第十章 ただそれを望むが故に
「どォいう事だ……」
露わになった男の顔を見据え、俺は微かに震える唇を動かす。
呑まれる訳にはいかないと、辛うじて残った反抗心が脳細胞を刺激する。崩れそうになる身体を気力で支え、踏み留まる。
そうだ、いつまでも呑気に固まってる場合じゃねェ。確かめなきゃならねェ事はいくつもあるんだ。
「ふざけんなよ……。あの野郎が生きてるはずねェ。誰が成り済ましてやがんのか知らねェが、相変わらず悪趣味な攻め方だなァ」
どうせ録でもないまやかしに決まってる。いい加減付き合わされるのも限界だ。
語気を強めて吐き捨ててやると、悠然と佇む何者かは、片眼鏡の奥の眼を愉快げに細めた。
「可笑しな事を言うな。私は正真正銘ヴェグナ・ブラッドリー本人だよ。久しぶりとはいえ、まさか私の顔を忘れた訳ではないだろう?」
「ふざけんなと言ったはずだ。一体どこまで人を馬鹿にすりゃあ気が済む。……八つ裂きにされてェか?」
「……やれやれ、埒が明かないな。こうも強情に突っぱねられると、満を持して出て来た甲斐がなくなるじゃないか」
心外だとでも言うような顔付きで、ヴェグナを自称する男は浅く溜め息を吐いた。
その一挙主一等即が、脳裏の記憶を刺激する。眼の前の現実は本物で、認めようとしないお前が間違っているのだと攻め立てる。
「まぁいい。認めようと認めまいと、そこは然して重要ではない。私は勝手に喋るから、聞き流したければ好きにすればいいさ」
場違い極まりない笑顔を浮かべ、男は――ヴェグナはこう続けた。
「お前が『あの日』見たものは、幻だったんだ」
「……!」
ヴェグナが発した言葉の意味を、俺は瞬時に理解する事が出来た。
『あの日』とは、かつて俺の故郷だった小さな村が、『魔術師』数人を含んだならず者共に襲撃された日。
そして同時に、ユリィ・アルヴィードが殺された日。
だが奪われたのは、何もユリィの命だけじゃあない。眼の前にいるこの男も、襲撃者達によって命を奪われた人間の一人だ。
そのはずだった。だが……。
「『あれ』が、幻だっただと……?」
「ああ、そうだとも。お前が知らないのは当然だろうが、『精霊指揮者』のメンバーに一人、『幻術を操る事に長けた者』がいてね。あの時はそいつの力を借りて、私自身の死を演出し、偽装したんだ」
つまり、全てはこいつらの計画通りだったという事。
現実を『魔術』で歪め、情報を操作し、俺を復讐者に仕立て上げ、より強く深い憎しみをノイエに抱くよう仕向ける。村の襲撃も、ユリィ達の殺害も、こいつ自身の死すら、初めから用意されていた悲劇だった。
そう、結局踊らされていたのは俺だけだったんだ。
あの時も。そして、今この瞬間さえも。
「それにしても、あまり驚いていないようだな、ジェイガ。その反応を見るに、どうやら薄々勘付いてはいたらしい」
「……何の話だ」
まるで何事もないように明るく話し掛けてくる『敵』の態度に、思わず顔を顰める。
平時なら速攻で『魔術』を見舞ってやる所だが、あからさまに隙だらけな相手の体勢が、逆に罠を仕掛けてやがるのではと疑わせる。
猜疑心によって迂闊に動けなくなる俺を見て、ヴェグナは未だに微笑み続けている。こんな状況になっても、尚。
「惚けるなよ。ボルガノイドから聞かされただろう。私は『精霊指揮者』の協力者だったと。それを聞いた時点で、お前は感じていたはずだ。あの襲撃が仕組まれたものだったのなら、私の死も偽りだったのではないかと」
「……っ!」
冷静な眼差しで指摘され、言葉に詰まる。反論の余地が呆気なく消え去る。
……確かに、そォだ。考える時間なら山程あった。想像を巡らせる機会なら幾度となく訪れた。
