彼らの意志が、思惑が、彼女を解放しようとする俺を拒絶してるってのか……!
「こッ……、のッ! これで……っ、ダメだってん、なら……ッ!」
鬩ぎ合いの最中、俺は左手に新たな炎を発生させ、それを武器の形へと造り変えていく。
そこに現れたのは、二振り目の『紅蓮の爆炎剣』。滅多に使わないとはいえ、両手に炎剣を装備する事は不可能じゃない。
破壊するんだ!
解放するんだ!
何が何でも、絶対に!
「これなら……、どうだぁぁぁぁあぁあああぁぁっ!!」
引き下がる事ができないのは、こっちも同じだった。
俺は新たな炎剣を、抵抗の力が生まれている接触部分へと一気に叩き込む。
その直後――
◆ ◆ ◆
ふと眼を覚ますと、リネはベッドの端にうつ伏せにもたれ掛っている状態だった。
軽く眼を擦りつつ、部屋の窓に視線を向けてみる。外からは柔らかい陽の光が差し込み、微かに鳥の鳴き声も聞こえてくる。
(……ああ、そっか。昨日森でディーンと別れた後、シャルミナさんを担いで集落に戻って、それから……)
昨夜の出来事を思い出しつつ、リネは数回欠伸をした。すると同時に、左肩の辺りが僅かな痛みを発して、少々顔をしかめてしまう。
思いのほか軽傷だった上、レイミーが手当てしてくれた事もあって、動かすのはそれほど苦ではない。が、ふとした時に走る鈍い痛みによって、やはり怪我なんてするものじゃないという気にさせられる。
(自分の怪我も、自分の力でぱぱっと治せたら良いんだけどなぁ)
左肩に貼られた湿布を眺めつつ、愚痴のような感想を抱くリネ。
昔から、自身の能力に対しては色々と疑問がある。その内の一つが、なぜか自らが負った怪我には『治癒』の力が働かない、というものだ。
他者の傷なら、それこそ命取りになる傷ですら治せるというのに、全く以て不思議でならない。が、その理由はいくら考えてもわからないので、疑問に思う度、結局は思考を保留にするしかないのだ。
起きたばかりの頭で考えるには難しい内容だったせいか、またもや欠伸をしてしまう。
自分でも気付かない内に眠りに落ちていたのは、恐らく『治癒』の力を極限まで使い続けた影響だ。先程肩の怪我が痛みを発したのは、ちゃんとベッドで横にならなかったからに違いない。
「……静かだなぁ。何か、昨日の騒動が嘘みたい……」
独り言を呟いてから、リネはベッドの上のシャルミナに視線を向けた。
長く煌めく牡丹色の髪を枕に埋める少女は、穏やかな顔で眠りについている。
(シャルミナさんの傷も治せてよかった。一時はどうなる事かと思ったけど……)
昨日の夜、シャルミナの身体を傷付けていた謎の現象は、ディーンが言っていた通り、集落に近付くに連れて自然と治まった。
シャルミナが掛けられた『呪い』だ……と、別れ際にディーンが口にしていたのを思い出す。が、『魔術』に疎いリネには、ただ漠然と危険だという事しかわからなかった。
とにかく、シャルミナは無事だったのだから、それを素直に喜ぶべきだ。彼女だけではなく、レイミーやジグラン、ダンテや集落の人達も……。
ホッと息を吐きながら、リネは改めて小屋の中を見回してみた。
四角い間取りの小屋の中には、リネとシャルミナ以外、誰もいない。
そう、誰も。
「……まだ、帰って来てないんだ」
紅い髪の少年の顔を思い浮かべながら、ぼんやりと呟くリネ。
彼は今、どこで何をしているのだろう? 森で別れてから、すでにかなりの時間が経過しているというのに、一向に姿を現さないのが気に掛かる。
