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龍蛇ノ双紙  作者: 海山 紺
第三段
15/30

第15話 隠れ咲く不滅の花

「上様」


 奇特な主従が修練に打ちこんでいた頃。武京のとある山地にひっそりと建てられた古寺で、荒れ果てた場にそぐわぬ凛とした呼声が冴えわたった。呼ばれた男はおもむろに視線を持ち上げる。


 右手には鮮明な赤が照り映える盃。左手には部下が献上した上等な酒。白く濁った液体を注いでは一気に飲み干し、男は粗雑に口元を拭った。

 木賊色の髪は後ろに撫でつけられ、彫の深い顔立ちを構成する三白眼からは抜き身の刃の如き鋭利な眼光と覇気が放たれている。


「何だ。紅葉もみじ


 浪人が纏うような着流しと羽織で身を包んでいる元将軍、花川嵐慶は重厚な低声を発した。歳は五十路を少し過ぎたくらいだが、その声音は明瞭で若々しく、細身でありながら鍛え抜かれた体躯も相まって周囲は必然的に畏敬の念を露わにする。しかし、嵐慶と相対している紅葉なる者だけは般若の面をつけているため表情が読めなかった。おまけに中性的かつ淡然とした低声ときたものだから、かの者の心境すら誰一人として掴めない。


「先ほど密偵から連絡がありました。千萩と菊星が親兵局に捕縛され、どうやらいまは地下牢に収監されているようです」

「……捕縛、だと?」


 わずかな苛立ちを孕んだ地を這うような声音が周囲の空気を張りつめる。まるで見えない縄で縛られているかのように身動きがとれず、沈丁花の雑兵たちはごくりと唾を呑んだ。が、紅葉を含めた数人の幹部陣は依然として沈毅な立ち居振る舞いを崩さない。


「何も悲報だけではありませぬ。ようやく〈緑爪りょくせん〉の所在が判明したとも届けられた文には記されておりました」

「ほう」


 思わぬ朗報に、嵐慶は目を瞬いてかすかに笑む。

 厳粛とした空気がほんのわずかに和らいだ。止めていた息をやっと吐きだせるかのような安堵感に、雑兵たちも強張っていた表情を緩ませる。


「どこにある?」

「皇宮の東青殿とうせいでんと呼ばれる宝物殿です。親兵や皇族の証言が一致していたことを踏まえて偵察に向かった際、確かに〈緑爪〉が収められていたそうで」

「そうか」


 最後の一杯を飲み下して、嵐慶は手にしていた酒瓶をまじまじと見つめながら言う。


「ふん、なかなかにうまい酒だった。褒美としてあいつらを牢から出してやるか。紅葉、あいつらを迎えに行ってやれ」

「御意」

「ああ、あと、桜夜の弟――蓮夜って言ったか。そいつも連れてこい。うまくいけば切り札になるかもしれねえからな」


 桜夜の生存、そして完全変化ができる弟の存在は親兵局に潜りこんでいる幹部から聞き及んでいた。柳夜の暴乱に紛れて逃げ果せ、あまつさえ親子が貴重な龍男を隠し通していたことを耳にした時には憤激こそしたものの、桜夜と寧子の憶測に反して今さら捕縛して再び支配下におこうとは思わなかった。


「弟だけで良いのですか」

「弟を餌にすればあいつは四肢が引きちぎれてでもこっちに来る。あいつに花川寺で待っていると伝えておけ。このオレが直々に断罪してやる」


 残忍かつ歪んだ笑みが雑兵たちを秘かに震え上がらせる。

 紅葉は相変わらず起伏のない声音で「承知しました」と端的に返した。


桐南きりな

「何だい、上様」


 嵐慶を取り巻く幹部たちのなかから、小柄な女性がひょっこりと顔をのぞかせた。

 肩まで伸ばされた少し癖のある朱華はねずの髪に、猫のように少し吊り上がったつぶらな瞳。その明眸は細いチェーンがついた丸眼鏡で覆われていた。また他の幹部たちが身にまとっている着物や袴、御庭番時代の黒装束とは異なり、作務衣を着用している。国家転覆を目論む賊徒というより、職人の形容がしっくりくる人物だ。


「お前も紅葉と一緒に行って、〈緑爪〉を取り返してこい」

「えっ、僕がかい⁉」


 自身を指さして素っ頓狂な声をあげたのは鳳城桐南。沈丁花幹部の一人にして、序列第三位の称号をもつ鍛冶師である。玄星石の武器化という偉業を成し遂げたのは、幹部のなかで最も矮躯で幼子と勘違いされやすい彼女だった。


