第四話 異世界からの来訪者 二
へるぴょんと申します。
異世界からの来訪者を助けなければ・・・。
読んで頂ければ幸いです。
八重子は、玄関の扉を勢いよく開け放ち、ほとんど飛び出すように家を後にした。
胸の鼓動が耳の奥でドクドクと響く。
これほど慌てたのは、一体いつ以来だろう――。
盗賊に襲われたとき?……いや、あの時はもっと冷静だった。
初めて魔物に襲われたとき?……いや、あれは即死だったから比較にならない。
……そうだ、学生時代、彼氏との初デートに遅刻しそうになったあの朝以来かもしれない。
あの時はギリギリ間に合ったものの、髪をセットするのを忘れて、待ち合わせ場所で彼氏に微妙な顔をされたんだった。
――今は笑い話だが、あの時の焦りに似ている。
走りながら、八重子は深く息を吸い、頭を冷やす。
焦って突っ込めば、かえって事態を悪化させる。
足を止め、周囲を見回し、短く呪文を唱えた。
「――同化」
空気が揺らぎ、八重子の輪郭が溶けるように消えていく。
周囲の景色と完全に同化し、姿が見えなくなった。
次の瞬間、八重子の体はふわりと浮き上がる。
風を切る音が耳元をかすめ、街の喧騒が遠ざかっていく。
眼下には、規制線とパトカーの赤色灯、そして人だかり。
その中心――警官たちに囲まれた二人の姿。
鎧をまとった大男と、ローブ姿の女性。
間違いない、アルバートとイレイザだ。
八重子は高度を落とし、二人のすぐ横に静かに降り立った。
足音ひとつ立てず、地面に着地する。
「……師匠?」
イレイザが、わずかな気配の変化に反応し、目を見開く。
八重子は短く頷き、低く呟いた。
「――フェアゼツェン」
瞬間、淡い光が三人の足元から立ち上り、空気がねじれる。
視界が一瞬、白く弾け――次の瞬間、三人の姿はその場から掻き消えた。
「な、何がおきた!?」
「消えたぞ!」
「どうなってる!?」
警官たちの叫びが、現場にこだまする。
残されたのは、規制線の内側に漂う微かな魔力の残滓と、混乱する人々のざわめきだけだった。
「……なんで、二人ともここにいるのよ」
目の前に立つ二人――異世界で毎日のように顔を合わせていた仲間。
現代に帰ってきてからは、自分の生活を元に戻すことに必死で、正直、存在を思い出すことすらなかった。
それが今、こうして目の前にいる。
異世界で過ごした時間からすれば、そう長く離れていたわけではない。
それでも八重子にとっては、懐かしさと、胸の奥がじんわり温かくなるような嬉しさが入り混じった瞬間だった。
「師匠ぉ~~!」
イレイザが、涙を浮かべながら勢いよく抱きついてくる。
「賢者様ぁ~~!」
アルバートも、感極まったように目を潤ませ、がっしりと抱きついてきた。
「うっとうしい!」
八重子は二人をまとめて蹴り飛ばした。
ごろりと転がる二人は、目を丸くして固まる。
転移魔法で飛んだ先は、人里離れた山奥。
木々の間から差し込む光がまだら模様を作り、鳥の声が遠くで響く。
蹴られた二人は、呆然と八重子を見上げていた。
そう――二人にとって賢者様とは、おしとやかで物静か、常に落ち着いた存在だったのだ。
だが、八重子の本性は、どちらかといえば気性が荒く、遠慮のないタイプである。
「とりあえず、そんな格好でうろつかれたら目立ってしょうがない。これを着て」
八重子は亜空間収納に手を差し入れ、現代のジャージを二着取り出した。
イレイザは同じ女性ということもあり、サイズはぴったり。
袖を通すと、少し不思議そうに生地を撫でている。
一方、アルバートは……前のチャックが閉まらず、胸板と腕の筋肉で布地がぱんぱんに張り詰めていた。
少し力を入れれば、縫い目が悲鳴を上げそうなほどだ。
「師匠……胸が、きついです」
イレイザが胸元のチャックを引き上げながら、困ったように言う。
八重子は無言で、その頭を軽く小突いた。
「いった~い!」
イレイザは頭を押さえ、しゃがみ込む。
「賢者様……私も、ちょっときついのですが……」
アルバートが、空気を読みつつ恐る恐る口を開く。
「あ゛?」
八重子の低く、どすの効いた声が響く。
「いえ……なんでもありません」
アルバートは即座に背筋を伸ばし、口をつぐんだ。
鎧や武器は、すべて八重子の亜空間収納にしまい込む。
そして三人は、同化魔法で姿を消し、八重子の部屋近くまで飛んで帰った。
転移魔法は建物内部への直接移動ができないため、外から入るしかない。
部屋に戻ると、八重子はベッドに腰を下ろし、二人は床に正座した。
窓から差し込む月の光が、三人の間に静かな緊張感を落とす。
