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フレイム・ウォーカー  作者: エスパー
宵闇の剣編
104/122

第十六章 それぞれの行方

 鉛のように重くなった身体をどうにか動かしながら、松明の明かりが消え去った洞窟内を、俺は広間に向かって駆け抜けていた。

 思慮が足りなかった。考慮しておけばよかった。

 俺がセルティスと戦っていた場所は、洞窟の入口から程近い所だった。『紅の詩篇フレイム・リーディング』の効力が洞窟内にまで届いている以上、俺が何者かと争っている事はリネにも伝わっているはずだし、あいつの性格と今までの言動からして、危険を承知で洞窟の外に飛び出して来たとしても全くおかしくはない。

 にも拘らず、今回リネは姿を現さなかった。

 その時点で気付くべきだったんだ。

 あいつの身に、危険が迫っているという事実に。

 来る時はほんの数分で駆け抜ける事が出来たはずの道のりが、疲労感のせいか、酷く長いものに感じられる。何だか一気に歳を取った気分だ。

 ふと背後を一瞥しそうになった俺は、しかしその思考を、無理矢理頭の隅へと追いやった。

 今頃、セルティス達の戦況はどうなっているのだろう?

 ガラムとシグードの戦闘能力の高さ、そしてセルティス達の疲労具合から考えて、やはり別れ際に彼女が口にしていた通り、それ程長い足止めを行う事は出来ないだろう。

 例え僅かな時間稼ぎにしかならなかったとしても、あいつらが身体を張って作ってくれた時間だ。一瞬たりとも無駄にする訳にはいかない。

「……、?」

 言葉にならない歯痒さを噛み締めながら進んでいた、その時だった。

 不意に前方の景色の中に、一筋の光明が姿を現したのだ。

 洞窟の奥で待ち受けている、強い光を放つ何か。松明の明かりなどでは到底有り得ない光量が、奥へ近付く程に大きく、眩く俺の視界を埋め尽くしていく。

「何だってんだ一体……!?」

 長かった通路の終着点。広間の入口に差し掛かる頃には、溢れ出る光の波が網膜を押し潰してしまいそうだった。

 一体、何が起きている!? リネとアウィンは無事なのか……!?

「リネ! アウィン! どこだ!? 返事しろ!」

 広間の中に足を踏み入れながら、二人の名を叫んでみる。

 応答はない。気配も感じられない。

 最早狼狽える事しか出来ない俺に追い討ちを掛けるかのように、事態はさらなる深刻さを露呈させる。

 内部の異変は、謎の光だけには留まらなかったのだ。緩やかにだが確実に、洞窟全体が上下に震動を繰り返し始め、低い地鳴りの音が俺の鼓膜を刺激する。

 焦燥感ばかりが募っていく中、それでも二人の姿を見つけられないものかと、俺は光の中を手探りで進んでいく。

 そして、恐らくは広間の中程辺りまで辿り着いた頃だろう。

 唐突に、『それ』は俺の前に姿を現した。


『遅かったね。待ちくたびれたよ』


 瞬間、自分の身体が一気に硬直するのを感じた。

 予感が全くなかったと言えば嘘になる。『奴ら』が俺の前に現れた時点で、『この展開』を迎える可能性は充分に考えられたのだから。

「ガラムにシグード……、その次はてめぇか……っ!」

 苛立ち紛れにそう呟いた直後だった。


 数メートル先の視界が不自然に『歪んだ』のは。


 まるで空間そのものが捻じ曲がっているかのように。白い絵の具の上に黒い絵の具を垂らし、グチャグチャに掻き混ぜていくかのように。現れた『歪み』は、徐々に人の形を成していく。

 俺よりも少し高い身長。少し逆立った灰色の髪に、思慮深さを感じさせる同色の瞳。黒いローブの内から覗く男の胸元では、『精霊石』が埋め込まれたひし形の首飾りが煌めいている。

 悠然と佇む男の名は、ボルガ・フライト。

精霊指揮者ゴースト・コンダクター』の首領であり、俺と同じく、『炎髪』一族の生き残りである者だ。

 やや身構える俺に対し、ボルガはふっと眼を細め、薄く笑う。


『元気そうだね。キミがこうして現れたという事は、「宵闇の剣」を利用した揺さぶりは失敗に終わったという事か。……まぁ、ある程度予想はしていた事だが』


「リネとアウィンをどこへやった……!」

 最初から相手の話に付き合うつもりがなかった俺は、単刀直入に詰め寄った。

 だがボルガは、当然動じる様子を見せない。どころか、嘆かわしげに首を左右に振る。


『相も変わらず他人の心配か……。全く……、私にはキミの思考が理解出来ないよ。それこそ吐き気を覚える程にね』


「質問に答えろ! リネとアウィンはどこだって聞いてんだよッ!!」


『そう興奮するな。「まだ」無事だよ。キミの到着を待っている間暇だったものだから、彼女らだけ先に「招かせて」もらっただけだよ』


「『招く』……?」

 二人の姿が見当たらないのは、やっぱりもうここにはいないからなのか?

