幕間一 Where is the truth?
窓のない貨物車の中に、列車独特の重たい走行音が響き渡っている。
一定の間隔で繰り返し刻まれる震動は、ここが客車でさえあれば、心地良い眠気を誘ってくれていた事だろう。
全長二十メートル、幅三メートル程の貨物車の中には、石材や木材、水や酒が入った樽に、麦や香辛料と言った食物関係に至る物まで、様々な物資が所狭しと積み込まれている。
貨物車の隅に腰を下ろして列車の震動に身を預けていた俺は、持ち込んだ食料であるパンを一噛りした。何の味付けもされていないが、簡易的な食事である為贅沢は言ってられない。
咀嚼しつつ、懐を探って懐中時計を取り出す。壁の僅かな隙間から漏れる外の光を頼りに時間を確認し、俺はやや物思いに耽った。
ディーン達と別れてから、すでに半日が経過している。『首都・テルノアリス』に帰還する為、俺が移動手段として選んだのは、大陸のあちこちから物資を運搬する為に使われる貨物列車だった。
大陸の中央に位置する『首都』は、内陸地域であるという点から、物資輸送の方法が極端に限られている。
その主な輸送手段となるのが、陸路。
『首都・テルノアリス』の場合、周辺に運河として利用出来るような大きな河川がない(それでも川が流れている地域はある)為、船での輸送を主にするのは無理がある。空路に至っては、大陸南端の造船街『ストレイア』に軍関係の飛行船が配備されているが、飛行船その物の数が限られている為、有事の際に整備されていなくては困るという名目上、物資輸送には使われていない。
それ故必然的に、『首都』は貨物列車による物資輸送に頼る他なくなるという訳だ。
ガタガタと忙しなく揺れ続ける車体に身を預け、浅く息を吐く。気疲れしている、というのが本音だった。
そもそもなぜ俺が、こうして貨物車に潜り込み、もとい乗り込んでいるのか。それは言うまでもなく、人目を避ける為である。
現政権内に、『内通者』がいる。
旅先で奇妙な再会を果たしたディーン・イアルフスは、重苦しい表情で俺にそう語った。
正直な所、今でも俺には信じられない。『内通者』……言わば裏切り者が、現政権内に紛れ込んでいるなんて……。悪い冗談だと思ってしまいたいくらいだ。
だがディーンがあそこまで言う以上、可能性が皆無ではないというのは間違いないのだろう。それに俺自身、今までの出来事に関して何も引っかかる事がないという訳ではない。
そういう事情があるからこそ、馬鹿正直に客車に乗り込む訳にはいかなかった。どこで『内通者』が眼を光らせているかわからない以上、下手にこちらの姿を晒してしまえば、不利になるのは明らかだ。
原則として、行動は隠密に。例え姿を晒すとしても、極力最小限に。
早急に『内通者』の正体を突き止める必要があるとはいえ、焦りは禁物だ。こちらが冷静さを欠けば、それだけ相手の思う壺となってしまうのだから。
それにしても……、今更だが本当に『あいつ』の周りでは、信じられない事が立て続けに巻き起こるな。
以前冗談めかして、「何か良くないものに取り憑かれているんじゃないか?」と言った事があったが、さすがにもう笑って流せるような状況じゃない。それはあいつ自身、痛い程よくわかっている事だろう。
無論、あいつを責めるつもりは毛頭ない。が、今回は内容が内容だけに、愚痴の一つでも零してしまいそうになる。
「……それもこれも、無事にこの一件が終わってから、だな」
苦笑しつつ、独り言を呟いた直後だった。
鉄同士が擦れ合うような耳障りな音を立てて、徐々に落ちていく列車の速度。降りる準備をするならそろそろだろう。
最後の一欠片となったパンを口の中に放り込み、背中から床に下ろしていた『灰塵剣』を掴んでゆっくりと立ち上がる。
終着駅が、『首都』が近い――。
◆ ◆ ◆
車体が完全に停止してしまう前に、俺は貨物車の扉を開け、外の様子を窺った。
列車は丁度、『首都』の外壁を潜った所だったらしい。進行方向の逆側に眼を向けると、巨大な白い外壁が遠ざかっていくのが視認出来た。
あまりグズグズしていられない。列車が駅に停車してしまえば、中の積み荷を降ろす為に、程なく正規軍の兵士数名が集まってくるだろう。一応顔を知られているから、見つかってもすぐに騒ぎになるような事はないだろうが、なぜ貨物車に乗っていたのかと問われると答える事が出来なくなる。『内通者』の手を逃れる意味でも、余計な接触は避けるべきだ。
