幕間四 Revealing the betrayer!
「――ねぇジン。さっきバルベラさんから聞いたんだけど、ディーンに会ったって本当なの?」
裏通りの一角でアルフレッドと別れ、隠密行動を続けていた俺は、背後から問い掛けてくるシャルミナの声に反応し、目前にあった物陰で立ち止まった。
周囲を警戒しつつ、彼女の薄紅色の双眸を見つめ返す。
「ああ。今あいつは、ここから北の方角にある『グラステッド山脈』にいる。話に聞いた限り、どうも『精霊指揮者』に無理矢理連れていかれたみたいだ。戦闘による怪我を負ってはいたが、俺の仲間を同行者として置いてきたから心配はいらない」
「そう。じゃあ、とりあえずは無事なのね。……よかった」
随分安心したらしく、シャルミナは瞑目しながら浅く息を吐いた。その様子から察するに、かなりディーンの身を案じていたんだろう。
「……あいつも中々隅に置けないな」
「えっ?」
軽く笑い、小声で呟いたつもりだったが、シャルミナには聞こえてしまったらしい。不思議そうに首を傾げる彼女に、「何でもない」と笑い返して思考を切り替える。
「さて、問題はここからだ」
物陰から僅かに顔を出し、表通りの様子を窺う。
視線の先、目測だとおよそ一〇〇メートルの位置に、『テルノアリス城』の正門が屹立している。別れ際にアルフレッドが教えてくれた道順を辿ったおかげで、俺達は一度も追手に遭遇する事なく、ここまで戻ってくる事が出来た。
バルベラさんを捕まえる為に人員を割いているのか、正門前の警備はやや手薄だ。城へ入るなら、今が絶好の機会だろう。
とはいえ、これ以上騒ぎを起こすのは得策じゃない。出来ればこのまま隠密に城へ侵入したい所だ。
「ねぇジン。さっきダグラスに頼んでた事もそうだけど、一体城に何を調べに行くつもりなの? さっき連行された時は、めぼしい情報は手に入らなかったんでしょ?」
「ああ。だがキミ達と合流出来た事で状況が変わった。俺の推測を確信にする為には、どうしても城に入らなければならない。それにシャルミナ。『内通者』の目論見を暴く為には、恐らくキミの力が必要になる」
「? どういう事……?」
「それは――」
「オレらを差し置いて随分楽しそうな事してんじゃねぇか。仲間外れにしねぇでくれよ、冷てぇなー」
完全に、不意を突かれてしまった。
路地裏に響き渡った男のものと思われる声。捕縛や拘束に関する口上を行わなかったという事は、相手は恐らく正規軍の兵士ではない。どこか敵意のない軽快さを窺わせるその声に、しかし俺は気を許さなかった。
背中の『魔剣』の柄に手を掛け、いつでも抜刀出来るように体勢を整える。
声の主は路地裏の奥。曲がり角の向こうにいるようだ。
「誰だか知らないが、顔を見せたらどうだ? 妙な横槍を入れるつもりなら――」
「待ってジン!」
一触即発の張り詰めた空気を挫くかのように、突如制止の声を上げたのはシャルミナだった。彼女は俺の前に立ちはだかり、背を向けたままやけに穏やかな口調で続ける。
「警戒を解いて。大丈夫、敵じゃないわ」
「いや、だが……」
「よくわかったわね。私がここに隠れてるって」
こちらの心配を他所に、シャルミナは姿の見えない相手に向かって無邪気な声で話し掛けてしまう。相変わらず、警戒心は微塵も感じられない。
置いてきぼりを喰らった気がして僅かに惚けていると、さっきの男のものとは別の、なぜか楽しげな声が響いてきた。
「ハハッ、何言ってんの。わかるに決まってんでしょ。アタシらがあんたの行動パターンを読めなかった事なんて、一度もなかったじゃない」
一人だと思っていた来訪者は、どうやら二人だったらしい。今聞こえてきた声は、明らかに女のものだった。
陽気な口調の男女二人組で、シャルミナが全く警戒しない相手。
……ん? そういえば以前、ディーンからシャルミナの話を聞いた時に……。
「とにかく、何やらお困りのご様子ねぇ、お二人さん」
「ここは一つ、オレ達が力になってやろうか?」
弾むように軽快な足音を鳴らしながら、二つの声が近付いてくる。やがて姿を現したのは、胡桃色の髪の青年と、天色の髪の女性だった。
