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フレイム・ウォーカー  作者: エスパー
魔女の森編
21/122

第五章 満月の夜

 小屋で見つけた『人狼(ウェアウルフ)』の本。そしてリネが言っていた、獣に変身する能力を持った一族がいるという噂。それらを一つにまとめた時、俺には今回の一件の真実が見えた気がした。

 以前、俺はミレーナに聞いた事があった。ある属性の『魔術』の中には、人を獣化させて操る『魔術』がある、と。


 その『魔術』の属性とは――『闇』。


 つまり、この森で旅人を襲って食い殺していたのは、『闇』の『魔術』を操る『魔術師』によって、獣化させられた人間なのではないか、という事だ。

 そして獣化させられていた人間とは、他でもないあの集落に住む村人達だ。

 つい何時間か前にレイミーが言っていた、『村の雰囲気が変わっている』というのは、恐らく気のせいなんかじゃない。実際に『魔術師』の手によって、村人の数が減っていたんだ。

 だから俺は村を出る直前、その真偽を確かめてもらうため、リネに頼み事をしておいた。

 それは、今回の一件について何かしらの内情を知っているであろう、村長のダンテに真実を問い質す事だ。

 俺とリネが宛がわれた小屋にあった、『人狼(ウェアウルフ)』に関する記述が成された本。あの一冊だけは、本棚に整頓されていた他の本と比べると、明らかに真新しかった。つまりあの本だけは、他の物よりも後に置かれた可能性が高い。

 そこで問題になるのが、一体誰があの本を置いたのかという事だ。

 ここで一つの仮説が生まれる。

 もしもこの森で起きている一連の騒動について、その原因となり得る存在を既知していた誰かが、間接的に俺に真実を伝えるため、わざと置いたのだとしたら。そんな行動を取って、怪しまれない人物は誰か。

 可能性として考えられるのは、集落に住む村人達。しかもその中で、俺が泊まる小屋を知っていた人物。


 例えば、村長のダンテ。


 彼なら村の中をうろついても怪しまれる事はないだろうし、俺とリネが小屋に行く前に、例の本を持っていく事はできるだろう。彼が最初から全てを知っていたのだとすれば、尚更だ。

 今頃リネは、ダンテから真実を聞き出している頃合いだろう。だからこそ俺も、眼の前の人物を問い質す事で、真実に近付かなければならない。

 俺は炎剣を握り直し、『魔術師』を強く睨み付けた。

「あんたがこの森で起きてる騒動の元凶、って事でいいんだよな? 人を食い殺す『魔女』さんよ」

 石柱の陰から、亡霊然とした不気味な現れ方をした『魔術師』は、軽く癖の入った黒い髪を揺らしながら、不満そうな顔を見せる。

「俺様の名はリシド・ベイワークだ。『魔女』なんて汚らしい名前で呼んでもらいたくないね」

 自身を様付けで呼ぶ、リシドという男。その口で即座に否定してはいるが、少し痩せ型の身体に黒いマントをまとった姿は、『魔女』と呼ばれてもおかしくない格好だ。

 しかし俺は、リシドの口から出た『汚らしい』という言葉に、軽い憤りを覚えた。あんたがそれを口にする資格はないだろ?

「『魔女』って呼ばれるのが随分不本意みたいだけど、あんたが『魔女伝説』を隠れ蓑に使ってたのは、事実のはずだぜ。わざわざシャルミナの近くに身を潜めてたって事は、殺人の現場で牡丹色の髪の女が目撃されてたのも、偶然じゃねぇよな? あれはあんたがそうなるように仕向けたんだ。自分の犯行を、シャルミナに擦り付けるためにな」

