Angel 65 月光奪還編Ⅶ
身に覚えのない蒼色の炎。身体から急激に何かが吸い取られていくのがわかる。これは……すぐさま燃え尽きてしまう代物だ。
「イスケール……」
炎に包まれた剣を握りしめる。手が震え、額から汗が1粒こぼれ落ちた。それもすぐさま水蒸気として消えていく。
「その姿……まるで聖戦の続きのようね。さぁ、始めましょうか」
こちらからしたらこんなにも怖く恐ろしいのに、天使は不敵に笑っている。ただそれだけで呑まれてしまいそうだ。
「うぉぉぉぉー!」
恐怖をかき消すように踏み込んだ。瞬きすら許されない刹那のやり取り。自分すら知らない常軌を逸した速さと威力の太刀筋。どうすれば扱えるか分からなくとも、勝手に体が動いてくれる。
最適化された体躯の扱いは、天使に、イスケールに間違いなく近づいている。人間という枷を取り払ったような錯覚。
一瞬自分を過信した。これならイスケールに勝てるかもしれない、と。
だが、その過信が身を滅ぼした。連撃は全て……そう、その全てが――イスケールの指先によって止められた。
イスケールは眉ひとつ動かさず、その全てを右腕だけでいなし、ついには刀身を掴んでみせた。炎でできた剣に熱さを感じないのか、冷めた表情でこちらを見てくる。
生を感じない黒く暗い眼光に吸い込まれそうだ。
「――つまらない。とても……とてもつまらない」
イスケールはそう言い放つと、空いた左手に何かを集め始めた。周囲から黒い靄が渦巻き、不気味に左手に集まりまとまっていく。
――そうだ。イスケールは万物を生み出すことが出来た。物も命もmagicaさえも。今までは、ただの天使としての戦い方でしかない。これから先が本領……絶望の始まり。
今の炎神奏古でさえ勝てない。彼女の力を引き出すことしか出来ないのだろうか……。黒い靄は彼女の周りに様々な武具の形状を作り漂っている。無数の得物は、全てがこちらの命を奪い取ろうとしている……。
掴まれた刀身を瞬時に炎に戻し、イスケールの手から逃れた。蒼炎はイスケールの獲物に対応するように、こちらも無数の小さな剣を構える。
「まるで私の模倣ね。赤ん坊のように見よう見まねで紛い物を作って……つまらない」
射出されるイスケールの得物。一つ一つが弾丸より早い速度で飛んでくる。そこにピンポイントで剣をぶつけに行く。空中で炎と獲物がぶつかり合い、激しい音を奏でていた。
「つまらない」
1つ、炎の剣が砕かれた。実体を持つイスケールの武具に対し、こちらはあくまで炎を凝縮した存在。天使の創造に敵うわけがなかった。
「つまらない」
また1つ、2つ……。一瞬一瞬で炎が弾け飛んでいく。
「――つまらない」
まるで剣が彼の正気を保っていたように、折れる度にリーダーの心を抉っていく。リーダーから怒号とも悲鳴とも取れない声が響き、全ての蒼炎が砕かれた。すぐさま彼は右拳に自らの全ての蒼炎を纏う。
自身の炎に焼かれてしまいそうなほどの熱気。
――それは狂気とも言える特攻。リーダーは拳をかがけ、天使に振り下ろした。間違いなく彼が出せる瞬間最大出力。周囲からは、まるで太陽が天使に迫るように見えた。イスケールに触れるとすぐさま豪炎と爆風がフロアを包んだ。
***
天使とリーダーとの戦闘が始まり1分程度たっただろうか。参謀は、3班に指示を出しながら内心焦っていた。
「やめて……」
隣ででせせり泣く1人の少女。名前はヘリーネ。立場は自分の直属の上司になるのだろう。まぁこの組織では上下関係というものはさほど重要ではないが。——軍ではこういう所も厳しいのだろうか。
彼女は普段は若干怖く、だが気さくな人だった。泣いているところも、喚いているところも、落ち込んでいるところすら見たことは無い。姉御というのはこのような存在なのだろう。
そんな彼女が、ただひたすらにせせり泣いていた。
「もう……やめて……」
異様な光景だった。彼女が対応しているのは主力である1班だ。今異常事態が起こっているのは理解している。それこそ作戦を揺るがすほどのイレギュラーだ。参謀は、静かにインカムの出力先を1班に変更する。聞こえてくるのは風のノイズと、何かが焼ける音。 現場が見られるモニターなど大層なものは無く、分かるのは位置情報とこの音声データだけ。