(無事、だよね? ディーン……)
心の中で意気消沈していたその時。視界の端から、微かに息遣いのようなものが聞こえてきた。
ふとベッドの方に視線を向けると、シャルミナが僅かに眼を開けて、ぼんやりと周囲を見回しているところだった。
「おはようございます、シャルミナさん。気分はどうですか?」
朗らかに声を掛けると、彼女は薄紅色の瞳でリネを捉え、少しだけ驚いた表情になった。
まだ覚醒したばかりで戸惑っているのか、シャルミナは少し間を開けて返事をする。
「……おかげ様で何ともないわ。――それより、あなたはディーンと一緒にいた……」
「そういえば、自己紹介がまだでしたよね。初めまして、リネ・レディアって言います。シャルミナさんの事は、ディーンやジグラン達から聞いてますよ」
「そう……。私の傷を治してくれたのは、あなたなのよね?」
言いつつ、シャルミナはゆっくりと上半身を起こして、右手で胸元を確かめている。
どこか不思議そうな彼女の表情から、リネは何となく、その胸中を悟る事ができた。
誰が見ても致命傷だったであろう彼女の怪我は、どう考えても一晩で治るようなものではない。明らかに、常識外の力が働いた結果だと予想できる。
だからこそ、シャルミナは無意識かつ、暗に尋ねてきているのだ。
あなたは一体何者なのか、と。
「シャルミナさんは、『妖魔』一族ってご存知ですか? あたしはその一族の、唯一の生き残りなんです」
「……! あの、『治癒』の力を持ってるって言われてた?」
眼を丸くして驚くシャルミナに、リネはそっと頷き返した。
その上で、自らも問い掛ける。
「シャルミナさんも、『風守り』の一族の生き残りなんですよね? だからあたし、ずっと話したいと思ってたんです。自分と同じ境遇の人がいるなんて、思った事なかったから……」
「……」
シャルミナに無言で見つめられ、リネはようやくハッとした。
今の台詞は、余りにも一方的過ぎる。『自分と同じ境遇』だなんて、軽々しく口にするべき言葉ではない。
「ああっ、ごめんなさい! 勝手に同情なんかされても迷惑ですよね! わかったような口を利くつもりはなかったんですけど……っ!」
「あっ、ううん、違うの! 怒ってる訳じゃなくて、その……。ちょっと、驚いちゃって」
「……えっ?」
「少しだけね、諦めてたから。私のこの思いは、柵は、きっと誰とも共有できないまま終わっちゃうんだろうな、って」
そう言って、力無く笑うシャルミナ。やや痛々しい陰りのあるその表情は、十数年という月日の中で積み重ねられた、彼女の深く重い苦しみを内包しているかのようだ。
だからこそ、なのだろうか。自らの不幸を払拭しようとするかのように、シャルミナは優しく、朗らかに微笑む。
「だから心配しないで。私も嬉しいよ。お互いに気持ちを理解し合える、共有できる人に出会えて。今まで辛いって感じる事はたくさんあったけど、あなたに出会えた事で、それが少しは報われた気がするわ」
「シャルミナさん……」
拒絶されるとばかり思っていたリネは、シャルミナの意外な反応に戸惑ってしまった。
今まで散々、化物やら魔女やらと蔑まれた自分でも、こうして受け入れて貰える。受け入れてくれる人はいる。あのぶっきら棒な、紅い髪の少年と同じように。
それを改めて実感できて、リネは素直に嬉しかった。
報われたと微笑む彼女に、それはむしろこちらの方だと、リネは微笑み返す。
「ところで、ディーンは? ここにはいないみたいだけど……」
