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長安出奔



「見事じゃ、呂将軍」

 王允は悲惨な通りに表情を崩す事無く、満足げに言った。

「これより董卓の全権は儂がとる。 すぐさま董卓の一万と長安の官軍を率いて嵋城を襲撃せよ」

 まるで呂布を部下の様に扱う王允に成廉らは怒りを覚えたがすぐに思い直した。


 ――どうせこの男は我々に見捨てられるのだ。


「承知した」

 呂布は成廉に軍を召集するように命じる。すぐに宮廷前に五万の兵がかき集められた。

 いざ出発という時に呂布はしばらく腕を組んで一考すると王允に文優を貸してくれないか頼んだ。

「文優なんかを連れて行ってどうするのじゃ? 彼は武勇はからきしだめぞ」

「いえ、官軍の構成を見るとどの将も武勇一点張りなもので、文優の様な知略の者も必要かと……」

「将軍も武勇だけでなくなかなかの将器だの。そういう事なら良かろう」

 明らかに馬鹿にした様な口振りで王允は文優に同伴するように言った。文優は困惑した表情だったが承知した。


「どういうおつもりです? 呂布様」

 嵋城に急行する馬の上で文優は困惑しきった顔を呂布に向けた。

「文優、俺達について来い」

 勿論、兵を解散させた後の話だ。

「しかし、」

「約束だろう?」

 呂布は反論させない。

「この機に長安を出ておかんと……死ぬぞ」

「……」

 王允が政権を握れば治世は安定するかもしれないが、それは乱世でなければの話だ。すぐに涼州の李確ら四将軍に滅ぼされるだろう。呂布は文優がそのまま死ぬのが惜しかった。

 何を考えているのか分かりづらく、天下を手に入れる為なら何でもしそうな男だが、それでも呂布は文優をそばに置いておきたかった。


「……しょうがないですね。呂布様について行きますよ」

「それでこそ俺の知っている文優だ」

ふっと呂布は笑った。

「どうせ王允様の元は退屈でしたしね。あの方は考え方が古臭い上に根拠の無い自信だらけです。君主としては下手したら董卓以下かもしれません」

「そいつはよっぽどだな」

 文優も董卓から離れ、天下さえ手に入れば……と、最も天下に近かった王允に従っただけだったのだ。

 王允は為政者としては優れてもどこか楽観的で天下が手に入れるのが当然としていたところがあった。

「王允様の滅びは内からかもしれません」

 文優の予言と同時に先鋒から嵋城が近いことが報された。




 おぼろげに嵋城が見えてくると官軍の兵達の胸は高まり、敵が見えてもいないのに雄叫びを上げ始めた。

 皆、この日を心待ちにしていたのだ。長安、洛陽と住んでいて董卓に虐げられ無かった者はいない。

 嵋城にいる董卓の一族を殺すのは彼らにとって、今日限りの待ちに待った鬱憤晴らしだ。目をギラギラと光らせた官軍はさながら殺しを楽しもうとする猛獣の様だった。

 変わって蝗紅隊の含む呂布軍はどちらかというと冷めていた。虐殺は董卓政権下で充分経験した。どうして董卓が死んだのにまた虐殺しないといけないのか……という消極的な気持ちが占めていた。


 中でも成廉は消極的どころか顔は青ざめ、手汗が激しく、しきりに掌を雷音に擦っていた。


 ――白鈴があそこにいたら……いや、そんなはず無い。渭陽公の門をくぐったのは別の子だ。……でも、もしあれが白鈴だったら……。


 成廉の頭は白鈴の事でいっぱいだった。

 あの官軍にかかれば董卓の一族は皆殺しになるだろう。そのなかには勿論白鈴も含まれる。

 成廉は白鈴が董卓の孫というよりも今の状況が信じられなかった。信じたくなかった。

 嵋城の城門が迫るにつれて、成廉の胸は官軍の兵とはまた別の意味で高まる。

 官軍はおよそ四万。彼らより先に白鈴を見つけるなどほぼ不可能に近い。運良く遭遇出来として、助ける方法が無かった。あの派手な服装の白鈴を連れ回せば官軍に見つかってしまう。