 ……それに、気のせいだろうか。さっきからボルガの身体が、その輪郭が、声が、とても不自然で不安定なものに感じられる。まるで存在その物が、陽炎にでもなってしまったかのように。


『言葉通りの意味さ。今キミの周囲で起きているこの現象は、彼女らを招く為に発動した力が生み出した影響、副産物だよ』


「何を言って――」

「『龍脈』と『精霊術』を応用した、『魔術』では発動不可能な『瞬間転移術』、なんだとさ」

「!?」

 突然、背後からボルガとの会話に割って入る声が聴こえ、俺は反射的に振り返った。そして眼の前の光景に愕然とする。

 そこにいたのは紛れもなく、ガラムとシグードだった。何かしらの怪我を負った様子も、疲労している様子も一切見受けられない二人の強者が、俺の退路を塞ぐかのように立ちはだかっていた。

 嘘だろ……。大した時間稼ぎにはならないと踏んでたとはいえ、いくら何でも早過ぎる……! セルティスもロッソも、そんな簡単にあしらわれちまったってのか……!?

「残念だったなディーン。お前さんの『お友達』も善戦はしたが、所詮はこの通り、大した役には立たなかったって事だ」

「……ッ!」

「よぉ大将! こっちの仕事は片付いたぜ」


『ああ、ご苦労だったね二人とも。――さて、少年』


 労いの言葉をガラムに掛けた後、ボルガは歯噛みする俺に悠然と話し掛けてきた。

 せめてもの反抗心として睨み返す俺に、『精霊』召喚を目論む男は白々しい口調で告げる。


『自分の傍に大切な宝物がないと不安で仕方ないだろう。だが安心するといい。キミ一人をここに置き去りにするなんて野暮な真似はしない。一緒に連れて行ってあげるよ』


「何だと……?」

「さっきの話聞いてなかったのか? 『龍脈』と『精霊術』を応用した『瞬間転移術』。それが今、この洞窟内で発動しようとしてんだよ」

「!?」

 発言の内容よりも、ガラム達が現れた事に気を取られていた為聞き逃しそうだったが、確かに奴は言っていた。『魔術』では発動不可能な『瞬間転移術』だと……。

 未知なる力である、『精霊術』と『龍脈』。

 ミレーナの弟子となり、『魔術師』として六年の歳月を駆け抜けてきた俺は今……、一度も足を踏み入れた事のない領域に引き摺り込まれようとしている。


『さぁ、来るがいい。我が膝元へ。「精霊」が召喚される、輝かしい晴れ舞台へ!』


 不敵な表情で高らかに唱えるボルガ。

 愉快げに口角を引き上げ笑うガラム。

 無表情のまま眼を伏せるシグード。

 三者三様の反応を見せた敵対者達の姿が、俺の視界が、より強さを増した光の波に塗り潰されていく。

 一点の黒さえ存在し得ない、純白に。

 それが俺が最後に見た、この上なく殺風景な景色だった。




 ◆  ◆  ◆




「……このまま進むと、行き着くのは『グラステッド山脈』だな」

 先導するジェイガの背を追っていた俺は、目前に迫る景色を前に、誰にともなくそう呟いた。

『ワーズナル』での戦闘と探索を終えた俺達は、ジェイガが感じ取った『龍脈』の『淀み』の原因を辿り、指針を一路『ジラータル大陸』の北に向けて進み続けてきた。

 橙色に染め上げられた太陽は、すでに西の彼方へと差し掛かり、東の空からは漆黒の夕闇が迫りつつある時間帯だ。

 山脈地帯が近いという事もあってか、周囲には荒地が広がっていて、所々に巨大な岩や、嵐か何かで倒れてしまった巨木が転がっていたりする。まさに悪道と呼ぶに相応しい道のりだな……。

