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フレイム・ウォーカー  作者: エスパー
グラステッド山脈編
122/122

幕間六 Are you being manipulated?

 出現した『それ』を眼にした瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは、昔読んだ神話に出て来た天使の姿だった。

 挿し絵の中で、まるで息づいているかのように描かれていた『それ』は、神々しくもあり、同時に肌寒さを感じさせる不気味さを持っていたのを覚えている。

 俺の記憶が具現化されたのかと錯覚する程、眼の前の『それ』は瓜二つだ。

 同じ魔術兵器である『ゴーレム』と比べると、こちらはより人間に近い形に造られている。見た目は白い石膏像だが、背中に六つの翼を備えている姿は、明らかに人ならざる者を模している。両手を胸の前で組んで瞳を閉じるその姿は、神への祈りを捧げている修道女のようだ。どういう原理なのか不明だが、地面から微かに浮いている。

 先制攻撃を仕掛けようとしていたにも拘らず、なぜか俺は最後の一歩が踏み出せなくなっていた。

 あの天使像が放つ気配、なのだろうか。ともかく普通の『ゴーレム』ような、無機質なものとは到底思えない。

 この身を縛る冷たい感覚は、恐怖心に一番近い。

「随分怯えているな、ハートラー。『魔術師』ではないお前でも、こいつの恐ろしさがわかるか」

 先程狂わされた五感は、徐々にだが正常なものに戻りつつある。だからこそ、レオナルドの言葉は核心を突いていた。

『魔術』に疎いはずの俺ですら、感じる事のできる恐怖。迂闊な真似はしない方が賢明だと、俺の本能が告げている。

 自身が優勢であると確信しているのか、レオナルドは両腕を広げ、高らかに言い放つ。

「さぁ! 『広域魔術兵器・マスティマ』よ! お前の力を見せてくれ!」

 それは、レオナルドの声が響き渡った瞬間だった。

 ギギギギギッ、と。古びて動きの鈍くなった歯車が回り出すかのような音を立てて、天使像の口がゆっくりと開き始めた。

 何らかの攻撃が飛んでくる予兆。そう判断し身構えた俺は、しかし見事に予想を裏切られた。

 なぜなら飛んできたのは攻撃ではなく、清らかな歌声だったからだ。

 思わず眉根を寄せる俺の前で、天使像はまるで人間さながらの歌声で、不可思議な文言を響かせていく。

 詩の意味は理解できないが、これは……讃美歌?

「――っ!?」

 突然、何の前触れもなく心臓が跳ね上がるような感覚に襲われ、俺は右手で胸を押さえつけた。

 表現し難い不快な感覚が、歌声に連動するように全身を刺激している。これは一体何だ……!?

 あまりの気持ち悪さに、自然と足が後退する。響き渡る歌声はどこまでも優しく、清らかなはずなのに、聞けば聞くほど悪寒が止まらなくなっていく。

「……っ、王……?」

 一瞬眼を瞑り、軽く頭を振ってから、気付いた。レオナルドに痛め付けられ、昏倒していたはずの王が立ち上がっている。

 本来なら駆け寄って声を掛けるべきだったのだろうが、生憎そんな無謀な真似はできなかった。

 理由は一目瞭然。やや俯いて佇んでいる彼の右手にはいつの間にか、柄も鍔も刃も全てが紅黒く染まった、禍々しい形の直剣が握られているからだ。

 素直に、嫌な予感がした。

 まさかあの歌声……!

「ウゥ……、ウァァアアァァアァッ!!」

 瞬間、王は得物を振り翳し、奇声を上げながら猛然と斬り掛かってきた。

 身体に纏わりつく不快な感覚を振り払い、俺はすぐさま防御体勢を取った。

 攻撃の型に一貫性がない。王自身の剣術の腕が乏しいせいかも知れないが、そうだとしても乱雑過ぎる。ただ力任せに剣を振り回しているだけだ。

 しかし、だからこそ危険であり、なおかつ狂気染みている。まともな会話すら成り立たないであろうその姿は、最早俺の知るテルノアリス王とは別人だ。

 あの歌声に、延いてはあの天使像に操られているのは明白だろう。

 ならば――!

