混在した世界。彼らはそれでも都市圏と云う
渋谷区。
8年前、あの時から、日本は変わってしまった。
東京23区と呼ばれた場所は次元衝突の後、ほぼ壊滅した。
東京の象徴と言われていた都市景観は、大半が異世界に蝕まれてしまった。
大方、異世界と融合した東京だと察するだろうが、それよりもっと雑で、適当な感じで異世界が入り込んだという感じだった。
見慣れた街の景色は、ビル群と中世ヨーロッパのような建造物と交わって鉄骨が曝け出したビルのような何かとなり、アスファルトの道路に沿って石造りの壁が現れる。
綺麗な直方体のビルの隣には素朴な教会があり、そのビルの中にも教会が埋め込まれている。
一番ひどいところだと半分教会、半分雑居ビルといったとてつもなく中途半端な姿になっていたのを見た事がある。
スクランブル交差点周りはまだ東京としての都市景観が保たれているが、それでも石造りの建物が点々と存在していた。
かの東京都庁は都市的な造形の半分に漫画やアニメででよく見る巨大な石城という粗雑さ。
中途半端に異世界の混ざった東京というのは、なぜか不気味に感じてしまう。
中途半端だからこそ不気味なのかもしれない。
『政府が公開した資料によりますと…日本の異世界侵蝕度は約60%と世界最高ということです…』
街頭ビジョンからはファンタジーの混ざり具合のニュースが大音量で響く。
さも当然の状況かの様に皆、聞き流している。
立神ケントも例外なく、その中の1人だった。
ケントが歩いていると、
「あの…」
後ろから声をかけられる。振り返るとずんぐりとした人がいた。
夏だというのに厚手のオレンジのダウンジャケットにニット帽。
見てるだけで暑苦しい。
しかもサングラスとマスクのせいで顔があまり見えない。警察に通報すれば十分逮捕される程の不審者感丸出しの格好。
「国立競技場駅って…どこですか?」
ダウンジャケットの男は地図を見せながら尋ねる。
地図を覗くケント。
チラリと衣服の隙間から緑色の肌が見える。
(ゴブリンか)
「この銀座線ってとこで青山一丁目まで行ったら、そこで乗り換えするんです」
ケントは丁寧に路線を教えた。
「どの路線に乗り換えするのですか?」
「大江戸線ってとこですね。それで二つ行けば着きますよ」
笑顔で答えるケント。
幸いゴブリンは知能が高く、日本語も喋るのがとても上手い。ついでに理解も早いから海外の人より扱うのが簡単である。
……と、テレビでも言っていた。
「ありがとうございます」と、ゴブリンは丁寧にお辞儀をして去っていった。
ケントも静かに手を振って見送った。
(割と真面目なゴブリンなんだな……)
この世界の事を語ると、次元衝突の影響を受けたのは街並みだけではない。
さっきのゴブリンのようにこの世界に迷い込んだモンスターは数知れなく、様々な種族がこの東京の中にいる。
モンスター達の適応は早いものの、彼みたいに知恵の高いモンスターは人間に迫害される事を恐れ、自分の容姿を見せない。
人間を恐れてしまっているから。
人間は、本来あるゲームやら小説やらのエンタメの中で存在している"人型モンスターはずる賢く凶暴なもの"という固定観念にとらわれている。
それ故に、モンスター達に対して差別的な感情を持っている人間も多く、人間がモンスターに暴行する事件は連日報道されるぐらいだ。
おそらく、あのゴブリンも迫害を恐れながら東京の中で生きているのだろう。
そうでもなければ、こんな真夏に分厚いダウンジャケットなんて着たりしない。
ケントが再び歩き出そうとした時、
甲高いサイレンがけたたましく鳴った。
『非常警報。非常警報———直ちに避難して下さい———繰り返します……』
街頭ビジョンに"警報発令中"と赤い文字が点滅する。
機械音声が一帯に響くと同時に、街中の人々が一斉に逃げ始める。
逃げ惑う人々の、その一番後ろ。
駅の前で何かが暴れていた。
目を凝らして見ると、列車の如く長い体躯に、無数の足が蠢く。
巨大なムカデだった。
ムカデを視認したケントは踵を返して群衆と同じように逃げ出す。
しかし、突然何かを思い出し、ある程度走ったところで足が止まる。
(あのゴブリンって駅に向かってたよな?)
駅のある場所は確かムカデのいた方向。
背後を振り返るとムカデのモンスターは見境なく車や街灯を食べている。
ケントの視界に見覚えのある人影が入ってきた。
緑色の肌が見える。
オレンジのダウンジャケット、男の手には地図が。確実にさっきのゴブリンだった。
逃げ遅れていた。
足をやられてしまったのか、身体を引きずりながら逃げようとしている。
(まずい……助けるか?いや、その前に俺が死ぬぞ……)
頭の中で決断をするより前に、彼の体は動いていた。
ケントは逃げている人々の流れを遡り始める。
段々と走るペースが早くなる。呼吸も激しくなる。
人混みを抜けて全速力で走り出す。
身体全体が震えている。それでも彼は走るのをやめなかった。
(急げ、間に合え!)
雑踏を通り終えた後には、既に大ムカデがゴブリンに狙いを定めている。
当然ゴブリンは竦んでしまって、動けない。
ムカデの大牙がゴブリンを襲う。
「あぁ。助け……」咄嗟に目を瞑るゴブリン。
グシャリ!!!!
しかし、ゴブリンの身体に激痛は走らない。
ゴブリンがおもむろに瞼を上げると、視界の前に人間がいた。
ケントが——ムカデの牙を肩に受けていた。
ボタボタと肩口から流れ出る血が彼のTシャツを赤く染めている。
「大丈夫…か?おっさん」
「あ、ありがとうございます…」
「礼は、いいから逃げ、ろ……!!」
そしてケントはゴブリンの服を掴んで目いっぱいに遠くへ飛ばす。
乱暴に、歩道の上に転がったゴブリンは必死に向こうへと走っている。
「良かっ、た……」
ケントは安堵と共に力が抜けて、膝をつく。
身体の震えが止まる。視界が霞む。どうやら致命傷らしい。
苦しみながらよりかはマシかと1人安堵する。
こういう時は走馬灯が見えるはずだが、一切映像が流れない。それほど内容が薄っぺらいのだろう。
あぁ短かった、俺の人生。
やりたい事はまだあるが……。
(死んだら、異世界にでも行くんだろうな)
そう考えて、ここも最早異世界だろと失笑しながら彼は瞼を閉じた。
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