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フレイム・ウォーカー  作者: エスパー
魔女の森編
17/122

第一章 魔女との出会い

「――お客さん。悪い事は言わないから、あの森を通るのだけは止めときな」

 眼の前に数多く並べられた、林檎や梨などの果物の山から視線を外し、俺は声の主であるこの商店の店主の顔を見た。

 男の店主は、並べられている林檎のように、丸々としたその顔を心配そうに歪め、どことなく戦々恐々としている。

 なぜこんな展開になったのか。そもそもの発端は、俺が自らの行き先をこの店主に告げ、どのようにしてそこまで行くかを説明したからだった。

 俺はある目的のため、この『ファレスタウン』という街から北にある湖上都市、『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』を目指している。しかし、この二つの街の間には、広大な森林地帯が連なっているのだ。

 一応、迂回路として線路が配備されているのだが、『とある事情』によって、北へ向かう列車は運行していない。となると、徒歩で進む事になる経路は、必然的に限られてくる。

 だからこそ俺は、特に何の意識もせず、真っ直ぐ森を抜ける旨を店主に説明した。

 ――で、この顛末という訳だ。

 正直、状況がよく呑み込めない。店主は一体、何をそんなに警戒しているんだろう?

「止めときなって、何か不味い事でもあるのか?」

 首を捻りつつ尋ねると、店主は待ってましたと言わんばかりに、顔を近付けて小声で話し掛けてきた。

「不味いなんてもんじゃないよ。あの森は危険だ。何せ『魔女』が住んでるって言われてるんだから」

「『魔女』?」

 元々捻り気味だった首を、俺はさらに捻ってしまう。店主は随分気味悪がっているようだが、昔からよくある言い伝えか何かだろうか?

 呆けている俺を尻目に、店主は聞いてもいない事まで饒舌に語り始める。

「何でも森の奥深くに住み付いてるらしくてな。あんたみたいな旅人が、誤ってその『魔女』に遭遇しちまって、無残にも食い殺されたなんて話もあるんだよ。現にあの森に入って、行方不明になったまま帰って来ない人間が、大勢いるって話だからなぁ」

「なぁ。それって『魔女』じゃなくて、『魔術師』の言い間違いなんじゃないのか? 大体、何で女だってわかるんだよ?」

「いやいや、『魔術師』なんて高尚な存在じゃないさ。だって人を食い殺すような奴だぞ? まぁ女だってわかるのは、その『魔女』に襲われて、何とか逃げ切った旅人が言ってたからなんだとよ。長い牡丹色の髪をした女だった、ってな」

「ふ~ん……」

 然して興味が湧かなかった俺は、適当に相槌を打っておいた。

 それにしても、『魔女』とはまた禍々しい呼び方をされてしまったものだ。まぁ、『魔術』の知識が全くない一般人にしてみれば、女の『魔術師』を『魔女』と呼んでしまう気持ちもわからなくはない。

 俺は品物を選んで代金を支払い、早々にその商店を後にした。

 店主は最後まで、

「あの森には近付くなよ!」

 なんて口走っていたが、こっちはそういう訳にもいかないんだ。

 食料を荷物の中に詰め、俺は街の出口に向かって軽快に歩く。旅の同行者である、とある少女と合流するためだ。

 目的の場所に辿り着くと、意外にも相手は、俺より先に待っていた。

「遅いよ、ディーン。何してたの? 買い物はできた?」

 やや不満そうに俺の名を呼び、質問を浴びせる黒髪の少女。黒真珠のような煌きを放つ、髪と同色の瞳が印象的だ。

 彼女の名前はリネ・レディア。

 この街に着く以前、『首都・テルノアリス』で起きた『とある出来事』をきっかけに、俺が一緒に旅をする羽目に、もとい俺と一緒に旅をする事になった少女だ。

 その『とある出来事』が何なのかは、説明が長くなるので省略するが、とにかく俺達は、ここから北にある湖上都市、『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』を目指している途中という訳だ。

「とりあえず買い物は終わったよ。面倒臭い連中に、何度か絡まれはしたけどな」

「え、何? ケンカでもしてきたの?」

 少し驚いた様子のリネに、俺は呆れて言い返す。一体どんな想像してんだよ、お前は?

