帝国皇子が猫になって弁当を売るまで
ああ……何という事だ。何故こんな事になってしまったのか。
我は今、海原に浮かぶ船の上で荒くれ者に首根っこを掴まれ薄汚れた樽の中に詰め込まれようとしている。
「上手くいくと思ったのか? この薄汚い猫足族が!」
「密航者は樽詰めにして海に放り出す、昔からそう決まってるんだよ」
男たちは口々に我を怒鳴りつけた。お前たちの怒鳴りつけている相手が誰であるのかも知らずに。
いや……もはや我自身にも我が何者であるかわかっていないのかもしれない。
我が名はカイル=アーゼルント。アーゼル帝国第一皇子にして次期皇帝、のはずだった。
それなのに今はどうした事だ。背丈は子供程に縮み、全身は毛皮に覆われ、二本足で歩く泥にまみれた小汚い獣に他ならない。
――事の発端は昨夜、いつもの如くお忍びで城下を見回っていた時だった。
その日、我は珍しい客人と出会った。我がアーゼル帝国ではあまり見かけない猫足族の男、立ち上がった猫にも見える小柄な獣人は自然と目を引いたものだ。
猫足族は愛嬌のある外見とは裏腹に狡猾で悪辣な者が目立ち、それを理由に嫌う者も少なくないと聞く。だがリドケイルと名乗るその男は姿こそみすぼらしくあれどとても博識であり、我の知らぬ面白い話をいくつも語ってくれた。
「人生に大切なのは笑顔です、笑いこそが全てを解決してくれますよ」
我はこの珍しい客人に敬意を持つと同時に意気投合し、共に酒を飲んだのだ。
……今思えばいかに泰平の続く我がアーゼル帝国といえども、あのような行いは次期皇帝としてあるまじき油断であった。
不覚にも我は酒の席で意識を失うという失態を犯してしまった。大した量でもないのに意識が朦朧としたのは酒に何か薬でも盛られたのだろう。
このリドケイルなる男がただの物取りであったならばそれでも良かった。だが、事態は予想もしていなかった方向へと向かっていく。
「誰かある! カイル=アーゼルントが命ずる、この賊を捕えよ!」
朦朧とした意識の中で聞こえてきたのは、我に向かって叫ぶ聞きなれたようなそうでないような声。当然だ、周囲の者にそう命じていたのは紛れもなく我自身であったのだ。
しかし我はここにいる、では目の前の男は何者だ?
その答えはすぐにわかった。その時には我はすでに猫足族の姿へと変わっていた。先程まで話していたリドケイルの姿に。
そう、リドケイルは事もあろうに肉体を入れ替え、カイル=アーゼルントそれ自身を盗んだのだ。
一体どのような手段を用いたのか、とても有り得ない事だがこの状況こそが真実だった。
気付いた時には時すでに遅し、哀れなる我はどこの誰ともわからぬ猫足族として帝国に追われる立場になっていた。
捕らえられ地面に這いつくばる我を見下ろし、もう一人の我が笑う。
「ほら、笑顔を見せろ。お前は高貴な者なのだろう? ならばみっともないマネなどせず、最後の時まで笑っているがいい」
……その後の事はよく覚えていない。何か騒動があったような気もする。
確実なのは、我は一瞬解けた拘束から逃れひたすらに夜の街を逃げ回ったという事だ。
どこをどう走ったのかすらわからない。なにせ肉体そのものが変わってしまっているのだ、身長どころか下手をすれば骨格さえ違う。慣れない肉体を無理矢理に動かし、ただ走るだけでも死に物狂いだった。
見知ったはずの街並みですらまるで違うものに感じた、ここは我が生まれ故郷であるにも関わらずだ。肉体だけでなく祖国までもが盗まれてしまった気分だった。
それからかろうじて港に辿り着き、出港しようとしていた船の中に隠れる事はできた。
しかし、結局は海上で見つかってしまいこのザマだ。運命さえも我をあざ笑うのか。
「嵐だ! 嵐が来るぞ!」
誰かが叫んだ。
なるほど、確かに船体の揺れが大きくなりつつあるようだ。
その途端、我は甲板の上に放り投げられた。我などに構っている暇はないというわけか。
船乗りたちは我を樽詰めにするのも忘れ、右に左にと忙しく動き始める。ふん、まだ運命とやらに見捨てられてはいなかったらしい。
いや待て、この隙に逃げようにもここは大海原に浮かぶ船の上、結局逃げ場などありはしない。船長に交渉して乗せてもらおうにも払える物を何ひとつ持っていないし、そもそも猫足族のあの嫌われようでは話にならない。くそっ、どうしたものか。
その間にも波は荒れ、空が真っ黒に染まる。と、その時だった。
「うおおっ⁉」
ここ一番の大きな揺れが船体を襲った。それと同時に、我はいくつかの樽と一緒に荒れ狂う海に投げ出されてしまった。
海上でなんとか樽にしがみついた我は波の合間を激しく揺られていく。さっきまで乗っていた船のマストに雷が落ち火の手が上がるのが見えた。
激しく揺られ続けているせいで吐き気がする。海水を吸った毛皮が重く纏わりつくのも不快極まりない。体温も奪われ、このままでは力尽きるのも時間の問題か。
本当に、なぜこんな事になってしまったのか。かろうじてしがみついている樽を何か大きなものがつついているのを感じる。
いや、しがみついているのは我が命そのものだな。だが……それももう限界だ。
朦朧とする頭で我は何かの姿を見た、空を飛ぶ巨大な何かを。ついに我が頭脳までもが侵され始めたらしい。
こうして、かつて皇子だった獣人は身も心も深い闇へと沈んでいく。これが、こんなものが我が最後とは……因果なものだ。
***
……。
……我が命を支えた樽を手放してからどれくらいの時間が経っただろうか。
不思議な事に、我にはぼんやりとだがまだ意識があった。あいにく死んだ事は無かったので、すでに死の世界に足を踏み入れているのかは判断しかねるところだ。
ただ、体は冷え切っているが波間に浮かぶような浮遊感は無い。顔に纏わりつく砂と、寄せては返し足を濡らす波を感じる。
そうか……我はまだ生きているのか。あの嵐を生き延び、どこかの砂浜へと打ち上げられたようだ。
とはいえ行動を起こそうにも体が全く動かない。これではまだ運命に打ち勝ったとは言えぬ。潮が満ちれば波にさらわれ海中へと逆戻りするだろう。そうなれば今度こそ死は免れまい。
ふと、わずかに足音のようなものが聞こえてきた。だんだんと大きく、間隔が短くなるその音は真っ直ぐにこちらへ向かっている。
顔を上げて確認する事はできなかったが、その音の主が我の目の前で立ち止まった事はわかった。
「わわっ、大変だ!」
次に聞こえてきたのは若い女の声だった。
我の体を優しく抱きかかえ助けてくれるらしい。礼を言うぞ、やはり運はまだ我にあるようだ。
安堵したせいか眠くなってきた。すまぬ、しばし……休む……。
――目を覚ますと、そこはどこかの家の中だった。
我の体には柔らかなタオルが巻かれ、毛皮の水気がきれいに拭き取られていた。おまけに暖炉で温めてくれているとは破格の対応だ。
「あ、猫ちゃん気が付いたかな?」
声のする方を見ると一人の女が立っていた。長い黒髪を後ろで束ね、エプロンを身に着けた女だ。声からして砂浜で我を見つけてくれた者だろう。ここまで運んで介抱してくれたのか、礼を言わねばならんな。
「……あ――」
「ねえ、お腹減ってない? お弁当の残りでよかったら食べてね!」
言葉を発しようとしたその刹那、女はお礼を言おうとした我を遮ると、手にしたスプーンを我の口に突っ込んできた。
ぐっ、な、なんだ、この何とも言えない味は⁉
「このお弁当のテーマはディストピアごはんだよ~。でもこれあまり売れなかったんだよね、面白いと思ったのに」
目の前に置かれた四角い容器の中にはおよそ食品とは思えない色のゼリーやペーストが並んでいる。不気味だが……我は恩人のご厚意を無下にしてはいかんと、まだ少し重く自由の利かぬ手で、ついでに肉球のせいで物を握りにくい手でスプーンを取りもう一口食べてみた。
「……」
言葉にならないとはこの事だ。
不味ければまだ言い表しようがあるが、これは絶妙に美味くも不味くも無い。あまり売れなかったらしいが納得だな。むしろこれを買った客がどんなつもりで買ったのか聞いてみたいくらいだ。
「遠慮しなくていいよ~、いっぱいあるからね」
そりゃあ売れなかったのだからいっぱい残っているだろう。そして我の食の進みが遅いのは遠慮しているからではない。味の問題もあるがそもそも満身創痍なのだ、もう少し手心というものを加えて欲しい。
どこか助けを求めるような気持ちで女を見た。女は相変わらずニコニコと人の良さそうな笑顔をこちらに向けている。
ふと、そんな女に対して違和感を覚えた。何かを隠していそうだとかそんな事ではなく、単純に見た目に関して。
この女……でかい。今の我が子供ほどの背丈になっている事を差し引いても、素朴で愛嬌のある顔からさえ圧迫感を感じるほどの体格をしている。身長はそこらの男など軽く上回っているだろう。
よく見ると小さいが頭に二本の角が見える。なるほど、この者は有角族か。有角族は体格に優れる者が多いとは聞くが……。それにしても女でここまでの者はそうはいまい。少し幼さを感じさせる顔立ちからして年齢的には少女と呼べるくらいなのだろうな。
「クスア、帰ってたんだ」
我が女の体格に気を取られている時、背後から少女のような声が聞こえてきた。
また誰か別の人間がいたのかと思いそちらを見ようとする。が、そんな暇もなく我はあっという間に首根っこを押さえられ身動きを封じられてしまった。
お、おいよせ。我は猫ではない、つまんで持ち上げるな!
