第12話 裏切り者の影
局舎の地下は牢獄となっており、皇家に仇なそうと武器を掲げた不当な輩が収監されている。輪国の至尊に刃を向けた者たちなので、狡猾かつ凶悪な犯罪者ばかりだ。それゆえ、地下牢には歴代の〈黄心〉所有者が張り巡らせている特殊な結界が施され、脱走不可避の仕様となっている。
「マス」
仄暗い石畳の回廊を突き進むと、腕を組んだまま佇む増長がいた。
「伊織。桜夜さん」
呼びかけに気づくや否や、増長はこちらを振り返る。増美は局舎に着いてすぐ負傷者の救護にまわったので今はここにいない。
「どう? 何か吐いた?」
「いや。こいつらときたら一向に口を割る気配がねえ」
溜息とともに増長は収監された千萩と菊星を見やる。
埃っぽく、澱んだ空気が充満した檻のなかで、二人は壁に背を預けたままあぐらをかいていた。玄星石の武器は押収され、代わりに頑丈な手錠が両者の手首につけられている。
「よお」
桜夜を視界に収めると、千萩は獰猛な双眸をぎらつかせて重厚な声を発する。菊星も歪に口の端を吊り上げて桜夜を凝視した。
「さすが、嵐慶さんの五指に選ばれただけのことはあるね。悔しいけど完全敗北だよ」
「お前たちに情報を流したのは誰だ」
桜夜が問い詰めると、菊星は「さあ、誰でしょうねえ」と白を切る。
「このままゆうつもりないんだったら、しゃあない。死なん程度にお仕置きするしかなさそうやな」
伊織が鯉口を切ろうとしたところを、増長は「やめろ」と呆れ顔で窘める。
「拷問されようが極刑にされようが、オレたちはお前らが望んでいる答えを出すつもりはねえよ。俺たちに痛みや死なんていう恐怖の概念はねえからな」
千萩の言葉に虚勢は感じられない。
それは増長も同感だったようで、彼は顎に手を添えて言った。
「こっちで内通者を炙り出したほうが早そうだな」
「そうやな。幸い候補は限られてくるし」
「局長と兎月副長にも伝えてくる」
「頼んだ」
増長は頷き、颯爽とその場を後にした。
一方、二人の囚人は去っていく増長の背を見つめながら不気味に笑んでいた。
「何がおかしい」
「いや別に。大変そうだなあって」
菊星の煽り文句に、桜夜の睥睨がより剣呑なものになる。
沸々と湧き上がる憤怒を宥めるように、伊織は桜夜の肩を軽く叩いた。
「相手にするだけ時間の無駄や。早く蓮夜くんとこ行ってあげ」
「だが……」
「何かあったらまた呼ぶし、近いうちにまたいっぱい働いてもらうことになるから」
それまで姉弟水入らずの時間もほしいやろ、と伊織は桜夜の背を押す。たたらを踏んで振り返ると、伊織はにこやかに手を振っていた。
「……わかった。お前の厚意に甘えることにする」
「うん。行ってら~」
遠慮がちに一歩踏み出してから、桜夜は速足で地下牢の回廊を進み、局舎の一階に繋がる階段を昇っていった。
「ずいぶん仲良くなったんだな、アイツと」
千萩が口火を切ると「あ、やっぱそう見える?」と伊織はちゃらけた笑みを浮かべた。
「ボクらは出会った時から相思相愛やから。とまあ、冗談はさておき」
伊織は膝を折り、頬杖をついた。
「ほんまはもう内通者の目星ついてんねよなあ。ボクらが新越に行くこと知ってて、すぐにその情報をキミらに伝えられるんはあの子ぐらいや」
「あんたのいう『あの子』が内通者だって証拠はあるの?」
菊星が問うたところで、伊織は「いや」と即座にかぶりを振る。
「その子を疑ってるんはあくまで消去法に過ぎん。他の内通候補者が佐幕派につく理由が見当たらへんからな」
「じゃあ逆にそいつは佐幕派につく理由があるってのか?」
こちらを試すように不適に笑む千萩。
伊織は顎に手を添えて、神妙な眼差しと声色で呟いた。
「直接的な理由っていうより、輪皇派につきたくないからキミらと手を組んだってゆうべきかな。皇族はなんも人がいいお方だけとちゃうし」
現輪皇である寧子はその地位に相応しい人徳を兼ね備えているが、彼女の兄弟は正直褒められた性格ではない。その性悪さは本当に血が繋がっているのかと目を疑いたくなるほどで、彼らの醜聞は二大側近家や三眷族の間では有名だった。
――なんで女である寧子様が輪皇になったんかって、いまだ口うるさく喚いてるくらいやからな。
