Angel 18 シュガンツァーⅢ
悲鳴で埋め尽くされた、河が美しかった街並み。透明な水は赤く染まり、広大な畑は鮮血によって汚染されていく。
国王は宮殿でその“音”を聞いていた。
もうすぐこちらにもアドナイの軍勢がくるであろう。だが、自らの死よりも、もっと恐ろしい何かが国王にはあった。それが責任感から来るのか、重圧による使命感からくるのか、それとも偽善・思い上がりで生じた何かなのかは定かではない。
何年にも渡り築き上げてきた国は『天使』というイレギュラーによって壊される。分かるのはこの事実が怖いということだけ。
やれることはやってきた。荒唐無稽な理想を現実にするために、血反吐を吐き、罵詈雑言を浴びながら進んできた。国内に蔓延っていた癌を取り除いたおかげか、少しずつ景気も良くなり、国民からの評判も上がってきたところだ。
そんな積み重ねは、圧倒的な力の前に成す術も無く消え去る。理想や思い込みが、現実に押しつぶされることが怖かった。ただ人として当たり前の拒絶だったのだろう。
「宮殿上空に異変! ご決断を!」
臣下が叫んでいる。
青いはずの空も赤く染まっており、雲から宮殿に向かって光が円形に伸びている。この光がもたらす物は絶命だ。わざわざ言葉にせずとも分かる。
「——逃げろ。余の命を案じている時間など一切要らぬ」
これは諦めだ。刻一刻と死ぬ確率は上昇していく状況下で、これから死ぬであろう国王を護る必要などは無い。それならば今すぐに逃亡したほうがまだましだろう。
「出来ません……」
王宮では国王以外が俯いていた。彼らは身分など関係なく、ただ自分を慕っていたのだろう。そのことは心の底から嬉しく思う。
「ならば逃げ伸び、シュガンツァーを再建してくれ。それが余の願いだ」
「その国王はだれが務めるのでしょう! 権力や地に甘んじて国民を蔑ろにせず、正しく導けるのは貴方だけです! シュガンツァーは誰かが作るものでは無く、貴方様がいらっしゃる所がシュガンツァーなりえるのです! 私たちは使命感から陛下を護ってきたわけではありません」
雲の裂け目からは円形魔法陣が見えていた。時計の針のようにゆっくりと回転しており、タイムリミットは無い事を示しているようだ。
それでも誰一人として逃げ出す者はいなかった。それどころか純粋な瞳でこちらを見ている。その瞳から目を逸らすことは出来なかった。
「はぁ……いい加減この重責から降ろしてくれんか? 全く、すこしは労わってくれ」
「逃がしません。まだまだ働いてもらいます」
「逃げた先では逃げられないのか。難しいことを言う」
「陛下は国営が仕事でしょう」
気付いた時には笑っていた。
いつになるのかは分からない。逃げたところで何も出来ないかもしれない。ただもう少しあがいてみるのも悪くはないだろう。
「——行くぞ。門出を祝うには随分と騒がしいファンファーレだ」
「はい!」
彼は再び理想を描き、足を前に出していく。この国を取り戻すために。
——数分後、王宮を中心として、シュガンツァーは跡形もなく消え去った。虐殺から生き延びた人間は極少数。国王と共に反乱に加担している者が大半だが、アドナイ国民として生活している者もいる。
それを責めるつもりは毛頭ない。各々が選んだ道を否定する権利など、他者にあってはならない。国王らは隠密しながら転々とし、アドナイから離れて行った。戦争が終結した後、特殊兵器を裏ルートで手に入れ装備を整えていった。
アドナイからの刺客が送られてくることも多々あったが、どれも撃退する事には成功していた。アドナイ自体がシュガンツァーを脅威に思っていなかったのか、そもそもこちらの戦闘員の数が少ないというのもあったのだろう。
どちらにしろ、ここまで来れたのは幸運と言えた。
少しずつ力を蓄えていた彼らは、今窮地に追いやられている。
