第十四章 紅蓮を制する者
砕け散った炎の残滓が、俺の頬を掠めていく。と同時に、セルティスの右脚が大きく振り上げられた。
鞭のように撓った華麗な足刀蹴りが、俺の脇腹に叩き込まれる。衝撃で横倒しになった俺の身体は、地面の上を乱暴に転がされた。
『精霊石』を用いて造られた、セルティスの黒い長直剣。
『紅の詩篇』を行使して炎の威力を底上げすれば、『魔術』の力を徹底的に打ち破るその刃にも対抗出来る。そう確信した矢先、俺の自負と自信は、あまりにも呆気なく消え去ってしまった。
見込みが甘かったんだ。
いかに『紅の詩篇』と言えど、炎の総量が少なければ、それに比例して威力も強度も下がっていく。
『テルノアリス襲撃事件』の際は、『術式魔法陣』という強大な炎の力を従属したからこそ、絶大な威力を誇っていた『大紅蓮の炎帝剣』だったが、今回は集落全体に設置されている松明の炎を従属しただけだった。
以前の威力を発揮するには、炎の総量が足りない。
その事実に、懸念に、もっと早く気付くべきだったんだ。
「万事休す、って所かい?」
地面を転がっていた身体が漸く止まった所で、嘲笑うかのようなセルティスの声が聴こえてきた。
両手から失われた、紅き大剣の感触。
それを自覚しながら、俺は悔しさと共に拳を握り締め、地に伏したままセルティスを睨みつけた。
だが当然ながら、相手は全く動じない。睨まれた事への返答とばかりに、獰猛な声を響かせる。
「何、落ち込む必要はないさ。正直ワタシは『魔術』の力ってヤツを甘く見てたよ。まさかここまで粘られるとは思ってなかったからねぇ」
黒い長直剣を肩に掛けつつ、セルティスはニコリと微笑んでみせる。
その表情に反して、優しさなど微塵も感じられない。
徹底的に叩き潰す。
セルティスの表情は、暗にそう示しているかのようだ。
「さてと。それじゃあそろそろ終わりにしようか、『炎を操る者』くん。キミだってそろそろ休みたいだろ?」
「……ッ!」
黒く妖しげな光を放つ剣を握り直し、セルティスは一歩一歩俺の許へと歩み寄ってくる。
どうする……! 俺は一体、どうすればいい!?
もう一度『紅の詩篇』を発動しようにも、従属するべき炎はもう、俺の周囲には存在しない。かと言って何の強化も成されていない『魔術』では、セルティスを撃退するのはほぼ不可能だ。
万事休す。奴の言う通り打つ手がない。
もう俺は、諦めるしかないのか……?
立ち上がる気力すらどこかへと消え失せ、固く両眼を瞑る。
が、その時だった。
鼓膜を激しく揺さぶる程の轟音が、自分の正面から響き渡ってきたのは。
「!?」
絶望に身を委ねてしまいそうになっていた俺の両眼は、驚愕という形で無理矢理抉じ開けられた。
鮮明になった俺の視界に映ったのは、舞い上がり漂う砂塵と、巨大な何かの影。
青藤色の装甲に身を包んだ、この巨体は――。
「『タロス』……!?」
幻覚なんかじゃない。この集落の守り神たる存在が今、俺の眼の前に立ち塞がっている。
俺とセルティスの間に、割って入る形で。
「やれやれ、しぶとい木偶人形だねぇ」
心底呆れたような声が聴こえてきた為、俺は今更のように立ち上がってセルティスの姿を捜した。
やがて視界に捉える事が出来た女剣士は、声色通りの表情を浮かべている。
「あれだけ痛めつけてやったってのに、まだ壊れてなかったのか? 全く……、随分と面倒臭いものを造ってくれたもんだよ、『名も無き一族』とやらは」
確かにこの展開に対しては、俺も驚きを隠す事が出来ない。
通常『ゴーレム』は、動力源となる『導力石』が無事でも、その巨躯に多大な損傷を受けると活動を停止してしまう。
その原因は恐らく、損傷した部分から『導力石』の波動が流れ出し、『ゴーレム』自身の機能が著しく低下してしまうからではないか。……と、修業時代にミレーナがそう言っていたのを覚えている。
