第二章 未知なる存在
「そんな……。どうして……」
告げられた言葉が信じられなくて、あたしはいつの間にか独り言を呟いていた。
一体、どうしてノイエさんは――。
「何を考えているのか当ててみせようか?」
胸の内から湧き上がる純粋な疑問に、思考が囚われそうになっていた時だった。天を衝かんばかりに伸びる巨大な霊石から視線を外したボルガが、どこかおかしそうに笑いながら口を開く。
「『二重属性者』であるノイエ自身の命が失われれば、『精霊』召喚が現実のものとなる。その事実を知っていながら、どうしてあの男は、わざわざ危険が待ち受けているはずの敵地へと赴くのか? なぜ逃げ出そうとは思わないのか? ……キミが感じている疑問は、精々こんな所だろう?」
まるで自分の全てが見透かされているみたいで、素直に気持ち悪いと思ってしまう。
けれど実際、あたしが感じた疑問は指摘された通りのものだった。
未だに言葉を交わした事さえないけど、ノイエさんが凄い人なんだって事はわかる。この大陸の歴史を塗り替えた人で、『英雄』で、『魔術師』で……。
そんな特別な存在だからこそ、あたしみたいな人間には理解出来ないのかも知れない。
その行動原理が。
自分の命を懸けてまで敵に立ち向かおうとする、強い意志が。
怖いって……思わないのかな? 自分の命が狙われる状況や、この人達みたいな存在がいる事を……。
「これは宿命なのさ。あの紅い髪の少年が、私が、キミが、自らの存在を否定し得ないのと同じように、所詮ノイエも逃れる事が出来ないんだよ。『二重属性者』としての使命感から。戦いの運命から。この世に生き続ける限り……、ずっと……」
だから、ノイエさんはここに来てるって言うの……?
逃げられないと知ってるから……。立ち向かうしかないと覚悟しているから……。
「……だが残念だったな、ノイエ・ガルバドア。貴様のその行動は、実に短絡的で愚かな所業であると断じるより他にない。……全て思惑通りだ。我々の悲願が達成される時は近い。破滅の遣いたる『精霊』、『死を齎す悪魔』の召喚が……」
そう言ってボルガは笑う。狂おしい程の愉悦と歓喜に満ちた表情で。
そしてもう一度あたしとアウィンさんに背を向け、静かな口調で言い放つ。
「大命の為に集いし同胞達よ。諸君に今一度命ずる」
その瞬間、背筋に何か冷たいものを感じて、あたしは背後を振り返った。
悪寒の正体は、数メートル程離れた位置に佇んでいる複数の人影。その内の二人は、見覚えのある少女達だった。
鈍色の髪の少女パーニャ・ロンドベルと、桔梗色の髪の少女ラズネス・ヴィルバルトン。以前『ワーズナル』や『ブラウズナー渓谷』で遭遇した、列記とした『精霊指揮者』の一員だ。
あたしが言うのも何だけど、すでに顔馴染みとなってしまった少女達。その二人の傍らに、見覚えのない男の人と、フード付きの茶色いローブを纏った人がいる。
片方は多分、ディーンやジンが戦ったって言ってたガイザックって人だと思う。黄土色の髪に、つり上がった細い眼。二人から聞いた容姿と一致してるし……。
けど気になるのは、そのガイザックの隣にいる人物。
フードを目深に被ってるせいで、性別も顔立ちも判断出来ない。それにあたしの記憶が確かなら、『精霊指揮者』のメンバーはボルガも含めて六人しかいないはずだよね……?
ならあの人は一体誰なんだろう?
