Prologue2 Magica
magicaという代物は特異な力を人々に授けている。
直人の内界解放においては、聴覚、視覚、触覚といった身体の知覚が飛躍的に向上する。それに伴い、“知覚の向上”というヒトでは耐えられない情報量を処理するため、脳の情報処理能力が人の領域を逸脱する。
情報処理能力が上がるというのも、結果だけ話せば直人にとってこの世界はスローモーションに映る。雨粒が落ちる軌道や鳥の羽ばたき……弾丸すらも目で追えるのだ。
直人は右足で地面を蹴り、ビルの壁に吸い付くように《《着地》》する。続けて反対の壁に飛び移る。交互に跳ね、圧倒的な速度で間合いを詰めていく。
この驚異的ともいえる運動能力はmagicaではない。あくまで直人の技量だ。生物としての限界値。24歳という肉体の人間が行える機能の終着点とさえ言えるだろう。
少年を担いでいた男が直人の存在に気づき顔を上げるがすでに遅い。この間合いであれば拳銃を向けられても、見てから躱せる。
「なんだお前!」
1人が接敵に気づき言葉を発する。
直人は速度を維持したまま、少年を担いでいる一番手前の相手に向かって接近する。着地際に相手の首元に左腕をあわせ、そのままへし折った。
「舌噛むぞ。口、閉じてろ」
直人は空中に放りだされた少年をだき抱え、その場に寝かせた。反応は無いが呼吸や心拍に異常はなさそうだ。気を失っているだけらしい。
――残るは2人。動きを見るからに、こちらもさほど問題はなさそうである。
「くっ……応援を呼べ!」
指示を受け慌てて無線機を口元に運ぶ。戦闘中に敵から目を離すなどあってはならないのに。
(実地経験はほとんど無さそうだな)
予備動作を極力減らしたワンステップ、足を滑らせるようにして眼前に迫る。
相手からしたら、急に直人が瞬間移動したように思えただろう。推進力を維持したまま、唇の上である人中に右肘を当てる。肘からは、骨が砕ける嫌な感触が伝わってきた。
相手の無線機は音を発することは無い。どうやら救援要請は間に合わなかったらしい。
「残念だったな、司令部に連絡できなくて。まぁ救援が来たところでここなら到着まで……5分といったところか? 逃げるには充分な時間だな」
「だまれ! この《《テロリスト》》が!」
残りは1人。奴は今更になって特殊銃を発砲する。近距離で放たれたエネルギー弾は、直人の黒髪を掠るだけだ。その軌道は見えている。
「銃の構え方がなっちゃいないな。それとも今はそう教わっているのか? 俺がいた頃は」
「うるさい!」
近距離で再び放たれた3発のエネルギー弾は、どれも直人に当たることはない。内心、軽くため息をついてしまった。
銃口の向き、視線の動きでタイミングも軌道もバレバレだ。magicaが無くてもこの位は当たらずに済むかもしれない。
直人は慣れた手つきで、鳩尾に拳を叩き込む。相手は白目をむき、膝から崩れるように倒れていく。特殊銃は軽い音を響かせながら地面を転がっていった。
「特殊銃は弾切れがないのが利点だろ。撃つのをやめてどうする。貸してみろ」
直人はmagicaを解除すると特殊銃を拾い上げ、倒れている軍人の頭部に1発ずつ、計3発打ち込んだ。
(人間は天使と違って、簡単に死ぬのだから簡単だな。今の時代、軍人とはいえただの人間だ……生命としては脆すぎる)
ふぅー、と細い息を吐き、再び耳に手を当てた。
「先生、終わりました」
『そうか、ご苦労。今日はもうおしまいだ。適性体の回収と後処理は私とマスターの方でやっておくよ——そうだそうだ、私の心遣いを無下にしないでくれ。しっかりとブツを回してくれよ?』
「……はぁ、分かりましたよ。帰りに寄っていきます」
念押しされなければ、忘れたふりをして戻るつもりだったのに……。
仕事は終わったが、気が休まることは無さそうだった。
***
アドナイ27区にある、大型ショッピングモールの1階。特設コーナーとして設置された福引抽選所には、不釣り合いなスーツ姿の男が並んでいた。
期待に浮足立つ周りの客とは違い、雨宮 直人はどこか面倒くさそうにしている。彼は自分の意思で並んでいるわけではない。この福引券は先生からの貰い物である。
——ふと、その時の記憶が脳裏をよぎった。
「——何ですかこれ」
「買い物をした時に貰ったんだが、捨てるのも勿体無いだろう。だから引いてきてくれ」
と、福引券を直人の胸元に押し付けてきた。先生の顔は黒くて眩しい綺麗な作り笑顔だ。
「はぁ……でも自分で行けば」
「引いてきてくれ?」
言葉を遮られてしまった。断る選択肢はないみたいだ。
余談だが、先生は基本外には出かけない。つまり「買い物で貰った」は《《嘘》》である。長い付き合いをしている直人からしたら、彼女が何か良からぬことをしているのは明白だった。
悪い確信はあったが、福引を引かない選択肢はない。日頃から世話になっている分、裏のある好意でも受け取らざるを得なかった。直人が断れない事をわかって楽しんでいるのだろう。あの人もそれなりにいい性格をしている。
そんなことを思い出しながら、直人は真顔で抽選券を店員に渡す。
「お願いします」
「はい、1回分ですね」
店員は枚数を確認すると、抽選機を回すように促す。1回転した所で赤い球が放たれ、受け皿でコロコロと音を出している。なんということだろう……赤色は特賞だった!
「おめでとうございます! 特賞です!」
鐘の音と店員の声が響きだし、周りの客の中には恨めしそうにこちらを見てくる奴もいる。
——これは直人の運が良いわけでも何でもない。だからそんな目で見ないでほしい。と言うのも、直人が引いた場合に限り特賞が出る確率は100%だ。説明するのもアホらしい。
店員は直人に封筒を笑顔で手渡す。その中身は今話題の豪華客船アルゴーの乗船ペアチケットだ。このチケットを正攻法で手に入れるなら、1年分の稼ぎでは到底届かない。
であるならば、歓喜したり絶句したりする所だろう。一般人が喉から手が出るほど欲しがっている代物だ。しかし、直人はぶっきらぼうに「どうも」とだけ答える。そして受け取った軽い封筒をスーツの胸ポケットにしまうのだった。
加えて言っておくが、直人は旅行が好きではないだとか、感情が消え失せているとか、そういう訳ではない。
ただ、また厄介な仕事に巻き込まれたのだろうかと。そんな憂鬱な気分に襲われただけだ。
「……はぁ」
あの人は本当に質が悪い。チケットくらい普通に手渡しすれば良いだろうに。負の感情——簡単に言うと凄くイライラしてきた。
「……本当にあの人は!!!」
語尾に向かうにつれ声が大きくなる。
そんな直人には、周囲の目が冷たく降り注いでいた。
何を隠そうこのチケットは回りくどい手法を用いて渡された、先生からの《《プレゼント》》なのだ。一体どれほどの根回しをしたのだろうか。無駄な努力である。
初めまして。猫飯みけと申します。
プロローグを読んでいただきありがとうございます。長編予定となりますので、長い目で見ていただければと思います。
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