この『タロス』の詳しい機構を俺が知る術はないが、一般的な『ゴーレム』の機構から考えれば、その損傷具合からして、機能はすでに停止していてもおかしくない状態だ。
青藤色の装甲はあちこちが拉げ、凹み、部分的に欠損している箇所や、罅が入っている箇所すらある。
そんな状態にも拘らず、『蒼司』一族の守り神はこうして動いている。やはりこれは、『精霊術』という未知なる力があるからこそ成せる業なのか。
巨体を軋ませる『タロス』の背を、やや呆然と見つめていた、その時。
低く、忌々しげな声が俺の耳に響いてきた。
「あー鬱陶しい……、吐き気がするくらい鬱陶しい。そうやってワタシの前に立ち塞がるなんて、まるでボウヤを庇おうとしてるみたいじゃないか。くだらねぇ……。『魔術兵器』が守り神にでもなったつもりかよ!?」
呪詛とも思える言霊を口にし終えた瞬間、セルティスは猛然と『タロス』の懐に飛び込んだ。
対して蒼い巨人も、セルティスの身体を押し潰さんと、右拳を振り下ろす。
が、やはり動作完了はセルティスの方が早かった。
迫り来る圧殺の一撃を物ともせず、真横に振り抜かれたセルティスの黒い刃。それがあろう事か、『タロス』の右腕を中程辺りから、いとも簡単に斬り飛ばしてしまった。
鋭い衝撃音と共に揺らぐ、青藤色の巨体。
斬り飛ばされた右腕は虚しく弧を描き、近くの廃屋に落下して轟音と砂塵を巻き上げた。
いくら何でも一方的過ぎる。たった一振りで『ゴーレム』の腕を斬り飛ばすなんて……。
まさかあの剣、『ゴーレム』の動力源である『導力石』の波動まで阻害出来るんじゃ……!
「止めろセルティス!」
制止の言葉と共に放った『深紅の流星』は、しかし女剣士を足止めする事さえ出来なかった。
全く無駄のない、最小限の動きで、セルティスは無数の火球を回避する。
致命傷どころか決定打にすらならない。恐らくは『サランドロ』での戦いから、攻撃の軌道を予測されてしまっているのだろう。
だが、通用しないからと言って、呆然としている訳にはいかない。
諦め悪く、俺は『紅蓮の縛鎖』を発動して、今度はセルティスの身体を拘束しようと考えた。
炎を灯した両手を合掌させ、続けて地面へと押し当てる。
すると、まるで地中から這いずり出る蛇の如く、炎によって形成された紅い鎖が無数出現し、セルティスの許へと飛来する。
ところが、自身を縛り上げんとする炎の鎖を見ても、セルティスの顔には一切の焦りも浮かばなかった。
上下左右から襲い掛かる紅い鎖を、セルティスは華麗な剣捌きで斬り払い、次々と消滅させていく。
封殺も牽制も意味を成さない。
やはりあの女には、通常の『魔術』は一切通用しないんだ。
歯噛みする俺を余所に、セルティスは怯んでいた『タロス』の胸元に向かって、翼でもあるかのように軽々と跳躍した。
続けて黒い長直剣を一閃、『タロス』の胸部を真一文字に斬り付ける。
それが、完全な止めとなってしまった。
片腕を失い、胸部を大きく斬り裂かれた『タロス』は、絶叫の代わりとばかりに地面へと崩れ落ちる。
再び湧き起こる、轟音と砂塵。
その直後だった。
「……!?」
自分の周囲に漠然とした違和感を覚え、そして気付く。違和感の正体は、今の今まで集落全体を包んでいたはずの霧が、まるで霧散するかのように消え去り始めたからだと。
徐々に薄暗さがなくなり、所々霧が晴れた天からは、清々しい青空と、やや西に傾き始めた陽光が顔を覗かせ始める。
間違いない。『タロス』が撃破された事で、『精霊術』の力が機能しなくなったんだ……!
この集落の守り神をみすみす破壊されてしまった悔しさから、強く歯噛みし掛けた俺の耳に、どこからともなく爆発音のようなものが断続的に響き渡ってきた。
鋭く重く、地を揺るがすかのような轟音。
これは……戦闘音、か?
「へぇ……、どうやら向こうも派手に戦ってるみたいだねぇ」
遠方からの音に気を取られていた俺は、セルティスの言葉の意味を掴み損ねた。向こう、とはどういう意味だ?