「そうじゃねぇよ。品物を買う度に、その店の店主に絡まれただけだ。『あの森は危険だ』とか、『魔女が住んでる』とか。ったく、耳にタコができるっつーの」

 やれやれと思いながら、浅く溜め息を吐く。この街の人間は、どうやら本気で、その『魔女』だか何だかの存在を信じているらしい。

 もし、本当にそんな存在がいるのだとすれば、それは単なる言い間違いなんじゃないだろうか。

 俺自身、『魔術』を操る人間の事は、男だろうと女だろうと『魔術師』としか呼称しない。たまに相手の事を揶揄して、『化物』だの『人間兵器』だの、『魔女』だのと呼ぶ輩もいるが、今回の場合、それとは少し意味合いが違っているように思う。

 人を簡単に殺せる力を持った人間は、間違いなく『魔術師』を於いて他にはいない。とはいえ、さすがに人を『食い殺す』ような真似をする『魔術師』の話は、一切聞いた事がないけれども……。

 それに考えてみれば、『魔女』だの何だのを抜きにしても、今から向かう森には、何かしらの危険な存在が待ち構えている可能性がある、という事だ。

 が、幸いこの街には『ギルド』がある。街の人間がこれだけ騒いでいるんだから、多分『ギルド』の連中も対策を講じているはずだ。旅人を襲撃する存在が本当にいるんだとすれば、その内彼らが捕まえるだろう。

 ……ま、それがいつになるかは、『ギルド』の連中の腕次第な訳だが。

 と、そんな事を考えている俺の隣で、リネがふと何かを思い出したような表情を浮かべる。

「ああ、それならあたしも言われたよ。今から行く森林地帯って、『魔女伝説』が残ってるんでしょ?」

「『魔女伝説』?」

 リネの何気ない言葉で、俺の頭に疑問符が浮かんだ。彼が商人達から聞いた話とは、少し内容が違っているようだが……。

「それ、どんな伝説なんだ?」

「あたしが聞いた話だと、この森林地帯のどこかに、『魔術戦争』時代に造られた遺跡があるらしくてね。そこを守る役目を負った『風守り』って呼ばれる一族が、数百年経った今でも遺跡を守り続けてるって話だったよ。どうして『魔女』って呼ばれてるかって言うと、その『風守り』の一族は、女性だけが『魔術師』になる役目を担ってる一族だったんだって」

「はぁーん、だから『魔女伝説』って訳か。でも伝説って呼ばれてるって事は……」

「うん。実際にその遺跡があるのかどうかはわかってないし、そういう一族が実在したっていう、明確な証拠はないんだってさ」

 ……なるほどねぇ。まぁ実際、伝説なんてどれもそんなモンだろ。本気で確かめようとする奴なんて、数が限られてるだろうしな。

 それなりに興味深い話ではあったが、特に探求心が湧く訳でもない。そんな伝説もあるのか、ぐらいで考えるのを止め、情報を頭の隅へと追いやる。

「ま、伝説自体は、俺達には関係のない事だ。とにかく先を急ごうぜ」

 適当に催促すると、リネも別段気にした様子もなく、元気良く頷いた。

 快晴の空の下、俺達は揃って街を後にした。




 ◆  ◆  ◆




 食料調達のために寄った『ファレスタウン』と、『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』の間にある広大な森林地帯は、『ゴルムダル大森林』と呼ばれている。

 購入した周辺地図を見て初めて知ったが、確かに範囲が半端なく広い。つい数日前まで過ごしていた『首都・テルノアリス』の街並みが、軽く十個ぐらいは納まるんじゃないかというほど、とにかく広い。

