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フレイム・ウォーカー  作者: エスパー
グラステッド山脈編
107/122

第一章 不協和音 -Separate heart-

「――で、何で俺はまだここにいなきゃいけない訳?」

 不貞腐れた子供のような不満の言葉が、決して広くはない室内に虚しく響き渡った。

 すると即座に、傍らから連れない答えが返ってくる。

「文句言わないの。闇雲に飛び出して行っては敵の思う壺だ、ってジン兄が言ってたじゃない」

「そりゃそうだけどさぁ……」

「それにちゃんと休んでおかないと、いざって時に体力が持たなくなっちゃうよ。そうなったら困るのは誰ですか?」

「……俺です」

「わかってるなら素直に大人しくしてましょうねー。――ハイ、次。右腕出して」

 左腕に巻かれていた包帯を新しい物に取り替えてくれたルーシィは、まるで弟を気遣う姉のような口調で催促する。

 俺が渋々それに従うと、ルーシィは慣れた手付きで交換作業に取り掛かっていく。

 ジン達と思わぬ合流を果たしてから、約半日が経過した今日。朝になっても俺は、未だに『カラレア』と言う小さな村の宿に閉じ籠っている。

 ……リネの奴がいてくれたら、こんな面倒臭い事に時間割かなくてもいいんだけどな……。

 不意に浮かんでしまう情けない考えを、軽く首を振って頭の隅へ押しやっていると、ルーシィが独り言のように呟く。

「……ジン兄、今頃どうしてるんだろ。もう『首都』に着いてるのかなぁ?」

 器用に包帯を巻き付けながら、物思いに耽るかのようにやや眼を細めるルーシィ。彼女の表情からは、まるで本当に血の繋がった兄の身を案じるかのような、健気な様子が感じられる。

 昨日の夜、事の顛末を話し終えてから一時間もしない内に、ジンは一人、『首都』へ向けて旅立ってしまった。

 あいつにとっても無視し難いであろう、『内通者』の存在。

 普段から冷静沈着なジンには珍しく、俺から話を聞いた直後のあいつは、随分焦燥に駆られている様子だった。

 ま、当然と言えば当然か。何しろ現政権内に裏切り者がいるって事は、下手をすればあのハルク・ウェスタインの身にも危険が及ぶかも知れないって事だからな。彼と繋がりの深いジンからすれば、いても立ってもいられなかったんだろう。

 ……尤も、そのハルク自身が『内通者』だって可能性も捨て切れない訳だけど……。

 とにかく『内通者』の炙り出しはジンに任せよう。ここで俺があーだこーだ言ってても仕方ないんだし。

 それよりも今問題なのは、のんびりとしたこの状況の方だ。ルーシィの言う通り、休息を取るのも確かに大切な事なんだろうけど、いい加減痺れが切れてきた。

 今朝早く、周辺の情報収集を行う為に一人で出て行った切り、ジェイガは帰ってくる気配を見せない。

 それ程情報集めに苦労しているのか、或いは別の理由か。

 いずれにしろ、あいつが今調べているのは恐らく、昨夜『グラステッド山脈』の方角で発生したという謎の発光現象の事だろう。

 俺は直接見ていないが、ジン達の話ではその謎の光は、自然現象とは考えられない程の凄まじい光量を持っていたらしい。

 謎の解明を行う為には、情報収集が必要不可欠。例え発光現象の件がなかったとしても、俺達の中に大陸北地域の詳しい土地勘を持っている者がいない以上、何の準備もなく、すでに敵地となっているであろう『グラステッド山脈』へ踏み込むのは明らかな自殺行為だ。

 とはいえ、さすがに……。

「だぁーっもう落ち着かねぇーーーーーーーーーーっ!! 一体いつまでこんな所で待機してなきゃならねぇんだよっ!!」

「ちょっ、ちょっと! 急に動かないでよ! まだ包帯巻いてる途中なんだから!」

「んなもん後回しでもいいだろ!? こうしてる間にも、ボルガの野郎は着々と『精霊』召喚の準備を進めてんだ! それを黙って見てる訳にはいかねぇだろ! それに――!」

 最後まで言おうとして、しかし途中でハッとした俺は、口から出そうになっていた言葉を無理矢理呑み込んで封殺した。不思議そうに首を傾げるルーシィの視線が痛かったが、俺はそれを無視して口を噤む。