八重子は腕を組み、二人を見下ろすように視線を向けた。
イレイザは背筋を伸ばしながらも、どこか落ち着かない様子で視線を泳がせ、アルバートは真剣な表情で八重子を見据えている。
――再会の喜びは一瞬。
これから、なぜ二人がこの世界に来たのか、その理由を聞き出さなければならない。
「おはよう」
沙也が、いつも通りの明るい声で声をかけてきた。
「おはよう」
八重子も、何事もなかったかのように挨拶を返す。表情は平静を装っているが、内心は少しだけざわついていた。
「昨日の見た?」
沙也が、何気ない調子で問いかける。
思い当たる節は……思いっきりある。だが、ここは知らないふりをするしかない。
「な、なに?」
「昨日、飲み会だったんだけど、移動途中でさ、街中にいきなりコスプレの人が出てきてさぁ」
沙也は楽しそうに身振りを交えて話す。
「そ、そうなんだ」
八重子は、少し空を見上げながら答えた。視線を合わせると、何かを悟られそうで怖い。
「テレビでも中継してたよ。カメラすごい来てたし、見てないの?」
「ごめん、昨日早めに寝ちゃったから」
軽く笑ってごまかす。
「そうなんだ。でさぁ、そのコスプレの鎧の人がめっちゃ格好よかったんだよね! 一緒にいた女の人もすごい綺麗だったし、しかもそのあと煙みたいに消えちゃったんだよ」
沙也は笑いながら続ける。
「警察もテレビ局もみんなすっごい慌てて、『何が起きたんだ~!』って騒ぎになったよ」
「ほら見て」
沙也がスマホを差し出す。SNSの動画が再生され、そこにはしっかりとアルバートとイレイザの姿が映っていた。
次の瞬間、二人の姿がふっと掻き消える。
コメント欄は「マジック?」「現代の魔法?」「AI動画じゃないのか?」と憶測で炎上中だ。
八重子は、あの場から二人を連れ出した後のことは知らなかったが、どうやら相当な騒ぎになっていたらしい。
――これは、少し警戒しておかないとまずいかも。
突如現れた二人が、大勢の目の前で消えたのだ。SNSはその映像で持ちきり。
動画再生回数はすでに一億回を超え、テレビのワイドショーでも連日取り上げられている。
今後の対応を考えていた八重子は、ふと気づいた。
「え!?」
「ちょっと待って、昨日飲み会ってどういうこと?」
沙也を詰めるように問いかける。
「えー、そこなの? 突っ込むところ」
沙也は笑いながら肩をすくめる。
「また今度呼ぶからいいでしょ。毎回八重子と一緒の合コンもね……」
視線をそらしながら言う。
八重子はぐっと拳を握りしめ、「今度絶対だから!」と、どすの効いた声で脅す。
「そういうとこがモテない原因だよ。治さないと連れて行かないから」
沙也の方が一枚上手だ。
「……ごめんなさい。連れてってください」
八重子はしぶしぶ頭を下げた。
「おはよう」
部長の矢野がやってきた。
「おはようございます、部長」
二人で声を揃える。
「今日も二人とも元気だね。毎朝飲み会の話かい?」
矢野が軽く笑いながら尋ねる。
「うっ……」
八重子は返事に詰まる。
「そうなんですよ~、獅子堂さんが飲みに行きたがるんで~」
沙也がさらりと答える。
「今度私も連れて行ってもらうかな」
矢野の突然の発言に、
「え!?」
二人は同時に声を上げた。
「水野さんも獅子堂さんも美人だから、イケメンの男性の知り合い多いんだろう?」
矢野の言葉は、ボディブローのように効く。
「部……部長とだと緊張しちゃうんで、ま、また今度お誘いしますね」
沙也がどもりながら答える。
「私は、知り合いの男性がいないので、寂しい女なので……」
八重子は何を言っているのやら。
「冗談だよ、ははっはは」
矢野は大きく笑った。
朝からすでに疲労感が押し寄せ、八重子は肩を落として自分の席に着いた。
「なんであんた達が、こっちの世界に来ているのよ?」
八重子は、部屋に戻るなりアルバートとイレイザに問い詰めた。
「賢者様が本当に帰られるなんて思っておりませんでしたので、国王様にも聖王様にも伝えていなかったんですよ。そしたら賢者様、本当に帰られてしまって……めちゃくちゃ怒られて、連れて帰れと言われました」
アルバートは、騎士団らしからぬ口調で答える。
「賢者様は我が王国の精神的な柱ですよ。王様も聖王様も、賢者様が消えたことで本当に老け込まれたんですから」
六年という歳月が、彼の本音を隠せなくしていた。
だいたい察しはつく。
アルバートだけでは魔法が分からないから、イレイザを同行させたのだろう。
だが、どうしてこんなに早く魔法陣を理解してこちらに来られたのか?