そこから予想できる事などたかが知れてる。……へリーネを除いて。彼女のmagicaで、リーダーとの感覚共有をしているのだ。戦況が手取り足取り分かるのだろう。
そんな彼女が泣いている。どういうことか説明は不要だろう。
「…………」
参謀は黙っていることしか出来ない。どうしようもない。かと言って落胆する必要もない。ただ、自分にできることを全うするだけだ。
——ただ、この考えも必死に安静を保とうとしているだけ……なのかもしれない。
そんな中、突如としてリーダーの声が耳に響く。なにか叫んでいる。言葉に意味はなく、ただ声帯から発せられる叫びだ。ただ、決死の声だというのは分かる。何か覚悟を決めて、自らを奮い立たせるもの。風のノイズが大きくなり、ほとんど聞き取ることはできない。
「やめてぇ!!!」
へリーネが叫んだ瞬間、リーダーと氷月、花雨の位置情報が消失した。
これは、位置情報を送る端末の故障か……それとも。焦るな。焦るな! まだ彼らの死が確定したわけではない。
自分に言い聞かせながらインカムに手を当て叫んだ。
「リーダー! リーダー!」
返答はない。隣でヘリーネが絶叫している。その答えは……考えるまでもない。
「各班緊急伝達! 一班は交戦の上壊滅状態、今から名前を挙げるものは至急西階段を経由し6階に駆け上がれ! 本作戦の目的は適性体の奪取のみにする!」
撤退など不可能だ。どう考えても適性体を持ち帰ることが出来ればお釣りがくる状況。下手に逃げようものなら、散らばった構成員の統率が取れないまま掃討戦になってしまう。
ならば、目的を定め動いた方が結果として良くなる。今はそう信じるしかない。足りない頭を動かし、各班ないしは各員に指示を出す。作戦司令の中核を担っていたヘリーネがダウンした以上、参謀が指示を飛ばさなくてはいけない。
必死に端末を弄り回し、司令を飛ばす。そんな中、カチャリと不可思議な音がした。繋がっているインカムからではなさそうである。
参謀は嫌な予感がしながら周囲を見渡す。
「――――今、行くから、ね」
「ヘリーネ……さ、ん……?」
頭部が高密度のエネルギーによって焼けきれる音がした。焦げたような異臭が漂ってくる。エスパーの悲鳴がインカムを通して実働部隊含めた全てに響く。
(これは……まずい!)
危機的なのはエスパーの集中が切れたことでも、ヘリーネが自殺したことでもない。全体の士気が下がってしまうことだ。
リーダーに続いてヘリーネまで死んでしまった。この事実だけで、プロメテウスの戦意が無くなるには充分に思えた。どうすればこの事態を打破できる……ここで全滅する訳には行かない!
『参謀、俺の声を全体に聞こえるように出来るか?』
この声はイディだろうか。彼の声からは、多少の苛立ちを感じる。こちらはもっとイライラしている。呑気に話す時間はない。
「出来ますが……一体何を!」
『決まってんだろ。――勝つぞ、ここから』
何を馬鹿馬鹿しいことを言っているのだろうか。そう思ってしまった。彼に一体何が出来るのだろうか。
「あ〜もう、いいですよ! 設定しました」
もうヤケクソだ。どうとでもなれ。もう何が何だか分からない。
『プロメテウスの野郎ども! 聞こえるか!』
耳が痛くなるほどの大きな声。音量バランスを間違えたか、少しボリュームを落とす。
『俺たちは負けちゃいねぇ! まだ勝ち筋は残っている。それもクソほどふてぇ勝ち筋がな!』
イディが話す裏で「ふざけんな!」とか、「黙れよ!」とか。そんな不満な声がインカムから届いた気がする。参謀やイディだけじゃない、みんな気が立っていた。
『なぁ、お前らマーダーいるだろ。あいつの強さを知ってるか? 見たヤツいるよな。あのリーダーと張り合ったんだぞ?』
張り合った……そう表現が正しいかは怪しい。
『そいつが適性体の目と鼻の先にいんだぞ? 俺たちがちょっと時間稼いでやりゃあ……余裕だろ』
嘘はついていないが、真実でもない。彼は確かに強いが、適性体付近には恐らくフメテノが待機しているはず。余裕ではない。
『時間稼ぐ……はは……やってやろう、じゃねぇかよ』
声が聞こえた。聞き覚えのある男の声だ。咄嗟にこの声も全体に届くようにセットする。
『天使の1人や2人止めてやるよ』
少なくとも彼は死んでなどいない。1班主力部隊の精鋭――氷月の声だ。