 仮に嵋城から助け出せてもその後どうすればいいのか。

 そもそも祖父を殺され、親族を虐殺された白鈴が生きる道を選ぶだろうか。自ら死を選ぶかもしれない。

 軍が勢いに任せて城門を破っても、成廉は決断しきれずにいた。


 兵達が城内に雪崩れ込む。

 城という名の檻の中で猛獣達が解き放たれた。官軍は目に入る者を手当たり次第殺し始めた。

 なかには董卓に仕えていた者、移民を余儀無くされただけの者、商人、無関係な者達までが手に掛けられた。

 遅ればせながら李確所属の駐屯軍が迎撃し、各地区で戦闘が始まった。どこからともなく火の手が上がり、市民区が火に包まれる。


 ――早く見つけないと……!


「白鈴ー!! どこだ!」

 口が勝手に開く。躰が勝手に動く。成廉はただ白鈴の姿だけを求めて、雷音と共に宮殿目指して駆け出していた。


「廉!」

 いくらか離れた所で魏越は成廉が単騎駆け去るのを見ていた。

「ついて来い!」

 魏越は騎兵一千と追いかけた。




 既に官軍は宮殿に侵入していた。

「白鈴!! 返事をしてくれ!」

 しかし、宮殿の中は逃げ惑う女官や文官で大混乱だった。成廉の必死の声も無数の悲鳴にかき消される。

 官軍は女官にも容赦が無い。董卓と交わりがあれば子が成される。全てを根絶やしにするため腹が膨れているだけで殺される者も多数いた。

 董卓との関係が見受けられない女官に待っていたのは無数の獣による強姦だった。勢いに任せた官軍は敵兵を追い払うと始めたのは残虐な処刑と乱交騒ぎだった。

 董卓が身辺に侍らせた著名人もまた問答無用である。修羅場と化した宮殿はその華美な装飾を血に濡らしていく。

 昨日まで優雅な香の香りがしたはずの応接間は今や生臭い鉄錆の臭いが充満している。

 昨日まで女官が楽しくおしゃべりした室は獣に犯された。

 日々、董卓に脅えながら文官が書きとめ続けた竹簡は官軍に踏み荒らされた。


 成廉は目の前で繰り広げられている光景にただ失望しかしなかった。


 ――人は極限まで虐げられるとこうも残酷になるのか……?

それともこれが僕達本来の姿だと言うのか?!


 成廉は白鈴が今にもこんな目に遭っているのではないかと想像すると背筋に氷の刃が突き立つかの様な気がした。

 成廉はもう何も考えられなかった。


 近くで逃げ惑う女官を捕らえると首に剣を突きつけた。

「渭陽公の室まで案内しろ」

「公主を売るような事ができるか!」

 意外な事に董氏に忠誠心のある女だった。歳も白鈴と近い。

「……殺すぞ」

 散々仲間がどうやって死んでいったか思い出したのだろうか。始めは勝ち気な態度だったが次第に脅えた表情になると三度目の脅しに屈服した。

 成廉は官軍の兵と同じ様に見られたことが不本意だったが今はそれどころじゃない。


 女官が案内したのは宮殿の中でも奥の奥だった。

「ここです」

 小さく言った女官を押し退けて、成廉は室に飛び込んだ。

「そ…んな……!」

 成廉は目を見開いた。

 その室は荒らされた後だった。いくつか死体が転がり、床は血浸しだった。動くものは一つとしてない。

 成廉は慌てながら死体を確認していく。

 女官はその様子を冷たく見ていた。きっと手柄を逃して慌てる間抜けな将にしか映ってないのだろう。

 全ての死体を調べたが、全て成人だった。白鈴ではなかった。成廉は女官に掴みかかった。

「おい! 本当にこの室が渭陽公の室なのか!?」

「やめっ本当です! ここです!」

 女官は必死に訴えかける。

「くそっ! じゃあどこにいるんだよ!