「すみません……!」

 大振りの攻撃を防御し、同時に受け流して王の隙を作り、首筋に手刀を叩き込む。

 強制的に操られている以上、意識を奪えるのかどうかわからなかったが、俺の一撃は王を卒倒させる事に成功した。と同時に、彼の手に握られていた紅黒い剣が、霧散するように消え失せる。

 うつ伏せに倒れ込んだ王を複雑な気分で一瞥し、思考を切り替え前進する。

 天使像の許で、不敵な笑みを浮かべているレオナルド。奴を叩くよりも、優先すべきは天使像の破壊。さすがに一撃では無理があるだろうが、『魔剣』の力なら壊す事は可能なはずだ。

 俺は勢いをつけて高く跳躍し、落下と共に天使像目掛けて斬撃を放った。

 しかしその瞬間。

標的を、見失う(ロスト・ダウン)

「!?」

 目前に迫っていたはずの天使像が、レオナルドの姿が、突然視界から『消え失せた』。

 空振りになった斬撃が、虚しく地面を割る。ふと左に視線を向けると、遠く離れた位置にレオナルドの姿があった。奴の背後には、相変わらず歌声を響かせる天使像が浮遊している。

「無駄だ。俺の『魔術』を見極め切れないお前には、どう足掻いても俺を捉える事などできん。今こうして会話している俺も、果たして本物なのかな?」

「……っ!」

 挑発するレオナルドに苛立ちを覚え、俺は剣を握る両手に、より一層力を込めた。

 ルーシィが託してくれた新たな『魔剣』、『灰塵剣(かいじんけん)』。彼女と別れるまでにも、その力を試す機会は何度かあったが、今回の相手はその中でも筆頭の厄介さだ。

 それでも捉えるしかない。この剣の力で……!

「『銀灰結晶波(ぎんかいけっしょうは)』!」

 頭上高くに掲げ、一気に振り下ろす動作に合わせて、刀身から発生した銀色の衝撃波が、渦を巻くように突進していく。

 以前使っていた『魔剣』と比べて、衝撃波の威力も速度も飛躍的に向上している。命中すれば、あの天使像も難なく破壊できるはずだ。

「ほう、それが新しい『魔剣』の力という訳か。――だが」

 不敵な笑みを浮かべるレオナルドが話し切る前に、衝撃波が奴と天使像を諸共に呑み込んだ。

 攻撃の余波が壁に衝突し、爆音が地下空間に響き渡る。

 と、その瞬間だった。

 辺りに撒き散った砂煙を突き破り、天使像が姿を現したのだ。

 あらぬ方向からの突進攻撃に、何とか防御体勢は取れたものの、俺の身体は容易く宙を舞い、後方の壁へと叩き付けられた。

「ぐが……ッ!!」

「言っただろう。無駄だとな」

 背中を打ちのめされ、軽い呼吸困難に陥る俺を、レオナルドは嘆かわしげに見つめている。

 奴の言う通り、俺の攻撃は当たらなかったのだ。恐らくまた『魔術』によって感覚を狂わされ、無関係な場所を攻撃してしまったに違いない。

 このままでは、なぶり殺される。奴の『魔術』の弱点、突破口を見つけ出さなければ、勝機はない。

 だが、どうすれば――。

「一つ、昔話をしてやろう」

 俺が剣を支えにして立ち上がる中、不意にレオナルドがそんな事を言った。

 底知れぬ闇のような黒い瞳で、回顧するかの如く虚空を見つめる。

「かつて『魔王軍』には、『魔術』と名の付くあらゆる物品や事象を研究し、解析し、製造利用する事を目的とした特殊機関が存在した。その名は――」

「『魔導研究機関・グリモア』」

「!」

「『魔王』直轄の軍事機関でもあり、戦力面において、当時の軍の一翼を担っていた。……と、ハルク様から聞いた事がある」

「ほう……、そんな事まで伝えていたとはな。さすがはハルクだ。飼い狗の調教は手慣れたものという訳か」

 皮肉げに笑うレオナルドが口にした機関の名。それは『倒王戦争』の際、『英雄』達の手によって潰されるまで活動していた特殊機関だ。

 かつて、そういう機関が実在したという話は聞いていたが、今回の騒動が起きるまで、詳細を調べようと思った事は一度もなかった。

 理由は二つある。一つは『グリモア』の存在が、軍の機密事項であるから。そしてもう一つは、俺自身が『魔術』に疎いからだ。

 ディーンやシャルミナならともかく、俺のような門外漢が資料を閲覧しても、上手く情報を引き出せないだろう。恐らくアルフレッドも、資料の精査には四苦八苦したに違いない。

