Angel 66 月光奪還編Ⅷ
「止めてやる? そんなボロボロの体で?」
イスケールは首を傾げて氷月を凝視してくる。目の前には、どうしてか無傷で立っているイスケールとローブの男。奥の方でリンファだろうか、丸焦げになった死体が転がっている。リーダーの炎に飲み込まれたのだろう。
「あぁ……止めてやる」
リーダーの最後の一撃は広範囲に及んだ。氷月は炎を見た瞬間に氷で身を包み、なんとか生きながらえた。それでも全身を火傷したのだから、凄まじい火力だった。花雨もなんとか息はあるようだ。
現状立っているのは氷月だけ。この2人を相手にするに1人ではあまりに力不足だという事は、本人が一番分かっている。
「——何故? 何故あなたは絶望していないの? あなたのような弱弱しい人間が、こんな状況になってまで立っていられるの?」
「……何でだろうな」
斜め後ろで倒れている妹に思い、氷月は不敵に笑う。
「……なるほど、それが理由ですか」
突如耳に届く鈍い音。何か鉄製のものが地面に突き刺さったような音だった。恐怖しながらおもむろに後ろを振り向く。
横たわっている身体は、痙攣しているのか足をばたつかせ動いている。背中に刺さった槍から鮮血が滲みだし、水源のように溢れてでいく。それはしばらくして――動かなくなった。
花雨が……妹が殺された。
「イスケールぅ!!!!!!!!!」
「さっきのリーダーと言い、みんな同じ反応をするのね。単調でおもしろみがない。それに、むしろ戦意が増している。人間って良くわからない……」
ただの興味で無抵抗な人間を殺した。その非人道的行為に対しなんとも思っていないイスケールに、ただひたすら黒い衝動が込み上げてくる
怒りは恐怖に勝る。天使に怯えていた時は過去になり、今はただ妹を殺された憎悪で動くことができる。妹を殺した敵を止める……? そんな甘い事でいいのか。止めるなんて、そんな程度で満足するのか?
しない。する訳が無い。リーダーも妹も殺されておいて、ただそれだけで気が晴れるわけが無い。
「――ぶっ殺す……!」
憎悪に満ちた顔をさらけ出すと、ローブの男は愉悦に染まったように声を出す。
「いい表情だ……俺も混ぜてくれないか? そういうぶち壊れたやつと交えてみたいんだ」
「あなたは見ているだけ。ちょっとニンゲンカンサツがしたいから」
「――はぁ、相変わらず悪い趣味だな。気に喰わん」
ローブの男はイスケールに止められると不満そうに後ろに下がった。よく分からないが、イスケールだけ警戒すればいいなら、多少は楽になる。
「……今行くぞ、花雨」
氷月は左ポケットに手を突っ込み、注射器を取り出した。中にはドロドロとした銀色の液体が詰まっている。躊躇うことなく左の太ももに針を突き刺した。
針が体内に突き刺さる痛みを感じながら、ゆっくりと液体を注入していく。液体が体に入るにつれ、目の奥が熱くなっていくのを感じる。人体に悪がある代物であることは重々承知だ。
青く光った瞳から幾何学模様が溢れ出し、顔から肩、腕、腹部へと身体がのまれていくように模様が伸びていく。氷月のmagicaが暴走しているのだ。
「――その姿……殺すって言ったのにあなた自身も死ぬつもりなの? 心中……と言うもの? 命を奪われて怒っているはずなのに、自身の命は適当に扱うのね。意味が分からないわ。命は大切なの? 大切じゃないの?」
「黙ってろ。今すぐ疑問とも思えないような体にしてやる」
「ふーん、その心意気は結構だけれどその程度のmagicaで何ができるの?」
彼女の言う通り、炎神奏古ほどの強さも戦闘技能もない。だが、彼も伊達に一班に選ばれたわけではない。
「俺のmagicaは便利でよ。ただ物体を凍らせるだけなんだが、工夫して空気中の水分子を刀状に凍らせればこんな感じで武器も作れるんだよ。手のひらから50cm先までなら凍らせられる」
消失してしまった刀を再生成する。普段よりも早く氷が形成された。
「今の俺ならここからでもお前を殺せるぞ。そこは既に俺の射程圏内だ」
目先約10M。突っ立っている天使に向けて意識を向ける。普段なら遠く、凍らせるどころか刀身が届くことも無い立ち位置。
手のひらを向け、何も無い“そこ”を握りつぶす。
「――失せろ」
透き通った氷山が天使を包み込んだ。冷気が辺りに漂い、崩壊することが想像できない程の氷柱。
「はぁ……コンフェッサーも面倒なものを開発したわね。置き土産なんて性格が悪いと思わない?」
氷の中でイスケールがぼやく。本来であれば身体の芯まで凍りつき即死するはずだ。まぁ、そんなことで天使が死ぬのであれば、最初から苦労はしない。ここまでは予定通りだ。彼女の動きさえ止めてしまえば……
その矢先、氷の表面にひびが入り弾け飛ぶ。自分の無力さに嫌気がさす。
イスケールは槍を生成し、右手に収めた。
「あなたの暴走状態、もって数分でしょう?」
「かもな。でもそれで事足りるさ」
「そう、それは結構な事ね」
イスケールは退屈そうに立ったままだ。
(なぜ進もうとしない……? イスケールもあの男もマーダーやシューターを追いかけ、適性体を護るために来たのでは無いのか?)
