祖母
昔からおばあちゃんっ子だった私は、夏休みに祖父母の家に泊まりに行くのが楽しみで仕方が無かった。今思えば、それ程遠いわけではないが、小さな私に歩いていける距離などでは到底なく、さながら異国の地である。
いつも過ごす場所にはない田んぼや、畦道、運が良ければ見れるホタルなんかは、特に興味を惹くものであった。祖父母の家の中では、テーブルと高い椅子ではなく、低めのテーブルに座布団に座って囲む食卓であった。小さな私にもどこかノスタルジーを感じさせたし、局が変わるわけでもないのに、くだらないバラエティーがすごく面白く感じた。
母に言わせてみれば、祖父母は厳しい人であったらしいが、孫の私には甘々で、優しい祖父母に違いない。
祖父はそう多くを語る人では無いが、亭主関白なタイプではなく、昭和の時代には珍しいモダンな人で、考えなんかを頭ごなしに否定するなんてことは決して無かった。暇さえあれば釣りに連れて行ってくれた。玄関の前で簡単なゴルフをするのも楽しかった。
反して祖母は口が回る人で、祖母の話を聞いているだけでも楽しかった。ただ、お喋りなだけでなく、聞き上手でもあった。拙い言葉を話す私ににこやかに笑いかけながら、「うん、うん」と、話を聞いてくれたものだ。
料理上手な祖母の年季の入った手からは、いつも糠床の匂いがした。それが祖母のにおいであった。
そんな話も、もう何年も昔のことである。
コロナ禍の中、私が中学生の時に、
祖父が元々悪かった肺にがんを患った。
それからの命は短かった。
母も叔父も祖父の意思を尊重していたから、手術をすることはなかった。
病棟の中には中学生は入ることができなかったから、最期にお別れを言うことはできなかった。
亡くなる数日前に、祖父に電話をかけた。釣りやゴルフを教えてくれた時の祖父とは異なる、崩れそうな声で、背中を押してくれた。
弱々しい声には、逞しい背中の祖父がいた。
私が小学校高学年になる頃から、認知症を患っていた祖母は、祖父が居なくなってから、物忘れが酷くなった。最初の頃は、私の家までの道がわからなくなる程度であったが、段々と出来ないことが増えていった。
すぐ前に話したことは忘れてしまうし。
私の飼っている犬の名前も忘れてしまうし。
楽しかった旅行も忘れてしまうし。
もう、糠床の匂いもしない。
最近の祖母は、私の名前を思い出すのが少し難しくなった。口が回るから、名前を忘れた事を勘付かれないようにしている。
けれど、「君、とか言わなかったのにな…」と、少し悲しくなる。
それでも私は祖母が大好きだ。
前に戻って欲しいとか、無理な願望はちょっとだけあるけれど。名前を覚えていて欲しいと思うけれど。
前より近く感じる祖母の家に、近いうちにまた出向こう。それが祖母への「ありがとう」だと思うから。