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フレイム・ウォーカー  作者: エスパー
魔女の森編
20/122

第四章 風守りの一族

 鬱葱とした木々や草花が生い茂る広大な森、『ゴルムダル大森林』。

 この森はその広大さから、地形全体を完全には把握できていないため、未開拓の場所も多くあるそうだ。だからこそ、『風守り』の一族が守っているという、数百年前に造られた遺跡も、未だに発見されていない。

 しかしその一方で、遺跡自体が存在しないのではないか、という説を唱える者もいるらしい。何しろ、明確な証拠や文献などが残されている訳じゃないんだ。伝説や夢物語に過ぎないと言われるのも無理はない。

 だが、俺とリネが知り合った一組の男女は、そんな伝説や夢物語を追い続ける、トレジャーハンターと呼ばれる人間だった。

 レイミー・リゼルブと、ジグラン・グラニード。

 彼らは『ジラータル大陸』の様々な地域に残る伝説や噂を頼りに、これまで数多くの歴史的発見を行なってきたらしい。非現実的だと笑っていた者達の鼻を明かした事も、幾度となくあったそうだ。

 恐らく今回も、彼らは新たな発見をする事になるだろう。

 シャルミナ・ファルメ。

『風守り』の一族の生き残りとされる、彼女の存在自体が告げている。

 古くから守り続けられた遺物が、この森に隠されているという事を。




「――止めろ、シャルミナ!」

 土煙が立ち昇る荒れ果てた風景の中に、牡丹色の髪の少女は、悠然とした様子で立っていた。

 轟音が響いてきた場所へ駆け付けた俺とリネが見たのは、ほとんど根元から切り倒されてしまった大木の数々と、土煙の中に(うずくま)る数人の人影だった。

 レイミー、ジグラン、そしてダンテと村人達だ。

 ここでどのようなやり取りが行われたのかはわからないが、恐らくはダンテ達を庇ったのだろう。レイミーもジグランも程度は軽いが、身体の至る所に裂傷を負い、衣服を紅く染めている。

「レイミー! 大丈夫か!?」

「ああ……っ、心配しなくても平気だって。アタシもジグランも、これぐらいでへこたれるようなタマじゃないからね」

 強がりのようにレイミーが言うと、傍らにいたジグランも、「おうよ!」と力強く賛同した。

 二人の怪我の具合を見ているリネの横で、俺は攻撃者の方を見やる。

 やはり予感は当たっていた。またしても嫌な方だったのは、言うまでもない。

「シャルミナ、お前……」

「わざわざ来てくれてありがとう、ディーン。丁度捜しに行こうと思ってた所だったの。あんたに少し、用があったから」

 そう言ってシャルミナは、場違いなほど優しい微笑みを俺に向けてくる。なぜこの緊迫した状況で、彼女はあんな表情を浮かべられるんだ?

 俺はシャルミナを見つめたまま、背後のレイミーを一瞥した。

「レイミー、一体何があった?」

「遺体の埋葬を終えて、帰る途中だったんだ。あの女がいきなり現れて、ディーンはどこだって聞いてきて……」

「それで攻撃されたのか?」

「ああ、ほとんど問答無用でね。正直、舐めて掛かってたよ。この女にはアタシ達を殺す気がないと思ってたから……さっきのはさすがに背が震えたね。本当に、殺されるかと思った」

「……」

 無言で警戒心を強め、シャルミナを見据える。彼女は何らかの理由で俺を捜していたようだが、レイミーの言葉通りなら、そのやり方は数時間前に遭遇した時とは、明らかに異なっている。今度こそ本当に、相手を殺す気で『魔術』を使ったという事だ。

