Angel 50 天使に喰われたオーディナリーⅡ
「——美月は……死んだのか……」
目の前では未だに紅の球体が浮かんでいる。それは不可思議な音を立てながら光り輝いている。
「仮体天使というのは原体……つまり元の身体を失った天使が、人間の身体を生きながらえることです。人間と天使では生命のスケールが違いすぎるため、仮体の持ち主の人格は、次第に天使の人格に呑まれていきます。そして人間の人格が失われると新体となり、原体とほぼ同等の力を取り戻します」
エルブラムは羽を出すと、それを折り畳み直人の前までやってきた。近づくにつれ不思議と圧がかかってくる。生物としての直感的な恐怖心だろうか。
「これは仕方のないことで、いつかはこうなると決まっていたことです。それに——これは古閑美月さんが選んだ道です」
エルブラムは説明口調で包まれた紙を渡してきた。
表紙には”直人へ”と書いてある。子どもの頃からよく見ていた字体。若干丸みを帯びた筆跡は美月の物だ。
「美月が選んだ……!? ふざけるなよ! お前らはいつもそうだ……」
彼女の淡々とした言い方が癪に障る。また高ぶってしまった。自身についているブレーキが壊れたように、ただひたすら感情は自身を超えていく。手に握られた手紙を壊さないように、だが確実に手には力が入っていく。
悲しみに暮れる暇もないほどの憎悪は、慣れることは無いだろう。
「いつも俺の大切なものを壊して、奪って……お前らから見たら、俺たち人間ってのは都合のいい道具なんだろ!」
「そんな事は……」
——簡単に否定なんてできない。
「確かに私たちが人類に多大な負荷をかけているのは間違いないです。ですが……」
「いまさら何を否定する!」
興奮状態の直人と違い、エルブラムは終始落ち着いていた。
「これらの事態は、私たち天使の意志によるものではありません」
「だって事実そうだろう! 美月の身体を乗っ取って!」
「それをしたのはアドナイです。私たちが霊体となったとき、それを人の身体に宿すのは人間です」
……それもまた事実だ。だが、天使が現れなければここまで大規模な戦争も起きなかった。天使がいなければ美月が危険にさらされることも無かった。
「私たちがこなければ……戦争が起きなかったとでも?」
まるで直人の考えを読むように、エルブラムは話している。何も言い返せない。
「そもそも私たちに選択権はありませんでした。この世界に私たちが降り立ったのは神の意志です」
「神——とはいっても、お前が戦争を加速させたんだろ」
エルブラムは静かに首を振った。
「私は戦争前からこの世界にいました。確かにセラフィム・イスケール・シェルミール・テュサエル・フワネエル・トワノユールの6人はその時に降り立ちました。ですが私はもっと前からです」
確かに数は合わない。当時観測された天使は6体。このエルブラムという存在の名前はつい先ほどまでは知らなかった。
「神はこの世界を欲していました。——というよりも世界のすべてを手に入れたい衝動に駆られていました。それは私たちが住んでいた天界も同様です。天界は神によって奪われ、天使としての暮らしも変質してしまいました。その次に狙ったのはこの世界だった。それだけなのです。敗者である私たちを引き入れて」
待ってくれ。俺は今まで何を認識していたんだ……。外から来た天使にすべてを奪われた……。それだけだったはずなんだ。
「私の目的は天界の再建。傲慢な神から私たちの世界を取り戻すことなのです。そのために聖派正教会を立ち上げ、天命を教えました」
「そこだ。それがおかしいんだ。天命ってのは一体何なんだ」
ケルスィは興奮気味に入ってくる。エルブラムは何かを決意し、ゆっくりと口を開く。
「天命というのは、いわばこの世界のセーフティーのようなものです。侵攻してきた神に対抗するために生まれた技術。本来は偽典の使い方が正しく、私が提示したのはその応用というだけです」
「——そういう事か」
ケルスィは何か感じ取ったようで、満足げに笑った。
直人はどうすればいいのか分からなかった。今まで自分が抱いていた感情の矛先は間違っていたのか。
セラは理解していたはずなのに、直人からの憎悪に対して反論することは無かった。
美月を覆っていた紅い球体は、急に霧散を始めた。チリチリと赤い光が蛍のように、無造作に飛んでいく。髪が赤くなった美月は、ふわっと床に寝そべった。依然として目を覚ますことはない。
「——美月」
そっと頬に手を触れると温もりを感じる。生きているのに、もうすでに美月ではない。目が覚めた時……セラにどのように接すれば良いのか分からない。自分がどうしたいのかも全く分からない。そもそも今は考えたくないのかもしれない。
また、また無力だった。結局何をすることも出来ず、決まった運命を見送ることしか出来なかった。美月を救い出せた過去も、今回の件でただの幻想だと分かった。彼女の運命は、アドナイに連れていかれた段階で確定してしまっていたのだから。
(――そうか。俺には……)
たった1人を護ることすら叶わないのか。一粒の涙が自分から垂れたとき、直人は手を離し立ち上がった。
「にぃ、さま?」
後ろからフワネの心配する声が聞こえた。
「フワネ、ごめんな」
「どういう、こと? ねぇさま起きたら、いっしょにかえろ? それでいっぱい……いっぱいはなそ?」
「……ごめんな」
直人は手紙をしまい、ドアに手をかける。心も体も弱く見えたのだろうか、フォティアに右肩を掴まれる。身体が引き止められる感覚は、無駄に無力さをあおった。
「おい! 変なこと、考えんじゃねぇぞ!」
「別に《《すぐ》》死ぬわけじゃないさ」
「おい待てよ!」
フォティアの制止を振り切るように、肩に乗った手を払いのける。そのまま、黙って教会から出て行ってしまった。ドアの閉まる音が周囲に響く。
「にぃさま……」
フワネはすぐに直人を追いかけようとしたが、それをエルブラムに止められてしまった。黙って首を横に振る。
「私たち天使が向かっては逆効果です。」
「……ん、そうかも」
「ケルスィ、奥で話を。フワネも来てください」
エルブラムとケルスィ、フワネは奥の部屋に入っていく。取り残されたフォティアは、払いのけられた右手と、閉ざされた扉を見つめる。
「馬鹿野郎が」




