Angel 37 If I lost my Angel
訓練室での鍛錬が終わり、直人たちはアジト内のソファーで休憩をしていた。水の入ったグラスに口元を近づける。
「どう? 何かわかった?」
「あぁ。内界解放の調整が以前より効くようになってきた。考え方は今の方針で合っている……と思う。それで、試したいことがある。休憩終わったら良いか?」
「良いわよ。私にとっても————ッ!」
セラは途端に姿勢を改め、ある一点を見つめた。フワネもぼーっとではあるが、そちらを見ている。目先には何もない。ただ代わり映えのない部屋の隅だ。天使の2人以外は、何も感じることもなく、ただその異様な光景に不信感を覚えているだけであった。
部屋の隅の空間が、薄紫色に歪んでいく。まるで水蒸気がそこから発生しているかのようにぼんやりとしている。次第にその空間から人影が5人分浮かび上がり、実体をもちはじめた。特徴的な白いローブ、そして分厚い本を抱えていた。彼らからは殺意こそ感じないものの、何か悪意を持っているように思える。
「ミスター、お久しぶりです。お時間になりましたので、迎えに参りました」
中央の男が、直人に向かって話しかけた。――どこかで聞いた声、どこかで感じた威圧感に似た畏怖。身体がその男を思い出した。奴の名は。
「——カーディナル」
「覚えてくださっていたのですか」
「こうして顔を合わせるのは初めてだな。何の用だ」
以前のように、圧に飲まれる訳にはいかない。無理やりに体を動かし、銃口を向ける。情けない、腕が震えて狙いが定まらない。右手を抑えるように左手を添える。
「先ほど言いましたように、セラフィム様をお迎えに参りました。それにフワネエル様も」
セラとフワネは名前を呼ばれたにもかかわらず、表情を動かすことはせず、淡々と見つめている。警戒はしているようだが、恐怖はしていないのが伝わる。
「無い、とは思いますが、万が一逆らうことがありましたら実力行使をさせていただきます」
「まさかあなたたち、天使2人に敵うとでも思っているの?」
嘲るかのように、セラが笑っている。いくら精鋭が集まっても、所詮は人間。天使2人に勝てるわけがなかった。
「思っておりません。ただ、主はこのようにおっしゃっていました。聖戦以来ですね、と」
「……そういうこと」
その言葉を聞くなり、セラたちの表情が一変する。ハッとしたように、連中を見つめている。セラとフワネは揺らいだようだが、奴らの思い通りにはさせない。させたくはない。もう二度と美月を失うわけには————いかない。
「そう簡単に連れて行かせると思うのか?」
「直人、やめなさい。フワネ? 分かっているわね」
すぐさま直人を制止すると、フワネと顔を合わせた。互いにうなずくと、一歩前に出る。
「良いわ。私たちを連れていって」
「おいセラ! フワネ!」
2人は直人の方を向くことはなかった。すでに心は決まっているようだ。ただ、せめてこちらを……見てほしい。
「私たち少し行ってくるわね。これは必要なことだから」
「ねぇさまに、ついていく、だけ」
そう言い残し、連中に近づいていく。行かないでくれ……離れないでくれ。
「少し……少しだと! 明らかにこいつらは異常だ! 帰ってこれるかも分からないんだぞ!」
「それでも私たちは行ったほうが良い」
嫌だ。目の前から日常がなくなってしまうのは、もう嫌だ。あの下らなく暖かい家庭を無くすのは、もう嫌だ。どうしても手放したくない。
「ッ……お前の身体は、お前の身体は美月の物だ……! 美月が決めることだ」
最低だ。最低だ。俺は最低だ。
決して口にしてはいけなかった。セラはやっと振り向くと、ひどく辛そうな顔をする。俺が見たかったのはそんな顔じゃない。やめろ、そんなに寂しそうな顔をしないでくれ。せめて、俺を怒ってくれ。
セラは目をつむる。そしておもむろにまぶたを開けた。
「心配してくれてありがとう。私なら大丈夫。セラならきっと正しい道を選んでくれるよ」
美月はあどけない笑顔で直人を見ている。おそらく中でセラと会話をしているのだろう。言葉には迷いがなかった。だからこそ、俺だけ理解が追い付かない今が辛い。
今、蚊帳の外なのは直人だけ……。
「それでは主のもとに参りましょうか。“空の狭間。理の変針。扉の鍵は此処に。穢よ、信徒に奇跡を。真装・ラウムシュリュッセル”」
カーディナルが詠唱をすると、再び空間が歪む。続々と空間に飲み込まれていく様を、直人は黙って見ている事しかできなった。無力さと自己嫌悪が身体を止めてしまう。
「じゃあ直人、行ってくるね!」
フワネも、セラも、美月も中に入っていく。
「ま、待ってくれ……」
かすれ、消えていきそうな直人の声は、美月に届かなかっただろう。ただ、大切なものが手のひらから離れていく、絶望的なまでの寂しさが直人を包んでいった。
その場で立ち尽くし、静けさに刺されているようだ。
「コーマン先生」
終始、口を開くことのなかったコーマンに語りかける。彼女はカーディナルをじっと観察しているようだった。
「奴らの、聖派正教会の居場所は分かりますか」
「私を誰だと思っている? 元だが、コンフェッサーの聖席の一員だ。その問いは愚問と言える——そう言いたい所だが、あいにく専門外だ。アドナイ4区の興信所に依頼しよう」
「……シュテルクスト、ですか」
「あぁ。彼なら最短で導いてくれるさ。それほどの能力が彼らにはある。この世全ての事象を把握していると錯覚するほどにね」
「ではお願いしてもいいですか?」
「……行くのかね」
「はい。2度も失いたくはないですから」
直人の左目は紫色に光っていた。