 まるで自分の邪魔となる者を、徹底的に排除するかのように。

「リネ。みんなを連れて村に戻ってろ。あとできる事なら、怪我をしてる二人の『治療』を頼む」

 俺は一切振り向かないまま、背後のリネにそう声を掛けた。すると案の定、顔の見えないリネの口から、戸惑っているかのような吐息が漏れる。

「えっ……? でも、ディーンはどうするの?」

「決まってんだろ。ここに残ってあいつと話す。どうやら相手に用があるのは、向こうも同じみたいだからな」

 前を見据えたまま、立ち去る気がない事を告げたにも拘らず、リネは中々動き出そうとしない。どうやら俺の身を案じて、退く事を躊躇しているらしい。

 何かもう一声掛けてやるべきかと思っていると、様子を見かねたらしいレイミーが、諭そうとするかのように口を開く。

「アタシが言うのも何だけど、ここはディーンに任せた方がいいんじゃない? 多分あんたが一緒に残っても、手助けできる事はないと思うよ」

「……」

 少々厳しい言葉を浴びせられたリネは、しかし一切反論しなかった。やがて観念したかのように、彼女はダンテ達を誘導し始める。

 するとその途中、背を向けたままでいる俺に向かって、レイミーが深刻な口調で告げる。

「気を付けなよ、ディーン。話が通じると思って油断しない方がいい。今のあいつは、充分危険な存在だ」

「ああ、わかってる」

 短く返事をすると、背後にあった複数の気配が、徐々に遠ざかり始めた。

 すると一番最後に、誰かが立ち止まって俺の方に振り返ったのを、足音で察知した。

 しかし、そこに誰がいるのかは、わざわざ確認するまでもない。

「ディーン……、無茶しないでね」

 躊躇いがちに放たれた少女の声が、自然と頬を緩ませる。それを悟られないように、俺は背中を向けたまま、軽く右手を振る。

「わぁーかってるって。そっちはよろしく頼んだぜ、リネ」

 突き放すような声音になっていないか、少々心配だったが、それは杞憂に終わったらしい。特に気落ちしたような様子も感じられないないまま、リネの気配も徐々にこの場から離れていった。

「悪い、待たせたな。で、一体俺に何の用だ?」

 一応詫びの言葉を挟み、早速本題を切り出す。

 するとシャルミナは、やけに神妙な面持ちでそれに応じた。

「あんたに一つだけ、頼みたい事があるの」

「……別に頼みがある事自体に驚きはしねぇけど、顔見知りのレイミーやジグランを無理矢理追い払ってまで、何で俺を選んだんだ?」

「多分、あんたにしかできない……あんたになら簡単にこなせるはずの事だから、かな」

「……?」

 俺は真剣な表情を崩さないシャルミナを見て、僅かに違和感を覚えた。

 今度こそ本当に殺す気だと、そう思ったにも拘らず、今のシャルミナからは、以前感じた凄まじい殺気が微塵も感じられない。何か、身体の一部が抜け落ちてしまったかのようだ。

 多少疑問は残るが、危害を加えられる心配がないのなら好都合だ。ここはこちらの言い分を聞いてもらう、絶好の機会だろう。

「お前の頼みとやらは聞いてやる。だけどその前に、質問に答えてくれないか」

 率直に問い掛ける俺に対し、シャルミナは無言で、やや首を傾げてみせる。

 今の彼女を見ていて何となくわかった。やっぱり彼女は、人を殺せるような人間じゃない。

『魔術師』は人殺し、なんて揶揄する連中も多くいる訳だが、少なくとも彼女は違う。俺やここを通る旅人に見せていたあの凄まじい殺気は、レイミーが言っていた通り、演技として形作られた偽りのものだ。

