ヤンデレ失格
「いや、形から入るにしても限度ってものがあるだろ」
俺――神田大介は、自分の部屋の学習机の引き出しを盛大に引き抜いたまま、
呆然と立ち尽くしていた。
初夏の生ぬるい風が網戸を揺らしている。
端っこがちょっと破れていて、そこから小さな虫が入ってくるのが気になる。
後でアロンアルファか何かで塞がなきゃな。
だが、問題は虫ではなく引き出しの中身だ。
底に敷き詰められていたのは、大量の消しゴムだった。
しかも全部、カッターで細かくサイコロ状に刻まれている。
何これ。
怖いというより、普通に処理が面倒くさい。
ゴミ箱にぶちまけたら絶対に何個か床に転がって、
数ヶ月後にベッド脇の隙間から発見されるタイプの嫌がらせだ。
「……大ちゃん、それ、何だと思う?」
背後から、妙に平板な声が聞こえた。
振り返ると、幼馴染の千歳が、ベッドの上で体育座りをして俺を見上げていた。
彼女は夏服のセーラー服の襟元を無駄にぐっと握り締め、
前髪の隙間から、親の仇でも見るかのような『死んだ魚の目』を演出している。
演出――という確信がある。
なぜなら彼女の口元に、さっき食べたと思われるハッピーターンの粉が
"そこそこ"付着しているからだ。
ハッピーパウダーの魔力はヤンデレの悲壮感を著しく損なう。
「何って、消しゴムの死骸だろ。お前、これ切るのに何時間かかった? 暇なの?」
「違う。それは……大ちゃんに対する、私の、消せない執着の具現化」
「言い直さなくていいよ。あとフレーズがちょっと古い。平成のガラケー小説か」
千歳は『ギクッ』と肩を揺らした。
実際に声に出して『ギクッ』と言いそうになって慌てて口を閉じたのを、
俺は見逃さなかった。
彼女なりに演出過多だと思ったのだろう……好判断だ。
ともかく、こいつは中二の初夏という、
人間の脳が最もバグりやすい季節の荒波に完全に飲まれている。
最近、ネットで仕入れた『曇らせ』とか『歪んだ愛情』
みたいなジャンルに目覚めたらしく、
ここ数週間、俺に対して事あるごとに不穏な空気を醸し出そうと必死なのだ。
だが、浅い。
圧倒的に、浅く狭い。
「あのさぁ、千歳」
俺は刻まれた消しゴムを一つ指先でつまみ上げ、彼女の鼻先に突きつけた。
「お前の病みからは、一かけらの愛情も感じねえんだよ。カラッカラで湿度が足りねえ。砂漠かここは」
「な、なによ……! 私だって、一生懸命考えて、大ちゃんが他の女子と喋ってたから、その、胸が締め付けられるような、こう、暗黒の衝動を……」
「嘘をつくな。今日、俺が委員長とプリントの枚数確認してた時、お前なにしてた?」
「……見てた。ずっと、大ちゃんだけを……」
「……購買の焼きそばパンの並ぶ時間にアラームかけてただろ。アラームが鳴った瞬間に俺なんぞには目もくれず猛ダッシュしていったの、委員長の後ろの窓に反射して映ってたぞ」
「うっ」
千歳は顔を真っ赤にして、体育座りの膝に顔を埋めた。
圧倒的に愛が足りない。
いや、食に対する愛情が重すぎるというべきか。
まあとにかく、ヤンデレを自称するなら、
せめて炭水化物より俺への執着を優先してほしい。
ちなみに、俺だって只のブサメン陰キャキモオタなわけで、
そんな大層な執着を向けられる筋合いはどこにもないのだが……
そうは言っても、やるならもっとこう、
背筋が凍るようなディテールにこだわってほしいのだ。
「大ちゃんのバカ。……私だって、本当はもっと、こう……ジメジメしたやつやりたいもん」
膝に顔を埋めたまま、千歳がくぐもった声で呟く。
「でも、カッターで自分の手首切るとか痛いし、大ちゃんの部屋に盗聴器仕掛けるとかだってお小遣い足りないし。……あと、なんか、ぶっちゃけ大ちゃんの部屋、普通にちょっと部活の汗の臭いするから長居したくない……」
「最後のは普通に傷つくからやめろ。あと俺は帰宅部で、これはただの中二男子の何かそういうのだ……」
それにしても、その現実的な妥協案は何だよ。
予算と痛みのリスクを天秤にかけた結果が、この消しゴムのバラバラ殺人事件だったのか?
安上がりな狂気を見せつけられて、俺の心は完全に冷え切っていた。
いや、冷え切ったというか、ぶっちゃけちょっと可哀想になってきた。
千歳は顔だけは無駄に整っているから、
黙っていればそれなりに儚げな美少女に見えなくもない。
にもかかわらず、やってることが小学校高学年の図工の延長線上でしかない。
「分かった。もういい。一回その、死んだ魚の目をやめろ。あと、ハッピーターンの残照が付いてるぞ」
「えっ、嘘!?」
千歳は慌てて制服の袖で顔をこすった。ほら見ろ、この台無し感。
「大ちゃん。じゃあ、明日はもっと凄いのやるから」
千歳はベッドから立ち上がると、急に真剣な目で俺を見つめてきた。
「私、分かった気がする。湿度が足りないのは、私がまだ『本当の絶望』を知らないから」
「おい、変なスイッチ入れるな」
「明日、大ちゃんが学校に来るまで、黒板の前に立って、大ちゃんの上履きを片方だけ口にくわえたまま一歩も動かないで待ってるから、私」
「クラスメイトの前で社会的な死を確定させるようなテロ行為はやめろ!!!」
千歳は「ふふっ」と、演技ではない、本気の笑みを浮かべた。
そしてその刹那、網戸を突き破って庭へと飛び降りていった。あ、網がぁっ!
「最悪だ……あいつ、何なんだよ、本当に」
床に散らばる消しゴムの山を見つめながら、俺は深い溜め息をついた。
明日、学校に行くのが死ぬほど憂鬱だ。
上履き、予備を持っていった方がいいんだろうか?
いや、そういう問題じゃない。
行動のベクトルが、ヤンデレから只の奇行種にシフトしていることが問題だ。
そして今この瞬間も、あいつは何かを盛大に間違えていることだろう――絶対に。
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