Angel 71 ナオト
朝の冷気に、リビングから聞こえる物音で目を覚ます。隣ではヴィルダがいびきをかいてまだ寝ている。窓の外に目をやると、外は少し明るくなりだした程度。かなり早く目が覚めてしまったらしい。
ゆっくりと体を起こし、床で寝たせいか痛む背中をかばいながらヴィルダの寝室を出ていく。リビングに顔を出すと、キッチンで支度をしているニーナの後ろ姿が見えた。
「おはよう」
静かに声をかけると、ニーナはやたらゆっくり振り返る。彼女もかなりまぶたが重そうである。
「あ~おはよう……早いね。目、覚めちゃった?」
「あぁ、ちょっと冷えてな。支度手伝うよ」
「手伝うって……料理できるの?」
ニーナは首を傾げている。確かに直人の風貌だけ見れば、料理が得意だとは思わないだろう。
「ちょっとはな。で、何作るんだ?」
ニーナに尋ねると、朝食と一緒にヴィルダの弁当を作っているのが分かった。適当に卵料理をチョイスし、フライパンと向き合う。
「ほ〜結構手際いいね。焼き目も綺麗。できるの本当だったんだ」
「別にこのくらい大したことじゃないだろ」
「大した事あるよ。だってお父さん、なんも出来ないんだもん。卵すら割れないのはどうかと思うよ」
ニーナはあどけない顔で微笑んだ。
キッチンは2人で立つには若干狭く思える。今思えば、あのマンションは良い物件だったのだとしみじみ感じた。
「よし出来た」
直人が調理に加わってから10分かからない程度で支度は終わった。
流れ作業で洗い物をしているが、この寒さで水仕事はこたえる。手が切れそうだった。
「さむさむ~」
ニーナは暖炉の熱に手を当てながら、直人に話しかけてくる。
「家だと料理してたの?」
「まぁな。妹分みたいな奴がいて、俺がいつも作ってた。あっちが料理とか洗濯とか……家事全般がからっきしだったからな」
「妹分? ご飯も作ってたって事は……近くに住んでたんだよね」
「昔はな。今……は違う」
ニーナは頭の上にハテナを浮かべている。
「どういう事……? 引っ越しっちゃったとか?」
「そう言う訳じゃないんだが。まぁ隣に住んでいたのは子どもの頃だよ……この話、忘れてくれ」
ニーナは唸った後、顔を上げこちらを向いてきた。
「さては同棲とかそういう?」
「——結局俺もあれが何だったのか最後まで分からなかったよ」
「んんん~?」
ニーナは「最後?」と言い悩んでいるが、言葉の意味は思いつかないようだった。まぁ見当もつかないだろう。自分で言うのも何だが、歩んできた道のりは複雑怪奇すぎる。
「……それで? その子とはまだ良い関係なの?」
「————」
胸が締め付けられる。どう返答して良いのか分からない。自身の素性を明かす気は起きない。しかしこのまま苦しそうな表情を浮かべては、彼女が心配するのは目に見えている。そう何度も心的苦労はかけたくない。
「……ごめん。昔のことはもう聞かないね」
直人の深刻な表情をみてか、ニーナは頭を下げた。
「顔を上げてくれ」
「でも私、ナオトくんに何かあったのは分かるから……それなのに蒸し返すようなことして、本当にごめん」
「気にしないでくれ。いつかは……いや、早いうちに折をつけなきゃいけないことだ」
直人は水で濡れた自分の手を見る。人を殺めるばかりで、大事な人を護ることが出来なかったその手を。ソレは小刻みに震えていた。この震えは寒さから……そう思いたい。
「私なんかが出来ることがあれば……力になれることがあったらなんでも言って?」
「その気持ちだけで充分だ……ありがとう」
直人はヴィルダに言われた通り、感謝を伝えることにする。
***
また父親が、謎の人を連れてきた。
前は30代くらいの女性ヒッチハイカー。その前は仕事のなくなった50代くらいの男の人だったっけ? それより前は……覚えてないや。
お父さんはこうやって時折人を連れてくる。困っている人を見過ごせないみたい。私もそれは良い事だと思うし、そんなお父さんを尊敬してもいる。
それで、今回は20代の男の人。何故かスーツを着て、襟には赤い汚れが付いている。――絵の具ではなさそう。
「――誰?」
お父さんに聞いてみたけれど、返答は帰ってこなかった。これもいつもの事だ。
男の人は、急に膝が折れたみたいに崩れ落ちた。お父さんは脇の下に手を入れ、無理に椅子に座らせる。これが満身創痍ってやつかもしれない。状態からするに、今まで見てきた中で過去一ひどい。
せっかくスープを出したのはいいけど、飲む気配も無いし反応もない。
でも、それも杞憂ってやつかもしれない。数日経つと、スープを呑み込めるようになったし、なんなら家に帰ったら目を覚ましてたし。
話してみたら、悪い人では無いのがすぐに分かった。言葉遣いは少しだけ荒いけど。
「そうそう、自己紹介まだだったね。私はニーナよろしく」
「俺は雨宮直人」
彼の名前はナオトと言うらしい。この街ではもう少なくなってしまった同年代の人。なんだか少し嬉しかった。
それに、改めて見てみると悪くない顔立ちをしているし、とても落ち着いた……? 大人びた……まぁ、色々経験して落ち着いた感じがする。
「じゃあナオトくんだ! 私のこともニーナって呼んで!」
「あぁニーナ。よろしく」
照れくさく笑う彼。それに、そそくさとスープを口に運ぶ感じ。なんか新しくペットがウチに来たような気もしてしまう。
彼の反応が面白く、少しからかいたくなってしまう。
「……それで? その子とはまだ良い関係なの?」
でも、これは違った。ダメだった……分かっていたはずなのに。詮索してはいけないと理解していたのに、彼の過去が、妹分がどうしても気になってしまった。
これくらいなら……と、安易な気持ちで彼を傷つけてしまった。あの苦しそうな顔をさせたのは紛れもなく私だ。自分が嫌になる。
彼は遠巻きに自分の問題だから気にするな……そう言ってくれた。けれど、それじゃあ私の気が収まらない。
「私なんかが出来ることがあれば……力になれることがあったらなんでも言って?」
「その気持ちだけで充分だ……ありがとう」
そう、それ。やっぱり、ナオトくんにはその優しい照れ笑いが似合うと思うんだ。