「もう結構歩いたよね……。移動してる『淀み』って、まだ先に進んでるの?」

 ルーシィは一旦立ち止まると、少々疲れた声で先導者に声を掛けた。

 するとジェイガは、俺達から少し離れた位置で立ち止まり、微かにこちらを振り返る。

「疲れたんなら隣の聖人君子様にでも背負ってもらえ。こっちは餓鬼の面倒を見てる暇なんざねェんだよ」

「もうーっ! ちょっと聞いてみただけで何でそこまで言われなきゃなんないのよーっ!」

「! ちょっと待て。『暇がない』、とはどういう意味だ?」

 むくれるルーシィには悪いと思ったが、俺はジェイガのその言葉を聞き流す事が出来なかった。夕陽に照らされているジェイガの顔は、心成しか本当に余裕を失っているように感じられたからだ。

 すると、俺が指摘してくるとは思っていなかったのか、ジェイガはやや眼を(みは)った後、静かに口を開く。

「さっきから『淀み』の動きが妙に不安定でな……。進んでる方角はこの先で間違いねェんだが、詳しい位置を特定するのが難しくなってきてやがる」

「……不安定になっている原因はわからないのか?」

「癪な話だがな」

「……」

 確かハルク様から聞いた話では、『グラステッド山脈』は『精霊』召喚に関する古代の『碑文』が見つかった場所だ。

 その方角に向かって『淀み』が動いているという事はつまり、『龍脈』の集合点がある場所というのは……。

「――ねぇ。何の光だろ、あれ」

「えっ?」

 情報を整理し直していた俺の隣で、不意にルーシィが遠方を指差しながら呟いた。彼女が差し示しているのは、進行方向である北の方角だった。

 ルーシィが言う謎の光は、『グラステッド山脈』の霊峰たる山々の隙間を縫うようにして、かなり遠い場所で発生している。これ程離れているにも拘らず視認出来るという事は、光を発している何かは、余程の強い光量を持っているという事だ。

 問われた俺自身も、明確な答えを返す事が出来ない。あれは一体何の光だ……?