傲慢で差別意識が強く、この世はすべて自分たちの思い通りになると大層な勘違いをしている哀れで愚鈍な皇子たち。伊織にとって、彼らの印象はその程度だった。
「何はともあれ、もたもたしてるとお前ら全員痛い目を見ることになるぜ」
「特に、桜夜先輩の弟がね」
菊星の言葉に伊織は片眉をぴくりと持ち上げる。
「……蓮夜くんのことももう知ってるんか」
「オレたちの仲間は優秀なんでね」
「キミらがすでに知ってるってことは当然、嵐慶の耳にも入ってるか」
事は思っているよりも深刻で、これから厄介になるかもしれない。
――ボクの推測が当たってたら、今のままやと蓮夜くんがな……。
伊織は目を眇めてから、膝を伸ばして千萩たちを見下ろす。
「せいぜいそこで嘲笑ってればええわ。いずれ無様なツラを拝ませてくれるやろうし」
「お前だって、挑発的な口を叩けるのも今のうちだぜ」
「どっちが笑ってどっちが泣くか、楽しみだなあ」
火花を散らしてから、伊織は踵を返し桜夜の後を追った。
*****
「まずは神力を操作できるように、神器を作る練習からしよう。手のひらを上に向けて」
「こう?」
「そう。そのまま手のひらの上に神力を集中させるの。体内に流れている神力を一点に集める想像をして」
蓮夜の部屋に戻った桜夜は、さっそく彼の修行に精を出していた。
休まなくて大丈夫なのかと蓮夜から気遣われたが、任務直後でもそれほど疲労感は感じていない。むしろ御庭番時代のほうがよほど堪えた。それに蓮夜が一刻も早い修行を熱望しているのなら、姉としてそれに応えないわけにはいかない。
「むううう」
蓮夜が必死に神力を集めようとするが、掌上では何の変化も見られない。
「体に力が入ると神力は操作できない。いったん目を閉じて、深呼吸しな」
言われた通り、蓮夜は視界を遮断して大きく息を吸い、ゆっくり吐く。それを何回か繰り返しているなか、姉の玲瓏な声音が明瞭に響いた。
「そのまま神力の流れを掴んで。血の流れを感じるのと同じように」
「血の流れ……」
静かに胸を打つ鼓動。全身を駆け巡る血流。確かな脈拍を感じていると、静穏で柔らかな力の流れを確認できた。
「あ、これが神力かな」
「わかった? 力の流れが掴めたら、それを手のひらの上に集約して。さっき言ったみたいに、神力を一点に集める感じで」
蓮夜は目を開けて、再び神力操作に挑戦する。
すると、掌上で淡い水色の小さな水玉が具現化した。
「できた!」
だが、気を抜いた瞬間にすぐに水玉は消滅してしまう。
「消えちゃった……」
「大丈夫。今の感覚を忘れないで。でも、少し教えただけでもう神力を具現化できるようになったんだから自信持って。蓮夜は呑みこみが早い」
「そうかな? ありがとう姉ちゃん」
はにかむ弟の姿に、桜夜は目を細める。
この調子でいけば錬成神技はすぐに会得するだろう。いずれは放出神技も難なく発動できるようになり、己の力をうまく制御できるはずだ。
万が一蓮夜が龍男になってしまった場合、自分で力を抑えられるようになればそれに越したことはない。とはいえ、まずは自分が蛇女を制御できるようにならなければ。
――私も修行しないと。
「ようし、もう一回!」
蓮夜が意気込んで具現化練習に勤しむのを見守っていると、扉を叩く音がした。
蓮夜の代わりに扉を開けると佳弥がいた。神器が入った弓袋を肩にかけて、両手で小箱を抱えている。
「佳弥さん」
「すみません。ただいま戻りました」
蓮夜との茶会の片づけついでに、修行用の小道具を自室から持ってくると言って、佳弥はいったんこの場から退室していた。
「蓮夜くん、頑張っていますね」
「ああ。このままいけばすぐに神器を作れるようになるだろう」
「流石は桜夜様の弟さんです」
修行に励む蓮夜の姿に柔和な笑みを浮かべてから、佳弥は一抹の懸念を滲ませて言う。
「でも、本当にわたしも蓮夜くんの修行のお手伝いをしてもいいのでしょうか。蓮夜くんからお願いされたとはいえ、やはり体術なども桜夜様から教わったほうが身になるのでは……」
「いや、佳弥さんさえ良ければあの子の力になってあげてほしい。蓮夜もあなたに懐いているようだし。それに、私はずっと蓮夜のそばにいるわけにはいかないから」