自然と緊迫する胸の内を静めていると、列車はホームの手前にある操車場に差し掛かった。
数十メートル程先に貨物が積み上げられて死角になっている場所を見つけ、徐々に速度が緩くなっていく列車から、俺は意を決して飛び降りた。
受け身を取って地面を二、三度転がる事で、着地の衝撃を殺す。遠ざかる列車を見送るのもそこそこに、俺は立ち上がってその場を離れた。
物陰に隠れつつ操車場を出て、街の雑踏の中へと潜り込む。あらかじめ纏っておいた茶色いマントにはフードが付いている為、それを被るのも怠らない。
『首都』の中にある四つの駅の内、俺を乗せた列車が到着した駅は、どうやら街の北側だったらしい。となると、ここから城へ向かう為には、大通りを南下しなければならない。
が、無論俺は、馬鹿正直に城の門を叩くつもりはない。
俺がこうして舞い戻った事が、いつ『内通者』の耳に届くかわからない。もちろん周囲に気を配ってはいるが、こんなマント一つでは誤魔化し続けるのにも限界がある。だからこそ今の内に、信頼出来る『協力者』を見つけ出すのが何よりも重要な事柄だ。
ただ問題なのは、一体誰に協力を求めるべきかという点だが……。
今回の件に関して、ハルク様はもちろんの事、ディーンの話から考えてリーシャ様も力を貸してはくれるだろう。だが元老院である彼らに会う為には、直接城に向かわなければならない。現段階で取る行動として、これはあまりにもリスクが高過ぎる。
正規軍人など論外。どこまで『内通者』の手が伸びているかわからない以上、下手をすれば何らかの理由を付けて拘束される恐れもある。一般兵士も含め、軍関係者には近付かない方が賢明だろう。
ならば『ギルド』関係者はどうだ? 元老院や軍との関わりが全くない訳ではないが、『ギルド』は主に民間の組織だ。繋がりが薄い分、行動を制限される事は滅多にないはず――。
……いや待て。安心するのはまだ早い。
そもそも、『内通者』は一人だけだといつ確定した?
相手は『精霊指揮者』、ボルガ側の人間だ。先の事を見越して、二手三手と罠を張り巡らせている可能性は充分にある。例え相手が『ギルド』関係者であろうと油断は出来ない。
「……そうなると」
色々考えてはみたが、やはり俺が最初に声を掛けるべき人間は、『あいつ』しかいないようだ。
しばらく大通りを南下した後、俺は脇道に入って進路を東に向ける。
目指すは『首都』の東側、『ジェニック通り』。劇場区の端に位置する店、『ライム』。その店の主たる彼女なら、俺の力になってくれるはずだ。
エリーゼ・スフィリア。
俺とは古くからの友人で、恐らくは大陸一の的中率を誇る凄腕の占い師。
どこか『魔術師』然としたその聡明さも相俟ってか、彼女の許を訪れる者は自然と後を絶たない。しかもその訪問者の中には、城に住む王族や貴族の者が混じっていたりもする程だ。
俺自身、これから具体的にどういった行動を起こしていくにしても、エリーゼの存在は心強い。
或いは彼女なら、俺がこの街へ舞い戻ってきた事をすでに知っている可能性も……。
「ジン?」
噂をすれば影、なのだろうか。知らず急ぎ足になっていた俺は、背後から聴こえてきた馴染み深い声に振り返る。
銀色のベールで顔を隠している為か、或いは宝珠の如き輝きを放つその翡翠色の双眸のせいか、良い意味で妖艶な雰囲気を漂わせるその女性は、随分驚いた様子でこちらを見つめている。どうやら彼の占い師様でも、俺がここにいる事は予測出来なかったらしい。
「エリーゼ! よかった、丁度お前の店へ向かう所だったんだ」
「よかったじゃないわよ。あなた、どうしてこの街にいるの? ハルク様からの依頼を受けて『ワーズナル』に向かったんじゃ……」
言葉の中途で彼女の細い腕を掴み、人気を避ける為に細い路地へと連れ込む。我ながら、犯罪者にでもなってしまった気分だ。
「実は少し厄介な事があってな。今から時間あるか? お前に力を貸してもらいたい事があるんだ」
「……何だか知らないけど、訳ありって感じね。まぁいいわ。とりあえず私の店に行きましょう。詳しい話はそれからね」
俺の求めにエリーゼは一瞬困惑した様子を見せたが、持ち前の察しの良さを発揮したらしく、すぐに首を縦に振ってくれた。
静かに身を翻して歩き出すエリーゼは、早速こちらの意図を察してくれたのか、大通りの方へと戻ろうとはせず、細い裏路地を使って劇場区を進み始める。