「……あの妙な光も気にはなるが、テメェは『あれ』の心配をした方がいいんじゃねェのか?」

「? どういう意味だ?」

 俺やルーシィと同じ方向を見つめてはいるものの、明らかに違う何かをその眼に捉えているジェイガは、無造作に前方のある一点を指差した。

 それは、俺達から十メートル程離れた位置。花も草も生えていない、乾いて(ひび)割れた硬い地面の上に、旅人と思しき服装の人間が横たわっている。

 行き倒れたのかと思い近付こうとした所で、俺は先程、ジェイガが発した言葉の意味を漸く理解した。

 見覚えがあったからだ。

 うつ伏せに倒れている旅人の、『特徴的な髪の色』に。

「……まさか……、ディーン……!?」

 灼熱の炎のような紅い髪。夕陽に照らされた中でも目立つその色に導かれ、俺は足早に傍らまで駆け寄った。

 僅かばかりにも動く気配を見せないその身体を起こし、顔を確認する。

 するとやはり、そこにはよく見知った顔があった。

「ディーン! しっかりしろ! ディーン!!」

 二、三度身体を揺すって強く呼び掛けてみるが、反応はない。しかもディーンの身体には、戦闘によるものと思われる傷があちこちに見受けられる。

 確かディーンは、ハルク様からの依頼を受けて『サランドロ』……大陸の東の端へ向かったはずだが……、それがなぜこんな所に、こんな状態で……。

「ジン兄。知り合いなの? その人」

 気付くといつの間にか、ルーシィ、ジェイガの二人が、ディーンを覗き込むようにして立っていた。

 ルーシィは心配そうな顔付きをしているが、ジェイガの方は怪訝そうに眉を顰めている。

「どォなってんだ? 何でこいつがこんな所に転がってやがる……」

 確かに訳がわからない。こいつの事もそうだが、リネや、同行しているはずのアルフレッドの姿が見当たらないのも気に掛かる。

 まさか、また何か厄介な事に巻き込まれたんじゃ……。

「ねぇ。とにかくどこか休める場所を探して、手当てしてあげようよ。もうじき日も暮れちゃうし」

 徐々に橙色を失いつつある西の空を見つめ、ルーシィは俺が失念し掛かっていた事を提案してくれた。

 全く、我ながら気が利かないにも程がある。彼女の言う通り、今はディーンの介抱が先決だ。

「ああ、そうだな。……すまないジェイガ。少し寄り道しても構わないか?」

「好きにしろ。どの道『淀み』の行方を追うのは、ここらが限界だろうからな」

 そう言ってジェイガは地図を取り出し、方角を確かめながら先に歩き始める。

 俺は物言わぬディーンを背負い、ルーシィと共にその後を追った。




 ◆  ◆  ◆




「――うっ」

 誰かの声が聴こえた気がして、俺は重たい瞼をどうにか抉じ開け、自分の視界を確保しようと努めた。

 が、酷い頭痛に苛まれ、身体が思い通りに動かない。

 視界が何度も明滅を繰り返し、焦点が定まらない。

 耳鳴りの向こうから聴こえてくる何者かの声は、聴き覚えのないものだった。

「――っと待っててね。今――呼んでくるから」

 途切れ途切れに聴こえていた少女のものと思しき声は、やや慌てている様子の足音と共に何処かへ遠ざかっていく。

 少しでも状況を理解しようと首を動かした俺は、自分がベッドに、延いてはどこかの室内に横たえられている事に気付いた。

 傍らには両開きの四角い窓があり、外はすでに暗くなっている。闇夜を照らす光源となっているのは、紅き太陽と入れ替わる形で夜空を支配している、銀灰色の優美な月。

 その、どこか妖艶な光を見つめていた俺は、急激に意識を覚醒させた。

 身体がフラつくのも厭わず、勢い良く上半身を持ち上げる。

「……っ、ここは……」

 何をどう考えても、『蒼司』一族の集落ではない。

 どこをどう見ても、『精霊大戦』の壁画があった洞窟ではない。

 どうして俺は、どこともわからない室内に移動させられてるんだ……?

 二、三度を頭を強く振るい、自分自身に問うてみて漸く思い出す。『あの瞬間』の記憶を、蘇らせる。

「……そうか。『瞬間転移』……!」

 洞窟内でガラムが言っていた、『精霊術』と『龍脈』を応用した『瞬間転移術』。その発動に呑み込まれて、俺は――!

「……そうだ。休んでる場合なんかじゃ、ない……っ!」

『あいつ』がいない。

 こんな風に眼を覚ました時、いつもなら一番に俺を迎えてくれるはずの『あいつ』が、どこにも見当たらない。

 それもそのはずだ。あの野郎が……、ボルガの野郎が、リネを連れ去りやがったんだから!

「くっ……」

 ベッドから降り、立ち上がろうと脚に力を込めたはずが、無情にも俺の身体は前のめりに倒れ、冷たい床に膝をついてしまった。

 身体が言う事を利かない。立ち上がる事さえ出来ないなんて……!

「――ディーン! 何をしてるんだ!」

 いつの間にか、俺の聴覚は正常に働くようになっていた。

 床に這い蹲るしかない無力な俺の耳に届いたのは、聴き慣れた仲間の声。

 だけど……。

「ジ……ン……? お前、何で……こんな所に……」

 そうだ、ジンがここにいるはずがない。だってお前は『首都』に残って、『テルノアリス城』で療養中のはずだろ?

 必死に頭を働かせながら起き上がろうとする俺を、ジンは慌てた様子で制止する。

「無茶をするな! とにかく一旦ベッドに戻るんだ!」

「いや、でも……」

 ベッドに押し戻そうとするジンに抵抗を試みたが、反撃はあっさりと封じられてしまった。

 再び横たえられながら不満を口にしようとした俺は、しかし信じられない光景を目の当たりにして一瞬硬直する。

「ジェ……、ジェイガ……!?」

 視界の端、部屋の入り口となる開け放たれた木製の扉の前に、やや呆れた表情で佇んでいる青紫の髪の少年。蛇のような鋭い眼付きが特徴的なそいつは、俺が名前を呼ぶと煩わしげに視線を逸らした。

