Angel 27 アドナイ軍編Ⅰ
体が冷たい。昨日雨に打たれたせいだろう。公園のドーム型遊具の下で寝てみたが背中がひどく痛い。気づけば、黒い野良猫が雨宿りがてらとなりで毛づくろいをしている。猫はこちらを見て不思議そうに首を傾げた。
「別に……何でもねぇよ」
ガチガチに固まった体を動かす。寒さをしのぐために手をポケットに入れると、何かが指先に触れた。
「お前に頼りはしない」
美月を攫い、2人の両親を殺した軍人に頼るなど侮辱とさえ言える。
「――なぁ、美月は今どこにいんだよ」
猫はにゃーと鳴くだけで、答えなんてかえって来やしない。
実行犯は軍人だったが、美月は軍に捕まっている訳では無いだろう。人体実験や天使の器として拉致されたのだ。今はどこかの研究機関にいると考えるのが自然だ。
「軍……そうか!」
直人は走って公園の隅にある公衆電話に向かった。残り少なくなった硬貨をいれ、紙切れに書かれている数字を打ち込んでいく。呼び出し音がなると、すぐさま相手は電話を取った。
「雨宮だ」
「おう、思ったより早かったな。罵声か? それとも頼み事か?」
「頼み事だ。――俺を……軍に入れてくれ」
「軍に? 一体どういう風の吹き回しだ」
不幸中の幸い。今は戦後復興の真っ最中。軍を志望する理由なんていくらでも作れる。
「両親がいない――詳しくは言わなくてもわかるだろう」
「そうか。その、すまなかった……」
「問題ない。俺みたいな奴が就ける職なんて……限られてるだろ? 知っての通りな」
学のない戦争孤児が出来る仕事なんて、ほとんど存在しない。軍人はその中で最も社会的地位が高い。
「まぁ……そうだな。よし、特例で場を設けることは出来ないが、定期の入隊試験の時に基地に来い。今から枠にねじ込んでやる。素人にしてもあのmagicaなら合格できるだろ。お前みたいな境遇の子どもに手を差し伸べるのも仕事の内だ」
「まるで正教会の聖職者だな」
「よしてくれ。慈愛なんてもんじゃない。そう思われるだけで気分が悪くなる」
電話越しに詰まった笑いが聞こえた。公衆電話のメーターは残り時間が少ないことを伝えていた。
「前島中尉」
「……なんだ?」
「また基地で会いましょう」
直人は返答を待つことも無く電話を切った。そしてmagicaを発動させ呟く。
「それまでにコイツを扱えるようにならなきゃな」
入隊試験までそれほど時間はない。ほとんど使ってこなかったこの異能。最低限でも使えるようにならなくては。
***
アドナイ軍、第15区36支部の広大な土地の一角。前島中尉の所有する部屋のデスク上には、すさまじい量の書類で埋め尽くされている。前島は耳元から受話器を離すと、机の端に置いた。
「あの小僧……切りやがった。マナーも知りやしねぇ」
「前島中尉、今の電話は?」
若い金髪の隊員が前島に向かって尋ねる。
「あぁ、ちょっと前に面白いやつにあってな。なんでも入隊したいだとさ」
「ま〜たすぐ首突っ込むんですから。一体、今まで何人に連絡先教えたんですか」
「今回はかなりの期待株だ。俺の見立てが間違ってなければあいつは化けるぞ」
隊員は、はぁ……とため息をつくと、追加の書類をどさりとデスクに置いた。
「それ、前も言ってませんでした? 変なことしてないで仕事してくださいよ。書類溜まってるんですから。これも、今日中に頼みますからね」
「ははは! そうだったかもな。そうだ、8日後の入隊試験今から申し込み間に合うか?」
「今からですか!? はぁ……出来ないこともないですけど、前島中尉が頭下げてくださいよ。僕あの人事苦手なんですから」
「任せとけ。俺は土下座だって出来る」
「やめてください。部隊の格が落ちます。ただでさえ汚れ仕事ばっかりなんですからね」
隊員がブツブツ言いながら部屋を去り、前島1人になった。
「雨宮直人か……あのmagicaはなんなんだろうな。一般人の拳とは言え、2対1であの捌き方が出来るのか……?」
***
8日後、アドナイ軍第15区36支部には数十名の若者が集まっていた。腕っぷしに覚えがあるもの、magicaに恵まれたものなど様々だ。それらに共通するのは、自信と闘争心。
他者を見定めるような気持ちの悪い空気間の中、直人は地面を見つめながら、面倒くさそうに座っている。周囲には何の興味もない。入隊し、適性体の行方に検討さえついてしまえばこちらのものだ。同期や上官などどうでも良い。
