Angel 87 天使セラフィム
産まれた時、私の周りには何も無かった。
理解出来たのは、“私”は以前のような“私たち”では無い。ただそれだけ。1つの身でありながら、無数にある別々の記憶たちが、私に伝えてくる。
「負けた」
「殺された」
「守れなかった」
そう、そうなのね。アバトー・クレデヒノフに負けて、天使という存在全てを消された。だからこんなにも苦しんでいる……。
「……守りたかった」
――分かった、そういうことね。
「だから私が産まれたの? ねぇ、そうでしょ?」
羽の生えた少女の精神体は虚空に向かって語りかける。何も見えず感じないのに、確かにそこにある。
『肯定。この世界を危機から救済して欲しい』
「今の私にならできるの?」
『――』
「都合が悪くなると黙るのね。勝手に私を産んだくせして」
『否定。貴女も我も生命たりえず。現象に過ぎない』
「ふ〜ん……それもそうね」
次第に周りが白く明るくなってきた。どうやら目が覚めるらしい。
『して、貴女は何と名乗るか』
今の人格は新たに形成されたもの。名前などはなかった。
「ミカエル、ガブリエル、ラファエル……どうしようかしら」
無数に名前があるのなら、もっとも記憶が多い存在の名を借りる事にしよう。
「――セラフィム」
『セラフィムか……承知した』
「あなたは? 名前くらい教えてくれても良いんじゃない?」
『余は…………』
答えを聞く前に身体が光に飲まれる。時間のようだ。重力により下に引っ張られ、冷たい空気が体を包む。身体は重いはずなのに、どこまででも進んでゆける、そんな気がした。
そっと目を開けると、広大な荒野にポツンと立っていた。そして上空には圧倒的なまでの力を誇示している存在たち。
「ほう、生き残りか……イスケール」
「はい、お父様」
それは無数の天使と、一人の男。
全員知っている。名前も力も……消え去った私たちが覚えてくれている。この身体では初対面であるはずなのに、そうは感じない。
「こんにちはアバトー・クレデヒノフにイスケール……そして異世界のお姉さま方」
私たちはこいつらに負けたのだ。
「わたしはセラフィム」
何一つ守れなかったのに、またこうして無様にも勝者の前に立っている。
「あなた方と同じ天使です」
私は最後の砦。この世界を取り戻すために間違える訳にはいかない。
「我に何の用だ。今更ただの1個体で何も出来ることなどないだろう」
「――命乞いをしに参りました、お父様」
***
数日後、セラフィムはとある天使と出会う。
「セラフィム、あなたは肝が据わっていますね」
「エルブラムほどじゃないけど。だってこの地上に残るんでしょ? お父様は1度帰ると仰っているのに」
エルブラムの表情が曇る。
「そうです。少し試したいことがありますので……まぁ飽きたら直ぐに帰ります」
「ふーん……まぁいいけど」
彼女は何かを隠している……なぜだか分からないが、セラはそう感じた。
「セラフィムこそ付いていくのですか?」
「断る理由がないもの。それに妹分も出来ちゃったし」
エルブラムはただ強がっているようにも見えた。
「断る理由? ――それを言うのなら従う理由も無いはずですが」
「……耳が痛いわね。エルブラ厶はあの場所にいなかったのに分かってしまうのね」
「愚問です。天使の発生は唐突に起こるもの。フワネエルのように昨晩急に産まれることも珍しくありません。ですがセラフィム、あなたは明らかに異質です。構造が私たちとは別物、こちら側の天使であることは誰が見ても明白ですよ」
これは別に隠す必要は無い。もっと本質的な事実にバレなければ……。
「――とでも言うと思いました? お父様ですらあなたが天使の集合概念体である事には気づいていないようですが」
目を見張った。この世界に誕生してから、別の天使の力を行使したことは無い。ずっとセラフィムとして稼働している。それなのに……
「エルブラム……あなた」
「安心してください。別に言いふらすつもりもありません」
底のしれない存在。これがこの時のエルブラムの印象だった。
***
天界に戻って何百年か経った頃。