「で、何コイツ。食材にするの? 捌く?」
「違うよ、海岸で倒れてたから手当てしてたの。ていうか、ダメだよシルバちゃん! 猫ちゃんには優しくしてあげないと!」
我の頭越しに物騒な会話が繰り広げられている。食材はもちろんだがペット扱いも御免だ、ここははっきりと意思表示をせねば!
「……ぐ、ま、待て! 我は食材ではない、そして猫でもない!」
ふう、ようやく言葉を発する事ができた。まずは礼を言うつもりだったのだが、自身が食材でない事を主張するとは夢にも思わなかったぞ。
何にせよ我の意思が通じたのか、後から来た女は我の拘束を解き乱暴に床へと降ろした。いや、これは落としたと言うべきか。
こちらの粗暴な女は銀色の髪を短く切り揃え、痩せてはいるが透き通るような美しい容姿をしている。背丈は普通か少し小柄なくらいだな。
なるほど、その特徴的な耳からして長耳族か。容姿の端麗さに関しては納得だ。性格は……悪いが初対面だというのにあまり良い印象は受けない。
「ね、猫ちゃんがしゃべった!?」
一方で、我を助けてくれたほうの女が驚いている。
「そりゃ喋るでしょ、コイツ猫足族だし」
かと思えば後から来た方は知っていたようだ。知っていて食材扱いしたのか? 実にいい性格をしているらしい。
「猫ちゃんじゃなかったんだ。じゃあ首輪つけちゃったのは失礼だったかな」
「そんなもの、どこにあったの」
「おじいちゃんの荷物の中。本当は腕輪なんだけど大きさがちょうど良さそうだったから」
少女たちが何やら嫌な会話をしている。
首筋に手を当ててみると……首輪があった。なんという事をするのだ、よりにもよって次期皇帝たる我にこのような物を着けるなど!
くっ、取れぬ! なんなのだこの固さは!
「あっ、猫ちゃん……じゃなくて猫足族さん動かないで。首輪取ってあげるから」
我に代わって大柄な少女が首輪を取ってくれようとしている。が、やはり取れない。
「あれ~? おかしいなあ」
「クスアの力で無理なら無理」
どうしても外れない、なんたる屈辱。
それはともかく、もう外さなくていいから手を離してくれまいか。さっきから首が締まって……く、苦しい。
……ふう、死ぬかと思った。
さてと、ようやく我の声が出るようになり、家人も揃ったところで改めての自己紹介といこう。我も含め、お互いにな。
まず「私はクスア、よろしくね」とは我を助けてくれた長身の娘。見ての通りの有角族で、街へ弁当を売りに行って生計を立てているのだとか。
次に「シルバ」と、一言だけ喋って我を睨みつけているのは後から来た銀髪の娘。クスアと一緒に暮らしているようだが、本人が何も語らないので詳細はわからなかった。
「我が名はカイルと言う。介抱してもらい助かった、心より感謝する」
「困った時はお互い様だよ~。猫ちゃ……じゃない、カイルさんが無事でよかった」
「変な喋り方」
クスアはとても人当たりが良いが、シルバの方はどうにも我を毛嫌いしているらしい。こうして座っているだけでも刺すような視線を痛いほど感じる。猫、もとい猫足族が嫌いなのだろうか。
思ったよりも時間がかかったが礼は言えた。さて、この娘たちに我が身の上をどれほど話したものだろうか。まずは状況を把握しておきたい。
「実は、我は帝都からの船に乗っていたのだが……嵐で難破してしまったのだ。できればここがどこなのか教えてもらいたい」
「ここはバラル領だけど……帝都ってどこだっけ?」
クスアの言葉により、我の予想は確信に変わった。
バラル領か、確かアーゼル帝国のかなり端にある地域だったと記憶している。
「ここからずっと遠い。ずいぶん遠くから流されて来たのね」
「あ~、そう言えばシルバちゃんが前に言ってた気がする!」
このようにこちらの住人も帝都をあまり知らぬほどの距離、我ながらよく助かったものだ。
ううむ、状況は思っていたよりも悪い。距離もそうだがここより帝都に至るための道が見当もつかぬ。
気ばかりが焦った。出来る事なら今すぐ城に舞い戻り、あの不届きな賊から全てを取り戻したい。そう考えると居ても立ってもいられなくなってしまった。
「世話になった、いつか必ず礼をしよう。先を急ぐゆえこれにて失礼する!」
「え? ちょっとカイルさんどこへ――」
少々失礼かとも思ったが、痛みさえ忘れさせる焦りが我を突き動かす。
手当てが良かったのか食事を取ったのが良かったのかはわからぬが、この脚に力が戻り走る事ができるのは幸いであった。感謝するぞクスアよ。
一刻も早く帝都へ戻る手段を見つけるため、我はクスアの声に振り向く事もなく家を飛び出した。よし、街道がある。この先へ向かえば街に着くはずだ、そこで情報を集めるとしよう。
クスアたちの家は街からかなり離れた場所にあるようで、歩いていてもしばらくは何もない風景が続いた。
心なしか体の具合はかなり良くなっている、歩き回るだけなら問題はあるまい。
街まではこのまま街道沿いに行けばいいのだろうが……、国政を預かる身としては道が荒れ放題なのが気に入らぬ。バラルの領主は何をしているのか。
人の住む場所はどこも似たようなものであり、到着した街もそれほど見知ったものと変わるわけではない。ただ、この辺りは少々寂れている印象を受ける。田舎だからというのもあるだろうが、所々壊れたままになっている建物があるのはどうした事か。このようなものを放置していれば治安も悪くなる一方であろうに。
おっと、気にはなるが今はそれどころではない。帝都に戻る方法を探らなければ。
「そこの者、訪ねたい事がある」
我は往来を行く者たちに港を訪ねようと声をかけた。
だがこれはどうした事だ。人々は我の姿を見るなりそっぽを向く者、首を振る者など全く取り合おうとはしない。
「おい、なぜ答えぬ! 我が名はカイル=アーゼルントなるぞ!」
猫足族の姿になったからといって言葉が通じていないわけではない、現にクスアたちとは普通に話ができていたからな。
奇妙な状況に焦りが募る。すると、そんな我に話しかけてくる者が現れた。
「そこのお前」
話しかけてきたのは若い男だった。軽装だがそれなりに質の良さそうな装備を身に付けている。仲間も連れているようだ。正規の兵には見えないので傭兵か冒険者といったところだろうか。
「良かった、話が通じる者を探していたのだ。我は――」
「何やってるのか知らないけど、猫足族がそんな小汚い格好で往来にいちゃ皆の迷惑だろ」
我の言葉を遮り、若い冒険者は冷淡にそう言った。
「な、何だと?」
「お前ら猫足はロクな事しないからな。今度は何を企んでる? 命が惜しかったらこのジョバーニ様に退治される前に尻尾を巻いて逃げるんだな!」
くっ……この男、他者を公衆の面前で侮辱するなど教育がなっておらん。
反論したいところだが、我はこの男の言葉で逆に冷静になった。今の我は確かに猫足族なのだ、それも言われた通りボロボロの格好をした。
おまけにここは帝国領とはいえはるか遠い辺境の地。先程はつい名乗ってしまったが皇子の名を知る者がどれほどいるかわからぬ、そもそもこの姿で名乗ったところで何の意味があろうか。何かをするには何もかも足りない。周囲の我に対する冷ややかな目がその証拠か。
「……失礼した」
我は男に一礼し、その場を立ち去った。いかんな、焦りで冷静さを欠いていた。無礼な物言いではあったが冷静さを取り戻させてくれた事には感謝しよう。
それにしても、猫足族の嫌われようは相当なものだな。この様子ではここバラルでも猫足族は問題を起こす事が多いようだ、我もいらぬ誤解を受けぬよう慎重に行動する必要があるだろう。