温かく優しい気持ちに包まれていたリネは、シャルミナのそんな一言で石像のように硬直した。
リネの心情を察した訳ではないだろうが、シャルミナは不思議そうに首を傾げている。
さて、どうしたものかと思い悩むリネ。
事実を伝えるのは簡単だが、それを口にするのが非常に心苦しい。しかしだからといって、黙ったままでは彼女を不審がらせてしまう。
ここはやはり、下手に誤魔化すべきではないだろう。
「それが……昨日森で別れてから、その……。まだ、帰って来てないみたいなんです」
話すべきか逡巡した末、言い淀みながらも事実を伝えると、案の定、シャルミナの表情が曇る。
「そんな……。それってやっぱり、リシドを追っていったからでしょ……!? まさか、動けなくなるような怪我を――」
ベッドから飛び上がりそうな勢いだったシャルミナが、そこで突然、左胸の辺りを押さえ、苦しそうに表情を歪ませた。
何の前触れもなく異変が始まり、リネは慌てて椅子から立ち上がる。
「あっ……ッ、ぐぅ……っ!」
「どうしたんです!? しっかり……っ! しっかりしてください、シャルミナさん!」
「うぁッ!」
よほど苦しいのか、シャルミナはベッドの上でのたうち回るばかりで、リネの呼び掛けにまともな言葉を返せないでいる。
一体何が起きているのか、リネには皆目検討がつかない。つかないがしかし、苦痛の源が彼女の左胸の辺りにあるのは一目瞭然だった。
「ごめんなさい、シャルミナさん!」
一言謝罪し、リネは暴れる彼女をどうにか押さえつけ、服の胸元を強引に引っ張り下ろした。
その瞬間、思わず眼を瞠ってしまう。
『そこ』に刺青の如く刻まれていたのは、不可思議な記号のような物。昨夜ディーンが口にしていた、『呪い』という名の『魔術』。それが高熱を発しているかの如く、煌々と紅い光を放っているのだ。
(もしかしてこれ、『呪い』が強くなってるの……!?)
自らが巡らせた最悪な想像に絶句するリネ。もしもその通りだとしたら対処のしようがないと、俄かに焦燥感が押し寄せてくる。
「どうしよう……っ!? 『魔術』の事なんて全然わかんないし……!」
一瞬、レイミーやジグランを呼びに行こうかとも考えたが、あの二人も『魔術』に関しては門外漢なので、対処できないのは恐らく同じである。
こんな時、頼るべき人物は間違いなくディーンなのだろうが、彼は未だに帰還する気配がない。
何でこんな肝心な時にいないの!? ……と、思わず叫んでしまいそうになった、その時だった。
慌てふためいているリネの眼の前で、不可思議な記号が強い明滅を繰り返しながら、徐々に形を失くし始めたのだ。
やがて明滅は弱まり、記号は音もなく完全に姿を消した。まるでそこには、元から何も刻まれていなかったかのように。
(……消えちゃった。今の、どういう事だったんだろう?)
一人困惑していたリネは、ベッドに横たわるシャルミナに声を掛けるのを忘れていた。彼女はもう、苦しそうに表情を歪める事もなく、ぼんやりと小屋の天井を見上げている。
「あの、もう平気なんですか……?」
恐る恐る尋ねると、なぜかシャルミナは急に、両腕で顔を覆ってしまった。
不思議に思い、再度尋ねようとしたリネは、しかしある事に気付いて口を噤んだ。理由はわからないが、どうやら彼女は、息を潜めて泣いてるらしい。
「……そっか。約束……、果たしてくれたんだね。ありがとう……、ディーン」
彼女がそう呟いたのを、リネは確かに聞いた。
