Angel 24 あの夏の日に
今から12年前の聖歴16年。直人は小学生最後の夏を過ごしていた。当時の街並みは戦後復興した居住区と、それ以外が明確に区切られていた。
整備された居住区に住んでいても、道を一本でも外れれば、広大な荒れ地が広がっている。しかもそこら中に不発弾が転がっているかと思うと安全とは到底言えない。
ただでさえ気が休まらない生活だというのに、太陽は例年通り容赦ない熱を浴びせてくる。夕方とは思えない暑さだ。汗を拭いながら玄関のドアを開け、手を洗うことも無くソファーへ寝ころんだ。ひんやりとした感覚がほっぺたに伝わってくる。
これがこの時代での日常。《《変哲もない》》ある日のことだった。家族3人が揃う夕食。今日は蕎麦が振舞われていた。
「……また麺類かよ。一昨日は冷やし中華、昨日はそうめん。それで今日は蕎麦」
直人が少しげんなりしながらも箸を伸ばす。飽き飽きしていても腹は減る。
「文句を言うならアンタが作りなさいよ……仕方ないでしょ、楽なんだし。それにこれはお隣さんから頂いたんだから。どう? ほら、いつもよりも美味しいでしょ。良いところのお蕎麦なのよ」
「おぉ、もう越してきたのか。案外早かったな」
父親が窓の方を向いて答える。神崎家の隣には、同規模の2階建てが建てられていた。外へ暖かな光が漏れている。
「荷物はまだ全部は運んでいないみたいだけどね——あっ、そうそう直人」
「ん、何?」
蕎麦自体の味は分からない。つゆが少しいつもよりも甘く感じる。そんなことを考えながら適当に返事をした。
「お隣の古閑さん、娘さんがいるのよ。確か……美月ちゃんって言ったかしら。9歳らしいわよ」
「それが?」
「小学校も一緒なんだから、気にかけてあげなさいね。ほら、ここら辺はまだ立ち入り禁止の場所とか多いんだから、いろいろ教えてあげてよ。もう6年生なんだし」
「やだよ……めんどくさい。別に頼まれたわけじゃないんでしょ? 迷惑お節介って言うんだよ」
「ほら、また……直ぐにそんなこと言う。一体誰に似たんだか」
このころの直人は、美月の事は眼中になかった。ただの隣に越してきた年下の存在。それよりも夏休みの宿題の面倒くささが勝っている程度であった。
その後、ご近所付き合いの結果何度か顔を合わせた。美月は内気なようで、常に母親の後ろに隠れるばかり。お互いにコミュニケーションらしいものを取ることは無かった。顔を知っているだけのご近所さん。むしろ気まずさで苦手な相手とも言えた。
最初の方は母親に言われるがまま話しかけてみたが、反応が返ってくることは無い。無視されているわけではないのだろが、自分が傷つくだけだから話しかけることはしなくなった。
そんな夏休みが終わり、熱さが残る9月1日。午前中で終わるとはいえ、憂鬱な始業日に違いはない。永遠に続くように思えた夏休みも、振り返ればあっという間だった。もう少しだらけていたかった。
少し多めの荷物を持ち、玄関を出るとコンクリートと太陽の熱さに板挟みにされた。
「あっつ……」
意味もなく太陽に向かって睨みを利かせる。太陽は知らぬ存ぜぬ、厳しい熱を浴びせ続ける。面倒ながらも機械のように歩みを進めようとしたが、隣の家から叫び声に似た何かが聞こえ、ふと足を止めた。
「嫌っ!」
「嫌って……美月、遅刻しちゃうわよ。荷物だって今日に合わせて学校に運んだんだから。ね? お母さんももう仕事に行かなきゃいけないから。私も遅刻しちゃう」
「無理! 知らない人ばっかだし怖い……やだよ……」
そのまま直人は通り過ぎようとした。が、ちらっと美月の母親と目が遭った。何故か目を逸らすことも出来ずに数秒止まる。
「——ども」
気づけば軽く会釈をしていた。美月の母親は困ったように笑って頭を下げる。正直、直人にとって美月が学校へ行こうが行くまいが、どうでもよかった。ただ美月の母親の困り果てた顔が、子どもながらにいたたまれなくなっただけ。
それに美月の怯え方は異常だ。いつもの内気とはわけが違いそうだ。それに季節外れの引っ越しときた。どうしても嫌な予想が頭をよぎる。
ちょっとした義務感紛いの何かが、自然と口を動かした。
「その……美月だっけか。 一緒に行こうか? 俺で良ければだけどさ」
再び流れる沈黙。そして相も変わらず怯えた表情の美月。
やっぱり声なんかかけるんじゃなかった。気を利かせた自分が馬鹿馬鹿しくなる。もうやめようと思っていたのに。
「————————うん」
だがどうしてだろう。警戒しながらも、美月は首を縦に振ったのだ。母親の隣から離れ、美月は直人の背後にぴったりとくっつき歩き出した。
後ろから「行ってらっしゃい」と聞こえてくる。美月は振り返り手を振った。
歩き始めたは良いものの、2人の間に会話はない。この無言は少し辛い。このまま何も話さないまま登校するのは、難易度が高いように思えた。辺りを見渡して話題を探す。