 これほど広い森を抜けるためには、かなりの労力と時間を要するはずだ。

「……ねぇディーン」

「何だよ?」

「今更だけど、本気でこの森を抜けるつもりなの?」

「……どういう意味だ?」

 入口、と呼んでいいのかわからないが、眼の前には森の奥へと続く獣道がある。その一歩手前で立ち止まっていた俺達は、そんな風に会話を始めた。

 視線の先は、鬱葱とした草木に覆われていて、陽の光が上手く届かないせいか、奥の方は若干薄暗くなっている。まさに魔の巣窟、と言った感じだ。

 すると突然、首の骨が折れるんじゃないかというような勢いで、リネは俺の方に悲痛な表情を向けてきた。

「だって見るからに怪しい森だよ? しかもすっごく広いんだよ? 抜けるのに何日掛かるかわからないんだよ? 何が出てくるかわからないんだよ!? それに、さっきディーンが言ってた『魔女』さんに遭遇したら、一体どうするつもりなの!?」

「だぁぁぁっ! もう、うるせぇな! 俺だってそんな事わかってんだよ! でも仕方ねぇだろ!? 列車を使いたくても、どっかのバカが『首都』に停車してた列車を、駅ごと爆破しちまったんだから!!」

 今にも縋り付いてきそうなリネから離れながら、俺は叫ぶ。叫ばずにはいられない。

 そう。その『どっかのバカ』のせいで、現在ジラータル大陸を走る列車の約四割が、正常に運行できなくなっている。だから俺達は、こうして歩く羽目になっている訳だ。

 何度でも言うけど、『どっかのバカ』のせいで。

「とにかく! 『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』へ行くって決めた以上、俺は歩いてでも行く! 森を通るのが嫌だって言うなら、お前とはここでお別れだ!」

「酷いよディーン! あたしの事嫌いになっちゃったの!?」

「そういう話をしてんじゃねぇぇぇぇっ!!」

 話を脱線させんな! 大体何でそんな結論に達するんだよ!?

 俺は思いっ切り、深く溜め息をついた。

 ついこの間まで一人旅の身だったはずなのに、どこで何を間違ったのか、この少女と行動を共にするようになって、早数日。間違いなく確実に、俺は気疲れする場面が多くなったと思う。

 ……まぁ、どうこうも、この結果を許容してしまったのは俺なんだから、今更文句を言ってもどうにも……いや、そうでもないのか?

「わかったよぉ、わかりましたよぉ……。行けばいいんでしょ行けば……」

 薄情な事を思う俺の横で、リネは酷く不貞腐れたように肩を落とした。ってか、何で俺が悪者みたいになってんだよ?

 もう一度溜め息をついてから、俺は彼女を連れ立って、広大な森林地帯に足を踏み入れた。

 何となく、長い道のりになりそうだという不思議な予感がしたものの、俺は無言のまま歩を進める。

 すでに弱々しい足取りになっている隣の少女に、変な追い討ちを掛ける気にはなれなかった。




 ◆  ◆  ◆




 多分、一時間近く歩いた頃だろう。不意に隣を歩いていたリネが、ペタンと地面に座り込んでしまった。

「何だ、疲れたのか?」

 俺は立ち止まって、草の生えた地面に(うずくま)るリネに声を掛けた。

 すると案の定、非常に弱々しい声が返ってくる。

「……ディーンは疲れてないの?」

「別に。この程度の獣道を歩くのなんて、旅してりゃあ日常茶飯事だからな。荒野だろうが森だろうが、歩き慣れちまえば大した差はねぇよ」

「……いいよね、ディーンは。まさに怖いもの無しって感じでさ」

 ……何だよ。もしかして喧嘩売ろうとしてんのか?

 少々イラッとしながらも、俺は(うずくま)るリネの傍まで近寄り、膝を付いて目線を同じにする。

「疲れたんなら、無理に歩けとは言わねぇよ。背負って行ってやるから、どこか休憩できそうな場所を探して、そこで一旦休もうぜ」

「……」

「……リネ?」

 何だかリネの様子がおかしい。俯いたまま顔を上げない。

 おいおいまさか、何か変な毒を持った虫に、刺されたか噛まれたかしたんじゃねぇだろうな!?