 そう確信できたからこそ、何の迷いもなく尋ねる事ができる。

「この森で旅人を襲って殺したのは、お前か? この森に住む、人を食い殺すっていう『魔女』は、お前なのか?」

 俺の問いに返された答えは、数秒の沈黙。だがそれは決して、自らの心中を誤魔化そうとしているが故の沈黙ではなかった。

 シャルミナは俺から一切視線を逸らす事なく、やがて静かに口を開く。

「……違うわ。私は誰も殺してない。『魔術』を使って人を追い払う事はあっても、殺したりなんかしてない。……なんて言っても、信じてもらえないだろうけど」

 彼女はどこか諦めたような口調で苦笑し、僅かに眼を伏せた。

 恐らく、否定されると思っていたんだろう。自分の存在が、この森を訪れる人々にとって脅威となっている事を、充分自覚しているからこそ。

 だが俺は否定しない。彼女の思いを見抜いたからこそ、そんな言葉は使わない。

「わかった。お前の言う事を信じるよ」

「……随分簡単に信用するのね。私は今日、初めて会ったばかりの人間なのよ? 全く疑おうとしないなんて、ちょっと考えが甘いんじゃないの?」

「何と言われようが、俺はお前の言葉を信じる。例えお前が、お前自身を疑ったとしてもな」

「……」

 シャルミナは酷く驚いた顔をして、静かに俺を見つめ返してくる。言葉を失っているものの、彼女はまだ、何か不満を並べたそうにしていた。

 しかし、俺はそれを待たなかった。ついさっき、彼女が口にしていた事が気になったからだ。

「ところで、その頼みたい事ってのは何なんだ? 『俺にしかできない』なんて、そんな大層な事が本当にあんのかよ?」

 俺が笑みを混ぜながら言ってやると、シャルミナは硬い表情を崩し、やや苦笑した。そしてそのまま、軽く俯いてしまう。

 まるで打ち明ける事を、躊躇っているかのように。

「……どうしたんだ?」

「あんたにこんな事を頼むのは、きっと筋違いなんでしょうけど……。それでも、お願いさせてほしいの」

 やや小声だが、しっかりとした口調でそう呟いたシャルミナは、俯かせていた顔を上げ、何かを決意したかのようにこう続けた。

「私が守ってるこの森の遺跡を、あんたの手で破壊してほしいの」

「!?」

 それは、耳を疑いたくなるような頼み事だった。




 ◆  ◆  ◆




「『妖魔』一族の生き残り……!? あんたが……!?」

 ディーンと別れ、一先ず集落へと引き返してきたリネは、レイミーとジグランの怪我を『治療』するため、自らの正体が『妖魔』一族の生き残りである事を、彼らに明かした。

 その際、リネはディーンの素性までうっかり話してしまい、二人を二重に驚かせてしまった。

 まじまじと見つめてくる二人の様子は、宛ら好奇心旺盛な幼い子供のようだ。嫌味のない奇異の視線を向けられ、リネは少し恥ずかしさを感じてしまう。

 レイミー達が宛がわれた小屋の中で、リネは『治癒』の力を使って、二人の身体の傷を同時に治していく。

 傷口に向かって、グローブを外した手を翳すだけという、これ以上ないくらい簡単な治療の過程を、二人は椅子に腰かけた状態で、物珍しそうに観察している。

(やっぱり初めて見る人にとっては、かなり不可思議な現象なんだろうなぁ)

 小屋の中に溢れる光は、治療経験者であるディーン曰く、『柔らかくて温かい』らしい。

 リネ自身は、この力で自らの傷を癒せないため、そういう感覚を得る事ができない。だからこそ、そんな風に言ってもらえた事が嬉しくて、同時に少し照れ臭い。

 つい最近まで、人前で『治癒』の力を使う事を恐れていたのが嘘のようだ。この力のせいで、孤独を経験する事が多かったというのに。

(でも、もう大丈夫。だって今のあたしには、大切な居場所ができたから)

 正体を知っても、初めて会った時と変わらない態度で接してくれる、紅い髪の少年がいる。この力を恐れる事なく使えるようになったのは、彼の存在があればこそだ。

 感慨深く思いながら、力を使い続けるリネ。

 すると、正面にいる二人の怪我人が、周囲に溢れる淡い光を、ぼんやり眺めながら口を開く。

「それにしても凄い偶然だわ。あんたが『妖魔』一族の生き残りだって事もそうだけど、まさかディーンが、あの『英雄』の弟子だなんて……。ねぇ、ジグラン?」

「そうだよなぁ。何か知らねぇ間に、凄ぇ奴らと知り合いになっちまったもんだ。もしかしてオレ達、もう人生の運を全部使い果たしちまったんじゃねぇか?」

 大袈裟なジグランの物言いが可笑しくて、リネは思わず笑ってしまう。

 彼やレイミーとは、今日初めて知り会ったというのに、自分でも驚くほど心を許してしまっている。きっと二人の適度に緩い言動が、自然とそうさせてくれているのだろう。

「ディーンは凄く強いんだよ! なんてったって、『炎を操る者(フレイム・ウォーカー)』なんだから!」

「『炎を操る者(フレイム・ウォーカー)』? 何それ?」

「ディーンの通り名だよ。あたしが考えたんだ!」

「へ、へぇ〜、そうなんだ……」

「?」

 少し自慢げにディーンの通り名を披露したリネを、レイミーはなぜか苦笑いして見つめ返してくる。ジグランに至っては、「何言ってんだお前?」と言いたそうな顔で呆然としている始末。

