Angel 36 偽典
フォティアはそこらへんにあった木の枝を拾う。海水でぬれているのか少し湿っていた。胸元で構え、深呼吸をする。ケルスィが言った言葉をそのまま復唱する。
「間の消失、時の象徴。扉の鍵は我が手のひらに。穢よ、奇跡を魅せよ。偽装・ラウムシュリュッセル!!!」
声高々に詠唱するフォティアだったが、何も起こらなかった。彼を笑うように、静かに波の音がザザーっと聞こえるだけだ。
「——何もおきねぇんだが!? これだとめっちゃ恥ずかしいやつじゃないか!」
「そりゃそうさ。詠唱するだけで出来るんだったら苦労しないよ」
ケルスィは豪快に笑いながら、右手で空を仰いだ。
「話をちゃんと聞いてたか? だからさっきも言ったろ。言霊を操り、空にいるカミサマの言葉をお借りする。そんでもって、奇跡を起こす……って」
「それってどういう意味だよ……ケルさん。意味わかんねぇ」
フォティアは頭を悩ませた。何一つ理解できなかったからだ。
「イメージするんだよ。その言葉にはどんな思いが込められているのか、どんな情景がこめられているのか。言葉から言霊に昇華させるんだよ。ただの文字の羅列を風景にしな」
「その想像力で何とかなるのか……?」
「使用者がする手順はそれで間違ってない。だが勿論、まだまだそれだけって訳じゃないさ。カミサマの力を借りなきゃねぇ。人の力ってのは限界があるからな」
「カミサマ? それさっきも言ってたけどよ、《《カミサマって何だ》》……?」
聞きなれない単語。何かの人物か、力か、物体か? フォティアには全く持って予想が付かなかった。
「そうか……一般には知られてねぇんだな。すまねぇ、教会だと当たり前すぎて感覚がズレてるみたいだ。——神様、それはかつてこの地上に実在した超常存在。神の名は、書物やおとぎ話に至るまで、完全に消されているからお前が知らないのも無理はない」
「まてまてまて。何もわからねぇ。そもそも超常存在って何だ? 消された……それは何故だ?」
「ったく質問が多いな。超常存在ってのは、まぁ天使よりイカれてるやつらだと思っておけ」
また意味が分からない。天使よりイカれている……? それほどの強さを持っている存在がいるだなんて想像ができない。
「天使ってあの天使だろ? それよりイカれてるって……悪い冗談だ。脅しにしても無理がある」
「あたしも会ったことはねぇよ。強さも存在感も天使なんて目じゃないらしい。で、質問の答えだが、その神の名が消されたという話。こっちはかなり複雑だ。神に天使にアドナイに教会。それに戦争、聖戦。複雑に入り混じっている。説明するには時間がかかるが……ま、簡単に言うなら、あたしたちの神は別世界の神に負けたんだ。んで、今存在している神は別世界の神だけってわけさ。ちなみに名前はアバトー・クレデヒノフっていうらしい」
頭がパンクしそうだった。知らない単語が多すぎる。聖戦とは、別世界とは何なんだ。
「……あ、わかったぞ! 天命ってのは、その別世界の神から力を借りている……ってことか!?」
「教会が生み出した真典はな。だが、あたしが書いた偽典は恐らく違う」
「違うって、別世界の神しか神はいないんだろ?」
「そうだ。だが、実際あたしの儀典でも天命は使えている」
「どういうことだ?」
今度はケルの話すことに矛盾が起きている。いない神の力を借りるってどういうわけだ?