…………白鈴」

 成廉は膝をついてうなだれた。

「もう、会えないのか……白鈴」

 白鈴の愛らしくどこかすました顔が思い浮かばれた。

「僕は君を失いたくなんかないよ……」


「……れん…」


 何か聞こえた。成廉は幻聴かと思った。


「……れん……れん」


 確かに白鈴の声だった。成廉は頭を上げて耳を澄ました。


「……れんれん」


「白鈴か!?? どこだ!? どこにいるんだよ!!」

 成廉は立ち上がって見渡した。

「ここ」

 その小さな声は近くの死体から聞こえてきた。正確には死体の下の床下だった。

死体を退かしてみると方形に血が溜まっていた。よく調べると、指先がやっと引っ掛かるかというくらい小さな取っ手があった。成廉はすぐに引き上げた。

「白鈴……」

 そこには脅えた顔を血に濡らした白鈴が見上げていた。

「嗚呼、良かった」

 成廉は床下から白鈴を抱き上げると思いっ切り抱きしめた。

「……怖かった」

 驚く程か細く白鈴が囁き、静かに涙を流した。涙は成廉の肩を濡らしていった。成廉の胸に白鈴の体温がじんわり伝わる。

 二人は愛しい相手としばらく無言で抱き合っていた。


 その様子を女官はポカンと見ていた。が、急に顔をひきつらせた。

 室の外がやたら騒がしくなり、廊下から兵が走り込んでくる音が聞こえてきた。

 成廉は目を閉じた。この後どうするか考えていなかった。そして考えつかなかった。

 ただ、白鈴を渡すわけにはいかない。成廉は反射的に剣を掴むと、扉を睨み付けた。

「ここで待機しろ」

 成廉が外の声の主がよく知った者だと気付いたのは扉が開いた時と同時だった。

「越!」

 入ってきたのは魏越だった。

「やっぱりな。廉なら渭陽公を捜すと思ったんだよ」

 魏越は女官を一瞥すると二人に近付いた。

「で? お二人どうするの?」

「それが……」

「オイオイ、俺だってなんも思いつかないぞ」

 困った様に魏越は手を振った。

「せめて城からは出した方がいいだろうな……。そこの死んでる奴が着ている服に着替えて誤魔化せばどうだ?

俺達が女官を攫ってみたくさ」


 名案だった。

 官軍は気に入った女官を連れて行ったりしていたので怪しまれる事はない。

 しかし、彼らには時間が無かった。

 白鈴が厭々服を取ろうとすると、また室の外が騒がしくなった。

「なんだ?」

 魏越は眉を顰めた。


「そこの兵ら、何をしておる!?」

 外から聞こえてきた声は官軍の大将、胡軫だった。

「まずいっ」

 事情を知っている魏越と違い、官軍が白鈴を見つけたら問答無用で殺される。ましてや、功績や褒美に貪欲な胡軫である。阻んだら成廉らにも切りかかるか分からない。

 決断の時が迫っていた。


「何をしている!? 上官は誰だ!?」

 胡軫が問い詰める声が響く。白鈴の顔に恐怖の色が戻ってきた。

「くそっ! どうすれば……」

 成廉は部屋中を脱出路が無いか見回した。

 だが、ここは宮殿でも奥まった室。籠城専用なのか窓は無く、出入り口の扉も一つだった。

「白鈴、その床下は?」

 白鈴は涙を浮かべて、首を振っただけだった。そもそも床下が外に繋がっているのなら、白鈴がここに隠れていたのもおかしい事だろう。

 成廉は歯噛みした。もう、何も思いつかない。万策尽きていた。

「越はなんか考えついた?」

 魏越は答えなかった。ただ、静かに部屋の隅に怯える女官を見つめていた。

「越? おいって!」

「……思いついた」

 成廉の顔に希望が射し込む。

「な、本当か!?」

 魏越は静かに女官に近付いた。その手が腰の剣に伸びる。

「越!? 何を……」

 成廉が止める間も無く女官の首が跳んだ。その顔は何が起きたのか全く理解してない様だった。魏越は無造作にその首を剣に突き刺した。


「……どっ、どうして?」

「身代わりだよ」

 成廉は口が閉まらなかった。

「今の状況を切り抜けるにはこれしか無い。この娘は白鈴に歳が近いし、渭陽公の顔はそんな知られてないだろう?」


 董卓は孫で唯一女の白鈴をとても可愛がっていた。なかなか外に出さず他家とも交流させなかった為、白鈴を董卓の孫として知っていたのは世話をしていた一部の女官、従事と親戚だった。