そんな俺の表情から全てを察したのだろう。セルティスは心底意外そうな表情を浮かべ、軽い口調で告げる。
「おや、気付いてなかったのかい? ボウヤ達が拘束したウチの連中は、みんなワタシが解放してここまで連れて来たのさ。どういう訳だか、この集落に辿りつけたのはワタシ一人だったけどねぇ」
「なっ……!?」
「つまり今、ロッソ達はボウヤのお仲間と集落の外で戦ってるんだよ。この音がその証拠って訳さ♪」
セルティスの言葉に愕然とした俺は、思わずもう一度周囲に視線を投げてしまう。
今も戦闘音が続いてるって事は、アルフレッドとシャルミナは一応無事って事だろう。それに状況から考えて、ここに辿り着けなかったバルベラも戦闘に加わってる可能性が高い。
向こうの戦況はどうなってる? 響いてくる音から想像するに、かなり激しい戦闘が行われて……。
「……!」
……ちょっと待て。今セルティスの奴、『ワタシだけがこの集落に辿り着けた』、って言ったよな?
そもそもこいつは、どうして『タロス』が発動していたあの霧を突破する事が出来たんだ?
最初から感じていた疑問が、燻っていた疑念が、解消されつつある。
確証も証拠もない。だがしかし、これはもう確定事項なのではないだろうか。
この女も、『精霊術』の力を持っている、と。
「さぁて、もう充分過ぎるくらいにわかっただろ? ボウヤの力じゃワタシに勝つ事は出来ないってさ。だからいい加減諦めな」
「!」
弾かれたように思考の渦から放り出された俺は、現実を再認識させられ、思わず後退ってしまう。
『タロス』も倒れてしまった今、俺を守ってくれる存在はいない。
『魔術』が通用しない以上、俺にはもう成す術がない。
俺は……、俺はこのままこの女に……。
「心配しなくても、キミを殺した後でお友達も全員始末してやるよ。みんなで仲良く、あの世とやらに逝けるようにさぁ……ッ!」
狩人のような殺気を漲らせ、セルティスはこちらへ強く踏み出す。黒い凶刃を携え、徐々に距離を縮めつつある。
殺される……? 俺の死は、すでに確定された、避けようのない運命なのか……?
俺はまだ、師匠との誓いを果たせていない。守りたいものも守れてもいない。それなのに、こんなにも呆気なく終わってしまうのか……?
『魔術』が使えないというだけで。
『魔術』が通用しないというだけで。
……嫌だ。そんなの絶対に……、嫌だ!
俺はこんな事で……こんな所で死ぬ訳にはいかないんだ!
だから力を……、俺に力をくれ!
セルティスを、あの黒い長直剣の力を、薙ぎ払うだけの力を!
強い、力を!!
己の無力を心の底から呪い、危機的状況を打破する為の力を誰にでもなく渇望した、その瞬間だった。
俺の中で何かが弾け、まるで大地を揺るがすかのように、全身が激しく強い脈動を起こしたのは。
「――!?」
不可思議な感覚が、身体の内側から湧き上がってくる。
自分の身体が……自分自身が、灼熱の炎になってしまったかのように、途轍もない熱さが身体中を駆け巡り始める。
心臓の鼓動が、破裂せんばかりに強く、強く高鳴っていく。
何だ、この得体の知れない感覚は……!?
何かがおかしい……。自分の中の何かが、先程までとは明らかに変化している。
と、次の瞬間だった。
肌身を焦がさんばかりの熱量を持った紅い炎が、俺の身体に纏わりつくかのように噴き出したのは。
「なっ……!?」
どういう事だ!? どうして俺の身体から、炎が発生している!?
俺は『魔術』を発動してなんかいない。力が暴走した訳でもあるまいし、俺の意思に反して『魔術』が発動するなんて、そんなの……!
「! まさか……、これは……」
紅い紅い、深紅に彩られた灼熱の力。
だが明らかにこの感触は、この感覚は、『魔術』じゃない。
だとしたら、この力の正体は――!
「全く諦めが悪いねぇ……。ワタシに『魔術』は通用しないってまだわかんないのかい?」
やや呆然と周囲の炎に見蕩れていた俺は、鬱陶しそうなセルティスの声でハッとした。
不味い……! セルティスは俺の変化に気付いていない!