何だか他のメンバーと比べて、少し雰囲気が違っているような気もするけど……。
「『二重属性者』を見つけ出し、抹殺しろ。慈悲も容赦も与えてやる必要はない。例え相手が誰であろうと、邪魔する者は全て消せ」
「「仰せのままに、ボルガノイド様」」
ボルガの宣言に応じたのは、パーニャ、ラズネスの二人だけだった。ガイザックは、なぜかつまらなそうに鼻を鳴らして視線を逸らし、フードを被った人物は無言のまま口を開かない。
やがて四人は静かに踵を返して、何処かへと去っていく。その後ろ姿を、思わず見送ってしまっていた時だった。
「――どうやらお目覚めのようだね、『蒼司』一族の末裔よ」
あたしは一度、発言者のボルガに視線を送り、それから漸く気が付いた。自分の隣で、アウィンさんが静かに起き上がるのを。
「! アウィンさん! 良かった、気が付いたんですね」
「……」
「……? アウィンさん?」
あたしの呼び掛けに、アウィンさんは答えない。無言のまま厳しい表情を浮かべ、ジッとボルガを見つめ――ううん、睨み付けている。
まるで憎しみの募った相手に、遠慮なく敵意を向けているかのように。
「彼の『精霊大戦』を終結へと導いた、特異なる一族。光栄だよ、アウィン・フラクトル。こうして直に顔を合わせられた事は、実に貴重な体験だと言える」
「……」
「どうした? 私と言葉を交わすのは気が進まないのかな?」
不敵な笑みを浮かべて話し掛けてくるボルガに、アウィンさんは一切反応を返さない。指摘されている通り、ボルガと話すのが嫌なのかな……? だとしたら気持ちはわからなくはないけど……。
「ボルガノイド・フレイム」
「!」
突然の事だった。
アウィンさんが口にしたのは、紛れもなくボルガの『真名』。一体どこでその名を知ったのかはわからないけど、彼女は確かにそう言い放った。
強い意志の籠った揺らぎのない瞳を、相対する者に向けながら。
「ほう……、キミがその名を知っているとは意外だね。まさかとは思うが、『蒼司』一族の者は相手の素性すら見抜く力を備えているのかい?」
「あなたと同じで、元々知っていたというだけの話ですよ。世界崩壊という愚かな願いを叶えようとする大罪人である、とね」
「フッ……、なるほど。あの男の入れ知恵という訳か。実に手回しの良い事だ」
あの男、というのは多分、ノイエさんの事だろう。今の会話から察するに、アウィンさんはノイエさんと面識があったみたいだ。……そっか。だからアウィンさんは、『二重属性者』の事についても詳しく知ってたんだ。
それにしてもノイエさんって、一体どこまで先を見越して行動してたんだろう? あたしやディーンはリーシャ様に依頼されるまで、『蒼司』一族の存在なんて知りもしなかったのに……。
「だが残念だったな。キミも知っての通り、六つの『精霊石』は破壊され、こうして『召霊石』が出現し、『精霊』召喚の時は間近まで迫っている。もう誰にも、我々を止める事など出来はしない」
「自己陶酔は結構な事ですが、あなたこそ忘れてはいませんか? 『精霊』を召喚する為の絶対条件は、『二重属性者』の命が絶たれる事……。あなた方が、いかに強大な戦力を保有していようと、ノイエ・ガルバドアの実力は生半可な物ではない。そう簡単に彼を抹殺出来るとは、到底思えませんが?」
「やれやれ……。少々心外な物言いだな」
呆れたように苦笑して一度視線を外したボルガは、再びゆっくりとアウィンさんを見据えた。
その眼差しに、寒気を覚える程の殺意を込めながら。
「この私が、何の策もなくあの男に牙を向けるとでも?」
「――!」
ボルガの冷徹な言葉が、辺りに響き渡った瞬間だった。
意を決したかのように、アウィンさんが胸の前で両手を重ね合わせ、不可思議な形の印を結ぶ。それに続けて彼女は、流れるように滑らかな口調で言霊を紡ぎ始める。
「司るは水。解き放つは霧。我が身に宿りし霊術にて、発現したるは隠蔽の力」
アウィンさんが両腕を水平に払うと同時に、どこからともなく発生した濃い霧が、瞬く間に周囲を覆い尽くしていく。視界が真っ白に染め上げられ、すぐそこに立っているはずのボルガの表情さえ、上手く視認出来ない。
これってもしかして、存在隠蔽の霧……!? 集落を守ってたあの『ゴーレム』だけじゃなくて、アウィンさんもこの力を使えたの?
