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龍蛇ノ双紙  作者: 海山 紺
第三段
20/30

第20話 異変

 何かが弾けるような音が微かにして、桜夜は背後にあった窓を振り返った。


「姉ちゃん、どうしたの?」

「いや、森林で何か音がしたような」


 蓮夜の問いかけに答えたのも束の間、またもや同じ響きが鼓膜を震わせる。間断おかずに地面が隆起するような重厚な天籟が轟き、蓮夜と一緒にいた雑賀兄妹も息を呑んだ。


「何だ⁉」


 増長が真っ先に窓へ駆け寄り、開け放つ。

 その場にいた全員が局内を囲う森林を注視していると、西方奥のほうに分厚い氷壁があった。そのうえ氷柱でできた網が矢のような根なしの薊に打ち砕かれるのが見えた。


「あれは……!」


 見覚えのある神技に目を瞠るや否や、桜夜は雑賀兄妹に言う。


「増長さん、増美さん。蓮夜をお願いします」

「えっ、ちょっ!」


 増長は踵を返してその場を去ろうとした桜夜の腕を掴む。


「待って桜夜さん! まさか、あそこに行くつもりか?」

「はい。あの〈花〉の異能は沈丁花幹部――鹿野紅葉が持つ神器によるものです。序列が変わっていなければ、奴は第三位の地位にいるはず。私よりも格上の強敵が攻めてきたことになります」

「第三位……」


 増長と同じく、増美と蓮夜も高位の幹部による敵襲に表情を強張らせた。


「あの氷壁は額さんの神技でしょう。紅葉と交戦しているのであれば、助太刀に行かなければ。他にも内通者によって仲間が手引きされているかもしれません」

「だとしても、桜夜さんは奴らに狙われる身なんだ。君は蓮夜くんを守れ。俺が現地に向かう」

「っ……わかりました」

「増美は局内に敵襲を伝達。伝え終わったら桜夜さんたちの護衛だ」

「了解」


 増長は首肯して、妹とともに部屋の扉へと急ぐ。


「増長さん」


 桜夜に呼ばれ、彼は振り返った。増美も桜夜に顔を向ける。


「紅葉は伊織と同等、あるいはそれ以上の強さです。神器も打刀で近接型、それに広範囲の神技も多用します。気をつけてください」

「わかった。ありがとう」

「桜夜さん、蓮夜くん、ごめんね。なるべくすぐ戻るから」


 桜夜たちは頷き合って、別行動に移った。

 ぱたんと扉が閉まる音が残響し、桜夜は改めて神々の権能がぶつかり合う戦場を見据えて花顔を顰めた。


「姉ちゃん」


 蓮夜に袖を引っ張られ、桜夜は彼を安心させようと柔和に笑んだ。


「大丈夫。蓮夜は必ず私が守るから」

「ありがとう。でも、佳弥が……。佳弥も巻きこまれたりしていないといいけど……」


 彼女は御不浄に出ていったきり、戻ってこなかった。それを不審に思った伊織が探してくると言ってつい先ほど退室したばかりだ。



『もしかすると、内通者は佳弥ちゃんかもしれん』


 伊織は部屋を出る直前、桜夜に耳打ちした。

 予想外の人物の名が挙がり、桜夜は胡乱げに小さく問うた。


『根拠は?』

『ボクらが新越に行くことをあの時知ってたんは、ボクと清水姉弟以外で額ちゃん、佳弥ちゃん、雑賀兄妹、それからあの後すぐに新越行くってゆっといた局長だけ。そこからボクら三人と新越行くまで一緒におった雑賀兄妹を除けば、額ちゃん、佳弥ちゃん、局長の三人に絞られる。あとはもう消去法やな。額ちゃんは寧子様命やし、局長もあっさりとボクらを見捨てるような人非人じゃない』

『それで残った佳弥さんが内通者になると? だが、彼女だって私たちを裏切る動機なんて……』

『それがあんねよなあ』

『え?』


 それから伊織は佳弥の過去を打ち明けた。

 彼女がかつて皇族の男に目をつけられ、辱められたこと。両親が家の繁栄のために娘を捧げようとしていたこと。それを知った彼女は奈落の底に突き落とされ、絶望し、やがて一か月間行方をくらませたこと。

 温厚で繊美な少女の背景の一部始終を聞き、桜夜は絶句した。


『やから、あの子が沈丁花側につくのも納得できる。確かな証拠はないけど、現にほら。出ていって結構経つのにまだ戻ってきてないやん。額ちゃんにもこのことはゆってるから、多分今ごろ火花散らしてるんとちゃうかな』