その聡明さに改めて舌を巻きつつ、俺は黙して進む彼女の後を追った。
◆ ◆ ◆
「……なるほど。それであなただけ『首都』に戻ってきたって訳ね……」
やや古めかしいテーブルの上に置かれたティーカップから、温かな湯気が立ち上っている。注がれた紅茶の香りに嗅覚を刺激され、緊張感から高まっていた気分が鎮まっていく。
エリーゼの店に招かれ、事情を説明する事十分程。テーブルの向かい側で静かに話を聞いてくれていたエリーゼは、物憂げに翡翠色の瞳を細めてみせる。
「気のせいかあまり驚いていないように見えるが……、まさかお前、『内通者』の存在を知っていたんじゃないよな?」
ふと頭を過った疑問を口にすると、エリーゼは緩く苦笑して告げる。
「勘繰り過ぎよ。いくら占い師の私でも、情報が全くないんじゃ占いようがないもの。第一もし本当に知ってたとしたら、真っ先にあなたに話してるわ」
……それもそうか。我ながらどうかしてるな、エリーゼにまで疑いの眼差しを向けるなんて……。
内心で反省しつつ、ティーカップに手を伸ばした俺は、淹れられた紅茶を一口、静かに啜った。ほのかな甘みと共に、爽やかな香りが鼻を通り抜けていく。
「それで、これからどうするつもり? さっき私の力を貸してほしい、みたいな事言ってたけど……、何か考えがある訳?」
両手をテーブルの上で組み、エリーゼは真剣な目付きで尋ねてくる。
恐らくこっちの考えをある程度見透かしているのだろう。頼もしい限りだと思う反面、少し察しが良過ぎるんじゃないかとも思ってしまう。
「『内通者』を焙り出す為には、やはり直接『テルノアリス城』へ赴くしかない。だがそうなると、どうしても俺自身の顔を晒す事になる。何の確証もない今の段階でそんな事をすれば、『内通者』は間違いなく、俺という存在を消しに掛かるだろう。そこで提案なんだが――」
「『内通者』に気付かれないような方法で、あなたが城へ入る為の手引きをしてほしい、って事ね?」
「あ、ああ。その通りだ」
最後まで説明は不要、という訳か。やれやれ、本当に聡い奴だ。
関心半分、呆れ半分で苦笑する俺には気付いた様子もなく、エリーゼは色々と考えを巡らせているのか、右手をこめかみに添えて難しそうな表情を浮かべている。
「話はわかったけど、一体どんな方法がいいかしら……。今の城の雰囲気じゃ、警備にも相当気を遣ってるはずだし……」
「? 何の事だ?」
何気ないエリーゼの言葉に疑問を感じて尋ねると、彼女は意外そうな表情になって口を開く。
「あら、気付かなかった? これは『内通者』の件と関わりがあるのかどうかわからないんだけど、城だけじゃなく街全体の雰囲気がおかしいのよ。……いえ、街って言うより人、それも軍関係者だけかしら? 妙に浮き足立ってると言うか、統率が乱れてると言うか……」
「……?」
どういう事だ? エリーゼがこうして気にしている以上、それは間違いない事なんだろうが……。
『内通者』の事で頭が一杯で気にも留めなかったが、言われてみると確かに、俺が街を離れる前と後では、街全体を包む空気がどことなく変化しているように思う。
この不審さが気のせいではないのだとすれば、その原因は一体……。
湧き上がる疑問から、俺もエリーゼも黙り込んでしまった、その時だった。
「――『ライム』店主、エリーゼ・スフィリア! エリーゼ・スフィリアはいるか! 我々は正規軍の者だ! 至急尋ねたい事がある! 在宅しているなら速やかにここを開けろ! 繰り返す――」
けたたましく店の扉を叩く音と、やや高圧的な口調で紡がれる言葉が室内に響き渡る。余りにも突然だった為、俺は慌ててフードを被る羽目になった。
「正規軍……? 巡回兵かしら……」
首を傾げつつも席を立ったエリーゼは、俺が顔を隠したのを見届けた上で応対に向かう。
それにしても巡回兵か……。かつてアーベント・ディベルグが起こした『テルノアリス襲撃事件』以降、警備強化の観点から、巡回兵が『首都』全域の宿や住宅を訪ねる事が多くなったのは知っていたが、まさかこのタイミングでやって来るとはな。今の状況では厄介なのは確かだが、ただの巡回なら客を装えばやり過ごせるだろう。
と、そう思っていた俺は、しかしふとある事に気付く。
通常巡回兵は、二人一組で行動する事が義務付けられている。にも拘らず、店の外から感じ取れる人の気配は、明らかにその数を倍以上も越えている。とてもじゃないがただ事とは思えない。
なら、考えられる理由は……!