 推測を絡めた指摘に対して、『魔術師』リシドは見事なまでに顔をしかめた。どうやら俺に看破された事が、相当気に喰わないらしい。

 だがリシドはすぐ表情を変え、ククッという低い笑い声を上げる。

「感心したよ。どうやら思っていた以上に洞察力があると見える。……その通りだ。俺様はとある目的のために、そこにいる『風守り』の存在を利用させてもらった。遺跡を守るためだか何だか知らないが、森に入った人間をバカ正直に襲撃してくれたおかげで、俺様の存在は誰にも勘付かれなかったからな。実に動き易かったよ」

 愉快げに、舐め回すかのような視線を向けられ、シャルミナは一瞬肩を震わせた。奴の眼差しに、底知ぬ悪意を感じたのかも知れない。

 が、怖気づいたのも数秒。シャルミナは敵意ある視線をリシドに向けながら、傍らの俺に声を掛けてくる。

「……あいつが真犯人なのは間違いなさそうだけど、理由がわからないわ。こんな回りくどいやり方をして、一体何がしたかったって言うの?」

「多分、あいつの目的は、『魔術』による『人体実験』だ」

「!?」

 リシドを見据えたまま俺が放った言葉は、シャルミナに少なからず衝撃を与えたらしい。傍らの彼女が、微かに息を呑む。

「あの野郎が行使する『魔術』は、他者を操り人形に変えてしまうものだ。しかもただ操るだけじゃない。恐らく、人間を獣化させてしまうんだろう」

「獣化……!?」

「フン。まるで見ていたような言い方だな」

 俺の言葉を聞いていたリシドは、不満げに鼻を鳴らす。

「貴様の言う通り、俺様は『ある一族』の魂を、『魔術』によって肉体から取り出し、それを他の人間に憑依させ、『獣化人間』として操るための実験を行っている」

「その一族が、『人狼(ウェアウルフ)』だったって訳か?」

「ほう、そこまで知っていたとはな」

 リシドは忌々しげに眼を細めると、まるで酔いしれるかのように語り始める。

「以前から、他者を操る能力に興味を持っていた俺様は、『魔術』の実験の過程で、獣の魂の抽出方法と、『人狼(ウェアウルフ)』の存在を知った。だから、実際に試してみたくなったんだよ。獣の魂を憑依させ、他者を思い通りに操れるのかという事をな」

「そんな……そんな理由で、人を襲ってたって言うの?」

 まるで信じられないものでも見るかのような顔付きで、シャルミナは身体を軽く震わせながら言った。

 途端、リシドが侮蔑するかのような表情で、シャルミナを見据えた。

「何だその顔は。貴様には責める権利があると? 俺様を? ハハッ、これは可笑しな話だな。ならば聞くが、一族が残した遺跡を守るなどという下らない理由で、無差別に人を襲っていたのは、一体どこの誰だ?」

「それ、は……ッ!」

 反論しようとして、しかしシャルミナは苦々しげに口を噤んだ。

 遺跡から人を遠ざけようとしていたが故に、強行な手段を取らざるを得なかったという事実。思惑や経緯は違えど、他者を巻き込む危険性で言えば、その行いはリシドの実験と大差がない。それは誰に言われるまでもなく、彼女が一番よくわかっているはずだ。

 だからこそ、俺には納得がいかない。正論を述べているのは確かなんだろうが、少なくともそれを指摘できる権利を持つのは、あいつじゃない。

 悔しげに唇を噛んで俯く彼女を見て、俺はリシドに対して感じた憤りが、益々強くなるのを感じた。

「……てめぇはどうしようもねぇクズ野郎だな。今まで色んな『魔術師』を見てきたけど、その中でもてめぇは、下の下に値すんぜ」

 こんな奴がいるせいなんだ。いつまで経っても『魔術師』への偏見が、猜疑心が消えないのは。同じ『魔術師』というだけで、こんな最低の野郎とミレーナが同一視されるなんて、俺には我慢ならない。

