Angel 55 プロメテウス編Ⅲ
「おい新入り! 床掃除終わったら窓拭けよ!」
雑巾を手に、黒く染まったバケツの中身を眺めていた。プロメテウスに加入後、直人は――新人いびりを受けていた。最初は簡単な掃除だけだと言っていたのに、やればやるほど仕事が増えていく気がした。
「掃除は上からやるのが定石……」
「口答えすんな! 罰としてトイレも磨け!」
直人をこき使っているのは、この赤茶の短髪の男。イディと呼ばれているやつだ。直人が入るまで、イディが1番下っ端だったはずである。彼は加入期間こそあれど、戦闘面ではずぶの素人。実力主義のココではそれなりに肩身が狭いのだろう。
「はぁ……分かりましたよ」
バケツを持ち上げ、流しへと持っていく。終わりの見えない作業にパワハラまがいの言動。軍の訓練を思い出す。
(……俺は一体何をしているんだ?)
軍では今まで通り前島の班員として勤め、それ以外はこうしてプロメテウスとして活動。必要に応じてコーマンと接触している。
このような日常を送っていた。軍では問題なく地位を確立しはじめ、中尉も目前と言ったところ。異様な速度で出世をしている。プロメテウスでも同じように行くことを願うばかりだ。
「お前ら集まってくれ」
窓の掃除に戻ろうと、透明の新しい水をバケツに汲んでいた。するとフロア中に声が響いた。リーダーが1枚の紙を手に、招集をかけている。
「次のターゲットが決まった。アドナイ15区にある研究所だ。コンフェッサーですらない小規模施設だが、しっかり準備をしておけ。出立は5日後だ。詳細はミーティングでな。予定は必ず空けておくように。以上、解散1」
周囲は軽い返事をすると、持ち場に戻っていく。直人も面倒な気持ちながらも戻ろうとすると、リーダーに手招きをされた。
「ギッシュ、イディ、マーダー。お前ら3人も経験と実力はさておき、うちの立派な戦闘員だ。もちろん参加してもらう。それまで鍛錬を怠るなよ? 訓練室はいつでもつかってもいいからな」
「了解」
ギッシュとイディは、遊園地に行く前の子どものようにワクワクしている。軍では日頃から実験体の処理やら、汚れ仕事を多くこなしている。今更気が高まるようなことではない。
「おいマーダー」
イディが話しかけてきた。“嫌な先輩”の彼とはあまり話したくないのが本音ではある。その点、ギッシュは誰にでも人当たりのいい青年だった。イディとギッシュが行動を共にしているのが不思議にすら思える。
「俺たちと一緒に訓練しねぇか? さっき自由に使って言ってたしな」
「まぁ、そのくらいなら……」
「なら掃除終わったら下に来い。あ、トイレも忘れるなよ!」
そつなく掃除を終わらせ、イディたちの姿を探す。加入前のテストで使った1階のフロアに降りると、彼らはトランプをしていた。こちらが掃除をしている間にこいつらは……
「お、やっと来たな。どんだけ待ったと思ってる」
イディがすっと立ち上がり、手招きをする。こっちはどれだけ大変だったと思っているんだか。
「magicaの使用は自由、生死に関わる攻撃は寸止め。どうだ?」
「構わない」
イディは暗器だろうか、やたらと小さいナイフを構えている。今までの鬱憤をここで晴らさせて貰おうか。
ギッシュは2人が構えたのを確認すると、手をかがける。
「始め!」
――端的に言おう。勝負にならなかった。
「あっ……あっ……」
イディは後方で白目を向きながら、リズミカルに声を発して伸びている。やりすぎただろうか。彼の雑な切り裂きを数度躱し、顔に蹴りを入れただけでノックアウト。試合時間にしておよそ3秒。ギッシュは苦笑いしながらイディを見ていた。
「イディのやつ、magica使う前に負けちまって……」
「ギッシュさんもやりますか?」
ギッシュは横に手を振った。やり合う気は無いらしい。
「そんなことよりも、君はテストでリーダーのmagicaを見たんだろ? 色んな人が言ってたよ」
