Angel12 ブラッド・デハート・ウォータース
セラは飛び出すとすぐに両翼を出し、天使に向かい合った。セラの瞳は赤く輝きながら、真っすぐに天使を見つめている。セラに伸びてきた水球は、彼女が埃を払うようにするだけで、全て着弾する前に蒸発していく。圧倒的な熱量を持つセラの前では意味をなさないらしい。
それでも、最初に天使が生成した水球は消失しなかった。セラが蒸発させるよりも早く生成されているのだろうか、特殊なものなのかは不明だ。
「直人、ちょっと手荒くなるわよ。衝撃に注意して」
セラは背中を直人に向けながらそう呟いた。その瞬間、2枚であった羽は4枚に増え、離れていても彼女自身から熱を感じるほどになった。
ふっ、と息を吐くと、セラはおもむろに両腕を前に出した。突き出した指先は赤く光出し、何処からともなく、炎を生み出し始める。
圧倒的水量には圧倒的熱量を。炎は球状に渦を巻き、聞いたことも無いほどの燃える音が響いていく。
炎が増えるにつれて、次第に周囲の酸素が減っていくのがわかる。直人たちは息苦しさをごまかす様に、肩で呼吸をする。
「こんなもので良いかしら」
セラが生み出した炎の塊は、あっという間に水球とほぼ同じ大きさにまで膨れ上がり、互いに接触する寸前にまでなっている。
「それじゃあいくわよ。よいしょっと」
軽い掛け声とともに放り出された巨大な熱源。それが水球と接した瞬間、辺りは水蒸気によって白く包まれた。まるで体が解けたと錯覚するほどの高熱が体を包む。
これほどの異常なのエネルギーの衝突である。お互いが相殺し合う程度で留まるはずもない。これほどの質量の水が水蒸気になった瞬間、何が起こるのだろうか。——それは《《水蒸気爆発》》である。
——アルゴーの上層階は音を置き去りにして吹き飛んだ。海面は船体を中心に波状の波を作り出す。静かな夜の海は、一瞬にして荒々しくなった。
直人は熱を皮膚に感じながら、身体が飛んでいくのを実感した。船から放り出され、そのまま自然落下していく。
このまま海面に衝突しそうだ。この高さから落ちれば、死を悟り意識が落ちる前、身体は空中で、やわらかい何かに包まれた。
「まったく、私の勇姿は最後まで見てなさいよ。直人ってば、ねぇ」
セラが空中で直人を抱きしめている。羽は飾りではない様で、ゆっくりと動きながら重力に逆らっている。
「お前、空飛べたんだな」
「ふふっ、何言ってるのよ。当たり前じゃない」
セラは優しく直人に微笑んだ。
「悪い……もう……」
「しょうがないわね。私が連れ帰ってあげるわ——おやすみ、直人」
優しく微笑むセラを見上げながら、そのまま直人の視界と意識は暗転した。
***
アルゴーの爆発から3日後。ウォータースの付き人であるフィリップは単独で本国に生還していた。あの状況で生きていたのは幸運だろう。
コンフェッサーの保有する第一研究所は、ガラス張りの建物の上部に、半球が取り付けられたような外観をしている。フィリップは帰国するなり、すぐさまこの研究所に呼び出された。その理由は言うまでもない。
会議室に入ると、円卓には5名が着席しており、座席の後ろには付き人が控えていた。コンフェッサーのトップ、聖席と呼ばれる存在が全員揃っている。円卓には空席が1つだけあり、それはウォータースのものだった。すでに息絶えた主人を想うと、胸が締め付けられる。
一同はフィリップを見るなり、にらみを利かせる。
「まぁよく帰ってこれたな。ウォータースを見殺しにし、適性体は行方不明。アルゴーに乗っていた来客に被害が無かったから良かったものを」
「——」
老いぼれた男がフィリップを見下し、嫌悪感を丸出しにしている。
男の言葉に反論の余地がない。自分には重い罰が下されるだろう。しかし相手の発言にフィリップはホッとしていた。——まだバレていない。ウォータースの娘をアドナイから解放する真の目的は勘付かれていない。
あくまで反アドナイ団体がウォータースを殺し天使を奪った。それを護れず、のうのうと帰ってきたフィリップという構図になっている。
「フメテノは殺されコーマンは翻り、未だに見つかっておらん。加えてウォータースも死んだ。元は7人いた聖席も4人とは……」
老いぼれはいなくなった3名を馬鹿にするように笑っている。そこにあるのは呆れではなく、優越感だろう。
「はぁ……これほどまでの英知が集まっておいて誰も気づかんか……ウォータースは死んだだけじゃない」
