Angel 68 彷徨い
「ん〜……眠い……」
仕事のため、今朝も太陽が登ると同時に体を起こす。硬いベッドから降り、水を飲むためにキッチンに向かう。リビングを通るとき視界の隅に人影があるのに気づく。父親はまだ寝ているはずである。不審に思い眠い目を擦ると、それは俯いたまま椅子に座る直人だった。椅子に座ったまま固まっている。
そういえばと昨夜、父親が彼を連れてきたのを思い出す。
「えっ……? ねぇちょっと……?」
寝るにしてもここでは体の節々を痛めるだろう。起こすために体を揺すってみる。しかし彼の目は開いたまま……そして全く微動だにしない。なんのリアクションもかえってこない。
「死ん……でる!?」
とっさに直人の手首に手を当てる。暖かさに加えて定期的に脈を感じた。ホッとし、胸を撫で下ろす。
「生きてる、か……まさか夜からずっとこのまま……?」
彼の前には、テーブルに置かれている冷めきったスープにパン。どちらも手がつけられていない。スプーンが動いた様子すらなかった。思えば座り方すらも変わっていない。知識にある植物状態……という症状。それを彷彿とさせる。
「はぁ……キミ知ってる? ご飯食べないと死んじゃうんだぞ」
しぶしぶ冷めきった食器を持ち、キッチンに向かう。
「新しいの出したげるから、ひと口でも良いから食べて。家で倒れちゃったら困るからさ」
慣れた手つきで長い白髪を束ね、エプロンを着る。鍋を火にかけると、小さなあくびが出た。「んーっ」と眠気覚ましの背伸びをして、スープをよそい配膳する。
「はい、食べて」
昨夜と同じように、食器を直人の前に置く。直人は相変わらず微動だにしない。
「本当に人形みたいだなぁ……」
スプーンを持ち、湯気が立ちのぼるスープをすくう。3度息を吹きそれを冷ますと
「私、キミのママじゃないんだぞ? ほら」
直人の口元にスプーンを付ける。しかしながら口は開かない。
「ほらってば」
半ば無理やり口に押し込むと、直人は表情を変えないままスープを飲み込んだ。咳き込んだりする様子はない。嚥下する気はあるみたいだ。口に入ってきたから反射で飲みこんだ。そんなところだろう。
「はい次」
何度も繰り返しスープを飲ませる。育児か介護か……。容器が空になると、直人の顔をのぞき込む。無駄に整ったその顔は、どこか遠くを見ているように思えた。
「食べれるなら食べなきゃ。おーい、聞いてんの〜」
返答はなかった。ただ……
「えぇっ……ちょ、なんでさ! ティッシュティッシュ……ほら」
直人は泣いていた。瞳から涙が零れている。だが、顔をしかめたり声が出ることはなく、ただ涙が溢れ出ている。
「本当に何があったの……? 普通じゃないよ……」
不気味さよりも、心配が勝ってしまう。父親の影響で変わった人間は多く見てきたはず。その中で最も悪い状態に彼はいるのだろう。今できるのは、とめどなく溢れてくる涙を拭くことだけだった。