 辟易している彼の姿を想像しつつ、俺は剣を構え直した。

「『魔導研究機関・グリモア』において製造された『魔術兵器』の多くは、『倒王戦争』の際にも使用され、猛威を振るったとされている。この『マスティマ』もその一つ」

 背後の天使像を愛しげに仰ぎ、レオナルドは不気味に微笑んだ。次いで、悪意に満ちた眼差しを、ゆっくりと俺に向ける。

「お前も疑問に思っただろう? テルノアリス王(そのおとこ)が、なぜこのような兵器を破壊せず、封印という手段を取ったのかを」

 俺のすぐ近くに倒れている王を顎で差し、レオナルドは嘲笑の表情を浮かべてみせた。

「……答えは簡単だ。有事の際に、自分達が利用するためだよ。前時代の負の遺物と忌み嫌っておきながら、我が身可愛さから破壊する事を躊躇ったのさ。お前が守ろうとしている連中は、所詮その程度の矮小な人間なんだよ」

「……っ!」

 レオナルドの悪態を聞き流し、一気に距離を詰め、横薙ぎに斬撃を放つ。

 だがその瞬間。

斬撃は、空を切る(アタック・ミステイク)

 絶対に命中するはずの間合いで放った攻撃が、なぜか『外れた』。

 困惑する俺を尻目に、再び離れた位置に現れたレオナルドは、嘲笑うかのように続ける。

「戦争終結から十二年の歳月を掛けて、『魔術兵器』の行方が、この地下避難壕のどこかだという事までは掴んだが、それが限界だった。お前が言っていた通り、詳しい隠し場所と封印解除の方法は、クロスレイン家の当主にのみ口伝されていたものだからな。どの道その男から聞き出すより他に、方法はなかったという訳さ」

「だから貴様は、『幻術』でハルク様を『襲撃された王』に見せかけ、本物の王を連れ去り、ここに監禁していたのか」

「そうさ。元老院の隙を見つけては、何度もそいつを痛ぶりに来たんだが、なかなか口が堅くてねぇ。おかげで余計な時間を喰ってしまったよ」

「貴様……!」

 憤慨する俺を尻目に、突然眼の前に天使像が現れ、突進を仕掛けてきた。

 咄嗟に剣を盾にして防御するが、衝撃を殺し切れるはずもなく、またも俺は壁に叩き付けられてしまう。

「お前程度では、『マスティマ』本来の能力を使うまでもないか。残念だよ、ジン・ハートラー。生まれた時代が違えば、俺達は戦友になれたかも知れないのに……」

「見くびるな……っ。例え同じ時代、同じ時間を共有していたとしても、貴様と肩を並べる事など、永劫ありはしない……!」

「ククク、いちいち真に受けるなよ。心配しなくても、お前のような人間などこっちから願い下げだ」

 吐き捨てるように告げるレオナルドは、傍らの天使像を労うかのように、優しい手付きで撫でてみせる。その動作は明らかに、自身に余裕があるという意思表示だ。

 奥歯を噛み締め、立ち上がろうと両脚に力を込めるが、上手くいかない。前のめりになった拍子に、剣まで手放してしまう。

 二度も壁に叩き付けられたせいで、体感以上に疲労が蓄積されているらしい。ここまで成す術がないなんて……!