 俺はそんな風に焦りを覚え、彼女の肩に触れようとした。

 すると、その時。

「……ふふっ」

 忍び笑いみたいな微かな声が聞こえて、俺は思わず静止した。

 声を出しているのはもちろん、眼の前にいるリネだ。彼女は笑うのを必死に堪えているかのように、その華奢な身体を小さく、小刻みに揺らしている。

 と、ついに我慢できなくなったのか、リネは勢い良く立ち上がると、大声で笑い始めた。

「あはっ、あははははははははっ!」

 ……どうしたんだ、この女。笑いが止まらなくなる毒キノコでも食べたのか?

 狂ったように笑い続けていたリネは、やがて唖然としている俺を見て、息苦しそうな顔で謝ってくる。

「ご、ごめんごめん。別におかしくなった訳じゃなくてね」

 言いながらリネは呼吸を整え、目尻に溜まった涙を軽く拭って続ける。

「ディーンがあんまり心配そうに話し掛けてくるから、可笑しくなっちゃって。それに、嬉しいなぁとも思っちゃったんだ。普段は結構冷たいけど、いざって時は優しいんだね」

 そう言ってリネは朗らかに笑う。本当に、嬉しそうな笑顔を見せる。

 俺は、そんな彼女の様子を見つめて、フッと優しく笑い返した――

 訳がなかった。

「バカかてめぇぇぇはぁぁぁぁぁっ!!」

 俺は膝の骨が砕けんばかりの勢いで立ち上がって、大声で叫んだ。またもや叫ばずにはいられなかった。

 俺の唐突な大絶叫に、リネは酷く驚いた顔で硬直した。

 良い雰囲気が台無しなのは充分承知してる。って言うか、そんなモン俺の知った事か!