ただ俺は、受け入れられなかっただけだ。この眼で確かめるまでは、と。
「そこまで予想していながら、私を本物だと信じるのは是としない訳か。その強情さだけは変わらないなぁ、ジェイガ」
相変わらず、この男からは殺気が感じ取れない。素顔を晒してから絶やそうとしない微笑みも、どうやら演技ではないらしい。
だからこそ、より虫酸が走る。
まるで中身のない虚無だとでも言いたげな、この男の振る舞いに。
「……てめェが言った通り、本物かどうかはこの際どォでもいい」
「うむ。お前がそれでいいなら、私にとっても些細な事だ」
「それで? 今更何の為に現れやがった。嘘が露見して用済みになった俺を、てめェ自身が始末しにでも来たってのか」
会話を重ねる事で、動揺によって薄れていた戦闘意識が戻りつつある。今なら『魔術』を発動させるのに、そう苦労は掛からねェ。
だがヴェグナは、穏やかな表情のまま首を横に振った。片眼鏡の奥に濁りのない光を宿し、静かに俺を見据える。
「馬鹿を言うな。私がそんな事をする訳がないだろう。……むしろその逆だよ、ジェイガ」
「何……?」
不穏な言い回しに思わず身構えると、ヴェグナは一旦瞑目し、やがてゆっくりと開きながらこう続けた。
「私はお前に、殺される為に会いに来たんだ」
◆ ◆ ◆
灼熱の炎と共に生まれては消える、轟音と爆音。
さっきから俺の鼓膜を刺激するのは、そんな耳障りな音ばかりだ。
まるで緑豊かな大草原が一瞬で砂漠と化してしまうかのように、熱波に晒され続ける地面が、潤いを失くして急速に乾いていく。
今この瞬間程、清らかな水が恋しいと思った事はない。正常な思考を維持出来ていなければ、干涸びた哀れな自分の姿を想像してしまいそうだ。
『オラァ! どうしたディーン! まさかこの程度で音を上げてる訳じゃあねぇよなぁ!?』
額から滴る汗を拭っていた俺の真上から、岩をも圧砕するかのような声が響いてきた。
わざわざ見上げる事はせず、思い切り地を蹴って飛び退る。
直後、落下してきた巨大な影が、鋭い爆音と共に岩盤を粉砕した。
舞い上がる砂塵の彼方で、邪悪な笑みを浮かべる存在。炎を纏って天空を駆ける異質な姿は、最早『人間』とは呼び難い。
「……とはいえ、徐々に見慣れてきてんだよな、不思議な事に」
意識して笑いつつ、右手に紅い炎を灯す。そして砂塵が晴れるのを待たずに前進を開始した。
造り出した炎剣の切っ先を突き出すのと、竜化したガラムの右拳が砂塵を破って伸びてきたのは、ほぼ同時だった。
爆炎が炸裂し、正拳突きの軌道を僅かに逸らす。直後、洒落にならない音を立ててガラムの拳が地面にめり込んだ。
擦れ違う格好でガラムの背後に回った俺は、その場で左に回転しつつ新たな炎を生み出す。数秒で剣の姿になったそれを左手で掴み、回転の勢いを殺す事なく振り抜く。
だがその一撃は、虚しく空を切った。見るとガラムの姿は、すでに手の届かぬ空中にあった。
見上げる俺を嘲笑うかのように、差し向けられたガラムの両掌から、炎弾が次々に生み出されていく。
「……ッの野郎!」
降り注がんとする炎の雨を迎撃する為、俺は両手の炎剣を消滅させ、左手を前方に翳して意識を集中させ、即座に言霊を口上した。
「『紅の詩篇!」
放たれた絶大な破壊の力を、従属して相手に投げ返す。
それはすでにやり慣れた戦法だった。『魔術』が正しく発動したという確信もあった。
しかしどういう訳か、迫り来る炎弾は一つとして動きを止める気配がない。速度を緩めるどころか、ガラムが放つ殺意に呼応して、勢いを増しているように感じられる。