 そして、嵋城で虐殺が行われてほとんどが殺された今、白鈴が董卓の孫だと知っているのは成廉と魏越だけだ。

「俺だってこんな事……」

 魏越は唇を噛んで、まだ鮮血の噴き出る首の無い女官を見た。

「でも、これしか方法は無い」

 魏越は白鈴が首に掛けている渭陽公の印綬を引きちぎった。

「廉はこいつを担いで今略奪したかの様に嬉しそうに俺の後に続け。お前はとにかく嫌がれ。いいな、わかったな」

 魏越が二人に念を押す。白鈴は突然の女官の死に驚きを隠せない様だが小さく頷いた。

「越……どうしてそこまで?」

 成廉が尋ねると、魏越は扉に伸ばした手を止めた。

「その……白鈴って子、廉にとって大切な人なんだろ?」

 成廉は力強く頷いて見せた。

「俺にとって廉の大切なものは俺の大切なものにもなるんだよ」

「……越……」

 しばし静まり返った。

「ありがとう、越」

 成廉は嬉しかった。こんな時に頼れる仲間がいて嬉しかった。

「フンっ、いくぞ!」

 魏越は小さく鼻の頭を掻くと扉を蹴破った。

 魏越を先頭に三人が廊下に出ると、ちょうど胡軫が中に入ろうとしているときだった。

「呂布軍が魏越、相国の御孫・渭陽公を討ち取った!!」

 胡軫が何か言う前に魏越が叫んだ。兵達から歓声が上がる。


 胡軫は強欲な事で有名だ。これだけ足止め出来たのは魏越の兵達のお蔭だろう。上官の手柄は配下の手柄でもある。兵達はてっきり中で魏越が誰か高貴の者の首をとっているだろうと考えたに違いない。

 実際はそうでもないのだが、とにかく三人は彼らに助けられた。


「貴様ら、どうだわしに免じてその首を渡さぬか?」

 胡軫の視線はただ魏越の掲げる首に注がれていた。女官の首とも知らずに。

「断る」

 魏越は即答した。偽物と知られれば、後々面倒だ。

 胡軫はまだ三人の前から退かなかった。今度はその視線を暴れる白鈴の方に向ける。

「なかなか美しい娘ではないか。せめてその娘だけでも置いていけ」

 暴れる白鈴は一瞬動きを止めた。だが魏越が許さなかった。

「お前は呂布軍に喧嘩を売ってんのか?