 ――それに、リネとアウィンの身が心配で堪らない。今この瞬間にも、拐われた二人に危険が及んでいるかも知れない。

 そんな風に想像するだけで、とてもじゃないが落ち着いて座ってる気分になんてなれない。時間は決して無限にある訳じゃないんだ。

 もしも二人の身に……リネに何かあったりしたら、俺は……。

 自然と両手が握り拳になり、全身が強張ってしまう。どうしようもない苛立ちやら焦りやらがゴチャ混ぜになって、胸の内を掻き乱す。

 我ながら情けない限りだと言う他ない。リネもアウィンも『精霊指揮者ゴースト・コンダクター』の手から守り切れず、挙句知り合ったばかりの無関係な少女にまで、こうして弱音を吐こうとしているのだから。

 本当に、嫌になる程進歩のない人間だよな、俺って……。

「心配なんだね。拐われちゃったっていう、リネって人の事が」

 まるで、色々と整理のつかない俺の内心を見抜き、労わるかのように、ルーシィは優しげな微笑みを浮かべてそう言った。

 改めて指摘され、はたと気付く。自分がどれだけ、あの黒髪の少女の事を大切に想っているのかを。

 妙な気恥ずかしさから言葉を返さなかった俺をしばらく見つめた後、なぜかルーシィはしたり顔になってこう切り出した。

「ねぇねぇ、もしかしてディーンってさー」

「……何だよ」

「そのリネって人の事が好きなの?」

「ぶふぅッ!?」

 やや幼さの残る少女の意図を読み取ろうとしていなかった為、盛大に噴き出すより他に選択肢はなかった。

 突然何を言い出してんだこの女! こっちは割と真面目な雰囲気で話してたってのに全部ブチ壊しじゃねぇか!

 (むせ)て咳き込んでいる間にも、ルーシィは俺を指差しながら楽しそうな声を上げる。

「あー紅くなったー! そっかそっかー、やっぱりそうなんだ!」

「バッ……カ野郎……ッ、違ぇよ! そんな訳ねぇだろ! ただ単純に、俺の不注意が原因で拐われちまったから責任を感じてるだけで、好きとかどうとかいう問題じゃねぇんだよ!」

「ふぅ〜〜〜〜〜〜ん? そうなんだ?」

「……」

 ニヤニヤしているルーシィにはもう、恐らく何を言っても逆効果にしかならないだろう。まぁこれも、普段から『似たような奴』を相手にしているからこそわかる事な訳だが……。相手が変わってもやっている事はいつもと同じって、何か悲しくなってくるな……。

 ったくジンの野郎、妙なお土産置いて行きやがって……。

 状況的に仕方がなかったとはいえ、ジンに対する恨み節がここぞとばかりに湧き上がってくる。まぁあいつに不満を言ってもどうしようもないんだけど……。

「だっ……、大体あんの馬鹿ジェイガの野郎! たかが情報収集にいつまで掛かってんだ! 普段偉そうなくせに肝心な時に役に立たねぇ――」

「上等じゃねェかクソ紅髪(あかがみ)

 話を逸らそうと矛先をジェイガに向け、悪態をついたまさにその瞬間。蝶番(ちょうつがい)が外れんばかりの勢いで部屋の扉が強引に蹴り開けられ、厳つい顔付きの死神様が姿を現した。