 何か可笑しな事を言っただろうか? と、不思議に思っている間に、二人の怪我は完治したようだ。傷痕は少し残るかも知れないが、ここまで治療できればいいだろう。

 リネは力の行使を止め、外していたグローブを着け直しつつ、立ち上がる。

「ん? どっか行くのか?」

 リネが小屋を出るつもりだと気付いたらしいジグランが、不思議そうに尋ねてきた。

「うん。村長――ダンテさんの所にね。ディーンに少し、頼まれた事があるんだ」

「頼まれたって、一体何を?」

 ジグランに代わって、今度はレイミーが首を傾げる。まるで同調しているかのように、二人の動作は首を傾げる方向から動きの速さまで、完璧に一致していた。

 そんな二人を見て、リネはまた笑わされてしまう。長い間、一緒に仕事をこなしてきた間柄だからこそ、ここまで息があっているのだろう。

「怪我が治ったばっかりなんだし、二人はここで待ってて。用事を済ませたら、すぐに戻ってくるよ」

「おいおい、そりゃないぜ。ジッとしてるなんてオレ達の性に合わねぇよ。なぁ、レイミー?」

 殺生なと言わんばかりに声を張り、立ち上がるジグラン。彼に同意を求められたレイミーも、意気揚々と腰を上げる。

「当然! 退屈は一番の敵だからね。例えあんたが迷惑だって言っても付いてくよ。死ぬほど暇になるくらいなら、あんたに嫌われる方を選んでやるわ」

「おーっ、よく言った! さすがだぜ、レイミー!」

「……もう、わかったよ。じゃあ、一緒に行こう」

 リネが苦笑しながら了承すると、二人は顔を見合わせて、互いの右手を打ち付けあった。全く以て本当に、彼らの息はピッタリである。

 二人を連れ立って小屋から出たリネは、真っ直ぐダンテの家に向かった。

 レイミーとジグランが宛がわれた小屋からダンテの家までは、五分程度の短い道のりだ。色鮮やかで綺麗な花が多く咲いている庭園を横目に見つつ、玄関の前まで辿り着いたリネは、ゆっくりとドアを二回ノックする。

 しばらく沈黙が続いた後、玄関のドアが静かに開き、少し物憂げな表情のダンテが顔を出した。

「――ああ、リネさんでしたか。それにレイミーさんとジグランさんも。……おや? もう怪我の方はよろしいのですか?」

 リネの能力の事を知らないダンテが、回復した二人を見て不思議そうな顔をする。

 すると、レイミーはニコリと笑いつつ、軽く右手を上げて応じる。

「ええ、何とか。村長さんこそ、さっきの騒動で怪我されませんでしたか?」

「私は大丈夫ですよ。……それより、ディーンさんの事が心配です。相手が少女とはいえ、あんな危険極まりない人間を止めるために、たった一人で残るだなんて――」

「ダンテさん」

 リネは真剣な面持ちで、二人の会話に割り込んだ。黙り込む二人に悪いと思いながらも、リネはゆっくりと切り出す。

「少し、ダンテさんにお聞きしたい事があるんです。構いませんか?」

「……ええ、構いませんよ。どうぞ」

 神妙な面持ちで応対したダンテは、静かにリネ達を招き入れた。彼は、リネが何を聞こうとしているのか、薄々勘付いているような表情だ。

 逆に、リネに付いて来たレイミーとジグランは、互いに顔を見合わせて不思議そうな顔をしている。何を話すつもりなのかわからない、と言いたげな表情だ。

 居間に通されてソファーに腰を下ろしたリネは、対面に座ったダンテの顔を静かに見つめる。するとそれだけで、彼は観念したように口を開いた。

「……そのご様子だと、どうやらお気付きになっているようですね。この村……いや、この森で何が起きているのかを」

「気付いたのは、あたしじゃありません。ディーンが気付いて、あたしに任せてくれたんです。ダンテさんから真実を聞き出す役を」

 リネが真剣な表情で告げると、ソファーの後ろに立っていたジグランが、訝しげな顔で尋ねてくる。

「なぁ、リネ。お前一体、村長に何を聞くつもりだ? あの紅髪(あかがみ)は、何に気付いたってんだよ?」

「……この森で殺人を行った、犯人の正体にだよ」

「! 何だと?」

「ディーンが言ってました。ジグラン達が埋葬してくれた遺体は、多分この森を通った旅人で……その人達を襲ったのは――」

 驚くジグランからダンテに視線を移し、リネは続ける。

 ディーンが気付いた、真実を。


「この村の、住民の皆さんなんですよね?」


「なっ……!?」

「違いますか、ダンテさん」

 絶句してダンテを見つめるジグランとレイミー。彼らの視線の先にいる当人は、辛そうに顔をしかめている。どうやらディーンが提示した推測は、的を射ているようだ。

 だが、驚いているのはリネも同じだ。ディーンに告げられた時も、そして今も、まだ信じられないという気持ちの方が強い。傍から聞いたとしてもこんな話、かなり荒唐無稽である事には変わりないのだから。