「さて、そろそろ終わりにするとしよう。――やれ、『マスティマ』」

 ギギギギ、という不気味な駆動音を響かせ、天使像が再び動き出そうとした、その時。

 ビュゴォッ、という激しい音を立てて、不可視の力が天使像を急襲し、その身体を強引に押し倒してしまった。

 と同時に、

「ジン! 大丈夫!?」

 という、頼もしい少女の声が広間に響き渡った。

「……フン、取り巻き連中のご登場か」

 広間を駆け抜け、俺の許へと辿り着くシャルミナとアルフレッド。そんな二人に、レオナルドは忌々しげな視線を送っている。

「なんてザマだよ、てめぇらしくねぇな」

 立ち上がる俺に手を貸してくれるシャルミナとは対照的に、アルフレッドは相手を警戒しつつ、軽い嫌味を投げてきた。

 こんな時まで平常運行な悪友に、思わず苦笑で応じてしまう。

「……悪い。予想以上に、奴の能力が厄介なんだ」

「てめぇのやられっぷりを見る限り、どうもそうらしいな。……ところでよ」

 俺の顔を一瞥して言葉を切ると、アルフレッドは訝しげな様子で続ける。

「あの野郎がレオナルド・ブレイクだってのはわかるが……、後ろに浮いてるありゃ何だ? さっき聞こえた気持ち悪ぃ歌は、あれが発してたんだよな?」

 実に機械的な、緩慢な動作で起き上がる天使像を見据え、アルフレッドは眉間に皺を寄せる。言葉通り、あの天使像に不快感を覚えているようだ。

「気を付けろ。あの天使像は、『ゴーレム』と同じ『魔術兵器』だ。どうやらあの歌には、他者を操る能力が――」

 と、自分の見解を説明し始めようとして、ふと疑問に思う。

 もしも予想通り、あの讃美歌が他者を操るものなら、なぜ俺やシャルミナ達には影響がない? さっきは単純に、標的を王一人に絞っていたからか? それとも……。

「他者を操るだぁ? ……また随分と既視感のある能力じゃねぇか」

「! 何……?」

 妙な独り言を呟くアルフレッドに尋ねてみるが、「こっちの話だ、気にすんな」と言って、どういう意味なのかは答えようとしない。

 少々気にはなるが、詳しく聞き出している場合ではないだろう。それがわかっているらしいアルフレッドも、腰の鞘から『魔剣』を引き抜きながら言う。

「それより、そこに倒れてんのが本物の王様なんだろ。ならさっさと連れて行くぜ。あの邪魔者をブッ倒してからな」

 シャルミナに介抱されている王を一瞥し、アルフレッドは剣を構える。

 しかし、こちらの気概を挫くかのように、レオナルドは飄々と肩を竦めてみせる。

「誰も邪魔などしないさ。どの道その男は用済みだ。連れて行きたければ好きにするがいい」

「! あん?」

 訝しげに眉をひそめるアルフレッドに対し、レオナルドは薄く笑みを湛えながら応じる。

「すでに目的の半分は達成した。もう半分を果たすためには、こちらもお前らの相手をしている暇などない。悪いが俺は一抜けさせてもらうよ。……ここの空気は肌に合わないんでね」

「私達が逃がすと思うの?」

 立ち上がり、あからさまな敵意を向けるシャルミナを、意に介した様子もなく、レオナルドはなおも不敵に笑う。

「思うさ。『マスティマ』(こいつ)があれば、ここから逃げる事など容易い。例えば――」

 右手で天使像に触れ、その手をゆっくりと離し、パチンと指を鳴らしたレオナルドは、

「こんな風にな」

 酷薄な笑みを浮かべ、そんな言葉を付け足した。


 それが、起動の合図だったらしい。


 ガシャン、と天使像が口を開き、天井を見上げるように首をもたげた瞬間だった。

 まるで鉄同士が擦れ合うような、金属的で酷く耳障りな音が鳴り響き、天使像の口に、黄金色の光が集束し始めたのだ。

「……ッんだ、このうるせぇ音は……ッ!」

「音どころか、なんかヤバそうな光が集まってるわよ!?」

 左右の二人が耳を塞ぎながら口々に告げた直後、満たされた力が決壊するかのように、天使像の口から極大の光が放たれた。

 薄暗い地下空間が眩く照らし出されると同時に、途轍もない爆音が鳴り響き、急激な震動によって立っていられなくなった。

 見上げると、破壊の光によって天井――最早テルノアリスという街を支える岩盤と言うべきか――に、巨大な穴が穿たれている。

 今の光は間違いなく、地上まで届いたに違いない。それも、たった一撃でだ。

 結合という支えを失った天井は、巨大かつ無数の岩石となり、俺達を押し潰そうと容赦なく降り注いでくる。

「アルフレッド! シャルミナ! 王を守れッ!」

 意識のない王を抱えて逃げ回るより、一ヵ所に留まって岩石を退けた方が安全だ。そう判断して叫ぶ俺に対し、二人は見事に即応してくれた。

 アルフレッドは俺と同じく、『魔剣』の力を。

 シャルミナは自身が操る、風の『魔術』を。

 それぞれが己の力を駆使し、圧殺せんと飛来する岩石群を破壊する。

 爆音と衝撃、そしてそれに連なる砂塵の発生。

 問答無用で俺の意識は、無機物との戦いに向けられてしまった。




 ◆  ◆  ◆




「――アルフレッド、シャルミナ。二人とも無事か?」

 崩落の震動と轟音が止み、数分は経過しただろうか。俺は自分の身体が五体満足である事に、心の底から安堵した。

 周囲に転がる大小様々な岩の塊が、崩落の激しさを物語っている。『魔剣』や『魔術』を使って、降り注いでくる瓦礫を退けたとはいえ、無事だったのは奇跡と言っていいだろう。