相手の容姿を視界に捉えた俺は、ようやく警戒心を解く事が出来た。なぜならその二人に関する情報を、ディーンから伝え聞いていたからだ。
ジグラン・グラニード。
レイミー・リゼルブ。
トレジャーハンターを名乗る彼らは、ディーンが自らの旅路の中で絆を結んだ、仲間と呼ぶべき者達だった。
◆ ◆ ◆
「――今更だが、本当にこんな方法で大丈夫なのか?」
不意打ち的な顔合わせから、二十分近くは経った頃。俺は小声で、姿の見えないトレジャーハンター達に改めて問い掛けた。
すると、相変わらず緊張感のない陽気な声が、俺の鼓膜を刺激する。
『さっき知り合ったばっかのアタシらを信用出来ないのは無理ないけど、安心しなさい。城門を突破するくらいなら、無事にこなしてあげるわよ』
「……別に、信用していないとは言っていない。本当に成功するのか気になっただけだ」
『何だよ。紅髪の友達だっつー割には小心者だなぁ。もっと気楽に行こうぜ!』
「……あいつがどう思われてるのかが実によくわかる台詞だな」
本人が聞いたらどんな顔をするか容易に想像出来てしまった俺は、悪いと思いながらも苦笑した。
気楽に行こう、とジグランは言うが、俺はどうしても彼のように楽観的にはなれない。その原因は、彼らが提示してきた城への侵入方法にある。
その内容とは単純明快。彼らが使っている幌馬車に俺とシャルミナが潜り込み、城門の検閲を掻い潜るという、平たく言えば何の捻りもない方法だった。
トレジャーハンターとして活動している彼らは、旅先で遺跡の調査を行い、前時代の遺物を発見すると、それを城に住まう貴族達に報告する為に持ち帰っているそうだ。事実、彼らの幌馬車には、遺跡から出土したらしい古びた物品が所狭しと積まれていて、内部を見せられた時には、俺も思わず唸らせられた程だ。
そんな幌馬車にシャルミナと一緒に隠れ潜み、今こうして城を目指している訳だが……。今更ながら、こんな安直な手段に縋ってしまった自分が情けなくなってきた。
他に良い方法が思い付かなかったからとはいえ、何だかバルベラさんの突破方法を笑えなくなってしまった気がする。
『ほらほら、無駄話はそれくらいにしな。本番だよ野郎共』
俺が少々落ち込んでいる事など、レイミーは想像もしていないのだろう。どうやら城門が近付いてきたらしく、彼女は小声で俺達を制した。
その数秒後、乗り心地の悪い震動を起こしていた幌馬車が、ゆっくりと停車した。
『お勤めご苦労様でーす。……何かあったんですか? 忙しそうにされてますけど』
開口一番に明るい口調で尋ねるレイミー。
すると、門番の兵士のものと思しき、厳しげな声が返ってくる。
『余計な詮索はしなくていい。それより一体何の用だ。見た所荷物を積んでいるようだが?』
『あーはい。実はアタシら、こういう者でして……』
と言いつつ、レイミーが兵士に何かを差し出しているのを気配で感じ取る。恐らく身分を証明する為の書類か何かだろう。
数秒沈黙があり、やがて兵士の声が返ってくる。
『遺跡調査の報告か。長旅ご苦労だったな……と言いたい所だが、残念ながら今現在、城への立ち入りは軍関係者以外禁じられている。悪いが日を改めてくれ』
『いやー、そう言われましてもこっちも仕事なんでねー。帰れと言われてハイそうですかって訳にもいかないんですよ。大体、軍人以外立ち入り禁止って、よっぽどの事でしょ。一体何があったんです?』
『余計な詮索はするなと言ったはずだ。いいから黙って立ち去れ。逆らうようなら容赦せんぞ』
『あれ、もしかして捕縛とかされちゃいます? だったら好都合だなー。そうすればとりあえず城には入れるんですもんね?』
『……』
人を喰ったようなジグランの台詞に対し、顔の見えない兵士が面倒臭そうな溜め息を吐いた。
何となくその表情まで想像出来てしまうが、さすがに口を挟む訳にもいかない。兵士には悪いが、黙って成り行きを見守る事にしよう。
『……仕方ない。ここに居座られても厄介だ。特別に入城を許可しよう。仕事相手が貴族である以上、無碍にする訳にもいかんだろうからな』
『やったー。ありがとうございます兵士さん!』
わざとらしく喜びの声を上げるレイミー。