「一旦退きましょう、リネさん」
周囲の光景に呆然としていると、いつの間にか肩が触れ合う程の位置にアウィンさんが立っていた。驚くあたしを尻目に、アウィンさんは続ける。
「ここが『グラステッド山脈』だと言うのなら好都合です。これ以上、彼らの好きにさせる訳にはいかない」
「? どういう意味ですか?」
「説明は退きながらでも出来ます。さぁ、早く!」
アウィンさんに促される形で、あたしは霧の向こうに佇んでいるはずのボルガに背を向ける。
その直後だった。
「逃げるのはキミ達の自由だ。わざわざ止めはしない」
走り去ろうとするあたしとアウィンさんを呼び止めるかのように、ボルガがどこか愉快げな口調で言い放つ。
考えてみれば、この存在隠蔽の霧は、『精霊術』の力を持つ人間には通用しない。その気になれば、ボルガがあたし達を追い掛けてくる事は容易に出来るはずだ。
だけど彼の声は、霧の向こうから近付いてくる気配が一切ない。言葉通りその場に佇んで、まるであたし達を見送ろうとしているかのようだ。
「その判断が正しかったかどうかは、すぐにわかるのだから」
どうして追い掛けて来ないんだろう、と思うあたしの耳に、再び響くボルガの声。徐々に遠ざかるボルガの気配を背中越しに感じながら、あたしは先導するアウィンさんをひたすら追従した。
敵から……ボルガの手から逃れているはずなのに、不安な思いが拭い切れない。
胸の内側が、締め付けられるようにキリキリと痛む。
……ディーンもここに、この『グラステッド山脈』に来てるのかな? 助けに来てくれてるのかな?
脳裏に紅い髪の男の子の姿を思い浮かべて、少しだけ泣きそうになる。
会いたい……、会いたいよディーン……。
あなたは今、どこにいるの……?
◆ ◆ ◆
始まりは、鉱山都市『ワーズナル』での一件だった。
あの日、あの瞬間まで、俺は『こいつら』のような存在がいるなんて、想像した事もなかった。
この世界を崩壊へと導く為、『精霊』を求める者達。
指揮者の名を冠する、戦闘集団。
俺と『こいつら』の因縁は、恐らく『ワーズナル』の一件よりももっと前から生まれていたのだろう。
気付かなかっただけで、知らなかっただけで、俺が『ディーン・イアルフス』になるよりも前から、全ては始まっていたんだ。
ならばいい加減、終止符を打たなければならないだろう。
『こいつら』との、因縁に。
翻弄され続けた、運命に。
「『深紅の流星』!」
降り注ぐ火球の雨が次々と紅い爆発を起こし、ガラムの姿を覆い隠していく。
俺は右手に炎剣を携え、砂塵と爆煙の先へと突き進む。
恐らく炎弾は命中していない。俺自身、目眩ましの意味も込めて放った一撃ではあるが、ガラムなら余裕で回避している事だろう。
そう予測した、まさにその瞬間だった。
圧殺兵器たる漆黒の塊が、鋭い風斬り音と共に爆煙を突き抜けてきたのは。
「――ッ!!」
反射的に地面を蹴り、上空へと舞い上がる。
視界を覆う膜から脱した直後、眼下にガラムの姿を捉えた俺は、即座に左手にも炎剣を造り出した。
「だぁぁぁああぁあぁぁっ!」
落下と共に、地上のガラムを狙って両手の炎剣を一気に振り下ろす。
苛立たしげに舌打ちしつつ、回避行動を取るガラム。そこに炎剣の切っ先が直撃し、紅い爆発を伴って地面が弾け飛ぶ。
着地の状態から、炎剣の柄を握り直しつつ立ち上がると、土煙の向こうから、皮肉げに吐き捨てるガラムの声が聴こえてきた。
「……やれやれ。相変わらず厄介な敵だなぁ、お前さんは……」
再び姿を現したガラムは、口調とは裏腹に楽しそうな笑みを浮かべている。
戦闘開始からすでに数十分が経過した現時点に於いて、未だ俺達は相手に有効と呼べる一撃を加えられていない。その原因は恐らく、幾度となく相対し、互いに相手の戦い方をある程度把握してしまっているからだろう。
だから俺はガラムの動きを予測して、飛来する鉄球を難なく回避出来るし、ガラムは『深紅魔法』一つ一つの欠点を見抜いて、即座に対処出来る訳だ。
互角の戦い。
際限の無い消耗戦。