 未だ砂埃が舞う中、呼び掛けた二人から返事が返ってくる。

「何とかな……。ったく、肝が冷えるどころの話じゃねぇ。『魔剣』を持ってなけりゃ、確実に死んでたぞ」

「私も生まれて初めて、自分が『魔術師』である事に感謝したわ……。ホント、死ぬかと思ったし……」

 二人の無事を確認した後、足許に横たわる王に視線を向ける。相変わらず意識はないままだが、王も崩落によって怪我を負った様子はなさそうだ。

「って言うか、レオナルドは?」

 安堵の息を吐きそうになって、俺はすぐさま思い直した。発言者のシャルミナに倣い、周囲を見回してみる。

 大量の瓦礫によって、雑然とした地下空間。天井に穿たれた大穴もさる事ながら、崩落の震動と衝撃によって、壁や床にも所々亀裂が走っているのがわかる。

 自分でこんな事を言いたくはないが、これだけ危険な目に遭っていながら、全くよくも生きていられたものだ。

「瓦礫の下敷き――になってないのは確かだな。崩落のどさくさに紛れて、あの穴から地上に出たんじゃねぇか?」

 上方を見つめながら、アルフレッドは面倒臭そうに呟いた。

 確かに周囲を見る限り、人間が押し潰されているような痕跡は見当たらない。第一、この崩落を引き起こしたのは奴自身だ。自らの行動で圧死するなどという間抜けは、さすがに犯すまい。

