第十五章 急転直下
「そ……、そんな……。そんな事って……」
『対極召喚』――。
それは、今まさに世界を崩壊に導こうとしている『精霊指揮者』に対抗し得る、唯一の方法。
『闇』の『属性』を持つ『デス・ベリアル』に対して、『光』の『属性』を持つ『ホーリー・ディバイン』を呼び出す事で、世界の均衡を保ち、滅びの力を消滅させる。
アウィンさんから話を聞いた直後、あたしは本当に安堵していた。
漸く……漸く、世界の崩壊を食い止める方法が見つかったんだ。難しい事はわからないけど、とにかく、世界の崩壊を止める方法は確かにあるんだ。
多分ディーンが傍にいたら、あたしは子供みたいにはしゃいで、喜んで、彼に思いっ切り抱き付いていたと思う。それぐらいの感動が、胸の内から湧き上がっていた。
だけど彼女……アウィンさんは、あたしの気持ちとは裏腹に、決して微笑もうとはしなかった。
決して晴れやかではない表情で、静かにこう言い放ったんだ。
「『対極召喚』を行う為にまず必要となるのは、『精霊』を呼び出す為の、『寄代』となる人間です。――あなたが『精霊』の『寄代』となって、『ホーリー・ディバイン』を現出させるのです」
『精霊』を呼び出す為の、『寄代』となる人間。
アウィンさんが口にした『その言葉』の意味は、あたしの予想通り、不穏極まりないものだった。
聞かなければ良かったのかも知れない。
あたしは今日、ここへ来るべきじゃなかったのかも知れない。
世界の崩壊を食い止める方法がある。そう知って感動していたあの瞬間が、何だかもう随分昔の出来事のように感じてしまう。
認めたくはないし、受け入れる事も出来そうにない。
けれど認めなければ、受け入れなければ、選ばなければ、世界が滅んでしまう。
大好きな人達がいるこの世界が、消えて失くなってしまう。
そんなの嫌だ……。絶対に嫌だ……!
でも……、でも……!
「……すぐに答えを出せとは言いません。今ここで、あなたにだけ告げた『この事実』を、受け入れるか否かはあなたにお任せします。元々強制出来るような事でもありませんからね」
「……」
「残された時間は僅かしかありませんが……それでも、だからこそ、悔いの無い決断を」
アウィンさんの言う通り、すぐに答えなんか出せる訳ない。思考がぐるぐる渦を巻いて、何が正しいのかさえわからない。
もし今ここにディーンがいたら、彼は一体、何て言うだろう?
大きな……とても大きな決断を、選択を迫られたあたしに対して、どんな言葉を掛けてくれるんだろう?
あたし……、一体どうすれば……。
『簡単な事だよ。受け入れてしまえばいいのさ、滅びの道を』
「……!?」
「! リネさん!!」
アウィンさんの強い叫びに反応して、背後を振り返ったその瞬間。
我が身に迫る事態を脳が把握するより早く、あたしの視界は闇の中に放り込まれたかのように、暗転した。
◆ ◆ ◆
「完敗……って言うのかね、こういうの……」
疲弊し切った身体を瓦礫に預け、何となく空を見上げていた俺は、弱々しい呟きを耳にして視線を下ろした。そして声の主に、苦笑を混ぜながら返答する。
「そうでもないんじゃねぇか? 実際、俺が押されてたのは間違いないんだし……」
数分前までの激闘を脳裏に思い浮かべつつ、俺は浅く息を吐いた。
視線の先、地面に倒れ伏すセルティスの傍らには、刀身が粉々に砕け散った黒い長直剣が転がっている。
『精霊石』を用いて造られた、『魔術』を徹底的に封殺する特殊な剣。あの土壇場で『焔滅』の力を制御する事が出来なければ、恐らく破壊出来なかったであろう代物。
正直、疲労感が半端じゃない。身体中の骨が軋んでいるし、筋肉は悲鳴を上げている。今眼の前にベッドがあれば、すぐにでも倒れ込みたい気分だ。
だが弱音を吐いている暇はない。やるべき事はまだまだ山積している。
シャルミナやアルフレッド、バルベラの安否も気になるし、リネとアウィンにも状況の説明をしに行かないと……。
「……守りたいものも、大切なものもない人間は、どうすりゃいいと思う?」