 吐き捨てるつもりで言い放った台詞を、しかしリシドは飄々(ひょうひょう)とした様子で受け流し、余裕たっぷりに冷笑してみせる。

「お褒めに預かり光栄だな。だが、威勢の良い台詞を吐くだけならば、誰でもできる。貴様も『魔術師』であるのなら、破壊者らしく殺意の一つでも向けてみたらどうだ。まさかこの期に及んで、殺し合いを避けようなどとは思っていまい?」

「そっちこそ何言ってやがる。あんたがこうして姿を現したって事は、俺達を生かしておくつもりがねぇって事だろ。だったらこっちも迎え撃つまでだ」

「ならば尚更――」

「ただし! 俺があんたに向けるのは殺意じゃねぇ」

 気付けば俺は、自分に言い聞かせるような台詞を吐いていた。しかしそれは、間違いなく必要な自制の言葉だ。

 どれだけ殺意を抱いてしまう相手だろうと、俺にはミレーナとの約束がある。『魔術師』がただの人殺しではなく、誰かを守れる存在だと証明する、という約束が。

 その約束を果たすためには、俺は『魔術』で――いや、例え『魔術』ではなくとも、人を殺す訳にはいかない。

 だが、忘れてはいけない事が一つある。

 俺がミレーナとの約束を重んじているからと言って、必ずしもそれが、相手を許す事に繋がる訳じゃない。許す事と耐える事は全くの別物だ。

 だから俺は、リシドを強く睨み付けて言った。

「再起不能になるまでぶちのめすっていう、敵意だけだ!」

 言うが早いか、俺は『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』を構えてリシドに突貫する。

 すると、リシドはその顔に嘲笑を湛えつつ、懐から何かを取り出した。

「この際だ。貴様にも見せてやろう、ディーン・イアルフス。俺様が辿り着いた実験の成果というものを」

 奴が懐から取り出したのは、掌に収まる大きさの水晶だった。ドス黒く怪しげな光を放つ水晶を胸の前に掲げ、リシドは念じるかのように呟く。

「我が手中に眠る数多の魂よ。我が命によりて顕現せよ」

 水晶から放たれるドス黒い光が強さを増したかと思うと、リシドの周りに、黒い煙のようなものが漂い始めた。

 陽が落ち始め、辺りは徐々に暗がりへと変わりつつあるというのに、なぜかその怪しげな黒い煙は、周りの闇に溶け込む事なく、視認する事ができる。

 確かに不気味な気配は漂っていたが、構わず俺は距離を詰め、炎剣でリシドに斬り掛かった。

「うおおおおぉぉっ!」

 上段からの一撃。それをリシドは、回避しようとする動作も全く見せないまま、ただ軽く呟いた。

「噛み殺せ、『黒狼(ファング)』」

「!?」

 身体中に言い表し難い悪寒が走った瞬間、黒い煙がまるで生き物のように(うごめ)き、俺の身体に纏わり付いた。

 その時、俺は確かに見た。


 まるで、何もない空間に突如として物体が現れたかのように、黒い煙が一瞬で、狼の頭部を造り上げるのを。


「ぐっ!?」

 そして続け様に、俺は右腕に鋭い痛みを感じた。

 まるでナイフのような鋭利な物で、腕を貫かれたかのような激痛。その正体は、俺の二の腕の辺りに噛み付いている、頭部のみが形成された黒い狼だった。

 予想もしない攻撃と痛みによって斬撃が逸れ、炎剣はリシドに当たる事なく空を切る。そして俺はそのまま体勢を崩し、激しく地面の上を転がった。

「くっ、そ……! 何だよ今のは?」

 視界がまだ若干揺らいでいたが、どうにか立ち上がった俺は、痛みの走った部分を確かめてみる。すると右の二の腕辺りには血が滲み、獣に噛まれたような傷跡が刻まれていた。

 幻覚なんかじゃない。リシドの周囲を漂っていた黒い煙は、命を吹き込まれたかのように狼の形を成して、俺を攻撃したんだ。

「随分と困惑しているようだな」

 傷の痛みに耐える俺に、リシドは嘲笑の色合いを濃くした声で話し掛けてくる。

「獣の魂の抽出方法を会得した俺様にとって、それを実体化させ使役する事など容易い。せいぜい無様に逃げ回れ。炎を操るしか能のない貴様とは違うんだよ。我が『従魂魔法』はなぁッ!」