一見、埒の明かない状況が続いているようにも思える。しかし、ガラムの口振りからもわかるように、拮抗していた戦況は、徐々にだが俺の方へと傾き始めていた。
その証拠に――。
「焦げ痕付いちまったな、そのバンダナ」
「……!」
躱されても執念深く放ち続けた炎撃の一部が、奴の頭部を掠めたらしい。ガラムが常に頭に巻いている橙色のバンダナは、右側が黒く焼け焦げている。
ニヤリと笑って指摘してやった瞬間、ガラムの顔から笑みが消えた。やや眼を瞠り、確かめるように右手で焦げたバンダナを押さえている。
「あんたの動きはだいぶ読めてきた。これ以上長引かせるのも何だし、そろそろ決めさせてもらうぜ」
「……なるほどねぇ」
追い討ちとばかりに挑発する俺に対し、ガラムは困り果てた様子で弱々しく呟いた。
と、その瞬間だった。
ガラムの背後数メートルの位置で激しい爆発が起こり、積み重なっていた瓦礫が盛大に弾け飛んだのだ。と同時に、爆発の余波に煽られたと思しきシグードが、ガラムの背後に転がり込んできた。
「偉そうな口叩いてた割には大した事ねェなァ。その程度か三下共」
粉塵の向こうから響いてくる乱暴な口調。声の主たる青紫の髪の少年は、悠然とした歩調で俺達の前に姿を現した。
黒い大鎌を右手で器用に回転させながら、余裕の表情を浮かべるジェイガ。やはり躊躇いがない分、その動きにはキレがある。どうやら完全に、シグードを圧倒しているようだ。
立ち上がり、ガラムと背中合わせになるシグード。視線を交わさぬまま、二人は会話を始める。
「よぉシグード。お前さんも相当手古摺ってるみたいだな」
「……相手は仮にも『魔術師』だ。認めたくはないが、奴の力量は生半可な物ではない」
「だよなぁ。正直こっちもお手上げだ。今のままじゃ勝てる気がしねぇ」
ガラムが溜め息混じりに放った台詞に、肩越しに振り返るシグード。終始無表情な彼には珍しく、その顔にはなぜか、少々驚きの色が見て取れる。
……何だろう? 気にする程の事でもないのかも知れないが、今の表情は一体……。
「あーあーっ、やっぱボスの言った通りだったな。『魔術師』ってのは伊達じゃねぇ。しかも相手があの『英雄』の弟子達ともなれば尚更だ。……こうなりゃ道は一つしかねぇよな」
「……ガラム。まさかお前……」
「そのまさかだよ。仕方ねぇだろ? やらなきゃ俺達の……ボスの望みが果たされなくなっちまうかも知れねぇんだ。それを良しと出来る程、腑抜けに生まれた覚えはねぇ。……違うか、相棒?」
「……」
少し、ほんの少しだけ顔を顰めるシグードに、ガラムは快活に笑い掛ける。
まるで落ち込んでいる友人を、優しく励まそうとするかのように。
「そう難しい顔すんなって。……お互い、自分に課せられた使命を全うしようじゃねぇか」
「……ああ。そうだな」
二人が何について話し合っているのか、俺には全くわからない。だが一つだけ、理解した事があった。
言葉とは裏腹に、こいつらには追い詰められた様子がない。どこか張り詰めた緊張感のようなものは感じられるが、それは決して、自分達の敗北を予期しているからではない。寧ろその逆だ。
この状況に陥っても尚、逆転出来るという自信の表れ。
勝利の、確信。
「……ここは任せたぞ、ガラム」
「おうよ。そっちも気を付けてな」
不敵に笑いつつ、ガラムは頭に巻いていた橙色のバンダナを強引に毟り取った。やや赤茶けた色の短い髪が露わになったと思った瞬間、俺は自分の視界に奇妙な物を捉え、眉根を寄せる。
奴の額にあったのは、黒々とした二つの瘤。……いや、あれは瘤と言うよりも、『角』か……?
牛や山羊が頭部に備えているような、骨が変化したという生物的な器官。
常識的に考えて、人間の額にはまず存在しないはずの物。
……どうなってんだ? なぜあんな物がガラムの額に……。
「逃がすかァッ!!」
不可思議な物に眼を奪われていた俺の耳に、猛るジェイガの叫びが響き渡る。意識を戻すと、彼は俺達から距離を取ろうとするシグードを追い掛けようとしていた。
さっきまでの会話から、シグードが撤退しようとしているのは何となく想像出来た。だが、なぜこのタイミングで……?
