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龍蛇ノ双紙  作者: 海山 紺
第二段
8/30

第8話 猪と菊

 次から次へと敵兵が姿を現わし、桜夜たちの行く手を阻む。数だけで見れば多勢に無勢だが、武士たち個々の実力はそれほど高くない。少なくとも、桜夜の卓越した身体能力と神技があれば、十数人を一度に薙ぎ倒すことなど造作もなかった。


「〈泡沫うたかた〉」


 気絶した武士たちを強固な水泡で包んで拘束した後、さらに奥へと駆けていく。今や桜夜が先陣を切って親兵たちを率いていく構図になっていた。


「さっきの男、千萩と言っていたな」


 自分たちの襲撃を報告しようと、武士の一人が口にしていたある者の名。その名は桜夜もよく知っていた。


 ――千萩さん『たち』ということは、幹部は他にもいる。


 こちらとは違い、幕府軍の残党組織である沈丁花は神器所有者こそ少ないが神の権能に引けをとらないほどの戦闘力を持つ強者たちがいる。

 油断は禁物だと気を引き締めていると、ついに地下の最奥部に辿り着いた。


「へえ、こりゃあ驚いた。まさか本当にアンタが生きていたとはな」

「これは嵐慶さんも黙ってないっしょ」


 低く、悠々とした声音に続いて、清爽な響きが桜夜の注意を引きつける。

 二本の篝火に照らされた声の主たちもまた、仁王立ちでこちらを見据えていた。


「千萩」

「久しぶりだな。といっても、まだ四か月しか経ってねえか」


 元御庭番、序列第七位・猪飼いかい千萩せんしゅう

 焦げ茶の髪に、よく日焼けした肌。御庭番専用の黒装束をだらしなく着崩し、はだけた胸元からは隆々とした筋肉が覗いている。また、巌のような恰幅の良い背には灰黒の雄々しい巨斧が収まっていた。


 一方で、千萩の隣に佇んでいる気だるげそうな金髪の青年とは面識がなかった。千萩とは異なり、彼は小袖に袴、それから帯刀と武士そのものの出で立ちをしている。だが、右耳の華美な耳飾りと珍しい五芒星型の鍔を嵌めた愛刀という、どこか武士からぬ特徴も備えていた。


 傾奇者かぶきものに胡乱な眼差しを向ける桜夜に、青年剣士は「ああ、そっか」とのんびりとした口調で名乗りだす。


「おれとは初めましてだったね。さかずき菊星きくせ、沈丁花序列第八位の新参者でーす」

「第八位……」

「第五位の先輩のお噂はかねがね」

()第五位だけどな」

「あ、そうか」

「お前と同じように新しく入ったアイツを忘れんな」

「すんません」


 小突いてくる千萩に、菊星は後頭部に手を添えて舌を出す。

 どうやら御庭番の序列が沈丁花でもそのまま適用されているようだ。央都決戦で何人かの御庭番が亡くなって空席となったところに、新任したということだろう。


 まだ自分と同じ年頃の少年が幹部の座についているということは、嵐慶に一目置かれた手練れであることを意味する。千萩と同じく彼も神器を所有していないようだが、警戒するに越したことはないと、桜夜は〈水牙〉を構え直した。


「さっきの口振りからして、お前たちは私が生きていたことを知っていたようだな」

「まあ、知ったのはつい最近だけどな」

「誰から聞いた」


 答えた千萩に問い詰めようとしたところで、後方から複数の足音が耳を掠める。


「お。やっとボスとのご対面か」


 遅れてきた伊織が桜夜の隣に立ち、同じく沈丁花の包囲網を突破した他の親兵たちも千萩と菊星の周りに控えていた敵兵と睨み合う。


「増長さんたちは?」

「後ろのほうで敵を片っ端から捕まえてってくれてる。思ってたより敵の数多かったからな。親兵らのサポートに回ってるわ。あ、マスから伝言。ボクら近接戦闘員で先にここの元締めしばいとくようにって」