突然噴き出したこの力が、『「魔術」とは違う力』だという事を。
未だに俺が、まともに扱う事すら出来ない力だという事を。
「俺から離れろ、セルティス!! このままじゃ俺は……あんたを殺しちまう!!」
「……あぁ? 何だって?」
「早く離れろって言ってんだ!! この力は『魔術』なんかじゃ――」
訝しそうに眉を顰めるセルティスに撤退を促そうとした、直後。
俺の意思に反して動き出し、振り翳された灼熱の炎が。
波濤から、瞬時に塊へと集束した、無慈悲な紅い暴力が。
屹立するセルティスの許に、容赦なく叩き付けられ、炸裂した。
◆ ◆ ◆
かつて俺は、『ワーズナル』近郊の『グレッグス鉱山』内部で、『導力石』の波動の影響から『魔術』が使えず、危機的状況に陥った事があった。
初めて『この力』が俺から溢れ出たのは、その時だ。
リネ曰く、『深紅魔法』を白と表現するなら、『この力』は黒らしく、俺には絶対に使ってほしくない力だと言っていた。
その強大さ故に荒々しく、禍々しい炎の力。
『魔術』ではなく、『精霊術』と呼ばれる未知なる力。
かつてこの大陸に存在したとされる『炎髪』一族の生き残りである俺は、必然的に『この力』を備えている。
『焔滅』と呼ばれる、特殊で異質な炎の力を。
俺の意思に反して……いや、『魔術』を封じられ、成す術がなくなった俺が、安易に力に縋ったからこそ、『焔滅』の力は呼び起こされてしまったのだろう。
そして結果として、『焔滅』の炎はセルティスに振るわれてしまった。
全ては、俺が俺自身の力を制御出来ないばかりに。
「……ちくしょう。……ちくしょうッ!!」
未だ己の周囲に纏わりつく炎を、無意味とわかりながら払い除ける。しかしそんな事をしても、炎は消え去る気配を見せない。
幸いと言うべきなのか、或いは皮肉と言うべきなのか、なぜか俺の意識は、『ワーズナル』で発現した時のように飛ぶ事はなかった。理由はわからないが、もしかしたらあの時と違って、俺が自分の存在を自覚したからなのかも知れない。
……だが、結局は同じだ。俺が自分の力を扱えていない事に変わりはないのだから。
俺は無意識に膝をつき、ゆっくりと前方に視線を投げた。
『焔滅』の炎が炸裂した事で、俺の視界は大量の爆煙によって遮られている。故に、セルティスの生死は確認出来ない。
奴が持っていたあの黒い長直剣は、『魔術』を封じる能力を持っている。だがその能力が、『精霊術』に対してまで効力を発揮するかどうかはわからない。最悪の場合、セルティスの身体は跡形もなく消し飛んでいる可能性だってあるのではないか。
「……ミレーナ。俺……、あんたとの約束、守れなかったよ……」
視線を落とし、自らの無力を呪う。そんな事をしても、何も戻りはしないとわかっていても。
俺は……これからどうすれば……。
「おいおい。人を勝手に殺すんじゃないよ」
「!!」
暗い思考の渦に囚われていた俺は、その声を聴いた瞬間に眼を瞠った。
今のは間違いなくセルティスの声だ! 俺は……俺はまだどうにか、師匠との約束を破っていない!