この娘は呂将軍に献上するのだ。分かったらさっさとそこをどけ!!」

「ムムム……」

 魏越の敬語を使わない粗暴な言い方が効いている様だ。胡軫は己よりも遥かに身分の低い将に道を空けた。


「行くぞ!」

 三人は兵を連れて官軍の間を通り過ぎた。

 今、軍で一番力を持っているのは呂布だ。胡軫は何かする事もなく彼らを見送った。




「将軍、これでほぼ全部でございます」

 目の前に膨大な量の荷車が並ぶ。その中は煌びやかな金銀財宝で占められていた。

 呂布は配下一万のほとんどを動員して、嵋城にあるあらゆる財宝を収拾していた。

 元々、洛陽や長安の民や富豪の物である。それを董卓が没収し、己の物とした。今回の嵋城襲撃はそれらの奪還も計画のうちだ。

 だが、これらの財宝は結局持ち主の元へ還らない。呂布は全てを横奪するつもりだ。と、言っても私財にするわけでは無い。

 兵を解散するにあたって、職を一時的に無くす彼らに分配するつもりなのだ。

 解散させてから旗揚げまでどの位の時を要するか見当もつかない。追従させる蝗紅隊を差し引いて、約九千。それだけの兵を養うには充分な量が集まった。


「そろそろいいだろう」

 軍を集結させろ、と呂布は成廉に命じようとして、初めて彼がいないことに気付いた。代わりに張遼にさせると、魏越と一千の兵もいないことが分かった。

「あいつらどこをほっつき歩いてんだか……」

「捜してきましょうか」

「いや、そのうち帰ってくるだろう」

 王允の計画では官軍は引き上げても、呂布はこのまま一万の兵と共に涼州の四将軍に睨みを利かす事になっている。そう急ぐ事も無かった。

「張遼、野営の準備をしろ。今日まではここに留まろう」


 それから文優に押収した財宝は兵五千で後々届ける、と王允へ書簡を送らせた。

「さて、今夜は皆に酒でも振る舞うか」

 成廉、魏越と一千の兵が野営地に帰ってきたのは、日も暮れて酒宴が盛り上がっていた頃だった。


 魏越が董卓の孫を討ち取ったらしい。

 酒宴に参加させようと使いを走らそうとすると、魏越が一人でやって来た。


「お話があります。重大な事です。ついて来てください」


 そう言って呂布、張遼、文優は幕舎の一つに案内された。

 そこには成廉と血まみれの見覚えの無い少女がいた。少女はとても疲れ切った顔をしていたが、血に汚れた服のせいで、その容姿は際立って美しく見えた。


 ――董卓の女官の一人だろうか。


「どうした成廉、気に入った女官でも嫁にするつもりか?」

 冗談混じりで呂布は言ってみた。すると張遼が何かに気付いた様にハッとした。

「まさか、……その娘が……?」

「そうだよ」

「でも! 渭陽公は越が討ち取った……って」

「こっちはただの女官の首だ」

「待て待て! 勝手にお前達だけで話を進めるな。どういう事か説明しろ」

 成廉は魏越を見た。魏越は黙って頷いた。

「実はこの子が渭陽公、名を白鈴と言います」

 呂布と文優は驚きの声を上げた。

「どうして渭陽公がここに? いや、それより生きているとはどうした事です?」

 文優が矢継ぎ早に聞き始めた。

「どこから話せば……」

 成廉は初めて出会った時から話し出した。

「……という訳です」

 成廉が話し終えた時には酒宴は既にお開きになっていた。

「それで……今後の事なのですが……」

 成廉は一番話したい話題に移ることにした。


 既に今後については白鈴と話し合っていた。

 成廉は白鈴がそばにいて欲しかったし、手放すつもりもなかった。

 白鈴はついて来て欲しいという申し出をすぐに承諾してくれた。成廉ははたして親族を手に掛けた自分達と行動を共にしてくれるか、心配だったが白鈴はそんな事全く表に出さないでくれた。一生成廉から離れないとまで言ったのだ。

 その喜びの余韻が心地良く残る中、後は呂布らに同伴を認めてもらうだけだ。


「僕は白鈴を置いておく事なんて出来ません。どうか今後の同伴を許してください!」

 成廉は膝をついて頭を下げた。


「俺からも、お願いします」

「俺も、反対理由は無いと思います」

 魏越と張遼は賛同してくれた。

「私は特に問題無いと思いますが……」

 文優は呂布の方を見た。

「……」

 呂布は目を閉じ、腕を組んで黙っていた。

「良い、とは言わん」

「そんな……!」

「女を連れていると軍としては色々と面倒だ」


 白鈴が足手まといになるのは明らかだった。

 特に呂布が考えている軍の在り方に『女』というものはあってはならないのだ。

 本拠地が特定するまで呂布は気ままに放浪するつもりだった。幸い、資金なら腐る程ある。勢力から勢力へと渡り歩くこともあろう。

 そこに『女』というものがあると、いざ戦という時に戦場に連れて行けないとなると、『女』は養って貰う勢力に置いていく事になる。

 それは人質を意味していた。後々面倒なのは必至だ。


「それにな、一番被害を受けるのは女なんだぞ」

 ただ帰りを待つだけ、人質となる乱世の女。やむなく取り残され、勝者に陵辱されるのが乱世の習いだ。

「どうしても、と言うなら……」

「言うなら……?」

 成廉は生唾を呑んだ。

「その娘が甲冑を着け、戦場まで同伴すると言うなら許そう」

「!!?」

 女が戦場に赴くなんて聞いたこともない。彼らのものさしでは有り得ない事だった。

「ほっ奉先さん! 何を言ってるんですか!?