まずは路銀を確保せねばなるまい。いつまでも文無しでは城に戻るどころか野垂れ死にするのがオチだ。となると、何か仕事を探さねば。
……とはいえ、我は皇子として政治に関わる仕事を学んできた。が、そのような仕事が街に転がっているわけはない。
残るはこの身ひとつ。猫足族の体になった今、どれだけ動けるかはわからぬが、それを言い訳に何もせぬわけにはいくまいよ。
しばらく歩いていると……見つけた。人の集まりそうな店と、それに併設された掲示板。先程の男が冒険者らしかったのを見て、もしかしたらそのような仕事の斡旋所があるのではないかと睨んだ我が推測、当たったらしい。
掲示板に張り出された依頼を見てみると討伐や護衛といったものがやたらに多い。
……妙だな。辺境とはいえ我が帝国の一部、泰平は保たれているはずだ。
いや、今は現状を解決するのが先決。考えるより動くとしよう。
ううむ、人間の姿であった頃は帝国でも指折りの剣士だったのだが……。丸腰の猫にそのような仕事が務まるとは到底思えぬ。
待てよ、たとえ実際に動けなくなっていたとしても剣術の知識は変わっていない。そうだ、剣術に留まらず我には身に付けた溢れんばかりの教養があるではないか。文武どちらでも良い、受付にでも聞いてみれば指南役の仕事があるやもしれぬ。
「たのもう!」
――つまみ出された。
考えてみれば指南役を必要とするのはそれなりに裕福な者たちだ。そんな者たちがわざわざ冒険者から指南役を雇うはずもないか。
高名であればまた話は違うのだろうが、今の我は地位も信用もない薄汚れた猫足族に過ぎないからな。
だが参った。薬草摘みの仕事すら受けられないとは……どうしたものか。我は思わず頭を抱え座り込んでしまった。
「おい猫足、まだこんな所をウロウロしてたのか」
失意の我に話しかける聞き覚えのある声。顔を上げて見てみればそれは先程の冒険者だった。確かジョバーニとか名乗っていたな。
「……我にまだ何か用か?」
「なあに、昔飼ってた猫に似てるんでね。懐きもしないバカな猫だったから心配になったのさ」
この男、ニヤニヤと嫌味な奴だ。さすがに少々腹が立ってきた。
「用が無いのなら失礼させてもらう」
「そう言うなよ。お前、仕事探してるんだろ? 何ならオレたちの仕事を手伝わせてやってもいいぜ」
「何?」
立ち去ろうとする我に、ジョバーニは思いがけない提案をしてきた。
「最近、市場にコソ泥が出るらしくてね。オレたちは警備の仕事を引き受けたんだが、なにぶん範囲が広い。猫足でも見回りくらいはできるだろ」
「コソ泥か、特徴は?」
「さあな。簡単に捕まるような奴ならオレたちに依頼は来ないさ」
ふん、そう言う事か。広範囲かつ手がかりも無いので、文字通り猫の手も借りたいと言うわけだ。
どうする……。この男の尊大な態度は目に余るが、こちらも他に当ては無い。見知らぬ土地での再起、多少の事は目をつぶるしかないか。
「わかった、手伝わせてもらう。……カイルだ、よろしく頼む」
「ジョバーニだ。それじゃあこっちに来な、現場へ向かうぞ」
握手のために手を差し出したが無視された。
まったく、礼儀を知らんのか。それともこの国にはそういった習慣は無いのか?
ジョバーニが路地へと入って行くのを追った。
しばらく進んだ先でジョバーニとその仲間たちが我を待っていた。
次の瞬間、我は顔面に強い衝撃を受け後ろに倒れた。目の前では拳を握るジョバーニが不機嫌そうな顔で我を見下ろしている。
くっ、いきなり殴られたようだ。
「何をする!」
「薄汚い猫足が。そんなに仕事が欲しいなら俺たちが役に立ててやるぜ」
吐き捨てるようにジョバーニが言う。こいつは何を言っている。
「どういうつもりだ、警備の仕事ではなかったのか」
「ああそうさ。だがちょいと面倒な相手で取り逃がしちまったんだ。このままじゃ報酬がパアだからな、適当な身代わりが欲しかったんだよ」
これは驚きだな。まさか依頼すら嘘だったとは。
この程度の相手に騙されるとは、焦りがあったとはいえ本当に不甲斐ない。我もまだまだ未熟というわけか。
ジョバーニは再び我めがけて手を振り上げた。今度は剣を抜いて。
我は咄嗟に上体を反らしつつ後ろへと跳んだ。切っ先が顔をかすめ、数本の毛が散る。回避していなければ首が落ちていたかもしれない。
「……貴様!」
「動くなよ、手元が狂うだろ。お前が大人しく死んでくれれば犯人として突き出せるんだ」
なんと愚かな、そのような事が通用するとでも思っているのか。
しかし我が身に降りかかる危機は確実に迫っている。この場を離れようにもジョバーニの仲間がいつの間にか退路を塞いでいる。そしてそのまま我の体を押さえつけてきた。
「おのれ、離さぬか!」
くっ、非力なこの体では振りほどく事ができない!
「お別れだ、バカ猫」
身動きできない我に向かい、ジョバーニの剣が真っ直ぐに振り下ろされた。
――もはやここまでか。
覚悟を決めたその瞬間、我が耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「ちょっと待ったー!」
声と同時に何か大きいものが高所から落ちてきた。
その衝撃でジョバーニはもちろん、我と我を押さえ込んでいたジョバーニの仲間もなぎ倒されてしまった。
「ケンカはよくないですよ~? それよりお弁当、いかがですか?」
なんと、その場に現れたのはクスアだった。聞き覚えがあるわけだ。
当たり前だが相変わらずでかい。骨太さは感じさせないものの身長はジョバーニたちを越えている、圧倒するには十分だった。
「な、なんだお前!?」
「お弁当屋さんで~す。おひとついかがですか?」
「弁当だあ? ふざけやがって。見られた以上、タダでは帰せねえな!」
我は目を疑った。ジョバーニめ、何を血迷ったか差し出された弁当ごとクスアを斬りつけたではないか!
「クスア!」
思わず我は叫んだ。無関係な娘をいきなり斬り捨てるなど絶対に許せる事ではない!
……と、叫んだまでは良かったが、我が驚きはそこで終わらなかった。
「あ~あ、せっかく作ったお弁当なのに。服もまた縫わなくちゃ」
はて、思いのほかクスアは平気そうだ。体まで斬撃が届かなかったのだろうか?
それにしては弁当箱はもちろん服までもしっかり切れている。刃渡りや間合いを見ても届かなかったとは思えない。なのにクスアにはかすり傷ひとつ無いようであった。
そう言えば……ジョバーニがクスアを斬った瞬間、硬いものに刃が弾かれたようにも見えた。現にわずかだが刃こぼれしている。下に何か仕込んでいたのか?
「ほ、本当に何なんだよお前⁉」
「だから、お弁当屋さんですってば」
斬ったはずなのに斬れていない、目の前で起こった奇妙な現実。
あくまでのほほんとした態度のクスアを恐れたか、ジョバーニは我の事など忘れたように仲間二人とクスアを取り囲んだ。
「オレをバカにしやがって……クソが!」
恨み言を吐き捨てるジョバーニ。
すると、その言葉に答えるようにその場にいる誰でもない声がした。
「それはアンタだろ」
またしても我には聞き覚えのある声だった。
声の主は静かに素早く、まるで影のように、誰にも気付かれぬままいつの間にかジョバーニの真後ろに立っていた。
我を含め、クスア以外の全員の注目がその人物に注がれる。フード付きのマントで覆い隠された顔からチラリと美しい銀髪が、そして怒りに満ちた瞳が覗いた。もしや、シルバか?