「!」
瓦礫から腰を上げようとした、まさにその時だった。やや赤みを帯び始めた空を見上げながら、セルティスが弱々しく、そんな事を口走った。
やや腰を浮かせていた俺は、数秒無言で静止した後、思い直して再び腰を下ろした。
彼女の話を素直に聞くべきだ、という感情が、自然と胸の内から湧き上がる。
「……他の人間から迫害を受けてきたんだよな? あんたのその、変身能力のせいで……。だからあんたには、守りたいものも大切なものも思い浮かばない。……そう言いたいんだろ?」
「意外だね……。ボウヤにでもワタシみたいな輩の心情が理解出来んのかい?」
「……わかったような口を利くつもりはねぇけど、俺も一人だけ、あんたと同じような境遇の人間を知ってるからな……」
俺の言葉が本当に意外だったらしく、セルティスはほんの少しだけ眼を瞠った。
そう……、そいつはセルティスと同じように、他者とは違う特異な能力を持って生まれたが故に、『化物』と揶揄され、忌み嫌われ、本当の意味での孤独を経験した少女だ。普段は明るい彼女からは想像し難い事だが、かつてその心に、セルティスと似通った悲しみと痛みを負っている。
彼女……リネの顔を思い浮かべている間に、セルティスは過去を振り返っているかのような遠い眼をして続ける。
「ワタシは自分の能力が嫌いだった。自らの出自を恨み、憎み、呪いさえした……。それこそ、一族の連中を見放して一人で生きていく事を考えるぐらいにね。……そんな折りだったよ。ワタシの一族が隠れ住んでいた村が、『魔術師』に襲撃されたのは……」
「!」
セルティスがそう発言した瞬間、俺は再びとある過去の記憶を呼び起こされた。
それは『ゴルムダル大森林』と呼ばれる、森林地帯での一幕。その地に残る『魔女伝説』を隠れ蓑に利用し、森を通る旅人を襲っていた『魔術師』。そいつは自身の『魔術』を使って、『人狼』の魂を他者に憑依させ、意のままに操るという『実験』を行っていた。
そいつの名は、リシド・ベイワーク。
無論、今のセルティスの発言だけでは、その襲撃者がリシドなのかどうかはわからない。だが実際に戦った際、リシド本人が口にしていた台詞から考えても、可能性は充分高いと言えるだろう。
奴が……一族の仇がすでに死んでいる、という事をセルティスに伝えようかと思った俺は、しかしすぐにその考えを改めた。
そんな事をしても、きっと彼女は喜びはしないだろう。
ただ無感情に、事実を事実として受け入れるだけ。それ程までに、彼女は自分の存在そのものを忌み嫌っているに違いないのだから。
「普通なら、悲しんだり憤ったりする場面なんだろうが、ワタシは違った。涙を流すどころか、逆に笑って喜んだんだよ。『自分を縛り付けていたものからやっと解放された』、ってね……」
「……」
自虐的な笑みを浮かべてみせるセルティスに、俺は返す言葉が見つからなかった。
だが同時に、一つだけ納得出来た事もあった。
それは彼女が俺に見せた、『魔術師』への異様なまでの敵愾心の、理由。
涙を流すどころか、逆に笑って喜んだ。……と、確かにセルティスは口にした。しかしそれは、あくまでも表面上のみの感情だったのではないだろうか。
彼女自身は無自覚なのだろうが、心の奥底には、一族を襲った『魔術師』への憎しみが宿っていた。だからセルティスは俺との戦闘の際、あそこまで頑なに『魔術師』という存在を否定していたのだろう。
もちろん真相を、彼女の本心を知る術は俺にはない。何の証拠もないと言われればそれまでの、単なる推論だ。
が、しかし……。
「なぁ。あんたはどうして傭兵集団を……、『宵闇の剣』を創ったりしたんだ? 『ギルド』の連中が言ってた通り、やっぱり金の為なのか?」
俺の問い掛けに対し、セルティスは苦笑を漏らす。その仕草からは、どこか諦めの感情が滲み出ているように思える。
「金の為、か……。実際その通りだから否定はしないよ。ウチの構成員は全員、何かしらの理由で食いっぱぐれた連中ばっかだからねぇ……。この大陸の場合、血生臭い戦争やら『魔術師』の所業やら、個々の込み入った事情なんていくらでも想像がつくだろ?」