お父様の身体は一向に回復せず、未だに不安定なまま。
「このままではあの世界が元に戻ってしまう。我があそこまで更地に戻したというのに……今もう一度侵攻する」
「お父様……そのお姿のままではあまりにも」
「今の我では不可能だと?」
「い、いえ……そのような事は――」
また目の前で1人刃向かった天使が消された。まるで煩わしい羽虫を払うかのように……。この光景も見慣れてしまった。
「我は欲しい……」
あぁ……猟奇的だ。私が今まで見てきたどんな神よりも、自身の欲望に忠実で、手段も問わない。
「この世に存在する全てが……欲しいのだ」
結局、次の侵攻は万全な状態とは言えなかった。お父様の衰弱により、天使全員を送り込むことは出来ない。世界を超えるほどの扉を生み出すだけでかなり力を使うらしい。
「今回、我と共に侵攻する者は7つとする。呼ばれたものは前に出よ」
けれど、これはかつてないほどの好機だ。
「イスケール、シェルミール、テュサエル、セラフィム、フワネエル、トワノユール」
もう少しだけ待っていて……必ず今、あの世界を。
***
「イスケール……随分と手荒にしてくれるじゃない……」
身体中が切り傷だらけだ。イスケールの周囲に浮いた刃は、常にこちらを向いている。
「――」
「お父様も行方不明の中、あなたの独断でこんなこと……許されるわけない」
「――――ふふっ」
「何がおかしいの……?」
地上では人類同士の醜い争いが続いている。兵器を用いて殺し合うその様は、セラフィムにとって地獄そのものだった。世界の終わり、その上空でイスケールだけが不気味に笑っている。
「独断ではありません……私がアドナイという小国に付いたのも、お父様のご意志があってこそ」
「随分適当なことを言うのね。お父様の存在が感じ取れなくなったから、仕方なくそれぞれ自己判断で動いているんじゃない。どの国にも付かず、事の行く末を見守るべきよ。下手に人間に力を与えるべきじゃない」
「あまり笑わせないで。ならあなたも私のことを独断と吐き捨てる事は出来ないでしょう? お父様はこの世界を欲しているから、私たちを連れてきたの。それならあなたの傍観こそ意味がない。お父様のお考えをくみ取らず、すべて放棄しているあなたこそ適当じゃない」
あぁ……このイスケールも狂っている。
「――私を殺そうとしているのに、もう一度同じことが言える?」
「ええ。あなたはあまりに存在が不確かですから。あなたを殺すことがお父様のため。寛容なお父様はお許しになっていますが、私はどうもそうではないようで……ねぇ?」
正直勝てない相手では無い。けれど、ここでイスケールに反抗すれば、残る天使たちに袋叩きに合うだろう。何年も積み上げてきたこの立場が崩壊する。
「ねぇ、さま!」
「フワネエル……」
フワネエルは状況を理解したのか、イスケールを強い眼差しで睨んだ。
「イスケール、ねぇさまに、なにした!?」
「さぁ、あなたに恨まれる道理は無いと思いますが。若輩者は黙って見ていなさい」
「そんなこと! でき、ない!」
――止められなかった。フワネエルが敵わない相手に向かうことも、人類の戦争も、何もかも。せっかくこの世界に来れたというのに。
***
また再び産まれた時、私の周りには何も無かった。理解出来たのは、“私”は以前のような“私”では無いこと。そして、真っ暗な中である1つの温もりを感じた。
『あなたは……誰?』
「えっ、なになに!? え?」
驚かせてしまったようだ。興奮している彼女の気持ちが、手に取るように伝わってくる。
『私はセラフィム……そうね、セラで良いわ』
「セラ? 私は美月。古閑美月」
『そう、美月ね』
人間というのはこんなにも複雑に感情を抱いているのか。不安に悲しみに苦しみ。そしてほんの少しだけの、ある人に対する希望と願い。この感情の入り乱れ、天使の私と何も変わらない。
『美月……私はあなたに謝らなくてはいけないの』
あぁ……どうかカミサマ。彼女を、このどうしようもない世界を助けて。私ひとりでは……叶わなかったから。