「こっちは本気で心配して、本気で気を遣ってたんだよ! それが何だ!? 心配そうに話し掛けてくるのが可笑しくてだと!? バカにしてんのかてめぇは!?」

「だ、だって――」

「だってもクソもあるかぁぁぁぁぁぁっ!!」

 反論される前に絶叫で封じるという力技で、無理矢理会話を遮断させる。

 ぜぇぜぇと息を切らす俺を見て、リネはようやく自分の立場を理解したのか、急にしょぼんとした顔になった。

「……ごめんなさい」

 子供が親に叱られて、しかしまだ納得がいっていないと言いたげな不貞腐れた様子で、リネは呟いた。ちょっと唇を尖らせている辺り、やはり反省はしていないと思われる。

 前々から何度も思っている事だが、本当にこいつは、振る舞いやら何やらが、幼い子供みたいな奴だ。

「ったく、無駄な体力使わせやがって。何ともないんならさっさと行くぞ」

「はぁ~い……」

 と、間延びした返事を返すリネ。やっぱ反省してねぇなこの野郎……。しかもまだ普通に歩けるんじゃねぇか。

 俺は若干顔をしかめたまま、再び獣道を歩き出そうとした。

 だが、その時。

「――!」

 不意に妙な気配を感じ取って、即座にその場で踏み留まる。俺の動作があまりにも突然だったせいか、傍らのリネが、ビクッと肩を震わせた。

「ど……どうしたの、ディーン?」

「静かにしてろ」

 短く返し、辺りに意識を集中させる。

 ……何かがいるのは間違いない。ただ、それが人なのか獣なのか、細かい所まで判別できない。

 しかし、向こうはどうやら、俺達に狙いを定めているらしい。

 狙いを定めるとはつまるところ、何者かから向けられているのだ。


 まるでこちらを射抜くかのような、凄まじいまでの殺気を。


 気配の主を探していた俺は、ふと街で聞いた『魔女』の事を思い出した。

 人を食い殺すだとか、伝説の一族だとか。何が正しくて、何が間違っているのかわからないが、この森に危険な存在がいるのは確かなようだ。

「出来れば穏便に済ませたいんだけどな――!」

 瞬間、俺はリネの手を握り、森の奥へ向かって一目散に走り出した。

「ちょっ、ちょっとディーン! 何、突然!?」

「何かよくわかんねぇ奴に狙われてんだよ、俺達は! 殺されたくないなら黙って走れ!」

「こ、殺すって……」

 いきなり物騒な単語を耳にして、リネはかなりの衝撃を受けているらしい。

 困惑している彼女を他所に、俺は走る速度を徐々に上げる。

 この場にいたのが俺一人だったなら、多少の無茶もできたのだが……。仮に戦闘になった場合、リネを巻き込んでしまう可能性が大いにある。

 せめて相手の正体、或いは目的がわかれば、対処のしようもあるんだけど……。

 と、思考していた最中だった。

 鋭く風を切るような音が、鼓膜を刺激した瞬間、俺とリネの足許に何かが飛来して、地面を易々と弾き飛ばしたのだ。

「なっ……!?」

 衝撃波に煽られ、気付けば俺とリネの身体は、軽々と宙を舞っていた。

 数メートルほどの距離を飛ばされ、長い草が生い茂る草むらへと叩き付けられる。

 受け身を取る暇なんてなかったが、幸いな事に、草が落下の衝撃を和らげてくれたらしい。そのおかげで、俺達は怪我を負わずに済んだ。

「くっそ……! おい、リネ。大丈夫か?」

「う、うん……、何とか」

「ならいい。お前は少しの間、ここに隠れてろ。身を屈めてジッとしてるんだぞ。いいな?」

 早口でリネに捲し立て、返事も聞かずに草むらを飛び出す。

 相手が何者なのか未だにわかんねぇけど、これ以上好き放題されてたまるか!

 憤慨する俺に的を絞ったのか、殺気の主の気配が、俺の後を追ってくる。そうしてくれるなら、こっちとしては好都合だ。

 リネのいる草むらから充分な距離を取るため、俺は森の中を右へ左へ乱雑に走り続ける。

 ……よし、これだけ離れてしまえば問題ないだろう。やられた分は、きっちりお返しを――

 と、今まさに炎を生み出そうとしていた俺は、別の重大な問題がある事に気付き、即座に考えを改めた。

 不味いな……。いやこれは不味い、非常に不味い。こんな肝心な事を失念していたなんて、我ながら迂闊過ぎる。


 さて問題です。炎の『魔術』を操る事を得意とするこの俺、ディーン・イアルフスは、一体今どこを走っているでしょう?


 自分自身に問うてみたものの、その答えは簡単なものだった。

 周囲一面には、青々とした草木が鬱葱と生い茂っている。そんな緑豊かな森林地帯のド真ん中で、今俺は何をしようとした?