あとから考えればおかしな事だが、心の底から安堵した俺は、立ち上がって前方に眼を凝らした。
視界を覆っていた大量の爆煙も、徐々に形を失っていく。そしてその中に、確かに人影が視認出来る。
「セルティス! 無事なのか!?」
力を振るった当人が言う台詞ではないと承知してはいたが、俺は口を噤んでいる事が出来なかった。
すると案の定、セルティスは苦笑の代わりとばかりに告げる。
「何でボウヤが心配してんだよ。全く……、意味の、わかんない、事を……」
「……!? セルティス……?」
言葉の途中で、明らかにセルティスの様子に変化が生じた。
まるで怪我の痛みに堪えているかのように、途切れ途切れになる声と、弱々しい口調。
……いや、それも無理のない事だ。
さっきのタイミングじゃあ直撃を免れたとしても、『焔滅』の炎に煽られるぐらいの事が起きていても不思議はない。恐らく……いや、確実にセルティスは負傷している。
だが心配はいらない。怪我の程度さえわかれば、リネの力でまだ治療出来るはず――。
「!? なっ……!」
自分でも笑える程、甘い考えを頭の中に列挙していた、その最中だった。
爆煙が晴れ、漸くセルティスの姿を捉えた俺は、しかし、我が眼を疑った。夢か、或いは幻かと思ってしまった。
俺の視界に、セルティスの姿がない。……いや正確には、『彼女の姿はあるのに、彼女がいなくなっている』。
「あんた……、その、姿は……」
セルティスの身体には、『焔滅』の炎による負傷が数ヵ所、確かに見受けられる。だが、それだけではなかった。
彼女の身体が、その左半身が、明らかに別物へと変貌している。
『焔滅』の炎によって服が焼け、二の腕から先が露出した左腕。その左腕が、艶やかな銀色の毛に覆われているのだ。しかも左手が、人間の物とは思えない程肥大化し、爪が黒く太く、鋭い物へと変化している。
そして、セルティスの顔にも変化があった。
所々ではあるが、顔の左側が腕と同じ銀色の毛を生やし、よく見ると左眼も、人間のそれとは全く違った物になっている。
あの眼は獣の眼。例えるならそう、血肉を求めて野山を駆け回る狼が、獲物を視界に捉えた時のような鋭い瞳。
人の姿に、獣の身体。
まさに人外と呼ぶべき異形の姿だが、しかし俺には、セルティスの変貌ぶりに心当たりがあった。
それは、かつて『ゴルムダル大森林』に於いて、間接的に遭遇したある特殊な一族と同じ、狼へと変化する能力。
闇夜に浮かぶ満月を触媒に、『獣化』の力を発揮する存在。
その一族の名は、『人狼』。
俺もつい最近知った事だが、『人狼』も『炎髪』一族や『妖魔』一族と同じく、『精霊術』の力を持つ一族だとされているらしい。つまりセルティスが『タロス』の霧を突破出来た理由は、この能力を持っていたからなんだ。
だが、そうなると……。
「いけないねぇ……。もうじき満月の夜だってのに……。ボウヤの妙な力に当てられて、『半獣化』しちまったよ……。全く、忌々しい能力だ……」
「……あんた、『人狼』だったのか」
口から溢れ出た俺の言葉に、セルティスは意外そうに眼を瞠った。
「へぇ……、ワタシみたいな『化物』の事を知ってんのかい。ま……、どうやらボウヤの方も妙な力を持ってるようだし、知っててもおかしくはないか……」
自らを『化物』と称する事に、セルティスは何ら躊躇いがないらしい。だが心なしか、その表情に一瞬だけ、陰りが差したような気がした。
「まぁいい。妙な力を持ってるのはお互い様みたいだが、この姿を見られちまった以上、是が非でもボウヤには死んでもらう……。覚悟しな……!」
左半身に現れた銀色の毛を逆立てるかのように、セルティスの表情に、瞳に、再び強い殺意が蘇り始める。
こいつ……、まだ戦うつもりなのか!?
「まっ、待てよ! さっきのでわかっただろ? 俺はこの力を制御出来てないんだ! 加減なんて一切出来ねぇ! それにその身体でこれ以上戦ったりしたら、あんたホントに死んじまうぞ!」
いくら俺自身の身に宿っている力だって言っても、リネと違って、俺はつい最近まで自分の『正体』を自覚していなかった。元々どういう風に扱う力なのかもわかっていない上、俺の意思に反して暴れ回ってるんじゃ手の付けようがない。
現にこうして話している今も、セルティスの敵意に反応するかのように、俺の身体に纏わりつく炎が怪しげな動きを見せ始めている。
だがセルティスは、俺の制止を聞き入れようとしない。どころか、耳を疑うような言葉を吐き出した。
「加減が出来ない……? ハッ、そりゃ結構。いや、好都合って言うべきかな」
「なっ……!?」
「何遠慮してんだよ『人殺し』……。例えその炎が『魔術』によるものじゃなかろうと関係ない。殺せばいいだろうが、このワタシを! 焼き尽くせばいいだろうが、てめぇの師匠を侮辱した憎い敵を! 『人殺し』が偉そうに躊躇ってんじゃねぇッ!!」
半身が獣と化したセルティスの叫びは、最早咆哮と呼ぶに相応しいものだった。
一体なぜ、奴はここまで頑なに『魔術師』を忌み嫌うのだろう?