こちらとしては願ってもない状況だが、ひどく奇妙だ。奴らの狙いが全く見えない。いくら氷月のmagica暴走が強力であっても、倒すことなど造作もないはず。
「プロメテウスの、人間の底力ってやつを見せてやるよ……」
「せいぜい楽しませてね?」
氷月は背後に分厚い氷の壁を生成し、廊下をせき止める。これで奴らは進めず、増援も来ない。
「お前が楽しむ暇なんかねぇ。すぐに恐怖に歪んだ面になんだからよ!」
氷月は「殺す」ために、1歩前に踏み出した。
***
直人とシューターは、やたらと長い廊下を走り続ける。左側の全面がガラス張りになり、月が空に輝いているためか不気味な明るさをしている。
「――マーダー、そろそろ適性体が隔離されている区画だ。覚悟しとけ」
「分かっている」
リーダーとへリーネの死を聞いてから、2人はほとんど会話もせず進行している。不要なことを話す気分にはなれなかった。
「待ちたまえ」
廊下の先には男が棒立ちでいた。白衣に手を突っ込み、こちらを軽蔑する目をしている。見間違うわけが無い……こいつはフメテノだ。
「マーダー。お前は先に行け」
「分かった……ここは頼むぞ」
「おうよお前もな。また生きて会おうぜ」
短い会話だけをすると、マーダーは速度を上げフメテノの横を突っ切った。フメテノは驚愕し、すぐさま特殊銃を背後のマーダーに向ける。
「お前の相手は俺だ」
シューターはフメテノの正面まで高速移動し、銃口を掴み上に逸らせた。
「リンファと言い君と言い……最近の子は、随分と気性が荒いみたいだな」
「こんな世界じゃ仕方ないだろ? こう育っちまったんだからよ」
「確かにそうかもな」
フメテノは体をやわらかくねじらせ、シューターの足元に回し蹴りをする。 仕方なく銃口を離し、後方に飛びながら距離をとる。フメテノの身のこなしは研究者のそれでは無い。武術を嗜んでいることは明白だ。奴の構えも様になっている。
「あんた、街頭のテレビでみるよりカッコいいな。研究者なんてやめてモデルでもしたらいいんじゃないか」
「黙りたまえ。それに口の利き方には気を付けた方が良い。特に私のような目上の人間にはな」
「言葉遣いだ? 治すつもりなんかねぇぞ。お前を尊敬しているわけでもなければ、目上とも思っていないからな。そうそう、人間とも思ってねぇから安心してくれや」
「はぁ……厚顔無恥とは君のためにある言葉だな……世界は君の思っているよりも広いぞ」
シューターはにやりと笑う。
「じゃあその広さを知らなくていい。俺が必要なのは、俺たちが正しく人として生きる世界だけだ」
フメテノは鼻で笑い一瞥した。
「私の世界も、今の世界の在り方もはこの歪んだ形だ。私のような人間からして生きやすい事この上ない……私の研究成果は渡さん。さっきの青年を追いかけたいのだが、君は私を通さないのだろう?」
「それは愚問ってやつだな。このナイフがお前を向いていることが答えだ」
「分かった。では君を倒した後に追いかけることにしよう。そして君たちも脳をこじ開けて隅々まで壊すことにするよ」