 リシドは高らかに叫ぶと、自身の能力を誇示するかのように水晶を掲げる。

 すると再び、水晶がドス黒い光を放ち、リシドの周りを漂っていた黒い煙が狼に形を成して、俺に襲い掛かってきた。

「チィッ!」

 舌打ちしつつ、俺は左手に灯した炎で虚空に線を引き、十字型の炎を出現させる。

『深紅魔法』の一つ、『烈火の十字爆撃(バーニング・クロス)』の予備動作だ。

「行けぇっ!」

 虚空に静止する十字型の炎の中心を、左拳で殴り付ける。と同時に、十字型の炎は黒い狼に向かって一直線に突撃する。

 直後、命中の証として紅い爆発が起こり、爆煙が辺りに吹き荒れた。

 それを合図に意を決した俺は、リシド目掛けて爆煙の中心に突っ込もうとした。

 だがその時――

()(むし)れ、『黒狼(ファング)』」

 新たな言霊を詠唱するリシドの声が響いたかと思うと、爆煙を突き破って無数の黒い狼達が現れた。しかも今度は頭部だけじゃなく、狼本来の姿を踏襲するみたいに、しっかりと胴体まで形成されている。

 交差する瞬間、奴らは備えていた鋭利な爪で、俺の身体を次々と切り裂いて行った。

「ぐあっ!」

 両肩と右脇腹の辺りを傷付けられ、俺は思わず後ろへ倒れ込む。

 すると次の瞬間。仰向けに倒れた俺の眼に、上空から襲い掛かろうとする黒い狼達の姿が映った。

 ダメだ、回避が間に合わねぇ……っ!