すると、傍にいたらしい別の兵士が、警戒しているような声色で告げる。
『でもいいのか? コアロッド大佐に許可を取らなくて……』
『つい何時間か前にも似たような事があったばかりだからな。また同じような事に時間を費やしていたら、それこそ注意を受ける羽目になる。今は人手が足りないんだ。少しくらいなら、大佐も大目に見てくれるだろ』
……いや、それはどうだろう。いかに緊急事態とはいえ、あの厳しさを形にしたような人が、『大目に見る』などという甘い台詞を吐くだろうか? どれだけ楽観的に考えても、許してもらえるかどうかは微妙な気がする。
まぁ、今こうして城に侵入しようとしている俺が、どうこう言える立場じゃないが……。
『ただし、用が済んだらすぐに引き上げてもらうぞ。それと、わかっているだろうが荷物を検めさせてもらう』
『もちろんです。お好きにどうぞー』
……!? ちょっと待て。調べられる事をやけにあっさりと承諾したが、本当に大丈夫なのか……!?
レイミーやジグランの口調が終始能天気さを感じさせるものだっただけに、ここに来て一気に緊張感が増してきた。左胸の鼓動が、加速度的に早くなっていく。
どうにか気を紛らわそうとしても、荷台の方へ近付いてくる兵士の足音がそれを許さない。やがて後ろの幌が捲られる音がして、兵士が荷台に乗り込む震動が伝わってきた。
ガタゴトと、荷物が動かされる音。それが徐々に、しかし確実に俺の許へと近付いてくる。
僅かな息使いさえ聞き取られてしまう気がして、思わず右手で口許を覆う。
頼む、どうか気付かないでくれ――!
『――――――――――よし、いいだろう』
緊張感が限界に達しようとしたその一歩手前で、神の救済に等しい承諾の声が響いてきた。
荷台から降りる震動の後に、兵士の足音が幌馬車の前方へと戻っていく。
『門を潜ったら敷地の西側へ行け。馬車を止める所があるから、あとはそこの兵士に事情を説明すればいい』
『わかりましたー。そんじゃあ、お邪魔しますねー』
間延びしたレイミーの言葉に続き、重苦しい金属音が響き渡ってきた。どうやらそこまで怪しまれる事もなく、開門に成功したらしい。
動き出す幌馬車の中で、気付かれないようにゆっくりと安堵の息を吐き、いつの間にか湿っていた額を右手で拭う。
どれくらいの時間が掛かっていたのかわからないが、正直生きた心地がしなかった。
こんな経験は、人生でこれっきりにしてほしいものだ。
◆ ◆ ◆
「――もう出て来て大丈夫よ、お二人さん」
数分後、再び幌馬車の震動が止まると、レイミーが明るい口調で呼び掛けてきた。
彼女の言葉を信じ、俺は『眼の前の板』を外して、まず上半身を起こした。するとすぐ隣で、同じく『板』を外して起き上がったシャルミナと眼が合う。
「危なかったー……。一瞬声出しそうになったし……」
「……まぁ、無理もないだろう」
確かに俺達は幌馬車の荷台に潜んでいた。だが、もちろんただ乗り込んでいた訳ではない。
実はレイミーとジグランがこの幌馬車を使えと提案してきた際、荷台の床に隠し空間がある事を教えてくれたのだ。
そこに身を潜めるだけではすぐに見つかってしまうかも知れないが、荷台に所狭しと荷物が置かれていて、かつ現状が非常に慌ただしい事態の最中であるなら、その可能性はだいぶ低くなるだろう。
二人にそう提案され、こうして城に潜入出来た訳だが、あまり手放しでは喜べない自分がいる。無論その理由は、とんでもない緊張感に苛まれたからだろう。
気疲れしている俺とシャルミナとは対照的に、二人のトレジャーハンターはどこ吹く風といった様子で、
「意外とすんなり入れたわよねぇ。何か拍子抜けって感じじゃない?」
「確かになー。もう少しハラハラさせてもらいたかったぜ」
などと会話する始末。
……なぁディーン。お前なら、この二人にどんなツッコミを入れる? 正解があるなら是非とも教えてほしいものだ。
溜め息一つで頭を切り替え、幌馬車から降りる。
何にせよ城門は突破出来たのだ。見回りの兵士と鉢合わせする前に、次の行動に移るとしよう。
「俺とシャルミナはこれから城内に入るが、お前達はどうする?」
物陰から周囲の様子を窺いつつ尋ねると、ジグランがのんびりした口調で答える。
