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天使に喰われたオーディナリー  作者: 猫飯 みけ
第4章 聖派正教会
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Angel 49 天使に喰われたオーディナリーⅠ

 中に入ると人影は見当たらない。ただ、右の奥側からコツコツと靴の音がこだましている。それは次第に大きくなっていた。自然と緊張感が走る。


「ようこそいらっしゃいました……」


 目を白い布で覆った女性が、静けさを連れて歩いてきた。温厚そうな印象を受けたが、この人物が主であることは理解できる。背中から伸びている2つの羽。そしてセラやフワネでは見たことのない天使の輪。原体の天使である象徴だ。


 顔を外で倒れている信徒たちに向けると、「はぁ」とため息をついた。目が見えないはずなのに、なにかを感じ取ったようだ。


「私も人のことは言えませんが……もう少し何とかならなかったのでしょうか? 穏便にといいますか……」

「1人は生かしているし先に仕掛けてきたのはそちらだが? 正当防衛と言う気はないが、正当な命のやり取りだろう」

 

 女性は困ったように微笑んだ。


「私たちは命を奪うことはしていませんが……」

「美月をさらっておいて、身内が殺されるのは許せないってか? それは随分と虫が良すぎるな」

「そんな人聞きの悪いことを仰らないでください。あれは彼女の選択だと聞いておりますが。無理やりにはしていないはずです」

「数で威圧して、自由意思がないままの選択と連行を"彼女の意思"と呼ぶならそうなんだろうな」


 再びため息が聞こえてくる。


「わかりました——こちらにも非があったのでしょうね」


 あくまで"そういう事にしておく"という意思が見える。平行線のまま、互いに誠意さを感じさせない。話しかけるタイミングを見計らってか、ケルスィが口を開いた。


「エルブラム様、久しぶり」

「この声は……ケルスィ……ケルスィなのですか!?」

「そ。今日はちょっと聞きたいことがあって、戻ってきたんだ」

「心配していたんですよ! 私との間にいざこざがあってそれから……!」


 エルブラムと呼ばれた天使はひどく興奮したように、その場でおどおどとしている。本心からケルスィを気にかけていたのが伝わってくる。


「あの時は本当にすみません。でも、これは信用の問題。貴方をあたしが信じられなくなっただけなので、エルブラム様の気持ちは関係ないんですよ」

「そうですか……それでも」


 エルブラムは誰かを亡くした様に、とても寂しそうだった。彼女たちにも積もる話はあるのだろうが、今はそれどころではない。


「美月はどこだ。ここにいるんだろう? さっさと居場所を教えろ」

「…………」


 突然口を堅く閉ざしてしまった。それは——後ろめたい事があるということ。だとしたら……嫌な予感がする。


「どこだ! 早く教えろ!」

「……はぁ、こちらです」


 エルブラムは右手を奥の方に向けた。

 走った。あの扉の先には、あっけらかんとした顔をして美月が座っているはずなんだ。

 

 ——そう願った。いつものように「どうしたの?」と聞いてくる彼女を。


 今までで、こんなにも長い廊下はなかった。実際の距離は大したことないだろうが、扉までの道が一生続くような錯覚がある。足を進めても距離が縮まる気はしない。遠い、ただひたすらに遠い。内界解放リベラシオンを使っているから……そのようなこともあるが、それだけではない。

 

 やっとの思いで冷たい金属に手をかけた。この先に美月がいる。はやる気持ちと共に、そこしれない恐怖感が覆ってくる。抵抗感のない扉は、空気をかき分け神秘的な光景を映し出した。


「——美……月……」


 包まれていた。柔らかな紅の光に。美月は球体の炎に抱かれ、静かに浮いていた。それはゆりかごにいる赤ん坊のように。目は安らかで、ただそこで眠っているかのようだ。

 

 今まで生きてきて、これ以上に美しいものを見たことはない。とてもはかなく、朧気おぼろげで情熱的だ。ただ美しい以上に怖い、恐ろしい、耐えられない。なぜならこの光景を、過去に一度だけ見たことがあるから。


 忘れるはずもなかったセラ以外に初めて見た天使の姿。蒼く、美しいその光景は、今目の前にある神秘と変わらない。


 (同じだ、フワネエルが暴走した時と……)


 アルゴーでは、少女に異変が……壊れた精神をも護るように、さなぎになった。水球というまゆに閉じこもった。そして蝶が生まれる時、美しい天使の羽を生やしていた。その時と瓜二つだ。


 ただひとつ違うのならば、美月の表情はとても安らかである。なにも苦しんでいる様子はない。


 (――嘘だろ?)


 膝から力が抜けていく。ふらつく脚を動かし、後ろを向いた。


「これは……なんだ?」


 自分でも声がかすれているのが分かった。

 

「彼女の内に眠る天使を、完全に目覚めさせようとしているのです。仮の体、仮体かたいから新たな体、新体しんたいへ昇華させている途中です」


 そんな話は聞いていない。そんな説明は求めていない!


「美月は……美月は生きているんだろ! なぁ!」

「――彼女に美月という精神体はもう《《ありません》》。今ではもう天使セラフィムの身体であり、天使セラフィムそのものです」


 身体中の血液が全て心臓にある錯覚。顔に黒いカーテンを被せられたかのように視界は暗転し、手足の感覚はどこかに消えてしまった。身体中が熱いのに、何故か顔だけは寒い。吐きそうだ。


「――ラム……エルブラムぅ!!!」

 

 怒り。そんな稚拙ちせつな言葉では言い表せない感情の波が押し寄せてくる。こんな感覚は親を殺された時以来だった。覚えていない。自分がどのように拳銃を構えたのか、どんな思いで引き金を引いたのか。ただ衝動のままに身体を動かした。


 思いの全てを乗せた弾丸は、どこからともなく現れた水球で止まった。そして背後から感じる暖かい触感。


「にぃさま! おち、ついて!」


 フワネエルが直人を後ろから抱きしめていた。天使である彼女が本気で抱きつけば、直人は死んでしまう。だが、彼女は人間のような優しい抱擁ほうようをしていた。


 (……フワネは大きい声で叫べたんだな)


 ふとそう思った。暴れる身体を優しくもしっかりと止めらる。


 抜け出せないと体が理解するまで、時間がかかった。……そして漏れ出す透明な液体。光る瞳からじわりじわりと確かに垂れていく。子どもみたいだった。文字に表せないような泣き声で、吐きそうになりながら無様に座り込んだ。


「にぃさま……」


 フワネエルは終始優しい声で直人のそばにいた。

 世界で一番愛していた。護りたかった。失いたくなどなかった。まるで自分の世界を彩っていた天使だった。なのに……それなのに……。

 

 美月は天使に喰われてしまった。

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