「『斬風(ブレイド・ウィンド)』!」

 それは、実に勇ましい詠唱だった。

 もう聞き慣れた『風守り』の少女の声が響くと同時に、発生した鎌鼬が、黒い狼達の身体を真っ二つに切り裂いたのだ。

 無数の黒い塊と化した狼達が、空中で霧散するように消え去る。

 俺が上半身を起こすと、攻撃者であるシャルミナは、心配そうな顔をして走り寄ってきた。

「大丈夫? 全く、一人で突っ込み過ぎなのよ」

 優しく微笑みながら、そっと左手を差し出す牡丹色の髪の少女。

 暫し呆然とその手を見つめていた俺は、改めて思った。

 やっぱりこいつは、『魔女』なんて呼ばれ方をされるような人間じゃない。こうして俺に見せている微笑みは、月並みな言い方だけど、まるで慈愛に満ちた天使や女神みたいだ。

「……悪いな、助かったよ」

 俺は軽く笑い返して、彼女の手を握る。白く華奢な腕に引き起こされ、再び立ち上がった俺は、シャルミナを一瞥してから、正面を睨む。

 共に討つべき、醜悪な『魔術師』の姿を。

「シャルミナ。お前の力、貸してもらってもいいか?」

「いいに決まってるじゃない。断る理由なんて思い付かないわ」

 視線を交わさず、互いにリシドを見据える俺達は、そんな会話を戦闘再開の合図にした。

 瞬間、先に動いたのはシャルミナだった。

 彼女が右手を下から掬い上げるようにして振るうと、たったそれだけで突風が発生し、鎌鼬となってリシドに向かっていく。

 俺はその風を追従する形で、炎剣を手に走り出す。

 すると進む先に立つリシドが、不気味な笑みを見せた。

「『英雄』の弟子に『風守り』の一族。カハハハハ! 被験体としては申し分ない相手だ!」

 狂喜の如く叫んだリシドは、シャルミナが放った鎌鼬を、軽く身を捻るだけで回避してみせた。

 その鮮やかとも言える体捌きに驚きはしたが、俺は炎剣を振りかぶり、突進の速度を上げる。

 対してリシドは、先刻と同じように水晶を掲げ、殺傷の言霊を放つ。

「噛み殺せ、『黒狼(ファング)』」

「二度も同じ手を喰うかよ!」

 黒い煙が狼へと実体化し、こちらへ飛来する寸前、俺は地面を強く蹴り付けて高く跳躍した。

 そしてそのまま、落下と共に炎剣を振り下ろす。

「馬鹿が! 空中に逃れようと結果は同じ――」

 とまで言い掛けて、リシドは驚いたように眼を剥いて、俺から視線を外した。

 それもそのはずだ。奴が視線を向けた先には、鎌鼬を放つシャルミナの姿があったに違いない。彼女が放った斬撃同然の突風は、再び黒い狼を両断し、続けてリシド本人をも切り裂こうと襲い掛かる。

 当然、リシドはそれを回避しようと動いたが、それだけでは足りない。

 なぜなら――

「余所見してんじゃねぇ!」

「!」

 落下しながら振り下ろした紅い炎の刃が、回避直後のリシドの左腕に命中し、同時に爆炎を発生させた。

「ぐああぁぁぁっ!」

 自らの身体を苛む激痛に悶え、これ以上ないくらいにリシドは顔をしかめている。奴の左腕は、リネが扱う『治癒』の力のような回復手段でもない限り、恐らくもう使い物にならないだろう。

 俺が炎剣を構え直した瞬間、リシドは体勢を立て直そうとするかのように距離を取った。

 だが今度はシャルミナが、後退するリシドに追撃となる鎌鼬を二発放つ。

 直撃こそしなかったものの、リシドを牽制するには充分だったらしい。奴は俺達から十メートルほど離れた位置で、少々悔しげに佇んでいる。

 よし、(にわか)仕込みにしては上手く連携できてる! この調子なら、リシドとの戦いは思ったよりも早く片が付きそうだ。

 俺は炎剣の切っ先をリシドに差し向け、鋭く告げる。

「どうした、もう終わりかよ。威勢の良い台詞を吐くだけなら誰でもできる……なんて抜かしてやがったのは、一体どこの誰だっけか?」

 魂を操るという変わった能力に戸惑いはしたが、こいつ自身にはあまり脅威を感じない。このまま二人で攻めれば、勝機は簡単に見えるだろう。

 と、そう思っていた。

 だが予想に反して、リシドは焦りを見せなかった。左腕を庇うような仕草を見せながらも、口角を吊り上げ、低く不気味な笑い声を出し、陽炎のようにゆらりと身体を揺らす。

「なるほどねぇ。どうやら名ばかりの腕という訳ではないようだ。ここで貴様らを消せれば一番良かったんだが……已むを得ん。計画変更だな」

 何か仕掛けてくるつもりなのか、と警戒心を強くする俺の隣では、シャルミナも同じように表情を強張らせている。

 そんな中唐突に、リシドは緊張感のないゆっくりとした動作で、すでに暗がりが支配し始めた空を仰ぐ。

「陽は沈み、もうじき夜が訪れる時間帯だ。……おお、今夜は雲一つないから、実に美しい満月が見えているじゃないか」

 確かにリシドの言う通り、視線の先、東の空にはどこか妖艶な光を放つ丸い月が、さっき沈んだばかりの太陽の代わりとばかりに浮かんでいる。

「貴様らも『魔術師』なら、聞いた事ぐらいあるだろう? 満月の夜ってのは、ありとあらゆる魔の力が強まり、その効力が最大限に引き出されるって話をなぁ」

「……?」

 さっきから何が言いたいんだ、こいつは? 勿体ぶった言い方してねぇでさっさと――いや待て。満月……?