「クスアのお弁当に何て事してんの。ましてやクスアを斬りつけて……生きて帰れると思ってんのかクズ野郎」
容姿からは想像もできないような、ドスの利いた言葉が吐き出される。静かだが強い怒りのこもったその声に、ジョバーニたちは明らかにうろたえていた。
「う、うああああ!」
恐怖に耐えきれなくなったか、ジョバーニは剣を振り回す。もはや剣術などではない、ただパニックになっているだけのデタラメな動きで。
――刹那、シルバが動いた。それはまさに一瞬の出来事。凄まじい速さで身を翻しながら、ジョバーニたち三人の間を飛ぶようにすり抜けていった。
何をしたのかははっきりとはわからない。ただ一瞬だけ輝く刃が見えた気がした。
事実として残っているのは、纏っていた装備をリンゴのように剥かれ、下着姿で呆然としているジョバーニたち三人だけであった。一人は頑丈そうな鎧を着ていたにも関わらず、なんという切れ味だろうか。
「すぐに消えろ、今すぐ消えろ。二度と姿を見せるな。次に見かけたら皮も肉も骨も全部バラバラにして撒いてやる。何なら今からやってもいいけど?」
「い、いや待ってくれ、助けてくれ! ひいいいい!」
シルバの脅しがよほど応えたらしく、ジョバーニとその仲間たちは驚くような逃げ足で走り去っていった。あれだけの元気があればどこででもやっていけるだろう。
それにしても驚いた。まさかクスアたちにまた救われる事になるとは。我は多少ふらつきながらも、落ちた弁当を名残惜しそうに見ているクスアへと歩み寄った。
「クスア……また助けられてしまったな。ありがとう」
「言ったでしょ、困った時はお互い様だって。それに私こそごめんなさい。本当はすぐに追いかけたかったんだけど、お弁当を作ってたら遅くなっちゃった」
クスアは優しい微笑みの後に申し訳なさそうな表情を見せた。心からの言葉、この娘は本当に人が良い。
「ああ、君は弁当売りだったな。そう言えば、さっき斬りつけられていたがケガはないのか?」
すると、その質問にクスアが答える前に、シルバが我とクスアとの間に割って入った。肩が当たって我が押しのけられたのは意図的なものを感じるな。
「ケガなんかするわけない。クスアの体は特別製、アタシだってそうは斬れないのにあんなザコから傷なんか受けるわけない」
「そ、そうなのか」
物騒な言葉が混じっていたぞ。よくはわからないがそう早口で言われては納得するしかない。とりあえず同意しておいた。
「シルバも来てくれたのか。さっきの剣技は見事だった、君にも感謝している」
「……」
シルバは我を見ていない。自分の事は本当に話そうとしないのだな。
「シルバちゃんはあまり家から出たがらないから、来てくれただけでもすごいんだよ! カイルさんの事、やっぱり心配だったんだね!」
「……違うし。アタシはクスアの護衛に来ただけだし」
「もう、照れちゃって」
たぶん違うぞクスア。これは単に我が嫌われている……というかシルバが人見知りなだけだな。クスアとしか話したがらないという事か。
ともかく助かった。
我としては結局何も得る事は出来なかったが、彼女たちの優秀さを多少知れただけでも良しとしよう。
――その時であった。
「キャーッ!」
通りの方で叫び声がした。
路地から通りへと戻った我の目に飛び込んで来たものは逃げ惑う人々と……竜⁉
信じられない光景だった。
巨大なトカゲが翼を広げ大空を舞っている。馬鹿な……、竜族などここ数百年は存在を確認されておらぬはず、すでに滅んだ種族ではなかったのか⁉
「竜! こんな所にまで!」
クスアがそう言った。
耳を疑う言葉だったが、このバラル領では竜の襲撃がそれなりの頻度であるらしい。場所によっては甚大な被害が出ているとも。
そうか、建物の荒れ方とそれに伴う治安の悪さはこれが原因か。
「まさか、竜が人々を襲っていると?」
「そうだよ。ここ最近はかなり多くなってるの」
どういう事だ。城にいた頃は当然竜など見た事は無いし、地方でそのような事があるという報告すら受けた事は無い。我が帝国に何が起こっているというのだ。
それも疑問だが、問題は今この状況がかなり悪いという事だ。クスアが「こんな所にまで」と言ったのは襲撃それ自体を言ったものではなく、このサイズの竜が市街地に姿を現す事を言ったのだという。
空中を旋回していた竜が何かを見つけたかのように動きを止めた。
狙いを定め急降下してくる。……まさか、狙いは我か⁉ 食材ではないと言うに!
「カイルさん!」
我を助けようとしたのかクスアが飛び出す。しかしさすがのクスアも巨大な竜の突撃には弾き飛ばされてしまった。
我はそのまま竜の牙に引っ掛けられ上空へと跳ね上げられた。このまま竜の胃袋へと収まるかと思われた時、体に妙な力を感じた。
――首輪だ。この外れぬ奇妙な首輪から力を感じる。首輪に付いている黒い石から何かがあふれ出そうになったと同時、竜にもまた変化があった。
「………………」
竜は何やら口を開き奇妙な音を発している。炎でも吐くのかと思ったがそうではないようだ、むしろこれは喋ろうとしているのか? いや、我らには聞き取れぬ言語ですでに何かを話しているのかもしれない。
そして竜は何を思ったか凄まじい速度でどこかへと飛び去ってしまった。
お、おい、我はどうなる! 食われずともこのような高空では――
「キャーッチ!」
大地に叩きつけられたかと思った瞬間、落下地点にて何か大きく柔らかな存在が我を包み込むように受け止めた。
恐る恐る目を開けるとそこには安堵の微笑みを浮かべたクスアの顔があった。またしても助けられてしまったな……、こう助けられてばかりでは心苦しい。
「じゃ、帰ろっか」
当のクスアは至ってマイペース。我を抱えたまま歩き出した。
「お、おい」
「カイルさんケガしてるよ。お弁当も無くなったし、早く帰って手当てしてあげるね」
「む……、毛が多いので気付かなかった。いやしかし、君たちにこれ以上世話になるわけにはいかぬ」
「もう、どうせ今日泊る所もないんでしょ? 遠慮しないの」
手当てはともかく我を泊める気でいるのか? いくら我が猫のような姿でも不用心過ぎないだろうか。
「しかしだな……、女性二人の家に泊まるというのも――」
「うるさい」
いきなりの殴打。シルバに頭をはたかれた。
「クスアが言うから台所なら許す。許した以上はさっさと来る」
「……了解した」
有無を言わさぬシルバの迫力に我は大人しく引き下がった。
まあ、ここまでしてもらって遠慮するのも無粋であろう。
運ばれる最中で我は考えた。
恵まれた体格と剣すら防ぐ耐久力を持ったクスア。影のように潜み風のように舞い、鎧をも切り裂く技を持ったシルバ。この二人、我がアーゼル帝国でもそうはいない優秀な人材だ。
強さだけではない。ほぼ初対面の猫足族を助け、後々まで気にかけてくれる聖人の如き優しさ。武器を持った集団相手でも怯むことなく、むしろ圧倒する冷徹さと胆力。精神面においても素晴らしい。
家に辿り着いた時、我はすでに決意していた。この二人には全てを話そうと。その上でアーゼル帝国の奪還に手を貸してもらおうと。
「二人とも、聞いてもらいたい話がある」
我は二人を信頼できる人物と判断し、我が身の上に起きた出来事を話した。
「ええっ、カイルさん皇子様だったの!?」
我がアーゼル帝国の第一皇子だった事、怪しい猫足族の男に肉体を奪われた事、逃亡の果てにここバラル領へ流れ着いた事。我ながらにわかには信じがたいこれらの出来事を、クスアたちは驚きつつも信じてくれたようだ。素直過ぎて少し心配になる程に。
「我が肉体を奪ったリドケイルなる者が何を企んでいるのかはわからぬ。だが、第一皇子の座を奪われた以上はアーゼル帝国そのものを狙っていると見て間違いはないだろう。クスア、シルバ、我が家臣として共に戦ってはくれないだろうか」
全てを失った我にとって彼女らに出会えたのはまさに不幸中の幸い、まさに地獄に女神を見た気分である。希望というものはこんな偶然に出会えるものなのだ。
そして――
「ごめんなさいっ! 助けてあげたいけど、お弁当屋さんが忙しくて~」
クスアが申し訳なさそうに両手を合わせた。
「知るか」
シルバは一言だけそう吐き捨てるとそっぽを向いてしまった。
――あっさりと、我が望みここに絶たれり。だがここで腐る我ではないぞ。
***
我がここバラル領に流れ着いて数日。見知らぬ土地で当てもない我は未だクスアの家で世話になっていた。