「お前らが動きやすくなるように、その辺の兵士達にちょっかい掛けといてやるよ。もちろん捕まらない程度にな」
「城に入って何をするつもりなのかは知らないけど、行くならさっさと行きなさい。余計な事に時間割いてたら、動き辛くなる一方よ」
「わかった。協力してくれてありがとう。感謝する」
色々思う所はあったにせよ、彼らの協力は素直に有り難かった。
労いの言葉を掛けると、二人は快活に笑って俺達とは別方向へと歩いていく。前言通り、まずは近場の兵士達の足止めに向かってくれるようだ。
「よし、俺達も行こう」
遠ざかる二人の背を気遣わしげに見つめていたシャルミナに呼び掛け、小走りで先を急ぐ。
王襲撃に加えて、派手な牢破りまで起きたせいだろう。門番の兵士が言っていた通り人手が足りなくなっているのか、敷地内も警備はやや手薄だった。軍全体の統率が乱れる程ではないにしても、こうも立て続けに事件が起きれば、そうなるのも無理はない。
物陰から物陰へと移動しながら、時折現れる巡回兵を躱しつつ、幌馬車を停めた位置から程近い所にある色彩豊かな庭園を経由して、城の西側入口へ。
「――おっと」
先行していた俺は、緑の葉をつけた垣根の陰に身を潜めながら、後続のシャルミナを軽く制止した。
十数メートル先。正面入口よりもやや小さい鉄製の扉の前には、正規軍兵士二名が張り付いている。
「どうする? 思い切って気絶させちゃう?」
「いや、出来れば手荒な真似は避けたい。もう少し様子を見てから――」
と言い掛けた所で、兵士達に動きがあった。
見張りの二人とは別の兵士が、やや慌てた様子で駆けてきて何かを告げると、兵士達は揃って何処かへ走り去ってしまった。
呆気に取られ、思わずシャルミナと顔を見合わせる。
「もしかして、レイミー達じゃない? さっき兵士にちょっかい掛けるとか言ってたし」
「恐らくな。……無茶な真似をしていなければいいんだが……」
「……否定し切れないわね、悲しい事に」
シャルミナと溜め息を吐き合い、揃って苦笑する。心配の種は尽きないが、今はとにかく前進あるのみだ。
周囲に人影がない事を確認し、入口に向かって走り出す。両開きの鉄製の扉をシャルミナと共に開け、滑り込むように城内へと入った。
西側入口の大広間には、どこかの風景を描いた絵画がいくつも飾られており、天井からは巨大なシャンデリアが吊り下げられていて、暖かな光で室内を照らし出している。正面と左右にはそれぞれ茶色い両開きの扉が待ち構えていて、正面の扉以外は開け放たれたままになっている。
確かリーシャ様の執務室は、向かって右側の扉を進んだ先にあったはずだ。
感慨深げに大広間を見回しているシャルミナに手招きしつつ、廊下の先を慎重に窺う。大広間から続く紅い絨毯の上を進み、時折廊下の柱の陰に隠れながら、等間隔に配置されている部屋の扉の前をいくつも通り過ぎる。
そうして何十メートルか進んだ所で、俺は人の気配を感じて立ち止まった。
十数メートル先にある目的の扉の前に、歩兵銃を携えた兵士が二人、やや緊張した面持ちで佇んでいる。片開きの茶色い扉を両側から挟み込む形で立っている兵士達は、小声で何かしらの会話を行っているようだ。
「あの部屋がリーシャ様の執務室なの?」
俺と同じく、柱の陰から前方の様子を窺っているシャルミナが、小声でそう零した。やはり彼女も緊張しているのか、その横顔はやや強張っているように見える。
「ああ、そうだ。見張りがいるという事は、どうやらリーシャ様はまだ中にいるようだな。……とはいえ、その見張りをどうするかが問題な訳だが……」
城内に入ってしまった以上、レイミー達の援護は期待出来ない。手荒な真似は避けたいとシャルミナに言ったばかりだが、仕方がない。別の兵士がやって来る可能性も捨て切れない以上、立ち止まったままでいるのは自殺行為だ。
覚悟を決め、相手との距離をもう一度目測し直す。兵士は二人共、歩兵銃で武装しているが、不意を突けば発砲される前に距離を詰められるはずだ。
上手く接近戦に持ち込んで、即座に意識を奪う。口で言う程簡単な事ではないだろうが、とにかくやるしかない!