 増長に限ってそんな物騒な物言いはしないだろう。明らかに伊織が誇張している文言だとわかりつつも、桜夜は承知して元同僚に視線を戻す。


「おいおい、親兵局の副長も来るなんて聞いてねえぞ」

「その割には焦ってへんみたいやけど」

「まあな。オレは神器こそ持ってねえが、日頃からそういうヤツらと手合わせしているからよ。今さらビビったりしねえ」

「右に同じく」


 鋭く尖った犬歯を覗かせて野性的な笑みをたたえる千萩。菊星もまた余裕綽々と唇の片端を吊り上げた。


「さっきの質問に答えろ。私のことや親兵局がこちらに来ることを聞いたのは誰からだ」

「素直にだれだれですって白状するほどおれらは馬鹿じゃないよ」

「なら、力づくで聞き出すまで」


 携えていた〈水牙〉を正眼に構え、菊星めがけて勢いよく地を蹴る。それを狼煙として、両陣営の兵士たちも矛を交えた。


「ちょっと、抜け駆けせんといてよ。……はぁ、しゃあない。じゃあボクはあのガタイ良い奴の相手したるか」

「相手してやるのはこっちだっての」


 伊織と千萩もその距離を縮め、けたたましい喚声が入り乱れて地下空間を揺らす。

桜夜は手始めに流麗な河川を描いた。


「〈早瀬〉」


 沈丁花の一般兵ならば不可避であった近接攻撃。だが、菊星は軽やかな体捌きでそれをかわした。


「おお、危な。聞いてた通り、クッソ早いじゃん」


 やっぱりアンタは化け物だよ。


 嘲笑交じりに言いつつ、菊星は抜刀した勢いのまま逆袈裟を一閃。すんでのところで刃を回避し、桜夜は間断おかずに〈水打〉を繰り出した。だが、猛攻虚しく神水はすべて叩き落とされてしまう。……いや、〈水打〉そのものが菊星の刀に触れた瞬間、消えてしまった。


「なっ……⁉」


 神力が打ち消されてしまうという異常事態に、桜夜は五芒星の刀を見据えたまま愕然とするほかない。


「……まさか、その刀」

「びっくりした?」


 菊星はにやりと口の端を吊り上げて、桜夜に見せつけるように灰黒の愛刀を掲げる。


「アンタの予想通り、この〈明星みょうじょう〉は玄星石げんしょうせきでできてる」


 遥か昔、人類がまだ誕生していなかった神代に〈星〉の神がいた。しかし、〈星〉の神もまた桜夜たちの先祖神同様、邪神となって狂乱し、光すら通さない暗黒の流星が世界各地に注がれたという。その流星が地面に衝突して砕け散った破片が玄星石。唯一、神力を無効化できるきわめて特殊な星石ほしいしだ。


 あらゆる神力を吸収し、それを星石自体の硬度へと昇華させる。それが玄星石特有の能力だ。ゆえに、先ほど桜夜が放った〈水打(神力)〉は菊星の刀に取り込まれ、刀の硬度を増幅させるいわば養分となってしまった。


「一か月ほど前に完成したばっかりでね。今回はこれを馴染ませるのにちょうどいい実戦になりそうだ」

「ありえない。玄星石を扱える鍛冶師なんているはずが――」

「いるからこうして特殊な武器ができあがってるわけじゃん。これを作ったのは、アンタもよく知ってる人だよ」


 言われて、すぐに思い当たった。

 ひたすら己の工房に籠っては鋼鉄を打つことに情熱を注ぐ、あの風変わりな女鍛冶師。


「あの人が、玄星石を……」


 なるほど。確かにあの凄腕鍛冶師ならばこの偉業を成し遂げたのにも納得がいく。


「さて、神の天敵をアンタならどう打ち負かす?」


 菊星が正眼に構え、切っ先を桜夜に向ける。桜夜も相手のわずかな動きや視線に注意を払いながら〈水牙〉の柄を握りしめた。


 玄星石は神力を吸い取り、それを糧とする。理論上、神自身の血肉から生まれ、神力以外の物質で構成されている神器そのものを打ち消す力はないが、桜夜の〈水牙〉は例外だ。〈水牙〉の場合、桜夜の体内を絶えず循環している神力によって創成されている。そのため、このままでは〈水牙〉ごと吸収されてしまう。逆に言えば、神力がある限り〈水牙〉を何度も生み出すことは可能だが、そのたびに玄星石によって消滅させられてしまう。まさに鼬ごっこだった。