ここでの暮らしは王宮にいた頃とは何もかもが違う。夜は侍女たちが用意した柔らかく暖かなベッドで眠っていたというのに、今では台所の一角に設けられた毛布の山で夜を明かしている始末だ。まあ、侍女のような格好をした心優しい大きな少女と、刺客のような格好をした優しくない少女はいるがな。
二人には意を決して身の上を話した割にあっさりと断られてしまったが……なあに、まだ全てが終わったわけではない。むしろ己の状況を冷静に見つめ直す時間ができたと考えるべきだ。何でもよい、今の我に出来る事を積み上げていく時なのだろう。
というわけで――
「あー、只今より弁当の販売を行う。本日は魚介の焼き物弁当、美味ゆえ是非とも買って行って頂きたい」
まずは恩返しも兼ねて路銀の確保のため弁当の販売を手伝っている。
クスアが「お仕事探してるなら一緒にお弁当売ろうよ!」と言ってくれたので慣れぬ客商売に精を出しているのだ。
なに、やって出来ぬ事はなかろうよ。視察も兼ねて城下にはよく下りていた、民の暮らしもそれなりに見てきているからな。
売り上げは……まあそこそこだ。
以前に食べたディストピア弁当はクスアが何かの妙な本を読んで作ってみたくなった試作品らしく、再現性を高めるため味の方はあまり考慮していなかったらしい。
あれのおかげで品質が気になっていたが普段はちゃんと美味い弁当を作り、街でも評判は悪くないのだとか。
また、我のこの見た目も少しは役に立っている。猫足族の姿で懸命に弁当を運び売り歩く姿は、どこか可愛らしく引き付けられるものがある、との事だ。
街の者からは「悪い話ばかりだから敬遠してたけど、猫足族も悪くないもんだね」などと知らぬうちに猫足族の評判に貢献していたりもした。これに関しては以前に現れた大型の竜、あれを我が追い返したように見えたのも大きいようだ。
時には「カイルちゃん、今日もお手伝いかい?」と、顔なじみのご婦人に声をかけられることもある。
これは明らかに子供だと思われているな……知る由もないこの体の年齢はともかく、二十も半ばを過ぎてこのように言われるとむず痒くて仕方がない。
まあ、このおかげで利益が上がっている事だし、これも試練だとあえて否定はせんがな。
割り当てられた分の弁当を売り、時には売れ残りを持ち帰り、その日の仕事を終えたら家に帰る。我は現在そのような生活を送っている。
「クスア、今戻った」
「……」
「クスア?」
「……あっ、おかえりなさい!」
少し気になるのは、最近クスアがぼんやりしている時があるという事だ。
やはり我がいる事で生活に何らかの変化が起きている事は間違いあるまい。我としてもいつまでもここで厄介になるわけにはいかぬからな。
ゆえに家にいる時間も無駄にはできない。この体でも満足いく戦いができるように修練を積んでおかなければ。
これに関しては意外な人物の協力を得る事ができた。もちろんそれはシルバだ。
我は以前、竜に襲撃を受けた際に気になっていた事を二人に尋ねてみた。
「そう言えばあの時、この外れぬ首輪から妙な力を感じた。この黒い宝石のようなものは何なのだ?」
この問いかけには、相変わらず目も合わせてくれないシルバに代わりクスアが答えてくれた。
「へえー、それ竜結晶だったんだ」
「りゅうけっしょう?」
「そう、竜結晶。私よりもシルバちゃんのほうが詳しいんだけど……」
クスアと我、二人分の視線がシルバへと注がれる。部屋の隅で本を読んでいたシルバは熱い視線に気付いたのか、「はあ」とため息をひとつついて本を閉じた。
「……竜石と呼ばれる物質を精製したものを竜結晶と言う。この結晶を仕込んだ装備を身に付ければ、魔力を用いて各人の戦いのイメージを具現化できる。これを結晶魔法や結晶武器と呼称する」
「ほう、そんなものがあるのか」
「でも希少で高価。どうしてクスアのおじいさんが……」
するとシルバが立ち上がり、玄関の前に立って背を向けたまま我に言った。
「実践した方が早い、外に出て」
……そうだな、ただ説明を聞くよりはずっと良い。我は言われるがままにシルバを追って外へと出た。
外ではシルバが腕を組んで我を待っており、やる気なさげに我を一瞥する。
「武器、出して」
「何? いきなり出せと言われてもどうすればよいかわからんぞ」
「深く考えなくていい、イメージするだけ」
イメージ……戦いのイメージか。
「ふんっ……!」
少しでも力が入ればと首周りに力を込めて念じた。
するとどうだ、体が熱くなるのを感じるぞ。そして……出た!
出たが……、これは何だろうか。
首輪の竜結晶から黒くドロリとした粘液状のものが出てきた。
「……それがアンタの武器?」
シルバの視線が冷たい。お前に言われずとも武器とは程遠いのは分かっている。
「我は剣を思い浮かべたのだがな」
黒いドロドロはだんだんと地面に広がり、溶けるように消えていった。
だが、なんとその後に黒い剣が一振り残されているではないか。脅かしおって、ちゃんと武器を作り出せていたのだな。
拾い上げてみると一瞬ズシリとした重さのようなものを感じたが、不思議とそれはすぐにかき消えた。
これが我が結晶武器か。見た目に反し重さをほぼ感じない。普段より力も入る気がする、今なら岩さえも斬り裂けそうだ。
「……ふん」
シルバが距離を取った。
「じゃあ実践。かかってきて」
そう言うとシルバは両腕をダラリと下に降ろした。どこからでもかかってこいといったところだな。
「いいのか?」
「……ふぁ」
返事の代わりにシルバはあくびをした。
やれやれ、猫足族の姿になってしまったとはいえ、我が積み上げてきた剣術は本物だぞ。
体の動かし方にもだいぶ慣れてきた。この結晶武器ならば非力さを補いつつ素早さを活かす戦い方もできる、油断してもらっては困るな。
「ならば、本気で行くぞ!」
……と、ここまでは良かったのだがな。
気が付けば我は地面に倒れ込んでいた。頭がガンガンする、手痛い一撃を喰らってしまったらしい。
むむ……油断していたのは我の方であったか。丸腰に見えて丸腰でないのが結晶武器の優れた点であるから、武器を出さぬシルバに対しても警戒はしていたはずなのだがな。
素早さにも慢心があった。そう言えばシルバの動きは前に一度見ていたはず。それなのに上回れると速攻を仕掛けてしまうとは……未熟なり。何をされたのかはっきりとわからぬ事も含めて、だ。
「今日はここまで。後は自主練でも何でも勝手にやって」
こうして、一日目の稽古は手痛い結果に終わった。
それからというもの、我は売り子の仕事が無い間は鍛錬に精を出している。基礎訓練はもちろん、結晶武器を体の一部が如く使いこなせるように。
シルバによると出し入れの自由も結晶武器の特徴だという。されど我が黒き剣はすぐには出せず、また消える時もドロリと溶けるように消え時間がかかってしまう。これでは扱いやすさ以外は普通の剣と変わらない。一人でいる時は出して消すの訓練が多くなった。
また、近くの森での狩りや、ごく短い間ではあるが気が向いたシルバと手合わせをする事もある。今では少しだが彼女の動きも見えるようになってきた、成長を感じられると楽しいものだ。
「しかし意外だったぞ、君がこうも協力してくれるとは」
我はシルバにそう言った事がある。
「アタシはクスアのためにしか動かない」
その時は、シルバはただそれだけを言った。どういう意味だろうか、クスアが我の修練に協力してくれるよう頼んだのか? 何にせよ有難い事だ。
***
その日の夜、我はなかなか寝付けないでいた。
台所の隅にある毛布の山が悪いのではない、これにはすでに愛着すら湧いてきている。
寝付けない理由はもちろん……我自身の事だ。
この体が悪いのか、元々の腕前が悪いのか、幾度となく戦えども勝てぬ我の剣はなまくらだとシルバは言う。
このままではいかん、強くあらねば国を取り戻す事など夢のまた夢だ。しかし、どうすればいいのか今の我には見当もつかぬ。……こんな調子で眠るどころではなかった。
すると、しばらく後。
「おい」
「ぬぐっ⁉」
何とか寝ようとして毛布を頭から被っていると脇腹を突かれた。
「な、何者――」
起き上がると同時に口を塞がれた。
いや、強盗ではない。目の前にいるのはシルバだ。明りも付けずにいるのではっきりとは見えないが、窓から差す月の光で銀髪が美しく浮かび上がっている。
「静かに」
シルバはそう言って手を離すと我に背を向けた。
「シルバ? こんな夜中にどうした」
「……付いてきて。渡すものがある」
いつも通り言葉少なく、理解の追い付かぬ我を置いてシルバは外へと出て行った。
渡すもの? はて、何だろうか。声を出すなという事は、クスアには知られたくないというわけか。
特別な武器? 過酷な訓練? もしや、奥義とか?
