第19話 鹿と鳳
同僚の助太刀を受け、額はひとまず後退して体勢を整える。
般若面の剣士も突然の闖入者にかすかに息をのみ、伊織から距離をとった。
「どうしてあなたがここに」
「佳弥ちゃんの帰り遅いし、執務室行っても案の定額ちゃんもおらんかったから、こりゃ師弟喧嘩始まってるなと思って様子見に来てん。大丈夫? 額ちゃん」
「ええ。この借りは必ず返します」
「借りってそんな水臭いことゆわんといて。困った時はお互い様。ボクら仲間やろ」
「……そうですが、やはりお前に助けられた自分に腹が立つので必ず借りは返します」
「頑固やなあ」
鬼気森然とした戦場であっても、伊織はいつも通り悠々と笑う。
「桜夜さんは?」
「蓮夜くんと一緒におる。ボクの代わりに雑賀兄妹が見てくれてるから安心して」
伊織はこちらを睥睨する佳弥を見据えて言った。
「やっぱり、佳弥ちゃんが黒やったか」
「……すみません。彼女の手引きを許してしまいました」
「いーや。むしろ好都合やわ。沈丁花の幹部様直々にこっちへ来てくれたんやから、ここで一気に戦力を削げる」
「漆黒二刀の神器に、烏のような紫黒の男。貴様が親兵局副長の烏賀陽伊織か」
般若の口から凛乎たる音が響いた。
面以外でわかるのは、桜夜のように高く結い上げられた赤紫の髪をもち、着物に袴と武士の一般的な出で立ちをしていること。それから男女の区別がつかない蠱惑的な低声。何より薄紅の神力を帯びた刀型神器。柄は濃緑、刀身は緋色とまるで植物を模しているような意匠だった。
「ご名答。佳弥ちゃんから聞いてたんかな。そちらさんは?」
「沈丁花幹部、序列第二位――鹿野紅葉」
「同じく序列第三位の鳳城桐南さ!」
丸眼鏡をつけた闊達そうな女性も手をあげながら名乗り出る。小柄な見た目にそぐわず重量の鉄槌を肩に担いでいるあたり、相当な膂力の持ち主だ。
「二位と三位……。あれ、第一位は?」
「一位はずいぶん昔から空席なんだ。上様お気に入りの御庭番がいなくなっちゃってね。だから実質上、僕たちが幹部の最高戦力さ」
「ふーん、なるほど。あの生意気なチンピラどもよりも強いってことか」
風貌だけで言えば千萩と菊星のほうに力があるように見える。しかし、序列は彼女たちのほうが遥かに上だ。
「人は見た目に寄らんなあ。密偵してるってことは佳弥ちゃんも幹部やろ? ちなみにこの前とっ捕まえた二人組より偉かったりする?」
「わたしは序列第五位です」
「おお、やっぱり偉いやん。ってことは、佳弥ちゃんが桜夜ちゃんの後任やってんな」
伊織の相槌に「そうだよー」とのんびりとした口調で桐南が参入する。
「紅葉は柳夜――桜夜のお父さんの後任で、もともとは第三位だったのさ。で、四位だった僕が三位になったってわけ」
奇特な幹部たちの会話の内容から、伊織は目を眇めて彼女たちを注視する。
――桜夜ちゃんが御庭番だった時からおった古株か。しかも、序列もあの桜夜ちゃんより上。
蛇女ありきで第五位としていたのか、それとも人としての力だけで五席の地位を与えていたのか。どちらにせよ、紅葉たちを倒すことは一筋縄ではいかないことは一目瞭然だ。
「与太話もここまでだ。上様からの命を忘れたわけじゃあるまい」
「もちろん。佳弥、案内よろしく!」
「お任せを」
すると、佳弥は林道から逸れて生い茂る木々のなかへと飛びこんだ。桐南も彼女の背を追う。
「〈銀旋風〉」
「〈二射・垂氷〉」
額と伊織は同時に神技を放った。
白銀の暴風と二本の鋭利な氷矢が追尾する。が、桐南がふと振り返っては軽々と槌を振り下ろした。
「よいしょお!」
威勢のいい掛け声とともに、灰黒の鉄槌が神技を打ち砕く。
「ごちそうさま♪」
桐南は茶目っ気に片目を閉じて踵を返しては姿を消した。