 いかにも不機嫌ですといった様子のジェイガ。

 そんな来訪者と眼が合い、数秒固まる俺。

「…………お…………、お帰りなさいませ、ジェイガさん……」

「……」

 やべぇ、俺殺されるかも……。

 改めてジェイガの眼付きの悪さを再確認した俺は、黒い大鎌を掲げて襲い来る死神の姿を脳裏に思い浮かべた。

 さらば、決して順風満帆ではなかった俺の青春よ……。

「……この村の人間から周辺地域の情報は大体集められた」

 信仰心など微塵もないと言うのに、胸の前で十字を切ろうかと思い悩んでいた俺に対し、ジェイガは浅く息を吐くと、何事もなかったかのように続ける。

「地図も手に入ったし、長居する理由は特にねェ。テメェの体調が万全だってんなら出発しようと思ってるが……、どォなんだ?」

「あ……ああ、問題ねぇさ! 行こうと思えばいつでも行けるぜ!」

「ならさっさと支度しろ三下。……俺は先に表へ行っとく。詳しい話は村を出てからだ」

 取り付く島もない口調でそう締め括ると、ジェイガは自分の荷物を抱えて、足早に部屋を出て行ってしまった。

 ……何か拍子抜けだな。悪態に対する罰がなかっただけ喜ぶべきなのかも知んねぇけど……。まぁ以前に比べたら、あいつもだいぶ丸くなったって事だよな、多分……。

 適当に考えながら、包帯を巻いてくれたルーシィに礼を言って、俺は勢い良くベッドから立ち上がる。

 ジェイガにはああ言ったものの、実際の所体調は万全だとは言い難い。が、昨日に比べれば、戦いの疲れはこの半日で随分和らいでいる。

 第一これ以上ジッとしていたら、余計な事ばかり考えて精神的に参ってしまいそうだ。

 リネとアウィンを助け出す。ボルガの手から奪い返す。

 これだけハッキリとした行動指針があるんだから、立ち止まってなんていられるか!

「ねぇ、ホントに行くつもりなの? まだ怪我が治ってないのに……」

 準備運動のつもりで身体を解していると、気遣わしげにルーシィが尋ねてくる。

 彼女自身知る由もない事だが、俺にはその姿が、何となく『あいつ』と重なって見えてしまった。

 脳裏に心配性な誰かさんの姿を思い浮かべながら、俺は照れ隠しついでに告げる。

「これくらい大した事ねぇって。毎度毎度トラブルに巻き込まれまくってるから、包帯やら湿布やらには慣れたもんさ」

 半分自嘲気味に零した愚痴が面白かったのか、ルーシィはクスッと笑って立ち上がる。

「その口振りだとホントに大丈夫そうだね。――よし、じゃあ行こっか! ディーンの大切な人を取り戻しに!♪」

「……余計な事言わなくていいんだよ」

 すぐさま呆れ顔で苦言を呈したのだが、心底楽しげな様子のルーシィは、素知らぬ顔で自分の荷物をまとめ始める。

 結局、最後の最後まで俺は、愉快な鍛冶職人に茶化され続けてしまうのだった。




 ◆  ◆  ◆




『グラステッド山脈』――。

 険しい霊峰が軒を連ねる山岳地帯として、旅人や商人などの間ではかなり有名な地域である。実際、大陸北部はほとんど回った事のない俺でさえ山脈の名は以前から知っていたし、旅先で耳にする機会は幾度となくあった。

 だが『首都』の元老院や貴族達は、俺とは別の観点から、この地域を特別視しているのだろう。

『蒼司』一族の集落で得た情報と照らし合わせると、ここはかつて『精霊』が召喚されてしまった場所であり、その事実を記した『碑文』が発見された場所でもある。

 この酷く広範囲な山脈地帯のどこかに、リネとアウィン、そしてボルガ率いる『精霊指揮者ゴースト・コンダクター』達がいるのは間違いない。

 問題は、一体それがどこなのかという事だが……。

「昨日お前達が見たって言う妙な光って、どの辺りで発生してたんだ?」

 雑木林に囲まれた北へ向かう為の街道を進みながら、俺は先導するジェイガと隣を歩くルーシィ、どちらにともなく尋ねてみた。すると意外にも、ジェイガの方が口を開く。

「……ここから北の方角だったってのは間違いねェが、距離があったせいで正確な位置まではわからねェってのが本音だな。『カラレア』の住民の中にも昨日の光を見たって奴は大勢いたが、詳しい場所まで把握してる人間は一人もいなかった」

「昨日やってたみたいに、『龍脈』を流れてる『淀み』……『導力石』の気配は追えないの?」

 やや首を傾げつつルーシィがそう提案するが、ジェイガは左右に首を振る。

「そりゃ無理だ。さっき試してみたが、例の気配は全く感じ取れなくなってやがるからな。――確か紅髪(そいつ)の話だと、大陸中で消失した『導力石』は『龍脈』を流れて一ヵ所に集い、『召霊石』とやらに姿を変えるって事だったが……、こりゃひょっとすると……」