「……大体はな。けど、それなら尚更わかんねぇよ。あんた程の腕があれば、わざわざ『ギルド』に敵対する勢力を創る必要なんてないはずだ。汚れ仕事に手を出さなくたって、他にいくらでもやりようが――」
「今のご時世、効率の良い金の稼ぎ方ってのは汚れ仕事の方が適してるんだ。ワタシに言わせりゃ、『ギルド』のやり方は甘過ぎて話にならない。実際ギルドメンバーの中にも、不満を感じてる奴は大勢いるはずだよ」
まるでそういう連中に出くわした事があるかのような口調で、セルティスは俺の言葉を容易く遮った。
しかしその上で、なぜかセルティスの瞳は僅かに揺らいでいた。
揺らぐ瞳を天上へ向けたまま、静かに告げる。
「それ以外に理由があるとすれば、そうだねぇ……。証が欲しかったから、かな……」
「……証?」
「ボウヤは『宵闇』の意味を知ってるかい?」
問われ、ほんの数秒考え込んだ俺は、『宵闇』という言葉の意味と、セルティスが何を意図しているのかを同時に悟り、ハッとした。
『宵闇』とは、夕方になって月が姿を現すまでの間の薄暗い様子。または陰暦上で、月の出が遅くなる頃の宵の暗さの事を言う。
月――。それは『人狼』一族にとって、決して切り離す事が出来ない存在。
つまり、セルティスが言った『証』とは……。
「あんたが人の姿を保っていられるギリギリの時間……。それを組織の名前に冠する事で、あんた自身の『希望』を、人である事を形にしたかった……って事なのか?」
「馬鹿馬鹿しいと思うだろ? ……でもさ。こんなくだらない事でしか、ワタシは自分の存在を保っていられなかったんだよ。『化物』と蔑まれ、虐げられ、『人間』だという事を認められなかった、ワタシには……」
「……」
人間は、自分と違うものを容易く受け入れられない。
いつだったか、少し悲しげな表情でリネがそう語ってくれた事があった。それが十数年生きてきた中で学んだ、人間の本質の一部なのだと。
確かにそうなのかも知れない。
受け入れられないからこそ衝突が起きる。
衝突が起きるからこそ争いとなり、それはやがて戦争を呼ぶ。
かつて相対した宿敵、アーベント・ディベルグという男も言っていた。争いの無い世界など、所詮は夢物語に過ぎないと。争いが生まれる事で戦いが起こり、戦いが起こる事で戦争へと繋がるのだと。
大仰な物言いだが、リネやアーベントの言葉は、セルティスの言葉と繋がる部分があるのではないかと俺は思う。
セルティスが自身の能力を恨み、憎み、呪いさえしたのは、人間という存在が相互理解を拒否したからに他ならない。
もちろん、全ての人間がそうだと言うつもりはない。
だが俺は、リネやセルティスのような者達を見てきたからこそ思ってしまう。
これが人間の本質であり、本能であるのか、と……。
「止めを刺せよ、『炎を操る者』」
ほんの数分前まで俺を脅かしていた人間とは、到底思えない。弱々しい瞳で、口調で、表情で、セルティスは自らの絶望の念を吐き出す。
人の姿を保っていられるギリギリの時間、宵の闇へ憧れを抱いた戦士。
『宵闇の剣』という組織名に込められた想いを吐露した女剣士は、自虐的な笑みをその顔に浮かべ、尚も吐き出し続ける。
「ワタシは自分の命に、存在に、未来に執着なんかしちゃいない。死のうが生きようがどうでもいいんだ。だからひと思いにさ……」
人は全てを諦めた時、彼女のような表情を浮かべる事が出来るのだろう。
言葉通り何ら執着心のない、言ってしまえば、死を覚悟し受け入れてしまったかのような表情。
だが、それでも――。
「あんた、一体俺に何度同じ事言わせりゃ気が済むんだよ」
俺にとって、彼女の言葉を否定するのは容易い事だった。受け入れる気などさらさらなかった。
戦いの最中あれだけ言ってやったというのに、どうやらこの女、俺がどれだけ強情な人間なのかまだ理解していないらしい。