額は舌打ちして彼女たちに向かって疾駆する。
「額ちゃん!」
伊織もまた額を追おうとするが、行く手を阻むように足元から突如、刀の如き鋭利な立葵が狂い咲いた。
美しい花々の奇襲をかわし、伊織は一歩下がる。
「お前には聞きたいことがあるゆえ、追わせるわけにはいかない」
「まあ、そうなるよな」
立ちはだかる紅葉に伊織は苦笑する。
――早くこいつ伸して加勢に行ったらんと……。
副長の称号を有しているだけあって、額の戦闘能力は隊長以上だ。しかし、彼女はそれ以前に射手でもある。近接戦闘は不得手で、なおかつ玄星石製の武器を持つ相手は余計に苦戦を強いられる。
――おまけに愛弟子もおるからな。なおさらやりにくいやろ。
額とて劣勢になることくらいわかっているはずだ。それでもなお追尾したのは、師として弟子の過ちを正し、副長として敵の暴挙を食い止めんとする矜持だ。
「今すぐそこどいてくれるんやったら、半殺し程度に済ませてあげるわ」
「それはこちらの台詞だ。我々はお前たちに用はない。無益な殺生をさせるな」
「じゃあ誰に用があんの」
「貴様らが捕縛した我々の仲間二人と清水蓮夜。三人は今どこにいる」
「桜夜ちゃんに用はないん?」
「弟を連れ帰ればあの者は必ず我々のもとにやってくる。その時、上様直々に断罪を下すとのことだ」
紅葉の抑揚のない返答に、伊織は目を剥いた。
「……なるほど。蛇女っていう切り札を持ってても裏切り者はもう用済みってことか。で、姉より遥かに強い完全変化できる弟を利用するって?」
「そうだ。ゆえに大人しく三人を明け渡せ。そうすれば今回は仲間の命も含めて見逃してやろう」
「アホ抜かせ。負けた分際で上から目線で指図すんな」
「私は貴様に負けてなどおらぬ」
両者の睥睨を狼煙として、漆黒の翼と緋色の角が衝突した。
絶え間ない斬撃音が静穏な草木を揺らす。純粋な剣戟だけでも拮抗しており、伊織と紅葉は互いの剣技を素直に賞賛した。
――この般若面、本気のボクと張り合うとかやるやん。
――なるほど。親兵局の二番手なだけのことはある。だが……。
「ひとまずこの勝負はお預けだ」
紅葉が黒刀を押し返したのも束の間、神技を発動させた。
「〈刃衣〉」
紅葉は神器〈緋角〉を地面に突き刺す。すると、伊織を囲うように数多の鋸草が群生した。
「立葵に鋸草……。やっぱり、あの打刀は〈木〉の眷属――〈花〉の神器か」
鋸草はその名の如く葉が鋸のように鋭い花だが、紅葉が創出した〈刃衣〉の鋸草は伊織の背を優に超えるほど大きく、また葉も刀の穂先のようだった。さながら剣山の如く、神花は伊織を包囲する。
「お前が口を割らないのであれば、こちらで探すまで」
「おいこら待てぇ!」
過ぎ去っていく足音をかき消すように、伊織は〈黒翼〉を縦横無尽に振るう。しかし、〈刃衣〉はびくともしない。
「なんつう硬度や。ああもう、めんどいな!」
伊織は苛立ち混じりに漆黒の両翼をもって乱舞する。
「〈無双・竜巻〉」
天に向かって渦巻く旋風が、〈刃衣〉をすべて刈り取り散開した。折れた剣山もじゃきじゃきと音を立てては地に落ち、跡形もなく消滅する。
視界が明瞭になり、伊織は紅葉を探すもやはり姿が見当たらない。
「次会ったら絶対殺したる」
沸々と憤怒を滾らせて、伊織は局寮のほうへと駆けた。
「仲間の救出が先か、蓮夜くんの捕捉が先か」
紅葉の行き先がわからない今、最優先すべきはやはり姉弟の保護。
「みんなも気づいているやろうけど、ちゃんと伝えな」
――額ちゃん、無理したらあかんで。
一人で強敵に立ち向かっていった同僚が気がかりだったが、紅葉を放っておくわけにもいかない。
今は額を信じ、自分の為すべきことを全うする。伊織は烈風の如く疾走した。