か細く震えている声だったが、それでもどこか嬉しそうで、幸せそうな声を。
◆ ◆ ◆
「やっ、た……」
俺は二本の『紅蓮の爆炎剣』を消滅させると、その場に身体を放り投げた。
顔を少し傾けて、自分の足許を見る。そこには粉々に砕け散った、元は球体だった物体の残骸が散らばっている。
『印術』の『核』だった物。
『導力石』で造られていた物。
シャルミナを、この森に縛り付けていた物。
それをどうにか、破壊する事ができた。
俺は視線を戻して、高く遠い空を見上げる。憎らしいほど青く透き通った、清々しい大空を。
「終わったぁーーーーーーっ!」
腹の底から出た言葉が、遺跡の壁に反響して木霊する。
多分俺がこの森でするべき事は、この瞬間に、ようやく終わりを告げたんだ。
◆ ◆ ◆
「しっかし遅いねぇ~、あの紅髪。ホントに捜しに行かなくていいのかよ?」
小屋での出来事から数時間が経った頃。リネは集落の入口付近で、ディーンの帰りを待っていた。
地面に転がっている岩の上に座るリネの傍らには、レイミーとジグランもいる。
「そんな事しなくても、ディーンは絶対帰って来てくれるもん」
「いや、オレが言ってんのはそういう事じゃなくて、あいつの事が心配じゃねぇのかって聞いて――」
「帰って来るの!」
「……あーハイハイ。オレが悪うございました」
リネが不満の証として頬を膨らませると、ジグランは面倒臭そうに手をひらひらと振って会話を終わらせた。
そんな彼の隣にいるレイミーは、先ほどからずっと右手で顔を覆うようにして笑っている。
何だか馬鹿にされている気がして、リネはむぅっとレイミーを見つめた。
「何が可笑しいの、レイミー?」
「いや、ごめんごめん。ジグランが女の子相手にあたふたするなんて珍しいから、ついね。フフッ……」
「お前な……」
恨めしそうな眼でレイミーを見つめた後、ジグランは集落の奥、ダンテの家の方向に視線を向けた。
「それにしても、村長は大丈夫かねぇ? 昨夜の様子からして、だいぶ憔悴してたように感じたが……」
「まぁ、状況が状況だけにね。村の人間が化物になって旅人を襲ってたなんて、信じたくても信じられないんでしょ。今回の一件を仕組んだ奴が別にいるとはいえ、きっと責任感じちゃってるのよ。何でもっと早く対処できなかったんだろう、ってね」
レイミーはやれやれといった様子で、軽く溜め息をついた。
確かに昨日の夜、騒動の後で村人達に話をしているダンテは、かなり疲れた表情をしていた。
恐らくは、疲労と心労が重なってしまった結果だろう。立ち直るには、相応の時間が必要というものだ。
「そこまで気にする事ねぇと思うけどな。経緯はどうあれ、悪さをしてたのはあの『魔術師』なんだ。あいつをどうにかしちまえば万事解決! って事でいいじゃねぇかよ」
「そんな簡単な話じゃないのよ。自覚が無かったとはいえ、この村の人間は旅人を襲って殺してるんだ。無闇に真実を話せば混乱が起きるのは眼に見えてる。村長さんも、その辺りを理解してるから苦悩してるんじゃない」
少々呆れた様子でジグランを嗜めるレイミーは、どこか苦々しい口調で語る。
そう、自覚が無い。
リシドに操られていた村人達には、『人狼』になっている間の記憶が全く残っていなかったのだ。
誰一人として、自身が化物となって人を襲った事など覚えていない。それを幸いと言うべきなのかどうか、リネには判断がつけられなかった。
(ディーンはどう思うんだろう……。よかったって言うのかな? それとも、不幸だって言うのかな?)
