Angel 75 Wandering wraithⅠ
夜の街。直人は熟睡しているニーナとヴィルダを横目に、ひっそりと家を抜け出した。夜道を歩いていくと、青年期の頃に感じた不思議な高揚感を思い出す。
「やっぱり寒いな……もう一枚着てくるべきだったな」
平和な世間とは隔離されたような、何か特別な体験をするような。こんな非日常感に憧れた時期もあった。ただ、その非日常が日常になってしまえば世話がない。特別は日常に落ちぶれる。
(俺の勘があってれば……)
露店のひしめく昼間とは違い、人気のない街並みをもくもくと進む。しばらくして手頃な民家の上によじ登り不安定な屋根の上に立つ。直人の目線の先、数軒奥の平たい屋上には、なぜか1人の少女が立っていた。こんな夜更けにいるのはどう考えても異常である。星を眺めているわけではあるまい。
目を凝らすと、彼女の右手にはなにやら細長いものが握られている。それが人間の腕だと気づくのに時間はあまりかからなかった。少女の足元には、片腕がもげ血だらけの人間が落ちている。
「これはまた物騒だな」
「――あ……う……」
少女は呻き声をあげながらこちらを見ている。その表情も呻き方も、直人はよく知っていた。軍人時代、数えるのも嫌になるほどに見てきた適性体の悲惨な末路のひとつ。
「久しぶりだな――実験体。お前ら昼間噂になってたぞ。知らない奴らが見たらゾンビか幽霊にでも見えるんだろうな。ただの人間なのに」
「うぅ…………」
直人はスタスタと民家の屋根を飛び移り、少女のいる建物に寄っていく。
「しっかり廃棄してくれる奴らがいなくて、適当に未開拓地に捨てられたんだろ。軍もなかなかの職務怠慢だな……いや、廃棄が追い付かないほどに実験を繰り返しているってところか」
鉄製のフェンスの上に脚をかけ飛び越える。少女の目の前に立ち、おもむろに拳銃を抜き出した。少女は持っていた腕を放り投げると、直人を無表情で見つめてくる。間近だと余計に不気味だった。
「安心しろ、お前は俺が眠らせてやるから」
久々の感覚だった。右手に拳銃を持ち、能力を発現させる。すこし強い風がマフラーを揺らしていた。白い息を吐き、自身の力の名前を口にする。
「内界……解放」
直人がmagicaを使った瞬間、少女もmagicaが勝手に発動した。右腕が突如として獣の腕に成り代わる。頭部からは鋭い耳がうっすらと生えてきていた。自身の体を動物のような風貌に変化させ、身体能力の向上を図る単純なもの。
獣化や変態、バーサークなどと言い方は様々あるが、自己強化に分類されるmagicaだ。
「狐……か」
少女の鋭い爪から繰り出される刺突を、最低限の動きで交し間合いを詰める。走ることはせず、やりとりを味わうように歩くだけ。近づくたびに、実験体の動きが早くなっていく。しかしそれも全て届くことは無かった。今まで戦ってきた怪物のような連中と比べると――物足りないとすら思えてしまう。
「残念だったな……こんなことになっちまって」
これは誰に向けた言葉だったろうか。お互いの手が当たる程の距離に近づくと、カチャリと音を立てながら銃口を少女の頭部に当てる。
「――おやすみ」
引き金を引くと、乾いた音が夜の街に響いた。少女の鮮血が足元まで伸び、靴の裏にまとわりつくように赤が侵食していく。……久しぶりにアイツの気配を感じる。
『な? 俺の言った通りだ』
「そうかもな」
直人は転がっている肉塊を見下ろし答える。
『お前はもう戦いの中でしか生きられない。……今のお前は理由があるから戦うんじゃない。戦うための理由を探すんだ。お前は戦わずには生きられない。だろ?』
「……そうなら俺はシェルミールのような天使より、よっぽど化け物だな」
直人は慣れた手つきでリロードをした。
「フォルトゥーナ。戦っている時の俺は、どこかで楽しんでいるみたいだ。この瞬間だけは何もかも忘れられる。どんなに辛くても、苦しくても」
『ははは! さしずめ今のお前は亡霊を喰らう亡霊』
「もうそれでいいさ。もう何物でも」
『そうこなくちゃな。俺を使うからには、世界に求められる在り方がある。そして、それはお前を逃がしてくれはしない』
夜の冷たい風は、直人の頬を鋭く突くような痛みを与えてくる。
「上等だ。お前を使って俺から何もかもを奪ったアドナイを……滅ぼしてやる」
『そいつが今度の戦う意味か? 今回は随分と賞味期限が長そうだな。期限切れにならないかもしれないぞ』
「保存料が凄そうだ」
直人はふっ、と笑うと屋上から消えていく。その後少しの時間が空き、銃声があと2度鳴り響き、夜は静かに更けていった。誰も知らないところで、彼はまた戦いに身を興じてしまう。自分でそれが狂っていると分かっていてももう止められない。




