Angel 25 天使に喰われたオーディナリー0
未だに慣れない高校までの通学路。少し離れているため、自転車で飛ばしていく。周りには家屋や商店が増え、かつての荒地が見えないほどになっていた。ここら一帯は開拓が終わったといえる。昔と比べて、少しは安全に暮らせているのだろう。
桜が散り始めた頃。学校から帰り、2階自室のベットにリュックを投げ捨てる。カーテンをあけ、隣の家に目をやった。美月の部屋に明かりはついていない。まだ帰っていないのだろう。
小学生の頃は引っ込み思案だったが、ここ最近は生意気……よく言うと気丈になってきた。イラッとする事もあるが、昔に比べればこの位が丁度いいのかもしれない。……変な心配はしなくて済むのだから。
夕飯を食べ、20時頃。暇つぶしに携帯をいじりだらけていると、唐突にチャイムが鳴った。どうせ宅配だろうと高をくくって玄関を開ける。
「はいはい、今出ますよっ……おい、それどうした!?」
息が詰まる。そこにいたのは美月だった――服は泥で汚れ、所々に切ったような出血や痣が見える。
「直人……どうしよう……私……私!」
声が震えている。何かに酷く怯えているように見えた。パニックになっている美月を見て、ただ事ではないと分かる。焦る気持を必死に抑えながら肩に手をおき、話しかける。
「どうした? まずは落ち着け」
まるで自分に言い聞かせているようだ。美月は震えながら口を開く。
「――適性体になっちゃった」
サッと血の気が引いていく。適性体、すべてのmagicaに適応する体質。その特異体質は国にとっての資源そのものだ。
「な……! おばさんたちには?」
「まだ話してない……どうしよう、直人。私、どうすればいいの?」
直人は道路を見渡し、周りに人気がないのを確認する。
「とりあえず中に入ろう」
彼女の手を取り、そのまま美月の家に転がり込んだ。適性体であることが発覚した場合、そのまま学校に残り国の機関に引き渡されるはずだ。その彼女が今ここいるという事は、逃げ出したのだ。
2階の美月の部屋に入り、電気をつけることも無くベッドに座る。現実味のない状況が、心臓の鼓動を早めていた。
1階のリビングでは親同士で話し合いをしているようだ。少しだけ話し声が聞こえてくる。匿えばこの場にいる全員が消される。「はいそうですか」と手渡す気もさらさら無い。
「――念のため聞くが、適性体ってあの適性体だよな?」
美月は静かに頷く。
「そうか」
適性体は国が責任を持って安全にお守りします。これが表向きの話だ。真偽は分からないが、安全に守るなんて嘘っぱちらしい。本当はモルモット扱いの非道な行いがされている。そんな噂が後を絶たない――まぁ、噂ならどんなに良かっただろうか。
「美月」
「……ん、なに?」
「逃げろ。今すぐにだ。荷物は最小限にした方が良い」
美月は顔を上げてこちらを見る。
「俺だって一応magicaは持ってる。少しくらいは時間を稼げるさ」
「でも!」
「反国家団体なんていくらでもいる! 此処にいるよりそっちの方が安全だ。どこか信頼できる人を見つけて、匿ってもらえ。ここで終わるより幾分かはましだろ」
「時間稼ぐって! そんなことしたら直人は――死んじゃう、死んじゃうじゃん! それなら私が生きてる意味なんてない! 私もここで死ぬ!」
彼女は泣いていた。先ほどまでは恐怖するだけで、涙は必死に堪えていた。それだと言うのに、今は直人の言葉で涙を流している。泣かせてしまったのだ。
「……言ったろ。時間稼ぐだけだよ。俺もすぐに逃げて合流する。この状況、どのちみち俺も片足突っ込むことになるんだ。格好くらいつかせてくれ」
「でも……」
無意味な押し問答が始まろうとしていた瞬間、この場で1番聞きたくなかった音がした。――チャイムと共にドアを強く叩く音が。
「古閑さん? いるんでしょう? 娘さん帰ってませんかね!」
変な汗が止まらなかった。男の怒声で、脳の容量が圧迫されていく。外から聞こえる声からするに、どうやら複数人いるみたいだ。一緒についてきたのだろう、美月の担任も怯えた声で「出てきてください」と懇願しているみたいだ。