二人の顔をよく見ると、その理由が分かった。
アルバートは二十八歳、イレイザは十八歳だったはずだが、以前よりも大人びた顔つきになっている。
「資料探して解読に、どれぐらいかかったの?」
「約六年ほど掛かりました」
イレイザが答える。
「どうせ、時間軸の計算を机の上にあった書類の数字使ったんでしょ?」
「え? なんで分かるんですか……?」
イレイザらしい。自分で計算せず、感覚でそこらの数字を使ったのだ。
「あれは、私が計算していた途中のものだからね」
八重子は呆れたように言った。
「それで――私を探しに来たのはいいけど、これからどうするつもり?」
八重子は、腕を組んだまま二人を見下ろすように問いかけた。
声は落ち着いているが、その奥には「説明しなさいよ」という圧がこもっている。
「え~っと……師匠が、なんとか……」
イレイザは視線を落とし、小さな声で答える。
その表情は、まるで宿題を忘れた子供のようにばつが悪そうだ。
六年間、王と聖王から「いつ連れ戻すのか」と毎日のように詰められ続け、いざ来られるとなったら――帰ること自体をすっかり忘れていたのだ。
「まったく……帰りたくて五百年もかけて、やっと帰ってきたのに。なんで、すぐ戻らなきゃいけないわけ」
八重子は途中で遮り、ため息混じりに言い放った。
その声音には、正直めんどうくさいという気持ちが隠しきれない。
「あの~……賢者様って、かなり雰囲気が変わったような……」
アルバートが恐る恐る口を開く。
八重子は、じろりと彼を見やり、肩をすくめた。
「これが本当の性格よ。確かに向こうの世界では、こっちで過ごすよりもずっと長い時間いたわ。でもね、やっぱりこっちの世界のほうが性に合ってるの。だから帰りたかった。それで魔法陣が完成したら……あんたたちに報告することも忘れるくらい、いてもたってもいられずに帰ってきちゃったわけ」
八重子は、少し疲れたような笑みを浮かべながら答えた。
「まぁね、あんた達を返すことは、多分できると思うけど……せっかく来たんだから、こっちの世界を楽しんだらいいんじゃない?」
八重子からの、予想外の提案に二人は目を丸くする。
正直な話――魔法陣を完成させた時点で、八重子はすでに両方の世界を自由に行き来できるようになっていた。
元の世界を満喫したら、月に一度か二度は異世界に顔を出そう……そう考えていたのだが、単純に帰り忘れていただけだ。
何といっても、元の世界でも魔法が使えると分かった瞬間から、その計画は頭の中にあった。
ただし、この世界で魔法を使うには、必ず“呪文”が必要になる。
日本語でも英語でも中国語でもない、どの言語体系にも属さない発音を正確に覚えなければならない。
その発音は、舌の位置や息の抜き方まで厳密で、少しでも間違えば魔法は発動しない。
習得は相当至難の業だ。
魔法とは、呪文を通して“世界の力”を借りて行使するものだ。
では、その世界の力とは何なのか――賢者と呼ばれた八重子ですら、正確には分からない。
神の力なのか、星々が持つ何かなのか……あるいはもっと別の理なのか。
ただ一つ言えるのは、日本人でも習得できないわけではない、ということ。
もっとも、八重子自身はその方法を誰かに教えるつもりは毛頭ない。
八重子は二人を見据え、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「だから、あんた達もせっかく来たんだし、しばらくはこっちで遊んでいきなさい。帰るのは……そのあとでもいいでしょ」
その言葉に、イレイザはぽかんと口を開け、アルバートは複雑な表情を浮かべた。
二人にとっては、師匠の提案は予想外すぎたが――八重子にとっては、これが一番気楽な選択肢だった。
最後まで読んで頂き誠にありがとうございます。
今後も続きを書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します。
もしよろしければ、感想などを頂けると幸いです。