***
国王は一通り話し終えると、直人は口を開いた。
「お前は何も踏み出せていない。大層ご立派な理想を掲げてはいるが、つまりは自分を否定したくないだけの臆病者だろう。この世界には滅んだ国ばっかりだ。さも自分だけが悲劇の国王であるかのように装って逃げているだけだ」
「——余は……余はただあの国を護りたかった! 取り戻したかった! ——幸せな国民の笑顔を見たかっただけなのだ! これを誰が否定できる!」
国王は憤怒している。ここまで怒らせたのは紛うことなく直人である。
「否定はしない。だが護るためには力がいる。お前は力も無ければ、何かを犠牲にする勇気すらも無かった。護ることは戦う事だ、奪う事だ、殺すことだ。見るに今もmagicaの研究をしていないだろう。甘いんだよ、お前は……」
直人は自分の右目を黄金色に光らせる。
そうだ、許せなかった。自分が今まで生きてきたこの道を、その綺麗事で穢された。
「俺は身体を弄繰り回されて、自分以外のmagicaを持ってる。いつ死んでもおかしくない。今も下で暴れている奴は元の人格を持ってない……全員同じなんだよ。全員がこの狂った力に振り回されてる。――諦めることはこの世界を生きていくには必要な事だ」
「——足りなかったというのか? なにもかもが」
「時代が時代なら、あんたは名君だっただろうさ。国王さま」
「どうだったかな。国防を疎かにし、見通しの経たない理想を追求しているのは、どちらにしろ愚かだったろう。天使が現れなくともいつかは終わっていたかもしれん」
直人は引き金に手をかける。カチャっと冷たい金属音が響いた。
「貴殿には出来るのか? その“諦めること”を」
「もうやってるさ。俺はもう迷いたくない。この国を終わらせるためなら何でもする」
「そうか。まだ若いというのに理由があるのだな……」
国王は穏やかな表情に戻り、直人を見つめ返す。
「先の短い老いぼれの、最後の願いだ。その引き金に、貴殿の行く先に、シュガンツァーの思いを託させてくれ」
「——覚えていたらな」
「なに、そこまで気にせんでいい。滅びた田舎国の元国王の願いなど、大したものではなかろう。願いを聞いてくれただけで充分だ」
国王は死を受け入れたかのように、そっと目を閉じた。
「——そこで諦めたら、お前は本当に終わりだぞ」
国王は苦笑いをして、首を横に振った。
あぁ、そうだ。こいつはもう疲れているんだ。自分の立場に、この世界の変容に、周囲の勢いに。
「余はもう良いのだ。最後まで、すまなかったな……どうだ、こやつらに時間をくれんか?」
国王は直人に頭を下げた。シュガンツァーの掃討をしなければならない直人にとって、彼らを温情で逃がす選択肢は無い。
「陛下の行くところは我々の行くところ。ここで我らの旅路は終わりです。どっちにしろ時間の問題でした。……ですが」
直人の返答を待つことは無く、1人の男が《《異様な大剣》》を構える。カッターのように平べったい刀身の背には、いくつも配線が繋がっている。
その男は大剣に劣らないほどの、がっしりとした体躯だった。彼ならこの大剣を片手で振り回す事すら可能だろう。
「ですが、私はまだ諦められない。国を、妻を、娘を奪われた私の復讐を、どこの馬の骨ともわからない輩に止められることはあってはならない。陛下、私は私の道を歩ませていただきます」
大剣を握りしめる手に力が入る。脳裏には暖かった家庭が蘇る。
彼らにはみな帰る場所は無い。進むしかない。停滞は後退と同義だった。
「今の私はシュガンツァー解放部隊、隊長エリアスではない! ここからはただ剣を握る1人の男だ。小僧、貴様の首……貰い受ける」
どんなに忠誠をしていたって、個人の感情は別にある。国王が死ぬから自分も諦める……とは成り得ない。