「! 待て、ジェイガ!」
制止する俺の声に反応したジェイガが、急停止して立ち止まった次の瞬間。彼のすぐ傍にあった瓦礫が、投擲された黒い鉄球によって粉々に弾け飛んだ。
余計な世話だと言われるかも知れないが、俺が叫んでいなければ、シグードに気を取られていたジェイガは、今の一撃を回避出来なかっただろう。それ程までに今のガラムの動作は、不意打ちとして有効に機能していた。
舞い上がる粉塵を前に、ジェイガは闘争心の籠った瞳でガラムを睨み付ける。
「戦場から逃げ出す腰抜けを庇うとは意外だな。テメェはもう少しまともな奴かと思ってが、買い被りだったって事かァ?」
「何とでも言え。お前さん達には悪いが、徹底的に邪魔させてもらうぜ。この俺の、全力でな!」
「……!?」
……何だ? さっきから妙な感覚が五感に纏わり付いてくる。
肌がピリピリと刺激されるような、不穏で重苦しい気配。
背筋に冷水を浴びせられたような、鋭い悪寒。
明らかに違う。今までとは決定的に、ガラムの身体から発せられる気配が――!
「……油断すんなよ、ジェイガ」
「誰に物言ってやがる。テメェは自分の心配でもしてろ」
眼付きの悪い相方の嫌味を、俺は自分でも驚く程に、すんなりと聞き流していた。
炎剣を握る両手に、自然と力が込もる。不快な緊張感が身体に纏わり付いて離れない。
一度ガラムと距離を取るべきかと逡巡していた、その時だった。
奴の右手に握られている鎖が、その延長線上にある黒い鉄球が、見えない糸で吊るし上げられていくかのように、独りでに浮遊し始めたのは。
「砕けろ。『龍鱗石』」
聞き慣れない謎の言葉をガラムが呟いた瞬間、浮遊していた鉄球が、紅い爆発を伴って粉々に砕け散ってしまう。
「くっ……!」
俺もジェイガも、発生した衝撃波に怯み、僅かに眼を細める。
謎の現象によって視界を埋め尽くす、大量の爆煙。その向こうにいるであろうガラムを、俺は警戒の意志と共に睨み付けた。
すると、まるでそれに応じるかのように――。
『いつ以来だっけかなぁ、「この力」を使うのは……。出来れば使わずに終わらせたかったが……まぁ、仕方ねぇ』
という、どこか物憂げで、妙にくぐもった声が響いてきた。
今のはガラムの声……なのか? 何か、別の人間が話しているような気さえするが……。
疑問を抱えつつ、晴れ始めた爆煙の先に眼を凝らす。そしてその結果、俺は現実を、自分自身の眼を疑った。
「!! なッ……に……!?」
確保された視界の中に、確かにガラムはいた。悠然と佇んでいた。そこには何の不思議もなかった。
奴の姿が、その存在が、劇的な変化を遂げている事以外は。
まず大前提として、人間は背中に『翼』を生やしたりはしていない。
だがガラムの背中には、確かに『それ』が生えている。ほんの一瞬前までは無かったはずの、蝙蝠を思わせる飛膜を備えた巨大な翼が。
しかも変貌はそれだけには留まらない。
服から露出している四肢は、分厚く紅い筋肉と黒光りする鱗に覆われ、両の手は人間時の数倍の大きさに肥大化し、黒く変色した爪は、一突きで岩をも砕きそうな程太く鋭い。辛うじて人の顔は残っているものの、その肌は四肢同様鱗に覆われ、瞳の色は赤褐色に染まり、額にあった二つの瘤は、闘牛が備えているような鋭利な角へと変化している。
あれは……、あの姿はまさか……。
いや、そんなはずはない。『あんな存在』、空想の中にしか登場しないはずだ。現実の世界に、俺の眼の前に現れる訳が――!