 ――だが、あの玄星石の刀に触れられる前に奴を昏倒させればいい。


 それが不可能なら、〈水牙〉なしの体術で勝敗を決するのみ。


 ――あの男は私の〈早瀬〉を難なくかわした。となると、次は……。


 〈早瀬〉以上の速度をもって斬りかかる。

 桜夜は地面がめり込む勢いで思いきり地を蹴った。


 肉眼では追えない、まさに神速という文字通りの瞬間移動。瞬きする間に肉薄していた〈水牙〉に、これまで泰然と構えていた菊星もわずかに焦燥を露わにする。

 上段一閃。致命傷にならない程度に抑えるため、刀を持つ右腕を狙う。が、菊星も反射的に剣閃をかわしたことで、浅い一撃となってしまった。


「……これ、まだアンタの本気じゃないっしょ。まだ余裕がありそうな顔してるし」


 裂傷から流れ出る鮮血を無視して、菊星は口元にかすかな笑みをたたえて言った。が、しかし彼のこめかみからは冷や汗が一筋、音もなく伝う。


 菊星の言う通り、まだ己の本領を発揮していない。

 今の攻撃の型は〈懸河〉。〈早瀬〉が相手にとって予測不能の斬りこみ――すなわち、柔軟性に長けた神技なら、〈懸河〉は目の前に敷かれた一本の道を直進するように斬りかかる、捷速性に特化した神技。そのぶん速度が段違いに跳ね上がる。


「あんまりこれは使いたくなかったけど、このままじゃちょっとやばそうだからなぁ」


 そう独り言ちて、菊星は懐をまさぐり始める。取り出したのは茶色い瓢箪だった。


「じゃじゃーん。おれの秘密兵器」


 何をする気かはわからないが、秘密兵器とやらを使わせまいと桜夜は再度〈懸河〉で菊星に接近する。


「急かさないでよ」


 いつの間にか、菊星のもう片方の手には通常の弾丸より二回りほど大きい弾があった。それを地面に叩きつけるや否や、桜夜の視界が煙幕によって奪われる。


「ちっ!」

「目先の物事ばかりにとらわれてちゃ足を掬われるよ」


 白煙のなかから囁くように、菊星の声が耳朶を打つ。

 悔しいことに、彼の言うことは的を射ていた。自身の剣技をかわし、なおかつ玄星石の武器で神器に対抗できる者はそういない。だからこそ、己の意識が〈明星〉を打破することだけに向いていた。


 ――落ち着け。


 視覚が機能しなくとも、相手の気配から正確な位置を特定できる。


 ――後ろか。


 阻む白煙を突っ切り、菊星めがけて〈懸河〉一閃しようとした瞬間――そこにいた人影がこちらへ猛進してきた。


「っ⁉」

「ひひ」


 不吉な笑い声が耳元を掠めたと思いきや、左頬にひりつくような痛みが走った。間断おかずに赤いものが頬をなぞる嫌な感覚が後を追う。

 これまでの速度を遥かに上回るほどの一撃に愕然としつつも、二撃は許すまいと己を戒め、菊星をとらえる。そのころにはもう煙幕が消え、視界が晴れ始めていた。



「へへ、びっくりした? ひっく」


 そこには、顔が赤くなって泥酔した菊星の姿があった。

 秘密兵器の正体は酒。おそらく増強剤ドーピングかなにかだろう。摂取した途端に身体能力が急激に上がっているあたり、ただの酒ではない。あるいは、菊星の体質が他の人間とは異なるのかもしれない。


「おれん家はもともと酒屋でさぁ。これは盃家秘伝の醸造酒なのよ」


 超うまいんだぁ、と空になった瓢箪を掲げて菊星は自慢げに話す。すっかり悦に浸っている様子に桜夜は眉根を寄せた。


「はぁ~、あっつ。脱ご」


 茹で蛸のように火照った顔を手で扇ぎながら菊星は上衣を脱ぎ、ほどよく鍛えられた上半身を露出させる。


「いひひ、あー楽し」


 下卑た笑みを零し、高揚感をさらけ出しながらゆらゆらと体を揺らしたかと思えば刹那、菊星が一瞬にして消えた。


「なっ……⁉」


 実際、彼は消えたわけではなかった。ただ、桜夜を攪乱させるために足運びに緩急をつけて予測不能な動きをしていたので、視界から消えたように見えたのだ。


「菊と桜。さあ、花見で一杯といこうか。ひっく」


 呑気な口調とは裏腹に、鋭利な刃が驚異的な速度で桜夜に迫る。いつの間にか間合いを詰められ、目と鼻の先に凶刃が肉薄していたことに慄くもすんでのところで回避した。


「やるねぇ、そうこなくっちゃ」


 〈水牙〉で受け止めようにも、玄星石にその存在ごと吸収されてしまう。周りで戦っている雑兵の手から落ちた刀で代替したとしても、玄星石の硬度には適わない。


 ――ならば……!


 〈水牙〉を解いて、代わりに〈水蛇〉を創成しようとする。だが、菊星がさせまいと急接近して連撃を繰り出してきた。

 それを辛うじてかわし、彼が技を打ち出した後のわずかな隙をついて掌底や足蹴を仕掛ける。菊星も負けじと人間離れした反射神経を発揮して桜夜の追撃をいなした。

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