不意に胸の内に湧き上がった疑問は、しかし、突貫するセルティスの姿と、再び荒れ狂い始めた『焔滅』の炎を前に一瞬で消え去ってしまう。
「やめろ……! やめろって!」
振り回された紅い暴力が、周囲の廃屋数軒を一瞬で灰に変えてしまう。
『半獣化』の影響か、反応速度が跳ね上がっているセルティスは、紙一重で『焔滅』の炎を回避し、徐々にこちらへ詰め寄ってくる。
だが、それが危うげな賭けである事は疑いようもない。俺が力を制御出来ない以上、一瞬でも気を緩めれば、あいつの身体は灰と化してしまうだろう。
「さぁ、ワタシを殺してみせろ! その制御出来ない強大な力でさぁッ!!」
「――ッ!!」
ちくしょう! どうすればいい……! どうすれば力を制御出来る!?
生半可な制止の言葉はセルティスには通じない。あいつを止める為には、対抗しようとする気構えそのものを力ずくで捩じ伏せる必要がある。
だが今の俺がそれをやれば、確実にセルティスを殺してしまう。『焔滅』の炎で、それこそ跡形もなく消し去ってしまいかねない。
でも……、それじゃあ意味がないんだ!
あいつを殺す訳にはいかない! 死なせる訳にはいかない!
誰でもいい……、誰でもいいから教えてくれ! この力の扱い方を!
頼む、誰か――!
『簡単に諦めんな、バカ弟子!』
「!」
それは、本来なら聴こえるはずのない、俺が待ち望んでいた声だった。
記憶の片隅から呼び起こされた、遠い過去の出来事。『魔術』の修業に明け暮れていたあの時、中々『深紅魔法』を扱えないでいた俺に、ミレーナが掛けてくれた言葉だ。
『本気で「深紅魔法」を自分のものにしたいなら……、私の弟子を名乗りたいんなら、最後の最後まで諦めるな! 弱音を吐くな! 立ち向かい続けろ!』
そう言ってミレーナは快活に笑い、俺を見守り続けてくれた。
『魔術』の師匠として。
大切な家族として。
こんなにちっぽけな存在である俺を、支え続けてくれたんだ。
『さぁ! あんたの根性見せてみな! ディーン・イアルフス!』
……そうだ。諦めるのはまだ早い。
打つ手はまだ残っていた。希望は潰えてはいなかった。
俺が師匠から……ミレーナから授かったもの。答えはすぐ傍にあったんだ。
『深紅魔法』最大の能力にしてその真髄、『紅の詩篇』。
この力は、ありとあらゆる炎を従属し、自らの力へと変化させる。
ならば『焔滅』の炎も、制御する事が出来るかも知れない!
例え可能性が低くとも、全てを投げ出し、絶望に身を沈めるよりはマシだ。
両手を胸の前に翳し、集中力を高め、即座に口上する。一刻の猶予もない以上、決断から行動までの動作は本当に一瞬の事だった。
「『紅の詩篇』!」
今まさに、セルティスを呑み込まんとしている紅き本流に向けて、俺は力一杯右手を伸ばした。
師匠との誓いを守る為に。
俺自身の『存在意義』を見い出す為に。
届け……、届いてくれ! 『深紅魔法』の力よ!
「止ッ、まれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
声が枯れるかと思う程。
喉が潰れるかと感じる程。
強く、強く叫んだその瞬間、それは起こった。
セルティスの目前に迫っていた紅い炎の本流が、急激に動きを変え、遥か上空へと舞い上がり始めたのだ。
極大の火柱にも見えるそれは、やがて再び屈折し、進行方向を俺の頭上へと切り替える。
「――!?」
途端、俺は自分の身体に異変を感じた。
まるで全身の骨が軋んでいるかのような鋭い痛みが走り、俺はその場に立っていられなくなった。
無理矢理片膝を折られ、地面に崩れ落ちた瞬間。
「ぐッ、あぁ……ッ!!」
さらに激しい痛みが身体を貫き、一瞬意識が飛びそうになる。だがそれと同時に、俺は直感的に一つの事実を悟っていた。
『紅の詩篇』によって、『焔滅』の炎が従属され始めている。
身体の内側から全身を引き裂かれるかのような激痛に耐え、俺はゆっくりと自分の頭上を仰ぎ見た。
するとそこには、かつて『テルノアリス襲撃事件』の際に眼にしたものと、同じ光景が広がっていた。
紅い炎の本流が一ヵ所に集束し、造り上げられた巨大な炎の塊。