『……なるほど。でも、どうやって沈丁花側と連絡を取り合ったんだ? この空間は外界と隔絶されているだろう。そのうえ彼女はほぼ蓮夜に付きっきりだ』

『それはボクもようわからんけど、今回の御不浄みたいに何かしらの理由つけて席外して、外界に通じる『ねじれ』に行ったんとちゃうかな。そこから外界に出て直接仲間とやり取りしたか、連絡用の矢を神技で飛ばしたか。ボクは後者やと踏んでる。そっちのほうが時間短縮できるし』

『神技でそんなことができるのか』

『額ちゃんも遠征行ってる時とかよくやってるで。ボクも詳しくは知らんけど、特定の場所に矢を飛ばせる神技があるみたい』


 佳弥を内通者だと決めつけるには、あまりにも条件が揃い過ぎていた。

 桜夜は面伏せて「……そうか」と小さく息をついた。


『てなわけで、ボクもちょっと様子見に行ってみるわ。あ、このこと蓮夜くんには内緒な。佳弥ちゃんの裏切りに反応して完全変化したら一巻の終わりやし』

『わかっている』


 そして現在。『ねじれ』がある岩壁付近で騒動が起きている。先ほどから甲高い剣戟音も聞こえていることから、伊織もその場に居合わせているのだろう。


 ――あいつに限って、紅葉に遅れをとることはないだろうが。


 だが、いくら伊織が〈無双〉を極めた最強の剣士であっても、紅葉を出し抜くのは至難の業だ。油断はできない。


「佳弥、大丈夫かなあ。やっぱり心配だから僕も――」

「だめ」


 一歩踏み出した弟の手を掴み、桜夜は彼の頭を撫でた。


「大丈夫。佳弥さんはすぐに戻ってくるよ」

「でも……」

「彼女も副長助勤なんだ。万が一巻きこまれたとしても、すぐにやられてしまうほど柔じゃない。自分の師匠を信じな」

「……うん、そうだね」


 己の憂慮を振り払うように、蓮夜は気丈に笑んだ。その稚い笑みに、桜夜は胸を締めつけられる。


 ――もし、蓮夜が佳弥さんの素性を知ってしまえば……。


 最悪な未来が脳裏を過り、桜夜は慄く。


 ――今は蓮夜を守ることだけを考えろ。


 心を蝕もうとする恐怖を追い出したところで、こんこんと扉が叩かれて桜夜「はい」と返事をする。

 扉が開くと局内への通達を終えた増美が入室した。


「ただいま、二人とも。何ともなかった?」

「大丈夫です」


 桜夜の返答に、増美は「よかった」と涼しげな目元を和らげる。


「いま局長が指揮を執って局舎局寮の周辺警備を固めてくれてる。私たちはこのままここで待機」

「わかりました」


 桜夜に続いて、蓮夜も顔を縦に振る。すると、突然勢いよく扉が開かれる音がした。

 反射的に桜夜と増美が臨戦態勢に入る。が、しかし扉を開けた人物は伊織だった。


『伊織!』

「良かった。まだこっちには来てなかった」


 桜夜と増美が同時に呼び、伊織はほっと安堵の息をつく。


「伊織、さっき兄貴がそっちに行ったんだけど」

「ああ、こっちに来る途中で会ったわ。沈丁花の幹部が二人侵入してきたんやけど、額ちゃんが片方を追いかけてったから、部下連れてそっちに加勢するよう頼んどいた。でも、敵さんは玄星石の武器持っててちょい苦戦するかも」