未だに姿を現さないディーンを思い浮かべ、やや感傷に浸るリネ。
早く彼と話したい。早く声を聞かせてほしい。
そんな小さな願いを抱きながら、少女は祈るように両手を握り合わせる。
見る者によっては、この静かな雰囲気を壊すべきではないだろうと思う、その横で――
「大体あんたは他人への配慮ってものが無さ過ぎんのよ。もう少しこう、思慮深く物事を判断するって事ができない訳?」
「うるせぇな。考えんのが苦手なんだよオレは」
「苦手なんじゃなくて考えようとしてないだけでしょあんたは!」
「何をォッ!?」
という、空気の読めない二人組による罵り合いが開始。これでは情緒も何もあったものではない。
さすがに無視できなかったリネは、岩の上から下りて二人を止めに入る。
「もうーやめなってば二人ともー! ご近所迷惑でしょー?」
「そうそう。頼むからギャーギャー騒がないでくれよ。こっちは色々あって疲れてんだからさぁ……」
「!」
仲裁の最中、新たに響いた声でリネは振り返り、レイミーとジグランも同時に言葉を切った。
三人の視線の先には、随分ボロボロの格好になったディーンが、面倒臭そうな顔をして佇んでいた。昨日の夜、別れた時から比べると、若干みすぼらしさが増しているように思う。
「ディーンっ!!」
「おーっす。寄り道してたら遅くなわぶっ!?」
まだ言葉の途中だったにも拘わらず、リネは勢い良くディーンに抱き付いて、会話を中断させた。
勢いが付き過ぎたため、一瞬体勢が揺らいだが、ディーンは倒れる事なくリネを受け止めた。やや驚いた様子で、眼を瞬かせている。
数秒間、ディーンの胸に顔を埋めてから、リネは顔を上げ、わざとらしく不満をぶつけてみる。
「もう! 遅過ぎだよ、帰ってくるの! ホントに心配したんだから!」
「……悪かったな」
少しバツが悪そうに顔を逸らして、ディーンは普段通りの反応を見せる。
それが余りにも普段通りで、奇妙な可笑しさが込み上げてきたリネは、思わずクスッと笑い返してしまった。
◆ ◆ ◆
良い意味で予想を裏切られたと言うか、凄く意外な出迎えだった。
リネの奴が心配性なのはわかってた事だけど、まさかここまで心配されてるとは思わなかったからなぁ。正直抱き付かれてドキッとしたのは事実だし、リネが客観的に見ると可愛い女の子だって事も事実だ。
……とはいえ、そんな事絶対本人には言わないけどな。調子に乗られても癪だし。
「……何見てんだよ。つーか何だその顔は」
さっきから妙な顔付きでこっちを見ているレイミーとジグランに、俺は面倒臭く思いながら声を掛けた。何となく、二人の考えている事が想像できてしまう。
「別にー? ただ、何とも仲がよろしい事だなぁ~と思ってねぇ。ねぇ、ジグラン?」
「ホントにな。いや~いいじゃねぇの。年頃の男女が仲いいってのはさ。羨ましいったらありゃしねぇ」
「……」
ニヤニヤしながら楽しそうに会話する二人。あ~そうかそうか、要するにあれだ。俺に喧嘩売ってるって訳なんだな? やれやれ仕方ない。体調が戻ったら炎剣持って追い掛け回してやろう。うん、そうしよう。
心の中で密かにそう思っていると、ジグランが急に真面目な顔付きになった。
「それはそうと、リシドの野郎はどうなった?」
「……!」
数秒前までのおふざけから一変。その落差に少々驚いたものの、俺もすぐに頭を切り替え、答える。
「『魔術』が暴走を起こして、その副作用で……死んだ。一応埋葬も済ませてきたよ。あのままにしとく訳にもいかねぇからな……」
「……そう」
静かに告げると、相槌を打ったレイミーだけじゃなく、ジグランとリネも若干眼を伏せた。その胸中を知る術はないが、多分こんな結末になった事を、みんな納得なんかしてないんだろう。
俺は少しでも気分を変えようと、無理矢理に話題転換を図ってみた。
「ところで、シャルミナはどこだ? あいつ、怪我の具合は?」
「心配しなくても大丈夫だよ。今は小屋の中で眠ってるから。――あ、でもさっき、一度胸を押さえて苦しがってた事があったけど……」
「ホントか? ……なぁ。あいつの左胸の辺りに、刺青みたいな模様がなかったか?」
「え? う……うん、あったよ。でもしばらくしたら、突然その刺青も消えちゃって……」
「そっか。って事は、成功したんだな。よかった……」
リネの言葉を聞いて、俺はようやく安心する事ができた。『印術』の『核』は破壊できたものの、シャルミナの『呪い』が消え去るという確証があった訳じゃない。どうしたって、心の隅に不安は残っていた。
だがそれも、どうやら取り越し苦労で終わったようだ。あとであいつの顔も見に行ってみよう。
なんて、呑気に考えていた時だった。
「ねぇ、ディーン。どうしてシャルミナさんの左胸に、刺青があるって知ってたの?」
「え?」
リネに尋ねられ、数秒考えてからしまったと思った。森の中で『印術』の跡を見せられたあの時、眼の前の三人はいなかったんだと、今更のように思い出す。
「確かに、そんな所にある刺青なんて、服を脱がしでもしない限りわからないわよね?」
レイミーさん余計な事言わなくていいから! って言うか、明らかにわざと誤解を生もうとしてるよね!?