いや、ここで考えていても仕方がない。どうせ強くなるにあたって壁に阻まれていたところだ、何であっても受けて立とうではないか。我は急いでシルバの後を追った。
外に出てシルバの背を追い歩いて行く。
シルバはいつも稽古に使っている裏の平原を越えてもなお、かなりの速さで歩いている。夜の闇は猫足族の目のおかげで何とかなるとは言え、見失わないようにするのが大変だ。
「シルバ、どこに行くのだ」
「……」
呼びかけてもシルバは答えない。
そのうちに我らは森の中へと足を踏み入れていた。家からはもうだいぶ遠い、結構な距離を歩いている。
ふと、木々も深くなった森の真っただ中でシルバが足を止めた。
「……ねえ、アンタ、何なの?」
シルバは振り返ることなく、ポツリとそう呟いた。他には誰もいない、これは我に向けての言葉であろう。
「我が身の上は話したであろう。名はカイル=アーゼルント、アーゼル帝国の――」
「そういう事じゃない!」
叫び声と共に、我が顔のすぐ横を突風が吹き抜けた。
いや違う、風などではない。頬の毛が少し散っているし、何より……我の後ろにあった木が何本か、ドサリと音を立てて倒れた。
今のは……斬撃だ。
「何のつもりだ」
ゆっくりと振り返ったシルバに我は問いかけた。
平静を装ってはいるが、我は正直冷や汗をかいている。今の斬撃、そして振り返ったシルバの目には普段とは異なる確かな殺意のようなものが込められていたからだ。
「聞いてるのはアタシ。アンタは何なの?」
「質問の意味がわからんな」
シルバが素早く横に手を振った。
その途端、一瞬ではあったが光の帯のようなものが見えた。これもおそらくは結晶武器の一種なのだろう。
今度は当てる気だったのか、念のために出しておいた剣に正面からぶつかった。先んじて殺気を感じ取っていなければ危なかったかもしれない。
「突然現れて、訳の分からない事言って、クスアの心を揺さぶって」
鬼気迫る表情でシルバは言葉を続け、我に迫って来る。
なんという迫力、気を抜けば足がすくみそうだ。
「落ち着け、何が言いたいのだ」
「……クスアが、外の世界を見たがってるのは知ってた。アンタが現れたせいで、その気持ちが強くなってる事も」
「何?」
聞き返してもシルバは答えず言葉を綴る。
「だからアタシはアンタを鍛えた。武器の使い方も教えた。クスアがたとえ飛び出して行っても、なるべく危険な目に遭わないように」
そんな意図があったとは。「クスアのためにしか動かない」とはそういう意味だったか。
「そんなに気にするのなら、どうして自分でやらない」
「うるさい!」
シルバの腕から伸びた光の刃が、我の剣と激しくぶつかり合う。
「なのにアンタはいつまでも弱い」
「……わかっているつもりだ、己の未熟さは」
「わかってない。わかってない!」
驚くほど喋るシルバの声に、加速するように怒気が込められていく。それと同時に攻撃も激しさを増していった。直撃しないように受けるのが精一杯だ。
「アタシはクスアのためにいる。クスアが悲しむのが嫌だから、アンタを追い出したり殺したりしなかった」
「ぬう、物騒な事を」
「でももう限界。アンタがいなければ、アタシは元の生活に戻れる。だから――」
シルバが上着を脱ぎ棄てた。月明かりに照らされ、細身のボディラインがくっきりと浮かび上がる。
全身にぴったりと張り付くような服、まるで暗殺者だ。
「ここで、死んで」
呪いを吐くような言葉と共に、今までで一番の重い攻撃が繰り出される。我は剣でかろうじて防ぎ、後方へと跳んで間合いを取った。
シルバの殺気は……本物だ。
「我を殺すか」
「クスアにはアンタが出て行ったって言う。悲しむだろうけど仕方がない。でもきっとすぐに忘れてくれる。アタシとの生活に戻ってくれる」
それが本音か。
シルバにとって我は突然湧いた邪魔者に過ぎない。以前の生活など我が知るべくもないが、いない方が正常なのだ。
特異な力を持つ娘たちを利用しようとした事も認めよう。だが、だからと言ってここで殺されてやるわけにはいかぬ!
「ここは危険な獣が出る。置いておけばきれいに片付けてくれる」
シルバが体当たりの如く大きく踏み込み斬り付けてきた。我はそれを跳び越えるようにかわし、シルバの背後へと回る。
大振りの攻撃ゆえにシルバの方向転換が間に合わず、背中が無防備に晒されていた。
好機……!
いかに命を狙われていようとも、我がシルバを殺すわけにはいかぬ。こんな時にも結晶武器は便利なものだ、出力を調整し刃を鈍くする事もできるのだから。
それでも威力は申し分ないはず。悪いが、しばらく眠っていてもらおう。
我の一撃が素早く正確にシルバの背を捉えた。
ガキン! という激しい音。手応えも十分にある。だが、これは何だ。
シルバの背中から伸びた複数の刃が、まるで獣用の罠のように我が剣を挟み込み受け止めていた。
くっ、動かん! まずい……誘われたか⁉
案の定、武器を固定され隙だらけになった我にシルバの振り向きざまの攻撃が繰り出される。
……あ、危ないところだった。あと一秒でも剣を放棄するのが遅かったら首が落ちていた。
「……ふん」
背中の刃を納め、シルバがこちらへと向き直る。
以前から違和感はあったのだ。手合わせをする際、シルバは一瞬しか武器を見せなかったため、その太刀筋を見る事はほとんどなかった。
短剣状の武器を素早く出し入れしているのかと思っていたが今の動きで確信した。シルバは全身のどこからでも自由な形と長さの刃を発現させる事ができるのだ。それも何本も同時に。
それに、上着を脱いだ今のシルバを見ても竜結晶の装飾品が見当たらない。もしかすると彼女は想像以上に恐ろしい存在だったのかもしれぬ。
まあ、それが分かったところで状況は好転しないのが残念だ。我が剣はすでに溶けてしまい使い物にならない、新たに作るにも時間がかかる。
さて……どうするか。
「ずいぶん変わった技を使うのだな」
話しかけたが返事などは期待していない。一瞬でも時間が稼げればと思っただけだ。
予想通りシルバが無言で攻撃を再開したため、我も作戦を実行に移す。
すなわち、とにかく逃げる!
「……!」
意表を突かれたのかシルバが驚いている。
猫足族の目は夜の闇でも良く見え、足は素早く走っても足音はほとんどしない。このまま森に紛れて家まで逃れればシルバも無茶はしないだろう。
――などと、我は己の認識の甘さを反省する事となる。
全力で走る我のすぐ横に、銀色の何かが飛び交うのが見えた。……シルバだ、信じがたい事にな。
「浅はか、遅い」
疾走しながらも空中で繰り出される鋭い蹴り。比喩ではなく刃が出ているので本当に鋭い。
ギリギリだったがなんとかかわした。かわしたが……こうも簡単に追い付かれるとは。
それは恐ろしいほどの身の軽さだった。
猫足の我が言うのもなんだが、木々の間を飛び回る様は野生の獣のようだ。よく見れば木などの障害物が無い場所でも空中で軌道を変えている。時折り格闘に乗せて繰り出される刃も、大木を野菜でも切るように容易く両断してしまう。
攻撃力も速度も向こうがはるかに上回っている。だからと言ってこちらから殺す気で攻撃などできるわけがない。それは複数の意味でな。
「背中」
シルバが呆れたような声を出した。
なにせ我は小細工など全くなく、もはやただ真っ直ぐに逃げているだけなのだ。シルバから見れば隙だらけもいいところだろう。
瞬く間に間合いを詰められ、無防備な背中にシルバの強烈な蹴りが突き刺さった。
鋭い痛みが伝わってくる。急所は外したが流れる血の生温かさが命の危機を伝えている。
振り返った我に再びシルバが正面から迫った。
「!」
シルバの表情が変わった。明らかに驚いている。
いや、それは我も同じだった。我が首輪の竜結晶から溢れた黒いドロドロが、形を持たぬままシルバの足を絡め取り滑らせていたのだ。
……戦いのイメージ、か。命の危機に晒されふと思いついた。
シルバの足元にあったドロドロに向かい念じると、我の思念を感じ取ったそれは強固な土壁へと変化。更に土壁は巨大な手となり、滑りによってバランスを崩していたシルバの手足をしっかりと掴んだ。彼女の武器である光の刃ごとな。
だがこれでは終わるまい。
一瞬怯んだシルバであったがそこはさすがの腕前だ。絡め取られた刃は素早く廃棄、新たな刃で土壁の手など簡単にバラバラにしてしまった。
「バカみたい。封じても無駄、結晶武器なんだから消せばいい、また新しい刃で斬る」
「それはこちらも同じだ。また新しい盾でいくらでも防いでくれる」
「……」
露骨に嫌な顔をしたな、嫌がるという事は有効だという事だ。
さあ、こうなれば我慢比べといこうではないか。フフ、出血のせいか気が昂っている。今まで言う事を聞かなかった竜結晶が嘘のように自在に動く。
我が防ぎきるか、お前が我を刻むか、どちらかの魔力が尽きるまでやり合おうぞ。
それからは防戦一方。ただし、良い意味でな。
我とシルバはそれぞれいくつもの刃と盾を出しては捨て、ひたすらに削り合った。シルバがいくら刃を繰り出そうとも、我は時に土塊、時には油、またある時は風船と相手を翻弄しながらとにかく逃げに徹したのだ。
「……ゴホッ」
ん、何だ? シルバのやつ咳をしたのか?
そう思った瞬間、シルバの体がフラリとよろけ倒れそうになる。
「シルバ?」
思わず声をかけてしまった。だがシルバは倒れる事なく、キッとこちらを睨みつけて刃を振った。
危ないな……また罠だったか?