「玄星石の武器……」


 桜夜の鸚鵡返しに伊織は「うん」と神妙に頷く。


「桜夜ちゃんが一番よく知ってると思う。序列第三位の鳳城桐南ってゆってたわ」

「桐南がこちらに⁉ それに、第三位って……」


 自身が御庭番だった頃、桐南は第四位だった。彼女が第三位ということは、おそらく紅葉は柳夜の座を継いだと考えるのが妥当だ。


「紅葉もこちらに来ているんだろう。彼女はどこに」

「それが、ちょっと目ぇ離した隙に逃げられてしまって。あいつの目的は千萩と菊星の奪還と蓮夜くんの捕縛や」

「え、僕の……?」


 蓮夜の血の気が引いていき、幼い面立ちも蒼白になっていく。


「こんなこと言うのもあれだけど、桜夜さんは標的じゃないの?」


 増美が桜夜の心中を代弁し、伊織は「そうみたい」と端的に返した。


「なんで」

「なんでってゆわれてもなあ」


 訳を問う幼馴染に、伊織は苦笑しながら頭を掻く。

 伊織は桜夜を一瞥するも、気まずそうにすぐ視線を逸らした。滅多に見せない彼の言動に、桜夜は詰め寄る。


「何か知っているのか。教えろ」

「いや知らんって。ごめんやけど、ここでだべってる暇はない。ボクは地下牢に行って千萩らの奪還を食い止めてくる。桜夜ちゃんと増美は蓮夜くんの保護を優先して――」

「私も行く」


 伊織の指示を遮って、桜夜は同行の意を示した。


「あかん。桜夜ちゃん、蓮夜くんのこと大事なんとちゃうん?」

「もちろん、蓮夜は私の命よりも大事だ」

「姉ちゃん……!」

「じゃあなんで?」


 問い返す伊織に、桜夜は毅然と答えた。


「お前も死なれては困るからだ」


 予想外の同行理由に、伊織は目を丸くした。その後、すぐに軽く噴き出す。


「ボクが死ぬ? そんなわけないやん。ボクを誰やと思ってんの。この天才剣士、烏賀陽伊織様に及ぶものなんかないって」

「だが、その天才剣士のお前が紅葉に撒かれてしまったじゃないか」


 痛いところを突かれ、伊織は「うっ」と苦悶に顔を歪めた。


「紅葉は他の幹部とは違う。高位であることもそうだが、あいつは広範囲の強力な神技を複数会得している。おまけに剣術もお前とほぼ互角。いくら〈無双〉の使い手であるお前でも、苦戦は避けられない」

「そうゆわれたら余計に燃えてくるわ」

「燃えるな」


 桜夜の忠言に、伊織は鼻白む。


「それに、紅葉の実力だともう千萩たちが解放されてしまっているかもしれない。それだと多勢に無勢だ。いくらお前が千萩たちより強くても、紅葉を相手にしながら奴らを退けることはできない」

「桜夜ちゃんにしてはえらいむきになってるやん。なんでそこまでボクのこと、気にかけてくれんの?」

「他でもないお前が、私を副長助勤にしたんだろう」


 伊織は再び紫瞳を瞬かせた。

 眼前の少女は先ほどから思ってもみなかった言葉と感情をぶつけてくる。


「助勤は副長の補佐役。肝心な時に副長を補佐できないで、何が助勤だ。そんなのないほうがマシだ」

「は……はははっ! 確かにおっしゃる通りやわ」


 哄笑する伊織だが、桜夜は表情一つ変えずに続けた。


「何もそれだけではない。他人が脅威に立ち向かうのを傍観し、自分自身は安全なところでいつ来るかわからない敵を身構えて待つよりも、直接自分の手で迎え撃ったほうが早いし安心できる」


 これが、私の蓮夜の守り方だ。


 己が意思を貫く部下に、伊織は「なるほどな」と噴き出た笑みを抑えた。


「桜夜ちゃんの気持ちはよくわかった。まあ、何ゆってもついてきそうな感じするし、ええわ。一緒に行こう。じゃあ、増美。あとは頼んだで」

「了解。気をつけて」


 歩き出す伊織の背を追う桜夜に、蓮夜は「姉ちゃん!」と憂慮を隠せない声音で呼ぶ。


「ごめんね、蓮夜。傍にいてあげられなくて。でも、必ず戻ってくるから」

「絶対だよ!」


 桜夜は力強く頷き、颯爽とその場を後にした。

 蓮夜は視線を伏せて、薄弱とした音を落とす。


「結局ぼくは、姉ちゃんやみんなに守られてばかりだ」


 もっと、強くなりたい。


 掌を握りしめる少年に、増美は両膝を折って彼の手を包みこむ。


「その意気だよ。大丈夫、蓮夜くんは必ず強くなれる」

「うん……!」


 潤んだ双眸を擦り、蓮夜は桜夜から教わった錬成神技の修練を始めようと両手を天井に向ける。その瞬間――背後の窓硝子が砕け散る音が鼓膜を揺さぶった。


「危ない!」


 咄嗟に増美が蓮夜を庇い、押し倒す。

 小さな硝子の雨が降り止み、増美は〈赤羽〉の銃口を窓のほうへと差し向ける。が、思わず息を呑んで〈赤羽〉を持つ手が微かに震えた。


「なんで君がここに……!」


 窓のすぐ傍には、銀色の和弓と翠緑の打刀を携えた清麗な少女が天女のような微笑みをたたえていた。

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