突如、扉が開かれ、豪華絢爛な衣装を身にまとった青年が現れた。金髪碧眼の青年は、黒いローブを被った従者を1人連れている。
「——トラヴィス様」
トラヴィス・アラン・アドナイ。アドナイ第一皇子にして、皇子派のトップ。重役の彼がここに来るのは異様な光景と言える。
「ウォータースは死んだだけじゃない……とおっしゃりましたが」
「あぁそうさ。彼は謀反をおこした罪人だ。——自分の娘可愛さに、もとからフワネエルごと逃がすつもりだった。まったく、面倒な事をしてくれる」
「お言葉ですがトラヴィス様! フワネエルは奪われたのです。我々も交戦しましたし、その記録も残っているはずです!」
フィリップは反論する。事実は隠すが、ここに嘘は交えてはいけない
「言うようになったなフィリップ。確かに記録ではそうなっている——まさか気づいていないとでも思っていたのか。ウォータースも滑稽だな。国からの監視役のお前が研究者に取り込まれてどうする」
「どういう事でしょうか。いくら第一皇子であろうとも、俺の主に対する冒涜は目に余りますが」
「説明してやろうか。ウォータースは聖歴以前からアドナイの研究員として働いていた。そんな男が、如何にして犬のような死に様を晒したのかを」
***
ウォータースは賢明な研究者であった。彼はアドナイで生まれ育ち、恋人にも恵まれた。彼は幸せではあったが、それ以上に不器用だった。恋人よりも仕事を優先していたが、彼女は理解を示してくれていた。そんな彼女と結婚して半年も経たない頃——天使が空より飛来した。
冷戦状態の国家間、そこに天使という起爆剤が投下されてしまった。軍隊よりも圧倒的な力を天使は有していた。並みの銃弾は通らず、天使の指先1つで一個中隊は壊滅するほど。
規格外の力を秘めた天使を各国は欲しがった。天使は全部で6つ観測されており、争奪戦になることは必至だった。しかし、よっぽどの事が無ければ天使は人の味方をする義理も道理も無い。そのため、天使の望むものを差し出すことが必然であり、義務ですらあった。さながら傭兵制度のように。
結果としては、アドナイは早期に天使イスケールを味方に付け、戦争の単独勝利を成し遂げた。しかし勝利には代償が付きものである。天使と同時に観測されたmagicaの研究には多大な人員が割かれた。それは研究者に加え、人体実験の検体被害者。
magicaが確認されたのは天使が降り立ってから生まれた新生児のみであった。ウォータースは他の研究者と同様に新生児を解剖、magicaの抽出実験、適性実験を繰り返した。
戦後、彼の元にも無事に娘が生まれた。娘はmagicaを有していたが、それよりも大きな問題があった。娘はすべてのmagicaに適性がある、適性体であったのだ。
「現在霊薬化されているフワネエルを移植し、天使として運用する」
これがアドナイ皇帝、アドナイ全体の方針であった。
「——承知いたしました」
ウォータースは理解していたが納得はしていなかった。適性体はとても希少だ。だから天使の器として用いられるのは当たり前の事だ。
——何故だ。何故私の娘が適性体で産まれてしまったのか。納得などできるはずもない。
——逆らえない。アドナイは見込みのある子どもたちを、当たり前のように拉致しては、弄繰り回している。抵抗すれば、何をされるか分からない。
「フワネエルの移植は私共の機関で処置します」
「ははは、良いだろう。慎重な男よ」
皇帝は笑っていたが、今思えば、自分が実験をしたいと言い出したことが一番の失態だったのだろう。国に対する不信感の露呈。聖席にはあるまじき言動。
娘には普通の幸せを知ってほしい。ただこれだけの、父親として当たり前の願望だ。アドナイから解放されるには行方をくらますしかない。
「——本気ですか」
「あぁ。フィリップには迷惑をかける。協力をしてくれとは言わない」
「今更でしょ。お嬢とあなたのためなら、なんだってやってやりますよ!」
フィリップは笑って頷いてくれた。良い部下を持てた幸せを嚙みしめる。
天使を埋め込むことは避けられないだろう。研究中に監視が付くのは当たり前だ。監視が緩む施術後の隙を探すしかない。それに、娘を解放した後の話だ。——コーマン、あの女は裏切ったうえに、未だに見つかっていない。彼女は間違いなく優秀だ。
そう、それなら彼女に奪われるのがベストだろう。