「――っ!?」
これ以上の静止は危険だと判断し、踵を返してその場から飛び退く。瞬間、紅緋色の弾幕が容赦なく落下し、激しい連鎖爆発を起こした。
爆音に次ぐ爆音。
吹き抜けていく熱風と衝撃波。
両脚の踏ん張りが利かず、数回地面を転がされた俺は、隆起した岩盤に背中から衝突した。
リネに治してもらったはずの身体には、小さいながらも新たな傷が至る所に付けられている。自然と息切れしているのは、止まぬ猛攻によって体力を削られている証拠だ。
さすがは竜の化身、と褒めるべきなのか。
生み出す炎は強力にして灼熱。おまけに強化された身体能力は、変化前を軽く凌駕する勢いを持っている。もしも一人で戦っていたら、とっくに戦意を挫かれていただろう。
こんな無茶苦茶な奴をたった一人で足止めしてたのか、ジェイガの野郎……。
「だったら尚更、諦める訳にはいかねぇよな……!」
脳裏に浮かんだ死神様の姿が、疲弊している身体を鼓舞する。
ほとんど前を見ないまま立ち上がった俺は、しかし瞬時に右手に炎を発生させた。
なぜなら、圧倒的な力の塊が突き進んでくるのを、肌で感じ取ったからに他ならない。
中途半端な回避は自らの死を招く。ならば迎え撃つまでの事。
腰を落とし、両足を地面に縫い止め、迫り来るガラムに向けて右手を突き出す。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
『おらああああああああああああああああっ!』
炎を纏った俺と奴の右掌が、真っ正面から衝突した。
瞬間――。
互いの掌の間で炎が交わり、反発し合い、轟音を上げて炸裂した。
「どわ……ッ!?」
『むお……っ!』
巨体を有効に使って踏み留まるガラムとは対照的に、俺の身体は意思とは無関係に後方宙返りを強いられ、何メートルも吹き飛ばされた。
ほとんど四つん這いになる格好で、地面を擦りながら急停止する。さっきまで目前に迫っていたガラムの姿が、随分遠い所にあった。
「痛……ッ」
不快な熱を孕んだ痛みに促され、右手に視線を送る。
炎撃でせめぎ合っていたからだろう。掌は紅く腫れ上がり、手の甲も所々火傷を起こしている。服の袖は肘の辺りまで燃やされて、最早ボロ布と化していた。
炎撃を押し切られ、五指が吹き飛ばされなかっただけマシ、と考えるべきか……。まさか相殺するのがやっとだなんて……。
『ぐおわっ!?』
ほんの数秒とはいえ、怪我の程度に気を取られていた俺は、苦しげなガラムの声で顔を上げた。
見ると奴は、自身を圧殺せんと上空から落下してきた極大の炎の塊を両手で受け止め、身動きを封じられている。
踏み締められた地面は、その両脚に込められた力を表現するかのように、鋭い音を立てながらひび割れていく。
「これは――」
と、呑気に感想を漏らそうとしていた俺の視界を、突然横合いから誰かが遮った。
右腕で俺の左肩を掴み、胸板を抱え込むような格好で後方へと走り抜け、ガラムには目もくれず距離を取る。
俺のすぐ右側。至近距離に、ミレーナの凛とした横顔があった。
「『燃焼爆破』」
耳許で囁くように放たれた言霊が、遠ざかっていく炎の塊を刺激したのは明白だった。
なぜならミレーナが呟いた瞬間、紅い炎の塊は、ガラムの姿を覆い隠す程の大爆発を起こしたのだから。
「――――――――――ッ!?」
落雷のような閃光に続いて、この身を打つ爆音と爆風。容赦のない一撃とはまさにこの事だ。
なるほど確かに、こうして庇われていなければ巻き添えを喰らう事必至だったと言えよう。
だが、だからこそ意見を述べたい。
先に言えや馬鹿師匠ーーーーーーーーーーッ!!