俺は今度こそ瓦礫から腰を上げ、倒れ伏すセルティスを見下ろし告げる。
敵であるはずの人間を助ける為に。
自分がただの『人殺し』ではない事を、証明する為に。
「俺の信念はさっき告げた通りだ。その信念を曲げるつもりはない。例えあんたが『魔術師』って存在をどう思ってようと、どれだけ自分の人生を悲観してようと関係ねぇ。人殺しは勘弁しろ」
「……」
「それにさ。そうやって人生を悲観して、絶望するのはまだ早いと思うぜ、セルティス・ブラッカー」
「……?」
俺が笑って言ってやると、セルティスは不思議そうに眉根を寄せた。
そんな彼女の視線を『ある方向』へ促すべく、俺は右手で虚空を一、二度指差してみる。
セルティスが俺の指し示す方向に視線を移すのを見届けながら、俺は再度口を開いた。
「確かにこの世界には、優しさばかりが溢れてる訳じゃない。多分、辛くて悲しい事の方が多いんだろう。実際俺も、辛い境遇に遭った人間を何人も見てきたからな。……けどさ。辛いからって……、悲しいからって希望を簡単に投げ出して、一体誰が救われるんだよ? 例えこんな世界でも、辛くて悲しいからこそ……幸せになりたいからこそ、みんな踏ん張って、必死に生きてるんじゃねぇか」
「……」
俺とセルティスが見つめる先。そこには、二人の人間の姿がある。
仲間を思いやる必死さを、惜しげもなくその表情に浮かべながらこちらへ駆けてくる、ロッソとメフェリーの姿。そんな二人の姿は、間違いなくセルティスの瞳にも映っている事だろう。
以心伝心なんて言葉、俺は全く信じていない。だがそれでも、あの二人がなぜあんな表情を浮かべ、あんなにも必死な様子でこちらへ駆けてきているのか。その理由は俺にだってわかるし、セルティスにだって伝わっているはずだ。
「多分あんたが気付いてなかっただけで、大切なものも守るべきものも、ちゃんとあんたの傍にあったんだよ。……『あいつら』が、その証のはずだぜ?」
夢でも幻でもない。俺『達』は決して、一人なんかじゃない。
決して、孤独なんかじゃないんだ。
「……ハッ。全く……、本当に生意気なボウヤだよねぇ、キミは……」
憎まれ口とは裏腹に、発せられたセルティスの声は微かに震えている。故に俺は、彼女の表情を見ずとも、その様子を察する事が出来た。
悲しみも絶望も、いずれ消え去る時が来る。だから俺は、暫し黙って見届ける事にしよう。
セルティスにとっては、今この瞬間こそが、その時であるに違いないのだから。
◆ ◆ ◆
「――姐さんが生きているならそれでいい。もうお前に興味はないし、行くならさっさと行け」
随分と落ち着いた口調で軽くあしらわれた俺は、少しだけ優越感に浸っていた自分を激しく呪った。
こんな風に言われるんだったら、あともう一、二撃セルティスの事痛めつけとくんだったかな。……というのはさすがに冗談だが、それでも気分が悪くなってしまうのは否めない。
「その前に一個だけ、あんたらに聞きたい事があるんだけど」
自制の意味も込めて話題を切り替えると、セルティスに肩を貸しているロッソ――ではなく、さっきから不満そうに俺を睨んでいるメフェリーが、かなり忌々しそうに口を開いた。
「何よ、まだ何か用がある訳? 姐さんを倒したからって良い気になってんじゃないわよ! あんたみたいな『人殺し』の言う事なんて――」
「止しなメフェリー。今あんたが言った通り、ワタシはこのボウヤに負けたんだ……。ならどっちの立場が弱いかぐらい、説明しなくてもわかるだろ?」
「で、でも……」
「何だい? 聞きたい事っていうのは」
未だ納得していない様子のメフェリーを差し置いて、セルティスは強引に話を進めようとする。
さすがにメフェリーが気の毒なのではないかと一瞬思ったが、このやり取りに時間を割かれるのも面倒なのは確かだ。ここはセルティスの言葉に甘えておくとしよう。
「今回の一件……、あんた達は一体、誰に頼まれて実行したんだ? あんた達の『依頼者』は誰だ?」
問うた瞬間、僅かにだがセルティスの表情が厳しい物へと変化した。