「『召霊石』が完成してるかも知れない、って事だよな?」

 二人の会話に口を挟む形で結論を告げると、ジェイガは肩越しに俺の顔を一瞥し、やや緊迫した表情を浮かべてみせた。

 そう、その可能性は充分に考えられる。

『蒼司』一族の集落で、アウィン・フラクトルは言っていた。大陸に根を張る『龍脈』の集合点は『グラステッド山脈』であり、『召霊石』が現れるのはそこ以外に有り得ないと。

 仮にジェイガ達が見た謎の光が、『精霊』の一件と関係のある現象だったとしたら。

 世界の崩壊が、すぐそこまで迫っているのだとしたら。

 否が応でも導き出されてしまう、最悪の結果(シナリオ)。俺達が目指しているその場所に、待ち構えている光景は――。

「……とにかく、真相を確かめる為には進むしかねェ。『カラレア』の住民に聞いた話だと、この街道を北に進めば、正規軍の詰め所があるらしい。『グラステッド山脈』の方で異変が起きてやがるんなら、軍人共が何かしらの情報を得てるはずだろ」

「じゃあまずはその詰め所に向かって、兵士さん達に話を聞けばいいんだね?」

「『内通者』の件がある以上、歓迎してもらえるかどうかは謎だがなァ」

 然して興味なさげに、不安を煽るような台詞で締め括るジェイガ。嫌な想像でも働かせてしまったのか、隣のルーシィは若干顔を引き攣らせている。

 まぁジェイガの言う通り、『内通者』の存在も忘れてはならない。いくらジンが真相を確かめに行ったとはいえ、俺達に妨害の手が及ばないとは言い切れないのだから。

 ……そうだ。ジンと言えば、昨日からずっと引っ掛かってるんだけど……。

「なぁ、ジェイガ。お前昨日……、何でジンにあんな提案したんだ?」

 聞かない方がいいのかも知れないと思いながらも、結局は口にしてしまったその言葉が、軽快な足取りだったはずのジェイガを立ち止まらせてしまう。

『内通者』の眼を欺く為に、自分の存在を利用しろ。

『首都』へ戻る事を躊躇していたジンに提示された、ジェイガからの意外過ぎる提案。俺はそれが、どうしても気になって上手く呑み下せずにいた。

 だってジェイガだぜ? これまで傍若無人の限りを尽くしてきた『黒煉魔法』の使い手が、敵を欺く為とはいえ、俺達に協力的な発言を自分からするなんて信じられない。何か裏があるんじゃないかと勘繰ってしまうくらいだ。

 ジンの旅に同行していた事からもわかるように、ジェイガ・ディグラッドと言う男の心境に、何かしらの変化があったのは確かだろう。

 だからこそ俺は、どうしてもその理由を問い質したくなったのだ。

 一体何が、こいつの心に変化を齎したのかという事を。

「ジンも言ったけど、これ以上自分の首を締めるような真似したらどうなるかぐらい、お前だってわかってるはずだろ? なのにどうしてなんだ?」

「……」

 俺も同じく立ち止まって、尚も問い掛けてみる。が、ジェイガは答えてくれない。俺にもルーシィにも背を向けたまま、振り向く素振りすら見せない。

 やっぱり聞くだけ無駄だったか……。変わったのは間違いないが、根本的な所は以前のままな訳だし……。

 半ば自棄気味に疑問の探究を諦め、やり場のない不満を溜め息に変換し掛けた、その時だった。

「俺と銀髪の『目的』は、どうやら一致してるらしいからな」

「! ……何?」

 冷静な口調とは裏腹に、その言葉には計り知れない熱意と敵意が入り混じっているように感じられた。

 こいつとジンの目的が、同じ……?