「――ちょっとばかり派手にやり過ぎたかもねぇ」
数分後、大量の黒煙が立ち上る方角を見つつ、ミレーナは涼しげにそう言い放った。
だいぶ距離を取った為、内部にジェイガが囚われている炎の壁も、ここからだと目視は出来ない。
「……あんなもん仕掛ける気なら、説明してからにしてくれ、頼むから……」
地面に腰を下ろし、息も絶え絶えに抗議してみるが、予想通りミレーナの反応は冷やかで、
「そんな悠長な事してたら奇襲の意味がないでしょ。一緒に消し炭にならなかっただけでも有り難いと思いなさい」
なんて取り付く島もなく言い返してきやがった。
「えーえー謝罪の言葉が聞けるだなんて最初っから期待してませんよ! それでこそ我がご師匠様ですもんねー!」
「へぇ、言うようになったじゃない馬鹿弟子」
やけくそ気味に切り返してやると、少々剣呑な目付きで俺を見下ろすミレーナ。両手の指の骨鳴らそうとするの止めて貰えませんかいやマジで。
「……とはいえ、あれでも致命傷を与えるまでには至ってないでしょうね。ガラムに付加された『炎耐性』を破るには、もっと威力のある一撃じゃないと……」
「それなんだけどさ、ミレーナ。さっきあいつの炎に『紅の詩篇』を使おうとしたら――」
「従属出来なかった、って言うんでしょ」
まるで待ち構えていたような切り返しの早さに、思わず面喰らう。
さすが師匠、すでに実行済みだったのか! ……と感心し掛けた矢先。
「あんたが追い掛け回されてる間に、行く手を遮ってるあの炎を壁を取り払おうと思って試したのよ。結果はあんたも知っての通り。どうやらこっちの能力に対して『耐性』が付いたのは、本人だけじゃなかったみたいね」
「……」
要するに囮に使ってたんじゃねぇかオイ。ホント記憶が戻ってから一切遠慮しねぇな、あんた。
真面目な顔で思考している様子のミレーナに横槍を入れる訳にもいかず、溜め息一つで頭を切り替え、立ち上がる。
理由は不明だが、ガラムの炎は『紅の詩篇』で従属出来ない。となると、相手の力を利用する戦術は使えない。だがそれでは、ガラムの強靭な『炎耐性』を突破出来ない。
打ち破る可能性があるとすれば――。
そんな確信を胸に抱き、俺は右掌に視線を落とした。
するとその瞬間。
「『魔術』が駄目でも『精霊術』なら通用するかも知れない」
「!」
「なぁんて考えてるんでしょ、どうせ」
俺の短い動作だけで全てを察したらしいミレーナが、声の調子を落としながらそう言った。
彼女に視線を向け、驚く。師匠の瞳と顔には、悲嘆しているかのような色合いが濃く滲み出ていたからだ。
「『精霊術』の力に呑み込まれたあんたが『ワーズナル』でどうなったか、忘れたとは言わせないわよ。自分で制御出来ない力を使って、自滅でもするつもりなの? だとしたら救いようのない馬鹿よ、あんたは」
「い、いや……、でも聞いてくれよ。この前試してわかったんだけど、『紅の詩篇』を使えば『精霊術』を制御出来るんだ。実際、それでどうにか敵を倒す事も――」
「その口振りから察するに、即興で思い付いた方法がたまたま上手くいっただけなんじゃないの? 悪いけど、鍛練で身に付けた力を振るったとは到底信じられないわね」
「それ、は……」
上手い言い訳など思い付かず、俺は言葉に詰まった。
そう、彼女の言う通りだ。『蒼司』一族の集落で『炎滅』の力を制御出来たのは、単なる奇跡でしかない。もしもあの時失敗していたら、間違いなく俺は敗北していただろう。
「ディーン。よく聞きなさい」
改めて呼び掛けられ、自分がいつの間にか俯いていた事に気付く。
顔を上げると、そこには真剣な表情のミレーナが佇んでいた。
金色に輝く彼女の双眸が、俺の視線を吸い寄せる。
「記憶を取り戻してから、私は自分の行いを心の底から恥じたわ。あんたの『正体』を知って動揺したからとはいえ、自分の記憶を捨て去るなんて真似を、どうして選んでしまったのか、ってね」