 黙ったまま返答を待っていると、やがてダンテは静かに、震えながら口を開いた。

「……もう耐えられない。私にはどうする事もできないんです……。お願いです! この村を、私達を助けてください! お願いします!」

 まるで神に許しを請うかのように、ダンテは涙を流しながら懇願してくる。そんな彼の悲痛な姿は、居間の窓から射す夕陽の光に晒され、鮮やかな燈色に染まっている。

 穏やかならざる空気が室内に満ちる中、集落に夜が迫っていた。




 ◆  ◆  ◆




 眩い橙色の光が、西の彼方に沈もうとしている。そんな中、徐々に暗くなりつつある周囲に気を配りながら、俺は落ち着いた歩調で少し前を歩くシャルミナの背中を、ジッと見つめた。

『私が守り続けた遺跡を破壊してほしい』

 真摯な表情で俺にそんな願い事を呟いた後、シャルミナは遺跡へ案内すると言って静かに歩き出した。

 なぜ彼女はあんな台詞を口にしたんだろう? 自分が守り続けた、一族の宝とも言える物を壊してほしいなんて、俺にはどうしても納得できない。それじゃあまるで、一族の存在理由そのものを、彼女自身で否定するようなもんじゃないか。

 一体シャルミナは、なぜそんな事を……?

「ディーンは『風守り』の一族の事、どのくらい知ってるの?」

 不意に、前を歩いていたシャルミナが背を向けたまま、歩調を緩める事なく尋ねてきた。

 特に質問の意図を探ろうとも思わなかった俺は、殆ど反射的に答えを返す。

「確か、『魔術戦争』時代に造られた遺跡を守り続けるために、一族の中で女だけが『魔術師』になる役目を担ってるんだろ?」

「ええ、その通りよ。じゃあどうして、女性だけがその役目を背負わされたんだと思う?」

「それは……」

 思わず首を傾げてみるが、もちろん考えた所で答えなんてわかる訳がない。

 そもそも俺は、今日この森を通ろうとするその時まで、『風守り』の一族どころか『魔女伝説』の存在すら知り得なかったんだ。そんな無知人間が、一族の深い事情に関する問題を出されて、「わかりました!」と即答できたら勲章ものだと思う。

 が、自称負けず嫌いなこの俺ディーン・イアルフスは、それでもああでもないこうでもないと、考えを巡らせてみる。

 すると、まるで「時間切れです残念!」と言わんばかりに、シャルミナは立ち止まって俺の方を見た。

「女性は子供を産む事ができるから、よ。この森で生き続ける一族が子孫を残し繁栄するためには、女性に遺跡を守る役目を負わせ、この森から出ないようにしなければならなかった。だから一族の中で、『魔術師』になるのは女性だけだったのよ」

 結局答えさせてくんねぇのかよ、と若干不満に思ってしまった俺ではあったが、ふとある疑問が脳裏を過る。

「ん? でも森から出ないようにって言ったって、そんなの個人の勝手だろ? いくら一族の役目だからって言ったって、みんながみんなそれを守るとは限らねぇんじゃねぇのか?」

「……あんたの言う通りよ。例え役目を背負わされた身だったとしても、人間の好奇心っていうものは、そう簡単に抑圧できる感情じゃない。現に私が生まれるずっと以前から、一族の中には外の世界に憧れを抱いて、自らの役目を放棄する者が何人もいたそうよ。だから、そんな一族への背信行為を防ぐために、一族の長達はある手段を用いる事にしたの。一族の役目と掟を重んじる彼らが、『私達』に一体何をしたのか。ディーン、あんたにはわかる?」

 悲嘆に暮れているかのようなシャルミナの表情を、俺は黙って見つめ返す事しかできない。単純に質問の答えがわからなかったというのもあるし、彼女の表情が切な過ぎて、眼を逸らすのが憚られたというのもあった。

 だけどなぜだろう。彼女の薄紅色の瞳は、俺を捉えていないように思う。まるで記憶の彼方にいる誰かを虚空に映し出して、ジッと見据えているかのようだ。いや……もしかしたら、シャルミナが今現実に転写している人物は、その一族の長って奴なのかも知れない。

 と、そう思い至った時だった。

 彼女は徐に、自分の服の胸元辺りを掴んで強引に引き下ろした。

 何の前触れもなくその行為を見せ付けられた俺は、何が起きたのかを理解するのに数秒の時間を要した。やや硬直し掛かっていたものの、両手を動かして顔を覆い、視界を遮断させる。

「なっ、何してんだよいきなり!?」

 慌てて目隠ししてみたが、実はすでに手遅れだった。俺の脳内には、シャルミナの白くてきめ細かくて柔らかそうな肌が、鮮明な映像としてバッチリと焼き付いてしまっている。

 一瞬で跳ね上がってしまった鼓動は、治まる気配がない。にも拘らず、シャルミナは続け様にこう言ってきた。

「これを見てディーン。見てくれたら、それでわかると思うから」

「ッ!?」

 今の台詞から察するに、どうやらシャルミナはさっきの格好を保ち続けているらしい。

 って言うか何なんだこの状況! まさか誘惑でもされてるのか!?