『深紅魔法』で生み出す『深紅の流星』とは桁違いに大きい、紅い満月を思わせる炎の球体。
依然として身体を蝕み続ける激痛を振り払い、俺は再度立ち上がって、上空に右手を伸ばす。
そしてゆっくりと口にする。
あの、紅き大剣の名を。
「『大紅蓮の炎帝剣』!」
ゴォッ! という轟音と共に、紅い球体は無数の帯状の炎となり、俺の右手に集束していく。
身体の痛みは一向に消えない。だが、ここで倒れる訳にはいかない。
奥歯を噛み締め、炎が大剣を形成していく光景を見つめていた、その時だった。
「どうあっても殺さないつもりか。ボウヤは、ワタシを……」
気付くといつの間にか、セルティスは動き回るのを止め、五メートル程離れた位置から俺をジッと見つめていた。
どこか複雑そうな表情を浮かべ、立ち尽くす女剣士は、隙だらけである俺に攻撃しようとしない。
先程までと打って変わって、セルティスには明らかに躊躇いが生まれていた。
「……どうしてボウヤはワタシを殺さない?」
「『魔術』で……いや、例え『魔術』じゃなかったとしても、俺は人を殺さない。それが師匠との約束だからだ」
「……どうしてボウヤは、そこまで意志を貫き通せる?」
「それはきっと……、守りたいものがあるからだ。『魔術師』としてじゃなく、一人の人間として。大切だと思えるものがあるからだ」
「……」
自分の素直な心中を吐露した丁度その時、『焔滅』の炎が集束を終え、俺の右手に再び紅き大剣が舞い戻ってきた。
俺はそれを軽く振るい、口を噤んでしまったセルティスに問い掛ける。
「あんたにはないのか? 守りたいものや、大切だと思えるものは」
「……さぁ、どうだろうねぇ」
微かに笑みを浮かべ、僅かに視線を逸らすセルティス。その表情はとても儚げで……、哀しげなものだった。
何かを抱えて生きているのは、お前だけじゃない。これはいつだったか、ジンに言われた言葉だ。
なるほど彼の言う通り、リネやシャルミナ、アルフレッドがそうだったように、セルティス・ブラッカーと言う人間もまた、何かを抱えて生きているようだ。
彼女だけじゃなく、もしかしたら『宵闇の剣』も同じように……。
「お喋りはこの位でいいだろ、『炎を操る者』」
「!」
やや考え込んでいた俺を促すかのように、黒い刃と、獣化した半身を携え、セルティスは強い敵意と共に構えを取った。
お互い、次の一撃で決着をつける。
その鋭い眼差しからセルティスの思考を読み取った俺は、紅き大剣を両手で握り、身体の右側から振り抜く為の体勢を取った。
無言のまま睨み合う事、数秒。
瞬間、俺とセルティスは同時に踏み込んでいた。
『獣化』の恩恵によって身体能力が向上している分、突進の速度はセルティスの方が速い。だが、俺には一切恐れはなかった。
あの黒い長直剣も、今なら打ち破れる。
『焔滅』の炎を従属した、今なら!
「うぉぉおおぉおおおおおぉぉぉおぉおぉおおぉぉぉぉおおおぉおおおおおおぉおぉおおおぉぉぉぉッ!!」
獣然とした咆哮を上げ、俺は前進しつつ、全力で『大紅蓮の炎帝剣』を振り抜いた。
一秒にも満たない僅かな時間。気付けばすでに、俺とセルティスの身体は交差し、お互いの立ち位置は変わっていた。
それを認識した直後。背後で響き渡ったのは、何かが爆散する激しい音だった。
ゆっくりと構えを解き、紅き大剣を握ったまま肩越しに振り向こうとしたその時。俺の耳に、セルティスの声が聴こえてきた。
「……てめぇの勝ちだよ、『炎を操る者』」
小波のように静かなその声は、集落の外から響いていたはずの戦闘音と共に、虚空の彼方へと消えていった。
亀更新でごめんなさい!
という訳で、遅蒔きながら『宵闇の剣編』第十四章、セルティスとの勝負に漸く決着がつきました!
かなり強引に押し進めた展開である感は否めませんが、まぁいつも通りかなと開き直ったりもしてますw
『今更その設定持ち出してくんの?』、とか思って頂ければやってみた甲斐があったというものです。
さて、押し迫る2012年の年末。
果たして年内に『宵闇の剣編』書き終えられるかどうか……。
不安はヒシヒシと感じてますが頑張ります!
ではまた次回!ノシ