18 主従関係は認めません
「……ところでいつまで手を握っているつもりなのかしら?」
「ん、あ、そう?」
手が冷たい氷乃は、さらに冷たい視線を送ってくる。
やめてよ。
「氷乃から言い出してきたのに、そんな冷たい反応しないでよ」
「貴女が言いなりを望んできたのが事の発端でしょうに」
あれ、そうだったっけ……?
もう忘れちゃったな。
とにかく言われた通りに手を離す。
繋いでいたものを離すと、何だかちょっとした喪失感を覚える。
さっきまで何もないのが当たり前だったのに、不思議な話だ。
「帰るわよ」
「へいへい」
そんな情緒を氷乃は感じているのか、いないのか。
彼女は、言葉には出さずに先を歩き始める。
人気が少ない住宅街に、その背筋の伸びた後ろ姿は妙に際立つ。
あたしは追いかけるようにその隣に並んだ。
「……ところで、今朝の話なのだけれど」
「へ、なに?」
突然、話題が変わる。
だけど、氷乃が何のことを言っているのかはよく分からない。
「貴女が昨日、腹痛を抱えて私の家を去り、尚且つ今日は普段以上に容姿を整えてきた理由よ」
「ああ……そんな話もありましたね」
氷乃に可愛いと褒められて反応に困って家から脱出し、だけど気分はアガッたからヘアメにメイクも頑張ってしまったのだ。
そんなこと本人に言えるか。
けれど、氷乃が食い下がってくるから『理由が当たったら教える』というので逃げ切ろうとしたわけなんだけど……。
しっかり覚えていた上に、またその話を持ち出すとは。
よっぽど気になっているらしい。
あたしの事、そんなに気になる感じ?
……いや、氷乃の恋愛小説のためだな。
「当たれば教えるけど、どーせ氷乃には分らないよ」
「閃いたわよ」
さすがに秀才の氷乃と言えども、感情の起伏に乏しい彼女にはあたしの気持ちは理解できない。
「それで、何を思いついたのさ」
あたしは余裕の姿勢で耳を傾ける。
「好きな人が出来たのかしら?」
「ぐふっ」
急展開を迎える氷乃の推理に、あたしは困惑する。
この恋愛脳めっ。
いや、そもそも恋愛という感情が分からないからこの人、恋愛小説を書いてるんだったよねっ。
なのにどうして人の感情を恋愛で推測してくるのか。
全く理解が追い付かない。
「その反応……さては図星ね」
なぜか自信満々に胸を反らす氷乃。
細いくせに出るところはしっかり出ている豊かな膨らみ……は、関係ないとして。
全く合っていないのに確信を得ている氷乃が可愛くも見えてきた。
「いや、全然ちがうから」
「恥ずかしがることはないわ」
いや、恥ずかしがってないから。
「ちなみにどうしてそう思ったのか教えてもらってもいい?」
「簡単なことよ。貴女は初めての恋愛に胸を焦がし、考えすぎるが余りに体調を崩してしまった。それでも人前ではだらしない姿は見せまいと着飾り続ける……そんな乙女心ね」
……うん。
全然そんなことはないんだけど。
それだけ思いつくなら、もうそれを恋愛小説に書いたらどうなんですかね。
「ちがうからね」
「さぁ白状してもらいましょうか。ここまで引き伸ばしたのだから誰を好きになったのかまで答えてもらうわよ」
全然話し聞いてないんだけど、この人。
ていうか。
「氷乃ってそんなに恋バナに興味ある人だったっけ……?」
そういうのに興味がなくて、でも興味を持ちたいから恋愛小説を書き始めた歪な人のイメージなんだけど。
その言葉がどう刺さったのか、氷乃は首を傾げていた。
「……そうね。興味なかったわ」
微妙に過去形。
「どういう風の吹き回し?」
「……なぜかしら。貴女のは気になったわね」
それはそれで、あたしもどう受け取っていいものかよく分からない。
氷乃は氷乃で自分の変化に戸惑っているようで。
二人で首を傾げる。
「ペットが他人様に迷惑を掛けていないか配慮する飼い主の気持ち……なのかしら?」
なに奥ゆかしく頭のおかしい発言してるんだこの人。
誰がペットで、誰が飼い主なんだよ。
さすがに舐めすぎじゃろがい。
「あたしは氷乃のペットじゃないぞ」
「主従関係という意味では同じでしょ?」
「当たり前のように恐ろしい単語を持ち出すなっ」
だいたいペットを飼っている人全員がそんなふうには思ってないと思うぞ。
もっと家族として対等な関係を築いているに違いない。
「あと何回も言うけど、当たってないからね」
「そうやって言い逃れできるのだから、貴女もズルいわね」
あ、人聞きの悪いこと言ってきた。
あたしだって当たればちゃんと答えるよ。
それくらいの誠意はあるよ。
……まあ、ヒントくらいは出そうかな。
「小説のヒロインが主人公以外を好きになったら問題じゃん」
「問題ではないでしょう、恋愛小説なのだから」
「いや、だからそうじゃなくてさ……」
「何を言いたいのかさっぱり分からないわ」
言葉を濁すわたしに、疑問符を浮かべる氷乃。
伝わってくれよ。
どうして全部あたしに言わせるかな。
「ほら、氷乃が主人公の恋愛小説なのに……ほ、他の人を好きになったらシナリオ崩壊じゃん」
「……ああ、そういう」
さすがにここまで言えば氷乃関連の出来事だというニュアンスは伝わったと思う。
「つまり、貴女は私の小説なら何でも再現するということ?」
ん?
なんか話が明後日の方向に飛んだ気がするけど。
まあ、それはそれでいいか。
「結構努力してると思いますけど?」
氷乃のために、結構やってる方だという自負はある。
まあ、弱みを握られてるからね?
あの写真のデータさえ削除してくれたらすぐにこの関係も解消しますけどね。
清々しますとも。
「そう」
そう言って氷乃はスクールバックからノートを取り出し、さらさらと何かを書き始める。
シャープペンの動きはすぐに止まり、そのままあたしにノートを向けた。
「読みなさい」
「……えっと、『朝日詩苑は、昨日から隠している一連の感情を氷乃朱音に全て打ち明けた』」
どうやら、小説を書いていたらしい。
それを読ませて、どうする気だ。
「小説に書いたのだから、貴女は再現なさい。それが私との契約でしょ?」
そういうことかよっ。
推理を諦めて、自白を強要してきたよこの人っ。
「ノートに書けば何でもあたしが意のままに動かせると思うなよ!?」
「そんなセリフは用意していないわ」
「だから小説じゃないってのっ」
「契約違反ね、SNSにあの写真をバラまこうかしら」
「やめろよっ!? ていうか氷乃はSNSなんかやってないじゃんっ」
すると氷乃は面白くなさそうに眉間に皺を寄せる。
「どうしてそんなことを知っているのかしら」
「……いや、そりゃクラスメイトだし」
探すじゃん。
特に氷乃は気になるんだから。
あ、こういう不当な関係だからだぞ?
バラまかれた困ると思って調べただけだ、他意はないからなっ。
「そういう貴女はSNSをやっているのね?」
「え、まあ……そりゃね」
「ふん、フォロワー数はわずかでしょう?」
「やってない人が見下すのはおかしくない!?」
いませんけどねっ。
大していないのは認めますけどねっ。
「私でも、貴女が相手なら何とか追いつけると思うわ」
うるさいよ。
氷乃が自撮り上げたら一発であたしなんか追い抜くよ、下手すりゃバズるよっ。
というのは悔しいので口にしない。
とりあえず、うまいこと話しは反らせたので良しとした。