問われる事を予期していなかったのか。或いは、『依頼者』の事を口にするのが憚られたのか。その理由を察する暇を与えず、セルティスが問い返してくる。
「そんな事を知ってどうする? まさかそいつに報復しようって腹積もりじゃないだろうね?」
「あのなぁ……。何度も言ったように俺は――」
「わかってるよ、冗談だ。ボウヤは他の『魔術師』とは違う。こうしてワタシが生きてんのがその証拠だよねぇ」
可笑しそうにセルティスが話を逸らすと、両脇のロッソとメフェリーが少しだけ意外そうな表情を浮かべた。
『魔術師』は『人殺し』。
やはりそれが、彼らの中での共通認識になっているらしい。
……まぁ、それは彼らの中だけに限った認識じゃないだろうけど。
「悪いね、話が逸れた。とにかく明確な理由を教えてくれるかい? 何を今更と思うかも知れないが、こっちも一応は客商売なんだ。おいそれと依頼者に関する事を口にする訳にはいかないんだよ」
「……」
やれやれ……、また一から説明しなきゃなんねぇのか……。理由なんてどうでもいいから教えてくれよ、勝負には勝ったんだからさぁ……。
軽く溜め息を吐いた俺は、しかしどうにか気を取り直して理由を口にしようとした。
自分の周囲に、セルティス達とは別の人間が近付いている事にも気付かずに。
「余計な事は喋らなくていいんだよ、賞金稼ぎ」
それはまるで、祭りの最中に歓談に花を咲かせているかのような、どこか陽気さを感じさせる声。
その声が響いたのと、眼の前にいたセルティスとロッソの身体が、飛来した蒼い何かによって後ろに吹き飛んだのは、ほぼ同時だった。
「!?」
あまりにも突然の事に息を飲んだ俺は、「姐さん!」という悲鳴に似た叫びを上げ、駆け出したメフェリーの動きを制止し切れなかった。
地面に倒れ伏す仲間二人の許に駆け寄ろうとするメフェリー。
その健気な少女の背中に、横合いから現れた何者かが、容赦なく凶刃を振るったのだ。
「メフェリー!」
俺よりも早く、鋭く叫んだのは、先に倒されたはずのロッソだった。彼の叫びも虚しく、メフェリーは鮮血と共に力無く地面に倒れ込み、動かなくなる。
そこで俺は、漸く襲撃者の姿を注視するに至った。
黒真珠のように妖しく艶めく、長い黒髪を生やした男。視界に捉えた横顔は、平坦かつ無表情なもので、酷く感情が掴みにくい。メフェリーの背を斬り付けた凶刃は、男の右腕、青と銀の装甲が螺旋状に装飾された分厚い籠手に連結されている。
あの特殊な形の剣の名は……、『魔剣・蒼牙』。
そして使用者の名は――。
「シグード……!」
愕然としながらその名を呟くと、シグードはほんの一瞬だけ眉を釣り上げてみせた。どうやら俺に名前を呼ばれるのが、あまりお気に召さないらしい。
と、そんな俺の予想を裏付けるかのように、次いで響いた声がこんな事を言った。
「あんまり気安くそいつの名前を呼ばない方がいいぜ、ディーン。どうもそいつ、お前さんの事を嫌ってるみたいだからな」
先程の聴こえた陽気な声は、眼の前にいるシグードのものじゃない。こいつと同じく『精霊指揮者』の一員であり、常に行動を共にしている男の声だ。
視線を巡らせると最初に眼に留まったのは、やはり相手の頭に巻かれた、夕暮れ時を思わせる橙色のバンダナだった。そして次に眼が行くのが、右頬に刻まれた十字架を模したような特徴的な形の刺青。
常に陽気な喋り口で、相手の事を『お前さん』と称するこの男の名は……。
「ガラム……!」
「よぉ、久しぶり……って程でもねぇか。何だか最近、お前さんとはよく会ってるような気がするぜ。なぁ?」
言いつつ、緊迫した空気にそぐわない快活な笑顔を見せるガラム。
一体いつの間に、そしてどこから現れたのかは知らないが、このタイミングでこいつらが現れたのは偶然なんかじゃない。
やはり『宵闇の剣』の『依頼主』は、『精霊指揮者』に関わりのある人間と考えて間違いない。
問題は、そいつがどこの誰で、俺達とどこまで繋がりのある人物なのかって事だ!