「こんな所で炎を生んだら、あっという間に火事になっちまうじゃねぇか!」

 声に出して確認する辺り、俺にはまだ若干余裕があるらしい。自分で言うのも何だけど、さすが数々の死線を潜り抜けてきただけの事はあるよなぁ。

 ……なんて、感心している場合じゃなかった。

 思わず立ち止ってしまっていた俺のすぐ傍を、一陣の強い風が走り抜けた。

 その瞬間、太く逞しい幹を備えた木が、深緑鮮やかな背の高い草が、鎌や鉈で刈り取られるかのように、呆気なく切り刻まれていった。

「ただの風じゃない……。鎌鼬(かまいたち)……!?」

 未だに向けられている、尋常ならざる殺気。そして、自然現象とは考え難い殺人的な風。

 これらが意味する、襲撃者の正体は――

「『魔術師』か!」

 俺は鎌鼬(かまいたち)が飛んできた方向から、相手の位置を瞬時に割り出した。

 そうしてついに、襲撃者の姿を視界に捉えた。

 大樹の傍らに佇んでいるのは、俺と同じくらいの歳の、落ち着いた雰囲気のある少女。

 その少女の容姿は、『ファレスタウン』の商人達が、口々に言っていた『魔女』の容姿と、瓜二つだった。

 牡丹色の長い髪。『魔女』を連想させるのにピッタリな黒いマントの内には、同じく黒い布製の服。丈のやや短いスカートからは、色白く細い足が二本伸びている。

 薄紅色の瞳には、少々剣呑な光が宿っているように思うが、俺は視線を吸い寄せられ、少女の顔に見入ってしまう。

 お互いの距離は五メートルほど。だがすでに、辺りに生えていたはずの草木は、鎌鼬(かまいたち)によってそのほとんどが薙ぎ払われている。

 俺と少女を隔てる物は、何一つない。

「お前、一体何者だ?」

 牡丹色の髪の少女が、『魔術師』だろうという事は予想できている。

 俺が知りたいのはそこじゃない。彼女の存在その物だ。

「あんたこそ、どこの誰よ?」

 落ち着いた口調で尋ね返してくる少女は、その薄紅色の瞳に鋭い殺気を含むと、右手を僅かに動かそうとする。

 何らかの攻撃の前触れ――!

「ま、待ってくれ! 誤解だ!」

「……!」

 瞬間的に危険を察知した俺は、しかし反撃ではなく、咄嗟に少女を制止する方を選んでいた。

 一体何してんだ、俺? 話が通じる相手とは限らねぇってのに……。大体、何が誤解なのか自分でもわかってないのに、誤解だなんて言ったところで――

 と、ごちゃごちゃ考えていた俺は、遅れて気付いた。

 なんと意外にも、少女は動きを止めてくれている。その瞳からは未だに殺気が消えていないが、俺の様子を窺うかのように、黙ってこちらを見据えている。

「……それで、一体何が誤解なの?」

 いやはや全く仰る通り。そりゃあ気になりますよねぇ……。

 このまま黙っていると、また攻撃されてしまう。そう思うと、何だか身体中から嫌な汗が出始めた。

「えーっと、その、だから、つまり……」

 言葉が完全にしどろもどろになっている。時間を喰うほど、少女の眼光が徐々に強くなっているのは、決して気のせいなんかじゃない。答えを間違えたら殺される!

「お前が俺を狙う理由だよ。そう、それ。俺はお前に危害を加えるつもりはない、本当だ。俺は『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』へ向かう途中で、たまたまこの森に入っただけなんだ」

「『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』……?」

 おっ、ちょっと反応あったな。少しだけとはいえ、警戒心と殺気が和らいだ気がする。

 どうやら、全く話が通じない相手って訳でもないようだ。それならこっちも、遠慮なく会話させてもらおう。

 レッツコミュニケーション!

「俺の名前は、ディーン・イアルフス。ディーンって呼んでくれ。お前の名前は?」

 意気揚々と名乗ってから、セカンドネームを口にしたのは不味かったかとも思ったが、どうやら少女の方は、特に意識していないらしい。何の反応も見せる事なく、俺の質問に答えてくれた。

「シャルミナ・ファルメ」

 と、自分の名前らしき言葉だけを紡いで、少女はジッと俺の方を見ている。

 態度が軟化する気配はないものの、会話自体は成立しているので、今のところ問題はない。この調子でドンドン行こう。

「シャルミナは、その……『魔術師』なんだよな?」

「……そうよ。だったら何?」

「あ、いや。何となくその辺りに、俺を狙った理由があるのかなーと思ったからさ」

「……」

 殺気を感じさせる鋭い眼光に反して、黙して俺を見つめるシャルミナの表情は、酷く平坦で感情が掴み難い。

 何かを考え込んでいたのか、シャルミナは随分長い沈黙を経てから、ようやく口を開いた。

「私があんたを狙った理由は、これ以上『近付いてほしくない』からよ」

「……は?」

 近付いてほしくない? 近付くって、一体何にだ?

 告げられた言葉の真意を打破できず、首を傾げる俺を尻目に、少女シャルミナは真剣な表情でこう言った。

「ここから先に進んだら、容赦なく殺すわ。それが嫌なら引き返しなさい、ディーン」

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