『女』なんですよ?!」

「無理なら置いていけ」

「そっそんな……」


 成廉はどちらも選択出来ない。

「あたし、」

 不意に白鈴が口を開いた。皆の視線が集まる。

「あたし甲冑着てでもついて行く」

「なっ何いってんだよ」

「じゃあ廉々はあたしにここにいろって言うの?」

「そうじゃなくて……」

「あたし、足手まといにならない様にします。だから、お願いします」

 白鈴は呂布を真っ直ぐ見て宣言した。

「あの董卓の孫にしてはなかなかの度胸じゃないか。せいぜい頑張れよ」

 呂布は満足そうに頷いた。

「さて、それでは。この新たな戦の姫君に乾杯といくか。おい、成廉! 酒持って来い」

「ちょっ、あの……え?」

「返事!」

「はっ、はい」


 こうして白鈴の呂布軍参入が決定した。



 翌朝――。

 住人の消えた静まり返る城内に呂布軍一万が集結した。整然と列んだ兵達は何が発表されるのか、という疑問を抱いていた。

 その応えを胸に秘めた呂布は兵達の視線を一身に受けて立っていた。


「漢帝国が興ってから四百年が経とうとしている。しかし、長年に渡って朝廷に佞臣が居座り、皇帝は宦官の言いなりとなり、漢帝国の威信は地に堕ちた」


 静かに、だが深く響く声で呂布が話し出した。

「そして黄巾の徒が各地に蜂起した」

 張角を中心に始まった黄巾の乱。それは漢帝国の現状を表していた。八年経った今でも残党が息を潜めている。


「朝廷に罷免されていた能臣が復帰し、宦官も何進暗殺を契機にほとんどが誅された」

 黄巾の乱は混乱を招いたが同時にかつて宦官の策略で罪を着せられ、左遷されていた能臣が恩赦を与えられたのだ。

 これで漢帝国は息を吹き返すはずだった。


「だが愚かにも朝廷は各州各地に乱の功労者を封じ、諸侯の団結力は弱まった。……その結果が董卓の専横だ」


 全ては大河の如く連なっている。董卓が容易く政権を掌握出来たのも行動に移したその機の掴みが抜群だったからだ。


「董卓はある意味英雄だったのかもしれない。しかし、残虐が過ぎた」

 董卓政権下、叛乱はことごとく鎮圧し反対勢力も潰された為、人々は恐怖に支配されていた。それでも、一応は董卓を中心に乱れた天下は一つになりつつあった。

 そうは言っても、結局の所、人民が大切なのは自分達なのである。


「そして遂に……」

 呂布は目を閉じ、董卓の最期を思い浮かべた。

「……我々の手により董卓は死んだ」

 誰一人何も言わなかった。ただ城内に静寂だけがあった。

「さておいて、董卓の遺臣と一族を一掃した今、我々の次なる任務はここ嵋城の駐屯であるのだが……俺は反古にしようと思う」

 またも兵達の反応は無かった。皆、薄々気付いていたのだ。


「このまま王允に良いように扱われるのも癪だ。いっその事どこかで旗揚げでもしょうかと思う」

 呂布はまるで狩りにでも行くような軽い言い様だ。