 リシドが口にした台詞を反芻していた俺は、そこでようやく気が付いた。

 奴が何を言おうとしているのかを。そして自分が、何を見落としていたのかを。

「てめぇまさか――!」

 俺が叫ぼうとした瞬間、それを遮るかのように発生した黒い煙が、リシドの姿を覆い隠し始めた。

 闇の彼方へ溶け込んでいく中、リシドは愉快そうな声で、尚も思わせぶりな台詞を吐く。

「知ってるか? 『人狼』ってのは満月の夜に、その姿を化物へと変貌させるんだ」

「くそっ!」

 俺は炎剣を構え、黒い煙の中に向かって走り出した。だがその間にも、リシドは嘲笑するかのように続ける。

「今夜はさぞかし騒がしい夜になるだろう。特に、どこぞの集落なんかはな」

「リシドーーーーーッ!!」

 叫びと同時に真横に振り抜いた炎剣は、しかしリシドの身体を捉える事は叶わなかった。

 すでに奴の姿はない。そう認識した直後、周囲に漂っていた黒い煙が、霧散するように消え去った。

 奴を簡単に逃がしてしまった上、重要な事柄にも気付けなかった自分の不甲斐なさに苛立ち、思わず舌打ちをしてしまう。

「一体どうしたのよ、ディーン……?」

 俺が乱暴に頭を掻いていると、傍に歩み寄ってきたシャルミナが不思議そうな顔で尋ねてくる。

 彼女の視線を受け止めつつ、俺は出現させたままだった『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』を消滅させ、必死に心を落ち着かせながら口を開いた。

「さっき言っただろ? あいつの目的は、人間を獣化させて操る事だって。多分あいつの言う実験は、もう最終段階に入ってるんだ。だから二対一じゃ分が悪いと見て身を引いた。俺達みたいな邪魔者を、一気に片付ける戦力を整えるために……!」