「シャルミナ。キミはここに――」
隠れていてくれ、と言葉を紡ぎ切る前に、隣の少女に動きがあった。
まるで弓から放たれた矢のような速度で柱の陰から飛び出したシャルミナは、扉の前に佇む兵士二人の間に一瞬で到達したのだ。
まさしく疾風迅雷。途轍もない移動速度を見せつけられ、呆然とする俺と同様に、兵士達も何が起きたのかわかっていないようだ。
「何者だ、貴さ――」
数秒硬直していた兵士達は、慌てて歩兵銃を構えようとするが、もう遅い。
すでに攻撃態勢に入っていたシャルミナは、華麗な回し蹴りを片方の兵士の首筋に叩き込んで卒倒させ、次いでもう一方の兵士の鳩尾に掌底を突き立て、沈黙させてしまった。
紅い絨毯の上に力無く倒れ込む兵士達を見つめながら、シャルミナは僅かに頭を下げた。
「ごめんなさい。ちょっと通してもらいますね」
申し訳なさそうな顔で謝ったのも束の間。シャルミナは柱の陰から動けずにいる俺を見て、不思議そうに首を傾げる。
「? 何してるのジン。早く中に入ろうよ」
「……っ、ああ。そうだな……」
改めて『魔術師』という存在がどういうものなのかを認識させられ、頼もしさと同時に緊張感を覚える。
月並みな言い方だが、やはり別格だ。特にシャルミナの場合、見た目が普通の少女だというせいもあって、それが顕著に表れているように思う。
そんな『魔術師』に促され、俺は執務室の扉を数回ノックした。
「――どうぞ。開いていますよ」
数秒後、扉の向こうから聞こえてきたリーシャ様の声は、警戒心を抱いていないように感じられた。どうやら見張りの兵士達がほとんど声を上げる事なく気絶した為、外の異変に気付いていないらしい。
俺は一旦シャルミナと顔を見合わせ、静かに扉を押し開けた。
「ジン……!? それにシャルミナさんまで……! 一体どうやって戻って来たのですか?」
事務机で作業をしていたらしいリーシャ様は、俺達を視界に捉えた途端、随分驚いた様子で椅子から立ち上がった。
と同時に、気絶した兵士二人を室内に運び込む俺達を見つめ、困惑した様子で続ける。
「その二人は、あなた達が?」
「すみません、気絶させたのは私です。リーシャ様に用があってここに入りたかったんですけど、事情を話してもわかってもらえないと思ったので……」
「……あまり褒められたやり方ではありませんが、今回ばかりは眼を瞑りましょう。その二人には、あとで私から謝っておきます。――ところで、用件というのは?」
苦言を呈しながらも、リーシャ様は落ち着きを取り戻した様子で椅子に座り直した。
暴力に訴えた事をもう少し咎められるかと思ったが、彼女なりにこちらの事情も考慮してくれたらしい。
寛大と言っても過言ではない人柄に感謝しつつ、俺は一歩前に進み出て口を開く。
「突然押し掛けて申し訳ありません。実は『内通者』を暴く為の糸口を掴んだので、リーシャ様にお伝えしようと戻って参りました」
「! 本当ですか……!?」
報告の内容が予想外だったらしく、リーシャ様は色白の顔を驚きで満たした。
「一体誰なのです、『内通者』は?」
「それを知る為にまず、リーシャ様にお願いがあります」
結論を求めるリーシャ様に対し、俺は一旦制止する意味も込めて、自分が城へ舞い戻った目的を明かした。
「王の容態を、直接見せて頂きたいのです」
◆ ◆ ◆
『テルノアリス城』上層階。元老院が会議を行なう『王座の間』から程近い場所に、王の寝室は設けられている。
リーシャ様に先行してもらい、見回りの兵士や他の貴族に遭遇しないよう気を配りながら、俺達は彼の部屋を目指した。
上層階へと辿り着き、王の寝室まで後僅かとなった時。不意に廊下の窓から目にした空は、重苦しい灰色に染まっていて、いつ雨が降り出しても可笑しくない様子だった。