「……へぇ。どうもお前さん、俺達がここにいる事に対して、あんまり驚いてないみたいだな」
「完璧に予想出来てた訳じゃないけどな。それでも、俺達が『宵闇の剣』から情報を得ようとすれば、必ず何かしらの妨害は挟んでくるだろうと踏んでたよ。『依頼主』の……、『内通者』の正体を知られる訳にはいかねぇもんなぁ?」
「……!」
相手の言動に揺さぶられ、表情を強ばらせたのはガラムの方だった。俺の言葉は上手く意表を突く事が出来たらしく、ガラムはしばらくの間、寡黙な人形のように口を噤んでしまう。
が、やはりこいつも、黙ったまま引き下がるような男ではなかった。
再び愉快げな笑みを浮かべると、嘲るように告げる。
「ッハハァ。なるほど、さすがは天下の『炎を操る者』様だな。馬鹿な元老院どもと違って、実に聡明でいらっしゃる」
「心にもねぇ事ほざいてんじゃねぇ。この際だから答えてもらうぜ。一体どこの誰なんだ、『内通者』は! 大体てめぇら、どうやってそんな存在を俺達の側に潜り込ませた!」
「おいおい、尋ねる相手が違うだろ。そんなに知りたいんなら、そこに寝転がってる連中に聞いてみたらどうだ?」
「この……ッ!」
確かにその通りかも知れないが、なぜだろう。それをこいつに指摘されると、どうしようもなく腹が立ってしまう。
苛立ち紛れにガラムを睨みつけると、傍らのシグードがガラムを窘めるかのような冷静な眼付きを、彼に送ってみせた。
するとガラムはやや肩を竦め、飄々とした様子で続ける。
「おっと、いけねぇ。呑気に会話してる場合じゃなかったな。とにかくお前さんの読み通り、俺達の目的はそいつらの口封じだ。余計な怪我を増やしたくなけりゃあ、消えた方が身の為だぜ、『炎を操る者』殿?」
「させるかよ、そんな事……!」
「ッハハァ! 例え赤の他人でも見過ごせないって訳か。相変わらず勇ましいねぇ。……いや、呑気って言ってやるべきかなぁ、ここは」
「! ……何だと?」
「おやぁ? 人の心配ばっかりしてるお前さんにしては、随分と抜けてやがんな。――気付かねぇか?」
ニヤついた笑みを顔に貼り付け、ガラムは静かにこう言い放った。
「『いつも見掛けるはずの顔』が、何で今日に限って見当たらねぇんだろうなぁ?」
わざとらしく、ふてぶてしく告げられたガラムの言葉の意味を、俺は今更ながら、瞬時に悟ってしまった。
奴の言う通り、気付くのが遅過ぎた。
本当なら俺は、一人でこんな所にいるはずじゃなかったんだ。
「まさか、てめぇ……! リネとアウィンを……ッ!」
「アウィン? へぇ~、一緒にいたあの女、アウィンって名前なのか。なるほどな。って事は、あいつが『名も無き一族』とやらの生き残りって訳か」
「……ッ!」
完全に、リネとアウィンを洞窟に残してきた事が仇となってしまった。
ガラムの口振りは、実際に見てきたとしか思えないものだ。現にガラムは、アウィンが『女』だという事をちゃんと知っている。適当に話を合わせただけとも考え難い。
つまり今、二人が奴らの手に落ちたのは紛れもない事実という事だ。
まさか二人は、もう……。
――いいや! まだ自分の眼で確かめてもいないのに、諦めるなんて早過ぎる! 例えガラムの言葉が事実でも、そう簡単に諦めてたまるか!
「……お? 何だ、まさか戦うつもりか?」
覚悟を決め、俺がやや腰を落としてみせると、ガラムが心底意外そうな表情を作る。
正直な所、セルティス戦での体力の消耗が激しい。今の状態でガラム、そしてシグードを相手に長期戦を行うのは至難の技だ。かと言って、短期決戦で適当にあしらえるような生半可な敵でもない。
戦うしかない……。厳しい状況だがそれでも、守りたいものを守る為には……!