今はほんのわずかな余暇を過ごしているだけだ。いずれ沈丁花の打倒に向けて戦場に赴かなければならない。
「承知しました。桜夜様がそうおっしゃるのであれば」
誰もが見惚れてしまうような微笑みに、桜夜もまた笑みを返す。
「改めて、蓮夜のことよろしく頼む」
「はい。お任せください」
「あ、佳弥!」
佳弥が戻ってきたことに気づき、蓮夜は興奮した面持ちで駆け寄る。
「さっき神力を具現化できたんだよ! あともうちょっとで自分の神器ができる」
「そうなんだ。すごいね。蓮夜くんならきっと立派な神器が作れる」
「それが、佳弥が使っている道具?」
「わたしがというより、親兵全員が携帯しているものだよ」
箱のなかには投擲用の小刀や苦無、携帯用の棍棒が入っていた。
「万が一神器や武器が敵に弾かれてしまった時、代用として使うんだ。味方の援護としてすぐに受け渡すこともできるから、汎用性は高い」
説明しながら、佳弥は箱に一緒に入れていた練習用の的を壁に設置し、少し離れた場所から小刀を連続で投擲した。
見事、五本すべて中心に的中し、姉弟は思わず感嘆の息を漏らす。
「すごい!」
蓮夜が興奮冷めやらぬ面持ちで言うと、佳弥は照れくさそうに微笑を浮かべながら的に突き刺さった小刀を抜いていく。
「練習すれば誰だって百発百中になるよ」
「ねえ、どうやったら的に当てられるの?」
さっそく指南を乞う蓮夜に、佳弥は小刀を一本手渡して投げ方を伝授し始めた。
――しばらくは佳弥さんに任せておこう。
桜夜も自身の修練に勤しまなければならない。来たる日に備えて、蛇女を掌握しておかなければ。
「佳弥さん」
呼ぶと、佳弥だけでなく蓮夜も桜夜に視線を向けた。
「しばらく蓮夜のことを任せてもいいだろうか。私は場所を移して自分の鍛錬をしようと思う」
「かしこまりました」
「姉ちゃん、また神力のこと教えてね!」
「うん。次教える時まで反復練習しておいて」
「わかった」
桜夜が身を翻し、蓮夜の部屋を出ようとした時――
「おお、びっくりした」
ドアを開けると、伊織が目を丸くして佇んでいた。
「うが……伊織」
「あ、いま烏賀陽って言いそうになったやろ」
にやりと口角をあげて図星を指してくる伊織に、桜夜はそっぽを向いて「……別に」と素気なく答える。
「桜夜ちゃん、どっか行くん?」
「修練場があればそこに行こうかと。私だけ胡坐をかいているわけにはいかないからな」
「そっか。蓮夜くんは?」
「いま佳弥さんから暗器の使い方の手ほどきを受けている。しばらくは彼女に見てもらおうと思って」
「ふうん」
桜夜の視線を辿って、伊織もまた仲睦まじく修練する少年少女を見やる。伊織は再度、桜夜を見据えて言った。
「よし。じゃあボクも桜夜ちゃんと一緒に修行するわ」
「は? なぜ」
「なぜって、ボクは桜夜ちゃんの監――護衛っていう大事な使命を寧子様から仰せつかってるし」
こいつ、いま監視って言おうとしたな。
桜夜が胡乱な眼差しを寄せるなか、伊織は滔々と続ける。
「それに桜夜ちゃんのことやから多分、蛇女になっても理性を保てるように特訓しようと考えてるんちゃうかなあと思ったから。暴走した時、誰が桜夜ちゃん止めるん?」
「それは……」
言い淀む桜夜に、伊織はしたり顔で返した。
「な? サポート役が必要やろ」
「だが、お前に何かあれば――」
「何もないよ」
ボク、強いし。
躊躇いなく自負する伊織に桜夜は呆気にとられる。だが、これまで見てきた彼の剣技がかの発言が誇張ではないことを証明していた。
桜夜はふっと笑みを零す。初めて眼前の少女の笑顔を垣間見、伊織は目を瞠った。
「そこまで言うなら付き合ってもらおうか。後悔しても知らないぞ」
花唇を吊り上げて言う桜夜に、伊織もますます愉悦に浸るかのように口角をあげて相槌を打った。
「望むところや。修練場は局舎出て右側にあるから、先に行っといて。ボクは額ちゃんにゆわなあかんことあるから」
桜夜は頷いて、蓮夜の部屋を退室する。
伊織もまた蓮夜たちを一瞥してから、謹厳に執務にあたっているであろう同僚のもとへ赴いた。