「入隊希望者諸君! 今日は集まってもらってありがとう。俺はアドナイ軍中尉ブラウン・シュリット。早速だが改めて試験の説明をさせてもらう。昨今の情勢から、軍は幅広い人材を求めている。magicaに精通している者から、運動能力の高い者に頭の回るもの……だが使えない頭数は要らない。必要なのは質だ」
スキンヘッドの30代くらいの男が、手を組みながら話し出す。
「今回は実技と筆記、それぞれの成績上位者10名を入隊許可とし、同時に養成校への入学とする。まずは筆記からだ。全員指定された部屋で受講してくれ」
直人たちは少人数に分けられ、筆記試験を受けさせられた。歴史、簡単な数学、兵法など。専門知識に関してはからっきしだが、それ以外は及第点といったところだった。このご時世に学校に行ける家庭が全てではない。直人は恵まれた境遇だったのだろう。
「次に実技だ。全員外に出てくれ」
試験教官に促されるまま外に出る。周囲はひどくやる気に満ちていた。
「本来であれば我々試験官と組み手をしてもらい、有能なものを見定めるのだが、今回は人数が多いため、組手を行ってもらう。ペアを組み、開始合図までに位置についてくれ」
直人は周りを見渡していた。magicaをもっているやつより、ただの力自慢のほうが倒しやすい。そのため、明らかにmagicaを持っているようなやつ、そう、このような体の細いやつは相手をしたくない。
「お前、ペア決まってる?」
顎を上げ、ふんぞり返っている男が話しかけてきた。明らかにこちらを見下している。どれだけ自信があるのだろうか。
「決まってない」
「なら決まりだ。俺とやろうよ」
こいつ、断られる可能性を一切考えていない。周囲もペアが決まりだしている。仕方がない。
「分かった……さっさと開始位置に付こう」
しばらくして合図がかかる。
「当たり前だが、相手の生死に関わるほどの交戦は禁止だ。良いな? それでは開始!」
男は意気揚々と雄叫びをあげながら突っ込んできた。両手には炎を纏い、熱気が頬を刺してくる。なるほど、どおりでその自信を持っていたのか。
拳についた炎はバスケットボールほどのサイズで、一般人なら躱すことも難しいだろう。加えて恐怖で足もすくむ。
だが、直人は恐怖しない。殺意の籠った特殊銃の弾丸を浴び、身近な人間の死を見ている。トラウマになりそうなその経験は、ただの暴力には屈しない。
「内界解放」
直人は相手の拳をゆっくり見つめ、ため息をつく。——それだけか。ただ炎を拳に纏うだけ。魔法とも言われる力を持っておきながらその程度か。
ゆっくりと体を傾け大ぶりな打撃を躱す。そして鳩尾に一発、拳を叩き込む。相手が衝撃によって後方に倒れ始めると、顎をめがけて回し蹴りをした。
相手は土煙をあげながら軽く吹っ飛び、倒れこんだ。
「はぁ……せっかく鍛えてもこの程度じゃ意味なかったか」
スキンヘッドの試験官、ブラウンは直人のもとに近づき、声をかける。
「うん、悪くない。どうだ? 私と組み手をしよう。私はmagicaを持っていないが、君は自由に使っても構わない。どうだ?」
「——お手柔らかにお願いします」
気づけば周囲がこちらを見ていた。誰が相手であろうがやることは変わらない。直人はmagicaを発動させ相手を見つめる。あちらから動き出す様子は一切ない。
直人はゆっくりと間合いを詰め、右の拳を振りかざす。試験官はそれに即座に反応し防御姿勢をとった。しかしそれは直人の期待通りの動きだ。下から左腕を伸ばし、足をつかみにかかる。相手の行動を見てから対応できるこのmagicaは対人戦において間違いなく強かった。
掴めると確信したその瞬間、教官は直人の左腕を見ることなく足で手を払って見せた。
(嘘だろ……コイツ、こっち見てなかっただろ!)
思考が疑問で埋め尽くされ行く。人間は行動をするには目視して、認識し、行動するといったプロセスを踏む——《《そう思っていた》》。直人はされるがまま右腕を掴まれ、投げ飛ばされる。
背中に伝わる激痛が直人を襲った。いくら動きが見えた所で自分の行動が早くなったわけじゃない。そこら辺の不良にも、腕っぷしにも負けたことは無かった。それだと言うのに……
「狙いは悪くないが初動があからさまだ。対角線にある足を狙うのもバレ易い」
「——」
直人は心の中で舌打ちをした。
「名前は?」
「雨宮直人」
「ふっ、お前が前島の言っていた奴か。改めて俺は指導教官のブラウン・シュリットだ。《《今後とも》》よろしくたのむ」
倒れている直人に対し、ブラウンは手を差し伸べた。