「……ヒュー……ヒュー」
いや、演技には見えない。どうなっている?
シルバは相変わらずこちらを睨んではいるが、その顔は真っ青だった。大量に汗もかいているようだし、呼吸など風が吹き抜けるような音をさせ、肩で息をしている有様だ。
「シルバ!」
「いい加減にしろ!」
近付こうとする我に、シルバがかすれるような声で叫んだ。
「くそ……、結晶武器をこんな使い方するなんて……。さ、さっきから、時間稼ぎばかりして……ふざけるな! け、剣を取れ……ゴホッ」
叫んだせいか、シルバはついに膝をついてしまった。
魔力切れ? いや、我はまだまだ余裕だ。我とシルバの魔力量にそれほど差があるとは思えない。
その証拠にシルバの刃は健在で、油断をすれば後ろの木ごと首を持って行かれそうになるほどだ。
もしや、魔力ではなく体力の方が切れたのか?
「お前の使う遠当て、面白いな。我にも使えるであろうか」
ここであえて違う話を振る。いわゆる挑発だな。
「……うっさい! うざい!」
余裕が無いのか、シルバは普段からは想像できない表情で攻撃の手をさらに激しくする。
ならば、その思いに応えてやろうではないか。
「いくぞ!」
もはや小細工はいらぬ、今の我が出せる最大級の結晶武器をぶつけるのみ。
ありったけの魔力を解放し竜結晶へと送り込む。それに応じるがごとく竜結晶から大量の黒いドロが放出され、作り上げられたのは天を衝く柱。見上げるほど巨大な猫の手がシルバへと向けて振り下ろされた。
負けじとシルバも攻撃を放つが明らかに精彩を欠いている。そんな状態の刃では圧倒的な質量を止める事などできはしない。
「がっ……」
もはやシルバには我が一撃をかわす機動力も、ましてや受け止める体力など残ってはいなかった。有無を言わさぬ我の一撃がシルバを捉え大地を揺るがす。猫の手が消えたその後には、巨大な肉球に押し潰され意識を失ったシルバの姿があった。
それと同時、何かが落ちる音に気付き我は足元を見る。そこには首輪が落ちていた、今の今まで外れなかった我の首輪が。
拾い上げると黒い竜結晶の輝きが我によくやったと語りかけているようにも見えた。偶然の出会いではあったがこれには世話になったな。首がスッキリしたのもあり感慨深い。
さて……、いい加減戻らねばなるまい。
大変な目には遭わされたものの、シルバをこんな所に置いて行くわけにはいかぬ。我は気を失い倒れているシルバを背に担いだ。
むむ、なかなかに重い。シルバの名誉のために言えばこれは体重ではなく体格差の問題だ。シルバもそれなりに細身で小柄だが、それでも我の方が小さいのでな。担いで運ぶのも一苦労というわけだ。
だが不可能ではない。やれやれ、なんとか夜明けまでには戻れそうだ――
ぐっ⁉
いくらか歩いたところで肩に強い痛みを感じ、我はバランスを崩して倒れてしまった。
な、何事だ?
「アタシに……さわるな……」
「シルバか。目を覚ましていたのか」
ふん、お互い酷い有様だな。
倒れた拍子に放り出されたシルバは息も絶え絶えでまるで死人のような顔をしているし、そう言う我は肩を刺されて血を流している。
ぬう、右手に上手く力が入らん。お前を運んでいかねばならぬのに何という事をしてくれるのだ。
「いい加減にしておけ。我はお前を連れ帰らねばならぬ」
「うるさい、アンタの手なんか借りない」
ボロボロなのに威勢だけは良い。だがさっきの一撃が本当に最後の体力を振り絞ったものらしく、もはや光の刃を出す事もできぬようだ。
それでも我が肩を貸そうとすると振り払ってくる。それだけ元気ならば放っておいてもいいかもしれんが、ここに危険な獣が出ると言ったのはお前だろう。そんな状態でどうにかなるのか?
「アタシは……まだやれる……」
「どうしようがお前の勝手だ。だが、お前が戻らねばクスアがどう思う?」
「うるさいうるさい、アンタがクスアを語るな!」
まるで駄々をこねる子供だな。このままでは手が付けられん。
ふう……仕方がない。
「なっ……何を⁉」
こうなればシルバが何をしようが強引に抱えていくしかあるまい。
多少の抵抗になど目もくれず、我はシルバに近付き力づくでその体を背負った。
「くそっ、離せ……!」
相変わらず抵抗は激しくシルバは我を力なく殴りつけてくる。それでも多少は痛いのだ、そう殴るな。我はクスアほど頑丈ではないのだぞ。
「暴れたければ勝手にしろ。だが我が倒れれば共倒れになる事は覚えておけ。……まあ、我は致命傷で動けなくならぬ限りは歩みを止めないがな」
その宣言通り、我はシルバを背に抱えたまま歩き続けた。
「離せっ! 降ろせっ!」
シルバがポカポカと我が背中を何度も殴りつける。もはや幼児の駄々のようだ。
「くっ、うう……うわああああん!」
かと思えば、なんとシルバが大声で泣きだしたではないか。これには我も面食らった。
「お、おい」
「ううう……うう……」
「シルバ?」
「……」
返事がない、今度こそ気を失ったようだ。
まさかシルバがあのように泣くとはな。我には知る由もないが、シルバの中にあった思いが爆発してしまったのだろう。
やれ、今度こそ大人しくしていてくれればいいがな。
それにしても随分遠くまで来たものだ、我が猫足族の体でなかったら暗い森の中で迷っていたところだぞ。
時間はかかったがようやく森の切れ目が見えてきた。だが……そろそろ我の体力も限界に近い。せめて森だけは抜けなければと歩みを速める。すると、正面から何かが近付いて来るのが見えた。
かなり大きい。そして闇夜に光る何かがユラユラと揺れている。まさか、獣か!?
「あっ! こんな所にいた!」
「……クスア、か?」
それはランタンを持ったクスアだった。
何かの拍子に目を覚まし、我らがいない事に気付いて探しに来たのか。
「シルバちゃん⁉ わあっ、カイルさんもケガしてるよ! 何があったの⁉」
クスアは我とシルバを見るなり慌てふためいていた。
まあ、夜中に何も言わず姿を消し、こんな森で二人してケガをしていればそうなるだろうな。さて何と言い訳したものか。
「いや……怪しい人影を見てな、シルバと二人で追ってみればやはり盗賊だったのだ。撃退はしたがシルバの体力が尽きてしまいこのザマというわけだ」
「そうだったんだ。シルバちゃんたら普通の人よりスタミナが少ないらしくて、時々こうなっちゃうんだよ」
そう言うとクスアは慣れた様子でひょいとシルバの体を抱え上げた。
咄嗟に考えた我の言い訳も信じてくれたようだ。クスアに無用な心配をかけたくはない、これで良いだろう。
「カイルさんはこっちね」
「何? うおっ」
何かと思えば、いきなり襟首を掴まれ持ち上げられた。そのままクスアの頭の上まで運ばれ肩に乗せられる我。
か、肩車か……。いつ以来であろうか、まさかこの年で誰かに肩車されるとは。
「落ちないように気を付けて。ツノ持っていいからね」
「う、うむ」
持っていいからと言われてもな。今も昔も自分には無い体の部位、触っていいものかどうか少々気が引ける。でも疲れているから落ちそうになるので結局持ってしまうのだが。
何にせよこれでもう安心だ。我とシルバはクスアに運ばれようやく家路につく事ができた。
「二人とも無事で良かったよ~、悪い人もいるもんだね」とクスアが言った。
「ああ、そうだな」
「……ふふっ」
我が答えるとクスアが笑った。何かおかしな事を言っただろうか。
「どうかしたのか?」
「ううん、ちょっと昔の事を思い出しちゃった。シルバちゃんと初めて出会った時の事!」
「ほう、興味深いな」
「あの時も森の中だったなあ。シルバちゃんもボロボロだったんだよ」
歩きながらクスアがその時の事を話してくれた。
ある日の事、クスアが森に食材探しへと出かけた際にシルバと出会ったらしい。
「びっくりしたよ~。シルバちゃんたらほとんど裸だったし、怖い顔で睨んできたからオオカミかと思っちゃった」
お人好しでお節介なクスアは、もちろんそんなシルバを放ってはおけなかった。
だが野生の獣のように警戒し怯えるシルバは近付こうとするクスアに牙をむいたのだそうだ。
「でも諦めなかったもんね。そしたらそのうち大人しくなったから連れて帰ったんだよ。気が付いたら私も服がボロボロになっちゃってて、あれはおかしかったな~」
「ケガはしなかったのか?」
「うん、全然平気。カイルさんも私の丈夫さは知ってるでしょ?」
エヘンとクスアは胸を張った。そんな状態のシルバなら手加減はなかっただろうに、本当にクスアは自分の頑強さに自信があるようだ。