「待てエリーゼ!」
「えっ?」
扉の前に立つエリーゼに制止の声を掛けたが、一足遅かった。嫌な予感は的中し、エリーゼが鍵を外した瞬間、扉が外から強引に開け放たれた。
驚くエリーゼを尻目に、室内へ雪崩れ込んでくる数名の正規軍兵士。その全員が、ご丁寧にも武装している。しかも俺の姿を捉えるなり、三人の兵士が歩兵銃を突き付けてきた。
怪しく黒光りする銃口を三方向から向けられ、自然と身体が強張ってしまうが、同時に直感する。
この展開は、まさか……!
「やはりここに隠れ潜んでいたか」
武装した兵士達よりも遅れて入ってきたのは、口髭を生やした色黒の大柄な男だった。
彼の名はマース・コアロッド。ほんの数日前にも顔を合わせたばかりの、正規軍大佐の地位に就いている厳格な人だ。
「随分と手を抜いた変装だな、ジン・ハートラー。どうやって『首都』に潜り込んだかは知らぬが、聡明なはずのキミにしては、些か雑な振る舞いではないか?」
まるで挑発しているかのような大佐の台詞に困惑しつつも、俺は被っていたフードを脱いで会話に応じる。
「……これは一体、何の真似ですか?」
取り囲む兵士達を見回してから尋ねると、大佐は失笑して俺を睨み付けてきた。
「何とも白々しい台詞だな。自分自身が犯した罪に覚えがないとでも言うつもりか」
「罪……? ちょっと待ってください。一体何の話を……」
「悪いがこちらも忙しいのでな。キミの戯れ言に付き合っている暇はない」
厳しい表情を浮かべ、こちらへ歩み寄ってきた大佐は、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、それを俺の眼の前で広げながらこう言い放った。
「ジン・ハートラー。現政権に仇を成す反逆者として、貴様の身柄を拘束する」
「なっ――!?」
突如告げられた信じ難い言葉は、俺の思考を狂わせるのに充分な威力を持っていた。
心臓の鼓動が鼓膜に届く程鳴り響き、酷く耳障りに感じてしまう。特殊な麻痺毒でも注入されたかのように、全身の筋肉が硬直していく。
反逆者……? この俺が……!?
「ちょっと待ってください! 彼がそんな……、反逆者だなんて……っ!」
必死な様子で俺の許へ駆け寄ろうとするエリーゼは、しかし傍らの兵士に行く手を遮られてしまう。
悔しげなエリーゼを一瞥したコアロッド大佐は、尚も冷ややかな眼付きで俺を見据える。
「抵抗するなよ。今ここで歯向かえばどうなるかわからん程、キミはあの紅い髪の少年と違って愚かではあるまい?」
「……!」
抵抗する気がないと判断したのか、二人の兵士が呆然と佇む俺の身体を、両側から挟み込む形で拘束してしまう。
後ろ手に動きを封じられ、成す術のない俺に、大佐が容赦なく追い討ちを掛ける。
「詳しい罪状については、城での取り調べの際に通達する。――連れて行け!」
無理矢理歩かされる格好で店の外に出ると、騒ぎを聞きつけた野次馬達が通りに溢れ返っていた。好奇の眼に晒される事で漸く我に返った俺は、斜め前を歩く大佐の背を見つめてふと考える。
もしもこの状況が、意図的に作り出されたものだとしたら……。そしてその犯人が、俺のすぐ近くにいるとしたら……。
考えられる一つの可能性。
まさか『内通者』の正体は、コアロッド大佐……!?
「ジン……っ!」
兵士に行く手を阻まれているエリーゼ。その悲痛な表情が、声が、次第に遠くなっていく。
抗う事すら儘ならない俺を嘲笑うかのように、視線の遥か先では、魔の巣窟と化した白い巨城が待ち構えている。
果たしてこれは、『内通者』を焙り出す好機と成り得るのだろうか。
それとも――。
久々に早めの投稿が出来ました(自分の中では)w
という訳で、『グラステッド山脈編』幕間一更新と相成ります。
さて、ここで唐突ですがちょっとした裏話を一つ。
実はこの幕間、最初は『グラステッド山脈編』と分けて書こうと思っていた『裏切りの都編』という、ジンくんが主役のお話だったんですよね。
諸々の事情で一つにまとめてしまった訳ですが、よく考えたら視点移動が多くなって読みづらくなっただけのような気も……。
う~む、やっぱ話の構成考えるのって難しいですねぇ……。
てな訳で相変わらずゴチャゴチャしている厨二小説ですが、今後とも応援よろしくお願いします!
それではまた次回!ノシ