第一話 『赤き瞳の子』
──天正八年、如月。
日向国、飫肥藩の山深くに、龍神村という集落が息を潜めるようにあった。
急峻な山々と鬱蒼たる森に四方を囲まれ、麓の町から続く獣道は慣れた者でなければ半日では辿り着けない。
冬ともなれば雪と霧が道を塞ぎ、村はまるで世界の果てに置き去りにされたかのように静まり返る。
そういう場所だ。
村の中心には、古い社がある。
瀧ノ宮。
青い瞳の守護龍を祀るそこは、村人たちの精神的な拠り所であり、古くからの掟の源泉でもある。
生まれた子の瞳の色によって運命が決まるという慣わし。
誰一人として疑う者もいない。
幾百年の歳月をかけて、掟は伝説ごと村の血肉に溶け込んでいた。
天正八年二月五日の夜明け前──
一人の子が生まれた。
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「……ッ」
産声を聞いた瞬間、産婆の手が止まった。
布に包まれた赤子を抱え上げ、ぼんやりとした燭台の灯りに翳す。
産婆の皺だらけの顔が、みるみる青ざめていく。
「……どうした」
外で待っていた男が、引き戸の向こうから声をかけた。
三十路を少し過ぎた男で、村長を務める父の跡を継ぐべく育てられた、この村では珍しい体格の持ち主だ。
新陰流の剣士でもあり、その太い腕には剣胝の痕が幾つも刻まれていた。
返事がない。
男は眉を寄せ、引き戸を開けた。
産婆が振り返る。
その腕の中で、赤子がぐずぐずと声を上げていた。
そして──赤子の瞳が、燭台の炎を映して赤く輝いていた。
深紅。
血のような、炎のような、まごうことなき赤。
男の顔から、ゆっくりと表情が消えた。
「……竜祐様」
産婆がかすれた声で言う。
「掟に、従わなければなりません」
竜祐は何も答えなかった。
ただ、引き戸の縁をつかんだ手の指が、白くなるほど力を込めているのが見えた。
奥の布団では、長い出産を終えて消耗しきった妻が、荒い息をついたまま目を閉じている。
彼女はまだ、何も知らなかった。
「……時間をくれ」
低い声だった。
「せめて、美心が目を覚ますまで」
産婆は一瞬逡巡したが、村長の息子の顔つきに押されたのか、小さく頷いた。
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儀式は三日後の夜明けに行われた。
瀧ノ宮の境内に篝火が焚かれ、祭礼の装束をまとった神主が祝詞を上げる中、竜祐は石のような顔で我が子を抱いていた。
美心は来なかった。
来られなかった。
産後の床で事情を告げられた彼女は一晩中声を上げて泣き、竜祐はその背中をただ撫で続けた。
夜明けとともに彼は立ち上がり、社へ向かった。
「始めよ」
神主が近づいてくる。
月光を映した細い刃を手に。
竜祐の腕の中で、赤子が静かに目を開けた。
赤い瞳が、篝火を映す。
その刹那。
风──。
どこからともなく吹いた微風が、次の息には木々を揺らし、三度目で篝火を全て吹き消した。
暗闇の中、人々の羽織や袴が激しく翻り、長老の一人の烏帽子が宙を舞う。
「な、なにが──」
誰かが叫ぼうとしたが、声すら風に飲まれた。
暴風は数十秒で止み、しかしその間に篝火は全て消え、神主の手にあった刃はどこかへ吹き飛んでいた。
静寂が戻った境内で、人々は呆然と立ち尽くしていた。
竜祐の腕の中の赤子だけが、きゃっきゃっと笑い声を上げている。
「……異能だ」
長老の一人が、震える声で呟く。
「この子は……異能を持って生まれた」
村の掟では、赤い瞳の子は処刑される。
しかし異能を持って生まれた子は神の子として崇められる。
二つの掟が、正面からぶつかった。
──前例のないことだ。
長老たちは夜通し話し合った。
竜祐は赤子を抱いたまま、その場を動けなかった。
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夜が明ける頃、筆頭長老が懐から折り畳まれた紙を取り出し、老いた声で読み上げた。
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一ノ条。
件の子、二十の齢に至るまでは異能の行使を固く禁ずる。
二十を迎えし暁には異能を研磨し、龍神村の守護と繁栄のために身命を捧ぐべし。
二ノ条。
件の子を屋敷の敷地より外へ出すことを許さず。
村人の目に触れしめることもまかりならぬ。
その存在、村の者どもに知らしむることなかれ。
三ノ条。
件の子に些かなりとも不審の振る舞いあらば、猶予なく処刑に処す。
この定め、いかなる事情あろうとも覆すことあたわず。
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要するに──
二十歳まで異能を封じ屋敷に閉じ込め、二十になれば村のために働かせ、少しでも怪しければ殺す。
それだけのことだ。
「……それで、名はどうする」
別の長老が問う。
竜祐は腕の中の赤子を見下ろした。
赤い瞳が、朝焼けの空を映している。
「風雅」
静かに、しかし揺るぎなく。
「鬼龍院風雅。この子の名だ」
誰も何も言わなかった。
竜祐の顔に浮かんでいたものが、言葉を封じたのかもしれない。
風雅は眠そうに目を細め、小さく笑った。こうしてこの子は、掟に縛られながら生を許された。
産声を上げた瞬間から死を宣告され、異能という偶然によって辛うじて命を繋いだ。それがすべての始まりだ。
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のちに私はこの日のことを、付き人から聞かされることになる。
当時の私に記憶などない。
赤子とはそういうものだ。
だが時折、不思議な夢を見る。
篝火が消える瞬間の闇。
風の音。
誰かの腕の温もり。
夢の中でだけ、私は誰かに抱かれていた。
それが父の腕だったと知るのは、ずっと後のことだ。
ここまで読んでくださり、圧倒的感謝です…!本当にありがとうございます!
面白かった、ここがツッコミどころだ等々、皆様からの感想をドシドシお待ちしております!
ちなみに名前の通り『語彙力皆無マン』がお送りしておりますので、語彙力の無さはデフォルト仕様です。どうかご容赦くださいませ…!次話も頑張ります!