「リーシャ様、一人で大丈夫かな……」
傍らでシャルミナが心配そうな声を上げた為、俺は意識を前方へと戻した。
十数メートル離れた王の寝室の扉の前では、リーシャ様が見張りの兵士二人と何やら話し込んでいる。恐らくはそれらしい理由を付けてあの場を離れさせようとしているのだろうが、相手も中々手強いらしい。話し始めて数分経っても、兵士達は扉の前から動こうとしない。
「ここは任せるしかないだろう。暴力に訴えられない以上、俺達が出て行っても状況が悪くなるだけだ」
「それはそうだけど、だいぶ手古摺ってるみたいだよ?」
「……」
やはり警護する場所が王の寝室というだけあって、兵士もそう簡単に立ち退く気配を見せない。しかも王が一度襲撃されているとなれば尚更だ。
こうなるとやはり、強行突破しか方法はないだろう。リーシャ様の努力を無駄にするのは気が引けるが、これ以上時間を割くのも得策とは言えない。
突攻の承諾を目配せでシャルミナに送り、俺達は物陰から前方に照準を定めた。短く息を吐き、『魔剣』の柄に手を掛ける。
しかし、その時。
「――どうかされたのですか? リーシャ様」
聞き覚えのある声が聞こえた為、俺は今にも飛び出しそうになっているシャルミナを慌てて制止した。
声の主は、やはりマース・コアロッド大佐だった。彼がここにいるという事は、アルフレッドとは行き違いになってしまったのだろうか?
嫌な予感を覚えつつも成り行きを見守っていると、兵士二人は大佐に何かしらを命じられ、呆気なくそれに従った。小走りで廊下の向こうへと消える兵士達を見送った後、リーシャ様がこちらを振り向いて手招きする。
もう大丈夫そうだと判断し、俺達はそれに従って物陰から進み出た。
扉の前の二人に歩み寄ると、すぐさま大佐が口を開く。
「アルフレッド・ダグラスから話は聞いた。どうやら上手い具合に合流出来たと自負しているが、相違ないか?」
「その通りです、助かりました。――それで、アルフレッドに頼んでおいた件なんですが……」
「無論、キチンと調べてきた。ここで話すより、中に入った方が良かろう」
俺の杞憂を頼もしい言葉で払拭し、大佐は移動を促した。
彼の言葉に従い、揃って足を踏み入れた王の寝室は、見事と言うより他にない程、豪華絢爛たる内装だった。
『首都』の街並みを一望出来る、大きく四角い窓。床には触り心地の良さそうな紅い絨毯が敷かれ、置かれている椅子や机、本棚といった全ての物に、金や銀で装飾が施されている。天井からは小さいながらもシャンデリアが吊るされていて、実に幻想的な光で室内を照らしている。
リーシャ様の執務室も広いと感じたが、ここは明らかにそれ以上の間取りだ。俺が王の立場なら、一人で使うのは勿体無くて、きっと落ち着かなくなる。
「ところで、一体ここで何を調べるつもりなのですか?」
独特の雰囲気に呑まれて思わず呆けてしまっていた俺は、リーシャ様に問われて我に返った。
入口から対角の位置に置かれている、細部にまで装飾の施された天蓋付きのベッド。その上には、見るからに容態の優れない王が横になっている。顔からは血の気が引き、意識はないが、額に大粒の汗を浮かべて荒い呼吸を繰り返している。
ベッドの脇にある小さな椅子に腰を下ろすリーシャ様は、疑問を抱えている様子で俺の方を仰ぎ見ている。
「俺が調べるというより、彼女にある事を確かめてもらうんです」
「えっ、私?」
指名されたのが意外だったらしく、ベッドを挟んで反対側に立つシャルミナは、やや眼を丸くした。
不思議そうな彼女を手招きして王の傍に呼び寄せ、続ける。