ミレーナは一瞬たりとも俺から眼を逸らさない。強い意志の籠った瞳で、声で、自らの思いを言葉にし続ける。
「さっきも言ったけど、私が記憶を失ったのはあんたのせいなんかじゃない。全ては私の心の弱さが招いた事。師匠を名乗る資格がないのは、本当は私の方なのよ」
「そんな……! 俺はそんな事一度だって――」
「だからねディーン。私は、自分の罪を償う為にここへ来たの。そんな私に、あんた一人が無茶をしようとしてるのを見過ごすような真似、出来ると思う?」
「ミレーナ……」
「例えガラムを破る方法が『精霊術』しかなかったとしても、私は絶対にそれをあんたには使わせない。重荷を背負うなら、二人で一緒によ」
有無を言わせない表情で締め括り、ミレーナは最後に優しく笑って俺の頭をわしゃわしゃと掻き回した。
贖罪の為だと彼女は言った。だけど俺は、彼女に罪があるなんて思っていない。償わなければならない事など、何一つない。
だって彼女は、俺を守ろうとしてくれただけなんだから。それを都合の良い言い訳だと断じる奴もいるだろうけど、それでも俺は、彼女を咎めようとは思わない。
助けに来たと言ってくれた。力になる為だと言ってくれた。
それだけで、充分だ。
「それに、案外難しい話じゃないかも知れないわ。あんたの即興と同じく、危険な賭けではあるだろうけど」
「? どういう事だ?」
「私の見立てだと、『紅の詩篇』は効力を発揮していないんじゃなくて、ガラムの炎を『従属し切れていない』だけなんじゃないかと思うの」
「『従属し切れていない』……?」
尚も首を捻る俺に対し、ミレーナは諭すような口調で続ける。
「起源はわからないけど、あいつの炎はあんたの『精霊術』と同じか、或いは似通った性質を持ってるんじゃないかしら。実際あんただって、『精霊術』を『紅の詩篇』で制御した時、かなり苦労したんじゃない?」
「それはまぁ、確かに……」
今思い出しても、あの時の苦痛は筆舌に尽くし難い。我ながら、よくもまぁあんな無茶な方法で勝利を収められたものだと言わざるを得ない。ミレーナに呆れられるのも当然だ。
改めて自分の未熟さを痛感する俺を尻目に、ミレーナは結論を述べる。
「つまりガラムの炎を操れなかったのは、従属に必要な力が足りていないだけって事。その部分を補えば、自ずと勝機は見えてくるはずよ」
「補うって言ったって、そんなの一体どうやって――」
希望的観測を否定し掛けた俺は、しかし言葉の中途でふと気付いた。
どうして彼女は確信を持った発言が出来るのかを。そして、彼女が何を狙っているのかを。
「ミレーナ、もしかして……」
「察しが良いじゃない。その通りよ」
珍しく俺に満足げな表情を見せ、ミレーナは不敵に笑う。
その姿は、まさしく『英雄』と呼ぶに相応しい頼もしさを感じさせるものだ。
「『紅の詩篇』の同時発動。私が『深紅魔法』を生み出してから初めての試みだけど、勝機を掴むにはこれしか――」
『作戦会議は終わったかぁ~? 「魔術師」共』
それは、まるで狙いを澄ませたかのような口振りだった。
数メートル先で、突然紅緋色の火柱が発生し、万物全てを焼き焦がすかのような熱波が吹き荒れた。
ミレーナと共に視線を送り、僅かに歯噛みする。なぜなら奴の声色は、予想以上に疲労感のないものだったからだ。
『さっきのは少々痛かったぜぇ、ミレーナ・イアルフス。さすがは「英雄」。中途半端な力量の弟子とは訳が違うって所か?』
燃え盛る炎を引き連れて現れたガラムは、乱暴に首の骨を鳴らしながら、酷薄な笑みを浮かべてみせる。
中途半端、というわかりやすい挑発が、自然と奥歯を噛み締めさせる。自分が未熟なのは百も承知だが、それをなぜ、こいつに指摘されなければならないのだろう?