 顔を手で覆ったまま悶々としている俺を、しかしシャルミナは静かに待っているようだ。

 こうなるともう、彼女の言葉に従うしかないだろう。このままずっと、シャルミナに妙な格好をさせておく訳にもいかない。

 意を決した(何に対してなのかは自分でもわからないが)俺は、恐る恐る両手を退けて、彼女の方を注視する。

 ごめんシャルミナ! ……と訳のわからない謝罪を心の中でした俺は、ふと視界の中に異様なものを見つけて眉根を寄せた。

「! お前、それ……」

 視界に捉えたのは、シャルミナの左胸。丁度鎖骨の下辺りにある、刺青のように身体に彫り込まれているらしい、不可思議な記号のような物。それが何なのか、『魔術師』である俺にはすぐわかった。

「『印術』、だよな」

 俺達『魔術師』は、『魔術』の力を発動させる手段の一つとして、紙や札、武器や防具といった物に特殊な記号を刻み付け、ある程度の『魔術』的な力を発揮させる技術を用いる事がある。

 それが、『印術』と呼ばれる手法だ。

 シャルミナの左胸にある刺青のような記号も、『印術』を用いた『魔術』の一種であり、その形は明確な意味合いを持っている。

「これこそが、『風守り』の一族をこの森に縛り付けてる『呪い』よ」

 そう言って、シャルミナは服にできた皺を丁寧に直しながら、やや俯き加減で悲しげに笑う。

 今はもう服の下に隠れてしまったさっきの記号。あれは『印術』の中で、『風』に分類されるものだったはずだ。

『魔術』的な記号を用いる『印術』に於いて、その用途や属性は様々ある。

 例を挙げるとすれば、以前『テルノアリス』で戦ったアーベント・ディベルグ。奴も『魔術』的な力を操るために、『炎』の記号が刻み込まれた籠手を使い、自爆する際には『爆発』の記号が刻まれた札も使っていた。

 もちろんそれ以外にも、今までに何度か『印術』を眼にする機会はあった。だが彼女のように、身体に直接『印術』を彫り込んでいるというのは見た事がない。

 それに彼女は言った。これは『呪い』だと。

「どういう事だよ、シャルミナ?」

 記号の意味が理解できても、それがどういった効力を発揮するのかまでは俺にもわからない。

 しかし、だ。

 彼女が『呪い』と称するような代物である以上、そして『魔術』が殺傷に特化した技術である以上、その答えは自ずと導き出せてしまう。

 シャルミナは伏し目がちな表情で、どこか弱々しく吐露する。

「この『印術』……、『呪い』のせいで、私はこの森から出る事ができないの。多分、一種の結界のような物なのかな? 遺跡から一定以上の距離を取ろうとすると、この『呪い』は、私の身体を容赦なく傷付ける。もし私が完全に森の外に出たとしたら、その瞬間、私の身体はバラバラになるでしょうね」

「そんな……」

 思わず凄惨な光景を想像してしまい、俺は言葉を詰まらせた。

 遺跡から、森から離れようとしただけで、『印術』が対象者を殺そうとするだって? 掟を守らせるために、一族の長達はそんな危険な代物を、彼女の身体に刻み込んだってのか?

「でもね、この『呪い』を刻み付けられても、外の世界に憧れる人は後を絶たなかったわ。死ぬのを承知で遺跡を離れて、帰って来なかった人達は何人もいた。しかもその内、何の因果か一族の中で酷い疫病が流行ってね。一族は私を残して、誰一人いなくなったわ。『呪い』という呪縛だけを、私に残してね……」

 シャルミナは悲しげな表情のまま、俺を真っ直ぐに見つめてくる。

 憂いを帯びたその姿は、脳裏に浮かんだとある少女と、酷く重なって見えた。

「だけど私にもまだ、救いの道が残ってた。偉大な力を持つ『英雄』の弟子であるあんたなら、きっとあの遺跡を壊せるだけの力を持ってるはず。そう思ったから、私はあんたを呼びに来たの。私をこの地に縛り付けてる『呪い』から、解放してもらうために」