「シャルミナ。率直な感想を聞かせてくれ。『今ベッドで横になっているこの人物は、キミの眼にはどう見える?』」
「? どういう意味?」
「深く考えなくていい。どんな風に見えているかを答えてくれればいいんだ」
「どんな風にって、凄く具合が悪そうに――」
と言いつつ、眼の前に横たわっている王へ再度視線を下ろした時、シャルミナの動きが僅かに止まる。
「ちょっと待って。この人……、何か変」
訝しげな表情で王を見つめ、シャルミナは考え込むように顎に手を添える。
彼女が違和感を覚えたという事は、やはり――。
「シャルミナ。キミが感じたままでいいから、どこがどういう風に可笑しいのか、言葉にしてみてくれ」
「えっと、顔って言うか姿って言うか……。上手く説明出来ないんだけど、こうして見つめ続けてるとね、『この人そのものが不規則に霞んで見える』の」
「……そうか。どうやら間違いないらしい」
シャルミナは眼の前の人物が『不規則に霞んで見える』と言うが、俺には『重傷を負った王が横になっている』ようにしか見えない。
しかしこの差異こそ、俺の予測していた通りの事象だった。
「どういう事だね、ハートラー?」
シャルミナと同じく、リーシャ様や大佐も状況が上手く呑み込めていないらしい。やや眉根を寄せた表情で問われ、俺はベッドに視線を落としながら告げる。
自分自身ですら、荒唐無稽なのではないかと思う推論を。
「この人物は、恐らく『本物の王』ではありません」
「「「はっ……!?」」」
口にした瞬間、三人が声を揃えて首を傾げた。俺を見つめる全員の顔には、明らかに困惑の色が浮かんでいる。
「俺や大佐、リーシャ様と違って、シャルミナだけが違和感を覚える原因はただ一つ。この人物が、何らかの『魔術』の影響下にあるからだ」
「!」
「そしてその『魔術』とは、この人物の姿が『襲撃されて負傷した王』として周囲の人間に映る、一種の暗示のようなものなんだろう」
「じゃあ、ジンが私をここに連れてきた理由って……」
「そう。キミなら見破れるんじゃないかと思ったからだ。『魔術』を制するには『魔術』。専門家に頼むのが一番だろう?」
無意識に微笑み掛けると、シャルミナは少々照れたように眼を瞬かせた。
そんな彼女の横で、大柄の大佐が腕を組み、難しそうな顔をする。
「しかし、なぜ気付いたのだ? この人物に何らかの『魔術』が掛けられていると。それにこの人物が偽者だと言うなら、これは誰で、本物の王はどこにいる?」
「それは大佐。あなたが精査してくれた情報があれば、自ずとわかります。だからまずは、この人に掛けられている『魔術』を解きましょう」
「簡単に言うけど、どんな『魔術』が掛けられてるのか具体的にわからないんじゃあ、私にも解除のしようが……」
「わかってる。だから俺なりに推測を立ててみた」
明らかに困惑しているシャルミナを説き伏せる為、俺は自らの考えを言葉にしていく。
「以前ディーンから聞いた話では、『魔術』の中には『核』と呼ばれるものを用いる事で、術者本人が近くにいなくても、半永久的に効力を発揮するものがあるらしい。それは間違いないか?」
「……ええ、その通りよ」
問い掛けに答えてはくれたものの、なぜかシャルミナは一瞬躊躇ったように眼を逸らした。
その理由が若干気になったが、何となく今尋ねるべき事ではないように思い、疑問を頭の隅へと追いやる。
「『内通者』が誰にせよ、常時偽物の王の傍に張り付いて、偽装する為の『魔術』を発動させ続けるのは無理がある。そんな事をすれば、本人が怪しまれるだけだからな」
「つまり『内通者』は、自分が傍にいなくても『魔術』が発動し続ける方法を取ってるって事ね」
俺の推測を真剣な表情で聞きつつ、シャルミナは室内を静かに見回した。