ややしたり顔のレイミーから視線を外して隣を見ると、リネが物凄く不機嫌そうな顔で佇んでいる。言い訳が手遅れなのは間違いないだろう。
くそっ! 覚えとけよ、レイミーの野郎!
「皆さん、ここにおられたんですね」
俺が拳をブルブルと震わせていると、横合いから男の声が掛かった。見るとそこにいたのは村長のダンテで、俺の顔を見るなり酷く安堵したように息を吐いた。
「ディーンさん、ご無事でしたか! あなたのおかげで、この村の者は救われました! 本当に感謝しております!」
「いや、俺は別に……」
「それに皆さんにも、本当に感謝しています。今回の一件が解決しないまま時が過ぎていたら、どうなっていた事か。想像しただけで恐ろしくなります……」
ダンテはそう言って、辛そうに目を伏せた。そしてゆっくりと続ける。
「今回の一件。私は多くの真実を村の者に告げていません。恐らく本当の事を告げれば、村の者は皆苦悩するでしょう。しかし、そんな事を起こす訳にはいきません。村長として、私には村の者達を守る責任があるんですから……」
「あのね、ディーン。実は……」
「村の人達は何も覚えてない、って事か?」
「! ディーン、気付いてたの?」
展開を先読みした俺の発言に、四人全員が少々驚いた顔をする。
変に驚かせてしまった事を苦笑しながら、俺は言葉を続ける。
「何となく想像はしてたよ。……まぁ仕方が無いだろ。覚えてないから許される、って事にはならないのかも知れないけど、それでも知る必要のない事まで、わざわざ教える必要もないさ。今回の場合は特にな」
後悔や悲嘆や憤慨と、思う事はみんなそれぞれらしい。その場にいる全員が、様々な表情を浮かべている。
その場にやや重い空気が漂う中、俺は改めてダンテの顔を見つめた。彼には一つだけ、頼んでおきたい事がある。
「ところでダンテさん。こんな時に申し訳ないんですけど、実はお願いしたい事があるんですよ」
「は? ……はぁ」
訝しげな表情で生返事をするダンテに、俺は悪戯っぽく笑い返した。
◆ ◆ ◆
「――遺跡を守る? この集落の人達が?」
「ああ。さっきダンテさん達に許可を取ってきた。みんな、お前の代わりにあの遺跡を守っていく事を約束してくれたよ」
村の入口での会話から、三十分ほど経った頃。シャルミナが休んでいる小屋を訪れた俺は、彼女にリシドの顛末と、ダンテ達との話の内容を説明した。
一連の出来事を仕組んだのは、リシド・ベイワークという『魔術師』であって、裁かれるべきは間違いなくあの男だ。だから今回の件で、ダンテが罪の意識を感じる事はないと思う。
しかし、どうやらそれでは彼の心が晴れないらしい。何かしらの贖罪を、と彼は望んでいた。それならばと考え、部外者ながらに提案をさせてもらった訳だ。
我ながら、随分お節介な真似をしたものだと思わなくもない。だが例えそうでも、放っておく事なんて俺にはできなかった。
それにダンテの話だと、この集落の人達は皆、『風守り』の一族の存在を古くから知っていたそうだ。遺跡の詳しい位置まではレイミー達同様に知らなかったそうだが、それでも俺が言い出した半ば取引のような提案を、ダンテは優しく笑って、快く引き受けてくれた。
数十分前のやり取りを思い返しながら、俺は改めてシャルミナを見据えた。
「これで本当に、お前をこの森に縛り続けるものは何も無くなった。だからこれからどうするかは、お前が決めたらいい。誰も文句は言わないし、止める権利もない」