「ど、どういう事だよ! 何でお前がジンと一緒に――って言うか、隣にいるその娘は……?」

 ジンの登場だけでも驚いていた俺は、ジェイガと、そしてジェイガの隣で心配そうな顔をしている見覚えのない少女の姿を捉えてしまい、さらに混乱する羽目になった。

 どうやら俺が眼を覚ました時に聴いた少女の声は、この娘のものだったんだろう。

 彼女がジンやジェイガを連れてきたという事は、まさかこの三人は……。

「ディーン、とにかく一旦落ち着け。状況の説明をしてほしいのはこっちも同じだ」

 機能停止に陥いりそうな俺の脳を、ジンの冷静な言葉が急速に冷却していく。

 こういう時、暴走してしまいがちな自分と違って、やはりジンは頼りになる存在だ。

 少しずつ冷静さを取り戻しながら、俺はふと、そんな事を思った。




「――――――――――」

 互いの状況説明に要した時間は、約二十分程。

 俺の口から『内通者』という言葉が出た途端、ジンの表情が徐々に曇り始め、アウィンの存在、そしてリネが連れ去られた事などを語り終える頃には、彼は重く口を閉ざして、何かを思案しているような顔付きになっていた。

 ……それにしても、まさか自分のいる場所が『グラステッド山脈』の麓に近い場所(『カラレア』と言う小さな村らしい)だなんて、何とも信じられない気分だ。

『精霊召喚』の舞台ともなった()の山脈は、『ジラータル大陸』の真北に位置している。『蒼司』一族の隠れ里が大陸の南東地域だった事を考えると、気が遠くなる程の距離を一瞬で移動している事になる。

 ……そうか。今考えると、最後にボルガが言っていた『「精霊」が召喚される輝かしい晴れ舞台』とは、『グラステッド山脈』の事を指してたのか。相変わらず、勿体ぶった言い方する野郎だぜ……。

「もう体調は大丈夫なの?」

 物思いに耽っていた俺は、気遣わしげな少女の声に反応し、顔を上げる。

 頭に巻かれた白いターバンやら、厚底ヒールやら露出度の高い服やら、柄の長い銀色の金槌やらと、何とも奇抜な格好をしたこの少女は、ルーシィと言うジンの(かね)てからの知り合いらしい。

 どこかリネと似た活発さを感じさせる彼女の言葉に、自然と頬が緩む。

「ああ、もう平気だ。ありがとな」

 実際の所、セルティス戦の疲労は抜け切っていないが、少なくとも『例の移動術』によるものと思われる後遺症に関しては、徐々に鳴りを潜め始めている。

 まだ知り合ったばかりだと言うのに、ルーシィは随分安堵した様子で、警戒心の感じられない柔らかな笑みを自然と俺に返してくれた。

「――で? テメェはいつまで難しい顔して黙り込んでるつもりだ?」

 いい加減飽き飽きしたと言わんばかりに、部屋の壁に背を預けているジェイガが乱暴な口調で言い放った。

 相手はもちろん、ずっとベッドの傍で思案を続けているジンである。

「……ずっと引っ掛かっていた事があるんだ」

 ジェイガの苦言を受け入れたからなのか、もう何分も沈黙を守っていたジンが、漸く口を開いた。

 透き通った水面のような碧眼が、真っ直ぐ俺を捉える。

「以前、『精霊指揮者ゴースト・コンダクター』が『首都』に侵攻してきた時の事を覚えてるか?」

「え? ああ……。確か最初にガイザックの奴が『大規模魔術』で破壊行動を始めて……」

「それと前後する形で、『テルノアリス城』にガラムとシグードが現れた。恐らくこの二人は、奴らが使っている飛行船から飛び降りて、直接街の中に入ったんだろう。後から現れたパーニャに関しても、同様の事が言える。だが残る二人……、ボルガとガイザックは、一体どこから『首都』へ侵入したんだ?」

「どこからって……、普通に検疫所を通ったんじゃねぇのか? 一般人に紛れて」

 深く考えず返答する俺に、ジンはやや厳しい表情を浮かべて反論する。

「可能性がないとは言えないが、丁度あの頃は、『テルノアリス襲撃事件』が起きた後という事もあって、警備がそれまで以上に厳しくなっていた。そんな状況下で、奴らのような武装集団がそう簡単に門を潜れたとは思えない」

「……つまり?」

「『内通者』の存在が確かなら、その襲撃の時もそいつが手を回した可能性がある、って事かァ?」

「!」

 どこか楽しげに結論を口にするジェイガ。それとは対照的に、俺を含めた残り三人の表情が、一気に重苦しいものへと変化した。

 暫し言葉を失う俺を他所に、ジンは更にこう続ける。

「……考えたくはないが、考えられなくはない。それに、だ。そんな以前から『内通者』が現政権内に存在していたとなると、最悪『テルノアリス襲撃事件』でさえ、『精霊指揮者ゴースト・コンダクター』が裏で糸を引いていたという可能性も……」

「おい……、マジかよ……」

 確証がない以上、ジンの推論は単なる憶測でしかない。だがそれでも、一度生まれてしまった疑念は、簡単に拭い去る事が出来ないのも事実だ。

 一体、『内通者』は誰なんだ?