 言葉の意味を反芻する俺に構わず、ジェイガは続ける。

「あの野郎は……、ボルガ・フライトは俺達の運命を狂わせた張本人だ。奴が何を企んでいようと関係ねェ。例え潰す相手が『内通者』だったとしても、ボルガに一矢報いる事が出来るなら何だってしてやる。銀髪と手を組んだのもその為だ」

「ジェイガ……、お前……」

「それに『どこぞの間抜け』があっさりとリネ・レディア(あのおんな)を拐われちまったらしいからなァ。いつぞやの生意気な説教の借りを返す意味でも、少しばかり手伝ってやろうと思ったって訳さ。感謝してほしいもんだぜ、『どこぞの間抜け』には」

「ジェイガ……、てめぇ……」

 いつぞやの説教、とは『テルノアリス城』の牢獄での会話の事だろう。形はどうあれ、あの時の俺の言葉は、こいつの記憶にしっかりと刻まれているらしい。

 ……が、余計な言葉を付け足されたせいで、どうにも感銘を受ける事が出来ない。確かにリネが拐われた事は俺の落ち度だが、それをこいつに指摘されるのは正直腹が立つ。

 奥歯を噛み締めて睨んでいると、ジェイガは振り返って意地の悪い笑みを浮かべてみせる。

「どォした三下。図星を突かれたのがそんなに悔しいか?」

「……随分上から目線だな。何様なんだてめぇは!」

 歩み寄って胸倉を掴むが、ジェイガは全く動じない。どころか、敵対していた頃を彷彿とさせる鋭い眼差しを見せつける。

「そォいやァ、テメェとの決着も有耶無耶になったままだったなァ。……丁度いい。今ここでつけるってのはどォだ? 相手の事が気に喰わねェのはお互い様。()り合うには充分過ぎる理由だろ?」

「上等じゃねぇか……! 望み通りブチのめしてやるよ!」

 こんな事をしている場合じゃないとわかっていても、俺は自分の感情を制御出来なくなっていた。

 どうしようもない怒りが、憤りが、胸の内から込み上げてくる。

 だけどきっと、それはジェイガの言動に対するものだけが原因じゃない。多分俺は、許せないんだ。

 眼の前の男が言ったように、リネをあっさりとボルガに拐われてしまった、自分自身の事が。

「もうっ、止めなってば! ここで二人が争って何になるの!?」

 至近距離で睨み合う俺とジェイガを押し退ける形で、ルーシィが間に割って入ってきた。一番年下であるはずの少女は、必死な様子で俺達に制止の眼差しを向けている。

 ところが、その中途でルーシィの視線が、あらぬ方向へと引き寄せられていく。

「――ねぇ二人とも! あれ見て!」

 何かを見つけて驚いているらしく、ルーシィは声を荒げて視線の先を指差した。

 互いに気分の静まっていないはずの俺とジェイガは、しかしほぼ同時にその方向に眼を向ける。そして漸く理解した。ルーシィが一体、何を見つけて驚いているのかを。

 雑木林を貫く形でやや蛇行している街道の、遥か前方。百メートル以上は離れている場所から、尋常ではない量の黒煙が上がっているのが視認出来る。

 何だあの煙……? 確か『カラレア』で入手した地図には、この先に街や集落があるなんて記載されてなかったはずだけど……。

「! まさか……、正規軍の詰め所か……!?」

 俺達が今から向かおうとしていた先には何があるのか。それを考えれば、答えはすぐに導き出せた。

 そしてあれ程の黒煙が立ち上っている理由。今までの経験から、推測出来る原因は一つしかない。

「くそ……っ! 何だってんだこんな時に!」

 さっきまで感情の捌け口に使おうとしていたジェイガの横を素通りし、俺は一目散に駆け出した。

 何かが起きてるなら放っておく訳にはいかない。

 とりあえず、決着とやらは後回しだ!




 ◆  ◆  ◆




『倒王戦争』終結後、大陸内の治安維持活動を目的として、勝利者側である『反旗軍』と、彼らによって解体された『魔王軍』が合併、再編成した組織。それが現在、正規軍と呼ばれている軍隊である。

 以前ジンから聞いた話では、正規軍内部には階級として、三人の『将軍』と七人の『大佐』がいて、その上に王族や貴族が統治者として君臨しているそうだ。

 これは余談だが、あのマース・コアロッドこと黒ひげ大佐もその七人の中に含まれているらしい。前々から偉そうな奴だと思っていただけに、本当に偉い人間なのだと知った時の衝撃たるや、声が裏返ってしまう程の凄まじさだった。