憤りに身を任せ、反論をぶつけてやろうとしたその時。右手で軽く俺を制したのは、不敵な笑みを浮かべたミレーナだった。
「お褒めに預り光栄ね。……だけどお生憎様。私は自分の弟子を、中途半端な『魔術師』に育てた覚えはないわ」
「! ミレーナ……」
力強くガラムの挑発をいなしたミレーナは、俺の肩に軽く手を置き、視線を交わさぬまま告げる。
吹き荒れる熱波を物ともしない、意志と熱量の籠った言葉を。
「行くわよディーン。あの動物擬きに、一泡吹かせてやろうじゃないの」
「……ああ!」
身構える俺達を嘲笑うかのような表情で、ガラムが新たな炎を放つ。
だが恐れる事は何もない。俺には『英雄』が、師匠が付いていてくれるんだから。
さぁ、いよいよ反撃開始だ!
◆ ◆ ◆
この野郎は一体、何を言ってやがるんだろう。
あまりにも馬鹿馬鹿しい発言が、怒りを通り越して俺を呆れさせる。
だと言うのに、ヴェグナの様子に変化はない。これじゃあまるで、本当に……。
「どうした、そんな怖い顔をして。私は何か可笑しな事を言ったか?」
「……ふざけてんのかテメェ。そんなくだらねェ冗談を言う為に、わざわざ出て来やがったのか!」
相変わらず笑みを絶やさない姿が、余計に俺を苛つかせる。
だがこっちがいくら噛み付いても、ヴェグナは意に介さない。それどころか、苦笑をまじえて反論してくる。
「冗談……? 何が冗談なものか。私は至って真面目だよ、ジェイガ。お前になら殺されても仕方がないと、本気で思っているんだ」
「何だと……?」
「惚けるなと言ったはずだ。お前が私に殺意を抱く理由を、わざわざ説明しなければわからないのか?」
「!」
いい加減にするのはお前の方だ。
やや眼を細めたヴェグナは、言外にそう告げていた。
いとも容易く反論の余地を無くした俺に、ヴェグナは容赦なく畳み掛けてくる。
まるで聞き分けのない子供を、親が叱り付けるかのように。
「そう……、私という存在がいなければ、ユリィは死なずに済んだだろう。お前も、『魔術』などという血生臭い力を得ずに済んだだろう。お前が憎しみをぶつける相手として、私以上に適した存在はいないはずだ」
呪詛の如き言霊を吐き出しながら、ヴェグナはゆっくりと両腕を広げていく。
早く命を奪え。刈り取れ。切り刻め。我が身に死を齎せ。
死を望むが故に狂気を孕んだその瞳は、表情は、例え笑顔を張り付けていても、どこまでも気味が悪く、気色が悪い。
「だから遠慮する事はない。お前の人生を狂わせた憎き男を、その手で殺せ。ようやく、本当の意味で復讐を果たす時が来たんだ、ジェイガ」
「……ッ!! 近付くな……ッ!」
ヴェグナが歩み寄ろうとしている気配を察し、反射的に生み出した大鎌の刃を差し向ける。
知らず知らず、大鎌を握る両手が微かに震えていた。前進どころか、後退すら出来なくなっていた。地面に縫い止められてしまったかのように、両足が硬直しているからだ。
「どうした。まさかこれでもまだ冗談だと断じるつもりか? ……ならば、試しに『魔術』を撃ってみるといい」
「なっ……!?」
「私の言葉が真実かどうか、それでわかるはずだ」
両腕をさらに大きく広げ、ヴェグナはゆっくりと立ち止まった。
抵抗する気はない、とでも言ってるつもりなのか……!
「……人を馬鹿にすんのも……ッ」
そこまでされてようやく、胸の内に湧き上がった強い憤りが背中を押した。
大鎌を握る両手に力を込め、黒い刃を振り上げる。
「大概にしやがれ!!」
怒声と共に放った黒い衝撃波。前進する光の隙間から、優雅に佇むヴェグナの姿が垣間見える。
避けるはずだ、避けるに決まってる! 殺されに来ただと? ふざけんな! そんな大嘘誰が信じるか!
どんだけ虚勢を張ろうが、どんだけ父親ぶろうが、所詮は『精霊指揮者』の手先。罪の意識なんざ持ち得るはずがねェ!