「……どういう事?」

 シャルミナはいまいち状況が掴めていないようだが、それでもどこか不安を感じてもいるらしい。彼女は彼女なりに、俺が言わんとしている事を予測しているのかも知れない。

「『人狼』が姿を変える時と同じなんだよ。恐らく、前以ってあの集落に住む人全員に掛けておいた、獣化の『魔術』。それを発動させる条件が、満月の夜だったんだ!」




 ◆  ◆  ◆




 村長ダンテが語った、この森で起きている異変。それはまるで、眼に見えぬ病魔が身体中を侵食していくかのような、怖気に満ちたものだった。

 彼が初めて『それ』を目撃したのは、三ヵ月前の満月の夜だったそうだ。

「私はその日、遅くまで仕事をしていて、気付いた時には真夜中近くになっていました。その頃になってようやく眠気が襲って来まして、私は眠ろうとしたんです」

 ところがその時、彼は自室の窓から目撃した。真夜中だというのに薄着の格好のまま、フラフラとした足取りで集落の外へと歩いていく、一人の村人の姿を。

 覚束ない足取りで森に入っていく村人を止めるため、ダンテはすぐさま後を追ったそうだ。

 しかし、森に入った所で村人の姿を見失い、彼はしばらく周囲を探し回った。そしてようやく相手を見つけた、その時だった。


 突如として、悪夢の如き異変が起きたのは。


「……その者は、夜空に浮かぶ満月を見つめながら、まるで獣のような遠吠えを上げたんです。するとその姿が、見る見る内に人の姿ではなくなって……!」

「……化物になった、って言うのかよ?」

 言葉を詰まらせ、頭を抱えて俯いてしまったダンテの代わりに、話を聞いていたジグランが、信じられないといった表情で呟いた。

 ダンテはしばらく震えていたものの、それでも語る事を止めようとはしなかった。もう一度ゆっくりと顔を上げ、悲痛な面持ちで口を開く。

「最初の犠牲者は、そこに偶然通り掛かった旅人でした」

 物陰に隠れ、ただ状況を見ている事しかできなかったダンテの眼の前で、狼の化物へと変貌した村人は、悲鳴を上げる旅人に猛然と襲い掛かり、そして――

「……酷い」

 辛そうに呟いて、レイミーはグッと瞳を閉じた。彼女はリネと違い、凄惨な現場を目撃している。だからこそ容易に、地獄のような惨状を想像できてしまったのだろう。

 そんなレイミーの心中を察したのか、ダンテも酷く辛そうな顔をして眼を伏せた。

「それから毎月、満月の夜になると同じような事が起こり、その度に村の者が行方不明になっていきました。何度も『ギルド』や正規軍に助けを求めようとしたのですが、突然人が獣になるなんて荒唐無稽な話、到底信じてもらえる訳がないと思い、こうして黙っている事しかできなかったんです……」

「……ちょっと待てよ」

 ダンテが語り終えるとほぼ同時に、ジグランが怪訝そうな声を出した。彼は何か重要な事に気付いたのか、その顔を徐々に曇らせていく。

「どうしたのよ、突然」

 レイミーが不思議そうに尋ねると、ジグランはリネ達を見回しながらこう言った。

「オレの勘違いかも知れねぇけどよ。満月の夜って……、今夜なんじゃねぇか?」

「!」

 指摘された瞬間、室内に満ちる重苦しい沈黙。

 誰一人、それは勘違いだ、と言い返さない。いや、否定できないのだ。

 その場にいた誰もが、一斉に部屋の窓から見える夜空に視線を向ける。するとそこには、正円を描く満月が、銀色に近い光を放ちながら、まるで夜空を支配する太陽のように浮かんでいる。

 平時なら神秘的に思えるはずのそれは、しかしこの瞬間に至っては、酷く禍々しいものにしか見えない。

 胸の奥を締め付けられるような、表現し辛い感覚に囚われていたリネは、傍らのレイミーの表情が、若干強張っている事に気付いた。

 どうしたのかと問うより早く、レイミーが口を開く。

「村長さん。一つ聞きたいんですけど、このあと村の人達と、集会を開く予定とかってあります?」

「は? いえ、ありませんが……」

 訝しげな顔をして言葉を返すダンテに、レイミーはゆっくりと笑い返した。

 しかしその笑顔は、嬉しさや楽しさを感じさせるようなものではなく、苦笑と呼ぶに相応しい、酷く引き攣ったものだった。

「そうですか。じゃあ多分、今メチャクチャヤバい状況に置かれてますよ、アタシ達」

「えっ? それはどういう……」

 終始様子のおかしいレイミーを不思議に思い、リネもダンテと同じく首を傾げる。

 すると、その時。窓辺に近付いて外を窺ったジグランが、突然怒鳴るように言い放った。

「くそっ! いつの間にか囲まれてやがる!」

「はっ? え? ええっ!?」

 上手く状況が呑み込めないらしく、混乱したように慌てふためくダンテ。そんな彼を尻目に、リネはジグランに倣って、窓辺から外を見た。

 その瞬間、脳が認識した脅威によって、リネの身体は石像のように硬直した。


 ダンテの家を半円状に囲んでいるのは、虚ろな瞳で不気味に佇む、集落の人間達だった。


 皆一様に、上半身を力無く垂れ下げ、ゆらゆらと身体を揺らしているにも拘らず、その場から一歩も動こうとしない。

 まるで自分の意思ではなく、得体の知れない何かに操られているかのように。

「これって、まさか……!」

 さすがに危機を察知したリネは、傍らのジグラン、そしてレイミーを交互に見た。

 二人も同じ事を考えているらしく、軽く頷いてから神妙な顔付きで告げる。

「多分、アタシ達の予想通りなら――」

「村の奴ら全員が、化物に変貌するって事だ!」

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