 他にも色々と小難しい階級やら貴族の地位やらがあったりするんだが、一気に説明するのは面倒なのでそれはまた追々。

 とにかく、この大陸で暮らしている以上、善良でも邪悪でも必ず一度は何らかの形で関わりを持ってしまうであろう、正規軍と言う存在。

 奴らと民間組織『ギルド』には、組織的な面で明確な違いがいくつかある。

 その内の一つが、活動の拠点となる詰め所などの建物を、村や街以外の場所にも建築しているという点だ。

 例えば、今まさに向かっている『グラステッド山脈』。

 辺境の地と呼ばれてもおかしくないこんな場所にまで、軍が活動拠点を構える理由。それは恐らく、この『ジラータル大陸』その物の広大さにある。

 正規軍の『本部』があるのは、言うまでもなく『首都・テルノアリス』だ。『導力石』の採掘利用によって、いかに十数年前よりも移動手段(列車や飛行船)の精度が向上していると言っても、地方で発生した全ての事件を『首都』の正規軍だけで処理するのはまず無理だ。

 対処の遅れ。犯罪者達の増長。特にテロリスト達は、人里離れた地域で秘密裏に破壊工作の準備を行う節がある。そういったものを未然に防ぐ意味でも、軍は『ギルド』よりも幅広い地域に活動拠点を配置し、眼を光らせているという訳だ。

 にも拘らず。


 辿り着いたその場所は、文字通り廃墟と化していた。


「………………酷い。こんな……、こんな事って……」

 俺の隣で呆然と立ち竦んでいたルーシィが、絞り出すようなか細い声でそう呟いた。

 本当なら、『こんな光景』を彼女のようなまだ幼さの残る少女に見せるべきではなかったのだろう。だが俺は、そんな配慮が出来ない程、眼の前の光景に愕然としていた。

 恐らくは、茶色い煉瓦で造られていたであろう、三階建ての詰め所。その三分の二が、大小様々な大きさの瓦礫に変化している。敷地のあちこちでは微かではあるが、未だに火の手が上がっていて、立ち昇る黒煙が上空の青を悉く塗り潰していく。

 そして止めとばかりに俺達の視線を釘付けにしたのは、周囲に転がる大量の死体だった。

 軍人の証である灰色の軍服を紅黒く染め、瓦礫に引っ掛かって息絶えている者。

 硬い何かで押し潰されたかのように、四肢のあちこちを肉片に変えている者。

 炎に撒かれたのか、服装も顔立ちも性別もわからない程焼け焦げ、黒い屍と化している者。

 全身を鋭利な何かで切り刻まれ、原形を失って血溜まりに沈む者。

 見渡す限り、瓦礫と死体。火の爆ぜる音が妙に大きく響き渡る程、辺りは恐ろしいまでの静寂に包まれている。

 パッと見ただけでも、生存者がいるとは考え難い。周囲に漂っている焦げ臭さと血生臭さで、嗅覚どころか気が狂ってしまいそうだ。

「一体……、誰が、こんな……」

 疑問を言葉にした瞬間、凍り付いていた脳が一気に覚醒した。

 襲撃犯の正体。恐らくそれは、深く考えるまでもなく導き出せる。

 わざわざ軍の詰め所を襲う物好きなんて、心当たりは『奴ら』しかいない!