 となると、アルフレッドの言う通り、逃走経路は天井の大穴だろう。浮遊能力を持つあの天使像を使って、一早く地上へ戻ったのだ。

 ならば、のんびりしている時間はない。

「すぐに追い掛けるぞ。奴自身はもちろんだが、あんな凶悪な兵器を野放しにする訳にはいかない!」

 背中の鞘に『魔剣』を戻しながら告げると、傍らのアルフレッドは、同じく剣を収めつつ、その場に屈み込んだ。

「なら、てめぇはファルメと先に行け。荷物が多いと動きが鈍るだろ。王様は俺が安全な所に運んどいてやるよ」

 率先して王を担ぎ上げようとするアルフレッドの姿に、頼もしさを感じたのも束の間。彼が発した言葉の一部分に、俺は強い引っ掛かりを覚えてしまう。

「おい、アルフレッド。お前よりにもよって、王を荷物扱いするなんて――」

「あーうるせぇな、言葉の綾だろうが。こんな時にまで細かい事で突っ掛かってくんじゃねぇよ」

「ほらジン、急がなきゃ! 揉めてる場合じゃないってば!」

 鬱陶しそうに耳を塞ぐアルフレッドに、まるで助け船を出すかの如く、シャルミナは俺の右肘をグイグイ引っ張って移動を促す。

 斯くして、アルフレッドへの説教は、瞬く間にうやむやにされてしまうのだった。




 ◆  ◆  ◆




 もと来た道を大急ぎで駆け抜けたものの、最初に下った螺旋階段の所まで戻ってくるのに、十数分の時間を要してしまった。

 後続のシャルミナに声を掛ける余裕もないまま、地上へと続く階段を駆け上がる。やがて終点となる石室に辿り着き、そのまま外へと抜け出した。

 さすがに休憩を挟まずにはいられなくなり、シャルミナを促して、手近な場所で脚を止める。

 乱れた息を整えようと見上げた空は、黒に近い灰色の雲で覆われていた。網膜にこびり付くかのようなその色合いは、世界の全てを暗く重い空気で満たしてしまう。

 そんな曇天の空から零れ落ちてくる、無数の水滴。身体から徐々に熱を奪うそれらは、まだ小降りであるため、視界を遮るほどではない。

「……ねぇ、ジン。これって、気のせいじゃないよね?」

 傍らで汗を拭うシャルミナは、虚空を見つめ、やや顔をしかめながら尋ねてきた。

 彼女の言葉が何を指しているのかは、問い返すまでもない。なぜなら地上に出た瞬間から、俺の耳にも聞こえてきたからだ。

 他者を傀儡とする、不快極まりない讃美歌が。

「ああ。雨音のせいで音源はわからないが、間違いない。これは、あの天使像の歌声だ……!」

 しかも注意深く耳を澄ますと、戦闘音らしきものまで聞こえてくる。……考えたくはないが、恐らく王の時と同じように、あの讃美歌によって操られた人間が暴れ回っているんだ。


 それも一人や二人ではなく、もっと大勢の人間が。


「不味いよ! さっきジンが言ってた天使像の能力なら、この街の人全員を操っちゃえるんじゃないの!?」

「恐らく……いや、間違いないだろう。地下空間で対峙した際、レオナルドは天使像の事を、『広域魔術兵器』と呼んでいた。奴が崩落という危険な方法を選んでまで地上へ出たのは、天使像の本来の力を発揮させるためだったんだ」

 それに奴は、天井を崩落させる直前、気になる台詞を吐いていた。


『すでに目的の半分は達成した。もう半分を果たすためには――』


 目的の半分、という言葉が、あの『魔術兵器』の解放であった事を指しているのは間違いない。

 ならばもう半分。レオナルドが達成しようとしている目的は――!

「『首都』の崩壊……」

 思考を言葉に変換した途端、冷水を浴びせられたような寒気が全身に走った。

 いかに『魔術師』とはいえ、相手がレオナルド一人ならば、こんな考えは一蹴していただろう。

 だが、あの天使像の力を目の当たりにした今なら、素直に肯定できる。洗脳能力に加えて、あの凄まじい破壊光線。全てを駆使すれば、『広域魔術兵器』の名に相応しい戦禍をもたらすであろう事は、想像に難くない。

 かつてアーベント・ディベルグが起こした襲撃事件とは、また違う形で、『首都』に危機が迫っている!

「俺は城の中の様子を見に行く。シャルミナは街に出て、バルベラさんを捜してくれ。あの人もこの異常には気付いているはずだから、きっと力になってくれるはずだ」

「えっ? でも、この歌のせいで、バルベラさんも操られちゃってるんじゃ……」

「いや、恐らくその心配はない。多分あの天使像は、『魔力への抵抗力』の差で、標的を操っているんだ。俺やアルフレッドは『魔剣』を所持している分、普通の人間より魔力に対して耐性がある。だから洗脳はされないが、同時に能力の影響として、あの讃美歌に不快感を覚えるんだ」

「……! じゃあ、あのレオナルドって人が、『首都』から『魔術師』を徹底的に追い出そうとしてたのは……」

「ああ。自らの『幻術』を見破られないようにするためだけじゃない。あの天使像の力が効かない者を、遠ざけるためでもあったんだ」

 ようやく全てに合点がいった、という様子で、シャルミナは気合いを入れるように、両手で自身の頬を叩いた。

「それなら、なおさらバルベラさんの力が必要だよね。すぐに見つけて戻ってくるよ!」

「頼んだ。もしもバルベラさんを捜している最中に、レオナルドに出くわしたら、遠慮はいらない。全力で薙ぎ払ってやれ!」

「わかった、任せて!」

 緊迫した状況下でありながら、シャルミナは快活に笑うと、即座に身体を反転させた。瞬く間に城門へと駆けていくその後ろ姿は、揺るがぬ勇ましさを感じさせる。

 ……さて、俺ものんびりはしていられない。あの讃美歌が響き渡っている以上、城の中も混沌としているに違いない。誰がどの程度操られているかはわからないが、まず戦闘は免れないだろう。

 気を引き締め直そうと、背中の剣の柄に触れた所で、今更のように気付く。


『大佐達と一緒に、城で大人しく待ってる』


 脳裏を過る、大切な友人の声。

 小雨によって奪われつつあったはずの身体の熱が、加速度的に戻ってくる。シャルミナに負けず劣らず、俺もまた、疾風の如く駆け出した。

 エリーゼ……。俺が着くまで、どうか無事でいてくれ……!

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