「……」

 シャルミナの悲痛な願いを聞いて、俺はしばらく黙り込む事しかできなかった。

 確かに彼女の境遇は不幸だと思う。俺なんかの力で助けられると言うなら、いくらだって力を貸してやりたい。

 しかし、いいのだろうか? 彼女の思いを、頼みを、願いを叶えるためとはいえ、今ここで、何の躊躇いもなく首を縦に振ってしまっても。

 一人の少女を助けるために、とある一族が何百年も守り続けた遺跡を破壊する。何だかそれは、身勝手な破壊行為にもっともらしい理由を付けて、行動そのものを正当化しようとしているだけなんじゃないだろうか。

 悩む俺を尻目に、シャルミナは踵を返して再び歩き始めてしまう。

 ここで立ち尽くしている訳にもいかず、俺は仕方なく彼女の後を追った。




 ◆  ◆  ◆




 不意に前方の視界が拓けてきたのは、森の奥へと進み続けて十分は経ったかという頃だった。シャルミナの後に続いて、乱立する木々の隙間から抜け出た俺は、眼の前の光景を見て息を呑んだ。

 神秘的、という言葉は多分、こういう時にこそ使うものなんだろう。

 そこはまるで庭園のようだった。

 恐らく、正円を描く形で開拓されているその場所の至る所には、紅梅(こうばい)色や(すみれ)色といった、色鮮やかな花弁を付けた花々が咲き乱れている。

 そんな花々の絨毯から視線を外すと、次に眼を引いたのは、中央にそびえる、やや灰身掛かった石造りの遺跡だ。正方形型と思われる遺跡の一辺の幅は、大体一〇〇メートルぐらいだろうか。高さは周囲の木々よりも低いため、俯瞰で見ない限り、森の奥にこんな建物があるとは誰も気付けないだろう。

 遺跡の外壁は、何百年も経っているとは思えないほど古びた様子がなく、所々に立つ石柱や不可思議な形をしたモニュメント群は、西の彼方に沈みつつある陽光を受けて、神々しくも儚げな輝きを放っている。

「ス、ゲェ……。綺麗だ……」

 語彙力の乏しい自分を責めたくなってしまうほど、眼の前の光景は美しい。そんな景色を見たからこそ、俺は余計に抵抗感を覚えた。

 シャルミナを助けてやりたいと思ったのは事実だが、俺個人の勝手な判断で、この優美な景色を瓦礫の山へと変えてしまう事に、どうしても納得がいかない。

「どうしたの、ディーン?」

 遺跡の隅から湧き出している、普段は青く透き通っているはずの泉は今、沈み掛かった太陽の光で橙色に染まっている。

 その畔に佇み、迷いで顔をしかめている俺に、追い打ちを掛けるかのようなシャルミナの声が聞こえた。

 多分、彼女は気付いているんだろう。俺が、遺跡を破壊する事を躊躇っていると。

「……悪いシャルミナ。やっぱり俺には、この場所を破壊する事なんてできない」

 彼女が落胆する表情を見たくなかった俺は、わざと水面に視線を落としてそう言った。

 すると案の定、シャルミナは少し曇った口調で問い掛けてくる。

「どうして? ディーンは……、私を助けてくれないの?」

「そうじゃない! 俺だって助けてやりたいと思ってるさ! ……だけど」

「だけど?」

「お前はどう思ってるかわかんねぇけど、『風守り』の一族が何百年も守ってきたこの遺跡は、今日たまたま通り掛かっただけの俺が、勝手な気持ちで壊していいような物じゃない気がするんだ。それに見てみろよ」

 俺はシャルミナを正面から見据えつつ、彼女の視線を促すつもりで、遺跡の風景に手を差し向けながら続ける。

「この景色、お前は綺麗だとは思わないか? 神秘的だと思わないか? お前にとっては辛い場所なのかも知れねぇけど、でもここは、お前が生まれ育った場所でもあるはずだろ? ……だから俺にはできない。そんな大切な場所を、お前が存在したっていう証が残ってる場所を壊す事なんて、俺には……」