「よぉ。待ってたぜディーン」


 確信を胸に、右手に炎を生み出そうとしたその瞬間だった。

 前方十メートル程の位置にある巨大な瓦礫の陰から、既に聞き慣れてしまった声と共に、見知った顔が姿を現した。

 橙色のバンダナを頭に巻き、日光を受けて黒光りする鎖付きの鉄球を携えた、やや細身の男。

 ガラム・ドラゴドム。

 幾度となく俺の前に立ちはだかった、『精霊指揮者ゴースト・コンダクター』の一員だ。

「ガラム……、てめぇ……っ!」

「ッハハァ、随分遅かったな。せっかくボスが招き寄せてくれたってのに、全然姿を見せねぇから少しばかり焦ったぜ。まさかどっかで再起不能に……って……」

 話の途中で何かに気付いたらしく、ガラムは驚いたように眼を丸くし、俺の斜め後ろに視線を向ける。

「オイオイ、誰かと思えばジェイガじゃねぇか。何でお前さんまでいるのか知らねぇが、顔合わせるのは『ブラウズナー渓谷』以来だな。どうだ? 元気にしてたか?」

「気安く話し掛けんな。殺すぞ」

 愉快げに話し掛けられたにも拘らず、ジェイガは徹底的に突き放す言葉を投げ返した。

 俺が背後を一瞥すると、ジェイガはいつの間にか黒い大鎌を生み出し、右手に握り締めている。どうやら最初から、戦闘回避の意思がないらしい。

 それに気付いているはずのガラムは、しかしあくまでも冷静だった。いつも通りの、陽気な口調で話し掛けてくる。

「連れねぇ言い方だなぁ……。短い期間とはいえ、一度は志を共にした仲じゃねぇか。そうだろ?」

「……なるほど。よっぽど切り刻まれてェらしいな三下ァ……」

 引き金を引くのが上手いのか、或いは引き金が緩過ぎるのか。いずれにしろ相変わらず沸点の低いジェイガは、大鎌を振り回しながら俺より前へと進み出る。

 と、その瞬間だった。

 ガラムの背後。奴の身の丈を優に超す瓦礫の頂上に、もう一つ人影が現れたのだ。

 ……まぁ、この展開自体は然して驚きはしない。常にガラムと行動を共にしている人間は限られている。それも極端に。

 黒い長髪に、抑揚のない人形のような表情。青と銀が螺旋状に装飾された、水を操る籠手型の『魔剣』。

 シグード・ファン。

 ガラムとは対照的に、未だほとんど言葉を交わした事のない男は、俺とジェイガを冷めた眼差しで見下ろしている。

「そういえばお前さん方、見覚えのねぇ娘を連れてるなぁ。そのお嬢ちゃん、一体どこの誰だい?」

「誰だろうとてめぇには関係ねぇだろ。余計なお喋りに付き合うつもりはねぇ。――下がってろ」

 ガラムの軽口を早々に受け流し、俺は傍らのルーシィに短く促した。

 凄惨な現場を眼にして硬直していたルーシィは、だがすぐに呼び掛けに応じてくれた。彼女が近くの瓦礫の陰に身を隠すのを見届けてから、俺は再び正面を向く。

 すると、その様子を眺めていたガラムが、意地の悪い笑みを浮かべて口を開いた。

「ッハハァ、なるほどねぇ。要するにその娘はリネちゃんの『代わり』って訳だ。どこで見つけてきたのか知らねぇが、お前さんも中々隅に置けねぇなぁ」

「!」

 こいつ……、白々しい台詞吐きやがって……っ! 代わりも何も、リネを拐いやがったのはてめぇらだろうが!!

 ガラムの言動一つ一つが、どうしようもなく腹立たしい。どうやら今の俺は、ジェイガの事をとやかく言える状態じゃないようだ。

「答えろ。リネはどこにいる」

 今にも爆発しそうな闘争心を抑えつつ問い掛けると、ガラムは不敵に笑って、鎖付きの鉄球を振り回し始めた。

 徐々に速度を増す鋭い風斬り音が、死臭漂う戦場に響き渡っていく。

「知りたいなら、わかるだろ……?」

 ……そうだな。難しい事を考える必要なんてない。

 喋らないのなら口を割らせる。

 立ちはだかるのなら叩きのめす。

 至極簡単で、『俺達』にとっては当たり前過ぎる答えだ。

「……言っとくけどこっちも余裕がねぇんだ。加減も容赦も一切しねぇぞッ!」

「ッハハァ! 上等だ、『炎を操る者(フレイム・ウォーカー)』ッ!」

 目一杯地面を蹴り付けると同時に、右手に炎剣を造り上げる。

 待ってろリネ……。こいつらブッ倒して、すぐに助け出してやるからな!


ってな訳で、漸くスタートした『グラステッド山脈編』の第一章でした。


前回の更新が懐かしくなる程かなり日数が経過してしまいましたが、どうにかこうにか投稿まで漕ぎ着けられました。

わざわざ待っててくださった方々には本当感謝してもし切れません。本当にありがとうございます!


これからもマイペースな更新になるかとは思いますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

それではまた次回!ノシ

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