『随分驚いてるな、ディーン。「人狼」に遭遇した事もあるお前さんがそんな反応を見せるとは、正直思わなかったんだが……』
「あんたは……、一体……」
『ッハハァ。仮にも「魔術師」なんだから聞いた事ぐらいあるだろ。鋭利な爪と牙を持ち、強固な角と鱗を備え、巨大な翼で大空を駆る、幻の存在の話を』
「……!」
そう……、俺はその存在を知っている。
いや恐らく、例え『魔術師』ではなくとも、それを知らない人間はいないだろう。
それは空想の中にしか存在しないと思っていた、幻の化身。
全く異質で、実在しているとは信じ難い、未知なる存在。
『神』や『精霊』の存在を信じるのと同じくらい、途方もなく馬鹿げた話だというのに、凄まじい変貌を遂げたガラムの姿を眼にした瞬間、俺は素直に思い浮かべてしまったのだ。
天高く飛翔し、数多の生物を無慈悲に蹂躙する、『竜』の姿を。
「……ふざけんな……。ふざけんなよッ!」
でも、だからこそ俺は、鵜呑みにする事が出来なかった。
眼の前の現実を。
異質な光景を。
「『竜』だなんて……そんな馬鹿みたいな話があるか! そんな存在がこの世にいるはずない……! いる訳ねぇだろ!」
『……やれやれ。相変わらずだなぁお前さんも……』
駄々を捏ねている子供を諭すかのように、ガラム・ドラゴドムと言う人間『だった者』は、嘆かわしげな眼付きで俺を見つめる。
『ここまで「精霊」の一件に深く関わってるお前さんが、どうして「竜」の存在を認める事が出来ない? 俺が言うのもなんだが、存在云々の話をするなら、「精霊」も「竜」も荒唐無稽な存在である事には変わりねぇはずだろ?』
「それは……ッ!」
『要するに、この世界はお前さんが考えてる以上に広いって事さ。途轍もなく、どこまでも。そんな世界を前に、高が十数年程度しか生きてねぇクソ餓鬼が、知ったような口利くんじゃねぇよ』
……確かに、俺は世界の事を何も知らない。
セルティス・ブラッカーのような『人狼』一族の存在も、アウィンのような『蒼司』一族の存在も、知ったのはごく最近の事だ。
そんな俺が……自分自身の存在すらまともに知らなかった愚かな俺が、全てを知った気になって語る事自体、おこがましい事なのかも知れない。
未知なる存在は、この世界に散在している。
気付かないだけで。知らないだけで。
俺達の、すぐ傍に。
『さぁて、お喋りはこの辺で終いだ』
両翼を強く羽ばたかせ、重力に逆らうようにガラムの身体は浮上していく。
次第に生まれるガラムとの距離。地を這う事しか出来ない人間には、未来永劫届く事の無い、絶対的な能力の差。
見上げる者と、見下ろす者。
やがて空中で静止したガラムが、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
『死合再開と行こうか、「魔術師」共。見せてもらうぜぇ……。お前さん達が、不様に足掻き転げ回る姿をなぁッ!!』
落雷のような速度で急降下を始めるガラム。大気を震動させる程の鋭い咆哮が、俺の全身に容赦なく降り注ぐ。
『ゴーレム』や『人狼』とは、その身から発する威圧感が比べ物にならない。俺の『魔術』が、炎が、ただの玩具に見えてしまう。
未だかつてない畏怖の感情に呑み込まれ、呆然と立ち尽くす俺の許に。
迫り来る。
襲い掛かる。
ガラム・ドラゴドムと言う名の、竜の化身が――!
亀更新がすっかり板についてきましたw
という訳で遅ればせながら『グラステッド山脈編』第二章、漸くうpであります。
リアルの方で色々ありまして執筆が遅れに遅れておりますが、ここから少しでも巻き返していければと思っておりますので……まぁ、期待しないで待っててくださいw
それはそうと、本編の方がいよいよ化け物染みた展開になってきました。
何となくセルティス戦の時と状況が被ってしまった感がありますが、ガラムが『竜』の化身に変貌するという設定は、ガラム初登場の時から考えていた設定です。
一応、ガラム変化の伏線として、彼の身体能力が細身の割に怪力である、黒い鉄球が『魔術』でも傷一つ付かない、などの文章を入れていたりしたのですが、まぁわかる訳ありませんよね、こんな無茶苦茶な展開w
そんな訳で、この先も意外な(?)隠し玉的展開が待ち受けていたりする予定なので、楽しんで頂ければ幸いです。
それでは、また次回!ノシ