自信があり過ぎると心配になるが、我もあの頑強さを目の当たりにしているからな。
「ところで、なぜシルバはそんな所に?」
「さあ、聞いてないから知らない」
「聞いてないのか⁉」
「シルバちゃんもあまり自分の事は話したがらないから。私は今のシルバちゃんが大好きだし、別に気にならないもん」
そんなものだろうか。素性もよく知らないのに同居しているとは大した根性だ。
話を聞く限りではシルバは野生児だったのか、それともどこかから逃げてきたのか。しかし野生児だったら結晶武器など持っておらんだろうし、外出したがらない事も含めてどこかから逃げてきた人間であると考えた方が自然か。
まあ、我も詮索する気はない。いずれ自ら話したくなる時が来るだろう。
「何というか、シルバは凄いのだな」
「でしょ? 私は狩りが苦手だから、シルバちゃんには助けられてるんだよ。すっごく強いんだから」
「ああ、強さは認める。我もシルバほどの使い手はそうは知らぬ。……我がこう言った事、本人には言わないでくれよ。照れ臭いからな」
「はーい」
いい返事だ。シルバもそれくらい素直だったらこのような傷を負う事もなかったのだがな。
おっと、忘れていた。クスアにこれを返しておかなければ。
「そうだクスア、君に返しておこう」
ようやく首輪が外れた事を告げ、クスアへと手渡した。
「……」
クスアもまた外れた事に驚いているのか首輪を見つめている。
そして、神妙な面持ちで「あのね、カイルさん」と口を開いた。
「前に大きな竜が現れた時、聞こえたんだ」
「聞こえた? 何がだ」
「あの竜が話していた事。「なんだ、リドケイルか。タイレリアかと思ったぞ」って」
「リドケイルだと⁉ それは……本当なのか? いや、そもそも竜が話すというのか?」
あの時の事はよく覚えている。確かに竜は何か音を発してはいたが、我にはそれが言語であるとは認識できなかった。
「私ね……、竜の言葉がわかるんだよ」
しかし、驚くべき事だがクスアには彼らの言葉が分かるという。
短い付き合いだがクスアがこのような事で嘘を吐くとは思えない。これは真実なのだろう。
「そうであったか。リドケイル……我の肉体を奪った賊の名をなぜ竜が。それにタイレリアとは一体……」
「……タイレリアは、私のお母さんの名前」
「クスアの母上? しかしそれも奇妙な話だ、なぜ竜がその名を告げる? なぜ我と間違えるのだ?」
「その首輪はお母さんの形見だっておじいちゃんが言ってたから、もしかするとそれが関係あるのかも」
……。
いくらかの推測はできるが所詮は推測に過ぎぬ。
やれやれ、こちらに流れ着いてからというもの我の知らぬ事実のなんと多い事か。第一皇子として、次期皇帝として恥じ入るばかりである。
「それにしても、そんな大切なものを我に着けたのか?」
「私にもよくわからないけど、そうした方がいいような気がしたんだ。あはは、不思議だよね」
「……まったくだな」
我にはその時のクスアがどこか遠くを見ているような気がした。
それからしばらく歩き、我らはようやく家に戻る事ができた。
クスアの手当てを受けながら口に食事を突っ込まれたのには驚いた。しかし不思議な事に、料理を食べると疲れが飛んでいくような気がする。
いや、気のせいではないな。斬られた所の血が止まり、傷も塞がりかけている。もしや回復効果でもあるのだろうか?
クスアに聞いてみたが、答えは「美味しいと元気が出るよね!」というものだった。
よくはわからない。ただ、初めて会った時もいきなり食事を突っ込まれた覚えがある。あの時も状態の割にはよく動けたが、やはりこれのせいなのか?
何にせよ助かる。後は少しでも眠っておくとしよう。
――そして朝が来た。
傷と疲労のために目覚めるのが少し遅くなってしまった。だがそのせいか傷はすっかり塞がり体調は万全の状態に戻っている。
そうでなければ困る、今日は重大な決断を下すと決めているのだ。
「あっ、カイルさん起きた?」
我が目覚めた事に台所にいたクスアが気付いた。
早速で悪いが本題に入ろう。我はクスアに向かうと膝をつき大きく頭を垂れる。
「クスア、世話になった。我は今をもってここを発つ。これを言うのは二度目だが、いつか必ず礼をしよう」
「うーん、それじゃあ出る前にひとつお願いしてもいいですか?」
「願いか、我で可能ならば何でも言うと良い」
すると、頭を上げた我の首に何かがカチリとはめられた。
クスアに返したばかりの首輪が我の首元で輝いている。一体どういうつもりなのだ。
「これは……、なぜこの首輪を我に?」
「だって、体を取り返しに行くんでしょ? 丸腰だと危険だよ」
「母親の形見なのだろう、本当にいいのか」
「そのかわり、私も連れて行って!」
そう言うクスアをよく見れば、すでに旅に出るための格好をしていた。
「しかしだな……」
「シルバちゃんもいいって言ってくれたよ」
そうなのか? あのシルバが? にわかには信じられないが……。
「……」
……ん? うおっ、びっくりした!
気付けば台所の入口からシルバがこっちを睨んでいた。
朝からなんて顔をしているのだ、昨日の今日だけに思わず身構えてしまったではないか。
「シルバ?」
さすがに命を狙いに来たわけではあるまいが、問いかけるとシルバは目線を逸らした。
「アンタは弱い、アタシよりも」
なんだ、わざわざそんな事を言いに来たのか。
「そうかもしれんな」
「……でも才能はある、それは認めてあげる」
「ほう、お前が我を褒めてくれるのか」
「クスアは渡さない。モフモフなんかには負けない」
「いや、何の話だ」
何やら大いなる誤解があるような気もするな。しかしそれを問いただす前にシルバは外に出て行ってしまった。
いつも軽装のシルバだが今日は少し荷物を持っていたようだ。クスアの旅立ちを許したというよりは自分も付いていくつもりなのだな。
「お前たち二人が来てくれるのなら、我にとってこの上なく心強い味方となろう。しかし、なぜここまでしてくれるのだ?」
クスアに問うと、彼女はいつものようにニコリと微笑んだ。
「理由はふたつかな。おじいちゃんが「人に優しくしていれば、きっとみんなも優しくなる」って教えてくれたの。それがひとつ」
「もうひとつは?」
「私も知りたい事ができたの。お母さんの事、竜族の事、きっとカイルさんの事とは無関係じゃないと思う。だから、一緒に外の世界を見に行きたい。一度は断っちゃったけど、シルバちゃんが背中を押してくれたんだ」
シルバが言っていたな、クスアが外の世界を見たがっていると。
そうか、シルバが……。彼女にも思う所があったのだろう、あの斬り合いが無駄ではなかったのならそれで良い。
知りたい事ができたのは我も同じだ。竜族の侵攻、そしてあの竜がリドケイルの名を呼んだ事、我が肉体を奪った事と無関係ではあるまい。おそらくは竜族であろうクスアの母の事も含めてな。
「わかった。では我が肉体と帝国を取り戻すその時まで、この竜結晶とお前たちの力を有難く借り受けるとしよう」
「やった! カイルさん、よろしくね!」
大はしゃぎで喜ぶクスア。その声に引かれたかシルバが外から顔をのぞかせた。
「何やってんの、行くなら早く行く」
「うん!」
喜びが有り余っているのか、テンションの上がったクスアがシルバに抱き付いた。そこをすかさずシルバがハグしながら頭を撫でてやっている。なぜか我の方を見ながらドヤ顔で。
「わーい、シルバちゃん大好き~!」
「よしよし……ぐ、ちょ、クス……痛たた、折れ、折れる!」
ははは、旅立ちの前だというのに今からケガをしてどうする。
誰が言ったか、猫には幸運が宿るという。おそらくそれは間違いではない。猫足族の体となり、絶望の淵に立たされた我の前にさえこのような幸運が訪れたのだからな。
この猫のような小さな一歩は帝国にとって、そして全ての種族にとって大きな歴史の一歩となる事であろう。
謎多き竜族、その彼らを知る事こそがひいては我が肉体と帝国を取り戻す近道なのかもしれない。
旅をしていて痛感する、なんとも城にいては見えなかったものの多い事よ。今はこの帝国を巡る事こそが我の成すべき事なのだと切に思う。
「竜だ、竜が出たぞー!」
噂をすれば、手がかりが向こうからやって来たぞ。
我とクスア、それにシルバは逃げる人々を庇うように竜へと立ち向かった。
「ここは我らに任せ下がっていろ」
「ケガしてない? お弁当はいかがですか~?」
「あ、あんたたちは……?」
そう聞かれた時、我はいつもこう答える。
「なに、ただの弁当売りだ」