「……」
シャルミナはしばらく無言のまま、ぼんやりと虚空を見つめていた。もしかしたらあまりに突然の事で、彼女自身どうしたらいいのかわからないのかも知れない。
長い沈黙が続いていたその時、彼女の助け船となる言葉が室内に響いた。
「どうするか迷ってるなら、アタシ達に付いてくるってのはどうだい?」
やや俯いていたシャルミナは、ハッとしたように顔を上げる。
彼女に合わせて俺も背後を振り返ると、いつの間にか小屋の戸口に、レイミーとジグランが立っていた。二人はベッドの傍まで歩いてくると、優しい微笑みを浮かべてみせる。
「これからこの森での一件を、『首都』の正規軍まで報告しに行くんだ。とりあえず今はそれを目的にして、アタシ達と旅をしてみない?」
どこか楽しげに告げるレイミーに続いて、ジグランも意気揚々と言葉を紡ぐ。
「お前が付いて来てくれりゃあ、『風守り』の一族が実在したっていう証明にもなるしな。報告が終わった後どうするかは、またその時決めりゃあいい。どうだ?」
「レイミー……。ジグラン……」
シャルミナは二人の顔を見つめた後、眼を丸くしたまま、今度は俺に視線を向けてきた。
戸惑う彼女の背中を押すため、俺は微笑みながらゆっくりと頷く。
「正直になっていいと思うぜ。お前はもう、お前自身が望んでた世界に踏み出せるんだからな」
◆ ◆ ◆
それから丁度一日が経過した頃。俺達は集落の人間とダンテに別れを告げて、森の中の遺跡を訪れていた。
正直な所、あの後すぐにでも『紺碧の泉』へ向かいたい気持ちはあったのだが、俺もリネも、リシドとの戦いで疲弊していたため、さすがに強行軍は見送ろうという話になった。
そして今日、出発の時になって、まだ遺跡を見ていない俺以外の三人のために、シャルミナが案内を申し出てくれたのだ。
「綺麗ね……、本当に」
「ああ、そうだな」
「うん。ディーンが言ってた通り、失くしちゃいけないものだよ、これは」
遺跡の神秘的な風景を眺めながら、三人はそれぞれ、感嘆したように呟いた。多分この遺跡を初めて見た時、俺もリネ達みたいな顔をしていたんだと思う。
紅梅色や菫色の花々が咲き乱れている庭園と、やや灰身掛かった石造りの遺跡や、所々に立つ不可思議な形のモニュメント群は、東の空を昇り始めた太陽に照らされ、まるでおとぎ話に出てくる楽園のように、見る者の心を安らかな気持ちで満たしてくれる。
俺が遺跡の風景を眺めるのは、昨日から数えてこれで三度目だが、ここの風景は見る度にその表情を一変させた。恐らく今見ているこの景色も、数多ある表情の内の、ほんの一つにしか過ぎないんだろう。
破壊する事にならなくて本当に良かったと、俺は改めて、素直にそう思えた。
各々が物思いに耽り、しばらく経った頃。俺達は自然と二組に分かれ、それぞれの道を歩き出そうとしていた。
「ここの泉から、森の奥に向かって川が流れてるでしょ? これを辿っていけば、迷わず森の北側に抜けられるはずだよ」
水の流れゆく方向を指差しながら、シャルミナは優しい笑顔でそう教えてくれた。
その表情からは、初めて会った時のような鬼気迫る雰囲気は、微塵も感じられない。やっぱりこの表情こそが、彼女本来の素顔なんだろう。
「にしても悪いな、二人とも。軍への報告とか、全部押し付けるみたいになっちまって……」
もうすぐ別れの時間だという段になったところで、俺は改めて、二人のトレジャーハンターに詫びを入れた。