そう高を括っていた。臆病風に吹かれると思っていた。
そんな俺の眼の前で――。
ヴェグナの姿は、黒い衝撃波の渦に呑み込まれた。
「――――――――――ッ!?」
宣言通りだった。どこにも、嘘などなかった。
渦に呑まれ、身体を乱雑に吹き飛ばされ、受け身も取れずに地面へと落ち、そのまま何度も転がっていく。
俺はその光景から、眼が離せなくなっていた。
自分は今、一体誰を傷付けた? 誰に対して牙を剥き、殺傷に特化した力をぶつけた?
「ふっ、ははっ。ははははははっ」
やけに倦怠感のある笑い声が聞こえた。昔、どこかで聞いた声だ。
やけによろめきながら立ち上がる誰かがいた。昔、どこかで見た覚えのある姿だ。
「わかっていたつもりだったが……、いざ正面からまともに喰らうと……っ、堪えるものだね……」
傍に落ちていたひび割れた片眼鏡を拾い、緩慢な動作で掛け直す○○○○。
額から紅い液体が流れているにも拘わらず、意に介した様子もなく微笑む○○○○。
「――――――――――ぁ」
あれは誰だ? 違うそんなはずない。だってあの人は死んだじゃないか俺の眼の前で。そうだ偽者だそうに決まってる。だってあの人は俺の父親になってくれた人で――。
『キミが父親として慕っていたヴェグナ・ブラッドリーは、我々「精霊指揮者」の協力者だ』
「――――――――――あぁ」
脳裏に浮かぶ誰かの声が、自制心を跡形もなく吹き飛ばしていく。
そうだ。あいつは俺を、ユリィを騙してやがったんだ。偉そうに父親ぶって、本当は嘲笑ってやがったんだ。そんな野郎をどォして許せる? どォすりゃ許す事が出来る!?
死んで当然だろォがあんな野郎! ズタズタに引き裂いて何が悪ィ!? あんなもんじゃ足りねェ! 俺の……俺達の恨みを晴らす為には、あの程度じゃ全然足りねェんだ!!
「……良いね。実に純粋な、憎しみに満ちた瞳だ」
息遣いが荒くなっていく俺とは対照的に、傷を負ったはずの○○○○はどこまでも平淡な口調だった。
焦りもせず、慄きもせず、血が流れ落ちる事も厭わず、誘うかのように続ける。
「躊躇う必要などない。憎しみに身を任せろ。衝動の赴くままに力を振るえ。お前が『魔術師』になったのは何の為だ? 全てはユリィの為。復讐をその手で果たす為だろう?」
「……うゥ、あァ……ッ!」
右手の黒い大鎌が、戦えと促すかのように脈打つ。
あいつは敵だ。容赦なく吹き飛ばしてしまえばいい。それが『魔術』の、『魔術師』の本来あるべき形だ。
所詮俺は――。
「さぁ! 私を殺してみせろ! ジェイガ!!」
「う……あァああああああァあァああァァァァァああああァああァァァァあァああああああああああァァッ!!」
振り翳した刃に、漆黒の光が集束していく。
このまま一気呵成に振り下ろせば、それで全てが終わる。そう悟った瞬間、周囲の景色がやけにゆっくりと流れていくように感じた。
これでもう、俺の手に残るものは何もない。
俺の戦いは終わる。復讐は終わる。空っぽに、真っ白になるんだ。
虚無――。
なんと冷たく無機質で、我が身に相応しい末路だろうか。
「止せ、ジェイガ」
誰かに、肩を掴まれた気がした。
叱るように、諭すように、引き留める囁きが聞こえた。
右手が止まる。破壊の光が霧散していく。自分の左肩に視線を送り、ようやく気付いた。
そこには確かに、誰かの手が置かれていた。陰鬱な思考の渦から引き戻される程の、不可思議な力の籠った手が。
振り向く先に佇んでいるのは、よく見知った顔。寡黙で、表情が豊かではないその人は、それでもどこか気遣わしげに、俺を見つめている。
「……ノイ、エ……」
「……もういい。主はもう戦うな。この戦いには、主が得られるものなど何もない」
俺の肩に置かれている手に、ほんの少しだけ力が籠る。
……気のせいだろうか。
俺を庇うかのように前へ進み出るノイエ。
擦れ違うその瞬間、彼の瞳が、僅かに揺らいでいるように見えたのは。