「……瞬殺されましたけどね」
正直苦い思い出だった。彼の強さを利用すると息巻いてはいるが、負けた時はプライドごとへし折られ気がする。軍での訓練が馬鹿馬鹿しく思えるほどだ。ここまで差を感じたことは過去一度もない。
「それでも凄いさ。僕とイディはそもそも体術でボコボコにされたよ。magicaを使っても武器を使っても何もできなかった」
それはお前らが弱いだけじゃないのか? そう思ったが口には出さなかった。相手がイディなら言っていたかもしれないが。
「君はあのリーダーに体術で圧倒したんだろ? それだけで俺より君が強いのは明白だからね」
「圧倒……と言うか……」
あれほど強いリーダーが、あの程度の体術しか出来ないとは思えない。実際あれほどのダメージを与えたはずなのに、外傷はほとんどなかった。受け流しの技術が凄まじいのだろう。
「君に与えられた“マーダー”って言うのは、かなりの褒め言葉じゃないか?」
ギッシュはそう言うが、直人は皮肉を言われただけのような気がしてならなかった。
「そんなんじゃない……と思いますよ。まだ」
「――へぇ……まだ、か。面白いこと言うんだね」
ギッシュは微笑むと、イディを担ぎ上に戻っていった。数時間後、イディが目を覚ますと血眼で直人を探したらしい。
***
プロメテウス加入後の初仕事。アドナイ15区にある研究施設に来ていた。こちらの戦力は、リーダーを筆頭に15名程度の戦闘員。ヘリーネ含む3名が作戦式をとり、無線連絡を飛ばしてくれている。
『各員、ミッションの再確認だ。今回の要点は3つ。施設内データの抹消、適性体の解放、反抗する研究員の抹殺』
リーダーの声が無線越しに伝わってくる。性能が悪いのか、若干ノイズが混じっている。
『それでは30秒後に突入する。――死ぬなよ』
心の中でカウントをする。近くにいるイディとギッシュは、酷く緊張しているようだった。恐らく命をかける経験が足りていないのだ。こいつらの分まで多少動かないと厳しそうだ。
『3……2……1……』
スリーカウントが終わると直ぐに、左奥から爆発が上がった。恐らくリーダーたちが突入したのだろう。陽動の側面もあるが、正面からすべてをなぎ倒す算段。力押しだ。
直人たちは静かに窓から施設に侵入する。中では警報音が廊下にひびき渡り、各方面から悲鳴や銃声が響いている。
「行くぞ。データ端末はこの奥にあるはずだ」
「お、おう!」
直人が2人を先導し、駆け抜けていく。陽動の効果で、こちらに敵勢力はほとんど居ない。なるほど、これくらいだったらこの2人でも何とかなっただろう。廊下を右折すると、遠くに人影が見えた。
「うわぁっ!」
若い研究員が、咄嗟に特殊銃を構え発砲してきた。青い弾道が一直線に瞳に映る。かつて両親の命を奪ったその光は、直人をかすめ後方に飛んでいく。素人の護身程度、当たるわけもない。
「敵対勢力と認定。殺るぞ」
後ろを走る2人に告げ、直人は加速する。
「はえーな……」
後ろからイディの声がする。2人を置き去りするほどの速度で、研究員に接近する。通り過ぎながら、首を後ろから撫でるように叩く。バキッと骨の折れる感触が気持ち悪い。1度その場で停止し、2人を待つ。
「マーダーの名前は伊達じゃないね」
「お前何者だよ……その速さとか体術とかmagicaじゃねぇんだろ? ……それになんと言うか、躊躇いとか……」
イディは死体となった研究員を見下ろす。血こそ出てはいないが、すでに死体になっていることは変わりない。相応のショックはあるだろう。
「躊躇ってたら何も出来ないだろ。ほら、行くぞ」
人を殺めることに抵抗が無くなるほど、直人の心は強くなった訳では無い。慣れてしまった訳でもない。ただ、麻痺していた。多くのものを無くし、コーマンに促されるままに動いてきた。考えることを減らし、ただの作業として扱っただけ。向き合い方を覚えたのだ。