 そうは言っても各地には既に支配者がいる。旗揚げとなるとそう簡単なものでもない。

 しかし、今の呂布には文優がいる。今後に関しての憂いはほとんど無かった。


「そこで、長安を出奔するにあたって一旦軍を解散する。ただし蝗紅隊は残れ」

 さすがに兵達にどよめきが広がった。

「将軍! どうしてそのような事を仰るのです!?」

「どうか我等をお側の置いて下さい!」


 てっきり戦場から追放されたと感じた兵達は口々に同行の許可を願った。

 彼らにとって呂布は将であり、上司であり、父である。そして彼らにとって戦場は生活の場そのものだった。


「鎮まれい!」

 雷鳴の如く、呂布の声が響いた。すぐに静寂が戻ってくる。

「俺はお前達を見捨てはしない。旗揚げの際には兵を募る。それまで各自潜伏しろ」

 兵達は呂布に熱い視線を注いだ。


「俺が旗揚げするまでの間は……これで生活するのだ」

 呂布の示した先には昨日回収された財宝が山の様に積まれていた。




 呂布らが長安を出奔する少し前、李確らは叛乱鎮圧の為、陳国に配下三万で出兵していた。

 董卓の死が報せられたのは鎮圧が終了した時。突然の悲報に当然四将軍は動揺した。


「朝廷は完全に王允が掌握しておる。我等は降伏するべきではないか?」

 李確が困った様に言った。王允が掌握している官軍と董卓の遺軍は十万を超える。しかも呂布も協力しているという。敵に回すのは無謀だ。

「同意見だ。王允の元には帝もいらっしゃる。刃向かえば逆賊とされかねん」

 張済が神妙に答えた。

「相国には申し訳無いがここはひとまず降るしか無さそうだな」

 郭[シ巳]もしょうがなさそうに頷いた。

 董卓配下の実力者とは言え、彼らは復讐戦を挑むよりも己の保身をとった。

 こうして一行は長安へ向かい、帰順を申し入れる使者を送り込んだ。

 しかし、王允の答えは使者の首と共に送り返された。王允は董卓に味方した者を全て赦さなかった。

 嵋城より連行された李儒をはじめとする忠臣はことごとく打ち首となり、兵までも涼州出身というだけで暇に出された。

 李確ら、董卓の将に軍を差し向け、更に賞金首にまで仕立てた。

 どうする事も出来なくなった李確らは身軽になる為に兵を解散させて、涼州目指して落ちのびた。


 王允の目論見通り、このまま王允の天下になるはずだった。しかし、天は王允にある男の存在を気付かせなかった。

 その男は賈栩、李確軍の校尉である。

 他の追随を許さない頭脳を持ちながらも、昔から己の危機にしかその才を見せない事から余り知名度は高くなかった。

 そこが王允の落とし穴でもあった。


「李将軍、今こそ兵を挙げる機です!」


 その一言で王允の天運は尽きた。

「王允は政権を握ってからというもの、人民のご機嫌をとるような政策や反対派の誅滅にいそしんでいます。人民の心は掴んでも王允を擁護する将や士大夫は半々といった所でしょう。