「……」

 シャルミナは沈黙を守ったまま、静かに俺の言葉に耳を傾けていた。彼女の薄紅色の双眸に、情けない顔をした男の姿が、薄らと映り込んでいる。

 助けてくれないのなら用はない。そう言って、突き離される可能性だってあっただろう。

 だけど俺は、意見を曲げなかった。だってそれが、俺の素直な気持ちだったからだ。

 神妙な思いでシャルミナが話し出すのを待っていた俺は、しかしそこで思い掛けないものを眼にした。

 すぐ眼の前にいる彼女が、どこか可笑しそうにクスッと笑ってみせたのだ。森に入った直後、凄まじい殺気を放っていたシャルミナからは想像もできなかった、自然な笑みを。

 若干唖然とする俺を他所に、シャルミナは優しげに笑いつつ口を開く。

「優しいんだね、ディーンは。何だかこうしてあんたと話せてるのが、凄く新鮮な感じがする。外の世界の人間と話す機会なんて、それこそあのレイミーとかジグランぐらいだったから、余計そう思うのかな」

「シャルミナ……」

「やっぱり頼むべきじゃなかったよね、こんな事。一族とは関係のないディーンを巻き込んでまで、叶えるような事じゃないんだよ、きっと……」

 そう言って、シャルミナは軽く俯いた。その瞳は、表情は、助かる事を諦めてしまっているように見える。

 ……ああ、俺だって充分わかってる。自分が優柔不断な事を言っているのは。だけどそれでも、どちらか片方を選ぶなんて事、俺にはできそうにない。

 だからこそ考えるんだ。

 新たな糸口を。

 どちらか一方を選ぶのではなく、どちらも失くさなくて済む、そんな夢みたいな解決策を。

 ……そういえば、気になった事が一つある。

 シャルミナを縛りつけているあの『印術』は、一族の長達がまだ生きていた頃に、彼女の身体に刻み込んだ物だ。つまり『印術』を刻み込んだ張本人は、すでにこの世には存在していないという事になる。

 ではなぜ、あの『印術』の力は発動し続けているのだろうか。

 術者がいなくなったにも拘らず、その効力を発揮し続けている理由。

 ……! もしかして、『そういう事』なのか?

 仮にこの考えが正しいものだとすれば、シャルミナを自由の身にする事は可能なはずだ。そして恐らく、遺跡その物を破壊する必要もなくなる。

 だったら善は急げだ。シャルミナにも協力してもらって、すぐにでも――


『やれやれ、実に下らん慣れ合いだ。反吐が出るほどにな』


「「!」」

 それはまるで、新たな行動を起こそうとする俺を、阻害するかのような声音だった。

 不意に遺跡の敷地内に響き渡った、愉快そうに低く笑う男の声。遺跡の壁に反響しているからなのか、男の耳障りな声はあらゆる方向から木霊してくる。

「誰!? どこに隠れてるの!?」

 俺と同じく、相手の邪悪さを感じ取ったのだろう。シャルミナは語気を強め、頻りに辺りを見回し始めた。

 警戒している彼女の横で、俺は右手に炎を集束させ、『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』を造り出す。

 こうなる前から、俺には確信に近い予感があった。シャルミナに付いていけば、今回の一件に関わる何か、例えば事件の黒幕に遭遇する事ができるんじゃないか、と。

 どうやら、その予感は当たったらしい。俺は自分の右側、六メートルほど離れた位置にある石柱の陰に向かって、視線と言葉を投げ掛ける。

「そこにいるんだろ。隠れてないで出て来いよ」

 すると、正解だと言わんばかりに、石柱の陰で何かが動いた。それに合わせて、傍らのシャルミナが即座に身構える。

「クク……。その言い草、どうやら俺様の存在に気付いていたらしいな。さすがはミレーナ・イアルフスの弟子と言った所か?」

 短い草の生えた地面を踏み締めつつ、まるで揺らめく陽炎のようにゆっくりと姿を現したのは、全く見覚えのない男だった。

 軽く癖の付いた長い黒髪。身体の肉付きはあまり良くないらしく、顔の頬骨が浮き出ている。シャルミナと同じく、闇に溶け込んでしまいそうな黒いマントに身を包むその姿は、ただ見ているだけで、安易なまでに死神を連想してしまう。

 一体どこで聞いていたのか知らないが、眼の前の男は俺の素性を知っているらしい。

 俺は顔をしかめつつ、悪意に満ちた存在に向けて、炎剣の切っ先を差し向けた。

「人の話を盗み聞きするなんて、あんまり趣味がいいとは言えないぜ、『魔術師』さんよ!」

「えっ……、どういう事? あの男が『魔術師』って……」

 傍らで驚いた表情を見せるシャルミナに向かって、俺は快活に笑って言ってやる。

「どうもこうもねぇよ。人を食い殺す『魔女』の正体。あいつこそが、この森で旅人を襲ってた張本人だ!」

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