「不満か?」


 ぎろりと睥睨を寄越す嵐慶に「いやいやいや! そうじゃなくて」と桐南は仰々しく両手を左右に振る。


「僕は今まで遠征に出たことがなかったから、急に指名されて驚いちゃっただけだよ。でも、上様の新しい武器がまだ完成していなくて、僕が留守にするぶん完成が遅れちゃうけどいいの?」

「〈緑爪〉がある。それはもう必要ない」

「ええ⁉ それはちょっとあんまりじゃないかい⁉ せっかく渾身の一振りができそうなのに。ていうか、上様のほうからもっと出来の良い刀を頼むって言ってきたんじゃないか! たとえ上様といえど刀を粗雑に扱うのは許さないよ!」


 桐南は主君を遠慮なく指さして反駁した。

 言動こそ幼稚なものの、決して低位ではない立場にある桐南は嵐慶に対して忌憚きたんない意見を貫き通す。相手が嵐慶に限らずとも、彼女は愛してやまない武器に関することであれば善悪を問わずどんな些細なことでも見逃さない。

 嵐慶は面倒くさそうに溜息をつき、「わかったわかった」と喚く部下をたしなめる。


「お前が作った刀はちゃんと貰い受ける。その代わり、鈍らだったら容赦しないからな。お前の目の前で刀を折ってやる」

「そんなことにはならないから安心してよ。何せ僕は国一番――いや、世界一の鍛冶師なんだから!」


 桐南は胸を叩いて豪語するなり、紅葉の隣に移動して嵐慶と向き合う。


「じゃあ、僕の窯の見張りは頼んだよ。工房内は高温ですごく暑いからね。交代で窯の管理をよろしく!」

「わかったから早く行ってこい」

「はーい! 行こ、紅葉」


 追い払うように嵐慶が右手を振るも、天真爛漫な鍛冶師は雑なあしらいをまったく意に介さず隣の同僚に声をかけた。紅葉は静かに首肯して嵐慶に一礼し、ずかずかと先を行く桐南の背を追う。


「よろしかったのですか。あの子を行かせて」


 嵐慶の隣に佇む艶美な女性が紅唇を開いた。

 本紫の緩やかな長髪に整った鼻梁。杜若の意匠が光る艶麗な着物。異性を虜にする妍姿艶質の美貌をもつ女性は杜若かきつばたつばめ。かの名は序列第四位であることを指し示し、同時に嵐慶の妻でもあった。


「奔放で傍若無人なやつだが〈五光〉に数えられるだけあって腕は立つ。それに神器所有者が多い輪皇の庭を狩るとなると、その天敵を自由自在に操れるあいつが適任だ」

「なるほど。だから桐南を」

「これでやっと、オレも神の力を存分に振るうことができる」


 嵐慶は屈強な拳を握りしめ、欣快を滲ませて言った。

 〈緑爪〉はかつて初代将軍――花川吉久が所有していた神器であり、〈木〉を司る神、青龍によって生み出された。しかし、二百年ほど前に吉久が幕府を開いて政権が輪皇から将軍家に譲渡されると、その引き換えとして〈緑爪〉は皇宮に献納された。輪皇の権威を失墜させず、あくまで皇家の守護および治政代行という立場であることを自重させるためだ。それゆえ花川家の先祖に代々受け継がれてきた伝家の宝刀は輪皇の管理下におかれ、二百年もの間、花川家は皇家を凋落させる脅威とならずに国の繁栄を築いてきた。


 だが、散花と同時に嵐慶は過ぎ去った栄耀栄華を取り戻すための切り札として、先祖が遺した神器と完全変化の能力をもつ龍男を奪取しようと画策していた。


「ですが、殿が花川の血を継いでいるとはいえ、神器が主を選ぶ以上、〈緑爪〉の力を振るえるとは限りませんよ」

「はっ、お前以外の人間が同じことを言っていたら今ごろ血の雨が降っていたな」


 堂々と不敬を働く燕だったが、愛妻の忌憚ない進言を嵐慶は鼻で笑うだけに留まった。

 嵐慶は立ち上がり、薄っすらと外の光が漏れている観音開きの扉へと歩を進める。


「どちらへ?」

「一風呂行ってくる」


 沈丁花の本拠地であるこの古寺の近くには天然の温泉がある。温泉愛好家でもある元将軍は一日に三回、適当な時間を見つけては湯に浸かっていた。


 嵐慶は桐南の住処である工房の火番を幹部たちに任せて古寺を去る。

 青々と茂る木叢こむら。その深緑の天蓋からは春の木漏れ日が差しこみ、嵐慶がゆく林道を照らしている。

 吹き撫でるそよ風に着物をはためかせながら、嵐慶は葉擦れの囁きに紛れて呟いた。


「恩を仇で返すことしかできない生成は要らない」


 呪われた一族はこのオレが直々に終焉へと導いてやろう。

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