将軍が今、兵を挙げれば王允を良いように思わぬ者が集まり、十万の兵を集める事も可能でございます。誰かが同じ様に兵を挙げるかも知れません。

先を越されますよ?!」


 賈栩の言を聞いた李確の判断は早かった。

 即ち、董卓の敵討ちを称して涼州への道を引き返したのだ。王允を快く思わない豪族もこれに協力し、兵を供出したので長安に至る頃には十万を超えていた。

 二手に分かれた李確軍は一方は直接長安を攻撃、もう一方は迂回して呂布のいる嵋城を攻めた。


 既に嵋城には誰一人としていなかったが、呂布が守備していると思い込んでいた王允は嵋城の対応はせずに徐栄、胡軫、楊定に迎撃させただけだった。

 しかし、李確らは辺境で鍛え上げられた将才と精強な軍で容易くこれを打ち破り、がら空きの嵋城はあっさりと抜かれた。

 長安はほぼ包囲されてしまった。

 最後の決め手となったのは胡軫、楊定の裏切りだった。二人は王允が嫌いだった上に長安も陥落寸前という状況だったのだ。

 王允の滅亡は必然だった。

 守備に奮戦していた徐栄は胡軫らの誘いを断った。が、胡軫らが李確軍を引き入れた事により混乱に巻き込まれ、討ち死にしてしまった。

 城内で戦闘が起きたため、人民の混乱はますます大きくなり脱出もままならない状況だった。


「なんと、……。儂の天下はこれまでなのか」


 王允の最期は長安の混乱を収集する為に自らの首を差し出すというものだった。


 李確らは王允を打ち首に処すと帝のいる宮中にまで攻め上がった。そして帝を確保した。

 李確ら四将軍は帝に詰め寄って高官を手に入れると朝廷を我が物顔で執政した。

 董卓の遺骸も手厚く埋葬された。

 こうして四将軍の専横が始まった。

 が、彼らは董卓程の大物でも無い。すぐに仲間割れが始まった。樊稠は無実の罪で李確に殺され、張済は中央から離れた弘農に移った。

 李確、郭[シ巳]はまともな政治を行わず、人民から搾取するだけである。更に度々仲違いしては長安城内で戦を行ったので戦死者はどんどん増え続け、無秩序状態だった。


 董卓は権力と恐怖で抑圧してある程度秩序は保たれていた為、まだ董卓の方がましだ、という声まで上がる程だった。


 こうして朝廷は諸侯に対する力を失い、天下は本格的な乱世へと突入していくのである。




 呂布ら一行はかつての都・洛陽にたどり着いた。そこに昔の面影は少しも残っておらず、城壁までも崩れかけていた。

 かつて人々が行き交い賑やかだった大通りはまっさらな更地となり、所々雑草が生えているだけだった。

 城内に人影は無く、目に入るのは石造りの建物の跡とポツンポツンと見える雑草の群生だった。


「こんなに荒れているなんて……」

 白鈴が哀しそうに呟いた。話には聞いていたのだろう。

 だが、この荒れ様は予想外だったようだ。洛陽は成廉との思い出もある。

 しかし、何十万もの人口を擁した漢帝国の帝都をこんな焦土としたのは他でもない呂布や成廉らなのである。白鈴はその事実を知らない。そして成廉は教えるつもりも無かった。




「ここから更に兵を二手に分ける」

 荒れ地で一泊した次の日、呂布が言った。

「張遼! 先日より言ったように本拠地の特定をお前に任せる。文優と高順も同行させるから良く話し合え」

「承知しました!」

 張遼は嬉しそうに答え、蝗紅隊五百と早速出発した。


 呂布としばし中原を放浪するのは成廉、魏越、白鈴と蝗紅隊五百だ。

「まずどこに向かいますか?」

 成廉は呂布に尋ねた。

「袁術の所なんてどうですか?」

 魏越が提案した。

「董卓は洛陽に住んでいた袁家を皆殺しにしました。奉先様はその董卓を討ったのですから恩を感じているに違いありません」

 成廉と一緒に雷音に乗った白鈴は『董卓』という言葉に複雑な顔をした。まだ、祖父の死と今の複雑な状況を克服出来ていないのだ。

 なんと言っても白鈴の周りは皆、祖父を殺した者達なのである。それでも成廉がいつもそばにいるだけましだった。


「それに配下だった孫堅が戦死したばかりですから受け入れてくれるでしょう」

 虎牢で董卓軍を苦しめた孫堅は荊州刺史の劉表と幾度か軍を衝突させていた。全て劉表、孫堅の弱体化を図った袁術が裏にいるのだが、知ってか知らずしてか両者共に激しく争っていた。

 そして遂に江夏の部将・黄祖に待ち伏せされ討たれてしまった。孫堅はまだ三七だった。遺軍は十七歳の嫡子・孫策が継いで、元上司である袁術の元に身を寄せた。以来、孫家は黄祖を目の敵にするがその悲願が達せられるのは十年以上先の話である。


 魏越の提案は成廉にとっても頷けるものだった。しかし、呂布の顔は険しい。


「本当に袁術は俺達を受け入れるかな?」

 袁術は道理の男では無い。己の事しか頭に無い上にすぐに裏工作に走る。

「俺は同じ袁家なら袁紹の方がいいと思うぞ」

 袁紹は冀州刺史・韓馥から冀州を手に入れ、今最も勢いのある勢力の一つだ。

「たまに垣間見せる大胆さ、袁紹はきっと大物だぞ。俺は袁紹に一度会ってみたい」

「じゃあ決まりですね」

「そんなんだったら最初から袁紹と言えばいいのに……」

 魏越がボソッと呟いた。

 結局、誰かの意見など無意味で呂布の意志が呂布軍の意志なのである。

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