こちらの事情を知っている二人は、この森での一件を正規軍に報告するという役目を、代わりに買って出てくれたのだ。時間を無駄にしたくない俺にとっては実に有り難い話だが、彼らに負担をかけるのは申し訳なくも思う。
平謝りする俺に対し、レイミーはあっけらかんとした顔で言う。
「だから気にしなくていいって。そもそも先を急いでたあんた達を引き止めたのは、アタシ達でもある訳だし。遺跡調査の報告のついでと思えば、大して面倒な仕事でもないさ」
「そーそー、今回の件の一番の立役者はお前なんだ。これはその報酬の代わりとでも思っておけや」
快活に笑いつつ、ジグランは拳で軽く俺の肩を小突いてきた。
……全くこの二人は。出会った時から飄々としていて、適度に緩さを挟んでくるから、重く考えるのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
「わかった。じゃあ、そっちはよろしく頼むぜ」
俺もお返しとばかりにジグランの胸を軽く叩くと、彼は「おうよっ!」と力強く口にした。
レイミーとは握手を交わし、俺はふと隣を見てみた。するとリネの許にはシャルミナが歩み寄っていて、二人は仲良さそうに、互いの両手を繋ぎ合っている。
「一族の末裔っていう境遇は辛いかも知れないけど、負けちゃダメよ。あなたは一人じゃない。同じ境遇の私や、頼もしい味方もいるんだから。ね?」
最後の方は俺にも向けた言葉だったのか、シャルミナは意味深に微笑してみせた。
ちゃんと守ってあげなさいよ、と言われた気がして、無意識に頷き返してしまう。
「シャルミナさんも元気でいてください! またいつか、必ず会いましょう!」
「ええ、そうね。必ず!」
……はて? 何だかこの二人、やけに仲良くなってるみたいだが……。やっぱり同性だと、意気投合するのも簡単なんだろうか。
二人の様子を見つめてやや首を捻っていると、シャルミナが今度は俺の正面に歩み寄ってきた。
自然と眼が合い、微笑み掛けられる。
「本当にありがとね、ディーン。あんたのおかげで、私は自由の身になれた。本当に本当に、感謝してる」
「そ、そんなに念を押す必要ねぇって。自慢できるような大した事した訳じゃねぇんだし」
照れ臭さから思わず顔を逸らして言うと、シャルミナは可笑しそうにクスッと笑った。笑って、ジッと俺の顔を見つめてきた。
「じゃあね、ディーン。またどこかで会いましょう」
彼女がそう呟いて、俺が瞬きした瞬間だった。
気付くといつの間にか、彼女の唇が俺の右頬に触れていた。ほんのりと温かく、柔らかい感触が一瞬して――
「……は?」
何何何、何だ今の? あまりにも一瞬の事で状況が掴め切れてないんですけど!?
困惑する俺を可笑しそうに見つめた後、シャルミナは華麗に踵を返して、レイミーとジグランの許へと駆けていった。
三人は何かを話した後、揃って俺とリネに手を振ってくる。
俺とリネも、それに答える形で手を振り返す。俺は短く、リネは結構長く。
その後、三人は俺達に背を向けて、草木が生い茂る道を歩いて行く。
遠ざかる彼らの背中をしばらく見つめていた俺は、その時ふとある事を思い、僅かに首を捻った。
……気のせいだろうか?
レイミーとジグランに挟まれる形で、徐々に遠ざかっていくシャルミナの背中。
その足取りが、今までよりも随分と楽しげで、軽やかに感じられたのは。