「――お前さ、これみてどう思うよ」
直人は荒地を見て美月に尋ねる。近くにはこの異様な光景しか無かった。なら話題もそれだけ。アスファルトの道路を挟み、左手は住宅街、右手は荒れ果てた大地。荒野の先に1本の木が見えた。
「草も花も無くて……寂しい?」
「ははっ、だな。これさ、うちの親が見る度に嫌な顔するんだよ。あ、これ秘密な。最悪つかまるかもしれないから」
「うん」
美月は頷く。半分は理解出来ていないようではあるが。
「ごめんな、何言いたいかよくわかんないよな」
「――うん」
別に深い意味は無かった。共通の話題なんてものはないのだから、目についたものを口にしただけにすぎない。
「そろそろ付くし、離れるか? 校門までくっついてると、な?」
少し後ろを付いてきていた美月は、ぴったりと隣を歩いていた。
問いかけに対して、美月は下を向き首を左右に振っている。
「でもクラスまで一緒にはいけないぞ……ってその前に職員室よったりするのかな」
「うん。まず先生のところに、行くって」
「そうか。場所わかるか?」
「うん。事務室から入ってその上にあるって、お母さんから聞いてる」
何とか下駄箱辺りで分かれ、直人はクラスへ、美月は重い足取りで職員室へ向かっていった。その様子を見ていたクラスメイトの男子が声を掛けてくる。
「久しぶりだな神崎——なぁ、あの子誰だ? お前にべったりだったけど。あんなに可愛い妹なんていなかったろ?」
「可愛くない妹もいないよ。あの子、夏休み中に隣に引っ越してきたんだよ」
「へぇ〜。にしてはやたらと距離近かったけど、それは?」
「……本当になんなんだろうな。俺が知りたいくらいだよ」
正直説明ができない。腕に残る暖かさを感じながら、未だに距離感が掴めずにいた。
「なんか不思議なやつなんだよ。人見知りなだけか? にしてはな……」
「あれで人見知りは無理だろ? まぁ早く行こうぜ……そうそう噂なんだけど、そろそろ適性検査あるみたいだぞ! やっとだな~ワクワクするよな!」
男子は目を輝かせながら話している。
「もうそんな時期か。まぁいつかは検査するだろ。早くなったったところで結果が変わるわけじゃない」
「相変わらず冷めてんな〜。magicaがあったらどうするとか、どんなmagicaだとか気になんねぇの? これで一生が決まる様なもんだぞ。街の英雄になるか、家業を継ぐか……あぁ、カッコイイ力が俺にあればなぁ」
「あんまり興味ない。それよりも新作ゲーの発売延期が気になる。今年の秋の予定だったのに、今度は年末まで伸びるってさ」
「それまじかよ! まぁゲームは復興の次の次だろうな……ったく大人は子どもの気持ちも考えろよなぁ〜」
magica。気にならない訳では無い。ただ、その力があると分かった瞬間、自分が人間ではなくなってしまいそうな気がする。単に言うなら――怖かった。
午前中にあった始業式の後、異様に短いホームルームも終わった。
かなり痛んできてたランドセルを背負い帰ろうとする。意気揚々と教室を出た先にあったのは――廊下に体操座りでいる美月。それも今にも泣きそうな表情だった。
クラスメイトは奇異な目で見ながら帰っていく。
美月は直人に気づくと、そっと立ち上がり、袖を掴む。美月は心細かったのだろう。周囲の目が気にはなるが、声をかける。
「あぁ……そのなんだ。帰るか」
「うん……」
これをみた周囲が噂をするきかっけになったことは……言うまでもない。
***
時は数年流れ、直人は高校に進学。美月は中学生になった。2人は同じ時間を過ごし、学校も別々なのにも関わらず、ほぼ毎日顔を合わせていた。気づけば互いの部屋に出入りする兄妹のようになった。
「美月」
「何?」
「何故にお前は俺のベット上で寝ている?」
美月は、脚をプラプラさせながら、うつ伏せで寝ていた。手元には、新しく買った漫画。買った本人ですら、まだ最後まで読めていない。
「だって直人の部屋には読みたい漫画あるんだもん。お父さんが買っちゃだめだーって。だから仕方ないでしょ」
「なら持ってっていいから自分の部屋で読め。家、隣だろ」
「――――はぁ、これだから……何にも分かってない」
美月はぶつぶつと独り言をつぶやきながら、ゆっくりと体を起こしベットに腰かけた。
「昔は素直で可愛かったんだけどな」
「――昔は? 今は違うみたいに言っちゃって。いまでも近所で可愛いって評判だけど」
「……昔は昔だよ。それに見た目の話じゃない」
この日常は幸せ《《だった》》。ずっと続くと信じ込んでいた平穏は続かなかった。中学生になった彼女にはmagica適性検査が行われることになる。年々遅くなる検査は、どうやら測定の精度を上げるためらしい。――歪な日常は、この時を境に崩れ去る。