 何度目になるかわからない疑問が、脳裏を過ったその時だった。

 本当に、心の底から呆れ返った様子で、ジェイガが口を開いたのは。

「……ったく。さっきから何をグダグダ悩んでやがんのかと思えば、んなくだらねェ事かよ。存外テメェも面倒臭ェ性格してやがんなァ?」

「……何だと……?」

 さすがのジンも、この状況ではジェイガの言葉を聞き流す余裕を持てなかったらしい。無神経な発言者に向かって、突き刺さるかのような鋭い視線を送ってみせる。

 だがジェイガは、一旦眼を伏せてから、仕切り直すかのようにこう告げた。

「要するにだ。この事態を放っておけねェってんなら、テメェ自身の手で『内通者』の正体を暴いてくりゃいいだろォが」

「!」

 乱暴なジェイガの発言にジンは……いや、ジンだけでなく、俺自身もハッとさせられた。

 それは至極単純で、当たり前と言えば当たり前過ぎる提案だった。

 恐らく俺達は、知らず知らずの内に判断力を鈍らせてしまっていたのだろう。それこそ、こんな簡単な答えにすら辿り着けなくなる程に。

「確かにそうだが……。俺だってそうしたいが、今『首都』に戻れば、それこそ『内通者』に疑いを持たれて――」

「だったら俺の存在を利用しろ」

「! 何……?」

 懸念材料があるからこそ、『首都』帰還に躊躇いを見せるジンを、ジェイガは予想の範疇だとばかりに封殺する。そして続け様にこう口にしてみせた。

「例えばそうだな……。俺が『その餓鬼』を人質にとって逃亡しやがったから、応援を要請する為に一度帰還した――。元老院にそう報告すりゃあ、誰が『内通者』だろうが、ちっとは時間稼ぎになるんじゃねェか?」

 指こそ差されなかったものの、『その餓鬼』と表現されたルーシィが、不服そうに眉根を寄せる。

 しかし、何とも意外過ぎる提案だった。相変わらず乱暴な言い方ではあるが、ジェイガは自らを囮に使えと言っているのだ。

 一体どういう風の吹き回しなのか、俺もジンも、すぐに返す言葉が見つからない。やっと言葉を発せるようになるまで、随分時間を要してしまった。

「けど……、ホントにいいのかよ? せっかく牢獄から出られたってのに、そんな事したら……」

「ディーンの言う通りだ。これ以上元老院からの心象を悪くすると、今度こそお前は……」

「余計な事考えんな。例え俺の身がどうなろうと、テメェらの知った事じゃねェよ」

「……」

 話はこれで終わりとばかりに、ジェイガは眼を伏せて黙り込んでしまう。

 無言のまま、俺はしばらくジンと視線を交わしていた。が、やがてジンの方から視線を外し、観念したように口を開く。

「……わかった。ならお前の存在、遠慮なく利用させてもらうぞ」

「……好きにしろ」

 眼を伏せたまま、興味なさげに返答するジェイガ。

 本当にただの気紛れなのか、或いはジンの事を思いやっての言動なのか、いまいち判断がつけられないが、とにかく話はまとまったようだ。

 ジンはふと、窓の向こうに見える『グラステッド山脈』を一瞥した後、やや視線を落として告げる。

「悪いなディーン。本当なら、俺もリネの救出に力を貸してやりたい所なんだが……」

「気にすんなって。『内通者』の存在だって放っておけねぇんだからさ。……心配しなくても、リネは俺が必ず助ける。任せとけ」

「……ああ。頼んだぞ」

 俺とジンは、自然と互いの右手を伸ばし、軽く拳を打ち付け合った。

 もちろん懸念が、不安が全て消え去った訳じゃない。リネやアウィンだけじゃなく、アルフレッドやシャルミナ、セルティス達の安否も気に掛かる。

 だがあいつらはみんな、そんな簡単にやられるような連中じゃない。あの『英雄』バルベラ・スプリートだってついてるんだ。大丈夫さ、きっと……!

 だから俺は、今自分に出来る事をやり遂げよう。

 リネとアウィン。二人は必ず……、必ずこの手で取り返す。

 俺自身の『存在意義』を、果たす為にも――!

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