即座に判断を下し、悲鳴を上げている身体に鞭打って、俺は自分の周囲に炎の渦を発生させ、それを瞬時に頭上へと集束させた。
「『深紅の流星』!」
口上と同時に弾け飛んだ炎の塊が、無数の火球に変化し、流星の如く駆け抜ける。
するとそれに応じるかのように、シグードはやや腰を低く落とし、右腕の『魔剣・蒼牙』を素早く構えた。
「『水流砕弾』!」
瞬間、薄く透き通った青色の刀身から、まるで蛇のように蠢く水流が生まれ、それが無数の水球を作り出した。恐らく、先程セルティス達を吹き飛ばしたのは、この水球だったのだろう。
虚空に数秒静止したそれらは、シグードが右腕を斜めに払うと同時に射出される。
俺の四肢を砕かんばかりの勢いで飛来する、まさに弾丸と化した無数の水球達。
次の瞬間。俺とシグードの間で、二つの『属性』が連鎖的に衝突を起こした。
炎と水。
紅と蒼。
互いにせめぎ合う色鮮やかな光景。それを眼にする前から、俺には覚悟していた事がある。
『魔術師』にとって最も重要で、最も根本的な事実。
それは、『六大属性』の関係性だ。
『魔術』を用いた戦闘に於いて、相反する『属性』同士がぶつかると、片方が相手の力を破るか、或いは悉く相殺されてしまう。この現象は、『魔術』を知る者なら誰でも必ず眼と耳にするものだ。
炎と水は相容れない。
それは『属性』云々の前に、自然界に於いて厳然たる事実として存在する事柄。
空中で次々と衝突した火球と水球は、あるものは弾かれ、またあるものは相殺され、互いに標的として定めていた者には全く届かなかった。
ババババァン! と、風船が破裂するような音を立て続けに鳴り響かせ、火球と水球は、一つ残らず虚空から消え去った。
直後。微かに立ち込めていた爆煙を突き破るかのように、『蒼牙』を携えたシグードが突進を仕掛けてきた。
容易に予想出来たであろうその行動を、しかし俺は、身体に纏わりつく疲労感から読み切れなかった。
右手に炎剣を生み出す暇すらなく、無防備に立ち尽くす俺に、シグードの凶刃が迫る。
が、その時だった。
突然横合いから、俺とシグードの間に割り込む、一つの影があったのだ。
それは、すでに武器と戦う気力を失ったはずの戦士、セルティス・ブラッカーだった。
シグードが放った鋭い突きを『半獣化』した左手で去なし、そのままシグードの右腕を鷲掴みにして、彼の動きを封じ込めてしまう。
「あんた……、何で……」
あまりにも一瞬の出来事に、俺はただ呆然と問い掛けてしまった。
するとセルティスはこちらに背を向けたまま、負傷しているとは思えない程、力強い口調で告げる。
「詳しい事情は知らないが、ボウヤの連れが危ない眼に遭ってんだろ? だったらこんな奴らの相手なんかしてないで、助けに行ってやるのがボウヤの役目だ。違うかい?」
「いや、だけど……!」
「御託はいいから早く行きな! 今のワタシらじゃあ……そう長くは持ち堪えられないんだよ……ッ!」
叫ぶと同時に、セルティスはシグードの腹に蹴りを叩き込んで間合いを作った。するとその直後、上空から落下してきたロッソが棍棒を二度振るい、さらに間合いを開くようにシグードを牽制した。
セルティスとロッソ。二人の敵意は、最早俺に向いていない。
自分達の全てを引き換えにしてまで、俺が進む道を切り開こうとしてくれているんだ。
「……悪ぃ。恩に着る!」
つい何十分か前までは、明確な敵として戦っていた相手に、気付けば俺はそう叫んでいた。
二人の決意を無駄にする訳にはいかない。セルティスが言ってくれた通り、リネ達に危険が及んでいるのなら、それを助けるのが俺の役目なのだから。
集落の奥、洞窟の方角へ向かって走り出した俺は、だがその時、背後でガラムが皮肉げにこう口にするのを確かに聞いた。
本当に馬鹿な奴らだ、と。
更新再開って事で、今回は二話投稿しております。
いやホント、長い事停滞してしまって申し訳なかったです。
やっぱり現実ってのはどう足掻いても逃れる事が出来ないもんですね。
何だって書く暇まで削り取られなきゃならんのだって話ですよΣ(゜д゜lll)
まぁ作者の現実に関する事はどうでもいいかw
とにかく更新再開です!
これから先もこういう事が起こるかも知れませんが、ちゃんと完結まで持っていく覚悟でいますので、まぁ気長に(と言っても読者さんにも限界はあるでしょうが)待っていただけると幸いです。
それではまた次回!ノシ