部屋の中を見渡す。ここから出るには窓しかない。屋根を伝って降りればいけるだろうが、ほぼ間違いなく視認される。——素直に逃げる選択は取れないだろう。
「……ちょっと様子見てくるよ。でないとドア壊されそうだしな。おじさん、まだローン残ってるだろ?」
「危ないよ……」
「俺は大丈夫だって。美月は隠れておけ。電気は消したまま、な」
美月の頭をさすり、ゆっくりと部屋を出る。聞いたこともないほどに躍動している心臓が「ここは危ない。今すぐ逃げろ」と警告しているようだった。
階段を下りている途中だというのに、今にも吐きそうだった。玄関が見えると美月の父親が、今まさに扉を開けるところだった。でしゃばらず、様子をうかがう。
「どちら様でしょうか? 宅配にしては随分と乱暴ですね」
扉の先にいたのは想像通り軍人だった。鍛え抜かれているのが良くわかる。
「古閑美月さん、帰ってませんかね?」
「美月ですか? 今日は部活で遅くなるはずですよ。どうやら大会が近いらしくてね」
「——正直に答えたほうが貴方のためだ。このローファーは? 美月さんには姉も妹もいないのは分かっている。だとするならこれは彼女のものだ」
「スペアくらいあってもおかしくないでしょう。変な言いがかりはやめてください」
まずい。どうすれば良いのか分からないが、漠然とした危機感が直人を襲う。
「入るぞ。我々は家宅捜索を容認されている」
「それはいくら何でも……」
1人がおもむろに白い機械をとりだす。形状からしてあれは——拳銃だ。近年主流になっているエネルギー弾を放つ特殊銃。
「そうか……それは残念だ。安心しろ、音は小さいから近所迷惑にはならない——お前は上を探せ」
「了解」
探されたら時間の問題だ。階段の前に立っている直人に対して、ひとりの男は睨みを利かせる。
「少年、悪いことは言わない。どきなさい。そうでないと君も殺さなきゃならない」
「——」
感じたことのない圧が襲ってくる。すべての面で絶対に敵うことのない相手だ。どう返しても止められる未来が想像できない。それでも決して道を開けるわけにはいかない。
「やめて! 美月をつれていかないで!」
唐突にリビングから美月の母親が飛び出してきた。そしてそのまま二階に上がろうとしていた男にしがみつく。
「だめだ! 無理に止めたら!!!」
美月の父親が制止させるも間に合わない。今、この軍人を……特に銃を構えている男を刺激してはならない。これでは彼らに公務執行妨害という免罪符が出来てしまう。
銃口がゆっくりと母親に向いていく。直人にはどうすることもできない。ただの高校生であった彼には、放たれた弾丸、薄い水色のエネルギー弾を瞳に映すことしかできなかった。
無惨にも脳天に着弾した弾丸は、赤い液体を掻き出しながら進んでいく。脳が理解を拒んでいた。戦後、世界統一国家により訪れるはずだった平和はここにはない。あるのは傍若無人な暴力と権力の横行。
(人は……死ぬんだ。こうも、あっさりと……)
——戦争がなくっても、平穏な日常などは存在していない。自分の見ていなかったこの世界は、常に死と隣り合わせだったことを理解する。
「きゃあああああああああああ!」
声にならない悲鳴が鼓膜を貫いた。幾度となく聞いてきた自分の母親の声だ。
——動け、動け、動け動け動け!
震える膝は自身の意識とは乖離している。再び慈悲もなく放たれる弾丸。優しく動いていた母親の心臓を貫いていく。
——止めろ止めろ止めろ止めろ!
父親たちが狂った表情で男に向かっていく。敵うわけがない。戦争を生き抜いた軍人が現代兵器を持っている。丸腰の男2人ではどうすることもできやしない。
——倒せ倒せ倒せ倒せ……
気づけば銃口は直人に向いていた。自然と死を悟る。あっという間だった。抵抗すらできずに死が向かってくる。
magica。その名の通り『魔法』。どういう訳か、魔法は本人の意思に反して力を示した。弾丸はまっすぐ直人の頭部めがけて飛翔している。だが、その弾丸は目で追える。どうすれば死を免れるのか《《分かる》》。
直人は体を横にそらし、弾丸をギリギリのところで避けようとした。だが、弾丸は頬を掠めていく。味わったことのない異常な苦痛とこの光景は、直人の意識を刈り取った。