「ならこの部屋のどこかに、『魔術』の『核』があるのかしら?」
「いや、それだと偽物の王を室外に運び出すような事態になった時に、偽装がバレる恐れがある。だとすれば一番安全な方法は――」
「術を掛ける対象者自身に、『魔術』の『核』を持たせる……!」
共に結論へと辿り着いた俺達は、同時にベッドの上の人物へと視線を下ろした。
神妙な面持ちで見守っているリーシャ様に了解を得て、具合の悪そうな『王』の身体検査を始める。
襲撃された時に負った傷に見えるように、『魔術』的な何かしらの記号が肌に刻まれていないか。着ている布地の服の内側に、怪しげな文字が隠されていないか。
見落としがないよう慎重に調べていた、その時だった。
「……! この指輪……」
一緒に調べていたシャルミナが、『王』の左手を持ち上げて食い入るように見つめている。
左手の中指に嵌められている、紅い宝石の付いた銀色の指輪。一見、ただの装飾品としか思えないが、彼女が違和感を覚えたという事は……。
「シャルミナ。まさかそれが……?」
「ええ。気付かれないように上手く加工してあるけど、この指輪に付いてる石、『導力石』よ」
確信を持った様子で告げたシャルミナは、右手の人差し指を指輪の石に向けながら、小声で何らかの文言を口にした。するとその瞬間。指輪の石だけが真っ二つに割れ、白いシーツの上へと転がり落ちた。
途端、ようやく俺の眼にもハッキリと捉えられる現象が発生した。
突如として現れた怪しげな紅黒い光が、ベッドに横たわる『王』の全身を音もなく包み込んだのだ。
やはり俺の推測は正しかった。ならば、恐らく偽物の王の正体は――!
一瞬も眼を逸らす事なく、現象の収束を待つ。俺以外の三人も、固唾を呑んで見守っている。
やがて紅黒い光が薄れ始め、包み込まれていた人物の容姿が露わになった。
「! この人……!」
驚愕した様子で声を上げるシャルミナの横で、俺は自分でも呆れる程冷静だった。
全ては恐ろしいまでに推測通りで、それ故に残酷極まりなかった。
なぜなら、額に大粒の汗をかきながら横たわっているのは、苦しげな表情を浮かべている『ハルク・ウェスタイン』様だったのだから。
「ハルク……!? ああッ、そんな……っ!」
信じられないものを目撃したような表情で、リーシャ様は椅子から崩れ落ち、膝立ちになってベッドのハルク様に近寄った。
「しっかり! しっかりしてくださいハルク! なぜあなたがこんな……!」
両手でハルク様の左手を握り、必死な様子で呼び掛けるリーシャ様。だが当然のように、ハルク様から返事は返って来ない。
「つまり、襲撃されたのは最初からハルク様の方で、本物の王は連れ去られていたという事か?」
「恐らく――いや、もう間違いないでしょう」
やや顔を顰めている大佐に答えつつ、俺は肩膝をついて、リーシャ様と目線を同じにした。
「リーシャ様。こんな時にとは思いますが、どうかあと一つだけ、協力して頂けないでしょうか」
「……っ! すみません、取り乱してしまって……。私に出来る事なら、何でも言ってください」
恐らく涙を堪えていたのだろう。リーシャ様は振り向く前に右手で目許を拭い、決して憔悴した姿を見せようとはしなかった。
あくまで気丈に振る舞う彼女の芯の強さに、改めて感服させられる。
高潔なる者には、それ相応の振る舞いが求められるのだと、いつだったかハルク様が口にしていた事を思い出す。
ハルク様やリーシャ様がそうあろうと努めているからこそ、尚更俺には許せそうにない。
卑劣な手段で彼らの矜持を踏みにじった、『内通者』の存在を!
「どのような理由でも構いません。元老院全員を、『王座の間』に呼び集めて貰いたいのです」