「最初に言ったこと、覚えてるか? 天命は神様から受けた啓示を言霊にし、自然の事象として奇跡を起こす技術。《《表向きはって》》」
「言ってたな」
「聖派正教会の言い分はこうだ。天命は、天使様が降り立った際に私たちに与えてくださった不思議な力。神様の力をお借りする素晴らしき力。これを悪用する可能性のある俗世には、与えてはならない……ってね。馬鹿か? とあたしは思うけどな」
「別におかしくはないだろ。天使ならそれくらい出来るんじゃないか? magicaを作ったのも天使だっていうし」
フォティアにはおかしい点は見当たらなかった。
「メリットは」
「は?」
「天使が、神様があたしたちみたいな弱者である人間に力を与えるメリットは何処にある?」
「それこそ自分たちに信仰心じゃねぇけど、勢力を集めたかったんじゃないか? でっかい力はそれだけで人を集める」
「だったら力を誇示するだけで良かった。わざわざ力で反抗されるリスクはおかさないだろ」
そうれはそうだ。確かに絶対的な力を見せつけるだけでも、信仰心とまではいかなくとも、服従させることはできたはずだ。今の軍事力で圧政しているアドナイのように。
「じゃあフォティアに問題だ。天命ってのは一体何なんだ? それにmagicaは一体だれが作った? 本当に天使が生み出したのか?」
「…………」
「悪い、少し熱くなっちまった。まぁ分からなくても良いさ。——で、本格的に始める前に決めなきゃいけねぇことがある」
ケルスィは腰を下ろし、再び煙草に火をつける。ふーっと白い煙を吐くと、落ち着いた表情で下を見た。
「……正直あたしを師にするのはお勧めしない。そういう柄でもないしね。真面目に学びたいなら教会にでも行きな。信徒になるってなら、きっと親切に教えてくれるさ。それこそ手取り足取りね」
「俺みたいな奴が教会にはいけねえよ。それに話聞く感じ、教会はきな臭いからな」
「にしても、あたしの突拍子もない話は鵜呑みにして良いのか? カルトの勧誘かもしれねぇぞ」
「————」
完全に場の空気に流されて、信じきっていた。頭が回らない自分が情けなくなる。
「ははは! お前、変なつぼ買わないように気をつけな。今どきはいろんな手法が流行っているらしいからな」
「……どうも忠告ありがとう。気を付けるよ」
「じゃあ取引をしよう。あたしはお前に天命を教える。で、お前はあたしに世界の情勢を教えてくれ」
「情勢って、それだけでいいのか?」
「あぁ。ここだと何も分からなくてね。見ての通り人っ子一人いない。前は教会に引きこもっていたし……」
「わかった。一般人よりかは詳しく話せる自信はある」
フォティアとケルスィは互いに手を取り、海岸沿いを後にする。落ち始めた太陽が、幻想的に海面に映っていた。
***
プロメテウスのアジト、アルゴーから生きながらえた彼らは、悲痛な状況で座り込んでいた。リーダーは行方不明、適性体も回収することができなかった。成果は無く、ただ人材の浪費と出費がかさんだだけ。
「なぁ……これからどうするよ」
シューターは自暴自棄に問いかける。この発言は、この場にいるメンバーに対してのようにも思えたが、自分への問いにも思えた。
「どうする……ですか。私たちは進む道が選べるほど恵まれていません。……誰が死のうと、誰がいなくなろうと、やることは変わりません」
参謀は淡々と答えてはいるが、心中は穏やかではなさそうだった。てのひらは、とても強く握りしめられている。
「お兄ちゃんは……リーダーは探しに行かないんですか」
エスパーはひどく歪んだ顔で参謀を見つめた。実の兄を蔑ろにされたのだ。無理もない。
「冷静に考えて、あの状況で生きている私たちが異常なんです。生存は絶望的でしょう。それに、どこを探すんですか? 海の中ですか!?」
「参謀さん……いくらなんでも言い方ってものはあるっすよ」
エーミールは感情的になった参謀をなだめ、肩に手を置いた。
「そんなの分かってますよ!!! 私だって探したいですよ! でも! それでも! …………すみません。頭冷やしてきます」
参謀は手を振り払い、乱暴に外に出ていく。未だに重苦しい空気は消えない。
「わたしもごめんなさい……みんな思っていることは一緒なのに……」
「仕方ないっすよ。みんないっぱいいっぱいですからね。あぁ見えてリーダーは上手くまとめてくれていたっす。……そのうちきっとケロっと帰ってくるっすよ」
エーミールは気づいていた。くだらない言い合いをすることが多いこの組織。それでも互いに強い信頼の上で成り立っていたのだと。だからこそ、早くリーダーに帰ってきてほしいのだ。




